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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第一章
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第8話 エルゼル

 3日もするとすっかり毛は乾いた。長いそれを2つに分けて、片方を一つに纏めてズボンに縫いつけた。座る時に少し邪魔だがしょうがない。耳の分の毛は服を作った時に残った黒い布と、黒いピンとで耳の形作って行く。耳の形については悩んだが、耳を追い隠せそうな、犬のような三角耳を選んだ。

 出来上がったそれを、ヘッドバンドに縫い付けて、固定すると同時に耳を覆う。髪も少し横に流して、手製の獣耳と髪を馴染ませた。

 鏡の前で確かめてみるが、それはナハトの目には、自分の髪と獣耳の間の区別がつかないものになっていた。


「…これは思っていたよりも上手く出来たのではないかな。どうだい、ドラコ」

「ギュー♪」

「そうだろう?ヴァロくんが帰ってきたら、早速見せてあげよう」


 ナハトがそのまま夕食の支度をしていると、コツコツと入り口の扉を叩く音が聞こえた。

 今まで彼を訪ねてきたのは、悪餓鬼のヨルンだけ。だが彼は、そっと扉を叩くようなことはしない。拳で扉を壊さんばかりに叩くのだ。


(「…だとすると、誰だ?」)


 気配を消して様子を伺っていると、またコツコツと扉が叩かれた。


「…ヴァロ、いるんでしょう?電気がついているから、いるのは分かってるのよ」

(「おっと、彼の知り合いか…」)


 ならば、このままここで気配を消しているのはあまり得策ではないだろう。先程の声の掛け方からして、ヴァロの友人か、それに準ずる者のようだ。知らぬ人ならやり過ごせただろうが、知人なら普段の様子を知っている。

 現に、電気が付いているからいるはずだと、決めてかかられてしまっているこの状態で、このまま放っておいたとしても、諦めてあちらが帰るとは限らない。


(「…かと言ってこのまま調理などしたら、煙で中にいることは容易に知れる…。仕方ない」)


 ドラコを肩に乗せたまま、ナハトはコツコツ叩かれ続ける扉を開けた。


「ヴァロ!やっと出てき…あれ?」

「こんにちはお嬢さん。私はナハト、彼の友人です」

「えっ!?ヴァロの、友人…?」


 扉の先にいたのは、明るい茶色の髪と垂れた耳が特徴的な小柄の女性だった。小柄と言ってもナハトより大きいが、ヴァロと比べたら随分小さく見える。


「対応が遅くなってしまい申し訳ない。食事の支度をしていたので、気付くのが遅れてしまいました」

「しょ、食事?えっ、あの…わ、私はエルゼルです。初めまして…」

「ご丁寧にありがとうございます。エルゼルさん」


 頭を下げてナハトが微笑むと、戸惑いながらもエルゼルも微笑み返してくれた。


(「…上手くごまかせているようだな」)


 耳と尻尾の力は偉大なようだ。

 エルゼルの目には不思議なものを見るような色はあるが、怪しむ色はない。


「あの、ヴァロはまだ帰ってきていないんですか?」

「ええ。おそらく、あと1時間ほどたたないと、戻ってこないと思います」

「そうですか…」

「何かお急ぎの用事でも?」

「あっ、いえ…急ぎじゃないんですけど…」


 急ぎではないと言ってはいるが、その顔には、彼を気遣うような色がありありと浮かんでいた。憶測ではあるが、もしかしたらエルゼルはヴァロとヨルンの関係を知っていて、こうしてたまに様子を見にきてくれていたのかもしれない。

 ならば返すのは可哀想だ。ナハトは家主のいない家に、彼女を招き入れることにした。


「よろしければ、中でお待ちになりますか?私は食事の支度をしますが、この子でよければ相手になってくれますよ?」

「ギュー♪」


 そう言ってドラコを撫でると、エルゼルは興味深そうな顔をして、頷いた。中に案内すると、驚いた顔で部屋の中を見渡す。


「すごい、綺麗になってる」

「ありがとうございます」

「ナハトさんが、ご飯だけじゃなくて、掃除もしてるんですか?」

「ええ。私とこの子は今こちらにご厄介になっているので、そのお礼に少し家事をさせていただいています」

「そうなんですね。でも意外だなぁ。ヴァロに私以外の友達がいたなんて」


 そう言って、エルゼルはすすめた椅子に腰掛けた。すかさずドラコが肩から降りて、近づいて行く。


「抱っこしてもいいですか?」

「ええ、勿論。その子の名前はドラコと言います。仲良くしてあげてください」

「はい」


 森で食べた赤と黄色の実、イアレというそうだが、あれの赤い部分だけを絞ったジュースを持って来ると、ドラコにエルゼルの相手を頼み、ナハトは調理に取り掛かった。

 念のため3人分の材料でシチューとパン、それと、アガリ鳥という鳥の肉を使った酒蒸しを作る。

 起きた当初は知らないものだらけだったキッチンも、調理していればすぐ慣れた。使い方さえ分かってしまえば便利なものがほとんどで、村にもこんな設備があれば良かったと思ったものである。なにより水を煮沸して飲む必要がなく、蛇口をひねれば出て来るのだ。これは本当に素晴らしい。

 パンの焼き加減を見ながら鳥肉の下ごしらえをしていると、後ろから声がかかった。


「凄い、いい匂いがしますね」


 手を止めることなく振り向くと、ドラコを抱きかかえたエルゼルが立っていた。


「こんなに美味しそうなパンの匂い、初めてです」

「ありがとうございます。用意が終わったので、私もお相手させていただきますね」


 チラリと時計を見ると、もうすぐ1時間経とうとしていた。ヴァロももうすぐ帰って来るだろうと、ジュースのおかわりを持ってエルゼルの正面に座る。


「ドラコちゃん、可愛いですね」

「ありがとうございます。この子は私の自慢の家族でして」

「ギュー♪」


 ドラコがするりと登ってきて、首の後ろに落ち着いた。尻尾が楽しそうに揺れている。


「エルゼルさんに遊んでいただいて、ドラコも喜んでいるみたいです」

「いえいえ!私の方が遊んでもらっちゃって…。それにしても、ナハトさんはなんだかとても丁寧に喋るんですね。立ち振る舞いもヴァロのお友達とは思えないくらい綺麗で…」


 興味津々の目で見つめられて、ナハトは考えた。これはチャンスではないかと。

 エルゼルは、恐らくヴァロよりも遥かに社交性がある常識人だ。彼女からならもう少し広く情報を得られるに違いない。

 ナハトは考えると、少しだけ困った顔で話し出した。


「実は私の祖父が、その昔に位の高い方のお世話をさせていただいていたのです。私はその祖父に育てられたもので、このように躾けられてしまいました」

「そうなんですね。位の高い方のお世話ってって…まさか、貴族とか…もしかして、領主様とかの執事ですか?」


 貴族や領主。それはナハトも知っている言葉だ。身分制度は残っているらしいという事がわかって、少しだけ微笑む。嘘に気づかれないよう、ナハトは流れるように言葉を続ける。


「そこまでは教えてくれませんでしたが、祖父の動作は私などとは比べものにならないほど綺麗で優雅でしたので…。もしかしたら、そうだったのかもしれません」

「すごーい!でも、そんなナハトさんが、どうしてヴァロとお友達に?」

「彼には怪我をしたところを助けていただいたのです。ねぇ、ドラコ」

「ギュー」

「怪我…?今は、大丈夫なんですか?」

「ええ、もうだいぶ良くなりました。ただ、お恥ずかしい話ですが、その時の怪我が原因で、私の記憶が所々抜けてしまっているのです」

「ええっ!?それは本当に大丈夫なんですか!?」


 記憶喪失というのも、何とか信じてもらえたようだ。本当はこちらを気遣っている視線に、少々良心が痛むがーーー今は情報を得る事が何より大事だ。ナハトは軽く頷いて微笑み、口を開いた。


「ええ。命に別状は何もありません。ですが色々なことが抜けてしまっているので、もし私が何かおかしなことを言ってしまったり、失礼をしてしまっても、どうか寛大な心でお許し下さい。何しろ、結婚式で尻尾の毛を交換することの意味をすっかり忘れてしまっているくらいでして…」

「ふふふ、わかりました!でも尻尾のそれはかなり昔の風習ですよ?今は耳に口づけ合うのが流行りなんです」

「そうでしたか。教えていただいてありがとうございます」


 そんな和やかな空気を割るように、突然ガチャリと扉が開いて、またもや血と泥に塗れたヴァロが帰ってきた。今日はなかなか酷くやられたようで、いつもよりも出血が酷く、全身血と泥で色が変わってしまっている。


「…ヴァロ!!」


 先程までの和やかな雰囲気は吹っ飛び、エルゼルが口を覆って立ち上がった。

 ナハトも立ち上がり、救急箱を取りに行く。


「…手当てはいるかい?」

「…いい」

「いいって…その傷…!またヨルンにやられたの!?どうしていつも…」

「…なんでエルゼルがここにいるの?」


 駆け寄ろうとするエルゼルに、ヴァロが冷たく声をかけた。いつものおどおどモジモジの彼らしくない声に、ナハトは眉を顰める。


「なんでって…!そんなの、あなたが心配だからでしょう!?いつもいつもやられて帰ってきて!汚い部屋で適当なご飯食べて!そんなだから心配してるんじゃない!」

「う、うるさい!そんな事頼んでないだろ!?」

「幼馴染なんだから心配くらいするわよ!」

「…いつもいつも!心配心配ってうるさいんだよ!勝手に心配してるのはそっちだろう!?」


 エルゼルが怯んだように一歩下がる。


「俺から来てくれなんて言ったことない!いつも勝手に来てうるさいんだよ!」

「だって…ヴァロ、いつも酷い目に…」

「酷い目にあってるから同情してるのか!?自己満足じゃないかそんな…」

「こら」


 あまりの言いように、ナハトはヴァロの腕を叩いた。

 はっとしたように言葉が止まり、それを見計らってもう一度腕を叩く。言い合いの外から第三者の声がかかり、少しだけ冷静になったようだ。


「言い過ぎだよヴァロくん。自分の姿を見てご覧よ。そんだけ血みどろで帰ってこられたら、誰だって心配するだろう?余程の人でなしでない限り」

「…うっ…でも…俺はそんな事…」

「頼む頼まないじゃないだろう。怪我をして帰ってきたら、知り合いならば心配するのは当然じゃないか。なのに君は、君を心配だと言ってくれている彼女を、無視を決め込む人でなしにしたいのかい?」


 ヴァロが顔を上げると、エルゼルは目いっぱいに涙を溜めていた。確かにその通りだと、みるみる尻尾と耳が垂れ下がる。


「…ごめん、エルゼル。俺、言い過ぎだよ…」

「私も…少し言いすぎたわ。ごめんなさい」


 いい感じにまとまったところで、ナハトはパシっと両手を叩いた。

 驚いた顔をする2人に微笑みかる。


「よし、これで仲直りだ。さぁ、ヴァロくんはその血と泥さっさと洗い流してきなさい。エルゼルさんには配膳のお手伝いをお願いしてもいいですか?一応3人分作りましたので」

「えっ?…ナハト?」

「君は早くシャワー室へ行きなさい。血や泥の汚れは落ちにくいのだからね。さぁ、早く」

「ギュー!」

「ドラコまで…」


 ナハトが隣の部屋を指さすと、ヴァロは一瞬何か言いたそうにしたが、結局すごすごとシャワー室へ消えて行った。


「あ、あの…ナハトさん、私…」

「エルゼルさん、あなたは何も間違ったことはしていませんよ?」


 戸惑うエルゼルを連れて、ナハトはキッチンへ向かった。エルゼルにお皿を取ってもらったり、飲み物を用意してもらったりしながら、ナハトは言葉を続ける。


「最初に私がヴァロくんのあの状態を見た時、手当てしようかという私の言葉を彼は拒否しました。その後も何度もあの状態を見ましたが、彼は何も言いません」

「…いつもいつも、ヨルンと会ってから、ずーっとそうなんです。体はヴァロの方が大きいし、歳だって上なんだから、やり返せばいいのに…いつも、やられてばかりなんです」

「みたいですね。私のような体の小さいものならいざ知らず、恵まれた体格なのですからやり返してみればいいと私も思います」

「…ですよね!」


 同意してもらったのが嬉しかったのか、エルゼルはシチューを混ぜていたおたまを振り上げて、勢いよく振り返った。

 それを宥めながら、ナハトはパンと酒蒸しを温め直す。


「だけど、それは本人の外側にいる、私たちの意見なんですよ」

「えっ…」


 温まったパンと酒蒸しを皿に移しながら、ゆっくりとナハトはエルゼルに語りかけた。


「結局どうするかは本人次第なんです。外側の私たちは、それを心配するか、応援するか、傍観するしか出来ない」

「…じゃぁ、どうしたらいいんですか?」

「だから、今はこのままでいいんです」

「でも…やられっぱなしなんて…!せめて、せめて逃げればいいのに…」


 必死な顔で彼女は訴える。先ほどの言葉とその表情で、彼女が優しく温かい人柄だということが分かる。

 それを眩しそうに見つめながら、ナハトは言葉を続ける。


「そうですね。逃げられるのなら逃げてしまうのも一つの手です。そうすれば、確かに彼自身は逃げられそうですから」

「…ナハトさん?」

「エルゼルさん、あなたの心配が彼の胸に届いたら…いえ、この言い方は良くないですね。彼があなたの心配を受け入れられたら、彼は少し変わると思います。本気で心配しているあなたを、ヴァロくんは今受け入れられないのです。大馬鹿ですよね」

「…そう、ですね…。そうなのかもしれません。本当に、大馬鹿です!」

「ふふ、そうですね。だから、あなたはどうかそのままで」


 笑うと、エルゼルは頷いた。そして少し考えて、ナハトに問いかけてきた。


「あの、一ついいですか?」

「はい、なんでしょう?」

「さっき、応援するか、心配するか、傍観するかって言ってましたけど…ナハトさんは、どれなんですか?」

「私は…そうですね。その時が来たら、煽ります」


 にこりと笑うと、一瞬何を言ったのか分からなかったのか、エルゼルが瞬いた。

 そして、驚いたように口に手を当てる。


「実は少し前、私は取るに足らないと放置していた人に殺されかけたんです」

「…えっ!?こ、殺し…?」

「はい。やって来ることは姑息で面倒くさいことが多かったので、無視したり、やり返したり、逃げたりしました。でも結果、殺されそうになりました」

「そ、んな…」

「あの時、私にも心配してくれる人はいたのです。気にかけて、応援もしてくれたのに、私はそれを大丈夫だと言って受け入れなかった。言ったら助けてもらえたかもしれないのに、言わなかったし、相手ともきちんと向き合わなかったし、その必要性も感じてなかった」

「ナハトさん…」


 今になって、もっとカインとツィーとしっかり話をしておけばよかったと思う。一方的な嫌味や妬みを受けるようになってから、ほとんど話したりしたことはなかった。だけど、彼らも最初からそうではなかった。弟子として入った時は、兄弟子としてカインは親切にしてくれていたし、ツィーもよく世話を焼いてくれていた。いつからだったか、ああなってしまったのだ。

 師父とにももっと甘えればよかったと思う。尊敬していたからこそ気安くできなかったが、もしかしたらそういうところが、カインとツィーは気に入らなかったのかもしれないとも思う。とはいえ、それを確かめることは、恐らくもう出来ない。


「私は、あの場所から逃げることは考えず、全てなあなあにしてしまったのです。嫌な態度や言葉も、向けられた優しさや言葉も、その意味をしっかり考えることなく受け流してしまった。だからですね、ヴァロくんにはそうなってほしくないのです。最終的には、逃げてもやり返してもいいんです。だけれど、自分の為にも、一度は相手と向き合うことも必要です。エルゼルさんがヴァロくんの心配と応援をするのであれば、私は時が来たら彼を煽って、相手と向き合えるようにします」

「それは…とても、いいですね」


 食事の準備ができた頃、頭が冷えたのか、申し訳なさそうにヴァロが着替えてシャワー室から出てきた。

 彼はもう一度エルゼルに謝ると、少し不服そうな顔でナハトにも謝ってきた。ドラコに謝ってないと指摘するとドラコにも頭を下げた。


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