第26話 続く監視と親子喧嘩
(「…なんか、いい匂いがする…」)
起床直前の、少しずついろんな機能が起きていく感覚。その最中に、ヴァロの鼻はとてもいい匂いをとらえた。甘くて優しい、花のような匂い。太陽をいっぱいに浴びた芝生のような安心感だ。とても気持ちがいい。
もっとその匂いを深く吸い込みたくて、ヴァロはその匂いがする方へ向かって頭を擦り付けた。サラサラした何かに触れて香りが強くなる。柔らかくてサラサラした感触が堪らなくて頬を擦り付けると、匂いの元が小さく震えた。笑っているかのようなそれはある程度の大きさがあり、ヴァロの腕の中にあるようだった。ぐっと右手を引き寄せると、「わっ」と言う声が聞こえてそれに密着する。暖かくて安心する。
そこで、ふと脳が疑問をはじき出した。
(「…声…?」)
急速に意識が浮上してくる。動物など飼っていただろうかと、よくわからない疑問と共にゆっくりと瞼を開けると―――。
「…おっ、やっと起きたか」
「……………は……?」
目の前にナハトがいた。覚醒しかけた意識が弾け飛ぶ。何が起きたのかまったくわからず、限界まで開いた目でナハトを見て、自分の右手がその肩を抱いていることに気がついた。
瞬間、込み上げてきた恥ずかしさに文字通り飛んだ。
「わぅbjtqxきれyにぁい!?!?!?」
「何を言ってるんだね君は…」
ベッドの足側へ飛んでキャビネットにぶつかり、壁に背を預けてずるずると座り込んだ。心臓が口から飛び出しそうで顔が熱い。いい匂いだと思っていたのはナハトの匂いで、サラサラしていたのは髪の毛で、柔らかかったのは―――と、勝手に脳があれやこれやを考え出して目が回る思いだった。頭が沸騰して訳が分からない。と言うか、何故ナハトがヴァロのベッドにいるのだ。
真っ赤な顔で口を開けたり閉じたりするヴァロを見て、ナハトは笑いながら体を起こした。とことことナハトの肩へ登ったドラコは、呆れた目でヴァロを見て小さく息を吐く。
「先に言っておくが、私が潜り込んだわけじゃないぞ?君が私の腕を引っ張って引きずり込んだんだ」
「おおおおおおお俺が!?いつ!?」
「早朝に」
「何で!?」
「そんな事、私が知るわけないだろう?」
ナハトは伸びをしてヴァロのベッドに腰かけると、面白そうに笑って口を開く。
「どこへ行くのかと聞いてきたから、恐らくだが寂しかったんだろう?だから押し倒されて乗っかられて圧死しそうになったけれど、寂しい思いをさせたようだから甘んじて横になっていたというわけだ」
「右手は肩に回っていて外せなかったしね」というナハトの言葉を聞きながら、もうこれ以上ないほどヴァロは真っ赤になった。さらっと言われたが押し倒して乗っかったとはどういう事だろうか。
(「俺寝ぼけて何してんの!?」)
あんな小さいナハトに乗っかったら本当に圧死するほど重かっただろう。覚えていない内にそんな恐ろしい事をしていたのが分かってぞっとする。恥ずかしいやら申し訳ないやらでパニックになったヴァロの耳に、突然パンッと軽快な音が聞こえて顔を上げた。
「しっかりしないか。君が寂しがり屋なのは今さらだろう?」
「ギュー」
いつの間にかナハトがヴァロの前まで来て、目の前で手を叩いたようだ。丸くなって座っている分ナハトのほうが背が高く、少し屈んでいるせいで目の前に細くて白い首筋が見える。それが何故か間近で見てはいけないような気がして、ヴァロは両手で顔を覆った。
「ごごごめん!大丈夫!もう大丈夫だから…!」
「…まったく大丈夫なようには見えないが…まあ、いい。先に洗面台を使うから、ヴァロくんは先に着替えるといい」
ナハトはそう言ってヴァロの頭をぐしゃぐしゃ撫でると、浴室の方へ歩いて行った。離れて行く足音に大きく息を吐いて天井を仰ぎ見る。
ナハトの事を、ヴァロは女性としてみないようにずっと心掛けていた。友達だからという思いが一番大きかったし、何よりナハトは普段の立ち居振る舞いも言葉遣いも男の様だったから。女性として意識する回数は、知った後もどんどん減っていっていた。それにナハトはヴァロのかっこ悪い所もみっともない所も全部知っているのだから、今さらこんな事でいつまでも狼狽えているなどそれこそおかしいというものだ。
だが―――。
(「…駄目だ…。まだ心臓がドキドキする…」)
いつまでたっても落ち着かない心臓と顔の熱さに、ヴァロは顔を覆って息を吐いた。
「いらっしゃぁ~い」
「これまた…すごい状態ですね…」
手紙に書かれた通りルイーゼを訪ねると、また下着姿の彼女に出迎えられた。昨日彼女が来ていた服はそこら辺の机の上や床に脱ぎ散らかされており、荷物もそのまま床の上に置かれている。どうやら昨日ナハトたちが出て行ったあと、そのまま作業へ入ってしまったようだ。早速血を寄こせと迫ってきた彼女を手で制し、まずはシャワーと食事を済ませるよう要求する。
「えー…」
「嫌そうな顔をしないでください。ほら、早く」
「はぁい」
放っておけばいつまでたってもそのままなのだ。そしていつまでもヴァロが部屋に入れない。
ぶーぶー言うルイーゼを送り出すと、早速また部屋の掃除にとりかかった。書類をまとめ、魔道具をまとめ、床や机の上の埃をとって軽く拭く。それが終わる頃には、食事とシャワーを終えたルイーゼが戻ってきた。
盗聴防止の魔道具を起動し、改めて差し出された瓶に血を移しながらナハトは問いかけた。
「今回は血を何に使う予定でしょうか?」
「ちょっとナハトくんの魔力とぉ、あたしの魔力を調べてみようかと思ってぇ」
「ルイーゼさんの血と…?」
頷くルイーゼ。血を受け取り、スポイトでナハトの血をいくつもの器に分けながらしゃべりだす。
「ナハトくんは精霊さんと契約してるんでしょう?ナハトくんからはその精霊さんの気配を感じるみたいだしぃ…なら、あたしの魔力と比べて見たら、何かわかるかもーって思ってぇ」
「…なるほど」
確かにそれならば何かわかる可能性は高い。その違いが、契約や精霊に関する事であるのならば、ナハトと契約した精霊の魔力を集める魔道具のきっかけには十分なりうるだろう。
血を渡したらもう用なしとばかりに、集中したいからと部屋から追い出された。ついでに2日ほど臨時のダンジョン監視当番が入ったから任せると一方的に告げられ扉が閉められる。こうなってはもうこちらから声をかけても反応してくれないだろう。
「…仕方がない。詳しい話を聞きに受付へ行こう。付き合わせてすまないね」
「だ、大丈夫だよ!ルイーゼさんはいつもの事だし…」
「…?」
少々距離感を感じなくもないが、まあいいかとナハトは階段を下りた。受付で当番の2日がいつなのかと、時間帯を聞く。
そうして大体の話が終わりダンジョンギルドを出ると、少し離れたところで騒ぎが起きている事に気が付いた。小さな人だかりが出来ていて、気のせいでなければ聞き覚えのある声も聞こえる。
「あれって…」
「…行ってみよう」
駆けつけると、やはりと言うかなんというか。騒ぎの中心にいたのはフェルグスだった。彼を一回り若くした雰囲気の青年が地面に座り込み、頬を抑えてフェルグスを睨みつけている。ナッツェはその青年の傍らに、当のフェルグスはクルムに押さえられている。
「落ち着きなさいよフェルグス!こんなところで騒ぐもんじゃないわ!」
「うるせえナッツェ!仲間を侮辱されて大人しくできるわけねーだろ!!!」
「やめなって!僕は気にしてないんだから…!」
こんなに怒りを見せるフェルグスは初めて見た。とはいえ、ここはナッツェの言う通り公衆の面前だ。ギルドのすぐ近くでもあるし、あまり騒ぐと職員が事件と判断して衛士に通報しかねない。
何よりナハトたちはフェルグスらに大変世話になっている。どういう事かはわからないが、まずはこの場を納めた方がいいだろう。ヴァロと頷きあって、まずはヴァロが声をかけた。
「フェルグスさん!どうしたんですか?」
「ああ!?って…」
「ヴァロちゃん、ナハトちゃんも…」
一瞬敵意を見せたフェルグスだったが、ナハトとヴァロを視界に入れるとすぐに冷静さを取り戻したようだった。その隙に、ナハトが声をかける。
「何があったのかはわかりませんが、とりあえず場所を変えませんか?」
軽く両手を広げて周囲に視線を向けさせれば、そこでやっと周囲に集まった人に気が付いたようだ。フェルグスは深く息を吐いて、振り上げたままだった手を下ろした。
「…そうだな」
それにほっとした様子でナッツェとクルムも肩の力を抜いた。
周囲の野次馬たちも興味をなくしたようにいなくなり、そうして初めてナハトはナッツェに介抱されている青年の顔をよく見た。年のころは十代後半から二十代前半と言ったところだろうか。短い灰色の髪に小さな耳、それに水色の瞳。彼はひょっとしてフェルグスの息子ではなかろうか。
「とりあえず、うちにでもいらっしゃいますか?この人数では少々手狭ではありますが…」
「わりぃな…」
「いえいえ」
ナハトはすぐにフェルグスたちを連れて歩き出した。座り込んでいた青年も立ち上がり、ナッツェに連れられて歩きだす。だが、その視線は何故かナハトとクルム、それとフェルグスに向いている。敵意を含んだ視線に内心で首を傾げる。
(「…なんだ?」)
クルムはともかく、ナハトはまったくの初対面だ。敵意を見せられるような覚えはない。不思議に思いながらも借家へと案内した。リビングへ通し、台所へお茶を取りに行き戻ってくると、何やら既に青年が臨戦態勢に入っていた。まだ来て5分も経っていないというのに元気な事である。
「てめえは、いい加減にしろ!」
「うるせぇクソおやじ!あんたこそ…!」
「ちょっと、二人とも!」
フェルグスと青年の怒鳴りあいにナッツェが仲裁に入る。その間に、ナハトとヴァロはクルムに問いかけた。
「いったい、どうしたんですか?フェルグスさんがあんなに怒るなんて…」
「それに相手の彼は、ひょっとしてフェルグスさんのご子息ではないですか?」
「ああ、うん。そうなんだよね…」
クルムの話によると、どうやらフェルグスの息子のカイセルは、二十歳にして突然冒険者を志すことにしたというのだ。今までフェルグスは彼の進路にどうこう言ったりはしなかったのだが、あまりにも突然冒険者を目指すと言い出したことに、えらく反対したらしい。
それもそのはずである。冒険者になること自体は簡単だが、なってからが難しく危険なのだ。しかも話を聞けば、彼は特に武術の練習や武器の扱いなどの訓練をしたことはないとの事。体つきはフェルグスを一回り小さくした感じでがっしりしているとはいえず、今までは仕事も内勤がほとんどで、体を使うような仕事の経験もないそうだ。それはフェルグスも止めるだろう。
だがそこで、カイセルが持ち出したのがクルムの事だった。クルムはカイセルの事を幼いころから知っているし、カイセルもクルムの事は知っているのだが、カイセルにとってクルムはずっと弱いのに父親のパーティに入っているおこぼれ冒険者と言う認識だったというのだ。確かにクルムは小柄で少々童顔ではあるが、それにしても随分な認識の違いである。銅の冒険者にクルムでもなれるなら、俺でもなれるだろうという安易な思い付きから冒険者登録をし、それを意気揚々とフェルグスに報告。クルムの代わりに自分を入れろといい、断るフェルグスにクルムについての暴言を吐いた結果―――。
「先ほどの騒ぎであると…なるほど。フェルグスさんが怒るのも頷けますね」
「僕はあまり気にしてないんだけどね…」
そうは言うが、フェルグスにとっては大事なパーティメンバーをよりにもよって息子にけなされたのだ。情けなくも思うだろうし、そう育てた自分に対する怒りもあるだろう。
「だから何でダメなんだよ!そこのチビだって冒険者なんだろう!?」
そんな声がして思わず振り向いた。カイセルがそう言って指差した先はナハトである。なるほど、先ほどの視線はこういう事かと納得した。思わぬ飛び火にどうしたものかと考えていると、ゴツンと音がしてまたフェルグスがカイセルを殴った。今度は拳骨のようで、頭を抱えたカイセルがふらつく。
しかし思っていたよりも足腰はしっかりしているようだ。打たれ強くはあるかもしれない。
「てめぇは…!俺の仲間だけじゃ飽き足らず、ダチまで貶しやがるのか!?クソガキがぁ!!!」
「お、落ち着いてフェルグス!ここで暴れたらだめよ!」
このままでは殴り合いになるのも時間の問題だろう。ならばと考えて、ナハトは口を開いた。
「あの、私やクルムさんと戦ってみればよろしいのではないでしょうか?」
「……は?」
「えっ…」
「ちょ、ちょっとナハト!何言ってんの!?」
ぽかんとした顔の面々と慌てた顔のヴァロに微笑んで続ける。
「カイセルさん…でよろしかったですか?あなたは、あなたより弱そうに見える私やクルムさんが冒険者になれるなら、ご自分も優秀な冒険者になれると信じて疑っていないのですよね?」
「あ…?あ、ああ…。まあな…」
「でしたら、戦ってみるのが早いでしょう?こてんぱんにやられれば、多少思い直してもくれるのではないですか?」
「…てめぇ…。俺がおまえみたいなチビに負けるって言うのか!?」
詰め寄ってきたカイセルとナハトの間にヴァロが入ってくる。大柄なヴァロを見てカイセルは一瞬怯んだ。だが、すぐさまヴァロの後ろにいるナハトを睨みつけ、叫ぶ。
「そうやってでかい奴の後ろに隠れる卑怯者になんか、俺は負けねぇ!お前が言ったんだからな!忘れんなよ!!!」
「あっ!待て…!」
カイセルはそんな捨て台詞を残して走り去ってしまった。慌ててフェルグスが追いかけるが、足だけはなかなか速いらしい。あっという間に見えなくなり、とぼとぼと戻って来た。
「ナハトおまえなぁ…!何勝手なこと言ってんだよ!?うちの馬鹿みてぇな問題に、おまえら巻き込めねぇよ!」
フェルグスの言いたいこともわかるが正直なところ長引かせるほうが面倒だ。なにより、勝手に冒険者を名乗って好きにやればいいのに、わざわざ父親に報告に来る当たりカイセルはまだ子供だ。わかりやすく叩きのめすのが一番いい。ナハトより年上ではあるが。
クルムもそう思ったのだろう。小さく息を吐いてフェルグスの肩に手を置いた。
「フェルグス。もうその方が手っ取り早いよ。僕も、それで構わないからさ」
「…‥おまえら…」
さんざん悩んだようだったが、結局フェルグスは「すまねぇ」と言ってナハトとクルムに頭を下げた。
翌日はナハトもフェルグスたちも監視当番であったために見送り、その次の日。フェルグスたちの当番が夕方からであるため、昼前に冒険者ギルドの地下修練場へ集まった。本来修練場は冒険者登録をしたものしか使えないのだが、外でやり合えばいくらカイセルが相手でも騒ぎになりかねない。冒険者候補という扱いで今回は通してもらえることになった。
修練場の端でまずはクルムとカイセルの勝負だ。カイセルはフェルグスの大剣とよく似た獲物を構え、対するクルムは愛用の槍をナッツェに預け、リラックスした立ち姿で構えもしない。対局な2人に少々笑えてくる。
だがそう思っているのはナハトたち冒険者だけで、当のカイセルは舐められていると分かり怒りで顔が真っ赤だ。
「舐めやがって…!」
今にも飛びかかりそうなカイセルだが、先にしっかり言質を取る必要がある。ナハトが頷くと、フェルグスが口を開いた。
「クルムとナハトに勝てたら、約束通り冒険者になる事を認めてやる。だが、負けたら2人に謝って冒険者は諦める。…それでいいな?」
「ああ!親父こそ、約束守れよ」
自信満々のカイセルが吠えると同時に、ナッツェが「始め!」と叫んだ。
瞬間、カイセルが飛び出す。本人的にはかなりいい感じに出たつもりなのだろうが、完全に武器の重さに負けている。少々困った顔のクルムはそれを容易に避け、裏拳でカイセルの右頬を殴り飛ばした。
「「「「あっ」」」」
4人の声が重なり、カイセルは武器を離して壁に向かって吹っ飛んだ。手加減はしたのだろうが、カイセルはずぶの素人だ。受け身をとれず壁に叩きつけられそのまま気絶した。
「…やり過ぎた…」
そう呟くクルムはとても申し訳なさそうだ。だがフェルグスは首を振り、良くやってくれたと呟いた。
「面倒かけさせてすまねぇな」
「気にしないでよ。右手振っただけだしね…」
クルムの力では当然の結果であるが、ナハトはどうしたらいいのだろうか。
そんな事を考えていると、ぴくりとドラコが何かに反応した。どうしたと手を伸ばすと、首を傾げて困ったような声で鳴く。
「…ドラコ?」
「ナハト、ちょっといい?」
ヴァロに手招きされて近寄ると、彼は声を潜めて呟いた。
「多分…また見られてる」
「…!」
見回しそうになる体を必死に抑え、かわりにヴァロを見る。頷いたことからも、それは先日ダンジョンから出た時に感じたあの視線のようだ。
修練場は地下にあるため、冒険者ギルドに入って階段を降りてくるしかここへくる方法はない。と言うことはこの視線は冒険者で、この修練場の中にその主はいると言うことだ。
「…なかなか大胆な行動をする奴のようだな」
「でもいるのは確かだよ。今は視線をきってるみたいで分からないけど…」
「さて…どうするか…」
視線の主を見つけるのも大事だが、とりあえずこの場をどうしようか―――。
ちらりとカイセルに視線を向けるとどうやら無事目を覚ましたようだ。やる気は満々のようで、重い剣を置いてこちらを睨みつけてきている。剣を置いたところを見ると、使えない武器は意味がないと気づいたようだ。
「…ナハト、大丈夫?魔術は使わないほうがいいと思うけど…」
「もとよりそのつもりだよ。まぁ、大丈夫だろう。君は分かる範囲でいいから、視線の主を探してみてくれ」
「わかった」
不安そうな顔をするヴァロにそう言って、ナハトはドラコを頼んだ。最初から魔術を使うつもりはない。上着を脱いで身軽になると、今度はフェルグスが近づいてきた。少々不安そうな顔は、心配をされているのだろうか。
にっこり笑って口を開く。
「大丈夫ですよ。ただ、私は力がないので少々手加減が難しいですが…」
「それはかまわねぇよ。殺さねぇ低度にやっちまってくれ」
「物騒ですねぇ…」
笑ってカイセルの正面に立った。あちらが構え、ナッツェが声をかける瞬間に、「あっ」と言って片手を上げる。
案の定カイセルはつんのめり、叫んできた。
「てめぇ!何のつもりだ!」
「そう怒らないでくださいよ。ヴァロくん、すまないが武器を預かってくれるかい?」
「えぇっ!?い、いいの?」
「ああ、今回はないほうが動きやすいからな」
恐る恐るといった様子のヴァロに両脚のダガーを預け、改めて向き直る。クルムよりもはるかに小柄なナハトは、さぞかし弱そうに見えるだろう。さらに目の前で武器を預け微笑みかけられては、相当頭にもくるはずだ。怒りで血走った目で、カイセルは構えた。
「始め!」
ナッツェの声に、カイセルは大きく踏みこんで突っ込んできた。武器がない分なかなかスピードの乗った攻撃だが―――あまい。振り抜かれた拳をしゃがんで避け、バランスの悪い足を薙ぎ払った。
「あっ!」
離れたところにいるヴァロの声が聞こえる。そう、これは一度ヴァロに教えたことがある技だ。当然カイセルはバランスを崩し、地面とお友達になる。
だが彼はめげずにまた突っ込んでくる。それを避けて、また転ばし、振り抜いた腕を利用し投げ飛ばす。ころころ転がし続けると、いい加減腹を立てたらしいカイセルが地団駄を踏みながら叫んだ。
「てめぇ舐めんのもいい加減にしろ!!!
「舐めてませんよ、本気でやってます」
「ならなんで攻撃してこねぇんだよ!!!」
カイセルはまた大ぶりに振りかぶって突っ込んできた。ならばお望み通り攻撃してやろうと、その拳を屈んで避け、地面に手をついて顎を蹴り上げた。
どんな強者でも脳までは鍛えられない。顎への攻撃でふらついたカイセルの肩まで跳ぶと、そのまま彼の右手を抱え、足を彼の首に絡みつけ前方へ倒れ込んだ。そのまま、ほんの少し力を籠める。
「が…あっ!?」
何が起きたのか分からない顔のカイセルだが理解した時にはもう遅い。正確に頸動脈を抑えた結果―――。
「あっ、落ちましたね」
かくりとカイセルは意識を失った。
意識を失った体が重くもぞもぞもがいていると、すぐさまヴァロが駆けつけて引っ張り出してくれた。そのままカイセルの体も起こしてもらい気付けを行う。絞め落としたらすぐに気付を行わなければ危険だからだ。
無事カイセルは意識を取り戻したが、当然頭を抱えて蹲る。しばらくは頭痛と気持ち悪さがついて回るだろうが許してほしい。ドラコを受け取って息をつけば、ぽかんとした顔のフェルグスたちと視線が合った。
「…マジか…」
「すっごぉい…」
「ナハトさん、やりますね」
「ありがとうございます」
正直言えば、締め落とせたのは運が良かっただけだ。たまたまうまいこと足がはまったからよかったが、落とせなければ無理やり力で解かれていた可能性が高い。
「てっきり魔術でやるもんだと思ったんだが…まさか体術だけでやっちまうとはな」
「そうしなければ、分からせるのは難しいですからね。…と」
ナハトは頭を抱えたままのカイセルの前にしゃがみ込んだ。目線を合わせて、微笑む。
「気持ち悪い思いをさせてすみませんね。ですが、私にはあれが精一杯でしたので…」
「…どう言うことだよ…」
「だって私、魔術師ですから」
「…は…?」
にっこり笑うと、一瞬呆けた顔をしたカイセルだったが、大きく息を吐いて俯いた。その耳元に、声を抑えて囁く。
「…私もクルムさんも、あなたの思うような冒険者ではありません。あなたのお父さんは、決して騙されているわけではありませんよ」
驚いた顔のカイセルは、「知ってたのかよ」と小さく呟いて顔を背けた。
たまたま風聞で読んでいただけの事だ。最近等級の低い冒険者が、強い冒険者と同じ場所の依頼を受け、強い冒険者が倒した後の魔獣の一部を持ち帰り達成したと偽装する事件があったのだ。クルムの事を疑っていた彼は、フェルグスがその事件のように弱い奴等に利用されているのではないかと考えた。だが、それを言っても聞き入れてもらえず、ならば冒険者になってクルムの代わりに父親の役に立とうと考えた、というわけである。
つまり―――フェルグスへの心配が暴走しただけだ。フェルグスはよほどいい父親なのだろう。
「おいカイセル!約束だからな、ちゃんと謝れ!」
「…わかったよ」
無理やり立たされ、拗ねた顔でカイセルは頭を下げた。その頭に再び拳骨を喰らい、再度しっかりと頭を下げる。
「もういいよ」
「私も…謝罪していただいたので、もう結構です」
そうしてカイセルとフェルグスの喧嘩は無事終わった。一応、フェルグスにもカイゼルの勘違いを伝え、親子で会話する事を勧めて解散した。
4人を見送って、すぐさまナハトはヴァロに問いかける。
「まだ、視線は感じるかい?」
「ううん。しばらく前から何も感じなくなったよ。…今はもう、ここにいないと思う」
「そうか…」
という事は、監視者はナハトとカイセルがやり合ってる最中に出ていった可能性が高い。そして、おそらく―――ヴァロが視線に気付いたことに気付いたのだ。
だから、疑われぬよう出ていったに違いない。ここは、人が少ないから。
「…どうやら、監視されているのは確実なようだね」
「また…ギルド長みたいな奴がいるのかな…?」
「さてね…。恐らくだが今回は、貴族がまだ私やウィストルさんを疑っていて、それで監視をつけているという可能性が高いと思う」
ここまでつけてくるという事は、もしかしたらダンジョンでも追いかけてくる可能性はある。
ダンジョンの方が制約が多いので無いとは思うが、疑うに越した事はないだろう。
「次回入る時には、念のため尾行にも気をつけよう」
「…そうだね」
擦り寄ってきたドラコを撫でて、ナハトとヴァロも帰路へついた。




