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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第三章
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第22話 決意と覚悟

 鬱々とした気分で、ナハトはゆっくりと体を起こした。

 ダンジョンを出てから4日。フレスカのところへ耳と尻尾を取りに行ってから、ほとんどベッドの上から移動していなかった。転がっては壁に寄りかかり、また転がる。食事も取る気が起きず、寝てもすぐに目覚めてしまう。

 だからか、頭は霞がかかったようにはっきりせず、心は―――重い。

 ナハトは帰ってきてから、ずっと考えていた。自分が石の中に閉じ込められていた間のことを。精霊は、魔力の濃度が高くなり、精霊界も人間界も変化したと言っていた。ならばここで見た、ナハトが見た事がない生物や植物はすべて魔力の影響ということだ。魔力の濃度が高くなり、そのせいで動植物が変化したのだ。もしかしたら、優等種が魔力を持っているのも関係しているかもしれない。ナハトがいた時代では、獣人は魔力を持っていなかったのだから。

 自分が眠っている間に、知らない間に、とんでもなく変化してしまった世界。それが自分のせいだと言われて、どうしようもない後悔がナハトを襲う。ぐるぐると自分を責める言葉ばかりが頭に響き、頭を押さえて蹲った。フラッドは優等種を恨んでいたが、それも本来はナハトに向けられるべき殺意のはずだ。ナハトが、世界をこうしてしまったのだから。


(「…契約を、破棄しなければ…」)


 今ナハトにできる償いはそれしかない。契約した精霊を探して、契約を破棄する。それは、追い詰められたナハトに残された唯一のものだ。ダンジョンに入れない今も、己の中の魔力に目を向け、精霊の気配を探ることは出来るはずだ。

 そう思うがどうしても何も出来なくて、動けなくて―――結局、ぼーっと外を眺めた。

 その時、コンコンとノックの音が聞こえた。誰か訪ねて来たようだが、放っておけばヴァロが出るはずだ。だからまた、窓から外を見つめる。

 だが―――。

 コンコンコンと繰り返されるノック。ヴァロは出ないし、ノックの主も諦めようとしない。小さく息を吐いて、ナハトはベッドから降りた。立ちくらみを起こすが、よろよろと壁を伝って寝室の扉を開ける。

 コンコンコン。規則的に聞こえるノックが煩い。リビングを抜け隣の寝室を見るが、そこにヴァロはいなかった。いつ出かけたのだろう。

 コンコンコン。いい加減腹が立って、覗き窓ではなく、玄関が見える窓からノックの主を窺い見た。そこにいたのはナッツェだった。困った顔をしながら、繰り返しコンコンコンとノックをしている。


(「…私を呼びに来たのか…?」)


 彼の真意はわからないが、もう何十回もノックを繰り返している。ナハトが出てくるまで止めるつもりはないのだろう。

 大きくため息をついて髪をかき上げた。ここまで待たせたのだから、もうしばらく待たせても構わないだろう。仕方なく顔を洗って髪を整え、シャツとスラックスだけ履いて扉を開けた。


「お待たせしました、ナッツェさん。何か…」

「ちょ、ちょっとちょっと…!ナハトちゃん戻って!」


 慌てた様子のナッツェに押され、そのまま彼は借家の中へ入ってきた。呆気に取られて下がり、そのまま耳に触れられ、気づく。


「ダメよ、ナハトちゃん。耳を忘れてるわよ」

「…すみません、うっかりしてました」

「それに…酷い顔色よ?ごはんちゃんと食べてないの?」


 その言葉に苦笑いを浮かべる。言われてみれば、しばらく何も口にしていない。

 いつまでも触っている耳からナッツェの手を外して、「それで…」と言って続ける。


「何か御用でしょうか?」

「御用っていうほどのものでもないんだけど。ナハトちゃん、今時間あるでしょう?アタシに少し付き合わない?」


 予定はないのだから時間はある。しかし、どうしても何もする気が起きない。意味がないと分かっていても、一人で窓の外を眺めていたい。自暴自棄なうえに問題を棚上げしているだけだが、ナハトには今その時間が必要だった。それに、ヴァロやドラコを今後どうするかも考えなければいけない。

 首を横に振ろうとして、両手で頬を挟みこまれた。それに、少しだけ目を細める。


「…私が許可をするまで、絶対に触らないと言っていませんでしたか?」

「そ、それはわかってるんだけど…。ナハトちゃん、今自分がどんな顔してるかわかってる?嫌なら、手をどかせばいいのに…アタシ、全然力入れてないわよ?」


 嘘だと思ってどかそうとするが、それにはなかなかの力を要した。おまけに息が上がる。

 それを見て、ナッツェはすたすたとリビングへ行ってしまった。そして、机の上に置いたままの食事に目を止め、軽く眉を顰める。スープばかりが置いてあるのは、ヴァロの気遣いなのだろう。だが一つも開けられた形跡がない。


「ねぇ、ナハトちゃん。1つくらい食べましょう?一番新しいの、温めてきてあげるから」

「いえ、結構です。今、食欲がないので…。それより、用がないのでしたら、おかえりいただけませんか?」


 微笑んでそう口にするが、ナッツェは驚くほどいい笑顔で答えた。


「イ・ヤ・よ」

「え…」


 笑顔のまま近づいてきたナッツェの気迫に押されて後ろへ下がる。背中が壁に当たり、顔の横にとんと掌が押し付けられた。もう片方の手も同じように壁に押し付けられ、にっこりと笑ったナッツェと強制的に視線が合う。


「ナハトちゃん、アタシはヴァロちゃんほど優しくないの。そんな顔色で食欲が無いなんて言葉は聞きたくないわ。だから、どうしてもナハトちゃんが食べないなら、無理やりその口に流し込むけど…その方がいい?」

「……」

「ンフフ、ナハトちゃんなら片手で捕まえられちゃうわねぇ」


 力も強く、魔術も使えるナッツェなら、力づくというのはいくらでもできるだろう。なぜそこまでナッツェが強要してくるのかわからないが、抵抗するのも面倒になって、ナハトは小さく呟いた。


「…食べます」

「あら、残念。食べさせてあげるの楽しみにしてたのに。まぁいいわ、すこしキッチン借りるわね」


 もう何を言ってもこちらの言う事など聞く気がないのだろう。「わかりました。お願いします」とだけ言って、ナハトはリビングの椅子に腰かけた。



 しばらくして目の前に温められたスープが置かれた。それはカントゥラで良くナハトが口にしていたスープで、その横にはほんの少し暖められた果実水もある。

 見張るようにナッツェがナハトの正面に腰かけた。食べるまで移動するつもりは無いらしい。スプーンを手に取ると、ナハトは薄く笑って手を合わせた。


「いただきます」

「召し上がれ」


 久しぶりに口にしたスープは、恐らくおいしいのだと思うが味がよく分からない。それでも体は確かに餓えていたようで、あっという間に器は空になった。果実水も飲み干すと、少しだけ頭がクリアになった。


「もういいの?」

「はい。ごちそうさまでした」

「前も思ったけど、本当に小食なのねぇ」


 ナッツェはそう言うと、パンと両手を叩いた。にこりとこちらに笑いかけ、口を開く。


「さて、食事も済んだことだし、お出かけしましょう?」

「…それは絶対なんですね」

「話が早くて助かるわぁ。絶対よ♪さ、準備してらっしゃい」


 大きくため息をついて、ナハトは立ちあがった。言う事を聞くしかなさそうだ。断りを入れて寝室へ移動し、身支度を整える。耳を付けようと鏡の前に立って―――目についた紫の石のついた耳飾りに触れた。

 瞬間、生まれてこなければよかったと言われた事が、それを言った精霊の姿が思い出される。生まれた日を祝福されたのは初めてで、プレゼントをもらったのも初めてだった。とても嬉しかったのに、あれから1ヶ月と立たずこんな事になってしまった。これは、ナハトがつけていていいものではない。

 だけど―――似合うと笑ったヴァロとドラコの姿が思い起こされて、結局ナハトは耳飾りをそのままに、獣の耳をつけた。



 ナッツェに連れられて向かったのは冒険者ギルドだった。「こっちよ」と言われるがまま進み、階段を降りる。この先にあるのは修練場だ。ここにいったい何の用があるのだろう。

 長い階段を降りていると、何かと何かがぶつかり合うような激しい音が聞こえて来た。かなり激しくやり合っているようで、大きな声も聞こえてくる。この声は、フェルグスだろうか。


「ナハトちゃん、こっちよ」


 修練場まで降りて、手招きされるまま歩く。入り口前にできた土壁を回り込むと、2人の男が戦っていた。一人はフェルグスで、もう一人は―――。


「…ヴァロくん…?」


 ヴァロがフェルグスと戦っていた。それはもう、手合わせとかのレベルではない。本気の打ち合いだ。物凄い速さで繰り出される技に驚いていると、バチっと耳障りな音がして、ヴァロの姿が掻き消えた。


「まさか…魔術を…?」

「ええ、そう。ヴァロちゃん、このところずっと、フェルグスに稽古つけてもらってたの。知らなかった?」


 ダンジョンを出てから今日まで、ヴァロともドラコとも会話していなかった。2人に嫌われたくて、一緒にいると2人を汚してしまいそうで―――巻き込んでしまいそうで、ずっと避けていた。だから、彼らが何をしていたのか、ナハトは何も知らなかった。


「ほら、ドラコちゃんはあそこにいるわよ」


 ナッツェが指さした先にはクルムの姿。跳ねたり、槍を振ったり、走ったりと動き回っている。その肩に乗ったドラコは、クルムの肩に必死に爪を立てて、落ちないように踏ん張っているようだ。


「ヴァロちゃんもドラコちゃんもとっても頑張ってるわよ。初日は2人ともヘロヘロだったけど、今はフェルグスとやり合えてるし、ドラコちゃんも落ちなくなった」


 ヴァロの両手足が光り、瞬きの間にフェルグスとの距離を詰めた。贔屓目に見ても、ヴァロがフェルグスを圧倒しているように見える。


「ヴァロちゃんの実力なら、銅の冒険者どころか銀も狙えちゃうわね。ここ数日で一気に強くなって、アタシ達驚いちゃったわ」

「そう…ですか…」


 呟いて、ナハトは俯いた。

 ヴァロは飲み込みが恐ろしく早い。体の使い方を教えた時だって、すぐに勝てなくなったものだ。ちゃんと実力のある冒険者に教えて貰えば、それだけ伸び幅は跳ね上がるだろう。

 だが―――彼らはいったい何のためにこんな事をしているのだろう。

 そう思っていると、ヴァロがこちらに気づいた。フェルグスとクルムも動きを止め、ドラコを受け取ったヴァロが駆けてくる。

 その姿が眩しくて、ナハトは思わず目を逸らした。


「ナハト、見てた?」

「…ああ」

「俺、魔術使えるようになったよ。あんまり魔力ないから、ナハトみたいな使い方は出来ないけど…だけど、雷の魔術って、前衛と相性がいいんだって」


 照れ臭そうに、嬉しそうにヴァロが笑う。


「ドラコも頑張ってるんだよ」

「ギュー!」

「俺の肩に乗っても落ちなくなったんだよ。体重移動も上手くなって、急に動いても大丈夫になったんだ」


 褒められたドラコが、ヴァロの頬に頭を擦り付けた。2人が眩しい。真っ黒な自分との違いを見せつけられているようで、惨めな気持ちになってくる。


(「やはり、私といるべきではない…」)


 周囲に人もいる今、ナハトは笑って口を開いた。


「凄いじゃないか2人とも。とても、頑張ったんだね」

「…うん」


 ナハトの笑顔と言葉に、ヴァロは一瞬驚いた顔をしたが頷いてまた笑う。そして、きつく握ったままのナハトの拳を手にとった。


「…俺もドラコも、もっと強くなるよ。何とでも戦えるくらい。だからさ、一緒に頑張ろうよ」


 何をと聞かずともわかる。精霊との事を言っているのだ。ヴァロもナハトも、あの金色の目の精霊には手も足も出なかった。

 だが、今のヴァロなら確かに戦えるかもしれない。これだけの強さなら、魔術を使えるなら、勝てずとも逃げられはするかもしれない。

 しかしナハトは、そんな事を望んでいないのだ。ただ2人が自分から離れて、好きなように、幸せに過ごしてくれればいいと思っている。危ないことも、わざわざ辛い修練を積む事もしなくていい。そんな事を、自分なんかのためにしなくていい。

 だから、離れて欲しいのに―――。


「…君たちは…」

「な、ナハト…?何で、泣いて…」

「え…」


 ナハトは2人を責めるつもりで口を開いた。なのに、いつの間にか頬が濡れていて、慌てて顔を覆う。

 泣くつもりなんてなかった。そんなみっともない事、するつもりはなかったのに―――。


「…っ!」


 いたたまれなくなって駆け出した。階段を駆け上がり、追い縋ってくるヴァロの手を払う。


「ナハト!」


 無言で指を切り、階段を蔦で封鎖した。そしてそのまま、ナハトはギルドを飛び出した。


「今すぐ追え!アレの始末は俺たちでやっておくから!」

「は、はい…!」


 フェルグスに言われ、すぐにヴァロも駆け出した。蔦を破って階段を上がり、ギルドの扉を出て見回すがもうナハトの姿はない。

 早速見失ったと思うが、僅かに血の匂いが鼻をかすめた。まだ新しいそれは、何度も嗅いだことがあるナハトの血の匂いだ。それに従って走り出す。その方向は、町の外だ。


「…もう、暗くなってるのに…!」


 暗くなれば魔獣が出てくる危険がある。だと言うのに、ナハトの足跡は小高い丘の方は伸びている。

 急足で駆け上ると、丘の上で足跡が不自然に途切れていた。大きな木の茂みに踏み荒らしたような跡がある。まさか森の中へ入ったのかと思うが、突然、ドラコが鳴いた。


「ギュー!!」

「え!?」


 ドラコが尻尾でヴァロの頬を叩きながら、少し離れた茂みを指している。暗闇の中よく目を凝らすと、茂みに隠れてナハトが蹲っていた。


「ナハト…」

「来るな!!!」


 強い怒りを含んだ声に、足が止まる。しかし、すぐにまた歩き出した。そこへ、ダガーが飛んでくる。

 流石に足を止めると、ナハトが立ち上がって口を開いた。


「… 今まで付き合わせて悪かったな。君があまりにちょろいから、利用させてもらったんだが…もう用はない。そのトカゲと一緒に村へ帰れ」


 ヴァロ達が驚くほど、悪意が感じられる言葉だった。凍りつくほどの鋭い瞳で見つめられ、思わず息を呑む。

 しかし、ヴァロとてここで足を止めるつもりはない。ぶつかり合わなければ伝わらないなら、そうすると決めたのだ。全身で拒絶を表すナハトを見つめ、また足を踏み出した。


「帰れ!!!」


 無視してさらに進むと、ナハトがダガーで斬りかかってきた。だがその動きは精彩を欠いていて簡単に捕まえる事ができた。衝撃でダガーが落ち、武器を持たないもう片方の手を掴むと、顎に向かって足がとんでくる。それを避けて体を近づけ、視線を合わせようとナハトを見た。

 しかしナハトはそれを拒否し、俯いて叫ぶ。


「帰れ!!!」

「ナハト」

「煩い、煩い!!!君たちなんか大嫌いだ!体がでかいだけの獣人も、役に立たないトカゲも必要ない!邪魔だ!」


 いつもの冷静なナハトではない。子供のように叫び、暴言を吐き、辛そうに顔をゆがめている。

 それを見て、ヴァロはナッツェの言う通りだと思った。ナハトは自分が言った言葉で傷ついている。傷ついているのに、そうまでしもヴァロたちと離れたい、離れなければいけないと思っているのだ。

 ドラコがヴァロの肩から飛び降り、ナハトの肩へと駆けあがる。そのまま首に尻尾を撒きつけ、暴れるナハトに頬を擦りつけた。


「放っておいてくれ…!頼むから…」


 絞り出すような声に、ヴァロは薄く微笑んで口を開いた。


「俺もドラコも、ナハトの事が好きだよ。ナハトが俺たちの事が好きなように、俺たちも、ナハトが傷つくのが嫌なんだ」

「……な…にを…」


 予想だにしない言葉だったのか、やっとナハトが顔を上げた。だがヴァロの笑った顔を見て、すぐに腕を振りほどき、思い切り拳を叩きつけて来た。ヴァロに痛みはない。ナハトの拳の方が痛いはずだ。何度も何度も、叩きつけては叫ぶ。


「話を聞いていないのか!?私は嫌いだと…!」

「じゃぁ、何で魔術使わないの?魔術使わないナハトが俺に勝てるわけないでしょ?」

「…この…!」


 怒りに顔をゆがめて、すぐさまナハトはヴァロを蹴って後ろへ飛んだ。素早く指を斬り、魔術を使う。瞬く間にヴァロは拘束された。二の腕から腹部にかけてをぐるぐる巻きにされ、みしりと骨がきしむ音がする。


「もう私に関わらないと約束しろ!さもなくば、このまま骨を折る…!」


 ナハトの本気の魔術だ。こんな氷に覆われた場所だというのに、ヴァロを拘束する蔦は瑞々しく、生半可な力では解けそうにない。生半可な力では―――。

 ヴァロはぐっと、全身に力を込めた。蔦と骨が軋んだ音を立て、蔦の抵抗が強くなる。だが、そこからさらに魔術で筋力を底上げし、本気で蔦を引きちぎりにかかった。


「…っ!」

「やめろ!抵抗するな!!!」


 蔦が腕に食い込む。うっ血し、このままでは肉が裂けるだろう、それでも、ヴァロは力を込めた。ナハトが蔦を強化するために魔力を注ぎ込むのが勝つか、ヴァロの体と力が勝つのか。

やめろというナハトの声をすべて無視して、ヴァロは全力で蔦を引きちぎりにかかった。

 すると―――突然、拘束が解けた。


「…えっ…」


 肩で息をしながら顔を上げると、ナハトが両手で顔を覆って俯いていた。

 小さく震えた声が聞こえ、そっと近づくと雪玉がとんでくる。弱々しいそれは空中で霧散して散り、それに腹を立てたのか、今度は凍った雪の上に拳を叩きつけた。叩いて叩いて、血が滲んでいる。

 その手を取り膝をつくと、やっと、ナハトが何を言っているのか聞き取れた。


「…嫌いだって…言ってるじゃないか…」

「本当に嫌いなら、魔術を解いたり、振り払いもせずに肩にいることを許したりしないよ」

「…ギュー」


 ドラコがナハトの頬にすりついた。雪の上に、ぽたぽたと雫が落ちる。


「どうしたら…諦めてくれるんだ…」

「…俺たちが諦めることは絶対にない」


 また雪の上に染みが出来る。


「…頼むよ…私なんかの為に、ヴァロくんとドラコが傷つくのなんて見たくない…」


 自分が生きていたばかりに、魔術師だったばかりに、関係ないドラコまで千年の時を超えてしまった。危ない目にも、悲しい目にも何度も合わせた。暴力を嫌悪していたヴァロを冒険者にして、ここまで連れてきてしまった。全て、ナハトの愚かな思いの為に―――。

 もうそれだけで十分だ。もうこれ以上、ヴァロたちを酷い目に合わせたくない。これ以上当てのない目的のために、いつ叶えられるかわからない精霊の願いの為に振り回したくない。2人には全く関係がない恨みに巻き込みたくなどないのだ。

 すると、ナハトの手を掴んでいたヴァロの手が離れた。それが少し寂しく、だがほっとすると、両肩が掴まれた。びくりと揺れたナハトに、優しい声が降ってくる。


「ねぇ、ナハト。俺たちのもしもを考えて、そんなに泣くくらいなら、一緒にいさせてよ。俺たちが傷つきそうになったらナハトが守って、ナハトが傷つきそうになったら俺たちが守るから」

「ギュー!」


「それに…」と、一度言葉をきってヴァロは続ける。


「俺は、ここまで来た事を後悔してない。ドラコもそうだよ」

「ギュー」

「怒るかもしれないけど、ナハトが魔力に浸かってた事だって、俺、そう悪くないと思ってる」

「…なっ…!?」


 何を言っているんだと、ナハトは顔を上げた。それは言ってはいけない事だ。世界をこんな風にしてしまったのに、悪くないなんてことあるはずがない。

 だが、ヴァロは眩しいくらいの笑顔で言う。


「だってそれがなかったら、俺生まれてなかったかもしれない。ナハトにも会えてなかった。俺は、ナハトとドラコに会えて本当によかった。だから、ナハトが自分を責めるなら、俺はありがとうって言うよ。ナハトに出会えて嬉しい。エルゼルだって、ゴドおじさんだって、イーリーさんだって、アンバスは…ちょっと置いとくけど、カトカさん達も、フェルグスさん達だって、みんなナハトと会えてよかったって言うと思うよ」

「…そんな…」


 そんな簡単な話ではない。

 だけれど、そんな風に思っていいのだろうか。後悔ばかりの心に、少しだけ暖かいものが灯る。


「だから…そんなに自分を責めないでよ。俺たちはナハトと一緒にいたいし、ナハトのことが大好きなんだからさ」

「ギュー!」


 ドラコがナハトの頬に抱きついた。それに、そっと手を添えて、ナハトは俯いたまま呟く。


「…君たちは、そんなに酷い事を言う奴らだったんだな…」

「そうかな?」

「私がやったことに対して礼を言うだなんて…。君達まで恨まれてしまうかもしれないんだぞ」

「そしたら、一緒に戦える理由が出来るからいいね」

「……そうか…」


 もう、ナハトはなんの抵抗をする気も起きなかった。そのまま倒れこむようにヴァロに抱きつくと、先ほどまであれほど恥ずかしいセリフを口にしていた彼は、びしりと石像のように固まった。

 それに、思わず笑う。


「あ、あああの、ナハト…?」

「…君は本当に酷い奴だな…。君は、私を抱きしめ返してはくれないのかい…?」

「え…あっ…」


 行ったり来たりしていた腕が、覚悟を決めたように背中に回った。弱々しく抱きしめ返され、それにまた笑ってしまう。

 こんな雪だらけの場所で、体は冷え切っているのにとても暖かかった。やっと深く息が出来て、ぐちゃぐちゃだった気持ちが落ち着いて行く。


「…汗臭いな」

「そ、それはほんとごめんね!?」


 ナハトの呟きに降ってきた声に笑うと、ドラコの頭にナハトも頬を擦りつけた。

随分と酷い事を言ってしまった。謝る代わりにドラコの頭にキスを落とすと、ナハトはヴァロの腰に回した腕に少しだけ力を込めた。








ナハトはちょっとだけ前向きになれたました。

精霊とはこの後もいろいろありますが、後ろ向きな感じで暗いのは一旦終わりです。

ですがまだまだ続きます。

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