第18話 精霊に会いに
ここからしばらく辛い話が続きます。
暴力表現も多くあります。
苦手な方はお気をつけください。
数日後には、ダンジョンへ入る許可が降りる。
それまでにナハトは体調を戻さなければならない。指名依頼で血を吐いた事も相まってベッドで過ごしていたが、ヴァロが突然意を決してように口を開いた。
「ナハト、俺に魔術を教えてよ」
そう言ってくるのではないかとそんな気はしていた。冒険者を止めると言っても、一緒に来ると言っていたのだ。それならば、次にヴァロが求めるのは戦う手段であるはずだ。
あの靄のような精霊には、殴る蹴るなどの物理的な攻撃は効かなかった。魔力を込めた攻撃、ルイーゼの魔術しか効かなかった。ナハトやルイーゼと違ってヴァロは血を流さずとも魔力が出せるが、そのヴァロの拳すら通じなかったとこを見ると、魔力の濃度が関係しているのだろう。
だがそんなヴァロの頼みを、ナハトは首を横に振って拒否する。
「…断る。付け焼刃の攻撃程、ろくなものはない」
「だけど魔術じゃなきゃ相手に攻撃効かないじゃないか」
魔術を持たないヴァロは戦う術がない。だから、魔術を覚えなければ、あの精霊相手には戦力にならないというのは分かっているのだろう。引き下がろうとしない。
だが「それに」と、ナハトは続ける。
「そもそも、君の属性は雷だ。いきなり魔術を使うには危険すぎる」
「…そうなの?」
「ああ」
魔術にも難易度という物は存在する。その中でも火が一番高く、雷はその次と言ったところだ。火は、少量でも危険性が高いという点で術の扱いが難しく、雷はその逆。魔力の圧縮が出来ないと効果を発揮できないために、魔力の扱いが難しいのだ。中途半端に魔術を覚えても、数日では肌に少々の刺激を与える程度の魔術が関の山である。
そう説明するも、ヴァロにはやらないという選択肢は無いようで―――。
「じゃぁ、一人でやってみる」
そう言いだしてしまった事から、ナハトは渋々首を縦に振った。
「まずは魔力を集中させる。それをスムーズに行う事を覚えてほしい」
「魔術じゃなくて?」
「ああ。…魔力の濃度が問題なら、拳にでも魔力を集中できれば当たるだろう」
ナハトがそうぽつりとそう呟くと、ヴァロはむっと顔を顰めた。魔術を使う以外の手段があるなら最初から言ってくれればいいのにと思うが、嫌々ながらも教えてくれるというのだからとりあえず良しとする。覚えることが出来れば、少なくとも戦えるのだから。
数日後、ダンジョンに入る許可が下りた。
ルイーゼには事情を伏せていたため当番であったらと思うが、そんな事はなく入ることができた。
魔力を遮断する魔道具に流す魔力はヴァロが肩代わりした。というより、ヴァロがナハトに魔力を使わせようとしなかった。魔力を使うと痛みが走ると口にした為だが、過保護に拍車がかかってしまい、言わなければよかったとも思う。
「行くよ?」
「ああ」
頷いて、虹色の膜を通る。ダンジョンの中は、前回入った時と変わらず暖かい。木のうろの中のような場所を抜けると、薄桃色の空が見える開けた場所へ出た。
「じゃぁ、騎獣出すね」
「ああ、たの…え…?わっ!?」
騎獣を出そうとヴァロが離れた瞬間、突然ナハトの腰にあった魔石が光り、大きなレオパードが飛び出してきた。額に2房の銀色の毛、にゃあにゃあ鳴いて頬を擦り付けてくるこの獣は―――。
「まさか…アッシュ?」
「ニャア!」
「ええっ!?」
「ギュ!?」
ヴァロとドラコが声を上げる。それもその筈、ドラコよりも小さかった彼は、ナハトが跨がれる大きさになっていた。名前を呼ばれたことが嬉しかったのか、前足をナハトの肩にかけて顔を舐めてくる。尻尾を抜かした体長はヴァロよりも少し大きい。その大きさに見合う体重はしているようで、正直なところかなり重い。
可愛らしいが抱えきれずに膝をついた。それに慌てたヴァロが駆け寄ってくる。
「あ、アッシュ!離れて!ナハトが潰れちゃうから…!」
「ニャ…」
体が大きくなっただけで中身はさほど変わらないらしい。後ろから抱えられたアッシュは、不服そうに尻尾を丸めた。
「それにしても…なんでアッシュは出て来れたんだろう?」
「さて…。これも、私だからという事なのかな…」
ため息混じりに呟いたそれに、ヴァロがこちらを向く。それに首をすくめて見せ、それよりもと口を開く。
「前回襲われた野営地まで行ってみよう。今のところ、あそこへ行ってみるしか手がかりがないからね」
「わかった。あっ、でもアッシュって…飛べるの?」
「ニャア!」
アッシュも魔石から生まれたが、前回はずっとナハトの肩や膝の上にいた。そもそも普通の騎獣と違って意思があるため、飛べるのかと疑うが―――どうやら大丈夫らしい。浮き上がってくるくると空中を移動していく。
「行けそうだな。では私はアッシュに騎乗して行こう」
「わかった。俺が先行するからついてきてね」
「ああ」
飛び立ったヴァロを追って、ナハトもアッシュに騎乗する。騎獣は思考で操るが、アッシュは意思があるため言葉が必要だ。ヴァロを追うように言うと、空を駆けるように走り出した。
「ここ、だけど…」
降り立ったそこは、前回ナハト達が利用してから他に使われた様子はなかった。辺りを見回してみるが特に変わった様子もなく、あの靄のような精霊もいない。
「ナハト、正直に答えてほしいんだけど…」
「うん?」
手掛かりもないため次はどうするかと考えていると、何かを思い出したかのようにヴァロが問いかけて来た。
「前回ここに来た時、何か聞こえてたでしょ?」
「……」
疑問形であるが決めつけた言い方だ。前回入った時、聞こえたそれが声だとはっきりするまで何度かヴァロに問いかけた。そのせいで彼の記憶に残ってしまっていたようだ。過ぎた事で心配させるつもりは無かったのだが―――そう思いつつナハトは口を開く。
「ああ。声のようなものが聞こえていたよ」
「やっぱり…!何で言ってくれなかったの?」
「声だと気づいたのはダンジョンから出た後なんだ。…いや、正確には精霊に襲われた後か…。それまでは何か聞こえる気がするといった感じで、なんともはっきりしなかったんだ」
「そ、そっか…」
どこか釈然としない様子であったが、とりあえず納得してくれたようだ。そうして少しの沈黙の後、ヴァロは再度問いかけて来た。
「あのさ、今はその声みたいなの聞こえるの?」
「…いいや。特に何も聞こえないな」
「痣は?何か変化ある?」
「そちらも、特にないな」
ダンジョンに入ってからずっと聞き耳を立てていたが、前回はあれほど気になった声のような物は全く聞こえず痣にも特に変化はない。魔力を使わない限り痛みもなく、体には特段の変化は何もない。
「前回声が聞こえ出したのは、2日目からだった。もしかしたら、時間経過もあるのかもしれないな」
「そっか…。そしたら今日は別の場所で野営して、明日また来てみようよ」
「ああ」
再びアッシュに騎乗して移動する。この辺は一帯が深い森だ。落ちないようドラコに声をかけ飛んでいると―――何か、聞こえた。やはりアッシュにも聞こえているのだろう、耳が動いている。
「ヴァロくん」
「聞こえた?」
「ああ。おそらく…前と同じだと思う」
途切れ途切れの声。ほんの少し、その声が聞こえにくくなった気がしてアッシュに止まるよう言う。進行方向と逆へ進むように口にすれば、アッシュはこちらを振り返って言うことを聞く。
「…こちらだな」
細かく指示を出して飛んでいく。相変わらずその声はよく聞き取れないが、そちらの方向へ向かうにしたがって、少しずつ、はっきりと聞こえてくる気がする。
しばらく飛ぶと、今までの森よりももっと鬱蒼とした森が姿を現した。遠目からは大きな木が絡み合い、塊になったように見える。
「ナハト…あそこ?」
「……ああ、おそらく」
それは圧倒的な存在感を示していた。まっすぐ伸びた大木と違って禍々しく、だが、生命に満ち溢れているような、そんな雰囲気を感じる木だ。葉が青々と多い茂り、上空からは地面が見えないほど緑が深い。
「…降りてみよう」
頷きあって、その木の手前―――ほんの少し隙間がある場所へ降りた。何かあった時の為に騎獣はそのままだ。
「……」
ヴァロには恐らくと言ったが、どうやら、目的の声は本当にあの塊のような木の中のようだ。空にいた時はまだ分からなかったが、声は確かにそこから聞こえる。”こちらへ来い”。そう言っているように聞こえる。
ヴァロを先頭に警戒しながら足を進めた。あの靄のような精霊がいつ現れるかわからない為、ドラコもアッシュも四方を警戒して歩く。
そうして進んで、絡み合った木の手前まで来た。目の前には厚い蔦の壁。どう進むかと思案していると、勝手にその蔦が左右に分かれ入り口が出来た。その先は木の中だ。
「これって…」
「呼んで…いるんだろうな」
「呼んでる?」
ヴァロの問いには答えず、ナハトはドラコに触れて前へ出た。声はより一層はっきり聞こえる。”早く来い”、”こちらへ”と、ずっと、ナハトを呼んでいる。
細いトンネルのようなそこを抜けると、大きな空間へ出た。木の中を丸く抜いたような空間だ。その中心には泉があり、それを照らすように、細い光が射している。泉の周辺には色とりどりの花が咲いていて―――そこに、一人の男が座っていた。
「え…」
ヴァロが思わず声を上げる。その男は、一瞬劣等種に見えた。獣の耳も尻尾もない、ナハトと同じ―――。
だが、すぐに違うと分かった。耳の形は劣等種と似ているが尖っていて、薄黄緑色の髪は半分泉に浸かっているが、溶けたように色がなじんでいる。真っ白な布をただ巻いたような服は場違いなほど白く、端正な顔は息をのむほど美しい。
「……」
「なに…?」
男の口元が動いた。何やら呟いたようだが、聞き取れない。
「ナハト、あの人って…」
「…精霊だ」
「精霊!?でも…!」
野営地で見た薄靄のようなあれとは違うが、確かに精霊だ。あの精霊とは持っている力が違うのか、目の前の男からはその雰囲気に似合わない圧迫感を感じる。
「私を呼んだのは…」
「あなたか」と、ナハトはそう口にしようとして出来なかった。男がゆっくり手を上げた瞬間、前に出ていたヴァロもすり抜けて、ナハトは男の前へ移動していた。驚く間もなく、男の目がゆっくりと開く。白眼のない金色の目は、およそ生気という物を感じられなかった。
「ナハト!…ぐっ!」
「ヴァロくん!?」
慌てて近寄ろうとしたヴァロは、地面から伸びてきた蔓にからめとられた。ナハトも振り向こうと試みるが、体は凍り付いたように動かない。駆け寄ろうとしたアッシュまで空中で蔦にからめとられてしまった。
背後で起きていることが分からず、ナハトは正面にいる男を睨みつける。
「…勝手にこんなものを…」
今度ははっきりと、男の言葉が聞こえた。それと同時に、ナハトの左胸に手が伸び、魔力の光が触れた。瞬間、焼けつくような痛みに襲われた。
「あ゛!?が、ああああ!!!」
「ナハト!!!」
「ガー!!」
ドラコが噛みつこうと飛び掛かるが、男をすり抜けて落下した。
どれだけの痛みがかかればこんな声が出る。ヴァロは怒りのままに蔦を引きちぎり、男に殴りかかったが、また空中で蔦にからめとられた。焦燥にかられながらも繰り返し蔦を引きちぎり、伸びてくるそれを避けながら、再度男に飛び掛かった。
だが―――。
「がっ…!!!」
拳が届く前に見えない何かに弾き飛ばされた。壁に叩きつけられ、出口近くまで吹き飛ばされる。転がりながら受け身を取り、どさりという音に顔を上げると、男の前にナハトが蹲っていた。
「ナ…ハト!!」
痛む体を無視して駆け寄り、すぐさまナハトとドラコを抱えて距離を取った。アッシュも蔦から抜け出してこちらに来る。
蛇のように揺れる蔦が男の背後に集まって、威嚇するように広がっていく。
決してヴァロたちは油断していたわけではなかった。そもそも精霊には襲われたのだし、ナハトの痣の事もある為ずっと警戒していた。覚えたての、魔力を拳へ集中させることも行っていたし、ナハトもあらかじめ指は傷つけていたのだ。だというのに―――一瞬油断してしまった。
薄靄ではなく、人型のその姿に。
「ヴァロ…くん。…逃げろ…!」
血を吐きながらナハトが言う。わかっている、わかってはいるが、逃げられるのだろうかとヴァロは奥歯を噛んだ。構えていたのに何も出来ず、今は距離を取れているが、動いた瞬間すぐさまからめとられるだろうという事が予想できる。せめて少しの隙があれば、アッシュに乗って逃げることが出来るだろうか―――。
じりじりと下がるヴァロの前に鮮血が散る。視線を落とすと、ナハトが掌を裂いて地面に血を撒いていた。そして叫ぶ。
「行け!」
その声に従って、アッシュに跨った。同時にナハトの魔術が光る。瞬く間に厚い木の壁が出来、あちらとこちらを分断した。
そのまま空中を駆けた。何を考える暇もないが、とにかくダンジョンから出なければ。せめて、この森から離れなければ危険だ。
だが、それは叶わなかった。瞬きの間に、ナハトはヴァロの腕の中から消えてしまっていた。
ヴァロの騎獣は、攻撃を受けた際に消えました。
緊迫したシーンに入れるにはなんとなく邪魔な一文な気がして削りましたので、ここで書いておきますです。
それとナハトが逃げろと言ったのは、「おいて逃げろ」という意味でした。ですがそんなことヴァロは知る由もありません。




