第16話 ナハトの甘え方
2時間ほど経って、ヴァロは寝室へ戻った。そっと扉を開けて中を伺うと、ヴァロが出て行った時と同じ体勢で、ナハトは眠ってしまっているようだった。耳と首の飾り布は外したのか、ベッド脇に転がっている。
足音を殺して中へ入ると、気づいたドラコが顔を上げた。その視線はナハトへ向いている。起きたのかと思うが、小さな黒い目に気遣う色を見て、ヴァロはそっとナハトへ近づいた。
晒された首には、酷い内出血の痕がある。指の形に黒ずんで首が折れていないのが不思議なほどだ。額に手を当てると、しっとりと汗ばんでいて高い体温が伝わってくる。これだけの傷なのだから熱が出るのも当然である。
(「こんな酷い怪我…」)
たった一度、ナハトが斬られそうなのを守った。力加減も上手くできて、これでナハトを外敵から守れるようになった気がしていた。
だが大事な時に守れず、こんなに酷い怪我をさせてしまった。悔しくて、ヴァロは拳を握り締める。
動かないヴァロを不安に思ったのか、ドラコが腕を伝って登ってきて頭を擦り付けてきた。それにはっとして、不自然な体勢のナハトを抱えて横たえた。ベッドを占領していた簡易背もたれを退けて布団をかけるがナハトが目を覚ます様子はない。
(「とりあえず冷やさないと…」)
肩にドラコを乗せたまま、一度台所へ行って氷嚢と水を張った洗面器、それとタオルを用意した。タオルはよく絞って額に乗せ、氷嚢は首に当ててやる。確か内出血は冷やすと良かったはずだ。傷自体も熱を持っていたようで、冷やすと少しだけナハトの表情が柔らかくなった。
「…ヴァロくん…?」
「あ、ごめんね…起こした?」
「……いいや」
「水のむ?」
問いかけにナハトは薄く目を開けたが、またすぐ閉じて寝入ってしまった。反射的なものだったと判断して布団をかけると、ドラコをベッドにおろして椅子に腰かけた。おろされたドラコはナハトの頬近くで己の体を当てるようにして丸くなる。すぐに、1人と1匹の寝息が聞こえて来た。
体は疲れていたが、ヴァロは全く眠れそうにはなかった。
僅かな物音に顔を上げると、誰かが借家の扉をノックしているようだった。時計を見ればあれから4時間ほどたっている。いつの間にか寝入ってしまったようだ。
慌ててナハトを確認するが呼吸は落ち着いている。熱はまだ高いが大丈夫そうだ。とりあえず訪ねて来たのが誰かを確認するために、ヴァロは覗き窓から外を窺った。そこにいたのはルイーゼ。疲れた顔だが、にっこり笑って手を振る。
(「今は無理だ」)
ナハトをまだ寝かせておきたい。
だが、居留守を使っても無駄だろう。仕方なくヴァロは扉を開けると、ルイーゼが口を開く前に言った。
「ナハトがまだ寝てます。また行くので…」
「違うわぁ。ヴァロくんにお話があるのぉ」
「…俺に?」
ヴァロは魔術師ではないし、今回の事も直接は関係がない。なのにいったい何の用があるというのだろうか。
色々調べて来たからと言うルイーゼに押し切られ、仕方なくリビングへ通した。静かにしてくれるよう伝えると、彼女は頷いて椅子に腰かけた。
「それで…話しって何ですか?」
「ヴァロくんはぁ、ナハトくんのお話聞いてどう思ったぁ?」
「どうって…よく、分かりませんでした…」
ヴァロには、ナハトの話すことはほとんど分からなかった。そもそも魔術師ではないし、ルイーゼも知らないことをヴァロが知っているわけはない。精霊なんていう言葉も聞いた事がなかった。一番最初にナハトから聞いた説明にも、よく覚えていないが、“精霊”という言葉はなかったはずだ。
ルイーゼは背もたれに寄り掛かると、小さく息を吐きながら口を開いた。
「あたしはねぇ、魔術も魔道具の事も、この国の誰よりも詳しい自信があるわぁ」
どこか不服そうにルイーゼは言う。
「なのに、精霊って言葉は聞いた事がなかったの。だから悔しくって、図書館の閉架書庫に忍び込んで色々調べてみたのよぉ」
「へ、閉架書庫…?」
「見つかって追い出されちゃったけど」と、そう言って笑うルイーゼの目は赤い。本当に寝ずに調べていたようだ。その目を擦りながら、ルイーゼは続ける。
「なのにねぇ、どこにもないの。精霊って言葉…。ナハトくんは、自分がどこから来たかわからないって言ってたでしょう?本当にどこから来たんだろうねぇ…」
「……‥」
こくりと息をのんだ。
ヴァロは漠然と、この国のどこからかナハトは来たのだと思っていた。町も村もない、俗世と隔離されたどこか遠くから。この国は広いのだから、そういうところもあるのではないかと思っていた。森で目覚めたというのも、信じていなかった訳ではないが、誘拐されたとか何か犯罪に巻き込まれたとか。もしくは混乱していたからとか、記憶違いだとか、そんな風にも思っていた。
「ナハトは…魔獣の森で目を覚ましたって…」
ナハトが言っていたことをそのままルイーゼに言う。
だがルイーゼは、首を傾げて問いかける。
「だけどぉ、ヴァロくんは、ナハトくんがそこからきたのを見た訳じゃないんでしょう?」
「そうです…けど…」
「ぜーんぶナハトくんから聞いたことだけでぇ、ヴァロくんが実際に見たものはないのよねぇ?」
確かに、全て聞いただけだ。だけれどそんな嘘をナハトがつく理由も意味もない。何が言いたいのかとルイーゼを見ると、彼女は怪しく笑う。
「ダンジョンの中、見てまわりたいって言ってたけどぉ…もしかして、ナハトくんの帰る場所を探してたのぉ?」
「そ、れは…」
最初の頃、カントゥラでダンジョンの話をした時は、ナハトはダンジョンの向こうから自分が来たのではないかと言っていた。だけれど時間が経つにつれ、情報を得ていくにつれ、それは違うだろうと確信していた。それでもここへ来たのは、唯一の手掛かりがダンジョンと、魔獣の森の奥深くにしかないから。だからここへ手掛かりを求めて来たのだ。結局何も、得るものはなかったが―――。
「…ナハトは、ダンジョンの入り口になっている木に見覚えがあるって言ってたんです。だから中に入って、何か手掛かりがないかって…。ただ、それだけです」
「ふーん?…それで、何か見つかったぁ?」
ダンジョンではナハトは夜になると、今日も何もなかった小さく呟いていた。それを勝手に答えていいものかと思うが、隠すにもうまい言葉が見つからない。ルイーゼの問いかけに首を振ると、彼女はぽつりと呟いた。
「ナハトくんが精霊だったりして…」
一瞬、意味が分からなくてヴァロは瞬いた。だが、すぐにそれは怒りに変わった。先ほどの言葉はナハトの事を、あの靄のような化け物と同じではないかと言っていることに変わりない。
「自分が今、なにを言ったかわかってるんですか…?」
「わかてるわよぉ。だけど、ナハトくんの魔力量はおかしいし、あんな大魔術も使えちゃうでしょう?ダンジョン内は、まだまだ知らないことの方が多いもの。ナハトくんみたいな精霊?っていう種族がいてもおかしくないかなぁってぇ…」
「だから…ナハトは人じゃないって、言いたいんですか」
「だってぇ…あの場には、あたしもヴァロくんもいたのよぉ?なのにナハトくんだけ襲われて。それにぃ、あれはどう見ても恨んでるって感じの傷だったじゃない。ならあの精霊はナハトくんの事を知ってたってことでしょお?。どこから来たのかわからないっていうのも、精霊とか…魔物とか、そういうのだから…」
「やめてください!!!」
ヴァロは叫んだ。立ち上がってルイーゼに詰め寄ると、ルイーゼは狼狽えながら後ろに下がった。
「そ、そんなに怒らないでぇ?だって、そういう事もあるかもしれないじゃない。あたし達だって人によって耳や尻尾やいろいろ違うでしょう?その、差別しようとかじゃなくて、ダンジョンにはもう入らない方がいいかもなぁてぇ…」
「だとしても、言っていい事と悪い事があるでしょう!?…帰ってください!」
「わ、わかったわよぉ…」
怒りに震えるヴァロに、ルイーゼはそそくさと借家から出ていった。扉に鍵を閉め怒りのまま振り返ると、いつの間にか寝室の扉が開いている。その扉の脇には、気怠そうに壁に寄りかかるナハトがいた。
「ナハト…聞いてたの?」
「…ああ、流石に気配には気づくとも。それより…まぁ、ルイーゼさんがああ思うのも仕方がないだろうな」
驚いて目を見開く。何を言っているんだと口にすると、ナハトはゆっくりと扉から離れて答えた。
「私も…自分がなんなのか、よく分からなくなっていたところだからな…」
「何を…何を言ってるんだよ!」
声を上げるヴァロに、ナハトは髪をかき上げて座るよう言う。
だが、その顔色は悪く、熱があるのは明らかだ。寝ていた方がいいと言うが、ナハトは薄く笑って首を横に振る。
「いいから、座ってくれ」
「……」
渋々椅子に座ると、ナハトは抱えたままだったドラコを机の上に下ろしてヴァロの正面の椅子に座った。
足を組んで、ドラコの頭を撫でながら呟く。
「考えてもみたまえよ。君がルイーゼさんの立場だったとして…本来魔力がないはずのものが魔力を持ち、その魔力量もおかしく、更にその者だけに起こる問題が多々あり、どこから来たかはっきりせず、本人もわからないと言う。これでは、そもそも本当に劣等種かと疑われてもしょうがないだろう」
そう言われてしまえばそうなのかもしれない。だが、一緒にいたヴァロはルイーゼではないのだ。そんな例えを持ち出されても、そうだねなどと軽く言えるわけはない。
そもそも、何故ナハトの方がそんなに軽く言うのだろう。あれほどショックを受けていたはずなのに。
戸惑ったまま視線を向けると、何故かナハトがシャツのボタンを外しだした。突然の奇行に慌てて顔を背けるが、その顔を無理やり向き直させられる。
「な、何してんの!?」
「これもまた、私が異物であるという証なのかと思ってね…」
「…?な、なにを…」
「言ってるんだ」と、そう言って目を見開いた。少し開けたシャツの隙間から、真っ赤な痣が見えた。ナハトの左胸上部から肩にかけて広がる花が散ったかのような形の痣は、まるで血を垂らしたかのような赤色をしている。
「な…なに、それ…」
「さて…。なんだろうね?」
「なんだろうねって…そんな軽く…!」
「だって、私にはわからないから」
ナハトの言葉に、ヴァロは詰まった。何度も聞いた言葉だが、それは鋭く、冷たく感じる。
そんなヴァロの様子に、ナハトは苦笑いを浮かべながらぽつりと呟いた。
「わからないことばかりだ。だから、もうやめようかと思って」
「な、何を?」
「冒険者」
何か大きな塊でも飲み込んだような気分になった。ナハトが冒険者をやめる。やめて、どうするというのだろうか。その胸の痣は、村や、そこにいた人達の事は、本当にもういいのだろうか。
やめて―――どこへ行くというのだろうか。
そんなヴァロの事など見向きもせず、ナハトはドラコを指先で撫でた。気持ちよさそうにしていたドラコが首を傾げ、それに微笑みながらナハトは続ける。
「考えたんだが、君は一度カントゥラに戻ってはどうだろうか?ここは、腰を据えてダンジョンへもぐる冒険者の方が多い。新しくパーティを組むには、ここの環境はあまり良くないだろうからね」
やめると言われたこともショックであったのに、パーティについても言われてヴァロは追い詰められている気分になった。ナハトのことを話していたはずなのに、いつの間にかヴァロの今後の話になっている。それはナハトがわざとそうしたのだが、もちろんそんな事は言われている本人にはわからない。
一度拳を握って、絞り出すようにヴァロは口を開いた。新しくパーティを組むなどそんな事は聞きたくなかった。ヴァロは、ナハトとドラコと一緒に行きたかったのが始まりなのだから。他の人となど考えられない。
「待ってよ…!俺はナハトと一緒に行きたいんだって言ったじゃないか!そんな、他のパーティの事なんて…!」
「私は冒険者をやめるんだ」
「ナハト!」
「君は、人の役に立ちたいんだろう?」
興奮したヴァロの声に、淡々としたナハトの声。訴えるように、説得するようにも聞こえる冷静な声は、よく冷えた水のようにヴァロの中を流れて行く。
何も言えないヴァロに、ナハトは「それに」と呟く。
「君は強くなった。魔獣とも人とも戦える。面倒見だっていいのだから、引く手数多だろう。十分やっていけるはずだ」
だから、好きにしていい。そう、ナハトは呟いた。あまりにらしくない投げやりな言い方、それでやっとヴァロは理解した。ナハトは、諦めてしまったのだと。
怪我をしたナハトが、クローゼットで初めて目を覚ました時のことが思い起こされる。ここがどこなのかわからない。ナハトはずっとそう言っていた。図書館で本を見ていた時も、質問された時も。あまりにものを知らないから、何でこんな事も知らないんだろう、凄い田舎者なのかなと、そんなふうにばかり考えていた。
だからどれだけ、ナハトが不安の中生きていたのか―――全然、わかっていなかったのだ。
(「…不安でないわけ、ないじゃないか…!」)
少し考えれば分かることだ。もし本当にナハトが田舎の方の出身だったとしても、わからないだらけのところで不安でいないわけはない。しかもナハトは劣等種でいきなり斬りつけられたのだ。怖くて不安で、少しでも自分の知る物、人、場所を求めて動くのは当たり前の事だ。
あまりに自信ありげで、笑って、不安そうな顔を見せても一瞬だったから、本当に真剣に考えた事などなかった。全く物事を深くとらえていなかった自分が恨めしい。そして、今更それを理解しても遅い。
だが、ふとヴァロは気づいた。あの胸の痣、わからないと言っていたがそのままでいいわけがない。
顔を上げると、窓の外を見るナハトが目に映った。その視線の先には、ダンジョンがある。
(「…まさか、一人で…」)
約束をしたのにまた置いていかれるのかと、怒りにも似たものが込み上げた。しかし、それが完全に理解できる感情になる前に、己に対しての腹立たしさが膨れ上がった。
一人で行くに決まっている。ヴァロはナハトについて行っていただけだ。一緒に戦って一緒に行動していたが、隣に並んではいない。同じ目線でナハトの目的を見ていなかったのだから。
(「…俺は、自分の事ばかりだ。ナハトの為って言いながら、自分の事ばかり考えてる。俺の方が年上なのに…守るって言ったのに…!」)
ヴァロは拳を握った。壁ではダメだ、盾にならなければ。前に立たなければ、ナハトは一人で行ってしまう。きっと、ドラコも置いて。
ヴァロはドラコを撫でていたナハトの手を掴んだ。ナハトが怪訝そうな顔でこちらを向く。その目をまっすぐ見て、口を開いた。
「俺は、ナハトと一緒にいる」
その言葉に、あからさまにナハトが眉を寄せた。はぁと大きくため息をついて立ち上がる。
「…君は、話を聞いていないのか?」
「聞いてるよ。聞いたうえで言ってるんだ。俺は、ナハトとドラコがいないと楽しくない」
「だが、私は冒険者を…」
「やめないでしょ?」
ヴァロも立ち上がって視線を合わせた。絶対にナハトは冒険者をやめるつもりは無い。冒険者をやめたらダンジョンには入れなくなる。そうしたら胸の痣も、あの薄靄の精霊の事も何も解決しないのだ。
襲われたが、あちらから接触があった以上あの”精霊”はナハトの事を知っているのかもしれない。知らなくとも、なにか情報を持っているかもしれない。それを思いつかないナハトではないはずだ。ならばこれは、やめると嘘をついてヴァロを遠ざけようとしているだけだ。
「本当に冒険者をやめるんだとしても、俺はナハトと一緒にいるよ」
「…なんの為に?」
「俺が一緒にいたいから」
「…それは、答えではないだろう…」
ナハトは憮然とした顔のままヴァロを見返した。
しかし、ヴァロも引くつもりはない。しばらく見つめあっていたが、すっと、ナハトの方が視線を逸らした。
それを見て、ヴァロは思わず首を傾げた。何故だか、ナハトが拗ねているように見えたからだ。どうしてそう見えたのかと考えて―――気づく。
(「…拗ねた…?あれ?なんで拗ねたって思ったんだ、俺……」)
貴族の裁定があった時、ナハトはヴァロと約束した。置いて行かない、内側に入れると。事実あれからナハトは以前より相談してくれるようになったし、精神的な距離も近くなったように感じていた。だと言うのに今は自分から離そうとしている。あんな軽口まで叩いて、投げやりに言って―――。
(「…ひょっとして…俺、試されてる…?」)
まさかそんなと思いながら、低い位置にあるナハトの顔を見た。居心地悪そうに視線を彷徨わせていて、こちらを見ようともしない。無視ではなく、伺っているようだ。
それはまるで、わざと怒られるようなことを言って愛情を試す子供のように見える。そしておそらくナハトは自分がしている事に気づいていない。
(「…そっか。ダンジョンがダメだったら、あとは魔獣の森に行くしかないんだ。だから…」)
いつだったか、魔獣の森の奥に行くことに対してヴァロは不安を口にした。ナハトはそれを覚えていて、アンバスらにも危険だと言われた事もあるから、ここで冒険者をやめると口にして突き放そうとしているのだ。その割にカントゥラで新しいパーティを探せというのは、なんとも矛盾している。カントゥラと魔獣の森は隣りあわせだ。行けばすぐわかるその場所を指し示すあたり、口にはしないが、ナハトもヴァロを必要としてくれているのだろう。
そう思うと、急にナハトが幼く見えた。こんな事を言っては怒られそうだしそもそもそのつもりがないのだろうが、とてつもなく分かり難い甘え方だ。だけどそれが嬉しくて、そんな甘え方しかできないナハトが可愛い。
ヴァロはにやけそうになる頬を隠すために片手で口を覆って息を吐いた。ぴくりとナハトが肩を揺らすが、それを無視して低い位置にある頭に手を乗せていつかやられた時と同じようにぐしゃぐしゃと撫でた。
「きゅ、急になにをするんだ君は!?」
驚いてナハトが手を振るが、その手を掴んで口を開く。
「話はもう終わりでいい?まだ熱あるんだから、ベッドに戻らなきゃだめだよ」
「終わりじゃない!君は…」
「どう言われても変わらないよ。熱が下がらなきゃ、ダンジョンにまた行くことも出来ないからね」
「ちょ、ちょっと待て!ヴァロくん!」
ドラコを自分の肩に乗せ、ヴァロはそのままひょいとナハトを抱え上げた。話を聞けとナハトは暴れるが、対格差がありすぎるせいで大した抵抗にはならない。そのまま寝室のベッドに下ろせば、怒ったナハトが枕を投げて来た。それを避けて、せっせと布団を整えてやる。
「私は、冒険者をやめると言っただろう!?」
「その痣どうにかしないといけないんだからやめるなんて嘘きかないよ。それに貴族からの依頼だってあるんだ。そっちは期日まで日がないんだから、熱下げないと受けられないよ?」
「……君は…」
はあと大きなため息をついて、ナハトは項垂れた。どう言ってもヴァロは全く引き下がる気配がない。それどころか口で言い負かされてしまった事がとても腹立たしい。
ナハトが視線を上げて睨みつけると、睨まれたヴァロは困ったように笑った。
「なんだね、その顔は」
「何でもないよ。ナハトも可愛いところがあるんだなぁって思っただけ」
「…は?」
「ギュー!」
「わっ!?」
ドラコがヴァロの肩から飛び降りて来た。それを思わず受け止めると、とことこ肩まで上がって頬をぺろりと舐めた。ぐりぐりと頭も押し付けてくる。
「俺、こう見えてナハトよりお兄さんだからね」
「わ、たしは…」
戸惑った様子でナハトは呟く。
そんなナハトを無理やり寝かして、ばさりと布団をかけた。ドラコは今度はその狭い額の上に身を乗り出して、まるで見張るかのように見降ろす。
「ドラコちょっ…」
「ドラコ、そのままよろしくね。俺氷取ってくるから」
「グー」
「だから…!話を…!」
氷を取って戻ってくると、氷嚢をそのままナハトの首の痣に当てた。ベッドわきに膝をついたまま口を開く。
「諦めないでよ。精霊の事だって、ルイーゼさんが知らないだけで知ってる人もいるかもしれないでしょ?ダンジョンの中には手掛かりなかったけど、そもそもまだ一回だけだしか入ってないしね。他のとこから入ったら何か違うかもよ?それに、木が同じだっていうのは分かったんだからさ。次は、魔獣の森に行ってみようよ。一緒に行くから」
「…!つれて行けるわけないだろう!?あんな危険な場所に!」
起き上がって叫ぶが、ナハトはすぐに失言だったと口を覆った。しかしもう遅い。ドラコが頭を擦りつけ、それを見たヴァロが笑う。その笑顔に腹をたてるが、ナハトは自分のしたことが馬鹿らしくなって、頭を抱えて大きく息を吐いた。
「……もういい。私は寝る」
「うん、おやすみ」
「ギュー」
そう言うと、ナハトはまた大きく息を吐いて背を向けた。それを見ていると、その背中越しにいつもの声が飛んでくる。
「君が急に年上ぶるから、なんだかおかしな気分だ」
「事実年上だからね」
「…もじもじしてばかりだったくせに、言うじゃないか…」
「今はナハトも年相応に見えるよ」
いくら言い返しても今日はダメな気がする。熱が下がったら覚えてろと思いながら、ナハトは目を閉じた。
ナハトはヴァロを内側に入れるという約束を覚えています。
だけど、今回の精霊については分からないことは多いし、物理的な攻撃はきかないようだった為、危険の方が大きいと判断しました。
”冒険者をやめる”と口にしたことで、ヴァロが離れて行ってくれないかなぁと思っていました。
しかし本心ではナハトも一緒にいたいと思っています。わからないことだらけで、様々なものを否定されて、そんな中で作ってきた足場はヴァロと一緒に作ったものだからです。
とはいえ、そんな風に思っているとは、ナハト本人もわかっていません。と言う訳で、今回はヴァロの勝ちですね。




