第14話 精霊
※首を絞められる表現があります。
苦手な方は、お気をつけください。
翌日から、数日かけてダンジョン内を歩き回り、飛び回った。
最初にルイーゼが言っていた通りダンジョン内にも気候の変化はあるようで、ノジェスのような雪に覆われた場所もあれば、燃え盛る水が流れる山岳地帯や、砂漠に海などもあった。多くは森と平原で暖かいが、ルイーゼの話によると、ずっと雨が降っている場所や、信じられないほどの強風が吹き荒れる谷などもあるらしい。
「もう少し先へ行くと海があるわよぉ」
「うみ…」
ナハトも、もちろんヴァロも、内陸に住んでいたため海は見た事がない。森を越えた平原の先、急に開けた視界の向こうに一面の青が見えて息をのむ。空の光を反射して光るそれは、宝石のように美しかった。
だが、海に差し掛かったところで、突然ルイーゼが騎獣を止めた。それに倣って止まるとなかなかの悪い顔で口を開く。
「海にはねぇ、とーっても強い生き物がいるから、近づいちゃだめよぉ?」
「生き物…?魔物ではなくてですか?」
「そおよぉ」
ダンジョンに入ってからしばらくは、魔物以外の生き物は全く目にしていなかった。生き物がいると聞いて驚くが、数日飛び回っている間に、確かに生き物がいるのを何度か目にする機会があった。鳥や小動物が多いがどれもとても警戒心が強く、なにより―――。
「すごい色だね…」
「本当に…。こんな赤い色の鳥…初めて見たな」
「ギュー…」
目の前を集団で飛び去る真っ赤な鳥は、信じられないほど鮮やかな赤色だ。その前に見た小動物は、体は緑がかった水色で耳と手足が黄色とこちらもなかなかの配色だった。そんな色をしているのですぐに目につきそうだとも思うが、不思議な事に草陰に隠れられると見えなくなってしまう。どうやらダンジョン内の生き物は出入り口から離れるほど多く生息していて、その姿を隠す術に長けているらしい。
「本当に不思議で面白いね…!」
「ああ」
後ろで言うヴァロに返事を返しながら、ナハトは右肩に乗る2匹に手を伸ばした。
今ナハトの肩には、ドラコとあの子猫がいる。この数日でだいぶ大きくなったその子は、ルイーゼとヴァロの話ではレオパードという動物に似ているらしい。食事や排せつはないが、呼吸はしているし、喜怒哀楽もあるようでドラコと会話をするようによく鳴いている。翌日には開いた眼は黄みが強い緑色で、宝石のように美しい。
「ドラコ、アッシュ。落ちないように、掴まっているんだよ」
「ギュー!」
「にゃぁ」
子猫は大きくなるにつれて、額に角のような長い毛が房のように伸びて来た。少ない鬣といった方がいいだろうか。それが銀色に見える事からアッシュと名付けた。騎獣は生き物ではないため名前をつける習慣はないが、アッシュには名前をつけない方が呼び難い。子どもらしく動き回るし、じゃれてもくる。今も騎獣にまたがるナハトの足の間で跳ねまわり、落ちそうになったのを咎められてドラコに叱られている。
2匹のそんな様子に、ナハトの肩口から覗き込んでみていたヴァロの顔がほころんだ。
「可愛いなぁ…。俺のブロウも、アッシュみたいだったら良かったのに…」
「ほんとうよねぇ…。あたしのラシャペもその子みたいだったら、直接いろいろ調べられたのにぃ」
「ルイーゼさんの騎獣がアッシュのようでなくて本当に良かったです」
「むぅ。ちゃんとあたしだって可愛がるのにぃ…」
そう口では言っているが怪しいところである。
ダンジョンに入って4日目の今日は、入ってきた場所から西の方へ行ってみることにした。そもそもナハトたちには、ダンジョン内を見て回るという目的しかない。隅から隅まで見るにはダンジョンは広大すぎるし、何より“行ける範囲”というのは実は思っていたよりも狭いということが分かった。その為迂闊に遠くまで行き過ぎれば、期限内に戻れない可能性もある。そうなってしまったら目も当てられない。
その為初回の今回は、5日で行ける範囲の確認と、野営地の確認を中心に行なっている。行ける範囲で飛び回り、様々なものを見て、何か見知ったものがないかと痕跡を探し、時折魔物に襲われればそれを撃退する。そうしてここ数日を過ごしていた。
「ヴァロくん、何か言ったかね?」
「え?ううん、何も言ってないよ?」
「…そうか」
何か聞こえた気がしてヴァロに問うが、何も言っていないと返された。本日4度目のそれに、どうやら気のせいではないとナハトは目を細めた。
(「…何か、聞こえる」)
とても離れた場所から呼ばれているような。いや、呼ばれているというのも違う。独り言をかなり遠くから、近づいたり離れたりしてわずかな単語だけを拾い続けているような感じだ。本当にたまに言葉のようなものが聞こえるが、耳をそばだてるとすぐ聞こえなくなる。
だが、どうやらこれは、他の人には聞こえていないらしい。ナハトに聞こえるものが、ナハトよりはるかに耳がいいヴァロやルイーゼに聞こえないわけがない。だというのに、何の反応もないからだ。
ドラコにも分からないようだが、アッシュは何か感じるようで、ナハトが反応するとアッシュもあたりを見回す。
「…やっぱり何かあった?」
本日の野営地に降りた瞬間聞こえたそれに、また思わず反応してしまう。めざとく気づいたヴァロに問いかけられるが、何と言ったらいいのか分からず首を振る。
「いや、何でもないよ」
「…本当に?」
「ああ。それより、テントの設営を頼んでいいかい?私は火を起こすから。ルイーゼさんは、水をお願いします」
「はぁい」
「……」
腑に落ちない顔のヴァロに手を振って、薪を集めに森は入る。地面に落ちた薪にも魔力は感じられるが、これはそのまま使用しても問題がないらしい。
「ギュー!」
「にゃぁ」
「こら、アッシュ。それは遊ぶ物じゃないよ」
「にゃぁ…」
屈んだ拍子に、アッシュが首の飾り布に飛びついてきた。ドラコが咎めるように鳴くが、当の本人はどこ吹く風だ。その様子を微笑ましく思いながら、ナハトはアッシュと視線を合わせる。注意すると不服そうな顔をしつつもしょんぼりと項垂れた。
「ドラコと大人しくしておいで。後で遊んであげるから」
「ギュー!」
アッシュはドラコに任せて、両手で抱えられるくらいの薪を集めて野営地へ戻った。
この場所には他のパーティがいない為、テントは広く張っている。2つのテントにそれぞれ荷物を移しているヴァロに声をかけて、ナハトは簡易的なかまどを作って火をつけた。
「よっと…。出来たよ」
「ああ、ありがとう。そしたら、ルイーゼさんの手伝いをお願いできるかい?」
「分かった」
その間に食事の準備だ。野営のため料理というほどのものは出来ないが、スープくらいは欲しい物である。鍋といくつかの食材、それと調理用のナイフを取り出して―――。
(「…くそ、またか…」)
頭の右側を掌で軽く叩いた。いい加減うるさい。何を言っているかは分からないしたまにしか聞こえないが、ストレスであることには変わりない。ため息混じりに頭を振り食事の準備を終えると、疲れたからと言って先に休ませてもらうことにした。
「ナハト、本当に疲れただけ?」
「ああ。本当だよ」
分からないことを言っても余計な心配をかけてしまうだけだ。火の番になったら起こしてくれるようお願いをして、食事の必要があるドラコをヴァロに預け、アッシュを連れてテントへ入った。
マントを外し、上はシャツだけになって横になる。薄手の布を布団代わりにかけると、アッシュにお休みと言って早々に目を閉じた。
火の番をしていたヴァロは、バサッと布を跳ね飛ばしたかのような音に顔を上げた。右のテントにはルイーゼが、左のテントにはナハトが眠っている。まだ交代の時間からも遠いため、暑さで布をはいだのかと思う。
辺りを見回して焚火に薪をくべると、また布がこすれるような音がした。左のテントだ。少し前にドラコを戻しにテントを開けたが、本当に疲れたようでナハトが起きる様子はなかった。アッシュは顔を上げていた事から、2匹が遊んでいるのかと思う。
だが、すぐに違うと気が付いた。威嚇するドラコとアッシュの声が聞こえたからだ。すぐさま駆け寄り左のテントをあけると、そこには薄靄のようなものに襲われるナハトの姿があった。
「ナハト!!」
「…がっ…!」
自分の首を抑えてもだえるナハト。靄を掴もうとしているのか、伸ばされた腕が空を切ったのを見て、ヴァロも靄に拳を向ける。だが、実体がないのか向けた拳がすり抜けた。だというのに、ナハトの首には指の後がはっきりうつる程の力がかかっている。
「この…!やめろ!放せ!!!」
拳を振り回すが、何の手ごたえもない。ならばとナハトを連れ出そうとするが、縫い付けられたように動かない。これ以上力を加えれば、ナハトの体が折れてしまう。
「離れてぇ!!」
響いた声に反射的に跳ぶと、尖った複数の氷が靄に向かって飛んで行った。ルイーゼの魔術だ。果たして通用するのかと思うが、氷は問題なく靄を弾き飛ばした。
圧迫が無くなり、ナハトが血を吐きながら激しく咳き込む。
「ナハト!!!」
「がはっ!はっ、げほっ!」
「早く!」
ルイーゼの声に、ヴァロは咳き込んだままのナハトを抱え、ドラコとアッシュに掴まるよう言って走り出した。ルイーゼが騎獣ですぐ追ってくる。
敵に実体がないので正直なところどこまで逃げたらいいかわからない。わからないが、今はとにかく距離を取るしかない。
結局森を抜けるまで走り、ヴァロたちはルイーゼと合流した。降りてきたルイーゼは、ナハトを見て口に手を当てる。ヴァロも、あまりの状態に言葉を失った。どれだけの力絞められたのだろうか。首には青黒い指の跡が残り、内出血で頬に斑点のような跡が浮かび、白眼も血で半分赤くなってしまっている。
「ず…ま゛な…」
「しゃ、しゃべらなくていいから…!」
喉も傷つけたのだろう。血でごろごろと喉が鳴り、まともに声が出せないようだ。生理的に流れた涙も赤く、酷い顔になっているだろうなと、妙に冷静な頭でナハトは思った。苦しさにせき込むが、傷ついた喉が痛み喉を抑えて蹲った。
「いったいなんなんだ、あれは…!」
「わからないわぁ。…新種の、魔物とか…?」
靄の正体について話す2人に、ナハトは小さく首を振った。抱えてくれているヴァロの手を借りて体を起こすと、咽ながらも呟いた。
「あれ…は…。精…霊だ…」




