第4話 騎獣の卵
ルイーゼの魔術講座を受けた翌日。血や涙の提供のおかげか、ダンジョンについての手続きなんかも手伝ってあげると言われ、再度ルイーゼを訪ねることになっていた。
本当はいろいろあったために断りたかったのだが、恐らくダンジョンについては、ナハトらが知っている者の中ではルイーゼが一番詳しい。魔術についての説明がわかりやすく、大変為になったこともあって、結局ナハトは頷いたのだった。
今はその約束の時間から少し前。ナハトもヴァロも両手にたくさんの荷物を持って、ヴァロが借りたこの町の拠点へ戻っている。ヴァロが借りた宿―――正確には、一軒家へ。
昨日拠点探しを任されたヴァロは、いろいろ考えた末に一軒家を借りていた。リビエル村のヴァロの家より少しい大きい家は、家具も台所もついていて風呂もある。寝台も4つあるので、2人で済むには十分な広さであるし、予算的にも問題はなかったのだが―――。
宿であれば宿側が用意してくれる備品も一軒家では自分たちで購入する必要がある。暖炉用の薪や洗面・風呂用品、ちり紙、掃除用品、食事の事も考えるなら調味料も必要だ。前にこの家を使っていた者たちが残していったものもなくはないが、古くて使えないものや壊れているものもあって、結局購入しなければならなかった。
昨日はあり合わせでなんとかしのいだが、さすがに足りないものが多すぎたため、今朝は朝早くから買い物に出たのだ。
「うう…ごめん」
結局宿を借りるよりも高くついたうえに、早朝から買い出しに走ることになって、ヴァロはしょんぼりと項垂れる。
任せたのはナハトなので文句は言わないが、張り切った結果が大いに空回りして落ち込むヴァロに思わず笑いそうになる。
「周囲の部屋に気を使わないで済む。楽でいいじゃないか」
「そ…そうかな?」
「ああ」
少しだけ気分が上向きになったらしいヴァロの気を逸らすため、ナハトは視界に入ったそれに話題を変えた。
「そういえば、この町には随分劣等種がいるんだな」
ノジェスに来てまだ2日だが、カントゥラでは1度しか見なかった劣等種を、ここではもう5人ほど見ている。決して多いわけではないが、商人や冒険者らしき者もいて、何より周囲の者があまり気にしている様子がない。
カントゥラでもリビエル村でも、劣等種の評判は大分酷かった。だというのに、これはどういうことなのだろうか。
「俺も不思議だったんだけど…話聞いたら、恥ずかしくなったよ」
「どういう事だい?」
問うと、ヴァロは少し悲しそうな顔をして話してくれた。
なんでも、本来は南の方に行くと劣等種の数が増えるらしい。劣等種は、優等種に比べて寒さに弱い為、その絶対数は南に集中している。ノジェスは、むしろ少ない方だそうだ。
だというのに、温暖なカントゥラ周辺一切いなかったのは、カントゥラやリビエル村一帯を管轄する現公爵が、劣等種嫌いで有名だからだそうだ。その為、あの周辺―――通称フォレトリーでは、劣等種は嫌悪、憎悪の対象になってしまっているらしい。
他の場所、フォレトリー以外では、人にもよるがそれほど嫌悪や憎悪の対象ではない。とはいえ、それほどいい意味では見られていないが、あまり気にされていないという方が正しいようだ。積極的に嫌う訳ではないが、出来るだけ関わり合いにはそれほどならない。少なくとも、ノジェスではそうらしい。
「俺、全然知らなかった。村から出た事もなかったし…だから、劣等種についてはそういうもんなんだって思い込んでた」
「そうか…。だがそれは環境が悪かったな。村どころか、あの一帯がそうだったんだろう?」
「うん…」
「リビエル村やカントゥラでは、すぐにその認識を改めるのは難しいだろう。だけど、君が村の外で働く劣等種を実際に見て、そしてその経験を持ち帰ることが出来たら、もしかしたら少しは変わるかもしれないね」
商人だろうか。たくさんの荷物を載せた馬車を引く彼は、荷台にのる仲間に何やら呼びかけ、荷物を近くの店に運び込んでいる。
その対応しているのは優等種だが、その顔には確かに悪感情は見えない。
「少なくとも、ここでは万が一私の正体がばれても、そこまでの問題にはならないという事だ。それだけは、安心だね」
「そうだね。あっ、ナハト…話しをしてみなくてもいいの?」
声を潜めてそう聞かれ、ナハトは思わず足を止めた。それを思いつかなかった事に、思わなかった自分に驚いたのだ。
フラッドに会うまで、ずっと師父であるカルストの事や村の事が恋しかった。漠然とした不安に急かされるように、少しでも情報を得られないかとそればかりを考えていた。今も決してそれがないとは言わない。事実、ダンジョンの巨木を見て、期待や高揚感を感じた。
だが、不安でどうにかなりそうだった焦りは、今はほとんど感じていない。
「ナハト?」
「…いや、今はいい。ルイーゼさんとの約束もあるからね、早く帰ろう」
「う、うん」
覗き込んできたヴァロにそう言って、擦り寄ってきたドラコを撫でた。荷運びをする劣等種に後ろ髪を引かれながらも、ナハトらは借家へ戻った。
「うふふ~、待ってたわよぉ!」
ダンジョンギルドへ行くと、ギルドの前にルイーゼが立っていた。まさか外で待っているとは思っていなかったが、外なので服自体はきちんと着ている。上機嫌なルイーゼを気味悪く思いながらも、急かされるままギルドの扉をくぐった。
そのまま受付へ行くのかと思ったのだが、案内されたのは受付横の売店。全く気にしていなかったが、よく見ると様々な雑貨に紛れて、たくさんの卵が置いてある。ナハトの知る鶏―――ここでいうアガリ鳥の卵によく似ている。
その卵を指さしてルイーゼが言う。
「2人とも、これ買ってぇ」
「…朝食がまだなのですか?」
ねだられて思わずそう言うと、心外だとばかりにルイーゼは頬を膨らませる。
「違うわよぉ。これ、ダンジョンでの必須アイテムなのよぉ」
「卵が?」
頷くルイーゼ。見れば、売店の店主も笑って頷いている。どうやら本当に必須アイテムのようだが、いったいこれが何だというのだろう。
「これはねぇ、ダンジョン内で移動するための足になるの~。ダンジョンはおよそ120時間、日にちにしてぇ、丸5日しかいられないのよぉ」
それは聞いた事がある。初めにネーヴェが言っていた、ダンジョンギルドとの話にあったものだ。確か、監視に当たる者たちも5日勤務したら1日は休息しなければならないと言っていた。だが、それとこの卵がどう関係しているのだろうか。
「この卵からはね、騎獣っていうダンジョンを移動するための魔石が生まれるのぉ!」
「…えっ、生き物?あれ?石…?」
「…どういう事ですか?」
「ええっ!?わからない?…言葉通りなんだけどぉ…」
言葉通りと言われても、魔石が生まれるなどと言われて、なるほどとなる方がおかしい。首を傾げると、店主が笑いながら教えてくれた。
ダンジョン内は広大で、尚且つ、滞在時間に制限がある。その為乗り物が必須なのだが、何の戦闘力もない生き物を連れて行っても危険すぎて役には立たない。だから皆それぞれ専用の乗り物を用意するのだが、それがこの卵から生まれる魔石らしい。持ち主の魔力で育った魔石はダンジョン内で生き物の形を取り、更に魔力を使う事で自由自在に空を飛ぶことが出来るのだそうだ。
「…なんとも、不思議な世界ですね…」
聞けば聞くほど、ダンジョンはナハトがいた場所とはかけ離れている。“地下で見た木かもしれない”などと、ただそれだけでここまで来たが、もし見た目が同じ木だったとして、それからどうしたらいいのだろうとも思う。そもそも比べられるほど、ナハトは地下で見た木の事すらよく知らないのだ。その見た目以外なにも。
それでも、その姿を見るまではやはり諦められそうにない。ナハトは軽く頭を振るとその卵を指さして問いかけた。
「それで、この卵はどうしたらよろしいのですか?」
「えっとねぇ、まずは好きなのを選んで買ってぇ、そしたらぁ~…」
楽しそうに話すルイーゼの話を聞きながら、ナハトの手は無意識にドラコに添えられていた。
ルイーゼから一通り卵について教えてもらい、その日はそのまま帰宅した。
卵から騎獣が生まれるまでは人によって差がある為、ダンジョンギルドへの登録は卵が孵ってから行われるらしい。
「この卵からその人に合った騎獣が生まれるって…聞いてもなんかピンと来ないよね」
「ふむ…」
本当に不思議な話だ。この卵はダンジョン内で取れるらしいが、見た目は本当にただの卵。しかも、ダンジョン内で取れることが分かっているだけで何の卵かはわからないらしい。そんなものを当たり前に使っている事にも驚くが、そもそもの常識がナハトが知るそれとは違うのだ。今さらな気もする。
「そもそも”生まれる”という表現すら怪しいものだな。卵から孵るのは石なわけだろう?」
「あっ、そっか」
ルイーゼの話では、この卵に持ち主が魔力を流すと、殻のように魔力が卵を覆う。卵が成長するにしたがって魔力の殻は薄くなり、無くなると、卵が割れて石が出て来るらしい。それは強い魔獣からとれる魔石とよく似ていて透明で、その中に騎獣がいる―――と、されている。
言われたことを繰り返し反芻してみてもよくわからない。
「…ともかく卵を孵さなければ始まらない。早速やってみよう」
「うん。あっ、でも…俺、魔力なんてどうやって使えばいいか…」
「ん?ヴァロくん、君は魔力を使えるだろう?」
「えっ?」
きょとんとした顔のヴァロに、ナハトは苦笑いを返す。
「今ここで、周囲の気配を探ってみてくれるかい?」
「う、うん」
戸惑いながらもヴァロがそう頷いた瞬間、ヴァロを中心に薄く魔力が広がった。それはナハトを越え、丁度この家の周囲数メートル当たりまで伸びて止まる。
「ほら、使えてるじゃないか」
「えっ…ええ?どれ?」
わたわたと慌てて己の体を見だすヴァロに、ナハトは思わず噴き出した。まさか本当に気付いていなかったとは思わなかった。
揶揄ったのかとヴァロが言う。それに首を振りながら、ナハトは卵を置いてヴァロに近づいた。
「揶揄ったわけじゃない。君は本当に魔力を使っているよ、意識をしていないだけで」
「ほ、ほんとに?」
「ああ」
ナハトはそう言って、指を一本ヴァロの目の前に立てた。その指をよく見るようにと言うと、その指にヴァロの魔力が纏わりついてくる。
「ヴァロくん、君は”よく見る”、”よく調べる”事に、自然に魔力を使っているんだ。今私のこの指をよく見ようとして、ここに魔力を集中している。…わかるかい?」
ヴァロは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにナハトの指へ視線を移した。何か変化を感じ取ろうとしているのだろう、指に纏わりつく魔力が、ヴァロの気持ちを代弁するかのように揺れる。
「うーん…よくわからない…」
「ふむ…。なら、これはどうだい?」
昨日ルイーゼに教えてもらった、仕込みがある装飾品を売っている店で買った指輪で指先を斬り、そこに魔力を集中させる。ただ集中させただけの魔力の玉は、目には見えないがナハトの掌に上に出来上がった。
動かないようヴァロに言って、彼の手の上にその魔力の玉を当てるように重ね合わせる。肌が触れたわけでもないのにびくりと動いた彼に、動かないよう注意して問う。
「わかるかい?今私は、君の手に魔力を押し当てているんだが…」
「え、えっと………。ご、ごめん、わかんない…」
「ふむ…。なら、これならどうだい?」
更に大きくした魔力の玉を、ヴァロの頬に押し当てた。真っ赤な顔であわてるヴァロを叱りつけると、一瞬しゅんと項垂れたがすぐに顔を上げた。その顔は驚きに満ちている。
「あ、あの、なんか…」
「何か感じるかい?」
「うん!なんか暖かい感じがする」
「君はそう感じるのか。それが魔力だよ、その感覚を覚えたなら…」
またナハトはヴァロの手に己の手を重ねた。
今度はヴァロは大きく頷く。
「あっ、わかる!なんかある!」
「よし。そうしたら、今度は先ほどと同じように、この指に魔力を集中してごらん」
指を立てると、すぐヴァロがその指に集中した。すぐさま纏わりついてきた魔力に、ヴァロがすぐさま反応する。
「見えないけど…なんか、ある」
「君は覚えが早いな。そうだよ、これがヴァロくんの魔力だ。君は周囲の気配を探るときに魔力を使っている。無意識に魔力を操作していたんだ。魔力を認識出来たなら、この卵にも魔力を注げるだろう」
「できそう…うん!やってみる…!」
ナハトの目の前で、ヴァロは机に置いた卵の上に手をかざした。だが上手くいかないのか、掌ではなく体から魔力が出たり引っ込んだりしている。
さすがにそう簡単にはいかないかと、ナハトは傷をつけていない左手の指を、とんとヴァロの掌に当てた。
「先ほどと同じだよ。私の指に、意識を集中してごらん」
「うん…」
ヴァロが目を閉じて集中する。すると、じわりとヴァロの掌から出た魔力がナハトの指を包み込んだ。それを確認してそっと指を離す。
「そのまま私の指があった個所に、今度は私の拳があるつもりで魔力を集中して…」
頷いたヴァロの額に汗がにじむ。慣れなければ魔力の操作はかなりの集中力を必要とする。始めてやるならばなおさらだ。
魔力は徐々に大きくなり、卵を覆えるくらいの大きさになった。集中を邪魔しないよう、そっと声をかける。
「うまく出来てる。そのまま魔力を卵に押し当ててごらん」
またヴァロは頷いて、卵にそっと右手を押し当てた。すると、卵がその魔力を吸い取るようにするりと手から離れ、卵の周囲に半透明の紫の膜が出来た。
「出来た…」
「ふふ、おめでとう。初めてにしては上出来じゃないか」
「ありがとう…!はぁー、疲れた…」
汗を拭いながら、ぐったりとヴァロは椅子に沈み込んだ。その肩を叩いて労いながら、ナハトも卵を魔力で覆う。瞬時に緑の膜をまとった卵を見て、ヴァロが眉を下げて笑う。
「ナハトは凄いなぁ…。こんな大変な事をさっと出来ちゃうんだから」
「これでも魔術師だからね。戦闘能力では君に勝てないのだから、魔術くらいは優位に立ちたいものだね」
「口でも勝てないけど…」
「…何か言ったかい?」
「な、何でもない…!」
肩から下りたドラコが、興味深そうに卵を覗いている。何もないとは思うが、ルイーゼは魔力で覆ったら決して触れるなと言っていた。触れないようドラコに言ってそっと抱き上げる。撫でながらヴァロに近づくと、ヴァロも興味深そうに卵を見ていた。
「触ってはいけないよ」
「うん。…これ、どのくらいで孵るかな?」
「さて…。人によると言っていたが、早い人で3日、遅い人で7日…だったか。まぁ、大人しく待ってみよう」
「うん!楽しみだね」
そう言うヴァロに笑い返しながら、ナハトも己の卵を振り返った。




