第2話 ルイーゼ
翌日の早朝、モコモコの防寒具を着込んだナハトらは、ダンジョンギルドへ向かっていた。
ノジェスはダンジョンである巨木を中心に扇状に広がっている。ダンジョンギルドは巨木と同じ場所に、その周辺に宿屋や、冒険者向けの食堂、装備品や備品を売る商店が並んでいる。冒険者ギルドは、ダンジョンギルドから南の方にあり、宿屋や民家、一般人用の商店、学校や図書館が、冒険者ギルドを中心に西と東に広がっている。ちなみに貴族エリアは一番ダンジョンから遠い。ダンジョンからまっすぐ進んだ通りがぶつかるところに、貴族エリアとそれ以外を隔てる壁と門があり、その先はカントゥラと同じようなつくりのようだ。
ダンジョンギルドの建物は、ダンジョンである巨木を包み込むように作られた高い壁を繋ぐように建っていた。ギルドを通って壁の内側に入るため、外からは巨木の葉の部分しか見えない。全体を見たいが、その為にはダンジョンギルドに登録する必要がある。
さっさと登録して確認したいが、まずは紹介してもらった魔術師ルイーゼに会い、魔術について聞かなければならない。全く知らない未知の場所へ行くのに、欠けた知識と情報のまま行くのは危険だ。
それでも、ナハトは気になって巨木の葉を見上げた。ほんの一部分、それだけしか見えないが、期待が大きいのか記憶にある巨木と似ている気がする。
「どうしたの?寒い?」
ぼーっと見ていたせいか、ヴァロが心配そうな顔で見てくる。それに笑って答えながら、ナハトは口を開いた。
「いいや。…私が見た木と似ている気がしてね」
「それって、ナハトがいた場所にあったっていう…?」
「ああ。まあ、しっかり見えないから、まだなんとも言えないがね」
アンバスの話では、ダンジョンからは魔物が出る。それは事実で、だからこの木がナハトが見た木と同じだったとしても、その向こうからナハトが来たわけではない。ネーヴェも随分と物騒な事を言っていた。ダンジョンの中に入るだけでなく、近くにいるだけでも休息期間が必要だなんてとてもまともな場所とは思えない。それは分かっているが、ナハトが頼りにできるのは地下で見た巨木だけ。それ以外ではもう魔獣の森の奥へ、ナハトが目覚めたあの場所へ行くしかないのだ。
ダンジョンを見て、実際に中に入って確認してみる。それまでは、疑問を全て飲み込む。分からないことだらけなのだから、自分の目で確認するまでは、変に期待は持たない方がいい。そうナハトは自身に言い聞かせた。
しかしそれとこれとは話が別で、何かわかるのではという高揚感にも似た気持ちが湧きあがる。どうにも落ち着かない気分になって、ナハトは無意味に襟を立てた。
「それにしても、これあったかいね」
「ああ、そうだね。少々重くて動きづらいが」
とりあえずで買った古着の防寒具であったが、それでもその性能は確かだった。肌が出ている部分、主に顔は寒いが、体はほとんど風と冷気を通さず暖かい。
「イーリーさん、何でこっちがこんなに寒いって教えてくれなかったんだろう。ネーヴェさんも、防寒具について教えてくれればよかったのに…」
赤くなった鼻を擦りながらヴァロがそう言う。確かに寒いとは聞いていたが、明らかにナハト等の格好はこの土地にふさわしくないものであった。それを知らないイーリーではない為、揶揄われたかと思ったほどだ。
だが、古着屋の商品を見て納得した。
「単に言っても意味がないと思ったんだろう。これほどの防寒具、あちらではどうしたって手に入りそうにない」
「えっ、なんで?」
「カントゥラは温暖だったろう?夜は少々肌寒くはあったが、こことは比べるまでもない。私たちは転移の魔法陣で一気に来たが、本来なら馬車や歩きでここまで来るんだ」
「あっ、そっか。北上して、寒くなってきたら買うから…」
ナハトは頷いた。防寒具は、本来は徐々に寒くなっていく気候に合わせて買うはずだ。だからカントゥラには防寒具は置いていないし、需要がないものを店が扱うことは無い。
ナハトたちが一気に転移して来た事がイレギュラーなだけだ。
「ネーヴェさんの場合は逆だろうな。持っていないとは思わなかったのだと思うよ。これほどの寒さの場所に年中いるのだから…」
こちらの防寒具はそもそも普通の服よりも重い。布や革を重ねて保温性を高めてあったり、高いものでは砕いた魔石が埋め込まれているものもあるそうだ。
今回はあり合わせで買ったためそこまで高価なものではないが、それでも町中を歩き回るには十分暖かい。全く寒くないわけではないが、少なくとも昨日のように今にも死にそうな寒さではない。
「顔合わせが終わったら、私たちに合った防寒具を買いに行こう」
「うん!」
外気にさらされた肌が寒さでピリピリしてきたのもあって、ナハト等はダンジョンギルドの扉を開けた。ネーヴェの忠告通り早朝に来たが何かあったのか、早朝の割にはギルド内がなかなかに騒がしい。
「すみません」
ここでこうしていても埒があかないと、職員らの会話の隙間を縫ってナハトは声をかけた。声をかけられた職員は一度こちらを向くと、時計を見て眉を顰める。
「まだ、受付時間前だが…」
「それは申し訳ありません。冒険者ギルドから早朝に尋ねるよう言われたのですが、何もお聞きでは無いでしょうか?」
「…ちょっと待ってくれ。確認する」
職員は一度席を立つと、別の職員の元へ確認に行った。戻ってくると、なんとも言えない顔で口を開いた。
「あんた達、ルイーゼの知り合いか」
「はい。カントゥラのギルド長、イーリーさんから紹介状を貰っています」
紹介状を渡すと、軽く中身を確認して彼はため息をついた。どうしたのかと首を傾げると、違うんだと首を振る。
「あんたらが悪いんじゃないんだ。一応身分証出してくれるか?」
「はい…」
戸惑いながらも身分証を提示すると、職員はそれを見て頷く。
「確認した。ルイーゼは4階左奥の部屋にいる。まだ恐らく起きていると思うから、早く行くといい」
「…わかりました」
「なんなんだろうね?」と言うヴァロに、あいまいに返事を返しながら階段を登る。昨日のネーヴェの反応といい、ルイーゼという人物は悪い人ではないようだが、かなりクセの強い人物のようだ。先ほど対応してくれた職員も、嫌がるというよりはまたかという反応だった。今の時間が業務時間外と言っていた事からしても、彼女を訪ねてくる人間は大概が時間外なのかもしれない。
「4階左奥…あっ、あの部屋…だよね」
「…そのようだな」
目的の扉はすぐ見つかった。扉に”ルイーゼ”と板がかかっていたからだ。冒険者ギルドらしからぬそれにヴァロと顔を見合わせると、一度息を吐いてからノックをする。中から人の気配はするからいるはずだが、反応がない。
「?」
もう一度ノックをすると、中から「入ってきてー」と、気が抜けるような声が返ってきた。ごそごそと何かを移動させているかのような音も聞こえる。
「いいのかな?」
「…本人がいいと言っているのだから、いいのだろう。開けるぞ」
少々の緊張感を持ちながらも扉を開けた。するとすぐにふわりと埃臭いにおいがして、思わず顔を顰める。室内は薄暗いが一部分だけ明るく、その灯りに照らされてぴょんと伸びた長い耳の人影が動き回っていた。その人影がルイーゼであるという事は間違いないと思うが―――。
「ちょえ!?」
「ヴァロくん、後ろ」
「えっ!?」
「後ろを向きたまえ」
「は、はい…!」
問題はその格好だ。下着の上からサイズの大きな上着を羽織り、その状態で動き回っているのだ。豊満な体が灯りに照らされてなんとも官能的である。いくら部屋の中が暖かいとはいえ、来客にその格好で対応するとはいただけない。
これは頭が痛いと思いながら、ナハトはその辺に乱雑に置かれた洋服を手に取った。あまり清潔そうではないが、話をするにも着替えてもらう必要がある。適当なトップスとスカートを選ぶとせかせか動く人影に近づいた。動き回っていたルイーゼは、今は椅子に座って魔道具らしき何かを覗き込んでいる。
「初めまして。あなたがルイーゼさんでしょうか?」
「うん、そう」
「…イーリーさんから魔術の師としてあなたを紹介されました。私はナハトと申します」
「ふーん…?イーリーから…あっ、そう言えばなんか手紙来てたなぁ」
会話は成り立っているが一度もこちらを見ない。若干苛立ちながらもせめて服を着てもらおうと差し出そうとすると、驚く速さで左手がこちらに伸びてきた。服を抑え、一言。
「もう少し待ってぇ?今、すごーくいいところだからぁ」
「…どれほどお待ちすればよろしいでしょうか?」
「30分~」
やはりこちらは見ないが目は真剣そのもの。仕方なくナハトはその服を彼女の隣に置くと、ヴァロを連れ立って部屋を出た。
「30分後にまたお伺いしますので、その時は服を着てくださいね」
「はいはーい」
本当にわかっているのだろうか。一抹の不安を感じながらもナハト等は一度部屋の外へ出て、そのまま時間まで待った。
きっちり30分後、ノックすると中から「どうぞー」と声がかかった。ナハトは恐る恐る扉を開け―――また閉めた。
「ヴァロくん、ちょっとここで待っていてくれ」
「あっ、うん」
戸惑うヴァロに笑顔でそう言い、ナハトは一人部屋の中へ入った。明るくなった部屋の中には先ほどと同じ格好のルイーゼ。無言で歩み寄り、服を突き出す。
「こちらに着替えてください」
「えー…?めんどく…」
「着替えてください」
「は、はーい…」
問答無用と口で言う代わりに顔で語ると、やっとルイーゼが着替えてくれた。明るい部屋の中で見た彼女は、見た目はずぼらな雰囲気など感じない、ふんわりとした印象の女性であった。淡い若草色の肩口までの髪はくるりとカールしていて、それによく合う橙色の大きな目、イーリーの知り合いと聞いていた為に彼女と同じ年頃の女性を想像していたが、実際はナハトとさほど変わらないくらいの年齢に見える、随分と可愛らしい女性だ。
衣服が整ったのを確認してヴァロを呼ぶ。チラチラと警戒しながら入ってきたヴァロは、ナハトの斜め後ろに立った。暖かい室内に、ドラコが襟元から顔を出す。
「改めまして。私はナハト、こちらはドラコ。それとヴァロくんです。イーリーさんからご紹介いただき、こちらにやってまいりました。こちらが紹介状です」
「あっ、はーい。どーもぉ…」
差し出した紹介状を受け取り、中身を確認するルイーゼ。一通り確認すると、にんまりという表現が合う笑顔で、ずかずかとナハトに近づいてくる。至近距離まで来られて僅かに警戒するが、そんなもの関係ないとでも言うように突然ナハトに抱き着いた。そのまま首筋に顔を埋めてくる。
「なっ!?」
「ん~いい匂い」
「ちょ、ちょっと!何してるんですか!?」
べりっと音がしそうな勢いで引きはがされた。ヴァロに米俵のように抱え上げられ顔を上げると、右手で汚いものでも掴むようにつままれたルイーゼがぷらぷら揺れている。さすがに酷すぎやしないだろうか。
「ああん、ケチ!いいじゃないのぉ少しくらいー」
「急に何するんだ!」
「あっ、よく見たらあなたもいい目の色してるのねぇ、よく見せて!」
「えっ、わああっ!?」
ぶら下がった状態からヴァロの顔を掴むように腕が延ばされ、驚いたヴァロがのけ反った。そこからどうしたらよいか分からないのだろう。眉が下がり切った顔がこちらを向き、ナハトはため息をついて腕から抜け出した。そのままルイーゼとヴァロの間に入り、高い位置にある彼女の顔を見上げる。
「イーリーさんからは、腕が立って性格は悪くないとお聞きしていたのですが…どうやらあの方の気のせいだったようですね」
「気のせいじゃないわよぉ。あたしはいい人って良く言われるんだからぁ」
「それは随分節穴の方が周囲に多いようで」
「うふふ♪手紙に書いてあった通り、本当に口が悪いのねぇ。そんなに怒らないで?ちょーっと匂いかいだりしただけでしょう?」
下手に出ても高圧的に出ても変わらない。ルイーゼは楽しそうに笑いながら、ナハトの言葉をのらりくらりと避けて行く。
また伸びてきた手に、今度はドラコが威嚇するが、それにも目を輝かせた彼女には本当にため息しか出ない。出来る魔術師と聞いていたから会うのを楽しみにしていたのだが、それがこれでは本当にがっかりである。こちらを煙に巻くような態度で魔術について教えてくれそうにもない。
(「…仕方ない」)
冒険者ギルドへ戻ってネーヴェにいい人を紹介してもらえないか聞こうと決め、ナハトはヴァロの背を叩いた。ため息交じりに口を開く。
「…しょうがない。ヴァロくん、行こう」
「いいの?」
「ちょ、ちょっと待って?そんなに怒らないでよぉ、ほんのちょびっと揶揄っただけじゃないのぉ」
「いいえ、もう結構です。私たちは帰りますので…」
「待ってったらぁ!あたしがイーリーに怒られちゃうから!」
「…怒られる?」
縋りつかれたのもあってどういう事かと止まると、ルイーゼはいそいそと2人分の席を用意した。「座って座って」と勧められ、既に帰りたい気分ではあったが仕方なく腰を下ろす。
「ありがとー!いい子なのねぇ。改めて、あたしはルイーゼ。魔術が大好きな氷の魔術師よぉ」
「ご丁寧にありがとうございます。それでは失礼しま…」
「待ってったらぁ!ちゃんとするから、ね?ね?」
「ちゃんとしていただかなくて結構です。では…」
「あーんそんなこと言わないでぇ!イーリーに怒られたらあたし泣いちゃう」
「怒られればいいではないですか?よくわかりませんが…」
「怒られたくないのぉ!ね?ね?あたしすごく魔術には詳しいのよぉ?この魔道具だってあたしが作ったんだから!」
取り出されたそれを見て、ぴくりとナハトが動いた。それは盗聴防止の魔道具を買った際に見た、ペンダント型の魔術具とよく似ていた。確かあれは身に着けることで、その個人の声を妨害するものだったはずだ。
(「それをこの人が…?」)
とても信じられないが、確かに先ほども魔道具を触っていた。よくよく思い出してみると、何か調整を施しているようではなかっただろうか。ならば、魔術に関しては詳しいというのは嘘ではなさそうだが―――。
「そんな目で見ないでー!」
とても信じられず、思わずジト目で彼女を見る。
また縋り付いてくるルイーゼを押し戻していると、残念な事にナハトの味方が一人、その姿に絆されてしまった。
「ナハト…」
ルイーゼの悲しそうな顔と目に、ヴァロまでこちらを窺い見る。2人してそんな目で見ないでほしい。仕方ないとため息をついて、ナハトは座り直した。ルイーゼの顔が喜色に染まる。
「…わかりました。よろしくお願いします」
「よろしくねぇ?手紙に書いてある通りにちゃんとするから!」
差し出された手を握ると、ルイーゼは嬉しそうに微笑んだ。
ドラコは防寒具の中で丸くなっています。
古着屋さんなのでナハトの体形にあったものも、ヴァロの体形に合ったものもありました。
通常の服の上から裾の長い防寒具を着ているイメージですが、流石にナハトはマントを外しています。




