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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第一章
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第5話 見知らぬ世界

 それから森を抜けるのは大変だった。何度も木に登り方角を確認していたので方向を見失うことはなかったが、暗くなると魔獣の気配が強くなり、動けなくなってしまったのだ。夜も走ることが出来れば2日ほどで抜けられそうだったが、暗くなると息を潜め続けなければいけなかったため、結局抜けるまで5日もかかってしまった。

 その都度川を見つけては過ごしていたため、ナハトもドラコも食事の面ではそれほどでもなかったが、連日木の上での眠りと警戒で、体はかなり疲弊していた。


「はぁ…ベッドでゆっくり眠りたいね、ドラコ」

「ギュー…」


 だが森は抜けた。町まではもうすぐである。

 ナハトは幾分軽くなった足取りで道を歩き出し、すぐに気がついた。よくならされた道のそこかしこに、見たこともない棒と、その先にぶら下がった透明な箱に入った石がある。道の横には石の壁のようなものも所々建てられており、通ると自身が隠れてしまうこともあって圧迫感を感じた。立っている棒はナハトの背よりもずっと高く、箱の中に入った石は赤く、まるで火のようだ。


「…あれはなんだ?…あの透明な箱も、中の石も…」

「ギュー…」

「それにしても、凄い数だな」


 等間隔で道の端に建てられた棒。この数を揃えるのは並のことではなかったはずだ。

 不思議に思いながらも足を進めていくと、高い城壁と、そこから伸びる列が見えて来た。城壁は3階建ての建物よりも少し高く、それがぐるりと町を覆っているようだった。


「…なんて大きさだ…」


 あまりの大きさに驚いて見ていると、どいて!との声とともに、轟音が近づいて来た。

 振り返ると、真っ黒い四つ足で角の生えた動物が、荷台を引きながら駆けてくるところだった。慌てて横に飛び退くと、それは街から伸びる列の最後尾について止まった。

 村が見つからなかった時とは違った混乱でナハトは戸惑うが、列に並ぶ人たちの多くに獣のような耳や尻尾を見つけて、また足を止めた。


(「獣人!?あんなに!?」)


 道横に設置された壁の影に隠れながら、ナハトはよくよく様子を伺った。こちらの方が高い位置にあるため、列に並ぶ人々の様子がよく見える。顔を少しだけ出して、目を凝らして列を見る。

 列に並ぶ人影は全て獣人だった。大きな耳、鱗、長い爪に尻尾。師父に教えてもらった、獣人の特徴を持った者しか見当たらなかった。

 さらにナハトを驚かせたのは彼らの大きさだ。平均して、ナハトの1.5倍ほどの背の高さがある。荷台を引く動物も見た事がない。


(「まさかここは獣人の国…?いや、獣人に国はないはずだ。まとまらない種族だと聞いていたし、それに…。師父は獣人とは根本的に言語が違うと言っていたはずだ。だが、先ほどの…」)


 どいてと言われてナハトはどいた。確かに退いてと聞こえたのだ。間違いない、言葉はわかる。


(「ここが獣人の国だとしても、言葉が通じるなら僥倖だ。今は情報が欲しい。なんとか中に入れないだろうか…」)


 心配そうな声を出すドラコを撫でて抑え、ナハトは思考を巡らせた。もうすぐ陽が沈む。森から離れたとはいえ、夜魔獣が出ないとも限らない。出来れば街の中に入りたい。

 目を凝らすと、列の先頭にいる獣人たちは、兵士らしき獣人に何かを見せているようだった。おそらく通行証のようなものだろう。それが無ければ中に入れないという事だ。最後尾には先程の黒い動物に引かれた荷台がある。荷物には布がかかっており、乗せられた箱には僅かだがナハトとドラコなら隠れられそうなスペースがある。


(「…忍び込むなんてみっともない事はしたくないが…もし、入れたとして、獣人だらけの中どうやって情報収集をする…?」)


 師父の話では、獣人と人間は仲が良いと言える間柄ではなかったはずだ。

 悩んで悩んで。結局ナハトは、黒い動物が引く荷台に潜り込んだ。訳がわからない今は、何よりも情報が必要だと思ったからだ。

 ごとごとと少しずつ列が進んでいくのに比例して、ナハトの心臓も大きく脈打っていく。


「いつもご苦労さんだな」

「おお、お前か。今度の荷はなんだ?変な匂いがするな」


 少し離れたところで聞こえる声に、ひゅっと息が詰まる。この荷台の持ち主の番になったようだ。


「ああ、今回はカルダンだよ。臭うだろう?」

「確かにな、変な匂いがすらぁなと思っていたが、お前の荷のせいか」

「そうとも。俺なんか、すっかり鼻がバカになっちまったよ」

「ははっ!ちげぇねぇ。よし、通っていいぞ」

「ありがとよー」


 ごとごと音を立てて荷台が動いた。どうやら無事に入れたらしい。少しだけ布をあげてみると、祭りでもやっているのかと言わんばかりの数の獣人が歩いているのが見えた。

 左右に並んでいるのは商店だろうか、ナハトも見た事がある肉や魚、野菜などが売られている。森で見た木の実もたくさん並んでいた。

 街も作り物に見えるほどきっちりと家が建てられていて、壁や屋根に様々な色がついていてとても綺麗だった。道も大きいが、何より明るく、何か光るものでそこかしこが照らされていて、昼間のように明るかった。

 その中でも一際目を引いたのが、獣人の服装だった。列に並んでいた獣人も、なんというか、とても綺麗で洗練された格好をしていた。似た服装などほとんどおらず、貴金属をつけているものも多くいる。


(「…凄い…」)


 思わずナハトがそう呟くのと、荷台が止まるのは同時だった。慌てて気を引き締め、耳をそばだてる。


「待たせたなら注文の品だ。カルダン10箱」

「おおすまないね。それじゃぁ、代金を…」


 声が遠くなっていく。

 今なら荷台から出ても咎められないとみて、ナハトは荷台から滑り出た。手近な箱の影に入り、大通りを避けて細い道へ入る。


「はあぁ…」


 大きく息を吐きながら、ナハトは持たれた壁にズルズルと座り込んだ。


(「…すごく緊張した。まだ心臓が痛い…」)

「ンギュー…」


 小さな声でドラコが鳴いて頬に擦り寄ってくる。


「大丈夫だよ。少し緊張しただけだとも。それよりすまないが、勢いで来てしまったから今日のご飯は用意できそうにない」

「ギュー」

「私は問題ないよ。元々少食だからね。さっ、襟元に隠れておいで。獣人ばかりだから、フードを被った方が良さそうだ」


 ナハトは目深にフードを被ると、ドラコの尻尾まで丁寧に襟の中へ隠した。

 そうして暗闇を選んで移動し、酒場らしきものを見つけては、耳をそばだてる。


「今日可愛い子見つけてさぁ」

「へぇ?どんな子だよ」

「それが尻尾の毛並みが最高に綺麗な子でさぁ!」

「お前それセクハラだからな」

「冒険者が偉ぶりやがって」

「そうは言ってもよお。おまえ、冒険者がいなきゃ、魔獣の退治やレアな素材取り困るだろうよ」

「だからってなぁ!あいつらこっちが下手に出りゃぁ足元見やがって…」

「おねえちゃん、ビール2つ!」

「はーい!」

「今日は密鳥の蒸し焼きがおすすめだよ」

「おっ、それじゃそれ1つくれ!」

「ギルドの連中が言ってたんだけどよぉ。今度依頼失敗したら金取るってよ」

「はぁ!?嘘だろう!?」

「お前今日も学校来なかったな。酒場になんて入り浸りやがって」

「おうおう兄ちゃん、酒場なんてたぁ随分なこと言うじゃねぇか」

「あっ、す、すいません!」


 人の集まっていそうなところを中心に、数時間周囲の声を聞き続けた。

 結果わかったのは、ここはナハトが知る場所ではないという事だった。

 ゲルブ村は王都から少し離れたところにあったが、カルストが頻繁に王都に呼ばれるため、ナハトは様々な情報を彼から仕入れていた。それは勉強の一つであったし、何より面白かったからだ。カルストは博識で、様々なことに知見のある人だったから、王都にあるものや流行りについてもよく聞いていた。

 だが、聞いた情報はそれらとほとんど合致するものがない。


(「聞き覚えのないことばかりだ…。いったい、私はどこに来てしまったんだ…」)


 いくら考えても、答えなど出るはずはなかった。

 だが、考えずにはいられない。黙々と考えていると、後ろから突然声がかかった。


「おまえ、こんなところで何してんだ?」


 驚いて振り向くと、片目を眼帯で覆った獣人がいた。茶色い耳に赤い目、ナハトの倍近くあろうかという身長に鋭い歯。黒をベースにした見た事がない服に身を包み、ナハトの胴回りほどありそうな腕は、まだ納刀したままの大振りの剣の柄を握っている。


「おい。耳、聞こえねぇのか?」


 己のピンと立った耳を指差しながら、獣人は怪しく笑う。


「す、すまない。ちょっと立ちくらみをしてしまって、少しここで休んでいいたんだ。邪魔をしてしまったなら申し訳ない」


 両手に何もないことを見せるために手のひらを相手に向けてナハトはしゃべった。考えることに夢中で全く気づかなかった。冷や汗を隠しながら、必死にわびる。


「…立ちくらみねぇ…まぁ、仮にそうだとしてだ。おまえ、なんでそんな格好でここにいるんだ?」

「…そんな、格好とは?」

「その格好だよ!まるでヒルじゃねぇか。また紛れ込んだと思って声かけてみりゃぁ、ヒルじゃぁ無さそうだが…そんな格好じゃ襲われても文句言えねぇぞ」

「えっ…?」


 ヒルという言葉を、ナハトはなんとか飲み込んだ。こちらの常識のようだし、ここで問うのはおかしいと思ったからだ。

 ナハトは申し訳ないと一度頭を下げた。


「それは申し訳ない。こちらに来る途中追い剥ぎに遭いまして、ここにいる親類の下まで命からがら逃げてきた次第です。あと少しで着くというところで、安心したのか立ちくらみを起こしてしまって…」


 もう大丈夫です。と言って、ナハトはそこから立ち去ろうとしたが、獣人に声をかけられて、また立ち止まる。


「せめてフードを取っちゃどうだい。フードを被るのが1番怪しいんだからよ」

「…お気遣いありがとうございます。ですが、取れない事情がありますので…」

「取れない事情ってのはどんな事情だ?」


 ナハトの後ろで、スラリと剣を抜く音がした。襟元にいるドラコを抑え、一歩後ずさる。


「お前、劣等種だろう?大きさから子供かと思ったが、失敗したなぁ。この街の近くに追い剥ぎが出たって?せっかく考えた言い訳だが、残念だったな。追い剥ぎにやられる人間なんざいやしねぇんだよ!劣等種以外はなぁ!!!」

「くっ…!」


 大振りに振られた剣を間一髪で避けた。

 風圧でフードが取れ、顔が晒される。


「ぎゃはは!やっぱりか!忍び込みやがって、何しに来たぁ!!」


 続けてきた2撃目もなんとか避けて、ナハトは細い路地を駆け出した。置いてある物や荷物をはじから崩して逃げるが、相手が悪い。ものすごい身体能力で、あっという間に追いつかれてしまう。


「何してたかって、聞いてんだよ!!」

「がっ!」


 背中に鋭い痛みを感じて、ナハトは乱雑に積まれた木材に突っ込んだ。アンバランスに積まれたそれはガラガラと音を立てて崩れる。


「ギュー!ギュー!!」


 ドラコが頬を叩いてくれたおかげで、ギリギリ意識を手放さずに済んだ。埃と木屑で薄靄のような視界の中、壁に亀裂を見つけた。


(「ギリギリ…出られるか…」)


 背中に感じる痛みと、ぬるりと流れてくる血の感覚。折り重なった木材の下を這い進むと、背後から木材を跳ね飛ばすような音が聞こえた。どこだ!という声とともに近づいてくるそれに、ナハトは急いでその亀裂から外へ這い出した。


(「逃げ…ないと…」)


 ナハトは歯を食いしばり、精一杯の速度で、そこから走り出した。




「はぁ…はぁ…はぁ…」

「ギュー、ギュー!」

「…ドラコ。…大丈夫だよ」


 頬に縋り付くドラコを撫でながら、ナハトは街道を進む。どこまで逃げればいいのかわからないが、一刻も早く、少しでもあの街から離れた方がいいことだけはわかる。泣くドラコを宥めて足を進め、やっと街が見えなくなったところで、足がもつれて転んだ。


「ギュー!!」

「ドラコ…。怪我、してないかい?」

「ギュー」

「よかった…。怪我したら、大変だからね」

「ギュー!!!」


 パシリと強めに頬を叩かれて、ナハトは街道の端にある壁まで這った。背中にあった荷物ごと斬られたから死なずに済んだが、なかったら死んでいたかもしれない。ある意味運がいい。


「ギュー!!!」

「…大丈夫、ちゃんと…手当てするよ。師父が言っていたんだ。…植物を使う魔術師は、神秘の花を育てて、その蜜で傷を癒すって…」


 植物の魔術師は、植物の知識を得て、魔力でそれを育てる。神秘の花は実際に見たことはないが、絵で見た事があった。重症の時にだけ使用が許される高回復の花は、知識があればナハトでも咲かせることが出来るはずだ。何よりできなければ、ドラコが1人になってしまう。

 ナハトは痛みを堪えながら、指先に魔力を集中した。魔力の玉を出来るだけ大きく作って試そうと思ったのだ。

 だが、それは一向に集まらなかった。


「…あ…れ?」


 体内に感じる魔力。それが、少しも出てこない。どれだけ細く魔力を変化させても、魔力が外に出てくることはなかった。

 どさりとナハトは地面に倒れ込んだ。腕に全く力が入らない。魔力も出ない。これは、いよいよまずいかもしれない。


「ギュー!ギュー!!!」

「…すまない、ドラコ。魔力が…出せない、みたい…だ」

「ギュー!!!」

「…ご、めん…」


 体がとても寒くて、瞼が重くなってきた。ドラコを1人にしたくない。どこかもわからないところでたった1人にしたくはなかったが、ナハトにはもうどうしたらいいのかわからなかった。


(「…魔力さえ自由に出来たら…神秘の花を咲かせられたかもしれないのに…」)


 試すことも出来ずに、ナハトは意識を失った。その頬に泣き縋るドラコの足元まで、血だまりが広がっていた。

 そこに突然、芽が生えた。それはぐんぐん成長し、あっという間に花をつけた。真っ白いその花は丸く先が窄んでいて、そここらとても甘い匂いがしている。

 ドラコはそれが神秘の花だと思い、ナハトに知らせようと頬を叩いた。しかし返ってくるのは浅い息で、とても目を開きそうにはない。

 ならばと、ドラコはその花の茎を噛み引っ張った。歯のないドラコではなかなか千切れなかったが、それでも何度も引っ張ると、やっと茎が折れた。花の先端をナハトの口に当て、中の蜜を流し込むようにする。ナハト自身の意識がないため、全て飲むことはできなかったが、少しは飲むことができたようだ。血が止まり、顔色が少し良くなった気がする。だけども、それだけだ。傷が塞がるまでは至らなかった。


「ギュー!ギュー!」


 ドラコはナハトの頬を叩いてみた。舐めたり、襟を引っ張ってみるが、ナハトは目を覚ましそうにない。追手が来ているかもしれない状態で、いつまでもこんなところにいるわけにはいかない。こんな街道ではなく、もっと見つからない場所へ隠さなければならない。


「ギュー!!!」


 起きてと精一杯声をかけてみるが、ナハトは目を覚まさない。大きくなっても、ドラコではナハトを運ぶこともできない。


「ギュー…!ギュー!!!」

「…何かいるの?」


 泣くドラコの声に、答える者がいた。ドラコが振り返ると、そこには先程ナハトを襲った獣人と同じくらい大きな体の獣人がいた。


「えっ、誰かいる…?」

「ガー!!!」


 近寄って来たその人影に、ドラコは精一杯威嚇した。真っ白い耳に髪で毛玉のように顔を覆った獣人が、灯りの下に現れた。


「ガー!!!」

「ひいっ!」


 ドラコが威嚇すると、その人物は飛び上がった。

 ドラコは首を傾げた。大きな体は先ほどの獣人と同じだが、この獣人からは恐ろしい感じを受けなかったからだ。


「えっ!?それ、血!?」

「ガ、ガー!!」

「ひっ!」


 突然駆け寄られて、ドラコは驚いてまた威嚇した。威嚇された獣人は、また少し離れるが、意を決したように、そろそろと近寄って来た。ほんの一歩離れたところで止まり、屈んで口を開いた。


「そ、その子…助けたいの?」


 ドラコは考えた。敵意は感じないが、襲って来た奴と同じ姿形をしている。信じていいのかわからなかった。

 だが。


「…っ…」


 小さく聞こえた呻き声に、ドラコは意を決してその獣人の足元へ行き、ズボンの裾を引っ張った。助けて欲しい、お願いという思いを込めて、ぐいぐい引っ張る。


「…わかった」


 思いが通じたのか、その獣人はナハトを抱えると、恐る恐るドラコに手を伸ばして来た。抵抗したらナハトを落とされるかもしれないと、ドラコは特に反抗することなく、獣人の大きなポケットに収まった。


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