誰も知らない劣等種
第2章第8話の後の話です。
フラッドとその仲間の話です
カントゥラを出て北西へ走る。森を迂回してひたすら走ると、大きな岩を挟んで左右へと別れる道が見えた。足音を聞いてか、岩の影から一人の男が顔を出した。
「悪い、遅くなって…」
フラッドは足を止めて荒い息を整えるが返事がない。不安になって顔を上げると、あっと声がして男が駆け寄ってきた。灯りに照らされた仲間の顔を見て、ほっと息を吐く。
「フラッド…!無事だったのか」
「フラッドだって?」
「本当だ。よく無事だったな」
フラッドに声をかけた仲間の声につられて、ぞろぞろと岩陰から顔を出す。困惑した様子の彼らに首を傾げると、その格好はどうしたと問われ、気が付く。ナハトらに買ってきてもらった着替えと、ナハトに整えてもらった耳と尻尾。そのせいで仲間に不審がられたのだ。
「わ、悪い。これは…たまたま町に同胞がいてな。そいつに助けてもらったんだ」
「同胞だと…?」
不審そうな声を上げたのは、今回のチームリーダーのイルゴだ。
恵まれた体格で腕が立ち、冒険者として同胞のために金を稼いでいた時期もあった。怪我をしてからは調査へ移ったが、それでも元は黄等級冒険者。少々短気で怖いが頼りがいがある。
イルゴは何やら考えて、とりあえず移動しようと仲間に声をかけた。それぞれ荷物を持って歩きだす。その後ろを、フラッドとイルゴが並んで進む。
「同胞と言っていたな。どんな奴だ?」
「名前はナハト。年は多分…23とかそのぐらいで、長い黒い髪に紫の目。背は俺くらいの優男の冒険者で、かなり腕が立ちます。ですが…多分、魔術師です」
「魔術師だと?」
「はい。…でも、おかしいですよね?」
イルゴが頷く。ナハトは自分の事を冒険者だと言っていたが、フラッドは見た。あの緑の爪は、魔力の証。他にも魔術師がいるようなことを言っていたが、フラッドは聞いた事はなかった。
ナハトの手前ああいったが、フラッドは劣等種の魔術師の話など聞いた事がない。はるか昔にいたとされること以外は、全くと言っていい。
「俺たち人間の中から魔術師が生まれたなんて…そんな事があれば、どれだけ隠したとしてもわかるはずだ。ナハトと言う名も聞き覚えはない」
「そうですか…。ナハトは、別の同胞の魔術師を探していると言っていました。イルゴさんは聞いた事がありますか?」
「…いや…ないな」
そもそも、カントゥラ内に同胞がいた事が驚きだ。ここら一帯、通称フォレトリーと言われるここは、領主が劣等種嫌いな為迫害が酷い。ここ十数年は特に酷く、その為、フォレトリーには同胞が一人もいないはずだった。
イルゴたちは定期的に町や村の調査をすることが仕事の為、その周辺に住む同胞の事は獣人側かこちら側かに関係なく知っている。色々あってカントゥラに来るのはおよそ10年ぶりであったが、それでも前任者から同胞の話を聞いた事はなかった。
しかもそれが魔術師だったとは、とても信じられない。
「そいつの、その探している魔術師の名前は聞いたか?」
「…すみません。カル…なんとかだったと思うんですが…」
「そうか。他には、何か気付いた事はあるか?」
「えっと…緑等級冒険者のようで、上手く獣人の振りをしているようです」
フラッドの言葉に、少しだけイルゴの視線が厳しくなる。イルゴは大きく息を吐くと、少し悲しそうに口を開いた。
「…この辺は特に迫害が厳しいから仕方がないだろうがな…。そう言う同胞の目を覚ますためにも、俺らがしっかりしないとな」
「はい…!あの、俺のこの耳や尻尾は、もともとつけていた物をナハトが調整したもので…」
「…驚いたな。これはあれが元になっているのか?」
頷くと、イルゴはしげしげとフラッドの耳と尻尾を見る。夜というせいもあるのだろうが、この距離で見ても付け耳にはとても見えない。元が、自分たちが使っていた動物の毛というのにも驚きだ。
「加工の仕方とか、作り方を教えてもらいました。戻ったら班のみんなに教えたいと思います」
「ああ、そうしてやってくれ。これだけできのいい物なら、町へ入るのもぐっと楽になるだろう」
笑って肩を叩かれて、フラッドも笑う。ヘマをしたが、その分役に立つ情報を持ってこられた。みんなに迷惑をかけただけで済まずによかったと息を吐く。
「それにしても…そのナハトというやつは、一人で緑等級冒険者か。随分腕が立つ魔術師なんだな」
「あっ…いえ、それが…」
「…なんだ?」
思わず反応してしまって後悔した。イルゴは元黄等級冒険者としてギルドに登録していた事があるが、その時から獣人と手を組む、ましてや獣人に助けられる事などはあってはならないと口にしていた。ギルドからの依頼すら獣人から受けるのを嫌がり、同胞が多い町や村へ移動してまで、同胞が出した依頼を同胞から受けることにこだわっていた。
獣人と仲良くする同胞がいる事にもかなり否定的だ。それも仕方がないと口にはしているが、所属メンバーのそれは絶対に許さない。
「どうした?他にも同胞がいたのか?」
報告は正確に。イルゴの下につくようになってから口酸っぱく言われていたことだ。ナハトがヴァロと組んで冒険者をしている事。ナハトが、獣人よりの同胞であることは伝えなければならない。
ごくりと息をのんで、フラッドは口を開いた。
「すみません。実は…ナハトは、ヴァロっていう獣人とパーティを組んでいるんです」
「…なんだと?」
イルゴの声のトーンが変わった。ふるりと震えるフラッドに、更に声がかかる。
「じゃぁなんだ。おまえ…獣人に助けられたのか?」
「い、いえ…!あの、同胞が助けてくれたんですが、そいつも…!」
「そいつも、なんだ?」
「…そいつも、あの…怪我の手当、してくれて…」
瞬間、視界が揺れて、体が横に吹っ飛んだ。何が起こったかわからず瞬くと、じわりと遅れて痛みが来る。殴られたのだと分かって、頬が熱く感じ、口の中に血の味が広がる。
顔を上げると、暴れるイルゴが3人がかりで抑えられていた。その向こうから、フラッドの指導をしていたリュースが駆け寄ってくる。イルゴとフラッドの間に入って、フラッドの顔を見て声を上げる。
「イルゴさん!やめてください!」
「離せおまえら!こいつには躾が必要だ!」
「それは俺がやりますから!…行け!」
「はい!」
イルゴたちの姿が遠くなると、リュースは大きく息をついてフラッドを起こしてくれた。ポーチからタオルを出し、濡らして、頬に当てるよう言う。フラッドは緩慢な動作でそれに従ったが、頬がずきりと傷んで顔を顰めた。
「せっかく無事だったのに、酷い目に遭ったな」
「…俺が…俺が、獣人に助けられたのは本当だから…」
でかい体でせこせこ動くヴァロは、正直なところ、とても悪い奴には見えなかった。ナハトとヴァロ、どちらが悪そうに見えるか聞かれたら、10人中10人がナハトだと答えるだろう。それくらい無害そうに見えて、事実無害だったから、フラッドは気が抜けてしまったのだ。
獣人は敵だ。その気持ちは、ヴァロとかかわった今も変わらない。いや、少しだけあいつはあまり悪い奴じゃないのかもと思うが―――。
そもそもフラッドがきちんと動けていたら捕まらなかったのだから、結局のところ自分が悪いのだ。敵の世話になるのなんて恥だ。それを堂々と言ってしまったのだから、イルゴに殴られるのもしょうがない。
「俺は別にいいと思うけどな」
「…本気で?」
「ああ、命があるのが一番だ。それに俺たちも獣人も、良い奴は良い奴で、悪い奴は悪い奴だよ」
「……それ、イルゴさんに聞かれるなよ」
とんでもない事を言いだすリュースに、フラッドの方がため息をついた。だがふと気づいて口を開く。
「あれ?でも…そう思ってるなら、何でリュースは俺たちのチームに入ったんだ?」
フラッドたちのチームは、獣人から人間の尊厳を取り戻すことを目的として動いている。劣等種が真の人間で支配者であり、優等種は獣人で家畜。今のこの国をひっくり返し、人がこの国を統べる。過去の―――人が獣人を支配していた時を取り戻すのが、フラッドたちの目標だ。
リュースが本当に人も獣人も「良い奴は良い奴で、悪い奴は悪い奴」だと思っているのなら、合わないのではないだろうか。
「…確かに、少し違うかもね」
「少しか?」
「うん。本当にそう思っているのは確かだよ。だけどね、俺にも許せないものがあるんだ」
「許せないもの…?」
問うが、リュースは答えなかった。その代わり、笑ってこちらに質問を返してきた。
「それより、フラッドが会ったっていう同胞の話、俺も聞きたいな」
「あー…ナハト?」
「そう。それにさっきちょっと聞こえたんだけど、魔術師だとか言ってなかった?」
「ああ!そうなんだよ…。リュースは聞いたことある?ナハトって名前の魔術師…」
「いや…俺も聞いた事ないな」
「だよなぁ…」
情報通のリュースも知らないなら、本当にナハトはどこで生まれたやつなんだろう。魔術師を探しているとも言っていたし、もっとよく話を聞いてみればよかったと考えて、ふと、その名前を思い出した。
「カルストだ!」
「…えっ」
「カルストだよ!ナハトが探してる魔術師って言ってたやつの名前!あースッキリした。リュースはこの名前に聞き覚えは…」
フラッドはリュースを振り返って言葉を止めた。信じられない事でも聞いたかのように大きく目を見開き、立ち尽くす彼の姿が目に入ったからだ。その顔は呆然としたようにも見えるが、何かに恐怖しているようにも、大きな悲しみに襲われているようにも見えた。
なぜそんな顔をするのかわからないが、何かとんでもない事でもあったのかと、フラッドは駆け寄る。
「ど、どうしたんだよ!?大丈夫か?」
「あ…ああ、いや。…悪い。ちょっと聞き覚えがあった気がして驚いたんだけど、よく考えたら響きが似てるだけで少し違う名前だったよ」
「な…なんだよ。驚かすなよなぁ」
「あんな顔をするから何事かと思った」と、そう言えば、リュースはいつも通りの笑顔で笑い返してくれた。離している間に遠くなってしまった仲間へ追いつくため、フラッドはリュースに声をかけ駆けだす。
だから、気づかなかった。リュースがカントゥラの方を見つめていたことには―――。




