第24話 裁定のその後
一度騎士が来たものの、それは部屋の移動を伝えるものだった。何の説明もなく移った部屋は医務室よりもひとまわり広い部屋で、簡素ではあるが品のいい家具が置かれていた。
さらに着替えや食事も与えられた。どちらも質素ではあったが、きちんと与えられ、ナハトもヴァロも大いに戸惑った。
「…どういう事だろうね?」
「さて…」
「部屋も、服も、食事まで…。本当に処罰されるのかな…?」
無機質に処刑を下した貴族を見ていたため、ナハトはヴァロ以上に落ち着かない気持ちだった。騎士やメイドも時折出入りしていたが、誰一人余計な事は話さず、目も合わせない。
流石に3日経つ頃には多少警戒も薄れたが、その代わりに困惑の方が強くなった。
ドラコの事も気がかりだった。ギルド長は逃げたと言っていたが、何処に逃げたのかは分からない。そもそも、ドラコの事を知っている人自体多くないのだ。町の中でもネズミなどを取れれば食事には困らないだろうが、心ない誰かに捕まってしまうかもしれない。
気がかりなことが多すぎて気を抜けず、碌に眠れもせず、がりがりと気力が削られていく。
そうして更に2日が経った頃、思いもやらない人物がやってきた。
「お前ら無事か!?」
「イーリーさん…?」
騎士に連れられて来たイーリーは、開口一番そう言った。入ってくるなりナハトとヴァロを見て、疲れ切ったその顔を見て顔を歪める。
「…すまない。こんな事になって…」
「こんな事…と言う事は、何が起きたのかご存知なのですか?」
「ああ。今さっき、伯爵様から報告を受けたとこだ」
「報告って…えっ?俺たちの処分は…」
「罰金刑だけだ。それもナハト、お前が渡した身分証で支払い済みだ。もう帰っていい」
そう言ってイーリーは2人の身分証を差し出した。長期間拘束された割に呆気なく終わり、思考が追いつかずに頭が真っ白になる。だが次の瞬間、どっと疲れが押し寄せた。腕の力が抜けて崩れた体を、咄嗟にヴァロが支えてくれる。
「とりあえずここを出るぞ。詳しい話はあとで話す。お前らは、とにかく休め」
労るように肩を叩かれ、奥にいる騎士に視線を向ける。騎士からは敵意を感じず、こちらの用意が済むのを待っているようだ。
(「本当に…終わったのか?」)
こんなに呆気なく終わる物なのか。信じられないが、わざわざイーリーが来たのがそれを示している。そう思うと、とっくに限界を超えていた体は、簡単にその役目を放棄した。視界が黒く塗り潰されていき―――。
「っ!?ナハト!」
傾く視界に、焦った顔でこちらに駆け寄るイーリーの顔を見て、ナハトは意識を失った。
結局、ナハトが目を覚ましたのはあらから5日も経った後だった。起きた時には全て済んでいて、本当にもう何もない、終わったと告げられた。
ドラコも見つかった。というか、見つけてくれたのはカトカ達だった。ドラコは現場から逃げたのではなく、助けを求めに行ったようだ。最後に交流があったカトカらの痕跡をたどり見つけたまでは良かったが、カトカたちでは力が足らず、ヴァロが来るまで何も出来ずにいたらしい。それを聞いて、ヴァロもナハトも安心した。カトカはナハトたちを見捨てたと思っているようだったが、パーティを守るために動かなかった彼の決断を素晴らしく思う。
ドラコは戻って来てから意識がないナハトのそばを片時も離れず、目を覚ました今も、首に巻き付いて離れない。
「それと、ごめん。どうしても上手く誤魔化せなくて…」
「仕方ない。イーリーさんは、私が女だと知っているからね」
ナハトが向けた視線の先には、1人の女性がいる。
向けられた視線に気づくと、女性は軽く頭を下げて退室した。名前をカロンと言う中年の女性だ。息子が南の方の村で結婚していて、その結婚相手が劣等者らしい。口が堅く、長くイーリーの身の回りを整えていた関係でナハトの世話係に選ばれた。
「しょうがない。それより、君の体は大丈夫かい?」
「うん。俺は怪我も治ってたし、しっかり休めたから大丈夫だよ」
「それはよかった。全て任せてしまってすまなかったね」
「ううん。でも…いろいろあったよ」
息を吐いてヴァロは俯いた。
そうして話してくれた内容は、前ギルド長であるノマドの事と眼帯の男、ガロウズの事だった。
そもそも今回の事は、世継ぎ争いの話が上がった事が原因の様だった。イーリーの話では、方々の町の貴族はどの王子を支持すると名乗りを上げ始めていると言っていたが、実際は思っていたよりも活発化しなかった。それに焦れた第二王子についた一部の貴族が、秘密裏に私兵を集めようと暗躍した。しかし、ギルドは冒険者が引き抜きに合うのをよく思っていないため妨害をするから上手くいかない。
ノマドも初めはカントゥラ伯爵の意向の元対応していたが、ある時にさる貴族から接触があった。冒険者と植物の魔術師を融通してもらえないかと。カントゥラは植物の魔術師が特別多い。それでも依頼が溜まっていく状態であったため、ノマドも最初は拒否していた。
しかし、結局は金と、働きによっては男爵の地位を与えるという口車に乗ってしまったのだ。
だがここにはイーリーがいた。イーリーは有能なうえに勘がいい。脱落しやすい魔術師をギルド預かりにして保護し、育てるという名目で計画を進めたが、何かを感じたのか彼女が囲うため手が出しにくくなった。
そんな時に、ダンジョンから魔物が大量に出現するという事態が発生した。各ギルドからギルド長や補佐が町を出て対応に追われ、これ幸いと、ノマドはイーリーにその役目を命じて町から追い出した。更に目障りだった衛士を使い、冒険者の賃金を巻き上げる事を考えた。衛士は冒険者をよく思っていなかった為に積極的に巻き上げ行為を行い、それにより金回りが悪くなった冒険者、主に魔術師を、保護の名目で次々とギルド預かりにした。そうして洗脳した魔術師を、その貴族へ送っていたらしい。
「その貴族は偽名を使ってたみたいで分からなかったみたいだけど、ギルド長…ノマドとリカッツ、ガロウズは…処刑されたよ。今は、イーリーさんがギルド長で、リータさんが補佐になってる」
「そうか…」
「貴族の屋敷が破壊されたのは想定外だったみたいだよ。本当は魔術師を使って俺たちを襲い、それを罪に仕立て上げて拘束するつもりだったみたい。衛士を調子に乗せすぎたって、言ってたらしいよ」
「…なんともざるのような計画だね…」
本当に酷い話だ。町中で暴れた魔術師やファランは、ナハト等を拘束するためにギルド長から貸し出されたという事だろう。ふと気づき、ナハトはヴァロに問いかけた。
「洗脳を受けた魔術師はどうなったんだい?ファランさんやノイエさんがいたはずなんだが…」
「あっ、うん。全員治療中だよ。イーリーさんの話では、時間はかかるけどみんな元通りになるって。…ナハトも、されたんでしょ?大丈夫なの?」
「平気だ。何故だかはわからないがね」
これだけは本当に何故かわからない。寝すぎでぼーっとしている部分はあるが、頭もしっかりしている。何も問題ない。
そんなナハトにあからさまにほっとした顔をして、ヴァロは話を続ける。
「他の、関係した職員は、高額な罰金を課せられてまだギルドにいるよ。払えない分は、給料から引かれるんだって」
"他の職員"という言葉に、脳裏にナハトを拘束した男達の顔が浮かぶ。完全に思い出し切る前に首を振り、目を瞑ってやり過ごす。心配して頭を擦り付けるドラコを撫でると、少しだけ嫌悪感がマシになった。
視線を感じて顔を上げると、ヴァロが真っ直ぐこちらを見ていた。その顔は少し怒っているように見える。
「ヴァロくん、どうし…」
「ナハト、処罰の内容については罰金しか言わなかったよね。本当は、俺が処刑されるところだったのを、ナハトが助けてくれたんでしょ?」
「いや、私は…ごねただけだ。君を助けたのは薬と…」
「違うよ。ナハトが助けてくれたからだ。それに…まだなにかあるんでしょ?」
そう言われた瞬間、今度こそはっきり思い出してしまった。肌に触れた男の顔と手。
「ぐっ…!」
「ギュー!?」
「大丈夫!?」
込み上げた吐き気に口を抑えると、ヴァロが大きな手で背中をさすってくれた。それを気持ちが悪いと思わない自分に驚く。
そう言えば、ヴァロには触れられても不快感を感じない。撫でられる手に意識を集中すると、すーっと吐き気が薄くなる。
礼を言って体を起こすと、ヴァロが手を引くが、ナハトはその手を取ってマジマジと見つめた。
大きな手だ。よく見れば、ベッドの方が高い位置にあるのに、椅子に座るヴァロの方が目線が高い。これほど体格差がある事に、今更ながら気が付いた。出会った頃はこの大きな体が怖かったものだが、いつからかナハトが彼を守らなければと思っていた。そして今は、その大きな体が安心する。
(「ああ。私は怖かったんだ…ずっと」)
ずっとずっと怖かった。大きな体の優等種に囲まれ、劣等種など簡単に殺せるような者達とやり合い、時にはねじ伏せる。だけれど、どれだけ怖くともナハトにはドラコがいた。それが、1人になって、優等種の中に置かれて、初めて自分がどれほど恐怖していたのかを思い知った。思い出してしまった。
「…やっぱりギルドで何かあったんだ…。ちゃんと話してよ。終わったことでも俺は知りたい。今ナハトが苦しんでるなら、それを取り除きたいんだ」
「…気持ちのいい話じゃないぞ?」
「それでも」
「…君は言わないのにかい?」
「俺が言わなくても、俺がどうだったかなんてナハトは想像つくんじゃないの?」
「…いつの間に君はそんなに卑怯になったんだね」
はあと息を吐くと、ナハトは重い口を開いた。
無理矢理よく分からない薬を飲まされ、洗脳の魔法をかけられた事。目が覚めたら、強姦されていた事。口にするとたった一言で済んでしまう言葉であったが、腹の中に鉛を落としたように重かった。
「…とは言え未遂だ。私はあの男の股間を蹴って顎を砕いたのだから、まあ…」
「…笑わないでいいよ」
真っ直ぐにそう言われて、ナハトは息を呑んだ。ヴァロの、握った拳が震えている。
「顎の怪我なんて治るじゃないか。でも、ナハトはずっと傷ついてる。笑わないでいいから」
「なんで君が泣きそうなんだ」
「ナハトがそんな顔で笑うからだよ…俺、そいつを…!」
「やめてくれ」
制止の言葉を口にしたナハトを、ヴァロは驚いた顔で見る。眉を寄せて、だが明確にやめろと意志を持った目で見られて、上げかけた腰を下ろした。
するとナハトは表情を柔らかくして口を開く。
「優しい君が苦しいながらも戦うと決意したのに、最初の相手がそれでは拳が汚れる。それに…イーリーさんがもう処分を下してくれたのだろう?なら、もうそれでいい」
ナハトがされた事に怒って、その拳を振るおうとしてくれた。それだけで重かった腹の中が少しだけ軽くなる。嫌がるヴァロの頭を撫でると、ナハトは薄く笑った。
「おう、来たか」
呼び出されて後日ギルドを訪ねると、いつも案内されていた応接室に通された。いつも通り椅子に腰掛けたイーリーは、これまたいつも通り乱雑な座り方でナハトたちを迎え入れた。ナハトが劣等種と分かっても、彼女も何ら態度を変えない。それが本当にうれしい。
ナハトたちが座ると、イーリーは居住まいを正した。
「まず…元ギルド長、ノマドの件は本当にすまなかった。謝ってもどうにもならないが、これで納めてほしい」
そう言って差し出されたのは金貨が入った袋。罰金として払った分の、1.5倍ほどの金貨が入っている。
「イーリーさん、これは…」
「受け取ってくれ」
有無を言わさずそう言われ、ナハトとヴァロは頷いて受け取った。これは金額でしか表せないギルドからの誠意だ。受け取らねば、イーリーはずっとナハトたちに申し訳なく思い続けてしまうのだろう。
「関わった職員は全員処罰したし、使われた部屋も今は全て閉鎖している。というか…騎士と貴族が来て、あらかた回収していった。魔法陣自体破壊されたし、早々簡単にできる物じゃないからなな、安心していい。洗脳された魔術師たちは、今はしっかりこちらで管理して回復に向かっている」
「そうですか…。それはよかった」
「お前は本当に何ともないのか?」
問われて、ナハトは頷いた。本当に何もない。効かなかったわけではないので、解けたという方が正しいのだろう。
「お前の種族は関係してると思うか?」
「それについては何とも…。私は、私以外の人をよく知りませんので…」
「そうか…。だが、何ともないのは良かった。実は、洗脳された中にアンバスがいてな…」
「ええっ!?」
「やはり…」
思わず呟いた言葉にイーリーが問いかけてくる。それに、サンザランドの時に感じた違和感を伝えると、納得した様に頷いた。
「あいつは、実験的に少しずつ洗脳されていたらしい。食べ物や飲み物から徐々に薬を飲ませてな。だから少しずつ判断力や戦闘力が鈍ったんだろう」
「そうでしたか…。今はもう、大丈夫なのですか?」
「ああ。お前らに助けられてから長らく目が覚めなかったんだが、目が覚めたらすっかり良くなっていて、洗脳された形跡もないらしい。本当に頑丈だよな。筋力落ちてるから、今はまだ訓練中だが、また、新人の指導を頑張ると言っていた…お前たちに礼を言っていたぞ」
笑うイーリーに笑顔を返しながら、ナハトの頭の中は、ひょっとして神秘の花には洗脳を解く効果もあるのかという事でいっぱいだ。やはり容易には使えないなと心にに刻み込んで、ずっと気になっていたことを問いかけた。
「あの…本当に全て終わったのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
ナハトの問いに、イーリーは怪訝な顔を返す。
「そのままの意味です。結局のところ、私たちの処分は一方的に言い渡されて終わりましたが、私達の刑が軽くなったのはクローベルグ侯爵の名前を出したからでしょう?それは分かるのですが、本当にそんなことであれだけの事が収まったとは思えないのです…」
「ああ、そういう事か。それならあたしも分からん」
「えっ…?」
驚いてイーリーを見ると、イーリーは苦笑いをしながらこちらを見ていた。落ちてきた髪をかき上げながら、ため息混じりに口を開く。
「貴族のことはあたしらには分からんよ。あちらはあちらで、あたしらが思いもつかないルールの元動いてる。あちらがいいと言ったなら、それ以上はわからない。だから、この話はこれで終いなんだ。どれだけ分からなくてもな」
そういうものなのだろうか。ナハトとヴァロが知る貴族は、唯一言葉を交わしたクローベルグ侯爵とナナリアだけ。彼らが特別気安かっただけで、本来なら裁定の場で見た貴族が、貴族らしい貴族というものなのだろう。
ならばイーリーが言う通り、考えても無駄だ。違和感はあるが、どうにも出来ないのだから飲み込むしかない。
「貴族の話が出たから、あたしからも一ついいか?」
イーリーが言いにくそうに口を開いた。
「覚えていたら教えて欲しいんだが…」
「何でしょう?」
「ディンという男の人相を覚えているか?」
問われて、ナハトは頷いた。ディンというのは覆面のあの男だ。覆面をとった顔も見たし、人相はしっかり覚えている。
「切れ長の目の長身の男です。耳はこう三角で、髪の色は金髪で短かく、目の色は黒でした。立ち姿から隙が無い、かなりの手練れです」
「そうか…。実はな、その男だけ行方が分からないんだ」
「えっ…?」
「どういう事ですか?」
「見たとい奴らが言う人相がバラバラでな。髪の色も耳の形も、見たやつによって違う。貴族の方でも探しているが…こうもバラバラだと捕まらないだろう」
「そう…ですか」
何とも気持ちが悪い。ヴァロはディンを良く分かっていないようだが、ナハトは何度もその姿を見ている。それが、人によって見た姿が違うとは、得体の知れないものが背中に張り付いている様な不快感がある。
「ノマドもディンについてはよく知らなかったらしい。貴族に紹介されたらしいから、何か目的があって動いていたことは確かだと思うがな。この男は貴族の方が中心に追っているから、あたしらの出る幕はないな」
「そうですね…」
それとと言って、イーリーは懐から己の身分証を出した。光にかざす様に傾けると、ナハトたちが持つものと材質が違う様に見える。
「あの、これは…?」
「これは特殊な加工をした身分証だ。この加工をすると、ギルドにある転移の魔法陣を自由に使える様になる」
「転移の…」
「魔法陣…?」
「見せた方が早いな」
案内されて行った先は、ギルドの最上階の部屋だった。常に扉の傍に職員が立っており、その職員の持つ魔石でしか扉を開けることができないらしい。
その扉の先に、その魔法陣はあった。興味津々なドラコを撫でて、部屋へ入る。
「これが…」
「転移の魔法陣だ。それなりの大きさのギルドにはこの魔法陣があって、これで簡単に行き来ができる様になっているんだ。ただこれは、決まった者しか使えない。この加工をした身分証を持つものしか使えないようになってるんだ」
「では、イーリーさんはこれで移動を?」
「ああ。これでダンジョン都市まで行っていた。でだ、お前らもこれを使えるようにするから、役立ててくれ」
「えっ…」
「ええっ!?」
驚いて2人して呆けると、イーリーは吹き出した後に、悔しそうに眉を下げた。
「……最初に、ナハト。お前を無理やりギルド預かりの魔術師にしようとしたろ?あの頃にはもう、ノマドは預かった魔術師を洗脳していたんだ。それにあたしは気づかず、良かれと思って預かった魔術師も、みな洗脳された。お前らが巻き込まれて、お前らが抵抗しなかったら、この件は明るみに出なかったかもしれないんだ。あたしは、町の外にいたからな…」
「…イーリーさん…」
「お前らは目的があって、ダンジョン都市に行くんだろう?この国は広い。馬車を使っても何ヶ月もかかる場所もある。それがこれを使えばすぐだ。だから、お前らの目的のために、これを役立ててくれ」
そういう事ならば、受け取らないのは失礼だ。「ありがとうございます」と丁寧に口にして、ナハトとヴァロは頭を下げた。




