第23話 泣き虫の決意
案内された部屋は、ナハトたちが宿泊している宿の部屋ほどの大きさだった。簡素なベッドと薬品の匂いに、どうやら医務室のようだとあたりをつける。
「薬品とベッドは好きに使え。必要なら医務官を呼ぶが…」
「い、いいです。自分たちで出来ます」
「そうか。…恐らく、呼ばれるまではしばらくかかるだろう。それまで休んでいろ」
言うだけ言って、騎士は部屋から出ていった。鎧同士がぶつかるガチャガチャした音が遠くなり静寂が訪れる。
「…ヴァロくん、下ろしてくれ」
動かないヴァロにそう言うと、ヴァロはゆっくりと動いてベッドへ近づいた。縁に座らせるようにナハトを下ろして水と薬を取りに戻り、それらを箱ごと床に置くと、その横に座り込んだ。
「……?」
無言で治療を始める様子を不審に思っていると、手当てされている手に、ぽたりと何かが降ってきた。それに思い当たって、ナハトは困ったように笑いながら手を伸ばす。ふわふわした真っ白な髪を撫でると、またぽたぽたと落ちるそれが、手を伝って流れて行く。
「……なんで顔をしてるんだ、ヴァロくん」
声を抑えて泣くヴァロの頭を撫でていると、そのまま手を引かれた。膝立ちになったヴァロに正面から抱きしめられて、ずきりと傷が痛む。
「ヴァロくん、痛い…」
「…ごめん!…ごめん……本当に…。ナハトを1人にして…こんなに怪我させて、ごめん…」
「…君のせいではないよ」
子供をあやすように背中を叩く。触れた背中はすっかり治っていて、火傷の痕はもうない。自分もあれほどの怪我を負い死にかけていたというのに、ナハトの怪我に苦しみ涙を流す。その優しさが嬉しくも、己を顧みない彼の事が少し心配になる。
「ヴァロくんは、痛いところはないかい?」
肩口に顔を埋めたまま、ヴァロはこくりと頷く。それならいいと笑えば、抱きしめる力が強くなる。苦しさに思わず呻くと、少しだけ力が緩んだ。
「ごめん、何も分からなくて…」
「酷い怪我だったんだ」
「ナハトだって酷い怪我じゃないか!」
「…私の怪我は死ぬほどのものじゃない。君がそんなに悲しむ必要はないんだ」
「なんでそんな事…!」
やっと顔を上げたヴァロの頭を撫でて、ナハトは口を開く。
「ギルド長は私を…魔術師を集めて洗脳して、何かをしたかったようなんだ。衛士が私たちを襲ったのも、君と私を引き離して、私を捉えるためだったんだよ」
「…やめてナハト」
「だから、君は巻き込まれただけだ。私が君を…」
「やめてってば!…俺がナハトについて行きたいって言ったんだ!俺が、自分の意志で、ナハトとパーティになったんだ!俺も当事者だよ!巻き込まれたなんて、言わないでよ…」
そう言われて、また間違えてしまったとナハトは目を伏せた。また、ヴァロの気持ちを無視してしまった。そうだった、ヴァロがナハトについて行きたいといったのだ。どうしてもついて行きたいと、役に立ちたいと、そう言って純粋無垢な好意をぶつけられたのだ。
(「…私は嬉しかったんだろうな」)
ゲルブ村にいた時は、ナハトに関わりたくないと思う者が大半だった。だから、そうではない人たちには殊更丁寧に接していたし、優しい師父に嫌われないよう、ナハトを嫌っていない人たちの役に立てるよう、己の価値を示すことで居場所を守っていた。
ナハトの方が向けられる好意に依存していたのだ。危なくなった時に一人でどうにか出来そうなことを、己の力で大部分を如何にかできそうな方を選ぶ事も、ドラコを預けようとしたのも、根底にあるのは嫌われたくないという思いだ。自分が好ましいと思う相手に、拒絶されたくないという感情だ。
だから何かあってもヴァロにはぎりぎりまで説明しないし、必要な事しか言わない。自分の事で傷つけたくないと思っているからだ。ヴァロに戦ってもらうというのだって、アンバスが強制するまで全く考慮に入れなかった。嫌な事はしなくていい、無理をすることは無いなんて―――冒険者になった以上、決して目を瞑っていい事ではなかった。怖いけれどそれでもついてきたいと言ってくれたことが嬉しくて、だから無理のない範囲で、彼が嫌だと言わない範囲で、そうしてナハトが一人になりたくなかったのだ。
「…ヴァロくん、すまない」
ナハトはあまりに独りよがりであったと恥じ入った。少なくとも、ナハトの怪我にこれほどまで心を痛める者がいることを忘れるべきではなかった。謝罪の言葉を口にすると、ヴァロは首を横に振る。
「違う、ごめん。謝って欲しいわけじゃない。…俺が悪いんだ。俺が戦わなかったから…人を殴りたくないって言ったから…。なのに、ついて行きたいって、頼れなんてわがまま言ったから…!」
「ヴァロくんそれは…」
ヴァロはまた首を横に振る。
「俺がナハトについて行きたいんだ。ナハトを守りたいのも俺だ。なのに、怖いって甘えて…ナハトが許してくれるから、それでいいんだって、結局戦えなかった」
「ヴァロくん…」
「俺、今度こそ頑張るから…。戦うのも躊躇わない。俺に、覚悟が足りないのがいけないんだ。ナハトを守って、怪我もしないようにする…だから、俺のこともナハトの内側に入れて。外に、置いて行かないで…」
体は大きいのに、まるで子供のように泣きつかれて、ナハトは眉を下げて微笑んだ。
「ヴァロくん、君は本当に泣き虫だな」
「ぐすっ、ごめん…」
「…私もごめんよ。考えても見れば、君のような大男を守ろうだなんて、なんともおこがましい事を考えたものだ」
「い、言い方…」
「だからね…」
くしゃりとナハトはヴァロの頭を撫でた。ふわふわの髪と、しょげて垂れた耳が、撫でる手に合わせて揺れる。
「私も今度はちゃんと君に必要な事を言うようにする。自分だけでどうにかではなく、君とどうにか出来ないかを考えるようにするよ」
「う、うん…!」
笑って顔を上げたヴァロの涙を拭ってやると、急に冷静になったのか、突然顔を真っ赤にして放れた。それが妙に面白くて、ナハトは声をあげて笑った。
「…今更なんだけど…」
手当てを終え、疲労で眠りそうになるのを堪えていると、ヴァロが戸惑いがちに声をかけてきた。
ナハトはベッドの上で壁にもたれ、ヴァロはベッドの脇に置かれた丸椅子に腰掛けている。
「…ここ、どこ?」
「……ふふ、確かに今更だな。ここは貴族エリアにある、カントゥラ伯爵の屋敷に隣接する建物の中だ」
「えっ!伯爵の!?」
「ああ。君は、どこまで覚えているんだい?」
「俺は…爆発で背中をやられてからのことは、はっきり分からない」
「そうか…」
ふうと息を吐いて顔を上げると、どこか辛そうにこちらを見る瞳と目が合う。後ろ向きな事を考えていそうなその顔に、ナハトは右手を差し出して口を開く。
「どうしたんだね?…また、撫でてあげようか?」
「や、やめてよ」
ナハトにそう微笑んで言われて、込み上げたできたものを誤魔化すようにヴァロは両手を振った。
「それで、なんでここにいるの?」
「私たちが逃走した際に、衛士から攻撃を受けただろう?あの時に貴族の屋敷の近くまで来てしまったようで、貴族の屋敷の一部が破壊されたらしいんだ。その罪で、連れてこられたんだよ」
「で、でも…壊したの俺たちじゃないよ?」
「ああ。だが貴族にとっては、関係者というだけで罪になるらしい」
「そんな…」
愕然とした顔のヴァロに、心配するなと口にしかけてふと思う。ありのままを話さないことは、ヴァロの言う、内側に入れていないことになるのだろうか。
だが、恐らく最初に言われた裁定は下されない。少し休むことができた事で多少動くようになった頭で考えると、現状のようになったのは、ナハトたちがナナリアの薬を使ったからだ。瓶には紋章が描かれていたが、あれはクローベルグ侯爵の紋章なのだろう。そして、貴族たちはナナリアの薬の有用性を知っているに違いない。だからこそ瓶を取り上げ、なぜ持っていたのか執拗に聞いてきたのだ。万が一ナハトたちが侯爵と面識がにあった場合、問題が生じる可能性があるから。
カントゥラ伯爵らと違い、あれ程よくしてくれたクローベルグ侯爵が、ナハトらについての問い合わせを無下にするとは思えない。思いたくない。
「…ナハト、少し寝る?」
「ん?ああ、いや、大丈夫だよ」
楽観視するわけではないが、少なくとも処刑は免れるだろう。そうでなくては、わざわざ医務室を提供する意味もない。
考えて、結局ナハトはわざわざ怖がらせることはないと思い、掻い摘んで話すことにした。
「…実は君が目を覚ます前に、一度裁定は下ったんだ。ギルド長が申し立てた酷い申告書によるものだったけれどね」
「えっ!?そん…」
「だけれど、君にナナリアさんから貰った薬を使ったことで、その裁定は取り消された」
「そ、そうなの…?」
「ああ。いろいろ聞かれただろう?いつ貰ったのかとか」
「…そういえば」
「あれで、私たちが貴族と繋がりがあるのかもしれないと思わせることが出来たらしい。そうでなければ、わざわざ医務室を休憩場所にあてがってきたりはしないだろう」
「そっか…。じゃぁ、今はその確認をしてるんだね」
「恐らく、な…」
唯一用意されていた水を飲んで、また壁に寄りかかる。
窓から見える外はもう白み始めていて、夜が明けようとしているのがわかった。牢に囚われていた時間がわからないが、少なくとも丸1日以上、ナハトもヴァロも碌に休めていない。水は口に出来ているが、食事は一切しておらず、体力ばかりが奪われる。
「ナハト休んでいいよ?俺が警戒してるから…」
「有難いけれど、神経が昂って眠れそうにない」
「そっか…。でも無理しないでね?眠れそうだったら寝ていいから」
回復薬で傷と体力は回復したが、疲労感や空腹感は無くならない。キツイのはヴァロも同じだろうに、ナハトを気遣ってくれる心意気が嬉しい。
「ありがとう」
そう返事をしたが、結局次に騎士が来るまでナハトが眠ることはなかった。




