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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第二章
41/189

第22話 貴族と裁判

 ※主人公が女性として襲われる描写があります。

 苦手な方はご注意ください。


 真っ白な霞の中にいるような心地の中、僅かながら不快感を感じた。それは少しずつ霞が晴れて行くのと同時に強くなり、何かが体を這いまわっているような不快感だと気が付いた。そう気が付くと、急速に意識が浮上していく。よく見えなくなっていた目も光を捕らえ、徐々にその不快感の原因を映し出した。

 見知らぬ男が、ナハトの体を弄っていた。


「っ!」


 本当に恐怖した時は声が出ないのだと聞いた事があるが、本当にその通りだった。瞬間的に駆け抜けて行く気持ち悪さと恐怖で、喉が引きつった音を立てる。心臓が早鐘のように脈打ち、全身から汗が噴き出た。だが男はそんなナハトの変化にも気付かぬほど夢中で体を舐めまわす。

 生理的な涙があふれ、体が震えた。しかし、そんな中でも一部分だけ冷静だった頭で気づく。


(「…洗脳が解けてる」)


 覚醒できたのは何故かわからないがチャンスだ。このままこいつをやり過ごし、従順な振りをして外へ出る事が出来れば、この首輪さえ外れれば如何にかできるはずだ。拒否しよう、抵抗しようとする頭と体を無理やり言い聞かせて必死に堪える。こみ上げる吐き気と嗚咽を、口枷を噛み締めて我慢する。溢れそうになる涙も、流れる冷や汗も、必死に、必死に我慢しようと目をきつく閉じた。だが、目を閉じることで感じる不快感が倍になり、男が肌を舐める音が響いて、あまりの気持ち悪さに気が遠くなる。


(「駄目だ、耐えろ…耐えろ…!」)


 胸の傷が舐められ、歯が立てられる。痛みが強くなると少しだけ不快感が軽減される気がした。嫌悪感を逃がすために、痛みに意識を集中する。

 1秒が1時間のように感じられるほどの嫌悪感を、ただひたすらに自身に言い聞かせることで耐えていると、シャツのボタンが全て開けられ、ベルトに手がかかった。それでも必死に耐えようと、強く枷を噛み締めたが、ズボンに手がかかった瞬間、反射的に足を振り上げてしまった。

 本来なら、鎖に繋がれた状態の足は、いくら振りぬこうとしても相手に届かず、鎖を張るだけになるはずだった。

 だが、男はナハトを強姦しようとしていた。その為外されていた足は男の急所を明確に捕らえた。


「あ”っ…が…あ”…」


 男は妙な声を上げながら膝から崩れ落ち、震えながらナハトを見上げた。

 涙が張り付いた眼球でもわかるその顔には見覚えがあった。魔法陣のあった部屋で、ナハトを押さえつけた男の一人だった。押さえつけた時にナハトが女だと分かり、わざわざ襲いに来たという事だ。その下衆さに、卑怯さに、心の底から怒りがこみ上げる。、

 耐えれずにチャンスをふいにしてしまったとほんの一瞬後悔したが、そんなものはすぐに彼方へ吹き飛んだ。必死に耐えた分膨れ上がった怒りと不快感を流せるほど、この男がした行為はナハトにとって軽いものではなかった。枷がなければ、怒りのままに暴言を吐き、殺してしまったかもしれない。だが今ナハトは口枷をされて、腕も繋がれた状態だ。だからこそ唯一自由になる足で、前屈みになった男の顔面を全力で蹴り上げた。


「あがぁっ…!」


 みっともない声を上げて、男がのけぞって倒れた。うまく当たって顎が砕けたようた。男は血を吐き前屈みになりながら、バタバタと牢から出て行った。

 やってしまったという後悔が胸に去来する。だがすぐにそんな事を言っていられなくなった。ヒヤリと肌が外気に触れ、された事による気持ち悪さで嘔吐感がこみあげてきた。


(「駄目だ、吐くな…!」)


 口枷をしている状態で吐いたら、吐き出せない吐しゃ物で窒息する可能性がある。痙攣する胃を押さえつけるように腹を丸め、それでも戻ってきたそれを飲み込んで堪える。生理的にあふれる涙を流しながら、声を抑えて泣いた。今になって、体が震える。


(「くそっ…くそっくそっ!死んじまえ!」)


 叫びたいが、口枷が邪魔で呻く事しかできない。こみ上げる怒りを如何にかしようと、地面を蹴って暴れた。

 そうしてどれほどたっただろうか。暴れ疲れて肩で息をし、その息が収まっても、誰も牢に降りては来なかった。男が逃げたためにすぐ誰かくるかと思ったが、いつまでたっても人が来る気配はない。

 首をひねって服で涙を拭い耳を澄ませていると、少しして扉が開く音がした。複数人分聞こえる足音に逃げた男が誰かに知らせたかとも思うが、それにしては時間が経ちすぎていることもあって、一度操られているふりを通すことにした。目が虚ろに見えるよう中途半端に開いて伏し目がちにし、だらりと全身の力を抜く。


「……なんですか、これは」


 視線を動かさないようにしたため、誰が何人来たかはわからないが、声はギルド長の物だった。不快そうな声と、慌てたような声が聞こえる。


「これは…その、一部の者が勝手に…」

「そんな事はどうでもいい。すぐに整えなさい」

「は、はいぃ…!」

「全く…ただでさえ面倒な事になっているというのに…」


 ギルド長はそう言って、深いため息をついた。

 その間に指示された職員はナハトの肌を拭き、肩と胸の傷の手当てをして衣服を整える。指示された職員も男だ。その男の手が触れる度に嫌悪感で反応しそうになるが、意識を総動員して反応を抑える。どういう訳かあの男は報告に行かなかったようだから、このままいけばうまく事が転ぶかもしれない。


「準備は出来たようですね。では、連れて行きなさい」

「はい」


 ガチャリと鎖が外され、また首の魔道具に鎖が繋がれた。


「来い」


 鎖を引かれて顔を上げると、ギルド長とリカッツ、それと複数の職員が見えた。奥には同じように鎖に繋がれたファランがいる。その中に、ナハトたちを監視していた覆面の男はいない。

 連れられるがまま魔法陣のあった部屋を通り過ぎ、また階段を上ると、真ん中に穴の開いた鉄製の扉の前まで来た。そこに職員が魔石をはめ魔力を流すと、ガチャリと音がして扉が開いた。その先は薄暗い部屋で、職員が壁を押すようにすると、光が飛び込んできた。眩しさが落ち着くと、見えたのはいつか来たギルド長室だった。そこまで来てやっと外の喧騒が耳に届く。

 だが、それに耳をそばだたせる間もなく鎖を引かれ、廊下を過ぎ、階段を下りたその先はギルドの裏口だった。止めてあった馬車にファランと共に押し込められ、監視のための職員が一人乗り込むと、ゆっくりと馬車は走り出した。


(「どこに行くつもりだ?」)


 馬車の窓から見た外は、もういつも通りに戻っているようだった。陽は沈んで薄暗く、大通りの灯りが眩しい。という事は少なく見積もっても、囚われてから1日が経ってしまっているという事だ。


(「1日…。ヴァロくんは、無事なのか…?」)


 ギルド長はナハトを使いたがっている。ナハトの魔力に興味があり、何かをさせたがっているようだった。だから、いつかはこの首の魔道具も外れるはずだが、その時までヴァロが無事でいる保証はない。それがいつなのかも、わからないのだ。

 成り行きに任せるしかない現状が悔しいが、焦ってチャンスを逃す手はない。どこに連れていかれるのかはわからないが、出られたのだ。魔道具を外されるのも、そう遠くないのかもしれない。

 馬車は大通りを進み、一度止まって、また走り出した。窓から見た景色が変わり、貴族のエリアに入ったことが分かる。


(「まさか…」)


 ナナリアと歩いた見覚えのある通りを過ぎ、しばらく進んで、馬車は止まった。そのまま少し経ち、扉が開いて降ろされた先は、予想した通りカントゥラ伯爵の屋敷だった。正確にはその隣にある大きな建物の裏手であったが。

 すぐそばにもう1台の馬車が止まり、そこから豪奢な服に身を包んだギルド長とリカッツが下りてきた。リカッツが扉の前にいる騎士になにやら渡すと、騎士は中身を確認して扉を開けた。鎖が引かれるのに従って歩いていけばふかふかした絨毯が敷き詰められた廊下があり、その先には両開きの大きな扉があった。その前にも、騎士が2人立っている。そこでもリカッツが何かを渡すと、それを確認した騎士が扉を開き、もう一人の騎士を先頭に扉をくぐった。

 くぐった先は大きな講堂のようになっていた。丁度反対側にも扉があり、右手にも似たような扉がある。左手は半円状に高くなっており、そこにはギルド長達などとは比べ物にならないほど、美しい装飾が施された服と貴金属に身を包んだ貴族が、左右に一人ずつ座っていた。

 ナハトたちから見て左に座っている中年の男は、忌々しい者でも見るかのようにこちらを見下ろしていて、怒っているのだろうか、小さな耳がぴんと立っている。右に座る男は左に座る彼とは違って随分と若く、軽薄そうに見えた。オレンジがかった長い金髪を緩く縛っていて、それと同じ色に耳は興味深そうに動き、誰一人として笑っていないのに、場違いなほど柔らかい笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。

 それぞれ傍らには騎士と側仕えを従え、台座の中心には、町のマークが施された紋章を背にした初老の男が座っていた。見た事はないが間違いない、短く刈り込んだ髪と髭の厳つい男、彼がカントゥラ伯爵その人である。

 騎士に誘導され、ナハトたちはそれぞれ机と椅子が用意された場所まで来た。左右にそれぞれ用意された半円状の机の後ろには椅子が2脚ずつ並べられており、ナハトとファランはギルド長達の後ろの椅子に誘導された。座るよう命令され腰かけようとしたその時、ナハトたちが入ってきたのとは反対側の扉が開いた。

 ゆっくりと入ってきた集団、先頭の騎士の後ろを歩く男はあの覆面の男だった。覆面こそしていないが、あの切れ長の目と金髪は間違いない。ギルド長達と同じような豪奢な服に身を包み、こちらへ歩いてくる。

 その後ろ、ギルドの職員に鎖で繋がれ連れてこられた人物を見て、ナハトは思わず踏み出した。


(「ヴァロくん…!」)


 すぐに騎士が間に入り、剣が向けられる。後ろからも鎖を引かれ、バランスを崩してその場に倒れこんだ。

 予想はしていたが、やはりヴァロの傷は手当などされていなかった。傷を見せないように、見苦しくないようにとかけられた布は血で固まり、真っ白な髪と見分けがつかないほど、顔色は青白くなってしまっていた。それだけではない。腕や足には見覚えのない打撲痕や切り傷があり、囚われたヴァロをさらに痛めつけたであろうその痕に、怒りで魔力が溢れそうになる。


「何をしている。立て」


 いつまでもここに座り込んでいては怪しまれる。わかってはいたが、それでもナハトはすぐに顔を上げることが出来なかった。口枷を歯が軋むほど噛み締め、爪が食い込んで出血するほど拳を握りこんで魔力を抑える。

 再度引かれた鎖に従って立ち上がると、何事もなかったように指定された椅子に座った。ヴァロも促されるまま椅子に座る為、ナハトらと同じ魔術の可能性を考えたが、すぐにそうではないと思い至る。怪我と疲労でうまく動けないだけだ。座っているのにもかかわらず揺れる体に、目の奥が熱くなる。

 すると、がしゃがしゃと音を立てて、誰かが後ろの扉から連れてこられた。その人物はナハトと同じような口枷をされていて、更に両手両足に枷を嵌められて、鎖でぐるぐる巻きにされていた。顔どころか全身血と泥で汚れていたが、怒りに歪んだその顔は、ヴァロにあんな怪我を負わせた眼帯の男であった。


「…ははっ」


 小さな笑い声が聞こえて思わず視線を向けると、ギルド長が愉快そうに顔をゆがめていた。こいつらは共謀しているのかと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 ギルド長を見た眼帯の男はこちらに来ようとしたようだったが、縛られた状態では何もできず、床の上をのたうち回るだけになった。あまりに暴れるからか布をかぶせられ、そのまま椅子に縛り付けられるが、それでも男は暴れるのをやめない。


「…もういい、連れて行け」

「はっ」


 ため息混じりの声を辿ると、伯爵の傍にいた男が騎士にそう指示を出した。騎士は一度姿勢を正すと、数人の騎士と協力して男を来た扉から退室させた。

 それを確認して、伯爵の傍らにいた男が口を開く。


「それでは、これより裁定を始める。議長は私、エディク・ナーシェンが務める。この場は、カルツィッヒ・カントゥラの名の下に公平に進めると約束された」


 エディクと名乗った男は、一度そこで言葉を切った。ギルド長とリカッツ、それと覆面の男が立ち上がり、左の貴族、右の貴族、そして正面にいるカントゥラ伯爵に、順に両手を開いて軽く頭を下げた。

 戻ると、またエディクが声を張り上げる。


「では、フォーゲル子爵の屋敷の破壊について、ギルド長ノマド。述べよ」

「はい」


 ノマドはリカッツから書類を受け取り、近くにいた男に手渡した。その男はそれを検分すると、エディクまでその書類を届ける。述べよと言ってはいたが、口でのやり取りではなく、文章でのやり取りのようだ。

 渡されたそれを確認して、エディクは口を開く。


「書状によると、冒険者と衛士の喧嘩によって、子爵の屋敷が破壊されたとある。貴族の屋敷を破壊するなど重罪であるが…ノマド。こちら間違いないか?」

「はい、間違いありません」

「そちら、ガロウズに代わり、代理人のディン。間違いないか?」

「はい。間違いありません」


「間違いだらけだ」と、ナハトは叫びたくなった。裁定というから成り行きを見ていたのにこれでは何の意味もない。訴えをそのまま確認し、間違いないと言ったらそれで終わりなのか。これでは言ったもの勝ちである。


「両者から確認は取れた。それでは裁定を下す。直接の原因となった衛士ガロウズと冒険者ヴァロは罰金の支払いの後処刑。魔術師ナハト、ファランの両名は、ギルドからの訴え通りギルド預かりとする。罰金を肩代わりしてくれたギルドに感謝し、一生仕えることで、その罪を贖いなさい」


 入場してたった数分で確定した刑に、ナハトは目の前が真っ暗になった。


(「今…”処刑”と言ったのか…?」)


 訴えそのものもおかしいが、貴族の屋敷を壊したから処刑というのはどういう事だろうか。貴族の屋敷を壊すというのは、ここではそれほどの罪なのだろうか。

 衝撃と怒りで眩暈がする。そんなナハトの目に、恭しく頭を下げるノマドの姿が映った。


「公明正大なご判断、ありがとうございます」


 下げた頭の下でにたりと笑った顔が見え、ついにナハトはキレた。

 口枷でどうにもならないながらも叫び、前方の椅子を蹴り飛ばす。すぐさま職員が命令してくるが、洗脳が解けているナハトにはそんなもの通用しない。鎖を持った職員をも蹴り飛ばし、ヴァロに駆け寄ろうと踏み出した。


「拘束せよ!」


 そんな号令を待たずとも騎士はナハトを抑えにかかった。そもそも首が鎖で拘束されているのだから、碌に抵抗できずに抑え込まれる。甲冑を来た大柄な騎士たちに押さえつけられ、肺が圧迫されて苦しいがそんな事は言っていられない。ここでどうにかできなければ、ヴァロが殺されてしまう。

 ヴァロは辺りでどんな会話が成されているかなど分かっていないのだろう。虚ろな目で俯いて、そのままゆっくりと倒れた。


「う”ーーーー!」


 手を伸ばしたいが動けない。手も足も拘束され何も出来ない。何も出来ないのか、本当に何も―――出来なくはない。ただ一つ、出来ることがある。


(「させない…絶対に、ヴァロくんを処刑になんてさせない!」)


 ナハトは怒りに任せて抑え込んでいた魔力を一気に放出した。それは瞬く間にに膨れ上がり、衝撃で騎士たちが吹き飛ばされた。だがそれも一瞬で、魔力はあっという間に首の魔道具に吸収される。しかしそれも魔石が吸収できる量までだ。吸収された端から魔力を振り絞り、その魔力を吸収してピシリと魔道具が軋む。


「何をしている!すぐに抑えろ!」

「ですが…!近づけません!」


 騎士が離れたところで喚いている。


(「そうやって離れていろ。その間に魔道具を破壊し、ヴァロくんを救出する…!」)


 魔力の枯渇により込み上げてくる吐き気やめまいを全て無視して、がむしゃらに魔力を放出する。体が悲鳴をあげても、視界が明滅しても魔力を振り絞った。瞬間、パン!と弾ける音がして、魔道具が割れた。吸収されなくなった魔力が爆発したかのように膨れ上がる。風圧に押されて騎士が離れ、道が出来た。

 ナハトは口枷を乱暴に外すと、周囲には目もくれず駆けだした。


「ヴァロくん!」

「動くな!」


 ナハトが到達する前に、騎士がヴァロを取り囲んで武器を向けた。

 慌てて踏み出した足から力が抜け、かくんと前のめりに倒れた事で魔力が霧散し、すぐに駆け付けた騎士たちに拘束された。また口枷と首輪をされそうになり、必死に体をよじって叫ぶ。


「放せ!放せぇええ!」


 喉が千切れんばかりに叫んだが、体は全く動かせない。ならば植物で拘束しようと魔力を込めようとして、ずきりと胸が痛んで息が詰まった。魔力の枯渇だ。目がかすみ、もう少しの魔力も出せない。


「くそっ!…くそ…!」


 一気に体が重くなり、上手く言葉も出せない。悔しさで、涙がこぼれる。

 その時、驚くほど軽い声が降ってきた。


「放してあげなよ。何か訳がありそうじゃないか」


 ざわりと騎士たちからどよめき上がる。そのどよめきを起こした主、ナハトたちから見て伯爵の右側に座っていた男は、戸惑う騎士たちを押しのけてこちらへ降りてくる。


「バレット・アヴォーチカ卿、勝手な真似はやめていただけないか」

「勝手ではないよ。エディク殿が誓った通り、この場は公平な場だ。彼には何か言いたいことがあるようだし、聞かない内に裁定を下すのは違うだろう?」


 バレットと呼ばれた男の言葉に、伯爵は露骨に眉を顰めた。だがそれだけで、特に行動を止める言葉は出ない。それを了解と受け取ったのか、バレットはゆっくりとこちらへ降りてきた。

 その前に、ノマドが飛び出してくる。


「お待ちください。恐れながら、裁定はすでに下りました。この者は私たちギルドの管理下となりましたので、こちらで対処いたします。お騒がせして…」

「ちょっと黙ってくれるかな。僕は君に発言を許可した覚えはないよ」


「下がらせて」と騎士に伝えると、騎士は心得たようにノマドを拘束する。慌てるノマドを無視して、バレットはナハトを拘束する騎士たちにも下がるよう言う。


「しかし…」

「僕がいいって言ってるんだ。それに可哀想じゃないか。こんな小さな子を寄ってたかって押さえつけて。君、大丈夫か…」

「っ!ヴァロくん!」

「こらこら、待ちなさい」


 押さえつけられる力が弱くなったのを見計らってナハトは飛び出したが、駆け寄る前に肩を掴まられ引き倒されてしまった。尻餅をつくように後ろに倒れ込み、揺れた視界に吐き気がこみあげ、思わず口を押えて蹲る。

 そんなナハト見下ろして、バレットはにこりと笑って口を開く。


「僕は君の話を聞くためにわざわざ降りて来たんだ。さあ、話してごらんよ」


 至極楽しそうに言われて、ナハトは眉を顰めた。疲労と、魔力の枯渇による眩暈と吐き気、繰り返し押さえつけられた体は軋み、衛士や冒険者にやられた傷も痛み、更にはここまで飲まず食わずで脳は悲鳴を上げている。今にを気を失いそうだが、それだけは出来ない。

 狭窄を起こした狭い視界のまま、ナハトは辛うじて顔を上げた。だが、バレットはそんなことお構いなしに喋り続ける。


「ほらほら、話さないのかい?」

「……」

「君が話さないなら、彼は処刑だけど?」

「…っ!」


 なんて性悪な貴族だと心の中で罵った。だが、話を聞いてくれるならば、今こそチャンスかもしれない。口を開けば出てしまいそうな吐き気を堪えて、必死に声を絞り出す。


「私たちは…被害者、です。宿にいたところを、攻撃され…衛士に、襲われて、怪我を負いました。そのまま…私はギルドに拘束され、彼は、衛士に拘束され…暴行を受けました。全て、ギルド長が仕組んだことです」

「なるほど?もしそれが本当なら、ギルド長は何がしたかったのかな?」


 そんな事は知らない。緩く首を振ったが、バレットは納得しない。

 ほらほらと促され、歯を食いしばって口を開く。


「…分かりません。ただ、ギルドには…洗脳された魔術師が大勢います」


 洗脳という言葉に、バレットと伯爵がピクリと反応した。その視線はこの騒ぎでも無反応なファランに向き、職員とリカッツが後ろに下がる。

 伯爵が手を振ると、騎士はリカッツと職員を拘束した。抵抗する2人を無視して、バレットはファランの前に手を出して振る。だが、やはりファランは無反応だ。


「ふむ…。それで?」


 そう聞かれて、ナハトの方が首を傾げたくなった。


(「それでとはどういう事だ…?」)


 それが伝わったのか、呆れたようにバレットは口を開く。


「だから、君がいう事が本当だとしてもだ。君たちのせいで子爵の屋敷が破壊されたのは間違いないのだろう?なら、何も間違いはないじゃないか」

「大ありだ!私たちは何も…!」

「しただろう?君たちが狙われて、そのせいで子爵の屋敷が破壊された。洗脳とかあったみたいだけど、君は洗脳されていないじゃないか。なら、やはり君たちのせいでこれは起こったことだろう?」


 愕然とした。彼ら貴族にとって、それ以外の者たちの事などどうでもいいのだ。子爵の屋敷が破壊されたことが何より重要で、それに関係した者たちは全員処罰の対象。被害者も加害者も関係ないのだ。


「頑張ったのに残念だったねぇ。まあいいじゃないか。君は助かるんだし」

「……良くない。何も良くない!私が助かっても、彼が死んだら意味がない!」

「あっ、君たちってそういう関係?」


 くすくすと楽しそうな声が降ってくる。

 なんて茶番だ。わざわざ壇上から降りて来たのは、哀れな平民を揶揄するためだったのだ。それが分かっていたから伯爵は止めず、騎士も彼の言葉に従ったのだ。

 ナハトは震える膝に鞭打って立ち上がった。足を引きずりながらも前に出て、議長であるエディクに問いかけた。


「発言してもよろしいですか?」


 エディクは嫌そうに顔を顰めたが、彼の代わりにバレットが「いいよ」と答える。その声色はどこまでも楽しそうで、怒りを煽る。


「私と彼の罰金はいくらでしょうか?」

「……合わせて大金貨10枚だ」

「でしたら、それはお支払いします。それと、処刑の対象を変更してください」

「……なに?」


 怪訝な顔をするエディクに、ナハトは声を張り上げた。


「ガロウズが狙ったのは私だ!だから直接の原因は、私とガロウズにある。処刑するなら私にしろ!」


 ざわりとまたどよめきが起こる。困惑した顔のエディクに代わり、バレットが口を開く。


「冒険者風情に大金貨10枚も払えるとは思えないなぁ」

「…お疑いなら、これを好きに使えばいい」


 懐から身分証を取り出し突き出した。ヴァロの身分証もポケッから取り出すと、にやりと笑うバレットが視線を向ける。伯爵が頷いて、文官がこちらへ歩いてきた。差し出されたトレイに身分証を乗せると、その場で文官は指輪をつけた手をかざした。すると指輪が光り、身分証を包み込む。

 ほんの少しの躊躇いを見せて、文官が「確認しました」と言うと、バレットの顔が驚きに染まった。


「凄いなぁ、本当に持ってるんだ。それだけ優秀な魔術師なのに、代わりに殺されてもいいんだ?」

「構わない」


 直接の原因でない者が罰金だけの罰ならば、払うことが出来ればヴァロは自由の身だ。元々ヴァロもドラコもナハトに付き合ってくれただけ。ギルド長の目的もナハトだったとわかった今、本当の被害者はヴァロとドラコだ。


(「…ごめん」)


 巻き込んでごめん。傷つけてごめん。ナハトはそう心の中で謝りながら、どうかドラコを頼むとヴァロに願った。意識がない彼に伝えるすべはないが、彼は優しいからきっと大切にしてくれる。だから、ここで死んでもいい。

 エディクが頷いて、ナハトを連れて行くよう指示を出す。それに手を挙げて、ナハトはまた口を開いた。


「抵抗はしない。だから、彼に薬を使わせて欲しい」

「…こちらからは提供しないけど…?」


 振り返ると、バレットがにっこり笑いながら首を傾げる。貰えるとは思っていない。本当なら神秘の花を咲かせたいが、そんな魔力は残っていない。

 だけれど、隠し持っていた薬が一つだけある。

 ナハトは騎士の間を縫ってヴァロに近づいた。血が滲んだ背中は膿んでいるようで酷い匂いがする。


(「…本当に、ごめん」)


 傍に膝をついて右足のブーツのファスナーを下ろすと、折り込んだズボンの裾に隠されていた、少し厚みのある平べったい小瓶が出てきた。


(「これだけでも、隠しておいてよかった」)


 衛士からの執拗な手荷物検査で取り上げられないよう隠し持っていた、ナナリアから貰った薬だ。よく効くと言っていたのだから、そこらの回復薬よりは効果があるに違いない。体力だけでも回復すれば、少なくとも命が危ない今よりはマシになるはずだ。

 うつ伏せでは飲ませることが出来ないため仰向けにしようと手を入れるが、そもそも疲労困憊のナハトでは、ヴァロを横向きにすることすら出来なかった。


「あはは!大変そうだねぇ」


 笑うバレットを無視して、ナハトは近くにいた騎士を見上げた。


「申し訳ないが、手を貸していただけないだろうか」

「…あっ…」


 戸惑った様子の騎士は、チラリとバレット見る。命令がなければ動けないのだとわかって、そちらを向いて頭を下げる。


「お願いします」

「……」


 抵抗をやめたナハトに興味を無くしたのか、バレットはつまらなそうに手を払った。それに従い、騎士がヴァロを仰向けにしてくれる。


「…ありがとうございます」

「……」


 礼を言って、瓶の蓋を開けようと掴んだ。だが震えて力が入らず、口に咥えて蓋を引き抜いた。意識がない状態で飲ませるのは危険だが、ヴァロには一刻も早く薬が必要だ。せめて咽せないよう、少しずつ口に垂らして行く。

 そうして全て飲ませると、驚くべきことが起きた。


「えっ…」


 僅かにヴァロの体が光り、しゅわしゅわと音を立てながら傷が塞がっていったのだ。ナハトだけではなく騎士たちの間にも困惑したような声が広がる。


「…何を飲ませた?」


 バレットの顔からは笑みが消えていた。答える間も無く待っていた瓶を騎士に取り上げられ、それはバレットに渡される。

 今さらそんなものどうでもいい。傷が治るなら、ヴァロが助かるならそれでいい。

 光と音が消えた時には、ヴァロの傷は綺麗さっぱり治っていた。安心からか力が抜け、崩れるようにヴァロの上に倒れる。


「…うっ…」


 目を開けたヴァロが見たのは、見たことのない天井と自分を見下ろす騎士たちだった。慌てて体を起こそうとして、肩口にかかる重みに停止する。頭だけ起こしてそちらを向くと、そこにいたのは全身傷だらけのナハトだった。


「…よかった」

「ナハト!?」


 一度萎えてしまったナハトの体は、もういうことを聞いてはくれなかった。どれだけ力を入れようとしても、体を起こそうとしても震え、少しも動いてくれない。


「どうして…こんな…!」


 ヴァロが抱え起こしてくれるが、その手は震えていて、今にも泣きそうな顔をしている。そんな顔をしないで欲しいと思いながら、ナハトは笑いかけた。

 そしてその不自然な態勢から、バレットに言った。


「もう結構です。どこへなりとも連れて行ってください。申し訳ないが、自分では動けそうにありません」

「待って…待ってよ!どういう事?ナハトをどこへ連れて行くつもりだ!」


 近寄ってくる騎士に、ヴァロはナハトを抱えて下がる。囲むように少しずつ包囲されら状況に、抱える力が強くなる。


「ヴァロくん、私を下ろすんだ。抵抗してはいけない」

「出来ない…そんなこと出来ないよ!」

「駄目だ。これは取引なんだ。私が提案して、あちらがそれをのんだ。反故にしてはいけない」


 そんなと、ヴァロが息をのんだ。混乱しながらも守ろうとしてくれるのは有難いが今は駄目だ。もう一度下ろすように伝えると、またどこかで楽しそうな声が降ってきた。


「盛り上がってるところ申し訳ないが…君、これどこで手に入れたの?いや、どうやって手に入れたのかな?」


 そう言ってバレットが振ったのは、ヴァロに飲ませた薬の瓶。今度は何だとナハトは思ったが、考えるのにも疲れそのまま答える。


「…クローベルグ侯爵のお嬢様から頂きました」

「君が?…どうして?」

「私たちが…」

「迷子だったお嬢様を侯爵のところまで送り届けた。その時に貰ったんだ」


 満身創痍のナハトに代わってヴァロが答える。それでもバレットは構わないらしく、「なるほど?」と呟くと、また口を開く。


「それはいつ頃?」

「…3ヶ月くらい前」

「侯爵様のご息女のお名前は?」

「な、ナナリア・クローベルグ…様」

「ふむ…。侯爵様のお名前は?」

「…ニグル・クローベルグ様」


 薬の空き瓶は、いつの間にか伯爵の手にまで渡っていた。エディクも傍に立つ文官も、こちらとは別の意味で慌てたようなその様子に不安が募る。


(「…なんだ…?どういう、状況だ…?」)


 朦朧としながらも、ナハトはなんとか意識を保って伯爵たちの様子を見ていた。すぐに連れて行かれると思っていたのに、貴族の視線は瓶に釘付けだ。ヴァロを取り囲んでいた騎士も距離を取り、命令を待っている。

 少しして、咳払いの後に伯爵が口を開いた。


「先程の裁定を取り消し、一時中断とする。…全員連れて行け」

「待っ…!」


 声を出そうとしたヴァロの服を引き、ナハトは首を振った。状況は全く分からないが、発言をそのまま受け取るならば、裁定は取り消された。あの薬が、ナナリアから貰ったアレが、その理由であることは確かなようだ。

 伯爵の傍にいた男が騎士に何か伝え、騎士は頷くとこちらへ歩いてきた。警戒したヴァロの体が強ばる。


「…部屋を用意した。案内する、ついて来い」


 それだけ言って、騎士は歩き出す。どうしたら良いかと困惑した顔のヴァロに頷くと、ヴァロは唾を飲んで、ナハトを抱えたまま後へ続いた。












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