第21話 洗脳の魔法陣
目を覚ますと、火に照らされた薄暗い石の床が目に入った。見覚えのないそれに顔を上げるが、肩と胸の傷が痛んでバランスを崩す。だが、体は倒れることはなく、前につんのめったような不自然な形で止まった。唯一比較的自由になる頭を動かして確認してみれば、両手両足が鎖で繋がれ、足は地面についているが、腕が上から吊るされているような状態になっていた。
「これは…」
思わず出た声は、思っていたよりも反響して響いた。見れば前方には鉄格子があり、その向こうには同じ材質の通路がある。窓がない事からしても、ここは牢のようだ。
頭を動かした拍子に、顎に固い感触を感じた。触れられないので分からないが、何か固い金属のようなものが首につけられている。無機質なその感触は、自分は囚われたのだと嫌でも理解させた。という事はここは衛士の詰所の地下かどこかだろうか。そう思い、見渡して気が付く、ドラコとヴァロはどこだ。
「おや、目覚めましたか」
聞き覚えのある声にそちらを向くと、ギルド長がリカッツを伴って歩いてきた。それで理解する。すべてこのギルド長の企みであると。
その証拠に、相変わらず眉毛で目が見えないが声色でわかる。彼は笑っている。
「大人しく協力していただければ、こんな手荒な事はしませんでしたのに…」
それは果たしてどうだろうか。断ったから事を起こしたのだとしたら、協力したところで碌な事はなかったに違いない。こんな極端な事をする奴が、協力したからと言ってただで済ますとは思えない。
「…ドラコとヴァロくんはどこですか?」
「ふむ…。すぐさま仲間の心配とは、泣かせますね」
「答えなさい」
「囚われの身だというのに、随分と尊大な…まあいいでしょう。そうしていられるのも、今の内だけですからねぇ」
ああ嫌だ。どうして悪意を持つ人間は皆一様にこうして笑うのだろう。にたりと笑った顔は、吐き気がするほど楽しそうに見える。
「ドラコというのは…あのトカゲですかね?あれは逃げましたよ。野生に帰ったんじゃないでしょうか。仲間の彼は、衛士に引き渡しました」
「なにを…!」
「ははは、あの状態では長く持たないでしょうがね」
その言葉にかっと体が熱くなる。こいつは何を言っているんだと、怒りで呼吸が震えた。いったいナハトたちが何をしたというのか、ヴァロが何をしたというのか。ただギルドで依頼を受けて、冒険者として働いていただけなのに。ヴァロに至っては、ナハトに付き合っていただけなのに。
「ふざけるな!彼を解放しろ!!!」
胸の傷口から血が流れ、ぽたりと地面に染みを作った。ナハト自身がどうにかなるのはいい。ナハトが始めた事なのだから。
だが、ヴァロやドラコがそれで死んでしまうなど絶対にあってはならない。
(「ぶちのめして逃げる…」)
垂れた血に魔力を集中して攻撃を仕掛けようとしたが、吹き出た魔力は、ナハトの首にある金属に瞬く間に吸収された。使おうと思ったものが無くなって、かくんと体から力が抜ける。がしゃんと鎖が音を立ててつっぱり、ぶら下がるような形になった。
「おおっ…これは凄い!見ましたかリカッツ!」
「はい。これほどの量の魔石が一瞬で…」
ずしりと襲ってきた疲労感に、これは魔力の枯渇だと体が警報を上げる。白く明滅する視界に顔を顰めた。
「ああ、無理をしてはいけないですよ。その首輪は魔力を吸い取るのですから。とはいえ、この量の魔石を一瞬で染め上げるとは…やはりあなたは、魔力量を誤魔化していましたね」
疲労感に加え、酷い眩暈と吐き気が追加で襲ってくる。男性にしてはほんの少し高いその声が、キンキンと頭に響く。
(「魔力量…?いや、今はそんなことどうでもいい」)
リカッツがナハトの首輪の石を空の物と代えようと牢に入ってきた。その手に全力で噛みつき、引きちぎるつもりで顎を引いた。すぐに慌てたリカッツに頬を殴られ口が離れるが、噛んだ後は赤くなっただけで、出血すらしていない。その様子が悔しく、奥歯を噛み締める。
「力がないという噂は、本当のようだね。出血すらしないとは…扱いやすくて最高じゃないか」
魔石を交換すると、早々にリカッツは牢から出た。そのまま上へ戻ろうとするギルド長に、ナハトは声を張り上げる。
「待て!私は協力でも何でもする!だからヴァロくんを…!」
「もう衛士に渡してしまいましたから、こちらからはどうにもなりませんよ。それに…そんな事をしても、何の得もないでしょう?はっははははは!」
響く笑い声に、ナハトはきつく瞼を閉じた。
薄暗い牢に繋がれ、窓もない為、どんどん時間の感覚が狂っていった。どうにか逃げ出せないかともがいてみたが、鉄でできた枷は本来優等種を捕らえるもので、ナハトがどれだけ暴れてもどうにもなりそうにはなかった。
魔力を使えないかも試してみたが、これも失敗に終わってしまった。それどころか、ほんの少し魔力を使おうとしただけで、使おうとした魔力の何倍もの魔力を吸い取られ、あっという間に枯渇状態に陥った。意識を失う事だけは避けたかったため耐えたが、魔力を使っての抵抗は出来ないと思い知らされるだけだった。
それでも何とか出来ないかと必死に頭を働かせてみたが、どうしてもここから逃げ出す術を思いつくことが出来ない。
(「奴らの言葉を鵜呑みにするわけじゃないが、逃げたならドラコは大丈夫だろう。あの子は頭がいい、逃げられたなら無事なはずだ。だが、ヴァロくんは…」)
ヴァロの体はとても頑丈で、回復も早い。それはヨルンからの暴行の時にもわかっていたが、あれだけの傷を手当てせずに、長く持ちこたえられるとは思えない。ギルド長があれほどぞんざいに言うのだから、衛士に引き渡されたヴァロにまともな治療が施されているとは思えなかった。
逸る気持ちばかりが募り頭がどうにかなりそうだった。せめてどんなチャンスも逃さまいと、その時を待つ。
(「彼らは私を利用したいようだった。このまま私が素直にいうことを聞くとは思っていないだろう。ならば、何かしら行動を起こしてくるはずだ」)
問題はそれがいつになるかということだが、こればかりは待つしかない。
気を張り続け、極度の緊張と疲労の中、ひたすら耐えた。そうしてどれほど待っただろう、リカッツと見たことのない男が牢まで降りてきた。リカッツの隣に立つ男は、顔の半分を覆面で隠していて、三角の耳と金髪、切れ長の目の背の高い男だ。目が合った瞬間、その視線に唐突に悟る。
(「…この男だ。私たちを監視していたのは」)
ずっと確信がなかったが、やはり監視者はいたのだ。こちらを見る視線に覚えがあるわけではないが、上手くいえないが、この男だとしか思えなかった。
男はほんの少し目を細めると、こちらを顎でしゃくった。指示されたリカッツが、嫌そうに牢へ入ってくる。
「くそっ…何で私がこんなことを…」
ぶつぶつ言うリカッツには目もくれず、ナハトは男を見つめた。立ち姿からして、相当な実力者だとわかる。こんな人が何故あんなギルド長の下についているのか分からないが、何かしら彼にとって有益な事があるのだろう。
リカッツは警戒しながら歩いてくると、何かを取り出してナハトに見せた。暗さで一瞬何かわからなかったが、その独特の形状には見覚えがあった。
(「口枷…ね」)
思わず眉を顰める。余程噛み付いたのがお気に召さなかったらしい。睨みつけると、また頬を殴られた。大した力ではないが、歯で口の中が切れた。
「大人しくしろ」
「そうしているだろう」と口に出したいのを堪えて、大人しく口枷を嵌められた。吐き出せなくなった血を飲み込むか、垂れ流し続けるしか出来なくなり、その不快さにまたリカッツを睨みつけた。
手枷足枷の鎖を外され、代わりに首につけられた魔道具に鎖が繋がれ、引きずられるように上の階へと連れて行かれた。
(「何だ?どこへ連れて行くつもりだ」)
自由になる目を精一杯使い、情報をかき集めて行く。階段を上がった先も窓のない廊下だった。扉も、廊下の先にたった一つあるだけで、他には何もない。壁が厚いのか、それとも深夜なのか、外の喧騒も聞こえず、見たことのある職員もいない。
(「くそっ、これでは何も分からないのと同じだ」)
思わず心の中で毒づくと、廊下の先の扉が開いた。
「入れ」
妙な緊張感で汗が流れる。
ナハトは一度唾を飲み込むと、促されるまま扉を潜った。部屋はつるつるとした石で、床や壁、天井に至るまで作られていた。四隅に篝火が置かれた部屋の中には、10人ほどの人間がおり、奥に並ぶように立つ人の中には、見覚えのある職員とファラン、それにノイエの姿もある。
(「どういう事だ…?ニシアさんは…」)
ノイエはニシアとパーティを組んでいたはずだが、近くにニシアの姿はない。装備の様子からしても、ファランやノイエと一緒に並んでいる3人は、全員魔術師のようだ。
そしてその手前。部屋の中心の床には、直接魔法陣が彫り込まれていた。薄暗くて気づかなかったが、それはかなりの大きさで、ナハトがここで初めて見る魔方陣だった。
(「なんだこれは…いったい、なにを…」)
ぞくりと悪寒が走る。これから行われることが何かはわからないが、碌な事ではないことは確かだ。その証拠とでもいうように、奥に立つ魔術師たちは、一様にして目の焦点が合っていない。ぼーっとしていて、まるで人形のようだ。
そうこうしている内に、一人の魔術師が腕を引かれて魔法陣に誘導されてきた。意思がないようで、引かれるままゆっくりと歩いてくる。魔術師を魔法陣の中心まで連れてくると、それを挟むように2人の職員が魔法陣に手をついた。何やら呟いているが、それが耳に入ってこないほど、心臓の音が大きく脈打っているのに気が付いた。
(「まずい…これは…」)
一刻も早くここから逃げ出さなければならないと体中が警報を出している。だが、縫い付けられたように足が動かない。今まで、どんなに危険な時でもドラコが一緒にいた。守るべきものがいて、常にナハトは一人ではなかった。
しかし、今はたった一人。敵だらけの中体を拘束され、目の前で起こるこれは、すぐにナハトにもふりかかる。
魔法陣が一度強い光を放つと、そこには光る前と何ら変わらぬ光景が広がっていた。失敗したのかと思うが、一人の職員が前に出て、魔術師に命令する。
「右足を上げろ。…次に左足。這いつくばれ」
「………」
返事こそしないが、命令された魔術師は、無言で言われた通りの行動をとった。人形のように無機質に、何の感情も浮かべず、魔術師は淡々と従う。
それを楽しそうに、囲んだ職員たちが見下ろしていた。
”洗脳”という言葉が脳裏によぎる。
「よし、いいぞ。次は…」
命令をしていた職員が、こちらを向いた。にたりと笑ったその顔には、やはり悪意が滲み出ている。
「おい、口枷を外して固定しろ」
「ぐっ…!」
「大人しくしろ!」
数人がかりで押さえつけられ、口を無理やり開かされる。そこに、よくわからない液体が注がれた。吐き出そうとするが、大きな手で口を覆われ、呼吸が止まるギリギリで手を離される。すると空気を取り込もうと口が開き、僅かながら薬も飲みこんでしまった。気道にも入ってしまい咽るが、あちらにとっては飲ませられればどうでもいいらしい。繰り返し行われるそれに、薬を取り込む度に、ナハトは体がうまく動かなくなっていくのを感じた。同時に、頭にも靄がかかったように、何も考えられなくなる。
(「嫌だ…怖い…!怖い…!」)
恐怖に震えていたはずの体も心も、薬を取り込むたびに薄れていく。遠くに置き去りにされた意識だけが、逃げろと警報を上げる。
「全く、手間かけさせやがって…」
子供を起すように立たされ、引き摺られるように連れられて、魔法陣の上に連れてこられた。それでも、自分で動かそうとしても体は動かない。
鎖を引かれれば動いた体も、頭と体が分断されたように言うことを聞かない。逃げたいのに動けず、怖いのに声を出す事もできず、震える事もできずに、心が悲鳴をあげる。
「始めるぞ」
男がそう呟いたところで、完全にナハトの意識は光に飲まれてしまった。




