第14話 不穏な空気
イーリーやリータと行動するようになって1ヶ月。10件課せられていた依頼も7件を過ぎた頃、突然2人からしばらく一緒に行くことが出来ないと言われた。理由はイーリーが特別忙しくなってしまったからだ。なんでもダンジョンから複数の魔物が出て来た事から、冒険者や騎士の多くに怪我人が出てしまい、その対応に追われているらしい。
応援のために冒険者の選別を行っていたが、今度は魔物が出て来たダンジョンが複数に及び、ダンジョンに異変があったのではと斥候が立てられるという話になった。そうなると各地のギルドとの会議が多くなり、イーリーと彼女の補佐のリータも、目の回るような忙しさになっていた。会議の為に町を出るということを聞かされた時も、クマの出来た疲れ切った顔で数日分の荷造りをしていたし、最後に言葉を交わした時も徹夜明けであった。
そんな彼女らに無理は言えない。しばらくは低い等級の依頼を中心に受けると約束して送り出し、数日、ヴァロとナハトは久方ぶりに魔獣の森へ採取に来ていた。
「久しぶりだなぁ、採取依頼」
「ここのところ魔獣の討伐依頼ばかり受けていたからね」
「ギュー」
のんびりと採取を行い、森で昼食を食べて帰路へつく。いつも通り町へ入る列へ並び、その歩みが恐ろしく遅い事に気が付いた。いつもなら長くても30分ほどで町に入れるのだが、30分経ってもほとんど列が進んでいない。
「…なにかあったのかな?」
「さて…」
前後に並んでいた商人たちも、このままでは今日中に町を出ることが出来なくなると、焦りを含んだ声で呟いている。後ろを振り向けば、かなり先の方まで列が続いてしまっているのが見えた。
どれほどかかるかわからないが待つしかない。そうしていると、前方から状況が人伝に流れてきた。いつもは身分証を提示したら荷物を軽く確認して終わりであることが多いのに、今日は荷物も隅から隅までチェックされているというのだ。
「…出る時はそんなことなかったよね?」
「ああ」
出る時はいつも通りだった。顔なじみの守衛に挨拶し町を出たのだが、たった数時間でこの変化はどういう事だろうか。じりじりと進む列に苛立ちを覚えた者たちが声を上げる。普段も気の短い者が暴れることはあるのだが、そうすると守衛が出て来て自体の収拾にかかる。今回もその通りだったのだが、その中に衛士の姿を見つけて周囲が色めき立った。
「何で衛士が?」
「…あいつら嫌いなんだよ…いつも偉ぶってやがるから」
「なんかヤバいことあったんじゃないか?」
そこかしこから聞こえる言葉に、ナハトの頭にも少しだけ不安がよぎる。それでなくても衛士にはいい思い出がないのだ。突然斬りつけられたし、フラッド達劣等種を取り囲んでショーのようにしていたのもまだ記憶に新しい。
「…とりあえず、大人しくしていよう。この後予定がある訳でもないし、ただでさえ私達は目立つ。何があったのかわからない今は、成り行きを見守ろう」
「うん…何か怖いね」
不安そうなヴァロの言葉に頷く。文句を言っていた面々も、衛士が近づいてくると声を顰めた。
結局町に入るまでに2時間ほどかかった。顔馴染みの守衛に身分証を見せると、疲れた顔をしながらもお疲れ様ですと言葉を貰った。立ちっぱなしのナハト達も疲れてはいたが、衛士に見られながら一人一人確認しなくてはいけない守衛のそれは比ではないだろう。鞄と採取物が入った袋を確認され、返却されたそれを受け取りながらナハトもお疲れ様ですと言葉を返すと、守衛は眉を下げながらありがとうございますと言った。
特に咎められることもなくそのままギルドへ向かうと、ギルド内は殺伐としていた。ピリピリとした空気を感じ、多くのものが少なからず苛立っているようだ。
「こちら納品します。よろしくお願いします」
「はい、承ります。少々お待ちください」
採取した素材を袋ごと渡すと、受付の女性はそれを持って奥へ向かった。少しして、銅貨を乗せたトレーを持って戻ってくる。それを受け取ると、ナハトは問いかけた。
「…随分殺気立ってますが、何かあったのですか?」
女性は困ったように息を吐くと教えてくれた。どうやら衛士に難癖をつけられた冒険者が結構な数いるようだった。特に緑以下の等級の者へのあたりが酷く、喧嘩に発展してしまったパーティもあったらしい。
「もともと衛士と冒険者はあまり仲良くないんですよ。衛士は冒険者を見下してますから、喧嘩も少なからずあったんです。それでも、イーリー様が上手く間を取り持ってくれて、最近は少し落ち着いてたんですけど…」
「なんで仲悪いんですか?」
ヴァロの言葉に女性は言葉を抑えた。ちょいちょいと来るようにされたので近づくと、潜めた声で続きを話す。
「少し前にガロウズって人が衛士長になったんですけど、この人がかなり極端な人でして…。町を守ってるんだから言うこと聞けみたいなタイプの方でして、イーリー様と結構ぶつかってたんですよ」
「イーリーさんと?」
「はい…。ギルド長はあまり表立って動くタイプの方じゃないので…。冒険者は衛士より格下、冒険者のせいで治安が悪いなどと文句をつけてきて。イーリー様の目があったうちはそれでも大人しくしてたんですけど、今はイーリー様が町にいらっしゃらないから、好き勝手しているみたいなんです」
「…なるほど」
貴重なお話ありがとうございますと、頭を下げると、女性はいいえと手を振ってくれた。ガロウズなる人が何をしたいのかはわからないが、話を聞く限りこれは一過性のもののようだ。イーリーが戻ってくれば自然と落ち着くのだろう。
「今日は演習場で体を動かしたら、宿に戻って休もう」
「うん。出歩いて、声かけられたら面倒だもんね」
「ああ。…久しぶりにカードゲームでもするかい?」
「いいね!」
「ギュー!」
「ふふ、ドラコもやるかい?」
「ギュ♪」
演習場はいつもよりも混み合っていた。それでも十分な広さがある為問題ないが、絡まれたのであろう等級の低い冒険者達が体を動かすことで苛立ち解消しているのが目立った。
「あっ、あんた達もきたのか」
そう声をかけられて振り返った先にいたのは、何時ぞやの時に声をかけてきた藍等級の冒険者達だった。見覚えのある顔と目立つ桃色の髪に、ああと微笑んで挨拶をする。
「こんにちは。皆さんも鍛錬ですか?」
「ナハト?」
「ああ、ヴァロくんは分からないか。君がアンバスさんとやり合ってた時にいた冒険者の方々だよ」
「あっ!あの…あの時は、迷惑かけてごめんなさい」
「いや、気にすんなよ。って、あんたら黄等級!?」
「マジかよ」と引き気味に呟かれ、ナハトとヴァロの眉尻が下がった。不本意ながら上がってしまった等級なので、堂々と胸を張るのが少々憚られる。イーリーから提示された10件を全てクリアしたらそんな気も少しは晴れるのだろうと思うが、今はまだ身の丈に合わない等級に少しの罪悪感を感じる。
「ちょっと兄さん、何やってるのよ!」
ナハトとヴァロのバッジにくぎ付けになっていた青年の後ろから明るい声がかかった。駆けて来たのはまだ幼さが残る顔立ちの少女。兄妹なのか、少女は淡い桃色のふんわりとした髪を丸い耳の横で二つで縛っていて、それが走るたびに揺れて随分と可愛らしい。兄と同じように冒険者なのだろう、胸元には藍等級を示すバッジが見える。
「すみません!兄が何か失礼な事を…」
よくある事なのか、慣れた様子で謝罪を口にして謝る少女に、ナハトはいいえと首を振った。
「いえ、何も失礼な事はなさっていませんよ」
「でも…」
「そうだぞ。ちょっとバッジを見てただけだ」
「それがダメだって言ってるのよ!いい加減興味だけで動くのやめてよ!」
「2人とも、その辺にしなよ」
右手から声がかかり、そちらを向くと、同じパーティのメンバーなのだろう。もう2人の青年が歩いて来ていた。白とこげ茶、茶の混じった複雑な髪の色でとがった耳の青年と、もう一人は爬虫類の優等種だった。黄緑の髪に、縦長の瞳孔、耳は顔の横にへこんだ二つの穴があり、長い尻尾を引きずるように歩いている。後はナハトたちと同じだ。
「ヴァロさんと、ナハトさんですよね?」
「俺たちを知ってるの?」
「ええ、有名ですから。あっという間に黄等級に駆け上がった新人だって」
「私たちの実力ではありませんよ。本当に運が良かっただけですから」
「それでも凄いです」
そう言われて、ナハトは微笑んだ。ありがとうございますと礼を言うと、複雑な髪色の青年が前に出て来た。軽く頭を下げて、口を開く。
「ご紹介が遅れてすみません。僕はカトカ、こちらがロナーで、お二人に話しかけたのがニンとマゴットです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。私はナハト、こちらはドラコといいます」
「ギュー」
「俺はヴァロ。よろしくね」
「はい、ありがとうございます」
カトカがこのパーティのリーダーなのだろう。見たところ一番落ち着いている。差し出された手を受け取って握手をすると、ニンが再び前に出て来た。興奮したような眼で、ヴァロに話しかけてくる。
「なあ、ヴァロだっけ?あんた強いんだろ?俺たちに稽古つけてくれよ!」
「ええっ!?」
「ニン、やめるんだ。黄等級の人に藍等級のおまえが何を言ってるんだ」
わちゃわちゃしだしたカトカとニン、それを宥めるマゴットとロナー。「どうしよう?」という視線をヴァロから向けられ、ナハトは考えた。今日は特別予定もないし、依頼を受けなおしている最中とは言え黄等級は黄等級。本来、新人を受けもってもいい等級ではある。しかし、誰かに教える経験などヴァロにはなく、また、ヴァロは強者相手ならともかく、自分より明らかに弱い相手には完全にしり込みする。相手を舐めているとも取られかねない行為だが、手加減できないヴァロが本気を出したら相手が死ぬ。
ならばこれならどうかと考えて、ナハトは一度パンと手を打った。その音で全員の目がこちらに向く。
「カトカさん、パーティの構成を教えていただけますか?」
「えっ…あっ、はい。僕とニンが前衛で、ロナーとマゴットが後衛です」
「なるほど」
武器を見るとカトカが盾と片手剣、ロナーが弓矢、ニンが両手剣でマゴットが短剣といったところか。感じる魔力が多い頃から、マゴットはおそらく魔術師なのだろう。短剣はあまり使われた形跡がなく、立ち姿も戦闘には不向きな体重のかけ方をしている。ならば、教えられることはあるかもしれない。
「よし。ならカトカさんとニンくんはヴァロくんと、ロナーさんとマゴットさんは私と、少し遊びましょう」
「遊び…ですか?」
「ええ」
微笑んで、きょとんとした顔の面々にルールを説明する。ナハトとヴァロが逃げる役で、各班の2人は追いかける役というものだ。「魔獣ごっこね」というマゴットの言葉に、そんな名前があるのかと思いながらも頷く。
「あなた方はそれぞれ2人で協力して、私とヴァロくんにどうやったら触れられるか考えてください。遊びと言いましたが、これは意外と体力を使いますし、連携の練習にもなります。いかがでしょうか?」
「舐めやがって…いいぜ!やってやるよ!」
いきり立つニンと、厳しい顔をするカトカ。困惑した顔のロナーとマゴット、それとヴァロ。何で君までそんな顔をしているのかと息を吐きながら、耳を貸すようジェスチャーすると、大人しく屈む。
「君までなんでそんな顔をしてるんだ」
「だって俺…手加減できないよ?怖いよ」
「これは戦う訳じゃない。複数の敵から襲われた時の逃げる訓練だと思うんだ。私たちは2人だから、こういう訓練は出来ないだろう?彼らは連携の練習になるし、私たちも回避の練習になる。一石二鳥だろう」
「…確かに?」
一応納得した様子のヴァロを送り出し、代わりにロナーとマゴットを呼んだ。恐々来た2人に微笑んで、もう少しだけこれの理由を説明する。
「あなた方は後衛との事ですが、あまり戦闘に積極的に参加された事がないのではないでしょうか?ロナーさんの弓はまだしも、マゴットさんの短剣はほとんど使用した形跡がない。という事は、後衛同士で連携を取ったり、それを抜いて戦ったことはないという事ですよね?」
「はい…」
「その通りです」
「私は魔術師ですが、一人でもそこそこ戦えます。それは2人だけのパーティという事もありますが、その方が事故が少ないからです。遊びと言いましたが、体幹を鍛えれば動きながらの弓矢は精度が上がりますし、魔術だって移動しながらの方が戦術が増えます。いかがでしょうか?」
ナハトの言葉に、「やってみます」と、小さいながらも意思のこもった返答が聞こえた。ヴァロの方は早速始まっているが、初めはぎこちなかったヴァロの動きもどんどん慣れて今は楽しそうですらある。カトカとニンも簡単には捕まらないヴァロに腹を立てながらも、あれこれ指示を出して追いかけまわしている。
ナハトはドラコにしっかり捕まっているように言うと、相談している2人に向き直った。
「さあ、どこからでもどうぞ」
そう声をかけると、ロナーとマゴットは走り出した。
「この辺で終わりにしましょう」
「ありがと…ござい、ました…」
「いえいえ、こちらも大変勉強になりました」
「俺もありがとう!楽しかったよ」
「それは…よかった…です」
約2時間の魔獣ごっこを終え、4人は息も絶え絶えになっていた。ニンは仰向けになったまま「もう動けねー」と粗く息をしていて、ロナーとマゴットに至っては座り込んだまま肩で息をしている。唯一カトカだけは、流石リーダーと言ったところか、膝に手をついて体を支えているが、なんとか会話ができる状態だ。
結局4人は一度もナハトとヴァロに触れることが出来なかった。相手の力量がわからなかったので最初はヴァロも全力でやっていたのだが、それでは全く歯が立たなかった。その為、途中からヴァロは走り回らずにほぼその場で避け続けるという事になってしまっていたが、素早さや目を鍛える訓練になったようで、本人は満足そうだ。ニンとカトカは大変不服そうであるが。ロナーとマゴットはナハトが思っていたよりもまったく動けなかった。後衛とはいえ、優等種2人をどこまで捌けるかとナハトは思っていたのだが、マゴットは体の動かし方がそもそもなっておらず、ロナーも体幹がイマイチだった。2人ともすぐにばててしまったので、途中からは筋トレや体力をつけるためのメニューを行っていた。
「ちくしょー…触ることも出来ないなんて…」
「もう少し…出来ると思ってました…」
「……もう、無理」
「……」
「お疲れ様です、皆さん。もう帰られますか?」
「もう少し休んでから…帰ります」
「わかりました。私たちはまだ続けますので、ここで失礼しますね」
そう言ってぐったりとした面々から離れ、ナハトは軽く汗をかいた状態のヴァロへ近づいた。ヴァロは多少鍛錬になったようだが、ナハトはほとんど動けていない。まだ余裕がありそうなら相手をしてもらおうと思ったのだ。
「ヴァロくん、私の鍛錬もお願いしていいかい?」
「うん、大丈夫だよ」
「いつもすまないね」
「そう言うけど、ナハトの動きって結構早いよ?曲芸師みたいに動くからびっくりするし」
「なら、久しぶりに組み手をしてみようか」
「うん!」
ドラコを下ろし、少しの距離を取って構える。ナハトも以前よりは強くなった。ヴァロはもっと強くなっているが、スピード重視でやってきた分、以前よりはましな組手が出来るかもしれない。
踏み込んで跳び出すと、ヴァロが受ける構えに入った。右足を顔面に向かって蹴りだすと、あからさまな攻撃は止められるが、そのまま体を捻って右側頭部を左足で狙う。少々奇をてらった攻撃であったがこれも受け止められ、そのまま両足を掴まれた。体を捻って拘束を解いて着地すると、着地を狙ってヴァロの左拳が迫ってきた。それをはじく様に右手で払いつつ、腕に沿って体を回転させて裏拳をお見舞いする。すると、今度はヴァロがそれをのけ反って避けて、そのままバク転しつつナハトの顎を狙う。これをナハトも後ろに跳んで避けた。
また距離が出たところを、今度はヴァロが突っ込んでくる。左手をフェイントで出し、そのまま右手を突き出してくる。それをしゃがんで避けて懐へ入ると、下から顎に向かって掌底を繰り出した。体を傾けながらヴァロはそれを避け、そのまま伸ばした右手でナハトを引き倒すように内側へ振った。いとも簡単にバランスを崩したナハトだったが、その腕に絡みつくように足を引っかけ、逆上がりをするように体を回転させると、そのまま腹部に膝をお見舞いした。
「堅った…っ!?」
鉄板のような腹筋に跳ね返され、そのままナハトは距離を取った。今のは行けたと思ったのにまさかの腹筋に阻まれた。解せぬ。
「びっくりした…!ナハト、なんなのその動き。するするくねくね蛇みたいだよ。髪も長いし」
「いいじゃないか、蛇可愛くて。ってそうじゃない。なんなんだ君のその腹筋。今絶対入ったと思ったのに弾き飛ばされたんだが」
「頑張って鍛えたからね!」
「ああ、そう…」
熱くなって結構力いっぱいやったのだが、ヴァロには何のダメージもなかったようだ。スピード重視にした分以前よりはましな組手になったが、悔しいがやはり体術では太刀打ちできない。ヴァロはナハトの言いつけを律義に守って寸止めを意識しているが、ナハトはとっくに全力で殴るつもりでやっている。それでやっとそこそこの組手が出来るのだから、ヴァロの体術はもうかなりのものだ。
「次は俺からね」と言うヴァロに頷いて、ナハトは再び構えた。
その後、もう何回か組手を行って汗を拭いていると、少し離れたところにまだカトカたちのパーティがいるのが視界に入った。視線に気づいて首を傾げると、ものすごい勢いでマゴットが走ってきた。疲れていたのではないのかと思うが、そのままの勢いで手が伸びてきて、掴む前に慌てたように彼女はそれを後ろへ隠す。
「あ、あの!ナハトさん!」
「はい、なんでしょう?」
興奮したような真っ赤な顔とキラキラした目に見つめられ、ナハトはほんの少し後ずさった。ドラコが少し警戒したような声を出すが、やはり圧倒されて首に巻き付く。
「ナハトさんは、魔術師なんですよね!?」
「は、はい」
「…すごい、本当にすごいです!魔術師は普通自分で動くことはほとんどないので、なんでこんなことするのかなって思ってたんですけど…今のナハトさんの動きを見てわかりました!」
「えっ…」
ナハトにとって、魔術師は師父であるカルストが元になっている。カルストは魔術師でありながら体術や棒術に優れ、いつも単独で任務に赴いていた。だからナハトの中では、魔術師はそういうものだという認識になってしまっていたのだが、ここでは違うらしい。
「すみません。私の師匠が一人でも戦える魔術師でしたので、魔術師はそういうものだと思っていました。驚かせて、申し訳ありません」
「いえいえ!さっきの見たら、絶対動けた方がいいって思いました。なにより、かっこいいです!」
「あ、ありがとう、ございます」
まっすぐに尊敬のまなざしと言葉をぶつけられ、どうにも背中がむず痒い。そうしてると、へろへろになりながらカトカがやってきてマゴットの肩に手を置いた。こんな時にリーダーは大変だなと思っていると、頭を下げてきた。
「マゴット、その辺でやめなよ。ナハトさん、ヴァロさん、今日はありがとうございました。よろしければ、またお願いします」
「はい。お気をつけて」
4人を見送って息をつくと、にやにやした顔でヴァロがこちらを見ていた。何か言いたそうなその顔をジト目で見つめると、笑ったヴァロがからかうような声で言う。
「どうしたのナハト?」
「…私はこういうのは慣れてないんだ」
「ふーん」
「なんだねその顔は」
「なんでもないよー?」
そう言ってにやっと笑ったヴァロの背中を叩いて、ナハトとヴァロもその場を後にした。
その次の日も、町から出るのは問題なかった。採取ついでにオルブルという、小型の魔獣の依頼も受け、いつもより少しだけ魔獣の森の奥へ足を進める。
オルブルは複数匹で徒党を組んで人や獣を襲う魔獣だ。フルブルと名前が似ているのは、その顔がよく似ているから。ナハトの知る鼬鼠くらいの大きさだが、手足が太く短く胴が長い。
いつもの採取依頼を終えて、オルブルの生息地へと移動しながら、ナハトはヴァロに問いかけた。
「ヴァロくんが魔獣の依頼を受けたがるなんて、何かあったのかい?」
この依頼はヴァロが持ってきたものだ。多少戦闘に慣れてきたとはいえ、魔獣という生き物を殺すことにはまだ抵抗がある。そんな彼がこれを受けたいと、ナハトがギルドで採取依頼を見ていた時に言ってきたのだ。
珍しい事もあって受けたが、何か理由があるのかと問いかけると、彼はとても真剣な顔で言った。
「カウムが襲われてるんだ」
「…ん?」
「近くに大きなカウムの牧場があるんだけど、そこのカウムがオルブルに襲われてるんだ」
「な、なるほど?」
「ギュー?」
ナハトを真似て首を傾げるドラコを撫でる。
よくよく聞くと、ヴァロの好きなカウムのステーキを売っているおばさんが言っていたことが理由だった。先日ステーキを買いに行った時に、おばさんからオルブルの被害について言われたそうだ。オルブルは強いというよりも面倒くさい魔獣で、更に数が多く徒党を組む。また、オルブル自体素材としてイマイチなので、達成時にもらえる金銭もそう多くなく人気がないのだ。
「あの屋台のカウムは火加減も絶妙で美味しいんだ。ステーキの大きさの割に安いしね。買えなくなったらみんな困ると思って」
「ふふ、確かにそれは大変だな。なら、張り切って倒さないとね」
「うん!」
食い気が勝っているが、それでもやる気なのは良いことだ。今日はヴァロのサポートのために動こうと決め、2人と1匹は魔獣の森へと入った。
オルブルの予想される生息域はなかなかの広範囲であった。オルブルは素早く、スタミナがある為、縄張り自体がとても広い。魔獣から発せられる魔力の気配を頼りに歩き回るがなかなか見つからず、昼を少し過ぎた頃、森で昼食をとっている最中それを感じた。ヴァロも何か聞こえたのか、辺りをきょろきょろ見回す。
「ナハト、今…」
「何か聞こえたかい?私は魔獣の魔力を感じたんだが」
「うん。あっちから武器がぶつかる高い音が聞こえた」
そう言ってヴァロが指し示したのはナハトが魔力を感じたのと同じ方向。急いで昼食を詰め込みドラコを肩に乗せると、掴まっているよう言いつけて、そちらの方へ向かって走り出した。
「ヴァロくん、何が聞こえるか教えてくれ」
「えっと、3人分の声と、戦ってる音が聞こえるよ」
「本当に耳がいいな…だが、それなら話しは早い。そのパーティの相手以外にオルブルらしき複数の魔獣の気配がする」
「えっ!?マズイよそれ」
「ああ。だからあちらに当たる前にこちらにオルブルを引きつける」
「どうやって?」
「…こちらに誘き寄せる。構えろ!」
声をかけて指の腹を切って地面に叩きつけた。距離がある為少々きついが、そこから魔力を流し、オルブルらしき魔獣に向かって地面から尖った植物を生やした。突き出した植物に僅かな手応えを感じ、魔獣の動きが止まる。さらにバッグから取り出した液体を目の前に撒くと、オルブルがいっせいにこちらへ駆けてくる。
「何それ!?」
「オルブルが好きな匂いだ!来るぞ!」
ガサガサと前方の茂みが揺れ、次々にオルブルが飛び出してきた。背の高い草に紛れるように走り回り、大きいな牙と突き出した鼻でひっかけるようにして足を攻撃してくる。
「ドラコ、振り落とされないように掴まっているんだよ!」
「ギュ!」
足元を走りまわる敵に気を取られていると、木に登った数匹が飛び掛かるように上から攻撃してきた。魔獣の割に統率された動きである。跳んできたそれをダガーで斬りつけるが魔獣の皮は厚く、体重の乗らないナハトの攻撃ではほとんどダメージにならない。
「ナハト!こいつら…!全然攻撃効かないみたいなんだけど!?」
その声に振り向くと、ヴァロがオルブルを蹴り飛ばしたところだった。だが蹴られたオルブルは空中で回転し、ダメージなどないかのように着地してまた襲ってくる。繰り返されるそれに自信が無くなってきたのか、だんだんと前の情けないヴァロが戻ってくる。
「体が柔らかいんだろう、な!空中でダメージを逃しているみたいだ」
「ど、どうしたら…」
「情けない声を出すんじゃない!直接攻撃にしか反応できないはずだから、他の物に攻撃して動きを止めろ!そうしたら私が拘束する」
「ええっ?わ、わかった!」
雑な指示である自覚はある為本当に大丈夫かと思うが、それはナハトの杞憂に終わった。3方向から同時に襲ってきたオルブルに、ヴァロはジャンプして力いっぱい地面を殴った。轟音がして、そこを起点に地面が割れ、破片が飛び散り、その破片に当たったオルブルが吹き飛んだ。地面を抉ったそのパワーにナハトの頬がひきつると、ヴァロがとてもいい笑顔で振り向いた。
「こんな感じ?」
「あ、ああ。さすが、ヴァロくんだね」
「…!ありがとう!」
コツをつかんだのだろう、次々にオルブルを仕留めだす彼に、ナハトも慌ててオルブルを拘束していく。地面に叩きつけたり、オルブルの登った木を蹴り倒したり、複数の石を投げたりと、ヴァロは器用に暴れまわりながら、そうして総勢13匹ものオルブルを捕まえた。
「ふう、なんとかなったね」
「ああ、お疲れ様。ドラコもお疲れ様」
「ギュー」
頬に擦り寄ってきたドラコを撫でていると、あちらも戦闘が終わったようだ。ずずんと大きなものが倒れる音がして、そちらから人の声が聞こえてくる。
「こちらを片付けたら、一応あちらのパーティに顔を出そう」
「わかった。俺たちも手当てしないとだもんね」
頷いて一体一体とどめを刺し、魔石を回収していく。抵抗できないようにした魔獣の命を一方的に奪うのは、精神的にくるものがあるが仕方がない。討伐しなければ、いずれは人が襲われる。ヴァロもナハトのダガーを借りて、恐々魔石を回収した。
2人ともオルブルの鋭い爪であちこち斬られていたが、大きな傷はなかった為に簡単に傷の手当てをして声の方へ向かう。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。そこにはナハトが知る熊のような獣が倒れていて、その更に向こうにヴァロの言った通り3人の冒険者がいた。熊のようなそれは魔獣ではなく獣で、ウルススというらしい。熊よりも一回り大きく、頭に複数の角が生えている。
「なんだ、あんたたちは」
初めて見るウルススに気を取られていると、あちらのパーティのリーダーらしき男が警戒するように声をかけてきた。確かにこんな森の奥で見知らぬ冒険者が出てきたら警戒するだろう。ナハトは努めて笑顔を作ると口を開いた。
「これは失礼しました。私たちも冒険者です。あちらでオルブルと戦っていたのですが、近くで戦闘されているのがわかりましたので、様子を見に来た次第です」
「そ、そうか…」
ちらりとバッジを盗み見ると、その色は藍。向こうもこの距離でナハト等のバッジが確認できたのだろう、あからさまに顔色が変わる。
「黄等級…あの、すいません。生意気なこと言って…」
「いえいえ、突然出て来たこちらを警戒するのはごもっともです。それよりも…」
そう言ってナハトは彼の後ろを指した。碌な薬がないのか、彼の仲間が手当てもせずに呻いている。よく見ればリーダーらしき彼も傷だらけだが、治療する気配はない。
「薬はどうしました?もしお持ちでないのでしたら、こちらから提供することは出来ますが…」
「い、いいんですか!?」
「待て、アド!金なんかないぞ!」
「あ…」
即座に反応したメンバーに、リーダーらしき彼がストップをかける。だが、もともとナハトたちには金銭を要求するつもりはない。そう口を開く前に、ヴァロが薬を鞄から出して近づいた。
「いらないよ。また魔獣も出るかもしれないしね、はい。だよね?ナハト」
「ふふ。ああ、そうだね」
振り返って聞いてきたヴァロにナハトが笑顔でそう言うと、相手は安心した顔で薬を受け取った。それを使って早速手当てをしている彼らを見て、ナハトは疑問を口にした。
「皆さん、ご自分の薬はどうされたのですか?失礼とは思いますが、ご自分の薬を使用された様子がないので…」
「っ…」
「それが…」
彼らの話によると、衛士に難癖をつけられて没収されたというのだ。依頼を受けて森へと向かうために町を出ようとしたところ、怪しいものを持ちだそうとした奴がいたからという理由で持ち物検査をされたそうだ。その際に、彼らの持つ薬は許可されていない店から買ったものだからと言われ、ほとんど没収されてしまったそうだ。
「唯一許されたのはこの軟膏だけど…こんなの、熱から皮膚へのダメージを抑えるものだから…。ここじゃ使わないこれだけ返されたんだ」
「そんな事が…」
「しかも、没収されたから戻って買いなおそうとしたら、許可されない薬を持ち出そうとした罰だとかで罰金を払わされたんだ」
「えええっ!?」
そこまでするのかと、衛士に怒りを覚えずにはいられなかった。冒険者にとって薬は生命線だ。なければ命にかかわるというのに、そんな嫌がらせをしてくるとは許せない。
「あれ…?でも俺たち外に出るとき何も言われなかったよね?」
「それは…お2人が黄等級だから…」
「あっ…」
「帰りも、また何か言われるかもしれません…」
そう言って青年は顔を逸らした。辛そうに歪んだ顔は、不安の色が強く出ている。
衛士は、冒険者ほどではないにしても手練れが多いと聞いている。町の治安を守るのが衛士の役目という事もあり、彼等にはルールを守らない者を拘束することが許されている。冒険者といえど下手に逆らえば投獄される可能性もある。それをわかっているから、彼らは冒険者でも等級が低い者たちを中心に痛めつけるのだろう。
チラリとヴァロの顔を盗み見ると、案の定どうにか出来ないかと思案している顔だった。仕方ないと笑うと、ドラコが頬に頭を押し付けてきた。分かっていると口にするかわりに撫でると、長い尻尾がするりと指に絡み付いてくる。
「それならば、帰りはご一緒しましょう」
「えっ…!?」
「私たちの連れということになれば、絡まれる可能性も減りましょう。そうですね…私たち、今日は採取と討伐で荷物が多いのです。荷物持ちがいてくださるとありがたいのですが…」
ね?と小首を傾げて言うと、察したのか、あちらの顔に喜色が浮かぶ。
「さすがナハト!」
「うまくいくとは限らないがね」
「それでも有り難いです。よろしくお願いします。おれはグリーズ、このパーティのリーダーです。こっちがアドニス、それとザロモです」
グリーズは眼鏡をかけていて緑がかった黒髪の青年で、アドニスは赤茶の短髪、ザロモは幼い顔立ちの少年で、紫の髪を綺麗に切り揃えている。
グリーズとアドニスはともかく、ザロモは学校を出てすぐくらいの年齢にしか見えない。ナハトよりも小柄な彼の手足にある深い切り傷に、薬を取り上げた衛士への怒りが湧く。
「私はナハト、こちらがドラコ、彼がヴァロくんです」
「よろしくね」
「ギュー」
お互いに軽く挨拶をして、ナハトたちは帰路へ着いた。
町へ入るのはうまくいった。3人の間にナハトとヴァロが入るように歩き、荷物の確認の際も、ナハトが渡すよう言ってからグリーズが門兵に渡すという手順を踏むことで、近くで見ていた衛士も特に何もいう事はなかった。そのままギルドへ向かい、お互い手続きを済ませて解散した。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそ、荷物を持っていただいて助かりました」
「でも…明日もまだ…」
先を言おうとしたヴァロを、腕を叩いて止める。小さく首を振ると、悲しそうに目を伏せた。
困っているのはグリーズたちだけではない。その全員を助けることはナハトたちにはできないし、特定のパーティに無暗に肩入れするのは、彼らの為にもよくない。
「明日からは、もう少し軽めの依頼を受けることをお勧めします。ウルススほどの稼ぎは得られなくとも、複数受ければ少しはマシになるでしょう」
「はい、そうします。それでは」
大きく手を振るザロモに手を振り返しながら、ナハトたちも宿へと向かう。
瞬間、ピリッとした視線を感じた。振り向くと、視線の先には大通りを行き交う人々。その先、大通りを挟んで反対側に、あの男の姿が見えた。茶色い耳と髪に赤い目の、眼帯の獣人だ。こちらを睨むように見つめる視線と、ぶつかって、慌てて逸らしそうになる体を総動員して止める。今視線を逸らすのは、あまりに不自然だ。
「ナハト…?どうしたの?」
突然止まったからだろう、ヴァロがそう声をかけてきた。それに反応し、自然に見えるよう、わざと彼らの方を指さす。
「ああ。視線を感じたと思ったら、衛士がこちらを見ていたんだ。絡まれると面倒だ。行こう」
「う、うん」
促して離れるも、背中には突き刺さるような視線を感じ続ける。その執拗さに、まさかナハトがあの劣等種だと気づかれただろうかと、嫌な考えが頭をよぎる。だが、あの時とは服装も何もかもが違う。顔をしっかり見られたわけでもなければ、今は彼らの視線を簡単にごまかせる耳も尻尾もあるのだ。その可能性は低いだろう。ということは、グリーズ達のパーティを庇ったからだろうか。
しかし、もしそうだというなら、彼らの目的は何なのだろうか。冒険者を弱体化させても、イーリーが戻ってくればまた以前の様に戻るはずだ。冒険者が減れば町の活気がなくなり、そうなると町の人口も減り、治安も悪くなる。いいことなど何もないはずだ。
「…ナハト?」
「ん?ああ、すまない」
随分と考え込んでしまったようだ。ナハトはとりあえずあの優等種の事を、ナハトを襲ったあいつのことをヴァロに話しておくことにした。ヴァロはナハトが劣等種であることを知っているのだから、彼の為にも先に対処を考えておいた方がいいはずだ。バレた時は、全力で見捨てる様にと。
「ヴァロくん、宿に戻ったら話があるんだ」
そう言って、ナハトは拳を握り締めた。




