第3話 透明な檻
(「まぁ、分かっていたけれども」)
反射的に小さくため息をつきながら、ナハトは依頼書を受け取った。
それを渡して来た師父は申し訳なさそうに眉尻を下げている。やめてほしい。師父が悪いわけではない。
「…契約仕立ての君にはまだ難しい案件なんだけど…調査だけでもお願いできるかな?」
契約の儀から1ヶ月。表向きは何事もなく過ごせていた。取るに足らない嫌がらせはあるものの、本当に取るに足らない程度だった為、師父に報告することもなく放っていたのだがーーー。
(「…こういうやり方で来るとはね」)
渡された木札には、森で異常繁殖している植物の調査と、報告までの期日が書いてある。依頼人は村長で、期日はなんと3日後だ。
明日から丁度3日間、師父は首都に赴かなければいけない用がある。今回本当なら契約を終えたナハトとカインも従者として行く予定であったが、依頼が来たらそちらが優先される。契約を終えた術者は依頼を受けられるようになり、それは特筆すべき事情がない限りは絶対の事柄なのだ。
さらに今回は相手が悪い。師父は村の管理を行っているが、詳しい業務内容は金銭に関わるところが大きい。村民に関するところや細かい業務は村長が行っているのだ。そしてその村長は、多忙な師父を大変助けてくれている。息子大好きな親バカではあるが、大変有能なのだ。
一番の問題は、その村長がツィーの父親という事である。
「…一応期日について交渉はしてみたんだけれど、調査だけでもと言われてしまってね…」
「仕方ありませんよ。契約を終えた以上、私も魔術師の卵です。呼ばれたら行かないわけにはいきません。せめて調査だけでもという、彼方の言い分もわからないでもありませんから」
植物の異常繁殖は一般的に魔獣によるものが大きい。魔獣の撒き散らす魔素で、変化した植物が異常繁殖するのだ。放置すれば魔素を吸って自我を持ち、植物が魔獣化して人を襲うようになるかもしれない。だから植物の異常があれば、すぐに対応の必要がある。
そしてそれの除去は、植物に適性のある魔術師か火に適性のある魔術師にしかできない。カインにも出来ないことはないが、火は根まで焼き払って駆除するのが一般的である。場所が森である以上、延焼を恐れて火は使えない。
そうなるとナハトがやるしかない。
「承ります、師父」
「ナハト…」
「そんな顔なさらないでください。無理はしませんよ、私も命は大事ですから」
魔獣の駆除は師父でなければ難しいが、植物の段階での除去は、今のナハトでもできる事だ。該当する植物に魔力を流せばいいだけなのだから。
「魔獣は避けて調査しますので、師父はこちらのことは気にせずいってらっしゃいませ」
頭下げると、ぽすりと後頭部に何かが置かれた。驚いて体を起こそうとすると、優しい声が降ってくる。
「すぐに帰ってくるから、無茶はしちゃいけないよ?」
よしよしと撫でられて、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。
「…師父、流石にもう頭を撫でられるのは気恥ずかしいです…」
「そうかい?」
苦情を申し立てるが、にこりと笑って流されてしまった。
「…さて。あなた方はいったいどちら様でしょうか?」
朝、師父とカインを送り出し、その足でナハトは森へ調査へ来た。
いつも通り村を出て、森へ入ろうとして気が付いた。自分を追って出てくる複数の人の気配に。
ドラコを胸元にしまい、護身用のナイフに手をかけながら森へ向かう。5人ほどの男を引き連れて先頭を歩いている男は、確か村長の護衛をしていた奴だったはずだ。
(「…ということは、これはツィーの仕業か…。まぁ、契約まで済ませたカインがやる可能性は低いから、ほぼ一択だけれども…」)
ある程度村から離れたところで囲まれてしまった。6対1は多勢に無勢。焦りを隠すために冒頭のセリフを言ってみたのだが、リーダーらしき男は片手で後ろの男たちに指示を出す。
「俺たちが何者かっていうのはどうでもいいんだよ。お前のことを気に入らないって奴がいてな」
「それはそれは奇特な方がいらっしゃったものですね。この村では、私に対して苦手意識を持っている人が殆どだったと思いましたが…明確な敵意を持っている方までいらっしゃったとは知りませんでした」
「聞いてた通り頭にくる奴だな。遠慮なく殺せそうで嬉しいね」
「…殺す?」
思ってもみなかった言葉に、ナハトは血の気が引いた。これはまずい。
精々ボコボコにされる程度だと思ったのだが、まさか殺しに来てるとは。というか、殺そうと思われるほど憎まれてるとは思ってもみなかった。
「おやぁ?怖気付いたのか?もうご大層な口上はないのか?」
「…はは、まさか。大人数でこんなか弱い人間1人囲んで、愉悦に浸る。そんな肝の小さい人間に、怖気付くわけないでしょう?」
「…口の減らねぇ奴だ」
じりっと一歩下がると、向こうも一歩前に出て来た。それぞれが剣を抜き、ナハトの命を狙っている。
(「…まずい。私が殺されたら、私と一緒にいるドラコまで殺されてしまう。それだけは避けなければ…!」)
じわりと汗が頬を流れた。ぽたりとそれが垂れて、地面に染みを作る。
「…最後の言葉はそれでいいか?」
「…いいわけ…ないでしょう!」
ナハトは左手に貯めていた魔力を地面に叩きつけた。瞬間、魔力が地面に広がり、伸びた草が襲撃者の足に絡み付いた。
「うわっ!」
「な、なんだこれは!」
向こうが怯んだ隙に、リーダーの男の横をすり抜け森へ入った。身軽さも、森の中に隠れるのもこちらの方が勝っている。一度奴らの視界から完全に逃げられれば、こちらの勝ちになるはずだ。
「ギギャー!」
「すまない、ドラコ!ちょっとの間我慢しててくれ!」
ドラコが落ちないように胸元を抑えながら、ナハトは森の中を走って行く。時折飛んでくる矢もギリギリで避けながら、どんどん森の奥へ進んでいく。
(「…このまま森の奥へ行くのは良くないな。だが…」)
チラリと振り返ると、遠いがまだ足音が聞こえる。確実に追って来ているようだ。
森の奥には強い魔獣もいるが、後ろには確実にナハトを殺しに来ている奴らがいる。危ないが行くしかないと、決めてさらに速度を上げたその時ーーー。
「…えっ…」
突然、足元が崩れた。
「う、うわあぁああっ!」
ガラガラと崩れた地面は、初めからそこに地面などなかったかのように深い穴になっていた。底が見えない、暗闇に呑まれるように落下して行く。
「くっそ…!」
汚い言葉を使ってしまったと、頭の片隅に冷静な自分がいる事を認識しながら、ナハトは落下の体制を整えた。
そのまま回転し、遠心力の分近づいた壁に、両手で剣を突き立てた。
(「…とまれ…!」)
だが、突き刺した壁が崩れ、また空中に放り出されてしまった。
(「…くそっ…!」)
また剣を突き立てるが、今度は壁が硬すぎて刺さらない。ならばと壁に爪を立てるが、ツルツルとして引っかかりもない。
「…ぐぅ!」
右手は壁を掻くように剣を突き立てたまま、左手の爪を立てた。嫌な音を立てて爪が剥がれて行くが、死ぬよりはマシだ。痛みに歯を食いしばりそのまま十数メートルもの落下を耐えると、やっと徐々に減速して来た。
それと共に見えてきた穴の底。薄く光る底までは、高さはあるが着地にしくじらなければ大丈夫な高さだ。
ナハトが右手と左手の指に力を込めると、さらに少しだけ減速した。それに合わせて壁を垂直に蹴り、上に飛ぼうとする事でまたさらに減速した。そのまま底まで一気に飛び降りた。
「…っあ…」
突き上げるような衝撃を流して転がった。着地はうまくいった。かなり足に響いたが、足の骨に異常がある様子もない。そう安心すると、左手の指がひどく傷んだ。
「…ギュー、ギュー!」
「…ドラコ、ごめんよ。怖かったね」
「ギュー!」
「ふふ、私は大丈夫だよ。少し左手が痛いけれどね」
頬に縋り付いてくるドラコを、無事な右手で撫でる。良く見れば右手もあまり無事ではなかった。強く握り込みすぎたのか、手のひらを爪で抉ってしまったようだ。
それでも左手よりはマシだ。左手の爪は全て剥げ、指先の肉も少し削れてしまっている。骨も折れているだろう。
だけれど。
「……なんとか、生きのびられたか」
安心すると、ものすごい疲労感が襲ってきた。痛みも酷いが、疲労感がとにかく酷かった。
手当てのために縛った荷を解こうとしたが、強ばった指と折れた指で、うまく解くことができない。気づいたのか、ドラコが荷物の縛りを解いてくれた。
落ちた荷の中から布を取り出し、無事な指と歯で噛んで細かく裂いた。添木も何もないが、出血を止めるために傷口を巻くと、圧迫感で少しだけ痛みがマシになる。
「逃げられはしたけれど…どうやって戻ろうかね…」
穴を見上げると、遥か遠くに薄く光が見える。良くこれだけの怪我で済んだものである。
立ち上がり周囲を見渡すと、この場所は水がなくなった水脈跡のようだった。あたり一面ツルツルした壁で、所々に鍾乳石見られる。野生の獣や魔獣に見つかるとまずいので、警戒しながらほんの少しずつ洞窟を進んで行った。
すると、洞窟の奥に一際明るい場所を見つけた。
「…随分と明るいが…まさか、こんな地下から外に…?」
右手で剣を持ち直し警戒しながら進むとーーー。
「…これは…!?」
光の先には、ナハトが落ちた場所より遥かに広い空洞があった。
その中心には、大きな木。葉から光を放つ、みたこともないほど大きな木があった。幹はは大人10数人が手を繋いでも届かないほど太く、張り出した根も、太く逞しい。
「な、何だこれは…?」
驚いて近づいてみる。見上げると首が痛くなるほどの高さがあった。
その木は大きいだけで実の一つもなってはいないが、葉は瑞々しく緑に光り、幹も輝いているように見える。
「こんな木、初めて見た…。何でこんなところに…?」
「ギュー…」
「ん?」
木を眺めていると、ドラコにとんと頬を突かれた。そちらを振り向けば、木の根元から水が流れているのが見えた。サラサラと流れる水は、さらにその先の洞窟に続いている。水があれば傷も洗えるし、とりあえず生きられる。ここから出るためにどれだけかかるかはわからないが、水がなければ3日で動けなくなると聞く。
しかし、よくわからない気配というか、不可思議な感覚がそちらからする。なんと表現したらいいのか、重いようなねっとりとしたような、纏わりつくようなそんな感じだ。
(「ここで考えても仕方がない…行ってみよう」)
水の流れた先の洞窟は、木のある場所ほどではないが、一面湖のようになっていた。覗き込むと、かなりの深さがあるのがわかる。
「凄い水の量だな。これで水の心配はしなくてすみそうだね。…光ってるけど」
「ギュー…」
「…これ、光コケとかじゃ、なさそうだよねぇ?」
水の量は問題ないが、水が光って見えるのだ。光る木から湧く水だから、水も光るのかと考えてみるが、そもそもナハトは光る木を知らない。
(「安全かどうかもさっぱりわからないな」)
飲料水に向いてるかどうかはわからないが、傷口ぐらいは洗えるだろう。そう思い、巻いたばかりの包帯を外し、恐る恐る水に手を入れた。冷たいかと思った水はほんのり暖かく、肌に触れる感覚が気持ちいい。
「…やはり水じゃないのかな」
一通り傷を洗い、右手で少し水をすくって匂いを嗅いでみる。ほんの少し甘い匂いがするような気がした。
(「…飲むのはギリギリまでやめておいた方がよさそうだ」)
そう思い、水を泉に戻した。
ピシリーーー。
「…ん?」
石にヒビが入ったような音が聞こえた。あたりを見渡してみるが、何かが割れたような様子はない。
(「気のせい…?」)
そう思い、立ち上がろうとして…立ち上がれなかった。右手が氷のような透明な石に覆われていたのだ。
「…なっ!?」
ナハトがそれに気づいた瞬間、まるで生き物のように、透明な石が体を這い上がってきた。いや、這い上がってきたのではない。湖全体が石に覆われ出し、ナハト自身もそれに呑まれようとしていた。
「何だこれは!?とっ、取れない!」
痛む左手で石から体を抜こうとするが、全くびくともしない。それどころか、どんどん石は体を覆って行く。
「…ダメだ!ドラコ、逃げなさい!」
「ギュー!」
「私はいいから!早く逃げ…!」
ものすごい速度で侵食して行くそれに、思わずドラコを掴んで投げた。口も覆われ声が出せない。
「ギュー!ギュー!!!」
(「こっちに来ちゃいけない。逃げなさい…!」)
逃げるのではなくこちらに走ってくるドラコにそう言いたかったが、視界も石に覆われ、ナハトの意識は無くなった。