第12話 ヴァロにとってのナハト
結局遅くなってしまったので、エルゼルはその日泊まって行くことになった。幸いにもヴァロたちの部屋の正面の一人部屋が取れた為、共に夕食を取り、部屋へと戻った。
ナハトが女性とわかり、ヴァロが同じ部屋だと言うことに対して若干の躊躇を示したが、他の部屋がないこともあり、今日のところはととりあえず落ち着いた。
「…?」
夜中、物音でエルゼルは目を覚ました。足音に気をつけているが、バタバタと廊下を走って行く音が聞こえる。気のせいでなければ、それはエルゼルの部屋の正面、ヴァロたちの部屋から出ていった足音だ。
「何かしら…?」
そっと顔を出すと、薄暗い廊下の向こうからヴァロが戻って来るところだった。その手には氷の入った器がある。
「ヴァロ、どうしたの?」
「あっ、エルゼル。その…何でもないよ」
「何でもないなんてことないでしょう?氷なんて何に…まさか、ナハトさんに何かあったの?」
違う違うと慌てて首を振るが、もともとヴァロは嘘をつくことが苦手だ。それが幼馴染ならば隠そうとしても全く意味がない。
エルゼルはヴァロを無視して部屋へ入ろうと、扉へ手を伸ばした。だが、手が届く前にヴァロが間に入ってそれを阻止する。届かなくなったドアノブに、エルゼルは苛立ちを募らせた。
「ヴァロ、どいてよ!」
「待って待って!エルゼル、本当に大丈夫だから」
押しの弱いヴァロが頑なに退こうとしない。それに腹が立って、エルゼルはヴァロの耳に口を寄せた。
「みくびらないで。ナハトさんの事は分かってるわ」
「えっ!?」
「しっ!大声出さないの。分かってるから、私にも手伝わせて。ヴァロじゃどうせ体も拭いてあげられないでしょ!」
エルゼルの言葉にヴァロはつまった。実際、ヴァロはナハトを妙に意識してしまっていたのだ。エルゼルがいつナハトのことを知ったのかわからないが、手伝ってもらった方がいいのかもしれないと思い、頷く。
「…分かった。入って」
エルゼルが中に入ると、背の低い棚を挟んでベッドが左右にあり、その右側にナハトが眠っていた。枕元にいるドラコが、心配そうに擦り寄っている。
そしてそのナハトの耳は、いつも見る黒く尖った耳ではなく、見慣れない丸いものだった。疑惑が確信になって口をつく。
「…本当に劣等種だったのね」
「えっ!?知ってたんじゃ…」
「確信はなかったわ。でも、そうじゃないかとは思ってたの。それよりその氷貸して。あと新しいタオルも」
「う、うん」
ヴァロから氷を受け取ってナハトのベッドへ近寄った。ドラコが驚いたようにこちらを向く。「大丈夫よ」と声をかけると、瞬きをしてまたナハトにすり寄った。
「少し見せてね」
ドラコを抱き上げて少し脇にいってもらう。覗き込んだナハトの顔は、また熱で赤くなり、浅い息を繰り返していた。頬に触れ、額に触れるが、目を覚ます気配はない。代わりに熱い体温と、汗で濡れた肌がエルゼルの手に伝わってくる。
「随分熱が高いわね…。いつからなの?」
「わ、分からない。さっき、ドラコが気付いて起こしてきたんだ」
「そう…。ドラちゃん偉いわね」
「ギュー…」
これだけ熱が高いなら、下げることを優先させた方がいい。ヴァロにもっと氷と、それを入れる袋をお願いして、エルゼルは浴室へ向かった。洗面器に水を入れ、それで顔と首元を拭う。
「ナハトさん、ナハトさん」
拭きながら声をかけてみるが、ナハトは薄く目を開けるだけで反応はない。意識が朦朧としてしまっているようだ。
「エルゼル、貰ってきたよ」
「ありがとう。あと、白湯と、ナハトさんの着替え、どこにあるかしら?」
「わ、わかった。えっと着替えは多分…その鞄の中だと思う」
「分かったわ。白湯をらって来たら、体拭くからヴァロ出てってね。私の部屋にいていいから」
「わ、わ、わかった」
白湯を受け取って鍵を閉める。他人の鞄を開けるのは気が引けたがしょうがない。開けると確かに女性物の下着と、替えの服が入っていた。それを取り出して、ナハトを起こし、体を拭いた。本来ならば大変な作業だが、ナハトが軽い分、幾分楽である。
最後に白湯を飲ませ、氷を袋に入れ、脇の下、首元に入れる。頭にもよく絞ったタオルを乗せると、心なしかナハトの呼吸が落ち着いた気がした。
「これでよし。ドラちゃんもちゃんと寝るのよ?また、様子見に来るからね」
「ギュー」
伸ばした手にドラコが頭を押し付けてきた。撫でると、安心したようにナハトの頭の横で丸くなる。
それを確認して、エルゼルは部屋を出た。
「お待たせ」
「あっ、エルゼル…。ありがとう」
「ヴァロの為じゃないわ。ナハトさんの為だもの」
そう言ってエルゼルはベッドに腰かけた。じゃぁと言って部屋を出て行ことするヴァロを制して、備え付けの椅子を進める。少し戸惑った様子を見せたが、ヴァロは大人しく椅子に座った。
「ねえヴァロ。あなた、ナハトさんの前でそんな顔したら駄目よ?」
「えっ…そんな顔って…」
「意識してますーって顔」
エルゼルの言葉に、ヴァロは狼狽えた。確かに女性と聞いて意識してしまっていたからだ。
もともとヴァロは異性に対しての免疫がない。ナハトに尻尾の毛が欲しいと言われた時に戸惑ったことは、今でも揶揄うネタにされている。ナナリアの事だって、頬にキスされたナハトに「慣れてるんだね」と言って、物凄い目をされたのも記憶に新しい。
しかしそれは、そんなに悪い事なのだろうか。意識してしまうのはどうしようもないとヴァロは思った。
だが、エルゼルは違うらしい。難しい顔をしてヴァロに言う。
「ナハトさん言ってたでしょ?何故こんな格好をしていると思っているって…あれって多分、女性として見られて、とても嫌な目にあったからだと思うの」
エルゼルにも全く経験がないわけではない。思春期に差し掛かったころ、体が女性へと急に変化してきたころにあった、舐めるような視線。学校の同級生の視線が、気持ち悪いものへ変化したあの瞬間。そういうものが、常日頃から男性としての振る舞いを意識するほどのことが、恐らくナハトにはあったのだ。でなければ、あれほど嫌がるはずはない。熱だって、魔力のせいだけではないだろう。
「ヴァロが何でナハトさんの事を男と思い込んでたのかは知らないけど…。ナハトさんはヴァロに手当てしてもらって、女と分かっても態度を変えなかった事に安心していたんだと思うの。だから、そんな顔をしてナハトさんの前に出たら…きっと、とても傷つくと思うわ」
「………」
ヴァロは何も言えなかった。確かにその通りだと思ったからだ。
寝る前、部屋割りについて少しだけナハトと言い合いになった。知らなかった今まではいいとして、知ってしまった今、ナハトは女性なのだからエルゼルと同じ部屋にした方がいいと言ったのだ。その時のナハトの顔は、悔しそうな悲しそうな、そんな顔だった。結局、荷物の移動やベッドメイクなどの時間がかかるという事で今まで通りに落ち着いたが、部屋に戻った後も一定の距離を取ってしまい、その空気に耐え切れず買い忘れがあったと言って外へ出た。買い忘れなどなかった為に無駄に町をうろうろし、戻ってきたときにはもうナハトは眠ってしまっていた。こちらに背を向けて丸くなっている姿に、少しの寂しさを覚えた。
「ヴァロはナハトさんの事をどう思ってるの?」
「ナハトは…」
ナハトとは、ドラコに請われて助けたのが最初だった。血だらけで小さくて、劣等種で。劣等種にはいい感情を持っていない人が多いから、連れ帰っても医者に見せることも出来なかった。父が残してくれた本を見たりしながら傷を縫い、消毒して、必死に世話をした。なかなか目を覚さなくて、何度も生死を確かめて。目を覚ましたら覚ましたでとても饒舌で驚いたものだ。話してみたら変な人だと思った。変わった喋り方で偉そうで、言葉は厳しいけど優しくて、そしてすごく強かった。
力などではなく、心や言葉が強かった。たくさん教えてもらって、たくさん励ましてもらった。一緒にいて、本当に楽しかった。
そうだ。男とか女とか関係なくヴァロはナハトが好きで、だから一緒にいたかった。ヴァロを助けてくれたように、この度はナハトの助けになりたいと思ったのだ。
「…大事な友達だ」
ヴァロが呟くと、エルゼルが優しく微笑んだ。
「なら、ナハトさんにあんな態度をとったらダメよ」
「うん…そう、だね。うん」
何かを確かめるように、ヴァロは頷いた。ナハトが元気になったら、今までと同じように接しよう。ナハトの役に立つと言ったのに、自分が嫌な思いをさせるわけにはいかない。
「ありがとう、エルゼル」
「うふふ、どういたしまして」
エルゼルに礼を言って、ヴァロは部屋へ戻った。
次の日にナハトが目を覚ますと、いるはずないエルゼルがいて本気で驚いた。慌てて耳を探すが、すぐにそう言うことじゃないと気付いた。いつも通りのエルゼルの顔に、そっと息を吐き出す。
「…ご存知でしたか…」
「…ごめんなさい、騙し打ちみたいな感じになって。でも、私はナハトさんのお友達よ!それは、知る前も知った後も変わらないわ」
そう笑って言われ、ナハトは静かに頭を下げた。その後はまだ熱があるからと、エルゼルが甲斐甲斐しく世話をし続けた。素材も手に入れたのだから帰った方がいいと伝えたが、それはそれ、これはこれと言って譲らなかったのだ。
結局元気になったのは2日後で、エルゼルを送るために、ナハトたちは町の門の外まで来ていた。
「本当にエルゼルさんにはお世話になりました…。というか、私のせいで帰宅が遅れてしまい申し訳ない…」
「それは気にしないで。お友達が具合を悪くしてたら、助けるのは当然でしょう?」
そう言って笑うエルゼルは可愛らしくて、本当に素敵な人だと思う。ナハトが劣等種と分かっても、女だと分かっても、エルゼルは態度を変えなかった。本当にありがたい。
「ギルドからお金を受け取ったら、エルゼルの口座に入れておくよ」
「ええ、それでお願い。でも、本当に私が貰っていいのかしら?」
申し訳なさそうな顔をするエルゼルに、ナハトは頷いて答える。
ギルドで作る身分証には、金銭を預かってくれる口座という仕組みがある。商売や、冒険者でなければあまり使用することはない仕組みだが、今回エルゼルは大きな金額を受け取ることになった為、急遽商業ギルドで身分証の上書を行ったのだ。
冒険者は、一度登録すると冒険者としての義務が発生するが、商業ギルドではその限りではない。商売は個人の状況に左右されやすい為、義務的な縛りはほとんどないのだ。その代わり、商売を行う際にはギルドに事前に申請が必要で、売り上げの幾らかをギルドに納めることになるらしい。些細な金額らしいが、そうすることでギルド登録の商売というお墨付きと、客との問題が起きた時の仲介などをしてくれるそうだ。
今回エルゼルがしたのは登録だけ。それでも口座の仕組みは使えるので十分である。
「受け取ってください。受け取ってもらえなかったら、申し訳なさで私の胃に穴が空きます」
「うふふ、分かったわ」
「気をつけて」と、エルゼルの姿が見えなくなるまで手を振った。
この後はギルドに向かう予定だ。イーリーから一度顔を出すように言われていた為、ヴァロは町へ戻ろうと振り向いた。
そこに、ナハトは声をかけた。
「ヴァロくん、ちょっといいかい?」
ヴァロが振り返ると、ナハトいつものような笑顔を消して、真っ直ぐ彼を見つめた。先程までエルゼルに向けていた笑顔は消え去り、射抜くような瞳でヴァロを見る。
「…パーティ、解散しようか」
「えっ…」
言葉に詰まるヴァロに、ナハトは続ける。
「私は、君が…私のことを知っているのに、黙って気にせず接してくれているのだと思っていた。だけれど、違ったのだろう?君は23歳にもなって、結婚と一言口にすることも恥ずかしく、幼女のキスにすら動揺する人間だ。私と共にいるのは辛いだろう?」
「待ってナハト!俺は…!」
そう言って、言葉が出て来ずにヴァロは口を閉じた。ちゃんと言おうと思っていたのに、うまく言葉が出てこない。それを肯定と受け取ったのか、ナハトは悲しそうに笑って踵を返す。
「ギルドへ行ったら、ついでにパーティ解散の手続きもしよう」
歩き出したナハトの背中は、いつもよりももっと小さく見えた。ドラコがヴァロを見て、呆れたように目を細める。
ちゃんと言わなきゃいけない。女だとかどうとか気にしてないって。言葉にできないまま、ヴァロは駆け出した。ナハトの腕を掴むと、驚いて振り向いたナハトと視線が合う。
「ナハト!あ、あの…俺…」
「無理しなくていい。分かってるから」
「待って、分かってないから!ちゃんと聞いて…。うまく言えないかもだけど…」
「ヴァロくん…?」
首を傾げるナハトに、ヴァロは大きく息をついた。
「俺、ナハトのこと女の子だと思ってない。今まで通り、ナハトとパーティ組んでいたい」
「気持ちは嬉しいが…それは難しいんじゃないかい?君はそんなに器用な人間じゃないだろう?」
「確かにそうなんだけど…ああ、違う。そうじゃなくて…」
ガシガシと頭を荒っぽくかいて、ヴァロは再び顔を上げた。やはり考えてしゃべってもうまくいかない。ヴァロのような人間は、思っていることをそのまま言うのが1番いい。
「俺は、ナハトが男でも女でもどっちでもいいんだ。俺にとって、ナハトは大事な友達だ」
「ヴァロくん…」
「大体俺、見たのに気付いてなかった。ナハト全然胸ないし、たまに血の匂いするなーとか思ったけど…ナハトは綺麗にしゃべって動くけど、それは本当に男っぽいし、それに」
「…よし、黙ろうか」
「待ってナハト!俺…」
ナハトはまだ言い足りなそうなヴァロの頬を掴んで、思い切り横に引っ張った。
「だ、ま、れ」
「ひゃ、ひゃい…」
限界まで引っ張ると、そうとう痛いのだろう。涙目でやめてくれと訴える。
だがやめるつもりはない。マナーも何もない発言をしたのはこの口だ。座れと言うと、頬を引っ張られながらもヴァロは大人しくその場に正座した。
そこでやっと手を離し、ナハトは片手で顔を覆った。いろいろ考えていたのが馬鹿みたいだ。
「君は本当に酷いやつだな。前半は許そう。拙い言葉だが真摯だったからな。だが後半は許さない。言うに事欠いて、胸だ血の匂いだと…ここは外だぞ!まず場所を考えろ!」
「は、はいぃっ!」
「大体君は、女性関係に関しては、幼女にすら照れる雑魚っぷりじゃないか。なのに急に何を言っているんだ?羞恥心ぶっ壊れてるのか!?」
「ガー!」
「ご、ごめんなさいぃぃい!」
「そもそも…」
ドラコにも威嚇されて涙目になったヴァロが土下座してくるが、ナハトは止まらない。普段とは違うなかなかに汚い言葉で散々罵倒すると、一度顔を上げた。
遠目からこちらを伺っている、町へ入るための列に並ぶ人々と目が合う。また大きくため息をつくと、ナハトはマントを翻して町へと向かった。
「な、ナハト?」
「もういい。早くギルドへ行こうじゃないか」
「えっ…じゃあ…!」
「ほら、さっさと立て!私はこれ以上見せ物になる気はないぞ」
「う、うん!」
嬉しそうに顔を綻ばせながら駆け寄ってくるヴァロを見て、ナハトはため息をついた。ほんの少しだけだけあった悲しい気持ちも、悔しい気持ちも、ヴァロの馬鹿みたいな言葉で全部どこかへ行ってしまった。デリカシーのないアホみたいな言葉だが、それだけに本心と分かって安心した。
「まったく…君は本当に変なやつだな」
「…ナハトには言われたくな…」
「ほう…?」
「な、な、ななんでもない!」
ばたばたとついて来るヴァロを連れて、ナハトは町へ戻った。




