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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第二章
27/189

第10話 予測不可

 あくる日、今日もギルドへ行こうと宿の階段を降りると、ロビーに見知った人物がいた。


「エルゼル!?」

「エルゼルさん?」

「ナハトさん、ドラちゃん、ヴァロ!お久しぶりね」


 笑顔で走り寄ってきたのは、リビエル村で別れたエルゼルだった。驚きながらも挨拶すると、ドラコがいそいそとエルゼルの肩に登った。頬に擦り寄って、とても嬉しそうだ。


「エルゼル、何でここに?」

「ギルドで聞いたのよ。2人がここに泊まってるって。驚いたわ、2人ともこんなに早く緑になってるなんて!」

「ありがとうございます。こちらには遊びに来られたのですか?」


 ドラコと遊んでいるエルゼルに問いかけると、エルゼルは少し恥ずかしそうに答えた。


「ううん。実は2人にお願いがあって…」

「お願い?」

「うん」


 そう言うエルゼルを連れて、一度部屋へ戻った。

 お茶も何もないが椅子をすすめる。わざわざ訪ねてきてのお願いとは何だろうか。またヨルンが何かしたかとも思うが、そんな深刻そうな様子はない。


「それで、お願いとは何でしょうか?」

「あのね…実は私、欲しいものがあって…」

「欲しいもの?」

「コルピアの種っていうのなんだけど、知ってる?」


 コルピアの種、先日図書館で調べた図鑑で見た花の種だ。確か、大地の魔力が豊富で水の綺麗なところに生える花で、購入するとそれなりに高価なものだったはずだ。花には変わった特性があって、採取者の魔力が種に影響されると、本には記載されていた。

 何故そんなものをと首をかしげると、エルゼルは少し困ったように見える笑顔で話しだした。


「私の従姉妹なんだけど、実は出産を控えてるの。それ自体は喜ばしいことなんだけど、双子でね、出産、大変そうなの」


 事情はわかった。しかし、なぜコルピアの種が欲しいのかは分からない。ヴァロも首を傾げているから同じなのだろう。ナハトとヴァロの反応を見て、エルゼルは少し笑ったあとに話してくれた。

 要約すると、コルピアの種は加工する事によってとても優れた御守りになるらしい。ここでは魔力の属性は親に似る。だからお守りは魔力の近しい親から貰うものだが、従兄弟の両親は数年前に亡くなってしまったらしい。そうなると出来る限り近しい親族かつ、属性が同じ者からの御守りが良いとされている。それで、従姉妹と属性が同じエルゼルに白羽の矢が立ったと言うわけだった。


「御守りがあるとないとじゃ全然違うの。難産でも、御守りがあればすごく早く回復するのよ」

「それは凄いですね」


 エルゼルの説明では詳しい効能はわからないが、御守りがあることで身体に及ぼす影響にとても興味が湧いた。後日、詳しく調べてみようと思う。


「そうなの。だからどうしても欲しいんだけど、最近すごく高くなっちゃってて…。なら、自分で採取しようと思ったんだけど、森とかに1人で入るのは危ないでしょう?だからギルドで護衛をお願いしようとしたんだけど、いい顔されなくて…」


 それでここへきたのかと納得がいった。

 ギルドでは護衛依頼は忌避される傾向がある。まず、依頼報酬が安い事が多く、その割に気を使う事が多いからだ。自分で採取ということは、依頼人を連れ歩くことになる。非戦闘員を連れ歩くというのはそれだけでかなりのストレスを伴ううえ、依頼人は一般人であり、危険があっても咄嗟には動けない。だからそれを考慮して立ち回る必要があるし、触れてはいけないもの、入ってはいけない場所、動いてはいけないなど、それらをいちいち伝える必要がある。エルゼルはそんな事はなさそうだが、人によってはいちいち言われる事を嫌がって文句を言ったり、依頼者という立場を振りかざして暴力を振るう、嫌な思いをしたからと依頼料を渋るなどもあると聞く。

 エルゼルもそれを聞いたのだろう。


「私、ちゃんと2人の言うこと聞くわ。だから、コルピアの種の採取に、私を連れていってくれないかしら…?」


「もちろん依頼料も払うから!」と、エルゼルは真剣な顔で言った。依頼料も貰えて、他ならぬエルゼルの頼みだ。ナハトとヴァロは視線を合わせると、頷いた。




 ギルドで指名依頼の手続きを終え、昼食を買って町を出た。ギルドで聞いたコルピアの群生地は、ナハトたちが戦った植物の魔獣が出た森の中だった。あの森にはとても綺麗な水が湧き出ている場所があり、その水で出来た小さな湖の周辺がそれに当たるそうだ。

 辻馬車に乗り、のんびりと向かう。ギルドでは、もうあの森は元の状態に戻ったと聞いているが、念のため注意事項は伝えておく。


「まず、森には俺が先頭で次にエルゼル、最後にナハトで入る。魔獣はいない筈だけど、凶暴なやつ…ボーとか出るかもしれない。その時は俺が前に出るから、エルゼルはナハトの近くから離れないでね」

「わかったわ。…本当に冒険者やってるのね」

「ふふ、逞しくなったでしょう?」

「ギュー!」

「うふふ、本当ね。あんなにめそめそしてたのに、今は別人みたい」


 馬車に揺られながらエルゼルがヴァロを揶揄う。幼馴染というのはこういう時に恥ずかしいものらしい。居心地悪そうにするヴァロに、ナハトは耳打ちした。


「良かったじゃないか。惚れなおしてもらえそうだよ?」

「…俺とエルゼルはそういうんじゃないから」

「ふふ。君はそうでも、あちらはどうだかね…」


 ただの幼馴染というには、エルゼルはヴァロの事を気にしている。今も見慣れない冒険者の格好のヴァロを、エルゼルは眩しそうに見つめている。


「微笑ましいね」

「…何か言った?」

「いいや」


 ナハトは笑ってドラコを撫でた。

 森ヘ着き、馬車を降りた。乗り込んだ時と同じようにエルゼルに手を差し出すと、エルゼルは照れながらその手を握った。本当はヴァロがやったほうがいいと思うのだが、彼は照れてやろうとしない。こういう事で女性になれればいいのにと思っていると、聞きたくない声が聞こえた。


「おーい!」

「…なっ!?」

「……はぁ…」

「えっ?」


 ヴァロが顔を顰めて、エルゼルが首を傾げ、ナハトは左手で顔を覆った。振り向くと、アンバスが走ってきたところだった。以前と変わらず笑顔で来る彼に、ヴァロがナハトを庇うように前へ出た。ドラコも威嚇している。

 それに不安を覚えたのだろう、エルゼルがナハトの腕を掴む。


「何しに来た?」

「何しに来たって酷えな。その依頼俺も参加させてくれ」


 もうイーリーにも伝えてあるし、本人にも伝えた筈なのに、まだ何を言っているのだろうか。

 ナハト以上にアンバスを毛嫌いしているヴァロを抑えつつ、エルゼルに断りを入れて前へ出た。何故か嬉しそうにするアンバスに悪寒が走る。


「アンバスさん。イーリーさんにもお伝えした通り、私たちはあなたを指導者としたくないのです。お引き取りください」


 するとアンバスは違う違うと手を横に振って言う。


「指導者として入れろって言ってんじゃねえ。俺もパーティに入れてくれって言って…」

「お断りします」


 言い終わる前にそう言うと、今度は両手を揃えて拝むように頼み込まれた。


「頼む!この一回だけでいいんだ!」

「お引き取りください」

「ちゃんと仕事はするし、勝手なこともしねえ!この一回で判断してくれ!」

「嫌です」

「この通りだ!確かめたい事があんだよ!」

「………」


 確かめたい事ってなんなんだ。またこちらの事を考えていない、完全な押し付けである。

 とはいえ、力尽くで帰す事は出来ないだろう。ヴァロも強くなったが、銅の冒険者に到底かなうわけではない。


「また勝手言って…帰れよ!」

「リーダーはお前じゃねえだろ。なぁ、頼む!」

「…いいんじゃない?」


 ヴァロでもナハトでもアンバスでもない声が聞こえて、全員がそちらを向く。一斉に向いた視線に驚いたエルゼルだったが、もう一度口を開いた。


「あの…私、よく分からないけど…この一回に参加したら、もうヴァロたちに関わらないんですよね?」

「エルゼル!?勝手に…」

「でも、このままじゃどうしようもないでしょ?私、早く採取に行きたいし…。それで、関わらないって約束できるんですか?」


 止めるヴァロにもっともな反論をして、エルゼルは再度アンバスに問いかけた。問われたアンバスは一瞬ほうけたが、すぐに反応する。


「あ?あ、いや…関わらないっつうか、確認したい事があるから参加したいっつーか…」

「…?なら、確認したら、もう2人に付き纏わないんですね?」

「あーそのー…。つうか、あんた誰だ?」


 話が進まない。大きくため息をついて、ナハトは一歩前に出た。

 すると何故かアンバスが一歩下がった。その様子を不可思議に思いながらも口を開く。


「彼女は今回の仕事の依頼者のエルゼルさんです。アンバスさん、エルゼルさんが今回の依頼は同行していいと言ってくださってます。それで、あなたはどうされるんですか?その確かめたい事というのを確かめられたら、もうパーティに入れろと言ったり、付き纏ったりしないと約束できますか?」


 それならば今回は許可すると言うと、ヴァロとドラコが嫌そうな声をあげて、アンバスは喜んだ。本当にいったい何なんだ。

 気を取り直して、4人と1匹で森を進む。ヴァロに先行してもらいながら、アンバスにも依頼内容について伝える。


「そう言うわけで、今回はコルピアの種の採取に来ました。先達として一応お聞きしますが、何か注意点等ございますか?」

「そ、そうだな…。大丈夫だとは思うが、この森には稀にユニコーンが出るんだが…知ってるか?」

「ユニコーン?」


 聞いた事がないそれに首を傾げると、またアンバスが一歩下がった。だから何なんだ。眉を顰めると、すぐに態度を正して説明を始めた。

 ユニコーンというのは聖獣と言われる生き物で、神聖なものとされている。魔獣などと比べて圧倒的に目撃数が少なく、その生態については知らない事が多い。ただ、その角や立髪は大変貴重で、カケラでもとんでもない値段で取引されている。その分偽物も横行しているが、本物は信じられないほどの高魔力物で魔道具や妙薬に使用されるらしい。

 そんな生き物が稀に目撃されるのがこの森との事だ。


「珍しい生き物という事はわかりましたが、何か気をつける事があるのですか?」

「ああ。ユニコーンは女に目がない」


 思わず足が止まる。目がないとはどう言うことか。エルゼルに危険が及ぶのはマズイ。先に気をつけておく事があるならば、やっておかなければならない。


「目がないとはどういう事ですか?」

「あ、ああ。いや、危険な事はねえよ。ただ、ユニコーンは女、中でも処女を侍らせて眠るらしい。何でかはわかってねーがな」

「らしいという事は…アンバスさんも見た事がないのですか?」

「ああ、話は聞くが見た事はねえな。つっても、俺はいつも1人だったからな。女っ気もねえのに出てくる事はねーだろうよ」

「…本当に危険はないのですね?」


 前科があるため疑って聞くと、アンバスにもそれが分かったのだろう。しっかりと頷いて答えた。


「ああ、間違いない。ユニコーンと会った事のあるやつから聞いたからな。ついでに言うなら、ユニコーンと一緒にいたやつは一時的に魔力が上がるらしい。立ちくらみを起こしたりするが、それも一時的ですぐ治ったそうだ」

「なるほど…」


 処女かどうかはこの際どうでもいいが、エルゼルとヴァロにはこの話は伝えておいた方がいいだろう。採取の最中警戒して、そのユニコーンが見えたらすぐさま離脱しよう。

 今回は大変ためになる話を聞いた。ナハトたちの話を聞いて、少しは心を入れ替えたのかもしれない。だとしても、面倒なので今後の付き合いは遠慮したいが。


「…ためになったか?」

「ええ、大変参考になりました」

「なら…!」

「他には何かありますか?」


 何か言われる前に言葉を被せると、アンバスは少し残念な顔をしたが考え込んだ。今のうちに伝えておこうと、先頭を歩く2人に声をかける。


「ヴァロくん、エルゼルさん。ちょっといいかい?」


 2人にユニコーンの話をし、いざという時の対処についても伝える。アンバスの話という事でヴァロは懐疑的ではあったが、今回は大丈夫だろうと伝えると不審がりながらも頷いた。

 その後は特に問題もなく、目的の泉がある開けた場所へ到達した。出た瞬間わかった。確かにここはとても空気が澄んでいて、魔力の濃度も高い。属性関係なく純然たる魔力が満ちていて、膜のように感じた。コルピアの花の香りだろうか、ほんのりと甘い香りがそこかしこからする。


「すごい綺麗なところね」

「ええ、本当に。ですが、少々魔力が濃いですね」

「そうなの?」


 頷いて手を伸ばす。土地自体に意識があるかのように、ある一定の場所から魔力の壁のようなものを感じる。


「ここから先は魔力が濃くなってます。土地の影響でしょうか?興味深いですね」

「ここ?…私にはよく分からないわ」

「…俺も」


 不思議そうにヴァロとエルゼルが手を伸ばしたり引っ込めたりする。ナハトにとってはそちらの方が不思議だった。こんなにも、粘度のある水が絡み付いてくるように感じるのに。


「大丈夫そうだぞ」


 顔を上げると、アンバスが周囲の安全を確認してくれていた。アンバスも何も感じていないようで、膜の中でこちらを見ている。


「…問題なさそうなので行きましょう」


 そう言って、3人と1匹は膜の中へ入った。もっともそう感じたのはナハトだけであった。ヴァロもエルゼルも平気そうだ。ナハトにだけ、特殊な影響が出た。

 くらりと視界が揺れる。感じた事がない感覚に、軽く頭を振った。


「おい、どうした?」

「…何でもありません。採取を済ませてしまいましょう」


 アンバスに問われるが、ナハトは否定してエルゼルの元へ急ぐ。背中に刺さる視線を無視して、エルゼルの隣までくると、あたりを見回した。


「…エルゼルさん、採取はどのくらいかかりそうですか?」

「そんなに時間は取らないわ。魔力操作は出来るから、10分くらいかしら」

「10分…。わかりました。ヴァロくんは東側を頼む。私は西側を警戒しよう。…アンバスさんは全体をカバーするようにお願いします」

「わかった」

「まかせろ」


 一応アンバスにもそう声をかけて、ナハトは深呼吸した。10分なら耐えられる。ゆっくりと息を吐き、あたりの気配を探った。

 だが、魔力の濃度が濃すぎて魔力で警戒するのは困難だった。仕方なく気配のみに頼って警戒していると、突然肩に手を置かれた。驚いてびくりと肩が跳ねる。


「ナハト、聞こえてる?終わったよ」

「あ…ああ、すまない。少しぼーっとしていたようだ」


 微笑むと、ヴァロが眉根を寄せた。どうしたのかと思うと、ぐっと顔が近くなる。


「ヴァロくん?」

「ナハト、具合悪いでしょ?顔真っ赤だよ」

「えっ…?」


 顔に手を当ててみるがよく分からない。もたもたしていると、エルゼルが駆け寄ってきた。ナハトの顔色を見て慌てたように額に手を当ててくる。


「ナハトさんどうしたの!?大丈夫?熱は…ないみたいだけど、具合悪い?歩ける?」

「だ、大丈夫です、エルゼルさん。多分この魔力のせいでしょう。ここに入った時に少し変な感覚がしたので、そのせいかと」

「なら早く出ましょう!もう採取はできたから」


 ぐいぐいと手を引っ張られて、ナハトは思わず笑う。そんなに心配されずとも大丈夫なのだが、ヴァロもエルゼルも幼い子供を相手するような視線を向けてきて何ともくすぐったい。


「あははっ、2人ともありがとう」

「!?」

「っ!」


 思わず笑ってしまったのだが、そのナハトの笑顔を見た2人が途端に顔を背けてしまった。いったいどうしたのかと首を傾げると、エルゼルの頬が真っ赤になった。まさかエルゼルも具合が悪くなったのだろうか。手を引いて足を止めて、手袋を取って彼女の頬に手を当てた。


「エルゼルさん、顔が赤いですが…大丈夫ですか?」

「だ、だだ大丈夫よ?私のは一時的なものだから…」

「…本当に?」


 覗き込むように目を見ると、ぎゅっと閉じられてしまった。やはり具合が良くないのかもしれない。ヴァロにすぐエルゼルを運んでもらわなければと顔を上げようとして、ナハトは不可思議な気配を感じた。


「な、ナハト?」

「…何か、来る」

「えっ!?」


 すぐさま警戒体制を取るヴァロとアンバス。だが、2人には何の気配も感じない。目をこらしても、森しか見なかった。


「おい、何か感じるか?」

「いや…全然」


 ヴァロの気配を読む力などまだまだだ。アンバスがわからないものなど分かるわけはない。ナハトだけはそれを確実に感知しているが、2人はどれだけ探ってみてもわからない。本当に何かいるのかと2人が思っていると、それは突然姿を表した。何もない場所から浮かび上がるように、白い馬が姿を表した。その額な長い角、ユニコーンである。


「逃げるぞ!」


 アンバスの声に、ヴァロはエルゼルを抱えて走り出した。

 だが、ドラコの鳴き声がしてすぐ足を止めた。振り向くと、ナハトがユニコーンに向かって歩いていく。


「ナハト!?」

「ちっ!おい、何やって…がっ!」

「なっ!?」


 ナハトに駆け寄ろうとしたアンバスが、見えない壁に弾かれて吹っ飛んだ。吹っ飛ばされたアンバスも、何が起きたのかわからず激しく瞬く。

 次の瞬間、ドラコが飛んできた。


「ギュー!!!」

「ドラコっ!」


 飛んできたドラコを左手で受け止める。飛んでは来たが、自発的というよりはアンバスと同じように弾き飛ばされたようだ。ダメージはないが、怖かったのだろう。震えている。


「おい!嬢ちゃんの手を離すな!」

「エルゼル!」


 慌てて顔を上げると、エルゼルがもユニコーンに向かって歩き出していた。すぐに手を伸ばしたヴァロであったが、ヴァロも見えない壁に弾き飛ばされ、ドラコを抱えて着地する。


「ドラコ、しっかり捕まっててね。ナハト!ナハト、しっかりして!エルゼルが!」


 壁はユニコーンを中心に半球状に広がっているようで、ナハトとエルゼルがユニコーンの元についてからは、弾く力は無くなった。ただただ見えないそれに阻まれて、近寄る事ができない。ナハトもいくら声をかけても反応せず、ぼーっとユニコーンを眺めている。

 壁を殴るヴァロを、アンバスが肩を叩いて止めた。


「やめろ、落ち着け坊主。ユニコーンは何もしやしない。侍らせて寝たら、勝手に帰っていくはずだ」

「あんたはそう言ってたけど、ナハトが中に入ってるじゃないか!女の子だけじゃなかったのか!?何もしないなんて、信じられない!」

「いいからやめろ!敵だと思われたら、中の奴らが何されるかわかんねーだろ!あんな状態でナハトが戦えると思ってんのか!?」

「…くっ!」


 もっともな言葉に、ヴァロは歯を食いしばった。悔しいがその通りだ。本当に眠るだけなら、ここでこうして待つしかない。何も出来ない無力感に打ちひしがれながら、ヴァロは不安に鳴くドラコを宥めた。




(「ふわふわする…」)


 雲の上を歩いているような、足元がしっかりしない状態のまま、ナハトはそれに近づいた。呼ばれているような気がした。急かされる感覚はないが、無意識にそちらへ足が進む。


「ナハトさん」


 声をかけられて振り向くと、微笑むエルゼルがいた。エルゼルまでどうしていたのだろうかと思っていると、角のある真っ白な馬が甘えるように鼻先を擦り付けてきた。短くはあるが気持ちの良い毛並みがくすぐったくて笑う。

 エルゼルも首元を撫で、抱きつくようにその首元に手を回した。それは応えるように、エルゼルに鼻先を当てる。


「…なんでしたっけ…。ああ、ユニコーン…でしたっけ?」


 手を伸ばして撫でると、肯定するかのようにユニコーンが目を閉じた。


「ナハトさん、ユニコーン眠そうじゃないですか?」

「そうですね…眠りますか?」


 問うと、ユニコーンはおとなしく膝をおった。袖を引っ張られて座り込むと、その膝に頭を乗せてくる。そのまま撫でれば、美しい桃色の立髪がサラサラと指の間からこぼれた。エルゼルがナハトの隣に座り、同じように撫でて感嘆の声を漏らす。


「なんて素晴らしい立髪かしら…気持ちいい」

「本当ですね」


 撫でていると、ナハトもエルゼルもとても眠くなってきた。耐え難い眠気というのではなく、温かいものに包まれて微睡んでいるような眠気だ。


「ふわぁ…」

「ふふ、エルゼルさんも眠ったらいかがですか?」

「そうさせてもらおうかしら…。ナハトさんは?」

「私は…」


 遠慮すると言おうとしたが、口から出たのは「では私も」という肯定の言葉だった。全員でこんなところで眠るなんて危険だと、一瞬思ったはずなのに、そんな考えは元からなかったかのように霧散して消えた。

 寄りかかるように、ユニコーンの体に頭を寄せる。獣の暖かい体温と、とくとくという心臓の音が心地よく、ナハトとエルゼルは眠りについた。




 それからどれくらいの時間が経ったのだろう。遠くでヴァロが声をかけてきている気がした。軽く頬を叩かれて、重く自由にならない瞼を開ける。涙でも出ているのだろうか、歪んだ視界にヴァロとエルゼルとドラコ、それとアンバスの顔が見える。


「ナハトさん!大丈夫?」

「…な…」


「何がと」問おうとして、舌がうまく動かない感じがした。体が熱くてだるい。魔力がものすごい勢いで身体中を巡っていて、ただただ熱かった。事実熱はあるのだろう、ぼーっとしていてハッキリしない。


「顔が真っ赤…それにすごい汗よ。意識もはっきりしてないみたい」

「どうしちゃったんだろ…。アンバス!すぐ元に戻るんじゃなかったのか!?」

「そのはずだ。現に、嬢ちゃんはもう大丈夫だろう」


 エルゼルは頷いた。ヴァロとアンバスに起こされて、すぐは全く反応できなかった。酔っ払った感じで、よくわからなかったのだ。だが数分もすれば元に戻った。同じように起こされたナハトだけ、変わらずこの状態なのだ。


「とにかく、急いで帰ろう。エルゼル、ナハトの荷物持ってくれる?」

「わかったわ」


 エルゼルがナハトの荷物を持ったのを見て、アンバスが眉を顰めた。


「おいおい。俺がそいつを抱えて、坊主が嬢ちゃんを抱えりゃ、すぐに森出られんじゃねーのか?」

「それは…」


 その通りだ。だけれど、何故かヴァロは、アンバスにナハトを預けたくなかった。そうした方が早く町に帰れる。その方が、ナハトが早く休めるのにだ。


「うっ…」


 ナハトが目を開けた。先ほどよりはほんの少し意識がはっきりしているようだが、それでもまだぼーっとしている。ヴァロに抱えられたナハトを覗き込んで、エルゼルが声をかける。


「ナハトさん、ナハトさんわかる?」

「…えるぜる…さん」

「そうよ、気がついてよかったわ。今ここがどこかわかる?」

「…?」


 のろのろとあたりを見回そうとして、ナハトは断念した。頭が重くて動かない。眼球を動かすのも億劫だった。代わりに働かない頭を一生懸命動かして、思い当たる。


「ああ…。コルピアの種は、採取出来ましたか?」

「…もう、ナハトさんたら…。ええ、大丈夫よ」

「そう…よかった」


 少し苦しそうなナハトの息遣いに気づいたエルゼルが、荷物から水を取り出して口に当ててくれた。冷たい水が喉を通り、また少しだけ頭がはっきりする。


「ナハト。このまま抱えて帰るけど、揺れとか大丈夫?」

「…すまないが、あまり揺らされると、はしたない姿を見せることになりそうだ」

「それは気にしないでよ。…アンバスがユニコーンについてデマ情報なんか教えるから」

「違えっつってんだろう!?ユニコーンは女、処女しか侍らせねえってのは事実のはずなんだよ!話を聞いたのは1人や2人じゃ…」

「…ああ、それは…私が女だからだよ」


 時が止まった。ナハト自身言うつもりはなかったが、頭が働かずに判断力が低下していた。聞かれた事、耳に入った情報をそのまま口に出してしまったのだ。


「…はあ!?」

「…うそ…」

「えええっ!?」

「ヴァロくん、揺らさないでくれ…」


 驚いた声が上がる。女性を抱えていると言う状態に、ヴァロの顔に朱が走る。だらだらと汗をかきながらも静止した腕に、ホッと安心して体を預ける。


「いや、お、お前が驚いてんのはおかしいだろう!?」

「だだだだって!そんな事知るわけ…!」

「…君が知らないことはないだろう…。君、私の服脱がしたじゃないか」

「ヴァロ!?」

「ええっ!?ちょちょちょっと待ってしてないよ!?」

「あっ!ヴァロ、ナハトさんの手当てしたって…」

「してたあああああ!」


 ヴァロがもう使い物にならないので自ら地面に降りた。しかし、足にまったく力が入らないうえ、頭が重すぎてそのまま傾いた。

 慌てたエルゼルに抱えられ、そのままそこに座り込む。頭が揺れて気持ち悪く、申し訳ないと思いながらもエルゼルに寄りかかった。


「ナハトさん、立てそうにはないわよね…。休んだら良くなりそう?」

「…わかりません…。魔力を出せれば少スッキリしそうなんですが…」

「魔術使えないの?」


 はいと、ナハトは小さく頷いた。こんな魔力の濃度が高い場所で魔力を出したら、植物にどんな影響が出るかわからない。最悪、手近な植物が魔獣化してしまうかもしれない。そんな危険を冒せるわけない。


「私の魔力は植物なので、こんなところで出したら、どうなるかわかりません…」

「なら、帰るしかないわね」


 ぎゃんぎゃん言い合いをするヴァロとアンバスに、エルゼルは声をかけた。


「もう、いい加減にして!ナハトさんを早く休ませなきゃいけないのに、いつまでやってるのよ!」

「ご、こめん…」


 慌ててヴァロが駆け寄ってくるが、それを突然アンバスが制止した。グラグラ煮立った頭で成り行きを見守っていると、とんでもない言葉が耳に飛び込んできた。


「俺はコイツに惚れてる。だから俺が運ぶ」

「は?」

「いいな」


 ヴァロもエルゼルも突然の発言に固まった。

 まさか、それを確認するためについて行きたいと言ってのかと、合点がいった。なら、酷いことはしないだろうから任せていいのかと、ヴァロは一歩引いた。

 しかし、思わぬところから否定の声が聞こえた。


「…嫌だ…」

「…ナハトさん?」

「何もしねーよ。運ぶだけだ」


 そんな目で見るなと、ナハトは叫び出しそうだった。声が詰まったように出ず、近づいてくるアンバスの手を避けて後ろへ下がる。だが、後ろにはエルゼルがいる。エルゼルに背中を押しつけるような形になっただけで、下がることは出来なかった。

 異変を感じたエルゼルが手を出して庇ってくれた。それだけで、息をするのが少し楽になる。


「…嫌だ。私が…何故こんな格好をしてると思ってるんだ。嫌だ…そんな目で…」

「ナハトさん!」


 呼吸が苦しい、吸っても吸っても息ができない。エルゼルが背中をさすってくれるが、ちっとも呼吸が楽になった気がしない。


「はあっ…はっ…」

「深呼吸して。ゆっくりでいいから」


 生理的な涙が頬を流れる。気持ち悪くて、頭が熱くて、体が熱くてよく分からない。こんなみっともない姿を晒すつもりなどなかったのに。


「エルゼルさ…すみま、せん…」

「大丈夫よ。…ナハトさんは私が連れて行きます。2人は荷物持ってついてきてください」

「エルゼ…」

「ヴァロは恥ずかしがって運べないんでしょ?情けない…そういうところは、全然変わってないのね。それと、アンバスさんは1番後ろからついてきてください」

「ま、待て、俺が…」

「異論は聞かないわ。私が依頼者なんだもの」


 エルゼルはそう言って、ナハトを抱き上げた。本当に運べるかと少し不安ではあったが、思ったよりもずっと軽くて驚いた。これなら辻馬車まで問題なく運べるだろう。


「エルゼルさん…降ろしてください…」

「具合が悪いんだから無理しないで?ナハトさん軽いから私でも余裕よ」

「…それは、嬉しくないですね…」


 口は動いているが、目は開いていないし、手足も力が入らないようだ。ドラコが縋り付いてもまったく反応出来ていない。


(「…こんな状態のナハトさんを見たのに、なんて頼りにならない人たちなのかしら」)


 憤慨しながらも、エルゼルはずんずん森を進んだ。


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