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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第二章
26/189

第9話 迷子

 ナハトとヴァロとドラコはまた魔獣の森へ来ていた。まだ代わりの冒険者が見つからないらしく、今日も採取の依頼を中心に行うことにしたのだ。本当は魔獣の討伐や調査などの難しい依頼を受け、等級を上げたいところだがしょうがない。無理をしてもよいことはない。

 現在のナハトたちの等級は緑。中堅の冒険者は緑から橙だが、短期間に等級を上げたナハトたちの事を悪く言う冒険者は多く、また、アンバスが先に付いていたところを見られている為、アンバスと比べられると断るものが後を絶たないそうだ。


「ナハト、これで最後だよ」

「ああ、ありがとう」


 最後の実を回収し、何事もなく昼前には町へ戻った。

 ギルドへの報告も済み、少し遅い昼食をすまして、午後は図書館でゆっくりすることにした。今回もヴァロには植物図鑑の写しを頼み、ナハトはこの国の成り立ちを近年から少しずつ調べていた。毒系の植物図鑑はある程度網羅したが、それでも全体の僅かだ。回復効果がある物や麻痺効果がある物、硬い、燃え難い等の特性がある物まで列挙していくと、とても一人では終わらない。

 覚えなければならない植物も多いが、ナハトにはこの国の常識、勉学の足りない部分を補うことも必要だ。植物図鑑を任せて黙々と読み進めていると、突然、ヴァロが顔を上げた。きょろきょろと辺りを見回し、首をかしげる。


「どうしたんだい?」

「なんか、声が…」

「声?」


 ナハトも耳を澄ましてみるが、外の喧騒と近くにいる人が本をめくる音くらいしか聞こえない。だが、ヴァロには違うようだ。立ち上がって壁の方へ歩いていく。その少し焦りを含んだ動きに、ナハトは本を元にあった位置に戻し、追いかけた。


「どこから聞こえるんだい?」

「多分…こっち。子供の泣き声だと思う」


 そう言ってヴァロが走り出したのは、この町で治安が悪いとされる東側。本当に子供の泣き声ならば、向かう方向があまりに悪い。ドラコを支えながら追いかけていくと、商店が並ぶ喧騒から住宅街へ入ったせいか、ナハトの耳にもその声が届いた。

 やめて、助けてと、幼い子供の声が聞こえる。


「こっち!」

「ああ!ドラコ、掴まっているんだよ」

「ギュ!」


 速度を上げて路地を駆け抜ける。薄汚れた家々の間を走り抜けて行くと、目標に近づくにつれて、揶揄する子供の声が大きくなる。


「この先!」


 ヴァロが跳び出した先は、高い家に囲まれた袋小路になっていた。そこに3人ほどの薄汚れた服を着た子供に囲まれた、遠目からもわかる程綺麗な服を着た1人の子供がいた。蹲っている子供は顔をしっかり隠しているのでわからないが、服装からしておそらく少女だろう。あちこち土汚れが付き、レースが破れている。

 そんな子を囲んでいる子供たちの手に石や棒切れを見つけて、ヴァロが叫んだ。


「何をしてるんだ!」


 びくりと子供たちの肩が揺れる。振り返った子供たちの顔は、悪い事をしているのがわかっていないのか、不快そうに歪んでいる。だがその顔も、声をかけたヴァロを見て変わった。見た目だけならヴァロは、そこらの優等種より大柄だ。普段は情けない顔をしているが、今は怒っているのだろう。子供に向けるにはかなり怖い顔をしている。


「寄ってたかって…!なんてことをしてるんだ!」

「お、俺たち悪くねーよ!」

「そうだそうだ!」

「化け物倒してたんだ!」


 ヴァロの顔にも怯まず、1人の少年が蹲る少女の帽子を取った。

 その下から現れたのは、トカゲによく似た外見の少女だった。瞳孔が縦に入った大きな目と、平な鼻。見える肌は、緑と白のつるりと鱗のようなものに覆われている。緩くウェーブがかかった金髪が、彼女の震えに合わせて揺れている。

 優等種は劣等種と耳と尻尾以外の大きな外見的違いはない。だが、その優等種になかでも、より獣や爬虫類に似た外見を持つ者がいると、話しには聞いていた。初めて見るそれに、ナハトもヴァロも一瞬驚いて動きを止めた。

 だが、それも一瞬だった。ヴァロとナハトが驚いたのを優勢と見たのか、少年の一人がまた少女に向かって棒を振り上げたのだ。


「やめなさい!」


 ナハトが振り上げられた棒をダガーを投げて弾くのと、ヴァロが飛び出すのは同時だった。

 少年たちが怯んだ好きに、彼らと少女の間に入る。


「もうやめろ!まだ続けるなら、俺たちが相手になるぞ!」

「うっ…」


 近くで見ればヴァロはさぞ大きく威圧的に感じただろう。少年たちが後ずさった。そこはさらに、ナハトが畳み掛ける。


「おっと、そろそろ応援が来る頃だな。君たち、そこを動かないでくれたまえよ。悪いことをしたのだから、もちろん罰を受ける覚悟は…あるんだろうね?」


 ニヤリと笑うと、タイミングよくヴァロが拳を鳴らした。後ろから聞こえた骨の音に、少年たちが耐えきれずに逃げ出した。あっという間に見えなくなった背中に息を吐く。


「まったく、寄ってたかって酷いことをする」

「本当だよ!あっ、もう大丈夫だよ」

「ひっ!」


 ヴァロが声をかけると、少女は小さく悲鳴をあげて、袋小路のさらに奥へ逃げ込んでしまった。とはいえそこは行き止まり。積んであった木材の隙間に入り込み、頭を抱えて丸くなる。


「だ、大丈夫だよ?怖くないよ?」

「ヴァロくん、それではダメだよ。ここは私に任せて、君は出来るだけ屈んでくれ」

「か、屈む?」

「そう。地面に膝をついて、目線がこの子と同じくらいになるようにね」


 そう言うと、ナハトはマントの留め具を外した。膝をつくと、マントを左右に広げて持ち、少女が道から見えないように壁を作る。

 隙間からこちらを覗いていた少女が、少しだけ顔を上げる。


「怖かったですね。もう、大丈夫ですよ」


 目線を合わせて微笑みかけると、彷徨っていた少女の視線がナハトの首元で止まる。ドラコを見ているのだと気がついて、ドラコを抱き抱えてもう少しだけ近づいた。


「この子はドラコといいます。最高に可愛い、私の家族です。…撫でてみますか?」

「ギュー!」


 微笑みかけると、また少しだけ顔が上がった。だが、その顔は不審そうに歪んでいる。


「…可愛いって…本当ににそう思っているの?」


 不快そうに言われて、ナハトは笑みを深くする。


「ええ、もちろんです。彼は私の家族ですから。もちろん、あなたの事もとても好ましく思ってますよ」

「なっ…!」


 肩まで登って来たドラコが頬擦りをしてくる。


「ほら、可愛いでしょう?ヴァロくんも、そう思いますよね?」

「えっ?う、うん。もちろん」


 ナハトの後ろでヴァロが激しく頷く。そこまで激しく頷かなくてもいいと思いながらも、マントを広げて差し出すと、少女は恐る恐る出てきた。怖がらせないように言葉をかけながら包むと、ぎゅっとナハトの服を掴む。


「出てきてくださって、ありがとうございます。私の名前はナハト、この子はドラコ、こちらはヴァロくんです」

「よ、よろしくね?」

「あなたのお名前を、教えていただけますか?」

「…ナナリア。ナナリア・クローベルグ…です」


 首を傾げるナハトの後ろで、ヴァロが息を呑んだ。


「ナナリア様と、お呼びした方がよろしいのでしょうか?」

「…いいえ」

「では、ナナリアさんとお呼びしてよろしいですか?」


 そう問いかけると、ナナリアはパチパチと数回瞬きをした後、こくりと頷いた。それを確認して、ナハトはまた一言伝えてから彼女を抱え上げた。比較的綺麗な箱の上に座らせ、手当てをすることを伝えて、話しかけた。


「ナナリアさんは、どちらからいらっしゃったんですか?」

「…マシェルです。お父様のお仕事に着いてきましたの」

「そうでしたか。お父様と逸れてしまわれたのですか?」

「いいえ、お父様はお仕事よ。わたくしは…少し、町を歩いてみたくて…。わたくし、マシェルの外へ出たのは、初めてでしたから…」


 服についた汚れを払い、ヴァロに汲んで来てもらった水で洗い流す。すっかり愛用している桃色の瓶をポーチから取り出すと、ナナリアがびくりと警戒を示したのが分かった。確かに見知らぬ人が出した小瓶など、信用できた物ではない。ナハトは微笑んで瓶の中身を少しだけ掬い、肌に塗りつけた。


「ただの軟膏です。とてもいい香りがしますよ」


 目の前で塗りつけたので安心したようだ。頷くのを確認して、手当てしていく。坊や石で殴られたせいだろう、鱗のようなものが剥がれ、その下の薄いピンク色の肌に血が滲んでいた。水で傷を洗い流し、軟膏を塗ってガーゼを当て、包帯を巻く。その様子を、ナナリアはじっと見つめていた。

 それを見ながら、ヴァロは冷や汗を流していた。ナハトは平気そうにしているが、マシェルのクローベルグといえば、マシェルの騎士団長の名前だ。つまり貴族である。世間に疎いヴァロでも知っているほど有名な人物で、その武勇は本になる程だ。様と呼んだ方がいいのか、ナハトだって聞いたのだから、気づいていないわけではないはずだが、あまりにいつも通りのナハトでヴァロの方が混乱してきた。

 何故貴族の娘があんなところに1人でいたのかとか、送るにしても貴族の元へどうやって?とか、気になる事はたくさんあるが、ナナリアと名乗った少女は体の大きいヴァロがまだ怖いらしく、ナハトとしか話そうとしない。

 ナハトもナハトでどうするつもりなのだろうか。そんなヴァロの視線に気づいたのか、ナハトがパチリとウィンクをしてきた。何か考えがあるらしい。


「ナナリアさん、あなたをお送りしたいのですが、どちらへお連れすればよろしいでしょうか?護衛の方と、何かお約束などされてますか?」

「…いいえ、何も…。あっ、お父様は、カントゥラ伯爵様のところにいらっしゃるはずだけど…」


 カントゥラ伯爵といえば、この町を治めている貴族だ。思わぬ大物に、ヴァロは顔が引き攣り、ナハトも背中に汗をかく。顔だけは涼しいまま、ナハトは口を開いた。


「では、カントゥラ伯爵様の元へお連れしましょう。それで、よろしいですね?」

「あっ…」


 握られた手にぎゅっと力が入る。どうしたかと首を傾げると、意を決したようにナナリアがナハトを見た。


「あの!わたくし、もう少し町を見たいのですけど…案内して、いただけませんか?」


 実に子供らしい可愛らしいお願いだ。だが、護衛の方々も探しているだろう。あまり時間をかけすぎては、ナハトたちに誘拐の疑いがかけられかねない。

 それでも、屋敷へ向かいながら少し歩くくらいは許されるだろう。ナハトは微笑んでナナリアに応えた。


「もちろん、いいですよ。ですが、護衛の方々もナナリアさんをお探ししているでしょうから、少しだけですがよろしいですか?」

「ええ!ありがとうございます」




「凄いわ!売り物が、マシェルと全然違う!」


 ナハトに抱き抱えられ、ナナリアはマントに包まれたままはしゃいだ声をあげた。キョロキョロとあたりを見回す様は可愛らしいが、向かっている場所が場所なだけに、ヴァロの胃はきりきりと痛む。


「ナハト、次はあちらを見たいわ!」

「ナナリアさん、落ち着いてください。落ちてしまいますよ」


 あっちを見たい、次はこっちもと指さすナナリアに振り回されるナハトは、何だか少々新鮮だ。子供にはそこまで慣れていないのか、いつもよりも表情に余裕がない。汗もかいているし、少し息も上がっているように見える。

 それを見て、疲れたのだと思い至った。よくよく考えれば、子供とはいえ人1人を抱えていつまでも歩けるわけがない。人混みを避けて商店の脇へ移動したのを見計らって、ヴァロは声をかけた。


「ナハト、変わるよ」

「嫌!」


 差し出した手を全力で拒否され、ヴァロの心が抉られた。


「嫌!ナハトがいいの!」

「あ、あのね?ナハトが疲れちゃうから…」


 頑張って声をかけるが、全力で拒否られる。ナナリアはナハトの首に両腕を回し、離れようとしない。

 ナハトは苦笑いして、ヴァロに言う。


「ヴァロくん。私は大丈夫だから、ドラコを預かってくれるかい?」

「あっ…うん」


 離れないのだから仕方がない。ヴァロは小さく息を吐いて、ナナリアに追いやられて左肩にくっついていたドラコに手を伸ばすと、ドラコにも全力でそっぽをむかれてしまった。

 そしてそのままナハトの左頬に擦り寄ってくる。


「ドラコ、君もか」


 いつもの場所を取られたからか、対抗心を燃やしたドラコとナナリアに挟まれて、ナハトは息をついた。

 しょうがない。このまま行くしかない。せめて小柄なナハトがぶつかられないようにと、ヴァロは先行しながら歩いた。

 商店が立ち並ぶエリアを抜け、貴族のエリアへ入る。入り口に立つ衛士から不審な目を向けられたが、冒険者のバッジを確認しただけで通してもらえた。冒険者の中には貴族から指名を受けて依頼を受ける者がいると聞いた事があるが、ナハトたちもそれと思われたようだ。とはいえ、あからさまに冒険者という風体のナハトたちは目立ち、不振な者を見る目が増えていく。幸いなのは、殆どの貴族は馬車を使うため、視線の数が少ないことだろうか。


「ここ…来る時に通った道だわ」

「この先の…あの大きな建物が、カントゥラ伯爵の屋敷だそうですよ」

「そう…」


 先程とは打って変わって面白くなさそうな反応に、ナハトは問いかけた。


「どうしましたか?先程は、あれほど楽しそうでしたのに…」

「ここはマシェルと似てるもの。お店も、あまり真新しくないわ。あっ、歩いてみる事はそんなに無いから、そこはとても新鮮だけれど」

「なるほど、そうでしたか」


 貴族のエリアはとても整然としている。道も建物も良くも悪くも整っていて、地面すら隙間なく真っ白な石が敷き詰められている。利用する人々も品がよく、落ち着いていて、1番大きな音は馬車の音という様子だ。もちろん、大声をあげる人々も店もない。


「わたくし、これが普通だと思っていましたの。ですけど、この町へ来て、こんなに賑やかなところがあるんだって、本当に驚きましたわ」

「確かにここは静かと言うか…なんか、あんまり楽しそうじゃ無いね。静かなところはうちの村と似てるけど、村はこんなに綺麗じゃないもんね」

「村はこことも、先程の町とも違うんですの?」

「うぇっ?」


 突然キラキラした目で問いかけられて、ヴァロが怯んだ。興味津々な瞳に顔が引き攣る。


「ふふっ、ヴァロくん、説明して差し上げなよ」

「そうですわ!さあ、村はどんなところですの?」

「うえぇっと…村は…」


 ヴァロの辿々しい説明も、マシェルから出たことのないナナリアには十分な娯楽になり得たようだ。それはなに、どんなものかなど質問しては、ヴァロが答えていく。

 長く広い道を進んでいくと、もう少しで領主の屋敷が見えると言うところで、何やら前方が騒がしくなった。大きな屋敷を曲がった先から、複数の人の声と、金属同士がぶつかる音がする。


「何かしら…」

「ナハト、俺の後ろに」

「ああ」


 ヴァロの後ろへ移動したところで、ガシャガシャと金属を鳴らしながら、甲冑の集団が走ってきた。皆一様に同じような格好をしているが、先頭にいる者だけは、顔が見えている。まだ少し幼さの残る顔に焦茶の短い髪、毛の短い三角耳の、細いが大柄な男だ。

 ヴァロの影から覗いていたナナリアが、その人物を見て嬉しそうに叫んだ。


「ハルファン!」


 護衛かと問う間もなく、ハルファンと呼ばれた男はすぐさまこちらを向いた。鋭い視線が向けられ、それがナハトが抱えた子供を見る。声の主に気付いたようで、あっという間に囲まれてしまった。

 彼らが武器を抜いたのを見て、ナナリアが慌てて声をかける。


「ファン、待って!この方達は悪い人じゃ無いわ」


 降ろしてと言われたので降ろすと、ナナリアはハルファンの元へ走っていった。ハルファンはナナリアの無事を確かめると、巻きついていたマントを外し、その下の手当ての跡を見て、射殺さんばかりにナハトたちを睨みつける。


「貴様ら…お嬢様になにを…!」

「な、何もしてませんよ!?俺たちはただ送り届けに…」

「嘘をつけ!ならば何故お嬢様は怪我をしているのだ!」

「ファン!待ってったら!」


 殺気立ったハルファンを止めようとナナリアが叫ぶが、当人は怒りでそれどころでは無いらしい。


(「まったく…どうしてこう人の話を聞かない奴ばかりなんだ」)


 心の中で悪態をつきながら、ナハトは静かに、声を張った。


「静かになさい」


 その声は届いたようだ。ハルファンがヴァロではなくナハトを見る。心底呆れた顔で、ナハトは口を開いた。


「あなた方はナナリアさんの護衛騎士なんですよね?」

「なっ!?貴様!お嬢様の名前を呼ぶなど無礼がすぎるぞ!」


 今そこはどうでもいいだろうと言うのを精一杯堪え、ナハトは再度口を開いた。


「…失礼。では、改めて。あなた方はお嬢様の護衛騎士なんですよね?」

「いかにもそうだ!だからお嬢様を傷つけた貴様らを許しは…!」

「お嬢様の顔見ても、まだそれが言えるんですか?」


 ナハトがそう言うと、ハルファンは一瞬意味がわからないと言う顔をした。だがすぐに気づき、自分の足元にいるナナリアを見下ろした。彼が守るべきお嬢様は、マントを必死に引っ張って、やめてくれと言っている。


「あなた方と逸れて怖い目にあったけれど、先程まで楽しそうに笑ってらしたんですよ?あなた方を見つけて、嬉しそうにしてらっしゃいました。それが、今はどうです?」

「……」

「少しは頭が冷えましたか?」

「………全員武器を納めろ。申し訳ありません、お嬢様」


 やっと冷静になったようだ。ハルファンは膝をついて、ナナリアに頭を下げた。


「改めていいだろうか、私の名はハルファン。お嬢様の専属護衛を担当している。お嬢様を送り届けてくれて、感謝する」

「ご丁寧にありがとうございます。私はナハト、彼はヴァロ、この子はドラコと申します。当たり前のことをしたまでですので、お気になさらないでください」


 微笑むと、あちらも表情をやわらげた。すっきりとした顔立ちの青年だが、こうみると先ほどは随分と焦っていたのだろうということが分かる。

 差し出された手に合わせて握手すると、より一層表情が柔らかくなった。


「イロー、お嬢様を屋敷へお送りしろ」

「はっ」

「それと、これを頼む」


 ナハトのマントがイローと呼ばれた騎士の手に渡る。大したものには見えなかったかもしれないが、それはナハトの大切な装備の一つだ。返してもらおうと声をかけると、首を振られてしまった。


「これは、新しいものを贈らせます」

「いいえ、その必要はありません」


 返してもらえれば問題ない。ナハトはそう思ったが、向こうはそれでは困るらしい。ならばせめて洗って返させて欲しいと言われ、それならばしょうがないと頷いた。


「それと、申し訳ないがあなた方にも詳しく事情を聞きたい。同行してもらえないか?」


 言葉では疑問形だが、すぐ隣に豪奢な馬車が2台止まった。これまたナハトが見たことがない馬のような動物が、美しい装飾の屋形を引いている。先頭の一際豪華なそれにナナリアが笑顔で乗り込んだ。

 その後ろに止まっている馬車は、ナナリアが乗り込むそれよりは装飾が少ないが、それでも十分豪奢な作りである。これに乗って連れて行くと暗に告げられ、隣にいるヴァロの顔が引きつった。表情筋を総動員したが、ナハトも頬がひきつる思いだ。送り届けると決めた時点である程度予想していたとはいえ、冒険者として活動しているこの格好は、お世辞にも綺麗とは言い難い。多少移動して話を聞かれるくらいは予想していたが、馬車に乗って移動し、その先で話を聞かれるとまでは予測していなかった。

 更に言うなら、権力者にはあまりいいイメージはない。とは言え今回はしょうがないと、笑顔を崩さず返事をかえす。促されるまま屋形へ乗り込むと、ゆっくりと馬車は走り出した。


「な、ナハト…」

「情けない声を出すんじゃない。こうなってしまったものはしょうがない。腹をくくれ」

「うう…」


 移動中2人きりなのがせめてもの救いだと、そろってため息をついた。ナナリアがいなくなり全力で甘えてくるドラコを撫でながら、ナハトは小窓から外を眺めた。




 ついた先は見たことがないほどの豪邸だった。大きいと思っていた冒険者ギルドよりも大きな建物は、磨かれたように白く輝いており、扉ひとつ、窓ひとつとっても品良くまとめられている。


「こちらへどうぞ」


 案内されるまま扉をくぐると、そこはホールになっていた。ふかふかした絨毯と金色に光るシャンデリアに目を取られつつ、右奥の廊下の先へ誘導される。廊下もホールと同じ絨毯が敷かれ、調度品や絵画が飾られている。

 ナナリアの話では、ここへは父親の仕事についてきたと言っていた。と言う事は、ここは彼女の家ではないはずだ。別荘なのか借り物なのかはわからないが、それでこの規模という事は、彼女の生家はどれほどの規模のものなのだろうか。

 案内された一室は、屋敷の規模に比べると幾分小さな応接間だった。ひょっとしたら、客の身分に合わせて応接間が違うのかもしれないと思う。


「どうぞ、お座りください」


 ハルファンに勧められてソファに腰掛けようとして、止まった。見ただけでわかる。ギルドのソファもすごかったが、それとは比べ物にならないほどこのソファは高価なものだ。

 このまま座っていいものかとちらりと視線を上げると、ヴァロが緊張した面持ちで座ってこちらを見ていた。ソファに緊張したのが急にバカらしくなり、そのままソファに腰掛けた。

 座ったのを見計らって、目の前に紅茶と小さな菓子が置かれた。クリーム色の平べったいそれは、良く焼かれていて様々な形があった。甘いバターの香りに、ヴァロの目が釘付けになる。

 すると、ハルファンが紅茶を一口飲み、その菓子を食べた。サクリと軽い音がした。食べ終わると、こちらへ紅茶と菓子を勧めてくる。


「どうぞ」

「…いただきます」

「いただきます」


 勧められるまま紅茶に口をつけると、とても香り高いがスッキリとした味が口いっぱいに広がる。


「これは…素晴らしいですね」


 思わず呟くと、部屋の端でメイドが少しだけ笑みを深くした。ヴァロは紅茶はよくわからないようだが、菓子は気に入ったようだ。子供のような表情で食べている。


「お気に召したようで良かった。では、早速だが、話を聞かせてもらえるだろうか」

「わかりました」


 ナハトとヴァロは、図書館でナナリアの声に気づいたところから話し始めた。ありのままを話したが、名前を呼んだだけであれほどの反応を示したのだ。石と棍棒を持った少年たちに囲まれていたところを助けたと伝えた時には、膝の上で握った拳が怒りに震えていた。


「なんたる…なんたる侮辱…!お嬢様をそんな目に合わせるなど…!」


 血走った目でそういう彼は、今にも飛び出して犯人探しをしに行きそうである。


「ま、まあ落ち着いてください。お嬢様もこうして無事でしたし…」

「いいえ!旦那様にお伝えして、カントゥラ伯爵へ厳重に抗議していただかなければ…!」


 ああこれはもうどうしようもないなと、ナハトは早々に諦めた。ぎりぎりと怒りに震えるハルファンに、疑問に思っていたことを問いかける。


「一つ、質問してもよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。なんだ?」

「お嬢様のあのお姿は、珍しいものなのでしょうか?」


 ナハトの直球な質問に、ハルファンの眉がピクリと上がる。質問自体かなり不躾な自覚はあるが、ナナリアの発言と子供たちの反応、更にハルファンの様子をみると、それぞれの反応があまりにバラバラすぎて疑問だったのだ。


「この質問には訳があります。お嬢様は、ご自分の外見に大変気になるところがおありの様でした。町の子供たちの反応は悪意があり、お嬢様のご様子もそのせいかと思っていたのですが…あなたの反応はまるでそれと違う。こちらにいらっしゃる方々の反応もです。それで少々疑問に思いまして」

「…そうでしたか」


 ハルファンは納得がいったようだ。少しの間思案するように視線をさまよわせたが、ゆっくりと話し出した。


「このような事はあまり言いたくないが、ダンジョンから離れた町村では、そのような差別が横行している」


 ハルファンの話では、ナナリアのような外見の者は、ダンジョンから離れれば離れるほど絶対数が減るらしい。理由としては、ダンジョン周辺の都市では珍しくないからだ。詳しいことはわからないが、魔力が多く、身体的能力も高いと、生き物の特性が強く出るらしい。ダンジョンからは魔物が出る為、防衛の観点からも、都市が発展していることからしても、ダンジョン周辺は人口が多い。ナナリアのような外見の者は都市部に集中するという事だ。

 さらに貴族になると、より珍しくなくなるらしい。元々貴族は魔力が高いものが多いそうで、結婚相手も貴族という事から、自然と生まれやすくなるそうだ。事実ナナリアの父であるクローベルグ侯爵は、ナナリアよりも爬虫類の特性が出ているらしい。ナナリア自身も子供の割に魔力が多く、彼女の母はマシェルでも有名な魔術師らしい。


「そういう事だったのですね」

「ああ。だが、お嬢様はもっと可愛い外見が良かったと言ってらしてな…ご自分の見た目に自信がないのだ。十分魅力的であると思うのだが、いつも帽子で隠してしまわれる」

「ああ、それで」


 見つけた時に目深にかぶっていた帽子や、可愛いという言葉に反応した事、マントで包んだことであれほど気安くなったのにはそういう理由があったのかと納得した。

 その時、扉がノックされた。そちらを向くと、ハルファンが頷き、メイドが扉を開けて外を確認する。確認したメイドがハルファンに耳打ちすると、彼は驚いた顔になった。

 嫌な予感がする。ヴァロと顔を見合わせていると、ハルファンが言いにくそうに口を開いた。


「……旦那様とお嬢様がいらっしゃったようだ」

「なっ…」

「ええっ!?」

「お通しするが、失礼のないようにしてくれ」


 失礼のないようにと言われても、ナハトもヴァロもただの庶民だ。何が失礼で何が失礼でないかなど、わかる程教養があるわけではない。

 とりあえず座ったままではよくないだろうと立ち上がると、それを確認してハルファンがメイドに声をかけた。待ってほしい、せめてもう少し落ち着いてからにしてほしいとも思ったが、そんなことを言えるはずもなく、扉が開いた。

 扉の向こうには、ハルファンに聞いた通り、クローベルグ侯爵とナナリアがいた。ナナリアは汚れてしまった服を着替え、橙色のふんわりとしたスカートとフリルのついたドレス姿で、髪もきれいにセットされている。侯爵は仕事だと言っていたのでその帰りなのか、少々堅苦しい格好だ。詰め襟能に裾の長いコートのような上着、胸元には勲章がつけられていることから、制服か何かなのではと思う。

 そして聞いていた通り、ナナリアよりも確かに特性が強く出ていた。尻尾は長く、首の後ろにはトゲのような小さな突起が生えている。そして何より、とても背が高かった。

 侯爵はまっすぐナハトとヴァロの前まで来ると、ナナリアの背に手を添えて口を開いた。


「初めまして、私はニグル・クローベルグ。あなた方が娘を助けてくださったと聞いた。本当に感謝する」


 頭こそ下げないが、直接そう言われてナハトとヴァロは面食らった。随分と腰の低い貴族もいたものである。驚きながらも、ナハトとヴァロは頭を下げた。貴族の礼はわからないが、分からないなりに庶民としての礼は行っておこうと思う。


「初めまして。私はナハト、こちらはドラコ」

「ヴァロです」

「一冒険者として当たり前のことをしたまでです。どうぞお気になさらないでください」


 微笑むと、ナナリアが目の前まで歩いてきた。スカートの裾を少し持ち上げて、背筋を伸ばしたまま軽く視線を下げる。貴族の挨拶かとみていると、ナナリアはメイドからトレイを受け取った。その上には小さな箱と、袋が一つ。その袋の口は開いていて、中に金貨が見える。


「助けていただいてありがとうございます。こちらお礼の品です」

「それはご丁寧にありがとうございます。ですが、お礼の品の為にお嬢様を助けたわけではございません。どうか冒険者の矜持として、遠慮させていただけないでしょうか?」


 そう言うと、ナナリアが少しだけ驚いた顔をした。だが、報酬の為に助けたなど思ってほしくはない。こちらに連れてこられる間に、ヴァロとそう話をつけていたのだ。色々あって金銭に困っていない今、ここで多額の報酬をもらう理由はない。


「そうか…。では、こちらの品だけは受け取ってもらえないだろうか?」


 侯爵がそう言って差し出したのは、トレイに乗っていた箱だった。そう言われてしまっては受け取らないわけにはいかない。ナハトが受け取って礼を言うと、ナナリアが嬉しそうに微笑んだ。


「開けてみてくださらない?」


 言われるがままリボンを解き箱を開くと、中には小さな小瓶が入っていた。その小瓶の中には、とろりとした透明な液体が入っている。


「これは?」

「それは、この子が作った回復薬です。よく効きますよ」

「えっ!?」

「お嬢様が?」


 侯爵の言葉ににっこり笑ったナナリアは、瓶を持つナハトの手をぎゅっと握った。


「わたくしの手当てにお薬を使ってくださいましたでしょう?冒険者は危険なお仕事と聞きましたから、これを贈らせていただきました」


 特別ですと、ナナリアは言う。その口ぶりからして、とても高価なものなのだろう。というか、この小さな少女がそんな効果の高い薬を作ったというのか。

 驚いていると、ナナリアに屈むようにとジェスチャーをされた。不思議に思いながらも膝立ちになると、ナナリアが首に抱きついてきた。慌てて反射的に受け止めるが、その隙に、頬に柔らかい感触。


「えっ…」


 ナナリアがナハトの頬にキスをしたのだ。


「なっ…!」

「お、お嬢様…!?」

「うふふ」


 まさかそんな事をされるとは思っていなかったため、咄嗟の反応が遅れた。また抱き上げてほしいというように、抱き着いてくるナナリアに戸惑っていると、上と右から視線を感じた。

 見上げると侯爵とハルファンの額に青筋が浮かんでいる。咳払いと共に鋭い視線が降ってきて、先程までの和やかな雰囲気は霧散していった。


(「…これは、私のせいなのか?」)


 違うと思いたいが、とてもそうは言えない状態だ。内心冷や汗ダラダラなままナナリアを離すと、彼女を正面から見据えて、ナハトは苦言を呈した。


「お嬢様、私のような者にこのような事をしてはいけません」

「…では、私のことをお嬢様って言うのやめてください」

「えっ…?」

「名前で呼んでください。そうじゃないと、わたくしまた先程のようなことしてしまうかもしれませんわ」

「ええっ!?」


 慌てて見上げると、侯爵は笑顔であるが口がひきつっているし、ハルファンは般若のような顔だ。

 待ってほしい、これはどう答えるのが正解なのだろうか。助けを求めて振り返るが、ヴァロは侯爵とハルファンに威圧されて震えている。駄目だ、役に立たない。


「あー…君は、うちのナナリアとどんな関係なのかね?」

「いえ、あの…私は一介の冒険者ですので、関係というほどの事は何も…」

「優しくマントでわたくしを包み、抱き上げてくださったではないですか」

「そ、それは…」

「ほう…抱き上げたと…」


 侯爵の眼が細められる。

 マントも抱き上げたのもどうしようも出来なかった事だ。というか、マントは姿を見られたくないだろうという配慮で、抱き上げたのは彼女が歩きたくないと言ったからだ。更に言うなら、ヴァロは嫌だと言ったからナハトが抱き上げたのであって、進んで抱き上げたわけではない。

 だがそれを言ったら言ったで問題になりそうだ。困り切ったナハトとは違い、どこか楽しそうなナナリアがさらに追い打ちをかけてくる。


「わたくしの名前も呼んでくださったじゃないですか」

「それは、お嬢様が貴族だと知らなかったので…」

「ナハト?」

「ええと…」


 困り果てていると、侯爵が息を吐いてナナリアの肩に手をかけた。


「……ナナリア、そのへんでやめなさい。レディとしてはしたないぞ」

「…はぁい」


 侯爵にそう言われ、ナナリアはぷくりと頬を膨らませて下がった。それにもはしたないと言われ、不満そうに俯く。


「まあ、ともかく…娘を助けていただいた事には礼を言う。もしマシェルに来ることがあれば、何か力になろう」

「あ、ありがとうございます」


 貴族からの過分な心遣いに感謝しつつ、その場は終わった。最後までナナリアが名前で呼んでくれるよう求めていたが、侯爵の様子からしても、平民が気軽に呼ぶことは問題があるのだろう。知らなかったのならいざ知らず、知ったからには丁重にお断りしておいた。

 馬車で送られながら、ナハトとヴァロは大きなため息をついた。馬車の割に座り心地のいい椅子に揺られながら、ぐったりと壁にもたれかかる。

 甘えん坊から復活出来ないドラコが甘えてくるが、それにもきちんと対応できずにただ撫でる。というか、ナナリアを抱き上げ続けていたため、腕がだるすぎて上がらない。


「疲れたな…。まさか、貴族とパイプが出来るとは思わなかったが…」


 呟くと、ヴァロは頷くとともにぶるりと体を震わせた。


「俺…殺されるかと思った」

「…君が殺されるなら、私はみじん切りにでもされていただろうね」

「侯爵様、すごい怖かった…」


 和やかな状態からの絶対零度はなかなか堪えた。ナナリアは可愛らしいが、迂闊にああいう事をされてはこちらの身が持たない。せっかく友好的になったハルファンにも再び睨まれてしまったし、散々である。もう二度と、都市を守る凄腕騎士の睨みなど受けたくない。


「それにしても…ナハトはなんか、慣れてるんだね」

「…?慣れているとは、いったい何のことだい?」


 気怠い手でドラコを撫でながら、みっともなくも馬車の壁に寄りかかって問いかける。するとヴァロは久しくなかったモジモジを再発させながら、恥ずかしそうに呟いた。


「何って…ほっぺたに、キス…されても、平気そうにしてたじゃん…」

「…はぁ…」


 何かと思えばそれかと、深いため息をついた。相手は幼女だったのだが、本気で言っているのだろうか。そう考えて、そういえば結婚の2文字にすら恥ずかしがる精神年齢だったと思い出した。


「君は…今まで彼女の1人もいたことはないのかい?」

「か、彼女!?」

「…オーケーわかった。愚問だったな…。そんな君でもわかるように言おう。相手は幼女だが、あそこで変に恥ずかしがったり照れたりしたら、私はロリコンという事にならないかね?ミスター」

「な、なります…」


 そう言いながらもモジモジしている。ああこれはもうシチュエーションに対して照れているんだなと、ナハトは苦笑した。子供なら微笑ましいが、相手はれっきとした成人男性だ。

 ナハトはひとしきり笑うと口を開いた。


「君は一度そういうお店にでも行って、女性に対して免疫をつけたほうがいいんじゃないかい?」

「そういう…?」

「いや、何でもない」


 そんな馬鹿な話をしていたために、2人は馬車が宿に泊まるまで気づかなかった。その為後日、あの馬車は何だったのかとまたイーリーに呼び出され、それに臆した指導者がやっぱり辞めますとなるのはまた別の話。



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