第8話 フラッド
青年の強情さも少しは取れたのか、少しずつ話をしてくれた。相変わらず名前を教えてはくれないが、怒鳴ったり暴れたりしないだけいい。話によると、彼等は定期的に町へ入ってきているそうだ。詳しい事は話さなかったが、今回も理由があって入ってきたらしい。
「町に入るまでは大丈夫だったんだ。入って、しばらくしたら、突然取り囲まれて…。それで逃げたら…」
「なるほど。私が見たのはそれだったのですね」
「…どういう事?」
ナハトは昼間に見たものを、簡潔にヴァロにも説明した。寄ってきたドラコを膝に乗せながら一通り説明し終えると、ヴァロはぐっと眉を寄せて不快そうに呟いた。
「なにそれ、酷いね」
「ああ。私は途中から確認したから、何があったかわからなかったんだが…確認のために聞くが、本当に何もしていないのだね?」
「…当たり前だ!そんな事したら同胞に…」
そこまで言って、青年は慌てたように口を閉ざした。「同胞…ね」と口には出さずに、ナハトは問いかける。
「それで、どうやって出るつもりだったのだね?このような事になった時にどうするか、決めてあるのでしょう?」
「それは…」
青年は言い淀み、ちらりと己の鞄に視線を向けた。そして思案して、再度口を開く。
「本当に、逃がしてくれるんだな?」
「…何度確認しても答えは同じです。それでも信じられないならば、契約書を作って差しあげようか?」
「…いい、わかった。お前と同じだ。耳と、尻尾で誤魔化して、出て行くつもりだったんだ。だが…」
また、ちらりと視線が鞄へ向く。見てもいいかと許可を得て、鞄をあける。雑多な物に紛れて、ぐしゃぐしゃに壊れた耳と尻尾が出てきた。出てきたが、そもそもの作りがあまく、よくこれで誤魔化そうと思ったなと思わずにはいられない代物であった。彼の髪質とも全く合っていない、太くゴワゴワした獣の毛を使っているし、縫い目もひどい。
「うわぁ、ぐちゃぐちゃだ…」
「そうなってしまってはもう使えない。後は、壁の切れ目でも探して外に出るか、強行突破するしか…」
「やれやれ…今回あなた方が襲われた原因はこれにありそうですね」
ナハトの発言に、青年はびくりと肩を震わせた。困惑した瞳がこちらを向く。ヴァロも驚いた顔で、どういう事かと問いかけてきた。
息を吐くと、ナハトはボロボロになった残骸をつまみ上げた。
「こんな粗末なものでは、偽物だとまるわかりだ。見てごらんよ、髪質とも合っていない」
「えっ…」
「あっ、ほんとだ!全然違う」
「恐らく、この耳と尻尾のせいで、入る時点で目をつけられていたんだろう」
ナハトがいつもの耳をつけて、髪を整える。ヘアバンドをつけて、手でさっと整えるだけで耳と髪が馴染む。それを見て青年は悔しそうに顔をゆがめた。そして吐き捨てるように呟く。
「誰しも、おまえみたいな上質の毛が手に入るわけじゃないんだぞ…」
「…どういう意味だい?」
「おまえそれ…じゅうじ…」
獣人と言おうとした彼の口を睨んで止める。意図に気づいたのか、口を閉じて言い換える。
「…それ、あいつらの毛だろ?おまえがどうやって手に入れたか知らないけど、俺たちは獣の毛で作るしかないんだ。それだって、かなり出来がいいやつだったんだ」
「なるほど?しかし、それでも工夫が足りないと言わざるを負えない。毛が用意できないのであれば、髪の方を合わせればいいのだよ」
意味が分からないと言った顔の青年をそのままに、とりあえずと、ナハトは話題を変えた。
「入ってきたのですから、身分証はあるんですよね?」
「あ、ああ…」
「なら、耳と尻尾があれば、この町から出るのは容易そうですね。町から出られれば、あなたはお仲間と合流できるのですか?」
「た、多分…。はぐれたのは、俺だけだから…大丈夫だと思う」
「わかりました。それであれば、今日のところはもう休みましょう」
そう言って、ナハトは青年の縄を解いた。驚いた顔でこちらを見る青年に、「算段が付いたのだから大人しくしてくださいますね?」と伝えると、渋々ながら頷いた。
翌日、ヴァロに朝ごはんと必要な物を買いに出てもらい、その間に青年には風呂に入ってもらった。敵地で裸になることを嫌がったが、こんな汚らしい格好ではすぐにばれてしまう可能性があるのだ。抵抗を許さないナハトの視線に、青年は嫌々ながらも従った。
さっぱりすると、今度はヴァロが買ってきた服に着替えてもらった。こちらも嫌がったが、汚れた衣服は取り上げてしまっていた為、全裸で出て行くわけにもいかないとしぶしぶ着替えてくれた。これでも元の服に似たものを買ってきてもらったのだ。文句を言わないでほしい。
そうして逃げ道をふさいでいくと、並べられた食事には、文句を言わずに口にした。買ってきたヴァロがほっと息を吐くのを見て、ナハトはとんと肩を叩いて労った。
「それで、この後はどうするの?」
「準備をするから、2時間ほど時間をくれるかい?」
ヴァロと青年が頷くのを確認して、ナハトは彼が用意した耳と尻尾に鋏を入れた。青年が眉を顰めたのを視界に入れながらも、手は止めずに獣の毛を縫い付けて行く。昨日の内に作っておいた糊で毛の根元を固め、窓際において乾かす。この糊は即効性なので、あっという間に乾いたそれを、糸でヘアバンドに縫い付けて行く。毛に乱れがないように整え、足りない部分には糊をつけて植え、少しずつボリュームを足していく。
「……すげえ…」
「ふふ、どうも」
視線を感じて笑うと、青年は居心地悪そうに視線を逸らした。今なら質問に答えてもらえるかと、ナハトは手を止めずに青年に問いかけた。
「…質問があるのだけれど、聞いてもいいかね?」
「……ああ」
「昨日も言った通り、私は記憶喪失でしてね。ヒルというのは、何なのでしょう?」
青年の眉がピクリと上がり、苦いものでも噛んだかのように目を顰めると、ちらりとヴァロを見た。それに気づいたヴァロは己の耳を抑えてこちらに背を向けた。
一連の動きに、どうやらいい話ではなさそうだと思いながらも、ヴァロの好意をありがたく受け取った。初めて会った劣等種だ。少しでも、どうしても情報が欲しい。
「…それは寄生する虫という意味の、俺たち人間を侮蔑するための言葉だ」
「寄生…ですか?」
「ああ。この国の法では、俺たちは弱者として保護される対象になっているらしい。らしいっていうのは、機能しているところを見た事がないからだ。どこかの町じゃ、誇りを失ったやつらが獣人にへこへこしながら暮らしてると聞いた事はあるがな。強者の慈愛に寄生する粗末な虫だとよ」
吐き捨てるように呟いた。なんとも酷い言葉だと、ナハトは思った。だが実際、ナハトや彼らを襲ったあの男は、劣等種は皆そんなものだと思っているのだろう。だから問答無用でナハトを襲い、そのまま信じるわけではないが、町に入ってきただけの彼らも襲った。そんな扱いをされ続けたら、優等種を嫌悪する気持ちもわからないでもない。
「…なるほど。答えていただいて、ありがとうございます。他にも質問しても?」
「……好きにしろ」
「では…。人間の誇りとは何なのですか?」
「…俺たちが本当の人間だという誇りだ。あいつらは獣と混じった獣人だ。人間ではないのに己らを人間だと言い、更には俺たちを劣等種と蔑んでゴミのように扱う。本当は俺たちこそが人間で、あいつらは家畜と同じ獣なんだ」
「…なるほど?そんな敵対視していて、この国で過ごす場所はあるのですか?」
「……ある。村も集落もな。獣人の庇護なんか受けずに、誇り高く生活している」
「…随分、彼らをお嫌いなんですね」
「当たり前だろう!?獣のくせに、人間である俺たちを殺そうとしてくるんだぞ!?おまえはそんな目にあった事がないからそんなこと言えるんだ」
ふう、吐息を吐いて、ナハトは一度手を止めた。ちらりとヴァロの背中を見て、ナハトは本当に運が良かったと思う。ヴァロに助けられてなかったら、数か月前のあの日に死んでいたはずだ。
獣の耳をつけたヘアバンドと糊、残りの毛を持って立ち上がると、青年に近づいた。何をするのかと狼狽える青年を制して、ヘアバンドをつけさせる。彼本来の耳の位置に合わせて、整えて行く。
「…私も襲われたことはありますよ」
「嘘を言うな。それなら、何故あいつを相棒なんて呼べるんだ?」
「彼が助けてくれたからです。それと、何度も言いますが、あなたを助けたのも彼です。私はどうしようか迷いましたが、彼は何のためらいもなく駆け寄りましたからね」
「……それで、あいつらは実は良い奴らなんだとでも言うつもりか?」
「彼一人の評価でそこまで言うつもりはありませんよ。とはいえ、気づいてなさそうですから言いますが、あなたはまだお礼の一つも言っていません。助けてもらって、手当てしてもらって、寝床も、服と食事まで用意してもらったというのにね」
「それは…!お前らが勝手に…!」
「動かない」
こちらを振り向こうとした頭を押さえると、渋々前を向いた。勝手にやったのはこちらだが、あまりの言いように少しだけ腹が立った。彼らが憤る理由もわからないでもないが、それがヴァロ個人には向いてほしくない。青年も思うところがあったのか、それからの質問は、優等種に対する暴言が少しだけ鳴りを潜めた。
「…ナハト、もういい?」
ヴァロの事を忘れていたことに気づき、笑いながら彼の手を叩くと、抑えられた耳と髪に変な癖がついてしまっていた。申し訳なく思いながらも整えると、「話聞けた?」と問われ、ナハトは頷いた。
「よし、これでいいだろう」
「す、すげえ…」
鏡に映った自分の姿を見て、青年は感嘆の声を漏らした。ズボンにも尻尾を縫い付け、獣の耳に合わせて、青年の髪も整えた。使用していた獣の毛に合わせて、ヘアオイルで髪の質感を変えたのだが、上手くいったようだ。
「ほんと、ナハトは器用だよね」
「お褒めに預かり光栄だよ。これで迂闊に引っ張られたりしない限りは、君は優等種に見えるだろう。私たちの依頼についていく振りをして町を出れば、咎められる事はないだろう」
「ああ…。その…あ、ありがとう」
消え入りそうな声で言われた礼の言葉に、ナハトとヴァロは顔を見合わせて笑った。その後はいつも通りギルドへ向かった。フードを被りたがる青年を宥めながら、あえて宿の店主と簡単な会話もさせて彼の印象をつけさせた。始終おどおどしていた彼も、大通りへ出ても誰もこちらを気にしていないことがわかると、どこか楽しそうに辺りを見回した。
近場の採取依頼を受けて町へ出るための列へ並ぶ。青年の顔には緊張が現れていたが、冒険者のナハトたちといることで、新人の冒険者とでも思ってもらえたようだ。笑顔で送り出されて、拍子抜けしたかのように呆然とした顔で町を出た。
「もう少し町から離れたら、大丈夫だろう」
「こ、こんなにすんなり出られるなんて…」
「だから言っただろう?あの耳と尻尾のせいだと」
「ああ…本当だな」
素材は何も変えていないが、耳と尻尾の作りと、それに合わせて髪の質感を変えただけでこんなにもすんなりいくとは思わなかったのだろう。安心したような残念なような不可思議な表情で、彼は町を振り返った。
「…言われた通り、仲間には耳や尻尾の作り方をもう少し工夫するように言っておく」
「ああ。もう捕まらないでくれ」
「二度とないようにする」
森へ向かう道とその先への分かれ道で、3人は足を止めた。この道をまっすぐ行く彼と、森へ行くナハトたち。ここで別れるのだが、ずっと聞きたかったことを、ナハトは意を決して口にした。
「最後に、一ついいかい?」
「ああ、なんだ」
「…カルストという名の、魔術師を、知っているかい?」
名前を口にすると、心臓が大きく脈打った。青年の話では、魔術師はほとんどいないとの事だったが、いないとは言い切られなかった。ならば、少ないが劣等種の魔術師はいるという事だ。図書館で見た地図で、ここがナハトがいた場所とは大きく違うであろうことは分かった。それでも、景色が、地形が似ているのだ。意識を失って目を覚ましたら、全く違う世界へいたなど考えたくない。
カルストさえいれば、どうしてこうなったかわかるかもしれない。めちゃくちゃな願いだと分かっているが、それでも気になって問わずにはいられなかった。擦り寄ってきたドラコに、無意識に手が伸びる。
青年は少し考えると、口を開いた。
「その名前に聞き覚えはない。にん……同胞で魔術師なら、俺たちの中でかなり名が知られているはずだが、その名前は聞いた事はない。まあ、それはおまえもだから、俺が知らないだけかもしれないけど…」
「…そうか」
「……大事な人なのか?」
「ああ。私の、師匠に当たる人だ」
「…なら、仲間にも聞いてみてやる。おまえ記憶喪失だって言ってたな。ナハト…だっけ?おまえの名前も、ついでに聞いといてやるよ」
青年はそう言って笑った。差し出された手に握手をして別れた。
歩いていく背中を見送っていると、青年が突然振り向いた。そして大声で叫ぶ。
「俺の名前はフラッドだ!じゃあな!ナハト、ヴァロ!」
言い逃げるように、フラッドは走って行った。




