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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第二章
24/189

第7話 劣等種

 今日も採取の依頼を終え、午後から図書館へ向かう。珍しくヴァロが1人でやりたい事があるというので、ナハトの同行者もドラコだけである。

 この町についてからずっとヴァロと行動を共にしてきた。ナハトは特に不都合など感じなかったが、ヴァロはもしかしたら何か過ごしにくい事でもあったかもしれない。悪い事をしてしまったかと、少々申し訳ない気持ちになる。

 図書館へ着くと、先日借りていた植物図鑑を返し、別の植物図鑑といくつかの本を手にとって壁際の席へ座った。日の当たらない人気のない席だが、静かでナハトは気に入っていた。

 ドラコを膝の上に下ろすと、一冊ずつ、本をめくり出した。


(「…これで毒系の植物は大体網羅できたか…」)


 一通り植物図鑑に目を通し、顔を上げると、窓から入る光にだいぶ角度が付いていた。結構な時間、集中して見ていたらしい。遅れて目と首が多少痛んだが、そのかいあって、大まかな毒系の植物はこれで網羅したことになる。書き写していたメモをパラパラめくると、今見ていた図鑑ほどの厚さになっていた。全て持ち歩くようにしているが、結構な重量である。どこかで整理する時間を設けた方がいいかもしれない。

 かなりの数があったが、ナハト自身がもともと持っていた知識と照らし合わせ、上書きする事で、かなり効率よく覚えることが出来た。これで毒系の植物を使う際は、もう少しうまくやれるだろう。


「ギュー」

「ん?退屈かい?」


 擦り寄ってきたドラコに問いかけると、ドラコがふるふると頭を横に振った。視線の先には窓。外に何かあるのかと席を立つと、少しだけ外が騒がしくなった。興味本位で窓から外を覗く。大通りから一本入ったそこは、普段はそれほど人通りもなく閑散としているが、今は少し騒がしい。


「…何かあったかな」

「ギュー」


 覗いた先では道ゆく人が、さらに先の通りを見つめている。視線の先へ走って行く人もいる。


(「…あっ!」)


 その中に、ナハトが最初にこの町に来た時襲ってきた優等種の姿を見つけ、ざわりと肌が泡立った。片眼を眼帯で覆った、茶色い耳に赤い目の男、見間違えるわけがない。

 あの時ナハトを見つけたように、獲物を狙うギラギラした目で、通りの先へ駆けていく。それを見て確信した。この騒ぎの元凶は劣等種であると。

 ナハトは本をそのままに駆け出した。ドラコにつかまっているよう伝え、図書館を出て、野次馬の間を縫って走る。幸いナハトはかなり小柄だ。苦もなく騒ぎの方へ向かうと、突然腕を掴まれた。

 反射的に振り払おうと向いた先にいたのは老婆。驚いたナハトが動きを止めると、老婆は顔を顰めて、首を横に振る。


「やめなさい。興味本位で見るものじゃないよ」

「…どういう事ですか?」

「あんな残酷なもの…血の気の多い馬鹿どもに混じって見るもんじゃない。命を弄ぶようなものを娯楽にしちゃいけない」


「命を弄ぶ」という言葉に、背筋がゾッとした。まさか、この先で行われてるのはそういうものなのか。

 ナハトは丁寧に老婆に礼をいうと、少し離れて建物の屋根に登った。屋根沿いに走り向かうと、人垣が終わり、小さな広場のようになっている場所へ出た。少しの距離をとって、あの男と、男と同じ黒い服を着た複数人の優等種。何かに所属している証なのか、品のない動作だが、統率されたようなその動きに自然と視線がそちらへ向く。

 その視線の先には複数人の劣等種が、武器もなく、壁際へ追いやられていた。5人が背中を合わせ、威嚇するように見ている。先頭に立つ男だけはフードを切られたのか、顔が見える状態になっていた。中途半端な長さの髪を雑に縛った、中年と言っていい年齢の男。彼が他の4人を庇うように前に出る。全員傷はあるようだが、少なくともまだ誰も殺されてはいない。その状況に、少しだけホッとする。


(「だが…これはどういう状況だ?」)


 すぐに捕らえられるのかと思っていたがその気配はなく、どんどん野次馬が集まってくる。あの男と同じ制服を着た者たちも、得物を下げてはいるが、少し遠巻きに成り行きを見ている。何かを待っているようにも見えるそれに少々混乱する。

 その時、あの男が前に出た。野次馬へ振り返り、手を広げて叫ぶ。


「お集まりの諸君!これよりヒルの捕獲を行う!」

「やめろ!俺たちはヒルじゃない!」


 わあっと歓声が上がり、否定の声は呑まれて消えた。上から見下ろすと、先程老婆が言っていた事がよくわかった。集まっているものたちは皆血の気の多そうな若者で、娯楽に飢えているような貧民や冒険者もいた。


(「…また、ヒル…」)


 ナハトもあの男にヒルと言われた。ここで生活するようになってからまだそれほど経ってはいないが、それでもヒルという単語はあの男の口以外から聞いた事がなかった。勿論、リビエル村でも聞いた事はない。だが、劣等種に向けられるその言葉、それを否定した彼等、その表情。言葉の意味はわからないが、やはりあれは侮蔑に値する言葉なのだろう。

 ジリジリと男と彼等の距離が縮まって行く。

 どちらの状況もわからないうえに人の目が多い。無闇に加勢するのはこちらの首を絞めそうだとナハトは思った。

 とはいえ、このまま放置するのも憚られる。どうするかと思案していると、突然野次馬の後方で悲鳴が上がった。さらに小さな爆発が幾つか。あの男がそちらに気を取られた瞬間、追い詰められていた劣等種は、バラバラの方向へ飛び出した。


「くそっ!追え!」


 男が叫ぶが時すでに遅し。あっという間に5人は野次馬に紛れ、姿が見えなくなった。上から見ていたナハトも途中で見失った。優等種より小柄である事を最大限活かし、雑踏に紛れたようだ。


(「随分と慣れた動きだったな」)


 全て示し合わせた動きだったのだろう。偶然というには、爆発に合わせた動きは、あまりにもタイミングが良かった。5人だけでなく、他にも仲間がいたようだ。

 何があってああなったのかは分からない。それでも久しぶりに見た同族に、少しだけ不思議な気持ちになる。


「ギュー」

「…ああ、戻ろうか」


 彼等が無事に逃げ切れるといいと思う。あの様子では、捕まってしまったら、それは酷い目に遭わされるのだろう。命に関わる可能性もある。ナハトが問答無用で切りつけられた時と同じように。


「無事に、逃げ切れるといいね」

「ギュー!」


 ドラコの頬を撫でて、ナハトは図書館へと戻った。




「ナハトおかえり」

「ああ。お待たせ、ヴァロくん」


 ナハトがギルドへ行くと、扉の前でヴァロが待っていた。スッキリした顔をしているが、朝と比べて装備が薄汚れている。


「そんなに汚して…いったい何をしていたんだい?」


 買ったばかりの装備だというのにどうしたのかと問うと、少し恥ずかしそうな声が返ってきた。


「あんな凄い魔獣と戦ったでしょ?イーリーさんから聞いたのもあって、なんか落ち着かなくて…」

「ああ、なるほど。昨日は私が寝てたから、君は動けなかったのだね」

「あはは…」

「なら、食べに行くのはやめようか。君も疲れてるだろうし、今日は買ったもので済ませよう」

「いいね!あっ、カウムのステーキ買っていい?」

「ヴァロくんはあれが好きだね。ああ、いいとも」


 魔獣の討伐も、討伐後に難易度が見直されて、信じられないほどの高額な報酬が出た。本来の最低達成人数よりも遥かに少ない人数でのクリアだった為、三等分しても一人当たりの金額が馬鹿みたいに高かったのだ。多少の贅沢は問題ない。

 出店が並んでいる通りへ移動すると、夕食の時間に差し掛かっていることもあって、あちこちからいい匂いが漂っていた。空腹を訴えてくる腹部に無意識に手を当てながら、本日の夕食を考える。町の入り口からほど近いこの通りは、恐ろしく安いものから、出店にしては高額な食事まで、様々なものが並んでいる。


「ナハトはいつものスープ?」

「いや、せっかくだから今日は別のものにしよう。懐も潤っているしね」

「ドラコはどうする?」

「ギュー♪」

「ああ、あれだね」

「なに?」

「アガリ鳥だよ」


 ドラコの好物を購入し、早速カウムのステーキを購入する。それと細かく刻んだ肉と野菜とご飯を炒めたもの、野菜のスープと、お昼によく買う惣菜を挟んだパンを幾つか。ステーキ以外はいつもと似たようなメニューになったヴァロを笑いながら、ナハトも夕食を購入する。今日はハーブソースを絡めた麺料理と、野菜と白身魚のスープに決めた。最後に普段買わない少し高めの果物を少し、これは食後のデザートにしようと思う。最後に買った果物をしまうと、あまり見ないそれを不思議に思ったのかヴァロが手元を覗き込んできた。


「それなに?」

「マレマープト、という果物だそうだよ。この紫色の粒をひとつひとつ、もいで食べるらしい」

「へー」


 店主は、とても甘いのに酸味もあってさっぱりした味だと言っていた。楽しみである。2人と1匹は美味しいものに少しだけ浮き足だって、宿へと向かった。

 角を曲がり、宿の入り口が見えた時、突然ヴァロが足を止めた。顔を顰めて、キョロキョロと辺りを見回し出す。


「どうしたんだい?」

「…なんか、血の匂いがする」


 冒険者が泊まる宿なのだから、誰かしら怪我して帰ってきていてもおかしくない。その臭いじゃないかとナハトが問うが、ヴァロは首を横に振った。そういう感じではないらしい。手当されてさない、流れる血の匂いのようだ。


「そんなに重症じゃないと思うけど…わりとすぐ近くな感じがする」

「随分曖昧だな。でも、念のため探してみよう」


 この辺は細い道が多く入り組んでいる為、手分けして捜索すると、思っていたよりもその人物はすぐ見つかった。

 ナハトが覗き込んだ宿の裏、不要な空き箱や壊れた家具に埋もれるようにして、1人の男が倒れていた。それを見つけてナハトは悩んだ。理由はただ一つ、その人物が、先程野次馬した現場から逃走した同族だったからだ。


「ナハト、いた?」

「ああ、いたにはいたが…」


 さてどうするか。気持ち的には手当てなりなんなりしたいが、彼等はこの町では既にお尋ね者。何かあった時に迷惑をかけられる程度で済めばいいが、間違ってもナハトが劣等種とバレたり、ヴァロに迷惑がかかるようなことにはしたくない。

 そんな打算的な事を考えるナハトとは違い、ヴァロは倒れている人物に駆け寄った。そっと助け起こし、とりあえず生きている事を確認してホッとしている。ナハトで慣れているせいなのか、相手が劣等種であることも気にしてなさそうで、傷の具合を調べだした。


(「…まったく、本当にお人好しだな」)


 ナハトは周囲を警戒しながら近寄ると、マントを外して彼に被せた。声を潜めながらヴァロに話しかける。


「怪我は?」

「そんなに酷くないと思う。疲れて気を失ってる感じみたい」

「その程度の出血でも気付くのか。君の鼻は鋭いな」


 照れ臭そうにするヴァロに笑いかけると、ナハトも彼を見た。歳の頃は、おそらくナハトと同じか少し上くらいだろうか。紺色の長い髪を束ねた青年は、眉を寄せてきつく目を閉じていて完全に意識がない。体格は細身だががっしりとしていて、腕や顔のあちこちに刃物で切ったような浅い傷跡があった。ヴァロが言う通り、怪我でどうこうしたというよりは疲労の方が強そうだ。


「手当てのためには部屋に連れていきたい所だけれど、見られるのは良くないな。ヴァロくん、彼の肩を支えて、歩いているように見せることは出来るかい?」

「多分…大丈夫だと思う」

「なら、それで行こう。怪我をした知り合いを連れて来たように偽装して、目立たないように」

「分かった」


 この時間、店主は受付で出入りする冒険者のチェックを行っている。いつも通り帰宅したことを伝え、知り合いの冒険者が怪我をしたから休ませるために連れて行く旨を伝える。そう珍しくないのだろう、店主は慣れた様子で、宿泊するなら簡易ベッドを貸すことと、もう一人分の宿泊料金を請求してきた。


「では、これでお願いします」

「あいよ」


 簡易ベッドは後で部屋へ届けてくれるという事で、先に料金だけ払って部屋へと戻った。とりあえず彼を椅子に座らせると、すぐにノックの音が響く。店主が持ってきてくれた簡易ベッドを受け取り、扉から完全に視角になる位置に設置した。


「ヴァロくん、お湯とタオルとを持ってきてくれるかい?」

「わかった」


 ナハトのマントを取り、彼自身が纏っていたマントを外す。腰につけられた小さな鞄を外し、薄汚れたマントを別の椅子に掛け、更にトップスをもう一枚脱がせた。特に汚れのひどいそれを脱がせただけで、だいぶこざっぱりしたように見える。

 ふと、ナハトは思い立って、青年の手袋を外した。少しの緊張と共に見えた爪は、見慣れた透明なものだった。少しの色もない透明。魔力を感じ取ってみようとするが、青年からは何の魔力も感じなかった。


「……」

「…どうしたの?」

「いや、何でもない。ありがとう」


 ヴァロからお湯とタオルを受け取り、よく絞って傷口と顔を拭っていく。ナハトが拭った先からヴァロが傷口に消毒液とガーゼを当てていき、あっという間に手当ては終わった。ベッドに寝かせれば穏やかな寝息が聞こえてきた。とりあえずこれでいいだろうと息をつくと、派手なお腹の音がした。ヴァロがお腹に手を当てて顔を真っ赤にしている。


「ふふ、待たせたね。さて、私たちも夕食にしよう」

「あはは」

「ギュー♪」




 夕食を終えてドラコと遊んでいると、少しのうめき声が聞こえた。目を覚ました時に驚かれないよう、耳を外した状態で簡易ベッドの横に座っていたナハトが覗き込むと、閉じられていた瞼が薄く開いた。青い目が一瞬彷徨って、視線が合う。


「…気が付いたようだね」

「なっ…!だっ…」


 慌てて起き上がった青年の口に素早く手を当て、ナハトは自身の唇の前に指を寄せた。そのジェスチャーで伝わったのだろう、青年が頷くのを確認して手を放す。青年は己の状態を一通り確認すると、部屋の中を見て、問いかけてきた。


「ここは…どこだ?」

「ここは栗の木亭。カントゥラ内の宿ですよ。あなたはこの宿の裏手に倒れていたので、私たちの部屋へ連れてきました。そういう訳で、外は優等種だらけです。声は潜めるよう、お願いします」


 青年は驚いたように目を見開いたが、すぐにこくりと頷いた。そしてすぐに険しい顔になる。


「ここはあんたの部屋だって言ってたな?あんたはこの町で生活しているのか?」

「ええ、この町で冒険者をしています」

「どうやって?」


 随分と不躾にいろいろ聞いてくるものだと、ナハトは思った。それでも久しく見なかった同族に興味が引かれ、答える。


「この耳と、尻尾をつけてですよ。私からも質問しても…」


「よろしいですか?」と言おうとして、突然伸ばされた手に身を引いた。空を切って青年がベッドから落ちるが、視線はナハトのいつもつけている耳と、縫い付けられた尻尾に集中している。


「なっ…あんた…それ…!」

「ナハト、どうしたの?大きな音がしたけど…」


 そう言ってヴァロがバスルームから出てきた。音を聞いて慌てて出てきてくれたのだろう、髪からまだ水が滴っている。

 それを見た青年の顔が、一瞬で憎悪の色に染まる。反射的に跳び出すと、ナハトは青年の口を覆ってベッドに押し付けた。その上に馬乗りになり、両膝で腕ごと挟んで抵抗を封じた。反転した視界と、自分を押さえつけるナハトに一歩遅れて青年が反応する。暴れようと体を動かすが、押さえつけて放さない。だが、暴れれば音は響く。彼の耳元に口を寄せると、ナハトはつぶやいた。


「ここはカントゥラ内の宿だと言ったはずです。死にたいのですか?」


 その言葉に、ぴたりと青年が抵抗をやめた。代わりに射殺さんばかりの視線を、ナハトとヴァロに向ける。慌ててヴァロが駆け寄ってくるがそれすら殺意を煽るのか、握りしめた拳から血が垂れた。


「…はあ。ヴァロくん、悪いけれど少し離れていておくれ。このままじゃ話も出来ない」

「あ、うん…。俺、外出てようか?」

「いや、その必要はないよ。あと、髪の拭き方が中途半端だ。床を濡らしているから、きちんと拭いておいで」


 ナハトがそう言うと、ヴァロはこちらを心配そうに見ながらもバスルームへ戻っていった。ナハトのベッドへ避難したドラコに頷くと、青年を見下ろした。二人きりになったからだろう、青年の抵抗が少しだけ強くなる。何をするつもりかは知らないが、同族相手で一対一。相手の方が体格はいいが、この状態で負けるつもりはない。


「暴れない。乱暴な事はしないと約束できるなら、この手を放そう」


 青年は少しの間思案したが、小さく頷いた。口元を抑えていた手だけを外すと、小声ながらも怒気を含んだ声で叫んだ。


「貴様どういうつもりだ!?獣人なんかとつるむなんて、正気とは思えない!」


 自分以外の口から出た「獣人」という言葉に妙な懐かしさを覚えつつも、ナハトは落ち着けとジェスチャーを加えながら答えた。


「どうもこうも、彼は私の相棒です」

「あ、相棒だと!?おまえ、人間としての誇りを忘れたのか!」

「残念ながら、私は記憶喪失です。人間の誇りとやらは存じ上げません。それに…あなたの手当てをしたのは彼ですよ?」


 青年は愕然とした顔で、己の体にある手当の跡を見た。そしてまた、歯を食いしばってナハトを見る。


「獣人に…情けをかけられるなんて…」

「とにかく、落ち着いてください。色々聞かなければならないことがあるというのに、私はまだあなたの名前も知らない。あなたの憤りの理由も可能なら教えていただきたいですが、このまま話を聞くしかなさそうですね…」


 はあ、吐息を吐いて、ナハトはヴァロを呼んだ。先ほどからうろうろと歩き回るヴァロの気配を感じていた。入っていいのかわからなかったようだ。


「…もういいの?」

「ああ。とりあえず、私の鞄からロープを出してくれ」

「わ、わかった」


 渡されたロープで手早く青年を拘束する。非難の声が聞こえるが、抑え続けるのだって疲れるのだ。拘束し終わると、青年は簡易ベッドに座ったまま、壁を背にして精一杯端に寄った。きょろきょろと視線を彷徨わせ、己の鞄がかなり離れた椅子の上にあるのを見て取ると、俯いて歯を食いしばった。

 自分より体格のいい青年を一切の抵抗を許さずに制圧したナハトを見て、ヴァロが感嘆の声を上げる。


「ナハトって…結構強かったんだね」

「…なんだい?少々含んだ言い方だね」

「あっいや、ほら、力弱いしさ、戦えるのは知ってたけど…こんなに圧倒的にっていうの初めて見たから」

「それはそうだろう。君ら優等種が相手では、そもそも力で勝てないからね。相手が同族で、尚且つ背格好が同じくらいであればそうそう負けることはないよ」


 そもそもナハトは多少の荒事離れているし、冒険者になってからは鍛錬だって欠かしていない。そしてその相手は専らヴァロだ。制圧するだけなら、同じ劣等種相手なら、それなりに体格差があってもいけるだろう。


「…俺を、どうするつもりだ…」


 絞り出すような声で問われて、ナハトとヴァロは振り向いた。降りた前髪の間から、青い目が冷たくこちらを見ている。


「…君は随分とおかしなことを言うな。私たちは倒れていた君を助け、部屋へ連れてきて、手当てをして、温かいベッドまで用意したのだよ?どうするも何も、助けただけです。この…お人好しな彼がね」

「あはは…」

「そんな事…信じられるか…」

「信じる、信じないは勝手にしてください。それで、あなたのお名前は?」

「………」


 青年は答える気がないようだ。仕方ないと首を振って、ナハトは青年に近づいた。ベッドサイドに腰を下ろし、口を開く。


「…わかりました。それで、あなたはどうやってこの町を出るつもりなのですか?」

「……………は?」

「おや、聞こえませんでしたか?ではもう一度…」

「いや…は?おまえら…俺を逃がそうっていうのか?」

「そう言ったつもりですが?」


 にこりと笑うと、彼は今度は拘束された手に押し付けるように頭を横に振った。そのまま見守っていると、青年は観念したように深く息を吐き出した。俯いたまま、見上げるようにナハトを見る。


「…本当に、逃がしてくれるのか?」

「ええ。助けたからには、放置するような事はしませんよ。ねえ?ヴァロくん」

「あ、うん…。俺も手伝うよ」


 眉を下げて笑うヴァロに、青年は吐き捨てるように「変な奴ら」と呟いた。



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