第5話 魔獣との戦い
「…おまえら、酷くねえか?」
翌日、宿を訪ねてきたアンバスは、開口一番そう言った。
イーリーにこっぴどく叱られて、少しの鉄拳制裁を受けて、罰として演習場の掃除をしたくらい、たいしたことはないだろう。
現にアンバスにやられたナハトとヴァロの怪我の方がよっぽど酷い。ナハトは酷い打撲と腕の筋を痛めたし、ヴァロも打撲や擦り傷だらけだった。手加減が出来ていない時点でアウトである。
そもそも、あんな風に追い立てずともやり方はあったはずである。善意である事はわかるが、途中から楽しくなって暴れた時点で大いに問題だ。
「私は何度もやめてくださいと申し上げましたよ?あれくらいの罰は、甘んじて受けてください」
「俺は面倒な事は嫌いなんだよ。いいだろう?やり方はどうあれ、その坊主は戦えることが分かったんだからよ」
「俺はいいけど、ナハトに怪我させたのは謝ってください!」
「ああ?怪我なんかさせてねえぞ」
「させましたよ!」
ヴァロがナハトシャツの袖を捲り上げると、アンバスの手の形に紫色になってしまっていた。呆然といった顔のアンバス。優等種相手なら、あれくらいは「拘束されて痛いな」くらいで済むのだろう。だがナハトは劣等種。耳と尻尾でごまかしているが、体が強くなるわけではない。簡単に傷つくし、痣にもなる。
「おまっ…マジか」
「ナハトは弱いっていったじゃないですか!」
「弱いってそっちの意味かよ!?」
「…あまり弱い弱いって言わないでいただけませんか…」
袖を戻して服を整えていると、苦い顔をしたアンバスが近づいてきた。それにドラコが威嚇の声を上げると、少し距離を取って止まった。
ドラコを撫でて落ち着かせ、ヴァロとアンバスの間に入る。
「…ヴァロくんも、ドラコもその辺にしたまえ。アンバスさん、この通り私はとても弱いです。あの時あなたを止めたのは、ヴァロくんとやりあいになってしまった時に、私では魔術以外では止めようがなかったからです。結果として、ヴァロくんの恐怖心は克服できたようですが、今後はきちんとこちらの話を聞いてください」
「ナハト、でも…」
「私は大丈夫だ。それよりも、今後について、今日の内にきちんと話そう。アンバスさんも、それでいいですね?」
「あ、ああ。構わねえよ」
そう話を切って、部屋へ通した。不満そうな1人と1匹を宥めながら、話を進める。まずはナハトたちの目的についてだ。
昨日の内に、ヴァロとはある程度話を決めていた。アンバスにナハトの事情をどこまで話すかを考えたが、今はどんな情報でも欲しいという事で、簡単には話すことにした。
ナハトは所々記憶が抜けた状態、エルゼルの時と同じで記憶喪失という事にした。目が覚めたら魔獣の森で、覚えていることは自分の名前がナハトで、魔術師であること、ドラコの事、気を失う直前に光る大きな木を見たという事しか覚えていなかったという設定だ。魔獣の森を何とか抜けたが怪我を負い、たまたま通りかかったヴァロに助けられ、リビエル村で養生していた。今は、何故ナハトはそんなところにいたのかを思い出すため、大きな光る木の情報を集めることと、ナハトが目を覚ました場所をもう一度確認に行くための力を蓄えているという事をざっくりと話した。
アンバスは初め信じられないという顔をしていたが、リビエル村でナハトが魔獣の森のミアガンダに興味を示していたことを思い出したのか、すぐに難しい顔になった。
「…その、おまえが目を覚ましたっていう場所は、魔獣の森のどの辺りなんだ?」
「正確な位置は…地図ではわかりかねます。ただ、恐らくですが、この町から西へ、この辺りかと」
ナハトは地図を机に置き、地図からはみ出した机の上を指さした。それでアンバスには伝わったのだろう。一層難しい顔をして、顎を触る。
「にわかには信じられんな。そんな場所、俺でも行った事ねえよ。あの森は奥に行くほど本当に危険な魔獣が多くなる。おまえが言っていることが本当なら、森から3、40キロは奥まった場所だぞ」
「ええ。ですが、嘘ではありません」
疑うような眼を正面から見つめる。
アンバスは大きく息をつくと、ナハトとヴァロに問いかけた。
「つまりなんだ。おまえらはいつか森のそんな奥まで行くというわけだ?」
「ええ」
「諦めろ」
そう言われてナハトは眉を寄せた。そんな簡単に言われても困る。ここで情報を集めたら、一度は目覚めた場所を見に行く必要がある。ナハトが見た木が、ダンジョンに繋がる木なのかを確認する必要があるからだ。枯れていたが、分かることがあるかもしれない。諦めるわけにはいかない。
「それは出来ません」
「まあ、聞け。あの森はな、普通じゃねえんだよ。おまえがそんな奥から出てきたってことは分かったが、おまえらだけで同じ場所へは絶対に行けねえよ」
「…アンバスさんがいたら?」
「俺がいたって無理だな。興味はあるが、はいそうですかって行ける場所じゃねえんだよ。ミアガンダを覚えてるか?あれは赤線の魔獣だがな、そんな奴でもそんな奥にはいない。おまえがいたっていう場所は、俺や、俺以上の冒険者を何十人て集めて初めて行ける場所だ。それでも安全に帰ってこれるとは言えねえ、そんなヤバい所なんだよ」
「そ、そんな…。ですが、私はそこから…!」
「それは運が良かっただけだ。雷に打たれるくらいの強運だろうよ。だがな、そんな強運が2回もあると思うか?」
そんな強運あるわけはない。危険な場所だとは肌で感じていたが、そこまでだとは思っていなかった。
急に、村の崖から見た景色が恋しくなった。村があったはずの場所も森のかなり奥。あの景色を見に行くことも、もう叶わないかもしれない。そう思うと、無性に悲しくなった。
「ナハト…」
「ギュー…」
「……大丈夫だ」
心配そうに覗き込んでくる1人と1匹に笑いかけ、ナハトは深く息を吸い込んだ。アンバスが無理だというならば、正攻法では無理なのだろう。ならば、別の手を考えるまでだ。諦めても悲しんでも、何も進まないことはよくわかっている。
深呼吸すると、ナハトは口を開いた。
「わかりました。それでは、別の方向から考えます。アンバスさんはダンジョンへ行った事はありますか?」
「はっ?…あ、ああ。ダンジョンな、何回か潜ったことはあるぞ」
スパっと思考を切り替えたナハトに驚きながらも、アンバスが頷く。ダンジョンに行ったことがあるならば、ヴァロの言うダンジョンの入り口、大きな木を見たことがあるはずだ。
「ダンジョンの入り口は大きな木の根元にあると、ヴァロくんから聞きました。それは、本当ですか?」
「ああ、本当だ。なんだ?おまえが見たっていう、大きな光る木ってやつがダンジョンかもしれねえって話か?」
「ええ」
「それはねえな」
またそう言い切られて、ネガティブな考えが去来する。擦り寄ってきたドラコに触れながら、ナハトは先を促した。
「何故ですか?」
「もしダンジョンなら、魔物が溢れてくるからだ。だが、魔獣の森で魔物が出たという話は聞いた事がない」
「魔物…?」
「なんだ、聞いた事ねえか?」
アンバスの話では、魔獣は魔力を吸収した獣や植物の事で、魔物は化け物という事らしい。魔獣は元が獣や植物なので、魔獣になっても本来の姿を保っている。だが、魔物はもう何が何だかわからない姿をしている。角や尻尾、羽なんかは当たり前で、腕が6本や体中に数多の眼がある物や、液体に近い物など、とにかく姿が定まっていないらしい。そんな物が、ダンジョンからは定期的に出てきてしまうとの事だ。だから、ダンジョンには腕の立つ冒険者が常駐していて、専任として出てきたら狩るという仕事についているらしい。
そして、魔物はどんなに小さいものでも、魔獣よりも危険度が高いそうだ。もしナハトの言う木がダンジョンならば、森の魔獣は一掃され、カントゥラの町は滅んでいるだろう。
「そういう訳だ。だから、おまえが見た木はダンジョンじゃねえよ」
「…そうですね」
もしかしてと思ったものが外れて、なんだかどっと疲れてしまった。ナハトは水を一口飲むと、また、肩口にいるドラコを撫でる。
「どうやら、少し目的を練り直す必要があるみたいです。重要なお話をありがとうございました」
「…やめるのか?」
冒険者をやめるのかという事だろう。今の話の流れでは、ナハトの目的は達成できないことがわかり、唯一の手掛かりだった木も、違うものという事がわかった。目的を達成するために冒険者になったのだから、やめる理由としては十分である。
ナハトはゆっくりと首を振った。
「いいえ、やめませんよ。他にも達成すべきことがありますから」
「そうか…。で、他に何か役に立てそうなことはあるか?」
さて何を聞こうとナハトが考えると、隣にいたヴァロが口を開いた。
「あの…アンバスさんは、劣等種がどこにいるか知ってますか?」
思わぬ場所からの思わぬ発言に、どっと背中に汗をかく。ヴァロは何を言っているのだ。今ここでそれを聞くには何の脈絡もない。何か怪しまれてもとりつくろえない。
顔に出さずにハラハラしていたが、聞かれたアンバスは特に気にする様子もなく軽く答える。
「劣等種~?どこにいるかって…ざっくりすぎんだろうよ」
「村とかあるのかなって…」
「あー…村か。村は知らねえが、知り合いには何人かいるぞ」
「えっ!?」
思わず大きな声が出てしまった。はしたないと慌てて口を押さえて、顔を取り繕う。
「なんだ、劣等種に興味があるのか?」
「えっえー…っと…」
ちらりとヴァロがこちらを向く。聞いたのはそちらなのだから、最後まで発言には責任を持ってもらいたいものである。あとそんな焦った顔でこちらを見ないでほしい。
「えっとですね…実は、私この町で劣等種に間違われたことがありまして」
「はあ!?おまえが?」
「ええ。この通り耳も尻尾もあるのですが、その時はフードをかぶっていたものですから…。この背丈もあって間違われてしまったのです。何とか誤解は解けましたが、ほら、私記憶喪失ですし、劣等種ってよくわからないんですよ。間違われるってことは、よく見かけるという事でしょう?近くに村とかあるのかと思いまして…」
「ああ、なるほどな」
如何にか取り繕えたようだ。心の中で安心していると、ヴァロがあからさまにほっとした顔をする。ダメだ、彼は全て顔に出てしまう。少し黙っていてもらおうと、ナハトはドラコをけしかけた。ドラコがヴァロの顔に張り付いて、彼が慌てだすのをそのままに、アンバスに話しの続きを促した。
「劣等種自体そんなに数が多くねえんだよ。村はあるだろうが、あまり仲がいいもんじゃねえからな。俺の知り合いも、そういう話はしない」
「そのお知り合いというのは、冒険者なんですか?」
「ああ、冒険者もいるぞ。あとは商人だな。冒険者の奴は、劣等種にしちゃ体が大きくてな。まあ大きさだけなら、あいつよりもおまえの方が確かにそう見えるかもな」
「そ、そうですか…」
アンバスに劣等種の知り合いがいたのは驚きだ。がさつだが、人懐っこい性格だ。顔は広いのだろう。
その後は明日からの依頼をどうするかという話になった。ナハトたちの目的は練り直しが必要だが、力はつけたいし、お金も欲しい。等級を上げる必要もある。アンバスはダンジョンとナハトの見た木は違うと言ったが、納得はいったが、やはり一度は見てみたい。ダンジョンに入るには、最低でも黄等級以上の実力が必要らしいから、依頼は受けて行かねばならない。
明日以降は、魔獣に関しての依頼も積極的に受けていくという事で話は落ち着いた。ダンジョンがそんなに危険な場所であるなら、ヴァロの戦闘力を向上させるためにも、ナハト自身のためにも経験は必要である。
話しが全て終わるころには、外は暗くなってしまっていた。アンバスが宿を出ていくのを見送って、ナハトはベッドに倒れこんだ。なんだかとても疲れてしまった。
「ナハト…大丈夫?」
「ああ…。少し、疲れただけだよ」
ドラコを抱えてベッドに座りなおすと、先日ヴァロに書き写してもらった植物図鑑の束をめくった。明日は戦闘を行うようだから、怪しまれないようにある程度植物を覚えていく必要がある。
ぺらぺらとめくるが、やはりナハトの知る植物よりも、圧倒的に毒性が低いものが多い。弱い敵ならばどうにかなるだろうが、先日の様な魔獣には効かないだろう。誤魔化しつつ、毒性の高い植物を使うにはどうするか。
(「…そういえば、師父に教えてもらった植物に変わった性質をもつものがあったな」)
あれは何といっただろうか。普段使う事はほとんどないという理由で1度しか話題に上がらなかった植物。確認したくともここには確認するすべがない。現在覚えているものもそのうち忘れてしまうかもしれないと思い当たり、名前と性質だけでもまとめておいた方がいいと思う。
「ねえ、ナハト」
「ん?」
声をかけられて顔を上げると、ヴァロがもじもじしていた。久しぶりに見たと、少し面白くなって噴き出す。
「な、何で笑うの?」
「いや、すまない。それで、何用かい?」
「あのさ…俺、明日から頑張るから…森の奥、いつか見に行こうよ」
驚いて瞬くと、いつになく真剣な顔でヴァロは言った。これはナハトの目的であって、彼が頑張る必要なんかないというのに。
ナハトは笑うと、立ち上がった。
「ヴァロくん、ありがとう。私は諦めていないよ。正攻法で無理ならば、裏から攻めてみるものだ。きっと、方法はあるはずだからね」
「うん、そうだよ!」
「ギュー!」
1人と1匹に励まされ、少しだけ元気が出てきた。ぐりぐりと頬に頭を押し付けてくるドラコを撫でていると、ヴァロが正面のベッドに腰かけた。
「明日は魔獣の依頼を受けるって言ってたし、俺、頑張るからね」
「ああ、ありがとう」
そう言って、ふと気づいた。ヴァロの服を見て、己の服も確認する。懐にそれほど余裕がなかったため後回しにしていたが、いい加減装備を整える必要があるだろう。さすがに普段着で、弱いとはいえ魔獣討伐に挑むのはあまりになめすぎだ。時計を見るとまだ6時。店が閉まるにはまだ時間がある。
「ヴァロくん、服を買いに行こう!」
「えっ!?い、今!?」
「ああ!頑張ってくれるんだろう?なら、きちんと装備を整えよう!さっ、早く」
「わっ!待ってよ、ナハト!」
ドラコを肩に乗せ、ナハトは部屋を出た。頑張ってくれるというヴァロの為に、いい装備を整えよう。追いかけてくるヴァロを待って、ナハトたちは町へ繰り出した。
「んで、おまえらその格好どうした?」
翌日、ギルドで待ち合わせたアンバスが、開口一番そう聞いてきた。
「心機一転です」
「…です」
「ギュー!」
昨日の夜、店が閉まるまで、ナハトとヴァロは装備を見て回った。ヴァロには希望がなかったので基本はナハトが持って行った服を合わせていったのだが、ヴァロは普通より体格が良く、ナハトは逆にとても小柄だ。装備を合わせるのは難航したが、満足のいくものに仕上がった。
ナハトは肌触りの良い七分袖のシャツに、2色のブルーのジレ。鮮やかなワインレッドの布を首に巻き、これはドラコとおそろいである。それに、黒に近いグレーのパンツにブーツ、指が出るタイプの手袋という出立ちだ。さらに表と裏で色が違う白と薄い紫のマントと、ダガーを両脚に装備している。
ヴァロは格闘家らしい動きやすさを重視した格好だ。黒のトップスに、濃い赤色の短めの上着を羽織り、胴回りを守る大きめのベルト。ズボンは茶系のゆったりしたものを選び、大きめのブーツと、拳を守るためのカバーがついた手袋だ。
「どうですか?素敵でしょう」
「…ああ。まあ、似合っちゃいるが…おまえら、元気だな」
昨日は一度目的を見失ったが、劣等種の冒険者もいるとアンバスは言っていた。ならば、その人物と話ができれば、何かわかることがあるかもしれない。
装備も一新したし、嫌でも元気なふりをしていれば、気分も多少は向上するものだ。
「さあ、アンバスさん。依頼を受けに行きましょう」
「おまえら…まあ、いいや」
何か言いたげなアンバスを連れて、ギルドの門をくぐった。
依頼はアンバスの助言の元選んだ。アンバス曰く、ナハトの魔術とヴァロの体術はなかなかとの事で、藍等級で1番高い、植物の魔獣の依頼を選んだ。木に擬態して根を伸ばし、最終的に森を飲み込む植物の魔獣シェラドラ。その幼体らしい。
「い、いきなりこれですか!?」
「坊主、おまえそのなりでグダグダ言うな」
目的の魔獣は町の北西の森に出るとのことだった。びくつくヴァロを励ましながら、昼食などを買って町を出た。
シェラドラについての知識はまだ持ち合わせていなかったが、植物の魔獣としてはよくいるタイプのものだそうだ。シェラドラ自体は毒も麻痺もなく、広範囲に伸ばした根を使って攻撃してくる魔獣らしく、解毒薬の類は特に必要ないとのことだった。幼体ならば植物の魔術師が一人いれば十分とのことである。
幼体とは言え魔獣討伐。ナハト自身も多少の不安があり、必要な物について尋ねたが、アンバスからは特にないとのことだった。採取と同じ持ち物で向かう事に不安を覚えるも、指導役がそれでいいというのだから、考えすぎかもしれないと思った。
森までは馬車に乗った。隣町まで行く馬車に乗り、数時間と言うところらしい。揺られている間にも、ナハトとヴァロはダンジョンや冒険者について様々なことを聞いた。流れの冒険者というだけあって、アンバスの知識はかなりの量だった。
「と…着いたぞ。ここだ」
馬車から飛び降りると、小高い丘の下に鬱蒼とした森が広がっているのが見えた。魔獣の森ほどではないが、かなり禍々しい魔力の気配がする。
「…なるほど。この魔力が、植物の魔獣の気配ですか」
「ナハト、わかるの?」
「ああ。感じたことがない、禍々しい気配がする。おそらくこの気配が、今回のターゲットだろう」
そう呟いて、ふと、ナハトは気付いた。じんわりと手に汗をかくほどの魔獣の気配。これが本当に幼体なのだろうか。
「…アンバスさん。これはもしかしたら…」
「まあ待て。とりあえずは確認だ。ヤバかったら引き返しゃあいい」
「……」
本当にそれで大丈夫なのだろうか。嫌な予感に襲われるが、指導者のアンバスが丘を降りて行ってしまう。ナハトとヴァロは顔を見合わせるが、仕方なくその後を追った。
馬車の中で見た依頼書によると、この森で採れる薬草は、近隣の村々では重宝する薬の原料とのことだ。必要な時に依頼された冒険者や、薬師が採取に来ていたのだが、その際に森の様子がおかしいことに気づき依頼されたらしい。前回調査に来た冒険者が獣の魔獣なのか植物の魔獣なのかを調査し、植物の魔獣という事を突き止め、それをナハトたちが受けたのだ。
冒険者や村人が定期的に来ているとはいえ、魔獣の森ほど人の出入りはないらしく、獣道を辿るように歩いていく。背の高い草が多く歩きにくいうえ、木々がまるで日の光を遮るかのように頭上を覆っていて、森は全体的に薄暗い。
今回は初めての討伐任務なので、先頭をアンバス、間にナハト、殿はヴァロの順番で森を進んでいく。
(「これはやはり…」)
ナハトは辺りに気を配りながらも、小さな声でドラコに話しかけた。
「ドラコ、しっかり捕まっているんだよ。怖かったら、服の中に入ってもいいからね」
答える代わりに、ドラコはぐるりとナハトの首に巻き付いた。マフラーのように巻きついて、しっかり爪を立てて掴まる。本当は連れてくるのをやめようかと思ったのだが、一人でおいておくのは忍びない。ドラコ自身も来たがった為に、これで合意したのだ。
「気配の場所はわかるか?」
森に入った場所が見えなくなった頃、アンバスがナハトに聞いてきた。ナハトは目を細め、辺りを見回す。禍々しい魔力は感じるが、それは森一帯に薄く広がっている。だからこそわかる、森の奥から感じる一際強い、吹き上がるような魔力。随分強い魔力だ。
明らかにフルブルより強い魔力に、ナハトは再度訴える。
「…アンバスさん。やはりこれは…」
「まあまあ、待てって言ったろ。で、気配の場所は?」
「…ここから真っ直ぐ、東の方です。距離は…およそ1200メートルというところかと」
「本職はすげえな。おい、坊主。おまえ、気配たどれるか?」
アンバスに問われて、ヴァロは周囲の気配を探ってみる。とはいえ、気配を探ることなどやったことがない為、やり方がわからない。
「…目え閉じて、耳をそば立ててみろ」
アンバスに言われ、ヴァロは素直に目を閉じて辺りの様子をじっくり感じてみた。視覚を遮断した分、辺りの音がよく聞こえるような気がする。
すると、前方東の何か少し嫌な感じがする。
「…ナハトが言ったのと同じ方から、何か少し嫌な感じが…する。多分…」
「多分て…まぁいい。感じ取れたなら、その嫌な感じが魔獣の気配だ。魔術師がいれば、俺らよりは魔力の気配に敏感だから必要ねえが、それでも感じ取れるに越した事はねえ。おまえもアンテナ張って、気を配れよ」
「…わかった」
そのままアンバスは進みだす。感知できる分、ナハトが感じる恐怖は相当のものだが、帰るという選択肢はアンバスにはないらしい。
頬を伝う冷や汗を拭って、ナハトはヴァロへ目配せした。この先にいるのは絶対に幼体ではない。強い視線で警戒を促しつつ、気配を辿って進む。途中魔獣から逃げた獣や、魔獣化しかけた植物を狩りながら、少しずつ森の奥へ足を進めた。
森は奥に進むにつれ、木が大きく横に伸び、より一層太陽を隠し出した。薄暗いうえに黒ずんだ植物が増え、視覚が頼りにならなくなる。
「こりゃあ当たりかもな…」
「はっ…?」
「えっ…」
ぽつりとアンバスが呟いた言葉に、ナハトとヴァロは足を止めた。こちらを振り向きながら、アンバスが口を開く。
「黒ずんだ木は魔力の影響なんだがな…ターゲットはまだ先だってのに、こんなところまで影響が出ていやがる。こりゃ、幼体じゃねえかもな…」
「そ、そんな…!?」
「ヴァロくん、落ち着きたまえ。アンバスさん、先ほどからそうお伝えしようとしましたが、ずっと制されていましたよね?この状態を私たちに見せるために、ここまで連れて来たのですか?」
「あっ?ああ、まあな」
「なるほど…。では確認した今、引き返しますか?」
シェラドラの成体の依頼をしっかり見た事はないが、フルブルよりも強い魔力ということ考えても、とてもナハトたちの手におえる敵ではないはずだ。どうするかと問うてはいるが、恐らく退却一択であろう。
アンバスは一瞬考えこんで、ナハトとヴァロを見ると問いかけてきた。
「おまえ、魔力量は幾つだ?」
「…24です」
「なら、魔力は大丈夫だな。おい、坊主。おまえは戦えんのか?」
まさかやるつもりなのかと目を見開いた。
ナハトが振り向くと、問われたヴァロは唾を飲み込む、頷く。恐怖心がありありと現れている顔で、答えた。
「た、たた戦えます…!」
「締まらねえな…まあ、いいや。なら、行くぞ。警戒しろよ」
「待ってください!本当に大丈夫なんですか?」
先へ行こうとするアンバスの手を掴む。アンバスが胴の冒険者とは言え、本当に3人で倒せるのかナハトたちには判断がつかない。可能なら、可能だと思う理由を説明してほしい。そのぐらい、感じている魔力は強大なのだ。
ナハトの反応に、ヴァロの顔にも不安が浮かぶ。だが、アンバスの表情は、それと反対に喜色に満ちていた。にやりと笑って大きく頷いた。
「大丈夫だ」
納得は出来ないが、そう言い切られるならば行くしかない。大きく息を吐くと、ナハトも覚悟を決めた。再度ドラコに声をかけ、そっと歩みを進めた。
いよいよ足元が見えなくなってきた。そろそろかと、ナハトはアンバスに渡されていた物をポーチから取り出した。それは使い捨ての魔石で、魔力を通すと数時間は光り続けるが、その後は崩れて砂になるクズ魔石だ。ダガーでほんの少し指先を切り、石に魔力を流すと、一定感覚で放り投げていく。主に前方、左右にはその半分。
歪な魔石は跳ねて転がり、落ちた場所を中心に一定範囲が明るくなった。未だ薄暗いが、幾分視界がマシになる。
「おい、坊主。敵は地面から根を伸ばして襲ってくる。地面も警戒しろ。攻撃されたら殴って根を折れ」
「わ、わかった!」
ヴァロが返事をしたその瞬間、それはやってきた。急速に膨れ上がった魔力に叫ぶ。
「真下!」
同時に地面を蹴り、伸びてきた根を避ける。アンバスはもちろん、ナハトとヴァロもなんと回避する。
「本体はまだ後100メートルほど先です!」
ナハトが叫ぶと、アンバスが剣を抜いて一帯の根を薙ぎ払った。地面から突き出した根が一瞬で寸断されて地面に落ちると、驚いたように根の攻撃が緩んだ。それを狙ったかのようにアンバスが口を開く。
「おい、坊主!おまえ、こいつ守りながら進めるか?」
ここまで来たら戦うしかないが、フルブルの時には無理だと言ったヴァロが、明らかにそれより強い敵にYESと言えるのだろうか。根を避けながらナハトがヴァロを見ると、強い視線とぶつかった。そしてすぐさま答える。
「出来る!」
「よし、行くぞ」
言うや否や、アンバスは森を進み出した。上下左右から襲いかかる根をものともせず、避けて、斬って、突き進んでいく。無駄のないその動きは、流石は銅の冒険者である。
「ナハト!俺の後ろついてきて!」
「ああ、任せた」
ナハトが答えると、ヴァロは頷いた。ナハトの走る速度を考慮しつつ、飛び出してくる根を殴り折っていく。明らかに気配を呼んだ動きではないが、反射神経でカバーしているのだろう。地面から出てくる根以外は、視覚に入った瞬間反応している。恐ろしいまでの身体能力だ。
「下だ!」
下から来るものだけはナハトが伝えるが、それ以外は凄まじい反応で対応している。粉々になった根が雨のように降り注ぎながら、アンバスよりは幾らか遅く森の奥へ進んでいくと、やっと本体が見えてきた。
「見えた!」
「これが…」
それは、黒々とした大きな木だった。高さはそれほどでもないが、横に広く大きかった。周囲の木を取り込んで大きくなっているようで、呑まれた木が中途半端に幹からとびだしている。幹だけでなく葉も真っ黒で、果物が腐ったような嫌な匂いが辺りに充満していた。
「来たか!こいつが枯れるまでテメェの魔力を流せりゃ俺たちの勝ちだ!出来るか?」
「…わかりませんがやります!」
「はははっ!よし、やれ!」
魔力を流すなどという中途半端な情報で出来るかどうかなど判断できるわけはない。しかし今の状態ではやるしかない。
瞬時に頭を働かせ、予測を立てる。幼体が成体になったが、姿かたちは小さいか大きいかの変化しかない。ならば、倒し方にそれほど差異があるという事はないだろう。さすがにその場合はアンバスが事前に教えてくれる―――と、思いたい。ならば魔獣の核を魔力で塗りつぶせば倒せるはずだ。
やる事は一つだ。
「アンバスさんは、出来るだけ攻撃を引きつけてください!」
「まかせろ!」
「ヴァロくんは一瞬でいい!根を捕まえてくれ!」
「わ、わかった!」
左手の手袋を口で噛んで外し、手のひらをダガーで切った。タイミングよくヴァロが捕まえた根に叩きつけるようにして血を塗りつけ、一旦離れる。
「あとは?」
「私を守ってくれ!」
「…!わかった!」
ヴァロを壁にして地面に掌をついた。着くと同時に魔力を、血をつけた根に沿って注ぎ込む。魔力が血を経由して流れ込んでいくのを感じ、血液のように魔獣の中をめぐる。
(「どこだ…?核は…!」)
一瞬強い反発を感じ魔獣に視線を向けると、幹の一部分が光っているように見えた。あそこに核がある。ナハトはそこに狙いを定めて、魔力を叩きこんだ。魔力が地面を伝って、ナハトが血を塗った根にまっすぐに進んでいく。
ドンッ!と地面が揺れた。魔力は繋がった。あとは枯れるまで魔力を流すだけだ。
ギイイイイイッ!
耳をつんざく、叫び声に似た音が森に響く。魔獣の悲鳴だ。確実に効いていることがわかって、さらに魔力を注ぎ込む。
(「…まだかっ!?」)
体内の魔力がどんどん減っていくのがわかる。魔獣の核も抵抗が弱くなっているのを感じるが、動く根は数を減らさず暴れ回る。アンバスが攻撃を引き付けてくれているとはいえ、メインで攻撃をしているのはこちらだ。かなりの数の根がこちらにも向かってきた。
それをヴァロが傷つきながらも叩き折っていくが、多勢に無勢。このままではじり貧だ。
(「…早く倒さないとこちらが負ける…!」)
「ナハト!」
ナハトの体の真下から根が突き出た。間一髪ヴァロに抱えられ事なきを得たが、手が地面から離れてしまった。魔力が切れた事をこれ幸いと、魔獣が再度暴れ出す。
「おい!後少しだぞ?何やってんだ!」
「すみません!」
反射的に謝るが、状況は最悪だ。片手でナハトを抱えたままでは、ヴァロも対応し切れない。とはいえ下から攻撃してくる根に阻まれて、ヴァロはナハトを下ろすこともできない。
本当はやりたくなかったが、こうなっては仕方がない。後の事は考えないことにして、ナハトは右掌もダガーで切った。ヴァロに抱えられたまま、その右手を大きく振る。襲いくる根に、びしゃりと血が飛び散る。
「な、ナハト!?」
「ヴァロくん、手を放せ!」
「でも、危な…!」
「いいから放せ!」
怒鳴ると、ヴァロが手を放した。両手を地面に突き出すように着地すると、同時に全力で魔力を流した。
ドゴンッ!と、大きく地面が揺れた。
ギイイイイイッ!
また魔獣が悲鳴を上げて暴れるが、今度は魔獣の幹にヒビが入っていく。バキバキと割れる音が響き、そして一瞬光ると、魔獣は白い砂になって消えてしまった。あとにはころんと赤い石が転がっている。
「お、終わった…?」
「おー。よく頑張ったな」
ヴァロが肩で息をしながら顔を上げると、アンバスが笑いながら剣をしまった。傷もあるし、息も弾んでいるが、まだまだ余裕そうである。ヴァロは擦り傷打撲に汗だくで、もうヘトヘトだ。安心したせいで力が抜け、その場に座り込んだ。
「初めてにしちゃ、よくやったな」
「ありが、とう…ございます…」
差し出された手を遠慮なく借りて立ち上がった。森は魔獣の影響がなくなり、太陽の光がさんさんと差し込んでいる。
「ギュー!」
ドラコの声が聞こえて振り向くと、ナハトが倒れ込んでいた。両手に変に力が入っているのか、痙攣するように震えている。深く切り裂いた掌から血が流れ、地面に小さな血だまりが出来ていた。
「ナハト!?」
「おいおいどうした?」
すぐさま助け起こすが、顔が真っ青だ。耐えるように目をきつく瞑り、歯を食いしばっていて、呼びかけにも反応が薄い。それを見て、アンバスは気が付いた。
「こりゃあおそらく…魔力の枯渇だな」
「魔力の枯渇…?どういうことですか?」
「まんま言葉通りだ。魔力使いすぎたんだな。24ありゃあいけると思ったんだがな」
「…なっ…!なんて事をさせるんですか!?」
つまり、あの魔獣は魔術師一人で倒すものではなく、複数人で倒すものだったという事である。なまじナハトに魔力があったから出来ただけで、失敗してもおかしくなかったのである。
「まあまあ落ち着けよ。魔力の枯渇は命にかかわ…らん事もないが、もう魔力を使わなけりゃ大丈夫だ」
「あんたは…!」
「それより、その手。手当してやっちゃどうだ?」
ヴァロは奥歯を噛んだ。腹が立ってしょうがなかったが、ドラコがナハトを心配して鳴いている。言われた通りにするのは悔しいが、確かにナハトの手当てが先である。
ナハトを横たえると、ポーチから必要な物を出して手当していく。ヴァロたちのようにすぐ治らないから丁寧に傷を縫い、包帯で覆う。
「随分丁寧にやるんだな。そんくらいなら、適当に巻いときゃ治るだろう?」
「治らないからやってるんだ。ちょっと黙ってて」
声をかけてくるアンバスに雑に返答を返しながら手当てを終えると、ナハトが呻いて眼をあけた。すぐに太陽の光に眩しそうに、何度も瞬きをする。
「ナハト、具合はどう?」
「ああ…水をもらえるかい?」
ナハトは渡されたそれを飲み干すと、また頭が揺れて、カップを落とした。
「大丈夫!?」
「ああ、大丈夫だよ。それにしても、これが魔力の枯渇か…気持ち悪くて、目がぐるぐる回る」
「知ってたの!?」
驚いて問うと、ナハトは片手で目を覆いながら呟く。
「もちろん。…これでも魔術師だからね」
こともなく言うが、それですまされる顔色ではない。冷や汗をかいているし、未だ立てそうには見えない。いつもならすぐに撫でるのに、心配そうになくドラコを撫でることも出来ていない。
「だから大丈夫だって言ったじゃねえか」
「この…!」
「まあまあ、ヴァロくん落ち着きたまえ」
ナハトはそう言うと、顔をアンバスの方へ向けた。笑顔だが、少し怖い。
「アンバスさん、先ほどの話聞こえましたよ。そういう事は、先に言ってください。出来たからよかったものの、出来なかったらどうするつもりだったのですか?」
「そん時は…俺がおまえら担いで逃げたな。まあ、出来ると思ってたけどよ」
「なるほど?一応できなかった時のことは考えてくださっていたのですね」
「そりゃあな」
ナハトは息を吐き出すと、立ち上がろうと手足に力を入れてみた。先ほどよりは自由に動かせそうだが、まだ覚束なそうだ。だがどうしても立って話をしたい。ドラコを肩に乗せると、ヴァロの手を掴んで立ち上がった。しかし、辛うじて立ち上がりは出来たものの、まだ歩けそうにはない。
仕方なく、その場でナハトはしゃべりだした。
「次回からの依頼ですが…」
「うん?」
「今回はアンバスさんの意見を聞き入れて依頼を受けましたが、次回以降は私たちの方で依頼を決めさせていただきますね」
「ああ?なんでだよ」
「アンバスさん、おっしゃっていたじゃないですか。自分は教えるのに向いていないと」
「おう。だからこうして現地指導を…」
「それも向いていないと思います」
スパっと言い切った。驚いた顔のアンバスに、ナハトはさらに続ける。
「演習場の時もそうですが、アンバスさんは言葉が足りません。やり方も荒っぽいです。今回のようなことは二度とごめんです」
「面倒くせーなあ。討伐できてんだからいいじゃねーか」
「それは討伐できたから言えることです」
出来たのだからそれでいい。それは、無事にできたから言える言葉で合って、出来ない可能性があったのだ。アンバスは抱えて逃げればいいと言ったが、それが本当に可能だったのかナハトたちにはわからない。彼の実力はバッジでしか知らないし、知らない者にそこまでの信頼を持てという方がどうかしている。
アンバスは気分を害したのだろう。イライラと頭を掻きながらため息をつく。
「教えられる側のくせに、随分偉そうじゃねえか」
「教えられる側だからです。私は何度も成体だとお伝えしようとしましたし、大丈夫なのかと確認もしました。にもかかわらず、あなたは大丈夫という言葉だけで突き進みました。あなたの采配で、私たちは死ぬかもしれないんですよ?適当な事をされて、文句を言わない方がどうかしています」
そう言うと、アンバスは一度大きく息を吸って、吐き出した。がりがりと粗く頭を掻くと、踵を返して丘を登っていく。
「どこへ行くんですか?」
「だああ!面倒くせーな!俺は先に帰るぜ。おまえらで依頼達成の報告行っておけよ」
「そんな、勝手な…」
ヴァロの呟きも空しく、アンバスは行ったしまった。どすどすと踏み鳴らす足音が離れていく。
「…彼が単身で冒険者をしている理由がわかりますねえ…」
「いいの?あれ…」
「良くはないけれど、しょうがない。勝手に離脱するのであれば、別の指導者を紹介していただけるようイーリーさんに相談しよう」
ヴァロに支えられながら、ゆっくりと丘を登っていく。やってきた辻馬車に乗り込むと、カントゥラへと戻った。




