第83話 リュースの目的
リュースが生まれたのはトゥルクと呼ばれる最南端の地域の伯爵家だった。
伯爵と言えば聞こえはいいが国内での立場は低く、しかも”最南”を任されている貴族とあっては、首都に住む男爵よりも酷い扱いを受けることすらあった。全ては劣等種よりの考えであった当主のファモンド・トゥルクの考えのせいで。
ビスティアの南は環境の変化に弱い劣等種が多く住んでいる。その為管理している民の7割以上が劣等種だ。そうなると劣等種と優等種の婚姻も他よりは多く、よく聞く劣等種と優等種の諍いというのもトゥルク周辺ではそう多くなかった。
しかし―――それも表面上の話だ。裏では人種間の様々な問題が起きていたが、それは伯爵の耳に入ることはほとんどなかった。弱く力のない劣等種を護り導くことを信条としていた伯爵は、自身の周囲に劣等種を多く登用した。
その為、全ての物事は劣等種よりに進んで行った。それに声を上げる優等種や部下も大勢いた。しかし、彼には人を見る目が決定的に欠けていたのだ。
そうして出来上がったのは、劣等種の意のままに操られる伯爵家だった。
本来ならそのような家はあっという間に取り潰される。だがトゥルク家がなくなれば、そこを代わりに治める貴族が必要である。劣等種だらけのその土地に閉じ込められることを恐れた貴族たちは、トゥルク家の問題を放置した。
そうして国王が気づいた時には、貴族として、優等種として忌避されている”劣等種と息子の婚姻”を、由緒ある伯爵家が発表するという事態になってしまっていた。
しかも国王がその婚姻を確認した時には既に子供が出来てしまっていたのだ。
本来優等種と劣等種の間に子供が出来ることはまずない。その理由が、優等種は魔力を持つのに劣等種は魔力を持たないからだ。なのに”出来てしまった”その子供。南に住む劣等種たちの横暴に頭を悩ませていた国王は、その婚姻を”認めない”とトゥルク伯爵に返した。子供についても、生まれたとしても”戸籍を用意しない”と脅しまでつけて。もし貴族の血を持つ子供が生まれてしまえば、劣等種にかつぎ上げられて戦争になることを恐れたからだ。
その結果トゥルク伯爵は反発し―――そうして秘密裏に生まれた子供がリュースだった。
魔力を持つのに外見は劣等種。貴族なのに戸籍もなく、劣等種の母はリュースを生むのに耐え切れず死んだ。身の回りの多くは劣等種が世話をしてくれるのに、父親は優等種で、教育は劣等種。
そんな歪な環境でリュースは育った。優等種の恨み言を口にしながら優等種に仕える周囲の者たち。混ざり者の自分を国に認めさせようと躍起になる父親。それらすべてが気持ち悪かった。
そんな生活に耐えきれなかったリュースは12の時に家を飛び出し、その先で第一王子のリステアードに拾われたのだ。
(「だが…あれは所詮獣の王だ」)
リュースは自分の環境が憎く、ただただ気持ちが悪かった。だからすべてを壊したかった。それをリステアードは手伝うと言って近づいて来たが、そのリステアードが自身を利用して第3王子を殺させ、それを理由に南の劣等種を皆殺しにしようと計画している事を知っていた。それでも利用され、劣等種のグループに潜り込み、そうして暗躍し続けたのは偏にあの”日誌”に出会ってしまったからだ。
”カルストの日誌”に―――。
「おまえこそ、ここに残って何をする気なんだ?」
リュースの問いかけに、ナハトは何も答えない。それに苛立ち手のひらを向けると、すぐにナハトを庇うように横にいた精霊が出てきた。それにも苛立ちが募る。
リュースはカルストの日誌を読み、こんなにも素晴らしい人間がいたのだと深く感動した。しかし同時に感じた酷い虚しさと失望。それを感じた理由は、ただ一つ。カルストという一人の素晴らしい魔術師が護ったあの場所にいたのがただのつまらない劣等種であったからだ。
カルストがかけた魔術に胡坐をかき、つまらない復讐を掲げる劣等種。その劣等種を根絶やしにしようと動く、優等種の王になりたい王子。
そうして2つの種族を見て、日誌を読んで、リュースが最終的に行きついたのは”この世界の滅び”だった。
汚い汚い生き物は、カルストが護ろうとしたあの場所には相応しくない。だから―――すべて死に絶えればいい。
「あなたは…」
「もういい。おまえと話すことは何もない」
ナハトの言葉をリュースはそう言って遮った。そうして武器を抜き、構える。
「俺に吐かせたいなら力ずくでやるんだな。”カルストの三番弟子”」
リュースのそれはナハトの動揺を誘うには十分すぎた。優等種の筋力を持って跳んできたリュースの攻撃を受けて、ナハトは後方へとすっ飛ばされた。
「ナハト!」
「手を…!出すな…!!!」
立て続けに来た攻撃を辛うじてダガーで受け止めながら、ナハトはなんとか距離を取ろうと下がった。足にはヴィントの風の魔術、体には筋力を補強するためのフィオーレの魔術がかかっているが、そもそもが貧弱な人間の体では、それでやっと優等種であるリュースの攻撃を受けられる程度の効果しかなかった。
そのうえ今のナハトは魔力を使い過ぎて内外共にボロボロだ。痛みと戦いながらそれでもナハトは精霊たちに戦いの主導権を渡さなかった―――いや、渡せなかった。
「…っつ!…お前は私の何を知っている!!」
”カルストの三番弟子”とは紛れもなくナハトの事だ。それをどうしてこの男が知っている。千年前に魔力に浸かり、そうして時を越えてしまったナハトの事を、どうしてリュースが知っているのか。それを聞くまでは殺すわけにはいかなかった。
「言ったはずだ!力づくでやれと!」
リュースはそう言って小さな炎を周囲に飛ばす。小さい分速度が凄まじいそれを辛うじて避けると、それは周囲の白い花に触れると同時に青白く燃え上がった。赤い炎ではないそれをすぐに水の王が消火にかかるが―――その炎に近づいた瞬間、水の王の腕が膨れ上がった。
「がああっ!!」
「水の王!!」
禍々しく変形した腕に、フィオーレらが悲鳴を上げた。その声に一瞬ナハトの気が逸れる。
「よそ見をしている暇はないはずだ…!!」
「がっ…!!」
振り抜かれた剣に左腕が裂ける。そのまま来た追撃を迎えるように鋭い棘の生えた蔦で絡め捕りにかかる。
しかし、ナハトの魔術は植物、対して相手は火だ。伸びた蔦はあっという間に燃やされ、また青白い炎が上がる。そうして今度はその近くにいた薄靄のような精霊が悲鳴を上げた。そしてそのまま―――魔物に変化した。
「なっ…!?」
「まさか…!」
ビルケたちの驚愕に満ちた声が上がる。魔物に変化した精霊は手あたり次第に周囲を襲う。それを押さえに、一人、また一人とナハトの周囲から精霊王たちは姿を消した。もうめちゃくちゃだった。真っ白な花の咲く平原だったそこは青白い炎と、それに触れた魔物であっという間に満ち、弱い精霊を護るように精霊王たちが魔物の攻撃を退けている。
そうしてフィオーレ以外がいなくなると、やっとリュースは攻撃の手を緩めた。それを狙ってナハトはタロムの花を大量に咲かせたが、その花粉が飛んだ瞬間、リュースは一面を焼き払って笑った。
それを見て、さすがにナハトも気付く。リュースがいろいろな事を知り過ぎている事に。
(「おかしい。精霊の魔物化も、タロムの花も、何より精霊の事を知り過ぎている」)
ぜーぜーと荒い息のまま、ナハトは完全に手を止めたリュースを見上げた。
その瞬間、光の王が魔術で攻撃を仕掛けたが、リュースはその攻撃をいとも簡単に避けてその長い尾を掴んで引きずり落した。悲鳴を上げて地面にめり込み動かなくなった光の王に、リュースはつまらなそうに呟く。
「…こんなものか」
力づくでやれと、そう言っておいてリュースは気怠そうににナハトを振り返る。その動きにナハトとフィオーレは警戒を強めた。
だがリュースはそんなこちらの動向を無視して腰にある鞄から2つの瓶を取り出した。その封を開けると、何の躊躇いもなくそれを飲み込む。遠目から見たそれは水のようであったが、ナハトはそれに既視感を覚えた。何故か肌があわだち、冷や汗が噴き出る。
「ナハト…?」
「フィオーレ、手を出すなと言ったのは撤回します。彼を止めてください」
「いいのですか?」
それは”殺してもいいのか”と、暗に問う響きを含んでいた。それでもナハトは頷く。捕らえて話を聞きたかったが、それを諦めさせるほどの嫌な予感がしてならない。
ナハトが頷いたのを見て、フィオーレはすぐに動いた。だが、動いたのはフィオーレだけではなかった。
「え…」
瞬きの内にフィオーレは青白い炎に包まれ、そしてナハトは首を掴まれてそのまま地面に叩きつけられた。
「がっ…!!」
息がつまる。吐き出した酸素を吸い込もうと口を開けた瞬間、頭を固定されて無理やり唇を合わせられた。
その瞬間流れ込んできた大量の魔力に、ナハトの体は悲鳴を上げた。
「ん”ん”ー!!!」
「あ”あ”あ”あ”あ”っ!!!」
耳に届くフィオーレの悲鳴。ナハトは自身にのしかかるリュースを退かせようと抵抗したが、それよりも流れ込んでくる魔力にその術を奪われる。体が熱くて熱くて、炎の中にでも投げ込まれたようで目の前が白く濁る。繋がっているフィオーレが苦しんでいるのが分かるが、それでもナハト自身も抵抗のしようがなかった。
苦しい。嫌だ。ナハトを通して吹き出る魔力は、フィオーレを伝ってまた精霊界に流れていく。フィオーレがまた、消えてしまう。
「貴様ぁああ!!!」
リュースがやっと唇を放した。だがその時にはもうナハトは魔力に全身を侵されていて、意識を保つのがやっとの状態だった。指一本動かせず、ヴィントとビルケらの攻撃をリュースが青い炎で周囲を覆う事で防ぐのを見ている事しか出来ない。
「おまえら精霊はそこで世界の終わりを見ていろ」
”世界の終わり”とリュースは言う。そうしてまた鞄から2本の瓶を取り出すと、それを飲み干してナハトを見下ろす。その視線はナハトの持つ装飾品に向き、それを一つ一つ確認するように外していく。
(「…私を通して魔力を流し、精霊界を壊す気か…」)
どうしてかはわからないが、リュースはナハトと精霊が繋がっている事も、魔道具でここに入れている事も知っているようだ。そして先ほどの発言―――ベルトのバックルを外されるか壊されるかすれば、ナハトはここで延々と魔力を増幅させる”物”に成り下がる。
そうすれば精霊界はあっという間に魔力で満ち、世界樹の入り口を閉じたとしてもパンクした魔力は外へ流れていくだろう。そうすればそう遠くない未来、人間界も壊れる。
(「そんな事、させるか…!」)
そうなってしまっては、何のためにナハトはヴァロとドラコを外へ追い出したのかわからなくなってしまう。償うためにここに残ったのに、なのに世界を滅ぼす者になっては意味がない。
「…ぐ…」
「まだ抵抗する気か」
リュースがナハトのバックルに手をかけた。それを外されればすべてが終わる。それなら何でもしてやると、ナハトは目を閉じた。体内の魔力が暴れていう事をきかないが、だがそれならただ流すだけでもいい。ナハトは何も考えずに、制御しようと考えずに魔力を使った。
その瞬間、地面が割れて大量の蔦がナハト諸共リュースも弾き飛ばした。
「ぐあっ!!!」
一瞬にして森のようになるそこに、そのまま力なく落下する。どうにかしなければと抵抗したが、空中ではどうしようもない。
でもそれでも、ナハトはまだ死ぬわけにはいかない。
「…く…そ…!」
ナハトは暴れまくる魔力をどうにか制御しようと地面に向かって手を伸ばす。しかしその甲斐なく魔力は言う事をきかず、どんどん地面が近づいてきて―――ナハトは反射的に目を閉じた。
その時、ここには決していないはずの者の声が聞こえた。
「ナハト!!」
「ギュー!!」
次の瞬間体に軽い衝撃が走り、それにナハトが顔を上げた先には―――真っ白な髪に金色の目のよく知った顔が、肩に黄色にまだら模様のトカゲを乗せてこちらを見下ろしていた。




