第82話 本当の理由
「よかったのですか?」
フィオーレにそう尋ねられて、ナハトはもう見えなくなったヴァロとドラコから視線を外した。振り返った先には不安げにナハトを見つめるフィオーレと、敵意を込めた瞳で見る水の王、光の王がいる。
ナハトは一度目を閉じると、ゆっくりとまたヴァロたちが去った方に視線を戻して呟いた。
「いいも悪いもありません。これが最善だと思うからするまでです」
「ですが…」
「私に何かあってもフィオーレには何もないでしょう?なら、これで精霊界も人間界も大丈夫です」
ナハトがそう言うと、フィオーレは諦めたように手を振った。
すると眩暈のような感覚の後、ナハトは木の洞の中のような場所から真っ白な花の咲く平原へと移動していた。そこは山と海に挟まれた場所で、か細く湧き出る小さな泉があるだけの場所だった。
「ここが精霊界の中心です。ここで魔力を使えば…あなたの望むことは出来るでしょう」
「…まるで私がこれからすることが分かっているかのようですね」
少し意地の悪い言い方でナハトがそう問いかけると、フィオーレは悲しそうに眉を寄せてそっと額を合わせてきた。消え入りそうな声が直接頭に響く。
『わかります。わたくしはあなたと繋がっているのですから』
「…そうでしたね」
ナハトがやろうとしている事。それは精霊界の魔力をフィオーレを通して使用し、大魔術を行使しようというものだ。精霊を通せば精霊界にいる優等種も劣等種も、魔力を通して感じられる。彼らを魔術で世界樹の外へ押し出し、そうして入り口を閉じてしまおうという―――雑ながら、精霊の力を使えるナハトにしか出来ない事だった。
「それだけの魔力を使えば、この飽和した魔力も薄れるでしょう。世界樹の入り口は閉じますが、あとは…ヴィントやビルケと協力して、精霊界の魔力が増えないようにしてください」
光の王や水の王がどれほど協力してくれるかはわからないけれど、大地の王はフィオーレたち寄りだ。4対2なら、きっとうまく回してくれる。少なくともナハトと共にいたフィオーレが、むやみやたらに魔力が増えることをよしとはしないはずだ。
ナハトは両手を切って地面に手を当てた。後は、フィオーレが魔力を取り込んでくれればいい。
しかし―――フィオーレは動かず、ナハトに向かって呟く。
「…ナハト。わたくしはあなたに死んでほしくありません」
「時間がありません。フィオーレ、早くしてください」
「ナハト。どうしてそう命を投げ出そうとするのです?あんなにも死にたくないと思っていたではありませんか」
「…今だって死にたいわけではありません。ですが…いい加減、ツケを払わないといけないと思っただけです」
この世界の、今の時代のなにもかものきっかけが、すべて自分が魔力に浸かってしまったせいだと知った。劣等種と優等種の争いも、劣等種が優等種を憎んでいる事も、師父やナハトの知る大切な人たちが苦しんで死んだことも、結界が張られたことも何もかも―――到底書き出すことも出来ないほどの全ての事が、ナハトがあの場にいなければすんだことなのだ。
ビルケの言葉に悲しんだ。ヴィントの「死んでいればよかったのに」と言う言葉に反発もした。そうしてヴァロとドラコの言葉に救われたけれど、そんな事ではもうどうにも出来ないほどの罪だ。
ナハトがここで両方の世界を救えるなら、それで死ぬのであれば、やっと償いらしい償いになる。そのくらいしてもまだナハトは地獄に落ちるかもしれないけれど―――。
「私は、ヴァロくんとドラコが無事でいればそれでいい。それだけです」
「……わかりました」
フィオーレがナハトの両肩に手を置く。
準備ができたことを悟って、ナハトは他の王や精霊たちを振り返った。
「あなた方は世界樹の近くへ移動して、取りこぼしがないか確認してください。一人として残さぬよう、私に伝達してください」
「…いいだろう」
「…仕方がない」
返事を返したのはビルケとヴィントだけだが、フィオーレの強い意志で他の精霊王や精霊たちも次々に移動していった。
そうしてナハトは深い深呼吸の後、魔力を地面にたたきつけた。
外のように地面が割れることはない。流した分の魔力が地面の下を通る水脈のように流れていき、ナハトの頭にフィオーレを介して様々な情報が送られてきた。
「ぐぅ…!」
全ての精霊たちが感じる冒険者たちの気配。それが津波のように押し寄せてきて、ナハトはがくんと肘をついた。地面に頭を押し付けて、必死に送りつけられる冒険者に向けて蔦を伸ばす。
ナハトの両手から発生したそれは各世界樹の周辺から芽を出し、そうして冒険者を絡め取っては世界樹の外へ押し出した。今頃ダンジョンの外では大騒ぎになっている筈だ。だがそれはナハトにはもう関係ない。ここを閉める以上、全員、漏れなく外に出さなければならないのだから。
(「…っ!私の、魔力の気配…!」)
どうやら予想通り、ヴァロは劣等種を捕らえて魔石で拘束したらしい。感じた自分の魔力に狙いを定め、外に送り出す。
するとその近くに感じるヴァロとドラコの気配。気付かれたのか、逃げようと騎獣で飛び立ったのがわかる。ナハトは薄く笑うと、後ろに控えていたアッシュに声をかけた。
「アッシュ。ヴァロくんたちを止めてくれ」
「ニャア!!」
くるんと回転して、アッシュは空中に消えた。瞬間、ナハトが感じる先で空中に放り出される2つの気配。それに蔦を巻きつけて―――ナハトはそのままノジェスの世界樹の外へ押し出した。
反応を感じなくなって、ほっと息を吐く。これで1番の心残りは消えた。
後は取りこぼした冒険者がいないか、確認を繰り返す。するとその頃には腹の中が冷たくなっていくような感じがしてきた。何かが込み上げてきて、けほりと咳き込むと血が流れた。ああ、魔力を使いすぎるとこうなるのかと、ナハトは漠然とそう思って笑う。
「…何が面白いのですか?」
「……わかりません。気が楽になっただけかも知れません…」
そうして話す余裕ができる頃には、精霊界の中に冒険者の気配は一つを残して無くなった。
それをフィオーレにも確認して、ナハトはさらに魔力を叩き込む。
「…っ、げほっ…」
口も鼻も鉄臭くて気持ち悪いが、でも気分は悪くない。ナハトは痛む体に歯を食いしばって、指先で地面を抉った。
「ああぁああ!」
痛い。体中が痛いと思いながらもナハトは魔力を止めなかった。
すると―――バチンっという音と共に左目が見えなくなって、それと同時に世界樹の入り口が全て閉じたのがわかった。
「…ふふっ、なんとか…出来ましたね」
ナハトは地面に横たわったままそう呟いた。
その視線の先にはゆっくりとこちらに歩いて来る一人の男の姿が見える。人の良さそうな見た目の優男は、この中にたった一人だけ残した人間だった。
「…どうでしたか?転移の気持ち悪さは…」
「酷いものだ。だけど、興奮でそれどころじゃなかったよ」
「そうですか…」
ナハトはゆっくりと起き上がると、リュースに向かって魔力を走らせた。素早く伸びて巻き付いた蔦は、リュースに巻き付き―――そしてすぐに消し炭になる。予想した通りのそれに、ナハトは小さく笑って口を開いた。
「やはり…あなた、優等種ですね。特性は火ですか?」
「俺をそう呼ぶな」
強い声で言い返されて、ナハトはリュースを見返す。
リュースはナハトと、その背後にいるフィオーレらを殺意しか感じない鋭い目で睨みつけていた。それはそうだろう。彼にとってはまさに敵だ。カルストの考えを歪曲して受け取り、妄信し、そうして作り上げたかりそめの敵。
だが、彼がここで出来ることはもうない。彼一人どう暴れたところで大量の魔力を手にしたナハトの相手ではないからだ。ナハトは一度深く息を吐くと、痛む体のままそこに腰かけた。そうして口を開く。
「それは失礼しました。…では、お話しいただけませんか?あなたが望んだこの場所で、あなたが本当にしたかった事を」
「……」
ただただ睨みつけるばかりだった彼の目が、驚きに見開かれた。




