第2話 初めての依頼
次の日、早々に朝食を食べに出かけ、その後冒険者ギルドへと向かった。
町の探索もしたいところだが、今はなにより仕事を充実させることが先だ。金銭のこともあるし、仕事の感覚も掴みたい。
「…今日は大丈夫かな…」
「大丈夫だろう。イーリーさんと顔つなぎもできたからね。とりあえず、今日は手始めに白線の依頼を受けてみよう」
「うん」
「ギュー!」
早朝だからか、ギルド内は依頼を受ける者でごった返していた。依頼版の前は人だかりができている。
ヴァロはまだしも、身長的にナハトには到底見えない。
「ヴァロくん、ちょっと良さそうな依頼見てきてくれないかい?」
「ええっ?俺が見たやつでいいの?」
「だって、私見えないし…ん?」
「おー来たか」
いつの間に来たのか、カウンター奥からイーリーが声をかけてきた。昨日ぶりのイーリーに挨拶すると、そのままカウンター端に呼ばれ、厚い冊子を渡された。
それが次々と4冊もカウンターから出されると、鈍いヴァロにも分かったようだ。
「…これが、全部植物使い向けの依頼?」
「ああ…。毎日この量だ」
「毎日!?」
「これはなかなか…」
試しに一冊開いてみるが、中には依頼が等級ごとにぎっしり挟まっていた。
白だけでも結構な量がある。1番多いのは黄だ。
「これを、毎回依頼版に貼っているとキリがなくてな。依頼版には他のものでも対処できるものを貼ってあるんだよ」
「それでもこの量ですか」
「ああ…。これでもここ数年で減ったんだぞ?で、だ。今日はどうするんだ?まだ冒険者と魔術師は紹介出来そうにないから、出来れば難易度が低いものを受けてもらえると有難いが…」
「そうですね。私たちとしても、そのつもりです。ヴァロくん、これなんかどうだろう?」
ヴァロに1枚の依頼書を見せた。それはクウィという花の採取の依頼書だ。クウィという花をナハトは知らないが、白線の依頼書なので、そこまでの難易度ではないだろう。
「…採取…。ナハトはこんな簡単そうなのでいいの?」
「ああ、最初だからね。まずは仕事の感覚を掴むためにも、簡単なものから始めよう」
「殊勝な心がけだな。昨日あんな口を聞いた奴とは思えん」
「私は相手の態度に合わせただけですよ」
「…そうかい」
微笑むと、疲れた顔を返された。
それを無視して、依頼書を提出する。
「こちらを受けたいと思います」
「ああ。これ、通してやってくれ。それとこれも」
イーリーは受け取ると、そこにさらに依頼者を追加で乗せて、職員へと渡した。
また勝手に何をするのかと目を細めると、それが分かったのか、イーリーがすぐさま手を横に振った。
「待て待て、落ち着け。お前らの不利になることはしてない。クウィの群生地にはこの2種類も生えていることが多いんだ。採取にコツがいるが、まぁ、ついでだと思って挑戦してみてくれ」
「…それは失礼しました。ありがとうございます。挑戦してみます」
依頼はすぐに手続きされ、その情報はカードに登録された。
カードの行方について若干警戒はしたが、今回は特に問題もなく返却された。イーリーが見ていたからかもしれないが、これで安心して依頼を受けられる。
宿も紹介してもらえた。大通りから一本入ったところにある小さな宿であったが、要望通り安くて清潔な宿であった。キッチンも自由に使えるようで、食材さえあれば自炊も可能なようだ。
長期滞在することを告げ、先払いとして今日と明日の宿賃を払い、残りは明日以降の支払いということになった。今日の依頼を達成すれば、1ヶ月分の支払いが可能だろう。
宿の中に大きな荷物を置いて、ナハトとヴァロは外へ出た。
「ヴァロくんは、クウィの花について、何か知っていることはあるかい?」
「確か、水源の近くでよく育って、橙色の大きな花が咲くんだ。見ればわかるよ」
1つの依頼を受ける予定が、3つに増えたため、ナハトたちは持ち歩ける昼食や採取に必要な物資を求めて、商店と屋台が立ち並ぶエリアへ来ていた。
あちこちから流れてくるいい匂いや音に気を取られながらも、小さめのカバンに手袋や採取用のナイフ、採取袋などを購入していく。
「もう2つの、ポポとアサシギは?」
「ポポは木になる白い実だよ。毒のある実なんだけど、よく落ちてるんだ。食べないようにって、小さい頃よく言われたよ。アサシギは知らない」
「なるほど。受付の人が言っていた『自己主張の強い木の葉』というヒントが頼りということだね」
それにしても自己主張の強い木の葉とはいったいどういう事だろうか。見ればわかると言われ、それ以上の情報はもらえなかったのだ。不思議に思うが、見ればわかるというのだからわかるのだろう。
「ギュー!」
「…こっちだね?」
「ギュー♪」
ドラコ用の干し肉を買い、自分用の昼食を買う。惣菜をパン生地のようなもので包んで焼いたものだ。持ち運びもしやすく、中身はいろいろ種類があるようだ。
ヴァロは少し大きめの、ベルトに着けられるタイプのバッグを購入した。ナハトも同じようなものを購入したが、大きさは倍違う。体格が違う分、ヴァロが持つとそこまでの大きさは感じなかった。何をそんなに詰め込むのかとみていると、結構な量のお昼ご飯を詰めている。種類も様々で、さすが食いしん坊である。
「準備は出来たかい?なら、早速行こうか」
最後に周辺の地図を買って外へ出た。その地図はヴァロのところで見た地図よりも、イーリーに見せてもらった地図よりも、よりこの町と魔獣の森を中心に作られたものだった。
その地図によると、魔獣の森は危険地帯ではあるが、本当に危険なのは奥地であり、手前は植物に適した肥沃な森の様だ。多くの者がこの地図を頼りに森へ入るのだろう。地図には川や開けている場所、道まで書き込まれている。
「随分丁寧な地図だな。これを見て川を上っていけば、目的のものは採取出来そうじゃないか」
「そうだね」
一応辺りを軽く警戒しながら森へ入る。森は思ったより穏やかで、ナハトは本当にこの森を通ってきたのかと、少しだけ不思議に思う。
「なんか…思ったよりも穏やかなんだね」
「この地図を見ると、本当に危険なのはこの色が変わっている箇所からのようだね。確かに前回この森を抜けた時も、途中から急に穏やかになって驚いたものだ。それでも夜は魔獣の気配が強くて動けなかったけれど」
「そっか。ナハトはこの森から来たんだっけ」
ナハトは地図に目を落とした。地図にも描かれていない奥、そこからナハトは来た。あの時はこの森に道があるなどと思っていなかったために、登った木から最短距離で森を抜けた。こんなに歩きやすい道であれば、抜けるのに5日もかからなかっただろう。
「ナハトは森の奥で目を覚ましたらって言ってたよね?」
「ああ」
「それってどの辺りだったの?」
「…説明が難しいな。この地図では足りないくらい奥からだよ。方角としては…あちらの方かな」
指さすと、ヴァロの耳が下がった。あからさまにしょんぼりとした彼に、ナハトは首をかしげる。
「どうしたんだい?」
「…そんな奥まで森を調べに行けるか不安になって…」
どうやらヴァロは、以前ナハトが言った「村やそこに住んでいたであろう人達の事を調べたい」という事について言っているようだ。確かに今のナハトとヴァロでは難しいだろう。
ナハトはそこから来たとはいえ、もう一度行くのはかなり勇気がいる。というか出来れば御免被りたい。いくら魔術が使えるようになったとはいえ、夜の森で感じたあれほどの気配の魔獣と戦うなど、考えただけで怖気が走る。
「徐々に力をつけていくしかないな。イーリーさんに冒険者を紹介してもらったら、君も稽古をつけてもらうといい」
「でも俺…」
「戦えるようになれと言っているわけじゃない。ヴァロくんは暴力に対する耐性が低い。が、それは悪い事ではないよ。だけれど、何も出来なければ今後君は苦労するだろう。だから、代わりに相手を無力化する方法を教えてもらうんだ」
よくわからないと首をかしげるヴァロに、ナハトは村で組み手をしていた時の話をする。
「殴ってきた君を私が倒したことを覚えているかい?私はあれしかできないが、原理はどの技でも同じだ。不安定になったところを転がす。そして拘束する。繰り返し練習の必要があるが、その練習に付き合うのは、もう私には難しいからね」
体力的にというと、ヴァロは少し残念そうな顔をしたが頷いた。どうやってももうナハトにヴァロの相手は無理である。
どんどん川に沿って森の奥へ足を進めていくと、少し開けた場所へ出た。陽は高くなってきているが、まだ休憩には早いかと思っていると、不可思議な気配を感じた。
「……?」
おそらく魔力だろう。それだけはわかるが、空気に漂う煙のように薄く、出所がわからない。足を止めて眉をひそめたナハトに、ヴァロが不安な顔を浮かべる。
「どうしたの、ナハト?」
「ギュー?」
「魔力の残滓みたいなものがある。…こっちだ」
念のため魔獣を警戒してドラコに触れると、ドラコは心得たように肩にしがみついた。ナハト自身もダガーを抜いて、気配の方へ足を進める。
「ヴァロくんは左右を警戒してくれ。恐らく魔獣の類ではないと思うけれど、念のためだ」
「…わ、わかった」
川からほんの十数メートル、道を外れて森を進む。魔力の気配は相変わらずあいまいで、おそらくこちらとしかわからない。
恐る恐る進んでいくと、橙色の花が辺り一面に咲いている場所へ出た。「クウィだ」というヴァロの声が聞こえ、ナハトは頷いた。魔力の残滓のようなものは、クウィから漂ってきている。
そしてその周りを囲うように生えている木に生っている白い実は、もう一つの目標のポポだ。
「…これは確かに」
「同時に受けた方が効率がいい依頼だね…」
「ギュー」
早速採取に取り掛かろうと、ナハトはダガーで人差し指の腹を切った。切った部分を押し付けるように地面に手をつくと、魔力を流していく。流れた魔力でわかったが、土の中でクウィの花は根同士がつながっているようだ。その根から抵抗を感じるが、一気に魔力を流し込んだ。
パンっ!とはじける音がして、近くに生えていたクウィの花が、花の根元からポロポロと落ちていった。呆気ないその様子に、ヴァロが問いかける。
「これでおしまい?」
「ああ、これで君が触れても大丈夫だよ。試しにヴァロくん、そこの花を採ろうとしてみるといい」
そう言われて、ヴァロは手近に咲いていた花に手を伸ばした。
だが花弁に触れた瞬間、花はしぼんで枯れてしまった。橙色に膨らんだ花が、触れた場所から黒く変色して落ちてしまったのだ。
「なるほど。魔力を流さないとこうなるんだね」
「知らないでやらせたの!?」
「ああ。受付の人には、根に魔力を流して採取すると聞いたから、そのようにしただけだよ。おそらく根から魔力を流し、花全体を魔力でいっぱいにすることで、初めて採取できるんだろうね」
「…へー…」
ヴァロに花の回収を任せ、ナハトはポポの生る木へ近づいた。落ちた実からは何も感じないが、生っている実からは僅かだが魔力を感じる。
「それはどう採るの?」
採取を終えたヴァロが聞いてきた。受付の人の話では、ポポは実に直接魔力を流す必要があるらしい。
ただクウィの花と違って実を包むように魔力で覆い、覆っている間に切り取る必要があるらしい。背伸びして実に手を伸ばしてみるが、触れることすらできなかった。わかっていたけれども。
「…届かないな。ヴァロくん、申し訳ないけれど肩借りていいかい?」
「いいよ。ナハト届かないもんね」
「……」
にっこり微笑むと、慌ててヴァロが屈んだ。その肩に座ってヴァロが立ち上がると、グッと視線が高くなる。
もう片方の人差し指の腹も軽く切ると、ポポに触れ、包み込むように魔力を流した。魔力が実全体を覆うのを確認し、実の根元をナイフで切り落とした。切り離した瞬間、実の色が一瞬で変化し驚く。
「あっ、色が変わった」
「本当だね。これは白というより、銀色だな」
「ギュー!」
つやっとした白色の実が、鉄のような鈍い銀色に変化した。爪で弾いてみると、カンと高い音がする。
「俺、初めて見たよ。ポポがこんな風になるの」
「これをどう使って何を作るのか気になるところだね」
帰ったら何に使うのか聞いてみるのも面白いかもしれない。
ヴァロに移動してもらいながら、どんどん実を回収していった。
「そろそろお昼にしない?」
そう聞かれて空を見ると、太陽の位置はもうかなり高くなっていた。夢中で気づかなかったが、ドラコもお腹が空いたのだろう。あぐあぐと甘噛みしてくる。
「そうだね。あとはアサシギだけだし、お昼にしよう」
「ギュー♪」
川べりまで下がって適当な岩に座る。ドラコが食べやすいようにハンカチを敷きその上に干し肉を広げ、肩から下ろしてやると、嬉しそうに肉にかぶりついた。
「ドラコのそれは何の肉?」
「これはアガリ鳥の干し肉だね。ドラコは肉ならなんでも食べるけれど、特に鶏肉が好きなんだ」
「ングー♪」
美味しそうに食べるドラコを撫でて、ナハトもパンを一口かじる。中身は根菜を甘辛く炒めたものであったが、シンプルな小麦のパンとマッチして、なんともジューシーな味だ。
ナハトがパンを1つ食べる間に、ヴァロは3つか4つ食べている。菓子のような早さで食べる彼を見て、ナハトは思わず笑ってしまった。
それに気づいたヴァロがこちらを向いて、持っていた軽食を落とした。
「…!」
すぐさま視線の先を見つつ、ドラコを掬い上げて飛び退く。距離をとって顔を上げると、そこには葉を揺らしながら近づいてくる、背の低い木がいた。
「なっ…!?」
「何コレ!?」
驚いたヴァロとナハトの声が被る。それもそのはず。ナハトの腰の高さくらいの木が、大きく葉を揺らしながら、根を足のように使って歩いていたのだ。その数およそ20。
「魔獣!?」
「いや…魔獣じゃない!これは…えっ、これは…植物…?」
「そんな馬鹿な!?」
魔獣や魔獣化した植物であれば、魔力の気配でわかる。
だが、この木からはそれを感じなかった。感じなかったからこそ、ナハトは気づかなかったのだ。
そうこうしている間にも、それは葉を大きく揺らしながら近づいてくる。ゆっくりと亀のような速度だが、それでも確実にこちらに来ている。
「て、敵意は感じないが…」
「ギュー…」
「ナハト…どうする…?」
どうすると聞かれても、どうしようかとナハトは思う。敵意が感じないのに攻撃してもいいものか。そもそも植物の気配しかしないが、なぜ動いているのかわからない。
ヴァロの様子から見ても、彼も見たことがない植物のようだし、ナハト自身ももちろんわからない。
どうしようかと考えて、ナハトはその植物へ近づいた。
「ナハト!?」
「…少し試したい」
「試すって何を…!?」
「…静かに」
木はゆっくりとだが、ナハトを囲むように近づいてくる。
ドラコが少し緊張して首に巻き付いてくるのを安心させるように撫でつつ、木が寄ってくるのを待つ。
わさわさ音を立てて近づいてきたそれは、ナハトから一歩分ほど離れた距離まで来ると、突然その葉をナハトに押し付けてきた。
「…っ!」
驚いて一瞬身構えたが、それは攻撃ではなく、ただただ押し付けてくるだけ。葉をこすりつけてくるという方が正しいかもしれない。
そこまで考えて、ふと気が付いた。
「まさか…これがアサシギ?」
「えっ…あっ!自己主張の強い木の葉っぱってやつ?」
「ああ」
強くも弱くもない力で押し付けられる葉は、それぞれの木につき1枚だけで、一番大きな葉を差し出しているようにも見える。
試しにこすりつけられる葉の1枚に手を伸ばしてみた。軽く引いて採ろうとしてみると、強い抵抗を感じる。
(「…嫌がっている…?なら…」)
ぐっと人差し指の腹を押すと、まだ塞がっていない傷口から血が滲み出た。すると心なしか木が喜んでいるように葉を揺らしだす。
「なるほど」
手を魔力で覆い、葉に手を伸ばす。
すると今度は手が葉に触れた途端、パキリと音を立てて葉が取れた。落ちたその葉は黄色く色を変え、ポポのように固い音を立てる。そのまま周囲の木の葉に触れて葉を回収していくと、葉が無くなった木はまたわさわさと森に戻っていった。
「ナハト!大丈夫?」
「ああ」
駆け寄ってきたヴァロに葉を半分渡し、木が歩いて行った森を見る。
ゆっくり移動していたはずなのに、もうあの木たちがどこへ行ったのかわからなかった。
「…それにしても、自己主張が強い木の葉とはこういう事か。本当に驚かされる」
「驚いたって…俺、見ててひやひやしたよ。あれって本当に魔獣じゃないの?」
「ああ、あれは植物の気配だった。安心していいよ」
「そっか」
「…一応これで依頼の物は回収できたな」
「あっという間だったけど…素材の回収ってこういうもんなの?」
「それは、私にもわからないよ」
植物の採取に関しては、知識としては幾らか持っていた。爪が緑である以上、ナハトの適性が植物であることは確かな為、魔術の修行の初めは、植物について知る事だった。
だが、ここではそれらの知識が全く役に立たない。なにせ見たことがないものばかりなのだ。
クウィの花のような特性を持つ植物は、知識にはあったが、アサシギのように、魔力に寄ってきて回収されようとする木など聞いたこともない。今後も採取をメインにするなら、早めに知識を取り入れたいところである。
「私の持つ知識では役に立ちそうにない。どこかで植物について調べることができるといいんだけれど…」
「なら、図書館行けばいいんじゃない?」
「トショカン?」
聞いた事のないそれに首を傾げると、ヴァロが得意げに喋り出す。
「うん。村にはなかったけど、カントゥラには図書館があるよ。何百冊も本があって、好きに見たり調べたりできる場所。身分証を見せれば借りることもできるよ」
「そんな場所が!?」
「う、うん。…行く?」
「是非。すぐに素材を届けて行こう!」
急いで残りの昼食を済ませ、ナハトたちは帰路についた。陽は傾きだしているが、まだまだ時間はある。図書館についてヴァロに質問しながら、もうすぐ森を抜けて平原に出ようというその時―――。
「…っ!?」
ナハトは背筋が寒くなるような魔力を感じて振り向いた。それは、物凄い速さで近づいてくる。間違いない。こんな、これほどの禍々しい魔力は、魔獣。
「…っ!ヴァロくん、後ろへ飛べ!」
「えっ?…うわっ!」
反応の悪いヴァロを蹴り飛ばし、反動でナハトもその場から大きく離れた。ナハトの蹴りは大した威力ではなかったが、バランスを崩したヴァロが大きく後ろへ下がる。
次の瞬間、2人が退いたその間を、3人の冒険者と大きな猪のような魔獣が、轟音を立てて走り抜けていった。
「わああああっ!」
「た、たすけっ…!」
「ひいい!助けてくれぇ!!」
走り抜けた彼らは、パニックを起こしているのだろう。そのまま街道へ行ってしまった。
その先にはカントゥラがあり、その手前には審査を待つ行列がある。
「…まずい。ヴァロくん!追いかけるぞ!」
「う、うん!」
ナハトは走りだしたヴァロの肩に飛び乗った。ヴァロが走った方が早いからだが、視線が高くなった分、遠くまで見渡せる。
「追いつけるかい?」
「大丈夫!…しっかり捕まってて!」
振り落とされないようドラコを支えながら、ナハトもグッとヴァロの肩を掴む手に力を入れた。
それを確認して、ヴァロは一瞬低くなると、物凄い速さで飛び出した。反動で体が後ろにのけ反るのを耐えながら、ぐんぐんと近くなる魔獣に狙いを定める。
「どうするの!?」
「蔦さえ絡めば捕らえられる。ヴァロくん、あれの足止めは出来るかい?」
「が、がんば…ご、ごめん、無理!」
「だろうね。なら、彼らの前に回り込んで私を降ろしてくれ」
「ええっ!?」
不安そうな顔がこちらを向く。決して無策なやけくそではない。タイミングは難しいが、出来ないことはないはずだ。
「降ろしたら、私が合図を出すまでその場で待機。合図を出したら、私を抱えて横へ逃げてくれ」
「わ、わかった…!」
魔獣まではもう目と鼻の距離だ。その先には魔獣を見て町へ入ろうとする人々が見える。失敗するわけにはいかない。
ヴァロは一際大きく踏み込むと、逃げる3人の冒険者の前へ出た。ナハトがその肩から飛びおりると、彼らはこちらを振り向きながらも走り抜けていく。時間はない。ナハトは予め切っておいた掌を地面につけると、一気に魔力を流し込んだ。ドンと地面が揺れて、太い蔦が魔獣に向かって伸びた。走りながら垂らしておいた血にも反応して、横からも絡めとる。
だが、その勢いは止まらない。目の前まで魔獣の牙が迫る。
「ナハト!」
「…今だ!」
「…っ!」
半ば殴るような勢いで横から掻っ攫われて息が詰まる。反射でドラコを落とさないよう手を伸ばした。
けれど、タイミングは完璧だったようだ。魔獣はナハトが逃げるギリギリに作った麻痺性の花をつけた網に顔面から突っ込み、少しの間もがいて、動かなくなった。
「や…やったの?」
「ああ。…麻痺させただけだけれど、少しの間なら大丈夫だろう…っ」
ミシッと音を立てた肋に思わず手を当てる。折れてはいないが、ヒビくらいは入ったかもしれない。
ドラコが心配そうに頬を舐めてくる。
「…ギュー…」
「大丈夫だよ、ドラコ」
「ナハト…ごめん、俺…」
「君もだ、ヴァロくん。私は大丈夫だから、次回からはもう少し引っ張り方を工夫してくれると助かる」
「う、うん…」
耳と尻尾がしょんぼりと落ちた彼の向こうから、応援に来た冒険者たちが駆けてくるのが見えた。
「おまえら、何やった?」
駆け付けてきた冒険者とギルドの職員にその場を任せ、ナハトとヴァロはギルドに戻ってきた。
採取した素材の納品、魔獣についての報告を行っていたところ、やってきたイーリーに先日の部屋へ通された。そこで冒頭の発言である。
「これはまたいきなりですね。何やったとは何のことですか?」
喧嘩腰のイーリーに微笑みながらそういうと、大きなため息ののちに一枚の紙を渡された。
それは先程捕らえられた猪のような魔獣の討伐依頼書で、依頼書の縁の色は黄。その色を見てまたヴァロが戸惑う気配を見せるが、もう済んだことなのでおいておく。
とはいえ、黄ということは、あれはかなり強い魔獣だったということだ。何の情報もない状態で捕らえることが出来たのは本当に奇跡だったと思う。
「黄等級の魔獣だったとは…無事でよかったです」
「それがおかしいって言ってんだよ。お前ら冒険者になりたての白だろう?追いかけられた奴らも青に上がりたての奴らだった。それなのにだ、白等級冒険者が対象のあの魔獣を捕獲できたのがおかしいんだ。何をやったんだ?」
「何をと言われましても…先程も説明した通り、追いかけて魔術で捕獲しただけです」
質問の意図がわからない。ナハトは受付でした説明を繰り返すが、イーリーの欲しい答えではないようだ。
首を傾げると、イーリーは少し考えて口を開いた。
「質問を変える。あの植物は何だ?どうして魔獣は動かなくなったんだ?」
そう言われて、ナハトは一瞬息を飲んだ。そんなことを聞かれるとは思わなかったからだ。そして、以前考えた一つのことが頭をよぎる。
それはここに、ナハトの知る動植物は存在しないのではないかということだった。確かに見た事がない植物は多い。ほとんどそうだといっても間違いはないが、まさかそんな事があるわけがないと思っていたし、神秘の花やヨルンに飲ませた毒の花、ボサも問題なく咲いた事から、頭からその考えを排除していたのだ。
だが、イーリーの反応からすると、ナハトが咲かせた麻痺の花粉を持つ花、パラササスは見た事がないらしい。それほど珍しい花ではなかったはずなのに。
ナハトはすぐに笑顔を繕い、イーリーに質問を返した。
「あれは麻痺の効果のある花粉を持つ花です。私の生まれ育った場所では珍しくない花でしたが、ご存知ありませんか?」
「ないね。似たような効果を持つ植物はあるが、魔獣を捕らえられるほど強力じゃあなかったはずだ」
「左様でしたか」
「あれはなんて名の植物だ?」
「さて。通称で呼んでいたので、正式名称はなんとも…」
「おまえの故郷はどこだ?」
「お答えしかねます。閉鎖的な村なので」
ナハトに答える気がないのがわかったのか、イーリーはまた大きくため息をついた。そして、真っ直ぐナハトを見て、ヴァロを見る。
「…これだけは答えろ。おまえは、おまえらは何者だ?」
「ただの冒険者と魔術師ですよ」
「本当だな?」
「嘘をつく理由がありません」
「……いいだろう。引き続き頼む」
イーリーがベルを鳴らすと、一人の職員がトレイを持って入ってきた。彼女はそのトレイの上にある袋を受け取り中身を確認すると、ナハトとヴァロの前に置いた。
「それは?」
「これは魔獣の報酬だ」
差し出されて、ナハトは首を振る。討伐したわけではないし、そもそも依頼を受けてはいない。
イーリーはそんなことは関係ないと言うように、ナハトに袋を押し付けた。
「受け取っとけ。これはまだ未受注の依頼だから、誰にも迷惑はかからん」
「…ですが、私達は捕らえただけで」
「変なところ頑固だな…。討伐も捕獲も大して変わらんよ。捕獲の方が報酬が高い場合も多いしな。お前ら金が入りようなんだろう?これでどうにかしようてんじゃないから、さっさと受け取って帰れ」
そこまで言われては受け取らないわけにはいかない。怪しくはあるが、どうにかしようという訳ではないと言う言葉を、今回は信じることにした。
礼を言って、ナハトはお金を受け取った。
「ああそれと、おまえら今から藍等級だから」
「はい?」
突然言われて首をかしげる。すると、ナハトの腰と、ヴァロの右胸をそれぞれ指差し、イーリーは言う。
「さっきカード通したときに等級上げといた。本当は緑あたりまで一気に上げてもよかったが、それだと周りから目えつけられるからな」
「いえ、あの…」
「話は以上だ。さぁ帰った帰った」
しっしと手で追いやられる。なんともひどい態度だが、先日のように凄んでも今日は改めてくれそうにない。前回と違って、今回はこちらも答えを控えている部分がある。
仕方ないとため息をつくと、最低限の礼だけして、部屋を後にした。




