第73話 ハインリの罪とコルビアスの罪
ハインリに連れられて向かった先は校舎の中だ。コルビアスはほとんどの教室の場所を覚えていたが、その中でも普段あまり使われていない教室へ誘導されている事に気づいていた。
しかし、コルビアスにとってハインリは数少ない友人だ。しきりに右腕を擦っているのは緊張しているからだろうか。自分で誘ったにもかかわらず、青い顔をして繰り返しこちらを振り向くハインリを、コルビアスは少しでも楽にさせてやりたかった。
「この部屋です」
ハインリはそう言って、一つの教室を指差した。扉を開けるも中は暗く、廊下からは教室内が何も見えない。
「…ここに、私に見せたいものがあるのか?」
「は、はい。ど、…どうぞ、中をよくご覧ください…」
ハインリの言葉はたどたどしい。嫌な予感はしなくもないが、今はその言葉に従っておこうと、コルビアスは大人しく教室内を覗いた。すると、獣のような少し饐えた臭いが鼻をつく。
それにまさかと思った時にはもう遅かった。後ろから押され、バタンと扉が閉められた。続いて鍵の音と謝罪の言葉、そして遠ざかる足音。慌てて中から鍵を開けようとするが―――。
「なるほど…」
内側からは開けられないよう、鍵は壊されていた。この教室は窓が高い位置にしかなく、今はその窓に布でもかかっているのか部屋の中は本当に真っ暗だ。扉越しの僅かな灯りでは3歩先も見えない。そして暗闇の中からはうなり声が聞こえる。
これほどあからさまなのは久しぶりだった。そしてこのような事をやるのはいつだってニフィリムである。ハインリが腕をさすっていたのは緊張ではなく暴力を振るわれたからかと、コルビアスは今更ながらそう思った。
視線をほんの少し横へずらすと、倒れたいくつかの椅子が目に入った。不自然に倒れたそれには黒い何かがこすった跡がある。
「…魔獣か…」
コルビアスは短剣を抜く。魔獣相手ではこのような短剣など大した武器にもならないが、それでもないよりはマシだ。少しだけ耐えることができればいい。コルビアスがハインリと共に護衛騎士らと離れたのはあの場にいる全員が見ている。なにより、ナハトが何の対応もせずにコルビアスを行かせるとは思えなかった。きっとまた、コルビアスにはわからないだけで何か魔力の罠がつけられているはずだ。万が一魔力で場所がわからずとも、ヴァロの鼻はかなりいいのでコルビアスを見つけるのは難しくないだろう。
そう考えて、コルビアスは薄く笑う。無意識にこれほど頼りにしていても、あの2人はやめてしまうのだ。
これは決して新しく採用した騎士たちが頼りないということではない。単純に、濃密だったのだ。2年にも満たない付き合いだが、もうずっと守ってもらっているような安心感をコルビアスは2人に感じていたのだ。
その時、暗闇の中からぐるると低い声が聞こえた。それとゆっくりこちらへ近づく足音も―――。
「…ふぅ」
どこまで一人でできるかはわからないが、コルビアスは武器を構えて暗闇を見つめた。
「大体において、どうして一人で行かせたのですか!」
「そう仰るのでしたら、ご自分が話を切り上げてついていかれればよかったではないですか」
「それよりも急がないと!レオ、道はこっちでいいの?」
「ああ」
シトレンに文句を言われながらもナハトらは廊下を急ぐ。コルビアスがハインリと離れて少し、まるで示し合わせたようにナハトたちに話しかけていた貴族たちはいなくなった。
だから今は全員でコルビアスを追っているのだが、ナハトの付けた魔力の残滓は授業では使ったことのない方向へ伸びている。これはあまりよくなさそうだ。
「急ぎましょう。そこの角を曲がって…」
「おい待て。あの生徒は…」
そう声を上げたのはシンだ。彼が指示したほうへ視線を向けると、草陰に一人の生徒が蹲っている。顔は見えないが、背格好と髪型から言って間違いない。あれはハインリだ。
「リューディガー、あれがハインリです」
「なっ…!?っち、あれは俺が追う。お前たちはコルビアス様を頼む」
「わかりました」
リューディガーの判断は早い。すぐさまそう告げて彼は走り出したが、それに気づいたハインリがその場から走り出した。植物の魔術を使って足止めしているのを見て、シンがそちらに走り出す。
「私もあちらに行きます」
「頼みます」
リューディガーは実力者であるから一人でも問題ないかもしれないが、逃げたということはハインリには後ろ暗いことがあるということだ。学生が一人で考えたとは思い難い。となれば、2名づつ分かれるのは当然と言えた。
その時、ナハトの魔力に反応があった。この魔力はコルビアスの盾になるよう仕掛けた魔力のものである。
ナハトは走りながらシトレンとヴァロに感じ取れる状況を説明した。
「コルビアス様が襲われています。おそらく敵は1名、もしくは1匹。その教室の中です!」
「わかった!」
返事をするや否や、ヴァロは床を蹴ってその教室まで一気に距離を詰めた。踏み込んだ床が砕けたが今はそれどころではない。そのまま教室の扉を蹴破ると―――。
「…っ!」
ヴァロの目に映ったのは、見慣れた蔦の壁に噛り付くウォルガラの姿だった。ウォルガラは飛び込んできたヴァロにターゲットを映したのか、低く吠えて牙をむく。
「アロ!」
「コルビアス様、そこを動かないでください!」
そう叫んでヴァロはウォルガラへと間合いを詰める。
ウォルガラは大きく口を開けてとびかかってきたが、ヴァロはその横っ面を蹴り飛ばして一度間合いを取った。教室内は暗くウォルガラの姿は闇に紛れるが、その気配は濃厚だ。居場所を見失うことはない。
(「…一匹だけだな」)
教室内の気配をくまなく探るが、ヴァロが感じた気配は目の前のウォルガラ1つだけだった。それに少しだけ安心し、飛びかかってきたウォルガラの顎を上下で捕まえて引き倒す。暴れるウォルガラの首に腕を回し、そのまましめ落としにかかった。
「コルビアス様!アロ!」
「レオ、シトレン、ここだ!」
ナハトとシトレンが部屋へ辿り着いた時にはもうすべてが終わっていた。
ヴァロが意識のなくなったウォルガラを蔦で縛り上げ、コルビアスの怪我の確認をしているところだった。
「お怪我はありませんか!?」
「大丈夫だ。…またレオに助けられたな」
「ご無事でよかったです」
騒ぎを聞きつけたのか、それともリューディガー側の動きの結果か、学院の職員や騎士たちが駆けつけてきた。すぐに近衛騎士団が呼ばれ、俄かに教室内は騒がしくなる。
すると、その中に混ざってリューディガーがハインリを連れてきた。ハインリは魔道具で拘束され、泣いたのか目を赤く腫らしている。
「こちらへ向かう途中、草むらの陰にいたところを発見し、追いかけました。逃げたので少々手荒なことをしてしまいましたが…」
ハインリを見ると上着には土が、髪には草がついていた。目立った怪我はなさそうだが、逃げたならしょうがない。
コルビアスは膝をついた状態のハインリに近づき、問いかけた。
「訳を聞こう、ハインリ。正直に答えるならば、少しは善処してやってもいい」
「コルビアス様!」
声を上げるシトレンを手で制し、コルビアスはそう口にする。
だがハインリは首を横に振った。そして顔を歪めながら、ぽつぽつと話し出した。
「申し訳ありません、コルビアス様…」
そう呟いて始まったハインリの話を要約すると、最終学年に上がってすぐ、同学年のニフィリム派の貴族から嫌がらせを受けるようになったらしい。ハインリは侯爵家の人間だが、位に対して家督が追い付いていないという話を聞いたことがあった。事実侯爵家を維持するための資金繰りに苦労していて、そのため家にはかなり借金があったのだそうだ。
「伯爵家どころか、男爵家からも侮られ、毎日酷く暴力を振るわれました」
「暴力に耐えかねて、コルビアス様をはめた…ということですか?」
ナハトの問いにハインリは頷く。
「コルビアス様が試験だけで授業が免除されると…そのようなお話が学院に広まると、コルビアス様を目障りだと言う者たちが現れました。彼らはコルビアス様が学院に来たら知らせるよう言っていて…。私は今日初めてこの教室に連れてくるよう言われたのです!それ以外は何も…!」
「…この教室の中にはウォルガラがいました」
ヴァロの呟きに、リューディガーとシンが目を見開く。ウォルガラは赤線の魔獣だ。学院内に簡単に持ち込めるようなものではない。
ウォルガラと聞いてハインリの顔は真っ蒼になった。何も知らずにコルビアスを連れて来いとだけ言われたと彼は言っていたが、その結果コルビアスを殺しかけたのだ。その事に気づいたのだろう。カタカタと震えだす。
「わ、私は…そのようなつもりは…!」
「わかっている。だが、結果としてそなたは私を殺しかけた。…王族殺しの罪は重い」
「はい…。申し訳、ありませんでした」
ハインリは泣きながら頭を下げた。
これはコルビアスの手には余る。おそらくこのことは王へ伝えられ、そこから沙汰が出るだろう。家紋は取り潰しになるだろうし、ハインリとその家族には処刑という罰が下る可能性も高い。ヴァロが間に合ったからコルビアスには何もなかったが、間に合わなければ死んでいたからだ。
「そなたに指示をした者たちの名はわかっているのか?」
コルビアスの問いに、ハインリは黙って頷く。
「…ディラン・マッカランと、イクス・レビエラードです…」
「なっ…!」
その名前はどちらも子爵家のものだ。コルビアスは一瞬かっとなったが、拳を握って自信を落ち着かせた。
侯爵家のものが子爵家のものに脅されて言うことを聞く。それを選択したハインリが情けなく、そしてそれを選択させてしまった自身が悔しくてならない。頼ってもらえるだけの人間になれなかった―――それは、ある意味ではコルビアスの罪だ。
コルビアスは泣いて俯くハインリに背を向け、静かにつぶやいた。
「…ハインリ、私は悲しい。私はそなたを友人だと思っていた。私に相談するのではなく、自身が楽になるために手を貸したこと…それが、私は何より悲しい」
「こ、コルビアス様…」
「そなたの力になれなかったことを悔しく思う。…連れていけ」
コルビアスの言葉に、近衛騎士らはハインリを連れて教室を出ていく。
自分より大きいハインリの小さな背中を見て、コルビアスは静かに拳を握りこんだ。




