第72話 卒業式とお別れの足音
瞬く間に時は過ぎ、気がつけば護衛騎士を務める最終日であるコルビアスの卒業式の日を迎えた。
その日は朝早くから着替え、荷物をまとめて転移の魔方陣のある部屋へおいておく。卒業式の後は学院内で卒業生とその親でのパーティもあるが、それが終了し次第ナハトとヴァロはノジェスへ戻る予定だ。
まだリュースや劣等種たちの事については全てが終わったわけではないが、必要があればディネロを通じて連絡が来ることになっている。大まかな事はアスカレト公爵と騎士団へ引継ぎが出来ているので、ナハトが必要な事はもうそう多くはないのだ。
「最後まで、よろしく頼む」
「はい…!」
「かしこまりました」
今日は人が多い場所での任務であるので、人員はナハトとヴァロ、そしてリューディガーとシンだ。魔術師2名と前衛2名の組み合わせで護衛にあたる。
そして学院の卒業式には王族も出席するのが習わしだ。コルビアスは卒業生であるため最高学年の列へ並び、王族は王族専用の観覧席に並ぶ。各学年の主席の生徒は王から直接言葉とメダルを戴くことが出来るので、生徒にとってもその親の貴族にとっても、卒業式はとても大切な場であるのだ。
卒業式が始まる前に、コルビアスは先に会場に入っていたウィラードとマルヴィナ、リステアードと彼の第一婦人、ニフィリムと彼の第一婦人がいる場へ赴き、恭しく挨拶をする。ウィラード以外の者からはあからさまな警戒を感じ、ナハトら護衛騎士は少しの緊張を携えてコルビアスの前後へついた。
「コルビアス・ノネア・ビスティアがご挨拶申し上げます」
「うむ。入学の年で卒業とは…おまえは本当に優秀だ。私も鼻が高い」
「恐れ入ります」
そう言ってコルビアスは顔を上げたが、ウィラードの顔色を見てドキリとする。
(「顔色が…土のようではないか」)
化粧で多少顔色を明るくしているのだろうが、それを考慮してもウィラードの顔色は悪かった。しばらく体調を崩されていなかったから安心していたのだが、この様子ではまたいつ動けなくなるかわからない。
だが周囲に多くの人がいるこの場ではウィラードの体調を気遣う言葉すらかけることは出来ない。コルビアスが拳を握りこむと、ウィラードの右手側にいたリステアードがコルビアスに声をかけてきた。
「私も、弟が優秀でうれしいよ」
「ありがとうございます。リステアード様」
「ただ、今年度は”色々”あったから…おまえの成績を少し心配している。聞けば授業にはほとんど出ていなかったようではないか」
リステアードはそう言って心配そうに眉を下げる。その顔は本当にコルビアスを案じているように見えて勘違いしそうになるが―――。
(「…勘違いしてはいけない。リステアード様は…敵だ」)
コルビアスは戻ってきてからディネロにリステアードについて調査を命じた。ナハトを襲ったブランカ・ベルジシック。それと、リステアードの右腕であったバレット・アヴォーチカについてもだ。
ディネロには申し訳なかったが、細かく細かく、どんな些細な事でもいいと、情報の量を求めた。しかしその結果わかったのは、”何もない”という事であった。
(「でも、それがリステアード様が関係しているという証だ」)
本来多少なら見えてくる繋がりすら辿れず、徹底的に情報が排除された様は逆にコルビアスを警戒させた。そしてさらに探りを入れたところ分かったのは、城の中の人員のほとんどがリステアードの手のものばかりになっているという事であったのだ。
証拠は結局のところ何もない。しかし、ニフィリムの悪事に関しては裏が取れるところを見ると、おそらくコルビアスの考えは当たっているはずだ。
もしかしたらウィラードの体調の進退すらリステアードの仕業という可能性すらある。
コルビアスは一度目を伏せると顔を上げた。正面からリステアードの目を見つめて口を開く。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。私は自分に出来る精一杯で試験に臨みました。その結果は…卒業式でお分かりになるでしょう」
「…そうか。それは楽しみにしているよ」
「ありがとうございます」
少しひきつった笑顔のリステアードにコルビアスは不敵な笑顔を返した。
卒業式は学院内の魔術訓練場で行われる。学生は芝生の上に並び、王族は学生が並ぶ最前列に作られた台の上だ。中心にウィラードが座り、それを挟むようにニフィリムとリステアード、その婚約者が並ぶ。学生の家族は訓練場を囲う壁上の観覧席で卒業式を見守るという形式だ。護衛騎士は学生を囲むように壁際に並んでいる。
卒業式は粛々と進み、成績優秀者の名前が呼ばれ出した。各科目の主席、それと、総合得点が最も高い者が呼ばれる。コルビアスは専攻していた教科のすべてで満点に近い成績を納め、無事と言っては何だが、成績優秀者として壇上に上がった。魔術の成績もよく、これに関しては主席を取れなかったが、それでも総合では最も高い成績として表彰されたのだ。
「素晴らしい成績だ。これからも、その知識と探求心を国の発展のために使ってほしい」
「ありがとうございます」
コルビアスが誘拐され、学院を休学していたのは、貴族の中では周知の事実であった。その為リステアードではないが、コルビアスの成績に関してとやかく言う貴族はとても多かった。
だが、成績優秀者として表彰されたことでコルビアスの価値はまた上がる。王から言葉を賜ったこともあって、コルビアスが手を上げると生徒の中から歓声が上がった。
それが終わると最終学年とその親のみが出席できるパーティだ。卒業式として使用されていた会場が数時間後にはガーデンパーティの会場に整えられる。これには王族の参加は求められていないため、今回は学生のコルビアスのみが王族としての出席である。
「さて。例年だと僕に話しかけてくる学生はいても、その親の貴族はいなかった。今回はどうなるか…」
コルビアスのそんな呟きと共にパーティは始まったが、今回はコルビアスを訪ねてくる貴族は大勢いた。むしろいすぎて護衛騎士の数が足りないほどだった。
いつも通り護衛騎士は4人で来たものの、コルビアスと繋がりを持とうとする貴族は多く、その待ち時間にナハトらに話しかけてくる貴族も大勢いたのだ。
「ああ、あなたが噂の護衛騎士ですか」「大変お強いとお聞きしましたが、どちらの家門ですかな?」など、ナハトとヴァロには答えにくい質問が集中し、リューディガーはうまくあしらっているが、それは彼自身の位がそこそこ高いから出来る事である。まだ新参者のシンはコルビアスの騎士としての洗礼を正面から受け、すっかり笑顔がひきつったままだ。
「…例年とはずいぶん違うな…」
「さようでございますね。コルビアス様、お茶を新しく入れなおしましたので…」
「ああ、ありがとう」
そんな会話が後ろから聞こえる。
話し続けのコルビアスは今シトレンに入れてもらったお茶で小休止だ。その間にも貴族を抑えるのは護衛騎士らの仕事で―――最後の最後で面倒だなと、ナハトらは思わずにはいられなかった。
その時、視界の端でなにかが動いたのが見えた。そしてそれは気のせいではなかったらしく、近くにいたヴァロが声を潜めてそちらを指差す。
「学生みたいだけど…」
「…ああ。彼はコルビアス様の学友の方だな」
「そうなの?」
「君も何度か見た事があるはずだぞ。確か名前は…ハインリ・テューリゲンだったはずだ」
ナハトとヴァロの視線に気づいたのか、ハインリはびくりと肩を揺らした後に恐る恐るこちらへ近づいてきた。お茶を飲み終わったコルビアスに貴族を通して、ナハトはハインリの対応にあたる。
「いかがなさいましたか?ハインリ様」
「…僕を、覚えておいでですか?」
「もちろんでございます。コルビアス様のご学友の方のお顔とお名前は、全て記憶しておりますから」
ナハトがそう言うと、ハインリは何故か少し嬉しそうに頬を綻ばせる。
だがすぐに何かに気づいて顔を上げた。ナハトの背後にいるコルビアスに視線を向けるようにして口を開く。
「…コルビアス様とお話させていただくことは出来ませんでしょうか?少しの時間でいいので…」
「お待ちいただければ順番にお通しさせていただきます」
「あの…できれば”今すぐ”がいいんです。出来ませんか?」
必死な顔でそういうハインリは、己の言葉が無礼であると理解している顔だ。「お願いします」と一護衛騎士に頭を下げる彼に、ナハトは少し考えて背後を振り返る。
コルビアスと今話しているのは子爵の男性だ。家の位で言うならばハインリの方が上だが、家長と学生ではそれは当てはまらなくなる。余程己の家に自信がある学生なら己の家の位を笠に着るかもしれないが、頼み込んでくるという事はハインリにはそうするつもりはないのだろう。
「…わかりました。コルビアス様にお話してきますので、少々お待ちください」
「ありがとうございます…!」
コルビアスと子爵の会話の合間を縫って、ナハトはコルビアスにそっと耳打ちをした。
「コルビアス様。ハインリ様がどうしてもお話がしたいとお待ちです」
「…今?」
「はい。お待ちいただくことも出来ないほどだと頼み込まれました」
本来ならシトレンを挟むべきなのだが、そのシトレンはまた別の貴族の対応にあたっている。
ナハトの言葉に、コルビアスは少し考えて「わかった」と返事をした。そうして早々に子爵の会話を打ち切ると、次の貴族を呼ぶのではなくハインリを名指しで呼びかけた。
「久しいな、ハインリ。元気だったか?」
「はい。コルビアス様もお元気そうで何よりです」
そんな会話を後ろで聞きながら、ナハトはまた別の貴族の対応をしながら耳をそばだてた。せっかくコルビアスに目通りが叶ったというのに、ハインリの顔は浮かないままだ。それに何か違和感を覚えたのだ。
ついでに後ろ手で指を切って、コルビアスに向けて魔力をとばしておく。嫌な予感や違和感には抵抗しないほうがいい。それはここ1年で嫌というほど学んだことだ。
「元気だというが、随分と顔色が悪いぞ。疲れているのか?」
「いいえ、お気になさらないでください。それより、コルビアス様にお見せしたい物があるのですが…少しお時間をいただけますでしょうか?」
これまた突然の申し出に、コルビアスは眉を寄せる。
卒業式で見せたい物とはいったい何だろうか。誘い方には不審しか感じないが、それを言っているのはコルビアスと一番仲の良かったハインリだ。無下にすることは簡単だが―――。
「…今すぐか?」
「はい。お時間はそれほど取らせません」
「…わかった。ならば護衛を…」
と、そこまで言ってコルビアスは気が付いた。コルビアスの周囲にいた護衛騎士と執事が全員貴族の対応にあたっている事に。
意識はこちらに向いているのだろう、その気配を背中越しにも感じるが、今すぐコルビアスについてこれるような護衛騎士は誰もいない。まるであえてそのように人を向けたかのように、全員自身より位が高いか、高慢なものがあてられている。
(「…なるほど」)
コルビアスは頷いて椅子を降りた。
そうしてナハトに視線を向けると、気づいたナハトも頷く。魔力の罠は複数コルビアスにつけた。少しの時間なら何かあっても持つはずだ。
「ハインリ、すぐだと言ったな?」
「はい…」
「わかった。ならば護衛騎士がいなくとも大丈夫だろう。行こう」
「ありがとうございます」
ほっとしたような顔をするハインリにコルビアスは確信のようなものを抱いて、通りすがりざまにナハトの手を叩いた。
護衛騎士らの視線を背中に感じながら、コルビアスはゆっくりとハインリの後についてパーティ会場を後にした。




