第71話 変わりゆく環境
アスカレトへ劣等種らの聴取の報告を聞きに行ったり、試験の勉強をしたりしながら、あっという間にお茶会の日を迎えた。
今はクローベルグ家の温室でナナリアが来るのを待っているところである。ここ数日で一番落ち着いた時間を過ごしているはずなのだが、コルビアス本人はどうにも落ち着かずに膝の上に乗せた手を閉じたり開いたりしている。
「き、緊張して来た…」
「コルビアス様、落ち着いてください」
「わかってるよ。大丈夫…」
女性とのお茶会は男性を少し待たせるのが礼儀だ。女性は男性を待たせることで、”あなたのために精一杯着飾っている”という事を現し、男性は待たされる事を許すことによって”寛大さ”を表すのだそうだ。それは友達の関係性でも当たり前で、むしろ友達相手にそれが出来ないものは貴族としての寛容さが足りないと言われてしまう。
「はぁ…」
コルビアスはまた小さく息を吐いた。今日は舞踏会で着るような装飾のついた衣装に身を包み、髪も半分あげた状態だ。護衛に着くナハトたちはいつも通りだが、同行するシトレンとフィスカはコルビアスの衣装に合わせた服を着ている。
「先に紅茶をお入れしましょうか?」
「…いいや、大丈夫だ。だけど…作戦指揮をとってた時の方が気楽だったな」
情けない発言だが、それがコルビアスの本音なのだろう。色恋というのは頭で考えてもどうにも出来ないものだと本には書いてあったが、その前に今のコルビアスにはナナリアに対する思いがほぼない。そんな中でナナリアに自身の妻になることを了承してもらわなければならないのだ。
まだ初恋もしたことがないのにそんな事を考えなければならないのは、頭のいいコルビアスには特に訳が分からなくて難しいに違いない。
それでも今日はまだ最初の顔合わせだ。あまり緊張してもよくないので、ナハトは一つコルビアスに提案をした。
「コルビアス様、まずはお友達になってみてはいかがでしょうか?」
「…?どういう事?」
「お互いの事を知る事から始めるのですから、それはお友達からでもいいはずです。慣れない事を考えるのではなく、今日コルビアス様は女性のお友達とお茶会をしに来た…。そう考えてみたらいかがでしょうか?」
こういう事に関しては女の子の方が早熟であると聞いたことがある。ただでさえナナリアの方が歳が1つ上なのだから、コルビアスは下手に悩むよりもいつも通りでいた方がいい。
ナハトの言葉にコルビアスは一瞬きょとんとした顔を返したが、すぐに「なるほど」と呟いて目を閉じる。そして次に目を開けた時には、いつもの少し生意気な少年の顔をしたコルビアスが微笑んでいた。
その時、ちりんと鈴の音がした。それは温室の扉が明けられた音で、どうやらナナリアが到着したらしい。全員の視線がそちらへ向くと、一際目を引くフラメリアの花の陰からナナリアが姿を現した。
「お待たせ致しました。わたくし、ナナリア・クローベルグが殿下にご挨拶を申し上げます。この度は我がクローベルグ侯爵家においでくださり、ありがとうございます」
丁寧な言葉と綺麗な挨拶をしたナナリアは、ナハトやヴァロの知るナナリアとは違う侯爵家の令嬢の姿をしていた。姿かたちの話ではなく、纏う空気の話だ。舞踏会で見た年頃の令嬢たちとは違う指先まで意識が通った美しい動きに、コルビアスの頬に朱が差す。
シトレンにとんと背中を軽くたたかれて、コルビアスは椅子から降りて言葉を返した。
「こちらこそ、このような素敵な温室にお招きいただきありがとうございます。私はコルビアス・ノネア・ビスティア。どうぞ、コルビアスとお呼びください」
「ありがとうございます。コルビアス様」
「ナナリア嬢とお呼びしてもよろしいですか?」
「もちろんでございます」
コルビアスの言葉にナナリアは柔らかい笑顔を返すと、彼が引いた椅子にそっと腰かけた。
ナハトの助言が功を奏したのかはわからないが、ナナリアとコルビアスの最初の顔合わせはとてもうまくいった。まずは友達になろうと口にしたコルビアスに、ナナリアは少し驚いた顔を見せたあととても可愛らしい笑顔を返したのだ。
「彼女も緊張していたのだな」
コルビアスは帰りの馬車の中でそう満足そうに呟く。次回のお茶会の予定は2週間後だ。それまでには城の応接間などを整えたいが、コルビアスには圧倒的に人と時間が足りていない。
和やかなお茶会を終えた後は、一度邸宅に着替えに戻ってアスカレトへと向かう予定だ。そこでは未だ行方が掴めないリュース含めた幾人かの劣等種の捜索と、彼らが使用していた認識阻害の魔法陣の活用についても話さなければならない。他にもアスカレトの町では劣等種への圧力が強くなっているらしく、その対策についても公爵と話す予定である。
それが終われば間近に迫った学院の最終テストも待っているし、王が用意してくれたメイドや執事、コックたちの面接もしなければならない。文官の登用も早急にだ。急に力をつけたコルビアスを妬むものは多いうえに、ナハトたちも抜けるのであれば、コルビアスは早急に自身の周囲を固める必要があったのだ。
「忙しくて目が回りそうだ…」
「微力ながらお手伝いいたします。コルビアス様」
「ありがとう」
シトレンの入れてくれたお茶を口にしながら、コルビアスは周囲に礼を述べた。そうしてほんの少しずつだがコルビアスの周囲は整っていく。
ナハトらが抜けても問題ないようマシェル騎士団とアスカレト騎士団の騎士がコルビアスの護衛騎士としてつくことになった。マシェル騎士団からはロザロナとシンがコルビアスの護衛騎士として正式に採用され、アスカレト騎士団からはリヴィエラとフロイルが採用された。彼らは皆あの作戦でコルビアスと行動を共にしたり作戦についた者たちで、裏取りはディネロが行ったが、皆一様に中立派の貴族であったことが幸いしたのだ。
さらにメイドと執事、料理人や文官いついても、同じマシェルとアスカレト出身の貴族から数名が選ばれた。以前は手を上げてくれる者がおらず本当に人選に苦労したのだが、今度は逆に希望する者が多く、シトレンとケニーとディネロは対応に追われることになった。
それでも何とか2回目のお茶会が終わり、コルビアスが試験を終えて卒業式が間近になると―――。
「来週だね。2人が護衛騎士をやめるのも」
丁度ナハトとヴァロが護衛についている時、コルビアスがそう呟いた。
少なくともコルビアスの護衛騎士らの環境がそろったために、ナハトとヴァロは丁度1週間後の卒業式後に護衛騎士をやめることになっていた。
「2人にはたくさん助けてもらったよ。…特に、レオにはたくさん迷惑をかけたね」
少し申し訳なさそうなのは己の失態を思い出しているからだろうか。コルビアスのそんな様子に、ナハトは少しだけ笑って口を開く。
「…まだ終わったわけではありませんよ。コルビアス様、気を抜かないようお願いいたします」
「あはは、そうだね。アロも、最後までよろしくね」
「は、はい。頑張ります」
コルビアスの護衛騎士として貴族と深くかかわって―――ナハトに何か得る物があったかというと、正直なところほとんど何もなかった。失ったものは多くあるが、得て良かったと思えるものは少ない。
フラッドらの組織との接触も、おそらくナハトが冒険者として活動していた時にも起こりえた事だ。団長は彼らがナハトを探していたと言っていた。だからきっと、ナハトがノジェスで冒険者を続けていても、いずれこのようになっていただろう。
だがそれ以外はどうだろうか。護衛騎士にならなければ、ナハトは舞踏会で苦痛でしかないドレスを着ることもなかった。女性だと周囲にばれて辱められることもなければ、ヴァロがあのような事になる事もなかったかもしれない。
それまで関わりがなかった者たちと繋がりが出来たのは得難い幸運ではある。
しかし、それとは比べ物にならないほど、やらなければよかったと思うものが多いのは事実だ。そしてそう考えてしまうと、ナハトはまた自分がヴァロを振り回し、自身の選択ミスでこれらが起こってしまったと思わずにはいられなかった。
結局のところ、誤って魔力に触れた時からナハトは繰り返し間違いを犯している。そんなつもりでやったわけではない事で、様々な事が大きくなってしまっていると感じずにはいられなかった。
「…どうされたのですか?」
「レオ?」
「…っ、失礼しました、コルビアス様。何かございましたでしょうか?」
同行していたケニーとコルビアスに声をかけられて慌てて顔を上げる。どうやらまた考え事に集中してしまったようだ。
襟の下で気遣うように動くドラコに服の上から手を当てながら、ナハトはコルビアスに謝罪を口にする。
「いいや、大丈夫だけど…ひょっとして疲れてる?」
「いいえ、問題ございません」
主に気遣わせるとは護衛騎士失格である。ナハトは気合を入れるように背筋を伸ばして歩き出したが―――その背中に、ヴァロの声がかかった。
「…レオ、何を考えてるの?何か悪いこと考えてるでしょ?」
「……さて。やめた後の事を少し考えていただけだよ」
「それ、嘘だよね?」
どうやらヴァロはナハトの様子に何かを感じ取っている様だ。だがそれが何なのかわからず、これを機にと問い詰めて来たのだろう。
しかし、ここは王城の廊下である。今はそんな問答をしてもよい場ではないしケニーの視線も痛いため、ナハトはヴァロを振り返らずに口を開く。
「ぼーっとしていた私が言えることではないが、ここは城の中だ。私的な会話は避けるべきだと思うが?」
「……」
ナハトの言葉に、ヴァロは黙ってコルビアスの後ろにつく。
そのまま城へ用意された応接間に向かったのだが、その廊下の先に、いつぞやの事を思い出すかのように、ニフィリムと護衛騎士らがこちらへ歩いてくるのが見えた。
「……」
ピリッとした緊張が走る。ここ最近は忙しすぎて城でニフィリムと会う機会はなかったが、ここで会ってしまった以上、また何かしら言われるのだろう。ナハトも無言で指輪に指をかけ、ヴァロも拳を握り、警戒しながら歩みを進める。
だが―――。
「…ふん」
たったそれだけ呟いて、ニフィリムはコルビアスの横を通り過ぎた。一度も足を止めずに通り過ぎ、彼らはそのまま行ってしまった。
「…何も…言われなかったな…」
「そうですね。警戒していたのですが…」
あまりに何もなく終わってしまい、少し拍子抜けしたまま廊下を進む。
そうして応接間に着くと、先に来ていたフィスカがお茶をいれながら問いかけて来た。そんなに変な顔をしていただろうかと言うコルビアスに、微笑んで口を開く。
「何か、不完全燃焼とでも言いたそうなお顔でしたよ」
「…そうか。僕も血の気が多くなったみたいだね」
「ふふふ。コルビアス様はお優しくていらっしゃいますから。多少血の気が多い方が、優等種の王族らしくてよろしいかもしれませんよ」
フィスカはそう言うが、コルビアスは複雑な気分で紅茶を口にした。
不完全燃焼という訳ではなく、このところ何も起きない事がコルビアスは逆に気になってしょうがなかったのだ。
今まで顔を合わせれば罵ってきたニフィリムは接触を避け、狩猟大会まではよくお茶会をしていたリステアードとも、戻ってきて一度お茶会をしてから何もなかった。夕食会での会話はいつも通りだが、コルビアスに対する嫌味や誹りは圧倒的に王妃マルヴィナからの者が増え、それ以外がすべて鳴りを潜めてしまったのだ。
それが気になるとコルビアスが呟くと、ケニーが微笑んで口を開く。
「コルビアス様をお認めになったからかもしれませんね。攫われても決して諦めず帰ってこられ、そうして事件の解決を図ったコルビアス様の功績はとても大きいですから」
「…本当にそうならよろしいですが、警戒するに越したことはありません。コルビアス様、気になったことは全てシトレンとリューディガーには共有しておいた方がよろしいと思います」
「レオは大変警戒心がお強いのですね」
ケニーは少し呆れたようにそう言うが、ナハトらが護衛騎士になった少しの間でそれだけの事が起こったのだ。”何もない”というのも十分警戒するに値する事だ。
それに、1週間後に控えたコルビアスの卒業式を終えたら、ナハトとヴァロはいなくなる。戦力的にはマイナスではなく大いにプラスになるが、それでも一番濃厚な1年を共に過ごしたナハトらがいなくなるのは、コルビアスにとっては大きかった。
「ケニー。レオは警戒心が強いわけではない。…僕には、敵が多いからね」
「…ご不快になられたのでしたら、申し訳ございません」
「かまわないよ。ただ、そういう訳だから…私の執事として働くことには危険が伴う。もしやめるつもりなら先に考えておいてほしい」
コルビアスにも派閥は出来たし、護衛騎士も執事もメイドも文官も増えた。王からの覚えもよく、ナナリアとはまだ婚約してはいないが、それでも良い関係を築けていると思う。
だがそれでもまだ、リステアードやニフィリムと比べればコルビアスの位は低い。今までとは変わったと警戒心を緩めることは出来ないのだ。ケニーは新しく採用された者たちの中では一番の古参だ。
それでもまだたった数か月の付き合いだが、その彼の動きや態度は、後から入ってくる者たちにも伝染するだろう。それはあまりに望ましくないのだ。
コルビアスの言葉にケニーは驚いたように目を開いた。そして少し何かを考えた後、彼はコルビアスの前に膝をつく。
「申し訳ありません、コルビアス様。わたくしの覚悟が足りなかったようです」
「ケニー…」
「コルビアス様のお立場、その周囲を取り巻く環境については、わたくしとシトレンが責任をもって対応させていただきます。勿論、警戒は決して怠りません。護衛騎士が主を外から守る者であるならば、内側をお守りするのは執事の役目でございますから」
ケニーの心は決まった。膝をついて頭を下げるケニーに、コルビアスは安心したように微笑んで「ありがとう」と呟いた。




