第70話 コルビアスの婚約
アスカレトの犯罪組織の壊滅と、誘拐された子供たちの帰還、それを行ったのが第三王子であるコルビアスというのは大々的に風聞に掲載された。市民の間ではコルビアスの死亡説が俄かに囁かれていたところであったのだが、上書きされるほどの美談として大々的に講評されることとなった。曰く、”犯罪組織に誘拐された第三王子は命からがら逃げだし、同じように誘拐された平民の子供を憂いてこれを壊滅させた”と―――。
これにより一躍市民権を得たコルビアスは、十分な実績を手に入れることが出来たのだ。
「これでやっと、おまえも堂々と外を歩けるようになるな」
「…ありがとうございます」
「まぁ、今更なところはあるがな…。護衛騎士をやめたらまた冒険者に戻るのだろう?もう少し喜んだらどうだ」
城へと向かう馬車の中、そうリューディガーに声をかけられてナハトは少し困ったように微笑んだ。
コルビアスと共に帰還してから約1か月。ようやくギルドに出されていた依頼も正式に撤回され、コルビアスの美談と合わせてナハトの株も回復した。
しかし、その代わりナハトが隠しておきたかったことが世間に露見してしまった。一つはナハトの顔が貴族と冒険者に多く知れてしまった事。それと、世間的に女性だとばれてしまったという事だ。顔が知られてしまった以上、いつナハトの本名が貴族にバレてもおかしくはない。ナハトは騎士として任務にあたる中で魔術を使っていたため、その魔術の強大さはそれなりに知れてしまっている。もし護衛騎士をやめて冒険者に戻ったとしても、名前が知れてしまえば、貴族お抱えの冒険者として無理やり囲われてしまう可能性もなくはない。
さらに言うなら、ナハトがばれるという事は、必然的にヴァロの事もバレばれてしまう可能性が高かった。そうならないよう顔と名前を偽っていたというのに―――。
(「また、ヴァロくんにいらぬ迷惑をかけてしまうな…」)
そう思って、ナハトは心内で息を吐いた。他にも懸念事項はたくさんある。
件の劣等種は皆捕えられて全員尋問を受けているが、彼らがナハトの事を”劣等種”だと報告する事も考えられた。あの組織の者たちにとってナハトは”裏切り者”だ。ならばナハトの足を全力で引っ張ろうとするだろう。今のところ何のお咎めもないが、それが知れてしまえば”手引きしたのはナハトだ”と言う者がまた出てきてもおかしくはない。
そしてそれを否定するのは至難の業だ。同じ種族というだけで、そちらの説得力の方が跳ね上がる。
(「仮にそれらすべてが杞憂に終わり、護衛騎士をやめられたとしても…」)
フェルグスらは何も言わなかったが、手配書を見たならナハトが”女性”であると知ったはずだ。カントゥラで関わった冒険者たちの目にも入ったかもしれない。今まで男性としてふるまっていた相手が性別を偽ったと知って彼らはどう思うだろか。”女性である”と知れたことで、今まで関わりがあった者たちとの関係に変化が生じる可能性も考えられなくはなかった。
(「…もう、冒険者としても戻れないかもしれないな…」)
気持ちが鬱々と沈んでいく。だからと言ってこのまま護衛騎士を続けるという選択肢もないのだ。
今馬車で城へ向かっているのは、コルビアスの働きに対する報奨のためだ。それが終わったらパーティも開かれる予定で、そこには多くの貴族が招待されている。招待者全員が、コルビアスを祝うために集められた貴族だ。そしてそれは、コルビアスにも王位の可能性があるという事を示している事になる。
以前とは比べ物にならないほど、それどころかコルビアスの派閥がしっかり形成されるほどの貴族が彼につく可能性も大きい。事実今回の事で中立派のニグル・クローベルグ侯爵が、コルビアスの後ろ盾になることを堂々と宣言したのだ。そうなってくると”コルビアスの護衛騎士”という仕事は、今まで以上に素性がはっきりとした貴族が望ましくなるだろう。既にかなりぼろが出ているが、今まで以上に貴族らしい対応が求められてもくる。平民であるナハトとヴァロでは、護衛騎士という仕事も潮時なのだ。
「レオ?」
「…すみません、少し考え事をしていました。そうですね…護衛騎士の仕事もあと少し。しっかりやらせていただきます」
怪訝そうに名前を呼ばれて、ナハトは慌てて笑顔を作った。
それに何か違和感を覚えたのか、コルビアスは口を開く。
「クローベルグ侯爵と今後の護衛騎士について話は進めているから、もう少しで2人を護衛騎士の仕事から解放できると思うよ。引継ぎの話もあるし、新しい騎士に慣れてももらいたいからあと少しお願いすることになるけど…」
「わかりました。アロ、君もそれでかまわないかい?」
「うん。…じゃなかった。はい、大丈夫です」
「…よろしくね」
少し申し訳なさそうに言うコルビアスに、ナハトは微笑んで頷いた。
どう足掻いても、もうナハト一人の対応ではどうにもできないところまで話は広がってしまっている。それに―――。
(「…私は千年前の人間だ」)
今更ナハトがどうなろうとも困る人間はどこにもいない。どうするかは護衛騎士をやめてノジェスへ戻ってから考えよう。そう思って、ナハトは小窓から外へ視線を移した。
そんなナハトをヴァロがどう見ていたか、外に意識を向けていたナハトは知る由もなかった。
王から直々に言葉を賜り、コルビアスは勲章と報奨を受け取った。他にも城に用意されるだけで使用していなかったコルビアスの為の区画にも王の命令で家具が入れられ、メイドや執事も用意された。
目まぐるしく変化する周囲に、コルビアスもだがシトレンやリューディガーらも振り回される。授与式後のパーティの他にも、アスカレトで開かれるパーティや、衛士たちを労う目的で開かれた祭りにも顔を出す予定で、更にお忍びでピリエのもとにも一度顔を出す予定だ。さらに、コルビアスには今回の犯罪組織の後始末も残っている。まだ逃げた劣等種はいるし、尋問も終わっていない。大量にあった魔道具も、攫った優等種に作らせていたことは分かっているが、設計図はどこから手に入れたのかわからなかった。まだ完全に終わったとは言えないそれらの対応も責任者であるコルビアスの仕事だ。他にもまだまだ考えなければならない事もある。学院の最終テストの時期が近いため、その勉強をする必要もだ。
そんな中で待ち受ける最大のイベントは―――。
「…侯爵令嬢との婚約…!?コルビアス様、いつそのようなお話を…」
「作戦の前だ」
直近の催しの予定がすべて決まり、学院のテスト勉強前にと護衛騎士を全員集めた場でコルビアスは淡々と答えた。
確かに決戦前コルビアスはニグルの元を訪ねていたし人払いもしていたが、まさか自身に何の相談もなくそのような事をしているとシトレンは思っていなかった。聞けば今回の事も「婚約の申し込みをしようと思っている」という段階の話ではなく、「婚約の条件は取り付けてある」というものである。シトレンどころか、この場にいる全員が驚いてコルビアスを見た。
「リステアード様とニフィリム様は、すでに自分たちの派閥を形成している。だが、僕はまだ派閥を持たない弱小の第三王子だ。…王を目指すのであれば、僕も自分を立てて支援してくれる派閥を作る必要がある」
「コルビアス様。ですが、アスカレト公爵は…」
シトレンの呟きにコルビアスは頷く。
「わかっている。アスカレト公爵は僕についてくれた。5つしかないダンジョン都市を治める公爵家が味方についてくれたことは本当に大きい」
それに口には出さないが、一番大きい派閥を持つリステアードから公爵家を引き抜けたのはコルビアスにとって僥倖であった。だがそれでも、アスカレト公爵自身についている貴族はそう多くないのだ。
だからどうしてもクローベルグ侯爵家と、彼らにつく中立派の貴族たちをコルビアスは引き入れる必要があった。婚約はそのための申し出で、認められればこれ以上ないほどの力になる。
「僕自身のためにも、クローベルグ侯爵の支援が僕には必要だ」
コルビアスの言う事は一々最もで、それどころかそこまで考えて行動していた事には頭が下がる。この場にいる誰よりもコルビアスは正確に自身の立場を理解していた。そして、その為に必要なものもわかっている。
「…ナナリア嬢には、既に一度断られている。それを覆すには、こちらもそれだけの利を示さなければならなかった」
「それが、今回の作戦の報奨…という訳ですね」
「うん。でも、一番の問題はそれじゃないんだ」
「…?」
コルビアスは眉を下げて笑う。子供らしく”困った”とわかりやすい顔をする彼は、それまでの少し緊迫した空気を取り払うかのように息を吐く。
「侯爵が婚約に対して提示した条件は2つ。1つは実績で、もう1つは…ナナリア嬢から、婚約してもいいと言質を貰う事だ」
「侯爵令嬢本人のお気持ち次第…という事ですか?」
「そうなんだ」
「…!それで先日のお茶会のお手紙ですか?」
シトレンが言っているのは先日届いたクローベルグ侯爵家からの手紙だ。この忙しい時期に、しかもマシェルにある侯爵の屋敷でのお茶会などシトレンは断るべきだとコルビアスに進言したのだが、コルビアスはこれを了承した。それを不思議に思っていたのだが、これで合点がいった。
「言うのが遅くなってすまない。今回のお茶会は、僕とナナリア嬢の顔合わせも兼ねているんだ。まだ2人きりでお会いしたことはないからね」
「…かしこまりました。すぐにお茶とお菓子の準備をさせていただきます。ご令嬢の好みなどは…」
「それはディネロが調べてきてくれてある。これを参考に準備を頼んだよ」
「かしこまりました」
少し照れたように笑ってメモを渡すコルビアスに、ナハトたちも微笑みを返すのだった。
そんな事があった翌日。その日はヴァロが不寝番の日であった。ナハトはフィスカと共に与えられた部屋へ向かったのだが、その扉の下に1枚の紙が挟まっている事に気づいた。まさかと思って気配を探り部屋の中へ入るも、先に休んでいるフィスカには変わった様子はない。念のため息をしている事を確認するが、やはおかしな様子はなかった。
(「…ならば、なんだ。この紙は…」)
恐る恐る挟まっていたその紙を開くと、そこには深夜に部屋へ来るようコルビアスのサインが書いてあった。ならばこの紙を挟んだのはおそらくディネロだろう。同じ建物内にいながらこのような呼び出しをされることが不思議でならないが、わざわざこのように呼び出す以上、何か他の者には言えない理由があるのかもしれない。
ナハトは覗き込むように顔を出したドラコを撫でると、時間をおいてコルビアスの部屋へ向かった。
コルビアスの部屋の前には、予想した通りヴァロが立っていた。やってきたナハトに気づくと、部屋の中に確認を取って手招きしてくる。どうやらナハトが来たら通すよう言われていたようだ。
「どうぞ。コルビアス様が中で待ってるよ」
「わかった。ありがとう」
「実は、俺も呼ばれてるんだけどね…」
ヴァロはそう言って、一定の距離を取ったうえでナハトに続いて扉の中へ入った。
部屋の中にはコルビアスとディネロの2人だけであった。珍しいこともあるものでシトレンもいない。ディネロとナハト、ヴァロの3人とだけという少々異質な人員を見回して、コルビアスは自身の正面にあるソファを勧めて来た。
「よく来たね。まあ、とりあえず座ってよ」
そう言うコルビアスは寝間着で、手元にはディネロが入れたのか紅茶がある。普段寝る前にはあまり口にしないと言っていたミルクまで置いてあるところを見ると、緊張しているのだろうか。
そう思いながらも、ナハトとヴァロは離れてソファに腰かけた。
「コルビアス様、このように呼び出されるとは…いったい何の御用でしょうか?」
「…ごめん。ちょっとだけ待って。ディネロも座って」
「ですが…」
「いいから。…ね?」
座るよう言われたディネロは戸惑いながらもコルビアスの横に腰かけた。それに満足そうに頷いて、紅茶に手を伸ばし息を吐く。余程の事なのか、眉根を寄せて悩んでいる様子は真剣という他ない。いったい何なのだろうか。
「…3人とも、これはここだけの話にしてほしいんだけど…」
「わかりました」
「だ、誰にも言いません」
「もちろん、私もです」
ナハトとヴァロは間髪いれずにそう返した。ディネロもそれに続く。これほど真剣に相談しようとしているのだ。どんな内容でも口にするつもりはない。
それを聞いてどうやらコルビアスは腹をくくったようだ。ディネロに視線を向けつつ頷くと、コルビアスはもう一度紅茶を口にして口を開いた。
「…恋愛について教えてほしい」
「……………………え?コルビアス様、好きな人できたんですか?」
長い沈黙の後そう返したのはヴァロだった。
ディネロが睨み、ナハトが思わずため息をつくと、それに気づいたドラコが飛び移ってヴァロの指を噛んだ。それに「いたっ!」と反応して、ようやくヴァロは間違いに気づいたようだ。
慌てて赤い顔をして俯くコルビアスに謝罪を口にする。
「す、すみません!あの、俺、揶揄うつもりとかはなくて…!」
「…大丈夫。ある程度は覚悟してたから…」
ヴァロに言われたことで吹っ切れたのか、コルビアスはナハトらを呼び出した理由について話してくれた。
その内容はまさに先日話されたナナリアとの婚約についてである。
「貴族にとって婚約や結婚ていうのは、家同士の繋がりや利を目的として行われるものなんだ。僕の知る限り、恋愛結婚ていうのはほとんどない。貴族にとって恋愛というのは二の次なんだ」
「そうでしたか…」
貴族にとって婚約はそういうものだ。親同士が決めた相手と結婚するのが普通で、恋愛結婚など本当に珍しい。
それでも仲睦まじい夫婦もいるが、家同士の結びつきのための結婚なので性に奔放な貴族は多い。ナハトにちょっかいをかけてきたブランカ・ベルジシックはその筆頭だ。
「だけど、侯爵から出された条件は”ナナリア嬢の許可をもらう”だ。つまり僕は彼女に好かれなければならない。ディネロの報告によると…彼女は恋愛結婚に憧れがあるようだったしね」
「…そうなんですか?」
ナハトが問いかけると、ディネロは小さく頷いた。
今回のお茶会に向けてディネロにはナナリアの好みなどを調べていたのだが、その中で”ナナリアが好きな本”を知ることが出来たそうなのだ。それは平民の、ナナリアと同じ年頃の女子に流行っている恋物語らしく、平民の少女と王子の身分違いの恋といういかにもなものなのだ。町で逢瀬を繰り返し、最終的には結ばれるという内容の恋愛小説らしいのだが―――この報告をもらってコルビアスはいよいよ頭を抱えた。
「僕は一度断りをもらってるけど、一応彼女が憧れてる王子だ。でも、彼女は平民じゃなくて侯爵令嬢で…。これだと身分違いの恋も叶わない。どうしたらいいかわからなくなって…」
「なるほど…」
それで平民であるナハトとヴァロを呼び出したという事かと納得がいった。そしておそらくディネロも平民なのだろう。ここにジモがいれば完璧だが、ジモは明日の仕込みもある。恋愛観は平民に聞いた方がいいというのは、コルビアスお話を聞く限りその通りだと思うが―――正直人選が悪いとナハトは思った。
ナハトはそもそも恋だ愛だが分からないし、ヴァロは言わずもがなだ。好意を伝えるだけ伝えてその後は何も考えられていない考えなしだし、そもそも彼も恋愛などした事がないだろう。どう見ても何の経験もないように見える。
そうなると残されたのはディネロだが―――。
「…私はコルビアス様に拾っていただくまで、まともな生活を送っていませんでした。ですから、”恋愛”と言われても…私にはよくわかりません」
「そうですか…」
ディネロもこれではお手上げだ。
せっかくコルビアスが頼ってきているというのに、頼られた大人3人がこれでは正直申訳がなさすぎる。それとも何か助言でもあるかと視線をヴァロに向けるが、どうやらヴァロは恋愛相談をされているという現状に照れているらしく既に顔が赤い。コルビアスよりも初心な反応にため息が出た。
その時、ディネロがナハトらの前に一冊の本を置いた。そのタイトルは”ヒルメイルの君”。
「これは?」
「これが件の本です」
綺麗な赤い装丁の本の表紙には可愛らしい少女と王子の絵が描かれている。
ヒルメイルというのは千年前のひまわりのような大きな黄色い花で、夜にしか咲かない花だ。僅かに花びらが発光するため、ヒルメイルの花畑はそれはそれは美しいものだと本で読んだ事がある。そのヒルメイルを愛しの君に例えるあたり甘ったるい恋愛小説なのだと、ナハトには何となく理解できた。
それでもパラパラと中身をめくってみると―――なるほど。恐らく、身分違いで引こうとする少女を熱烈に追いかける王子の行動力、それと度々繰り返される愛の言葉やスキンシップが少女たちの心に突き刺さったのだろう。とんとん拍子にうまく進んでいく話も大変読みやすい。
それを念のためヴァロにも渡して、ナハトはゆっくりと口を開いた。
「コルビアス様。先にお伝えしておきますが、私は特に恋愛と言われるものをしてきたことがございません」
「そ、そう…なの?」
「はい。ですが男のように振る舞ってきましたので、どのような行動をした時に女性の反応が良かったかはお伝えすることが出来ます」
「…!そっか…!」
笑顔で顔を上げたコルビアスにナハトは頷いて答える。
この本を参考にするなら、つまりナナリアは追いかける恋よりも追いかけられる恋に憧れがあるのではないかと思われる。それならばコルビアスに必要なのはナナリアを褒める事。そして結婚したいとアピールすることだ。あくまで丁寧に、貴族らしい動作で。
だが何より必要なのは―――。
「コルビアス様は、ナナリア様の事をどうお思いなのですか?」
ナハトの問いに、コルビアスは少しだけ後ろめたそうな顔をする。
「何も、お思いではないのですか?」
「………正直なところよくわからないんだ。明確に言葉を交わしたのは舞踏会の時が最初だったし…」
「外見についてはいかがですか?爬虫類の特性が強く出ていらっしゃいますが」
「それは、僕は気にならない」
気にはならないが、というところだろう。少なくとも好ましいと思うまでには至っていないようだ。
ナハトからみるとナナリアは十分可愛らしい。爬虫類が強い見た目だが、大きな目は宝石のように輝いていて魅力的で、ウェーブのかかった金髪も絹糸のようで美しい。声も小鳥のように可愛らしく、何より彼女は優しくて慈悲深い。少し拗ねたりするところも貴族としては駄目なのかもしれないが、彼女の魅力の一つだと思う。
「と、私はそのように思います」
「よくすらすらとそんな言葉が出てくるね…」
真っ赤な顔のコルビアスにそう言われ、ナハトはにこりと微笑んだ。隣でヴァロももじもじしている気配を感じるがとりあえず置いておく。
「本音ですから。それに、褒められて嫌がる女性はいません」
「そっか…」
「ただ、これは相手に多少なりとも好意がないとすぐに伝わってしまいます」
「あっ…」
ナハトの言葉に、コルビアスは膝の上で拳を握った。
コルビアスはまだナナリアに対しての好意はない。だというのに無理やりナハトが言ったような言葉を伝えても、相手を不快にさせてしまうだけになるだろう。女性は特にそういう機微に鋭いのだ。
「ですから今度のお茶会では、お互いの事をお伝えし合うのはいかがでしょうか?」
「だけどそれだけじゃ…」
「焦りは禁物です。それに婚約を結ぶという事は、ナナリア様を妻として迎えるという事です。これからずっと一緒にいる相手の事を、それほど簡単に理解することは難しいとは思いませんか?」
たった1度言葉を交わした程度なのだから、ナナリアもコルビアスの人となりは分かっていないはずだ。ナナリアがコルビアスに好意を抱くことも大切だが、コルビアス自身もナナリアの事を少なくとも好ましく思えなければ始まらない。。
ナハトの言葉に、コルビアスは頷いて口を開く。
「そう…だね。なかなか時間は取れないかもしれないけど、出来るだけナナリア嬢の事を知って、僕の事も知ってもらえるようにしてみるよ」
「それがよろしいかと思います」
恋愛について教えられたかはわからないが、必要な事は言えたのではないかと思う。コルビアスもほっとした様子で笑い、そうして話は終わったかと思ったのだが―――。
「あの…こ、この…壁ドンとか、顎クイって…」
「……何だね?」
「あ、えと………その…。ど、どのくらい仲良かったらやるものなのかなって…」
真っ赤な顔で何を聞いてくるのかと思ったが、どうやらコルビアスとナハトが話している間に”ヒルメイルの君”を読んでいたらしい。
今はそれほど必要ない事であるため適当にあしらっても良かったのだが、コルビアスも気になったようで聞いてくる。
「確かに、ナナリア嬢には平民の友達もいて、そのような話題で盛り上がっていたという報告もあったな…」
「……そんな事までお調べになったのですか?」
「…必要だと思ったので」
ナハトの呆れたような視線にディネロはあからさまに目を逸らす。
これはナナリアの為にも釘を刺しておいた方がよさそうだと、ナハトはため息交じりに口を開いた。
「よろしいですか?まず女性のあれこれを人を使って探らせるなどもってのほかです。好みや好きなものを調べる程度ならまだしも、友人との会話の内容まで知られていると知っていい気はしないでしょう。二度とやらないほうがよろしいかと思います」
「で、でも、それだと何も…」
「それを知るためのお茶会です。ナナリア様に好かれたいと思うのでしたら、人を使うのではなくご自分で努力なさいませ」
「うっ…」
もう絶対やるなと暗に言うと、コルビアスもディネロも渋々ながら頷いた。さらに「そういう事はある程度関係が出来てから」とも伝えておく。いきなりコルビアスが本のような事をするとは思えないが釘を刺しておくに越したことはない。
そしてナハトはドラコを肩に乗せながら、隣に座るヴァロを振り向いた。
「…君の言う壁ドンやらなんやらは、相手がそれを好むかどうかによる。間違っても誰しもがそれを望んでいるなどと思わないように」
「……は、はい…」
万が一にもナハトがそれを望んでいると受け取られては叶わないと、ヴァロには少々深めに釘をさす。 これだけ警戒しているナハトにヴァロが何かするとは思わないが、それでもナハトもそれを望む女子の一人だと思われてはならないと、「絶対にやるな」と口にするのだった。
ナハト自身は甘ったるい恋愛小説はあまり好きではありません。
ですが図書館などで何度か目を通したことはあります。
あれこれ口にしながらも、心の中で「私は嫌だが」と思っていました。
貴族にとっては相手の事を密偵を使って探らせるのは普通です。
良い密偵を雇えるかどうかでもその家の格が分かります。




