第69話 リュースと本の行方
※また死体とか出てきますので念のため注意書き…
苦手な方はお気を付けください
キーンと耳鳴りがして気持ちが悪い。衝撃で叩きつけられた壁、落ちてきた岩、もうもうと上がる土埃のせいで、目が開いてるのか閉じているのかもナハトにはわからなかった。
爆発の瞬間、魔術で咄嗟にフラッドとヴァロを覆えるくらいの壁を作ったが、壁に対して投げ込まれた魔道具の数が多かった。距離も近かったため、咄嗟に作った壁程度では防ぎきることは出来なかったようだ。
「…ぐぅっ…」
体中、圧迫されているようで苦しい。落ちてきた瓦礫で潰されているのか、首から下がうまく動かなかった。それでも頭だけは自由に動かせるようで視界が悪いながらも周囲を見渡すと、天井に穴が開いているのがみえた。爆発で松明も篝火も消えたのか、星がよく見えるとナハトは思った。
その時、ふと気づいた。圧迫感がある割には痛みが少ない。怪我の様子を探ろうと自身の体に手を伸ばして―――硬直した。
「…ひっ…!?」
ヴァロがナハトの上に倒れこんでいたのだ。ナハトの何倍も体重があるヴァロが意識を失った状態でのしかかっていれば、とてもではないがナハトでは動きようがない。鳥肌が立ち、恐怖と嫌悪感に引っ張られるように必死に這い出して距離を取る。
おそらく―――いや、確実に爆発の瞬間にヴァロが庇ってくれたのだろう。それは分かるが、それでも怖いものはどうしようもない。胃がひっくり返ったような気持ち悪さを無理やり飲み込む。爆発とは違う恐怖に脈打つ心臓を無理やり押さえつけて、ナハトは立ち上がった。
「……」
まだ土煙が上がっている。この爆発では魔道具を投げ込んだ者も無事ではないだろうが、ナハトは念のため周囲の気配を探った。
すると予想通り崩れた通路に何かを感じる。崩れた瓦礫の向こうを覗き込むと、岩に潰されたであろう”それ”が見えた。とても生きているとは思えない様子を見て眉根が寄る。やはり逃げ切れなかったらしい。他には右手側に1つとナハトの前に1つ。これはフラッドとヴァロだ。気配がするから少なくとも生きている。
少し考えて、ナハトはまずヴァロの傷を見ることにした。衝撃はあったが蔦の壁があった以上そう大きな傷はないはずだが―――念のため確認してみるが、爆発か落ちて来た天井の瓦礫で背中を強く打って気を失っているだけのようだ。骨に異常もないことから時期に目を覚ますだろう。フラッドは地面に寝転んでいるような体勢であったのが幸いしたようで、爆発で転がっただけのようであった。多少叩きつけられたようだが、細かい打ち身や傷以外異常はない。それにほっと息を吐いて、ナハトは最後に自身の体の様子を確認する。頭に触れた指先がぬるりと濡れて、頭に傷を負った事だけは分かった。
「…頭の傷は派手でよくない…」
小さくため息をついて、他の怪我も確認する。だが爆発の衝撃で割れた頭の傷が一番大きいようで、あとは細かい打ち身と切り傷がほとんどのようだった。爆音に耳が少しやられたようだが、それでも鼓膜に異常がある様子はない。
「…うっ…」
そうこうしている内にどうやらヴァロも目を覚ましたようだ。うめき声につられてそちらを向くと、体を起こしたヴァロが慌てた様子で周囲を見渡しだす。
「…?どうしたヴァロく…」
「っナハト!無事!?」
「ひぅ…っ」
声をかけた瞬間飛びつかん勢いで迫られて、ナハトは硬直して後ずさった。反射的なものだが酷く傷ついた顔をしたヴァロに慌てて口を開く。
「す、すまない…まだ…」
「だ、大丈夫だよ、分かってるから…。それより怪我はな…くはないね、ごめん。これ使ってよ」
頭の傷に何故かヴァロが謝ってハンカチを渡してくる。わざわざ少しの距離を取って手を伸ばして差し出されるそれに、ナハトは少しだけ笑ってそのハンカチを受け取った。
「…ありがとう。君は平気かい?」
「うん。ちょっとだけ背中が痛いけど大丈夫だよ。その…ち、近づいてごめんね…」
しょんぼりと耳と尻尾を下げてヴァロが謝ってくる。
”ナハトが触れることが出来るようになるまで”と言ったのだから、それまで関わらなければヴァロは傷つかずにすむ。ナハトもその方が安心できるのだが―――以前、ヴァロはナハトを守りたいと言っていた。この状態でもそれだけはしたいと、そういう事なのかもしれないと思う。
(「…自分勝手だな…」)
ヴァロ自身、それは分かっているのだろう。だから駆けつけて置いてこんなにも後ろめたそうな顔をしているのだ。
そんなヴァロの様子に、ナハトはなんと言い表したらよいのかよくわからない感情を覚えた。吐き気や嫌悪感とは違う、熱を持った何かが込み上げてきた気がしたのだ。
「…?」
「ど、どうかした?」
「……いいや、何でもない」
幸いな事にすぐにそれはなくなった。ナハトはヴァロから受け取ったハンカチで頭の傷を覆い、その上から外れてしまっていた仮面をつけなおした。どうせ手配書で顔はバレているが、それでもあえて顔を晒し続ける必要はない。
少し離れた位置に落ちていたヴァロの仮面も拾い、ヴァロの方に投げて口を開く。
「一度戻ろう。コルビアス様に連絡できるかい?」
ナハトの魔道具は壊れてしまったようで魔力を流しても反応はなく、何も聞こえなくなってしまった。この魔道具は魔力を通しさえすればコルビアスに繋がるものだ。だから喋る者を制限しているのだが、ナハトが使えないのだからヴァロに連絡してもらっても問題ないだろう。
コルビアスには最後に本を探しに別行動をすると連絡を入れてからしばらく経っている。あまり連絡がないと心配させてしまうかもしれない。
しかし自身の魔道具に魔力を流したヴァロは、少しして首を横に振った。
「…俺のも駄目みたい」
「そうか…。ならばやはり一度戻った方がいいだろう。フラッドを抱えてくれるかい?」
「…フラッド…」
ナハトの言葉に、ヴァロは思い出したかのように視線を細めた。じわりと魔力が揺れるのを感じて、ナハトは慌てて振り向く。
「やめろ!何もないと言ったはずだ!」
「だけど…ナハトを侮辱した」
「あんなもの、侮辱にもならない戯言だ。君にはそれがあり得ない事だとすぐにわかっただろう?そんなに怒る意味はない」
怒る意味は十分あるだろうとヴァロは思った。フラッドは自身が逃げるためだけにナハトを侮辱したのだ。許していい事ではない。寧ろ、ナハトが怒らない理由の方がヴァロはわからなかった。
「でも…!」
「…そんなに殺気を撒き散らさないでくれ。これでは私も警戒してしまう」
「…ごめん」
「フラッドの戯言を聞いたのはヴァロくんだけだ。聞いたのが君だけなら、私の名誉は何も傷つかない。だからいいんだ。…分かったかい?」
自身を侮辱したフラッドを庇うように立つナハトに、ヴァロは苦々しく思いながらも小さく頷いた。
怒るヴァロとは反対にナハトの物言いは穏やかで、だからヴァロはナハトが本当にそう思っていることを悟った。だから余計にわからない。以前なら、ナハトはこの手の侮辱を怒っていたはずだからだ。だというのに、まるで言葉を伝えることを諦めているかのような―――そんなナハトの言動に、ヴァロは少しの不安を抱くのだった。
意識のないフラッドを抱え洞窟の外へ出ると、およそ60人あまりの男たちが広場に縛り上げられていた。息のある男たちだけな為正確な数はわからないが、それだけで100をゆうに超える数の戦闘員がいたことがわかる。男たちとは分けられた少し離れたところで女子供も縛り上げられていた。こちらは非戦闘員なのだろう。かなりの数がいるが、全員怯えた様子で、だが幼い子供に至るまで騎士団を恨みを込めた目で睨みつけている。
先ほど騎士たちが話しているのを聞いて知った事だが、どうやら最後まで抵抗を続けていた者はイルゴであったようだ。あくまで聞いただけであるから違うかもしれないが、彼は爆発する魔道具を大量に抱え、距離を取りながら暴れまわっていたらしい。そのせいで迂闊に近寄れず、結構な数の劣等種と騎士団が巻き添えになったそうだ。
「っ…!?」
「…!」
彼らはフラッドを連れて現れたナハトを見て愕然とした顔になり、すぐに怒りに顔を染めた。余程口汚く叫び続けたのか、すでに誰も彼も猿轡をされている。
(「…当然か…」)
彼らにとってナハトは”裏切り者”だ。劣等種でありながら、優等種に混ざる敵―――そう彼らは思っているに違いない。そして、それはあながち間違いではない。ナハトは彼らではなくコルビアスの手を取ったのだから。
視線で殺されるのではないかと思うほどの殺意を向けられても、ナハトは表向きは何の反応も示さずに集まる騎士団の方へ向かった。ヴァロもフラッドを下ろしてそれを追いかける。さりげなく視線から隠すように、ヴァロはナハトの背後に立った。
丁度その時、コルビアスもマシェル騎士団の者たちと山を迂回してやってきた。マシェル騎士団の者たちが剣を抜いた様子がないことから、あちらへの襲撃はなかったのだろう。あらかた作戦が終了したため、確認のために移動して来たようであった。ここへ来るまでに報告は受けていたのだろうが、破壊された住居と捕えられた者たち、それと片付けきれずに残る死体にコルビアスはわずかに顔をしかめる。
「…出来るだけ殺すなと命令したはずだが…」
「申し訳ありません。自滅覚悟で爆発する魔道具を多用されたため、死亡者を抑えることが出来ませんでした」
リューディガーの言葉に、コルビアスは周囲を再度見まわした。出立時よりも騎士団の人数が減っている。怪我を負った者も多くいるのを見て、コルビアスは改めて騎士たちを振り返った。ヨハネスとリヴィエラが膝をついている前まで行って口を開く。
「先ほどの私の愚かな発言は忘れてくれ。…よくやってくれた。報告を頼む」
「かしこまりました」
団長補佐のヨハネスの報告では、ここには350人余りが生活していた形跡があるとの事だ。捕えられた者が戦闘員と非戦闘員含めておよそ230名。逃げた者の数は不明だが、死体の数を考えると40人前後逃がしてしまったとの事だ。逃げたのが非戦闘員ならばそれほど問題はないが、戦闘員であった場合また面倒な事になりかねない。
「私の隊を3人1班として周囲の捜索に当たらせています。全員捕えられれば良いですが、全員残らずというのは難しいでしょう」
「そうだな…。彼らの目を見れば、協力的ではない事はすぐわかる」
コルビアスもここに捕らえられていたのだ。彼の顔を知る者もいるようで、鋭い視線がコルビアスにも向く。それを庇うように立つのはリューディガーだ。大きな背中を振り返って、コルビアスは続ける。
「公爵の方も無事済んだと先ほど連絡があった。あちらは幸いな事に死傷者はいないとの事だ」
どれほどの数の敵と罠があるか分からなかったために騎士団を分けたが、小屋の方は10人ほどの劣等種しかいなかったらしい。地下は思っていたよりもずっと広く、分けられた複数の部屋の中に大人の優等種が12人、子供は23人もいた。大人は軒並み貧困から家をなくした浮浪者たちで、子供は全員近隣の町から誘拐された者たちだった。
そして―――残念ながら死体となって見つかった子供もいた。それでも届け出と数が合わない分は、今後も捜索を続けるとの事だ。
「先ほどレザンドリーの騎士団へ状況を伝えた。時期、ここにも近隣の町から衛士が駆け付けてくるだろう。…中には劣等種もいるかもしれない。だが、その劣等種を虐げることがないよう全員に厳命せよ」
「かしこまりました」
一通り騎士団へ指示を出すと、ほんの少しできた時間の隙間を縫ってコルビアスはナハトを呼んだ。
今日はここから移動が出来ないため、いくつかのテントと、劣等種らの住居を利用した休憩場所が作られている。呼ばれたのはそのうちの一つだ。
人払いと盗聴防止の魔道具が置かれたそのテントで、ナハトとヴァロはコルビアスの前に膝をついた。
「ご報告が遅くなり、申し訳ありません」
「それよりも2人とも怪我は大丈夫?」
「はい、問題ありません」
「よかった。…それで、目的の物はあった?」
余程気になっていたのだろうコルイアスの問いに、ナハトは鞄から2冊の本を出して差し出した。だがコルビアスにはそれが目的の本でない事はすぐに分かった。光の魔術師の日誌は、1冊だけ造りが他と違っていたからだ。
問うように視線を向けられ、ナハトは少しの躊躇いのあと口を開く。
「コルビアス様、リュースを覚えていらっしゃいますか?」
「…うん。僕の手当てをするよう言った劣等種…だよね?」
「はい。彼が持って逃げたとの証言から、捕らえられた者たちの中にいないか、死体も探しましたが…見つかりませんでした」
「という事は、逃げた…ってことだね」
「はい」
ナハトはフラッドの話をそのまま鵜呑みにせず、捕らえられた幹部らにも話を聞いてまわっていた。戦闘員と違って幹部と呼ばれる者たちは拷問に耐性がなく、ほんの少し脅すだけでぺらぺらと聞いていない事まで話してくれた。
それによるとリュースはいわゆる”幹部候補”であったそうで、彼が件の書物を持っているのは確実らしい。幹部全員に確認したから間違いはなく、さらに言うとナハトが回収した本には複数の写しが存在するがカルストの日誌だけはあの1冊しかないのだそうだ。
そのリュースの行方が分からない以上、あの本もどこへ行ったか分からない。
「…あの本だけは回収しておきたかったけど…」
「申し訳ありません」
「ナハトのせいじゃない。これだけの人数がいて逃げられたんだ。それに…」
コルビアスはそう呟いてナハトを見る。コルビアス自身は深く知るつもりも聞くつもりもないが、あの本をナハトが特別に思っていることは分かっていた。ナハトがあの本を読んで泣いていた事もあるが、それ以上に随分と執着しているように見えたのだ。だから、コルビアスはあの本を確保してくるよう命令した。コルビアス自身が必要だったからというのも嘘ではないが、ナハトのためにそうしたかったのだ。
「…とりあえず状況はわかったよ。哨戒に出ているリーグリーズ卿に伝えて、見つけ次第捕えるよう再度伝えておく」
「ありがとうございます」
ナハトが礼を言って、それで話はとりあえず終わったはずだった。
だがそこにいることをずっと忘れていたヴァロが、唐突に口を開く。
「…あの…本て、なんですか?」
「………」
問われて、コルビアスは少し悩んでヴァロに本を差し出した。
ナハトから受け取ったこの2冊の本には優等種への恨み言ばかりが書かれている。劣等種がされた事、それに対してどう復讐したか、そんな事ばかりが書かれている本だ。まともな優等種が見たら、今捕えられている劣等種に対して何かしかねない。
だが、ヴァロはナハトと冒険者をしていたことから劣等種に対して悪感情を抱いていない。だから見せても問題ないとコルビアスは思ったのだが―――。
「君には必要ないよ。ヴァロくん」
「えっ…」
それをナハトが止めた。コルビアスが差し出した本に手を置いて、首を横に振る。
「…これはコルビアス様にお渡ししましたから、管理はお任せします。ですが、ヴァロくんには必要ないはずです」
「な、ナハト…?」
「それよりヴァロくんは報告しなくていいのかい?別行動をとっていたのだから、君も何か命令されていたのだろう?」
あからさまに話を逸らされた。それが分からないコルビアスとヴァロではなかったが、2人ともナハトに対して後ろめたい思いがある。
だから―――。
「…コルビアス様、住居の内部について報告します」
「わかった…」
ナハトが嫌ならと、2人ともそれ以上本について口にすることはなかった。
ナハトがヴァロを止めた理由はいくつかあります。
それは後々また出てくる…はずです。
それとコルビアスとヴァロがナハトに対して後ろめたい思いがある、と書きましたが、コルビアスが抱く後ろめたい思いは”罪悪感”とほんの少しの”恋心”です。
恋心はそう認識できないほどです。言葉が甘える感じになるのはそういう理由です。
ヴァロは言わずもがなですね。




