第68話 本のありか
※指を折ろうとする表現があります
暴力表現が苦手な方はご注意ください
フラッドの案内で洞窟内を進む。脅えているのか、それともここへ騎士団を連れてきたナハトを恨んでいるのか、複雑な色を浮かべた瞳でフラッドは時折こちらを振り返る。フラッドには見たところ大きな傷はないが、体中薄汚れていて切り傷や暴行を受けたかのような痣があった。
(「戦闘から逃げたにしては軽傷が過ぎるな…」)
ほとんどの者が逃げるなり隠れているであろうこんな場所で出会ったのも違和感が残るが、そんな違和感よりもリュースの部屋へ向かう方が先だ。
幸いな事にフラッドは一度抵抗した結果ナハトに押さえつけられたことがある。ここでは強者らしいイルゴがナハトに負けたのも知っているため、早々に抵抗を諦めて案内に向いてくれたのは正直なところ助かった。
暗い隠し通路路出ると、外では戦闘が続いているようだった。爆発音や悲鳴も聞こえている事からして、抵抗している者がまだいるようである。死体と怪我人が転がる廊下をフラッドに従って進んでいくと、一つの部屋の前で彼は足を止めた。どうやらここがリュースの部屋らしい。
扉もないその部屋の中の気配を先に探ってみるが、周囲の部屋を含め生きた人の気配はなく罠などもなさそうであった。それどころか幹部の部屋と違って何かを持ち出した様子もなく中は整然としている。そのため、目的の物はすぐに見つかった。
だが―――。
「…ない」
「…んぅん?」
「何が」と問うているのか、眉を寄せたフラッドがナハトを見る。その彼の肩を掴んでナハトは問いかけた。
「日誌は…日誌はどこですか!?」
「んうっ!?」
「光の魔術師の日誌です!どこにあるんですか!?」
胸ぐらを掴んで揺すったのが苦しかったのか、フラッドは顔をゆがめて首を振る。このままでは埒が明かない。ナハトはフラッドの猿轡を外して再度問う。
「どこですか!答えなさい!」
「ぐっ…こ、答えるから…手を、放せ…!」
「っ…!」
知らず知らず強く掴み過ぎていた手を離すと、フラッドは咳き込みながらもナハトの手を振り払って距離を取った。先ほどまでの脅えた顔はどこへやら、フラッドはナハトを睨みつけて叫ぶ。
「おまえらが…おまえらが逃げるから…!!!」
「…静かにしなさい」
すぐに距離を詰めてフラッドを押さえつけたが、声に駆けつけてくる者の気配ない。それにほっと息を吐いて、自分の下で呻いているフラッドに声をかける。
「抵抗は無意味だとご存じのはず。指の骨を折られたくなければ、大人しく日誌のありかを答えなさい…!」
「ぐぁっ!」
苛立ちをぶつけるようにフラッドの指に力をかけた。みしりと耳障りな音がするがナハトは続ける。
「答えなければ指を折ります。その後は腕、その後は足です。あなたが答えるまでこれをやめるつもりはありませんよ…」
「やっ…やめろ…!」
「ならば答えなさい…!」
「ぎゃっ…!」
指が嫌な音を立てる。その音に、フラッドの顔からは勝手に涙と脂汗が溢れた。
フラッドはナハトが女だと知っていた。そしてフラッドが知る女は弱く、男の陰に隠れているものばかりであった。そのはずなのに、フラッドは一度もナハトに勝てた試しはない。それどころか、この組織ではかなり腕がたつはずのイルゴさえも勝てなかった。
(「この細腕のどこにこんな力が…!?」)
必死に抵抗しているのに、固定された体はまったく動ける気がしなかった。それどころか抵抗するたびに押さえつける力は強くなる。そしてそれは大きな恐怖となってフラッドを襲った。徐々に、だが確かに少しずつ強くなる力に、折れる寸前の筋が伸びきる痛みに―――フラッドは反射的に口を開いていた。
「わ、わかった!言う!言うからやめろ!!!」
「そちらが先です。早く言いなさい」
「…っ!わからない!ここにないならわからねーんだ!!!」
「…はっ?わか、らない?」
「そうだっ!!」
「放せよ!」と言われて、ナハトは固定していた腕を離した。
ナハトを押しのけるように下から這い出したフラッドは手を抱えて蹲る。力で抵抗しようとしたときはどうにも出来なかったが、押しのけたナハトは簡単にバランスを崩してフラッドの上から退いた。それに疑問を覚えつつも口を開く。
「あれは…本来幹部だけが持つことを許されたものなんだ。でも…おまえらが逃げてからは、リュースが管理してた。ここにないってことは、もうあいつが持って逃げたってことだ。…俺にはどこにあるかわからない」
「…まさかと思いますが、それを信じろと仰るのですか?」
他の本はあるというのにカルストの日誌だけ持って逃げたと―――そんな事を言われても「そうですか」と素直に言えるわけはなかった。第一、リュースが持って逃げたと言い切れるのも怪しい。
視線が鋭くなったナハトに、フラッドの腰が引ける。
「ほ、本当だ!俺は…俺はおまえらが逃げたせいでずっと反省室に入れられてたんだ!その俺を心配してリュースは良く来てくれた!その時にそう聞いたんだ!持ってたのも見た!だから…間違いない!」
「…わかりました」
あの脅えっぷりからして嘘を言っているわけではなさそうだ。ならばこれ以上問い詰めても意味はない。
ナハトは大きくため息をつくと置いてあった2冊の本を手に取った。それを腰の後ろにベルトに通してつけていた鞄に仕舞い、壁際で縮こまったままのフラッドを振り返る。リュースが持っているならあとはもう本人に聞くしかない。死んでいないと良いがと思いながら、ナハトは腰にぶら下げていた魔道具を手に取った。
それを見たフラッドが気色ばむ。
「おまえ…!俺を獣人どもにつきだすつもりか!?」
「何を当たり前のことを言っているのです。私たちは…私とコルビアス様、それとたくさんの優等種を誘拐した組織の壊滅を目的に来ているのです。何故見逃されると思ったのですか?」
ナハトが手にしているのは手足を拘束するための魔道具だ。今回の襲撃にあたって一人につき複数個もたされている。これは魔力を流すことで初めて開閉できるため、劣等種はこれを嵌められると外すことが出来なくなるのだ。フラッドはすでに腕にそれを嵌められているため、足にまでそれを嵌められれば逃げようがなくなる。
それが分かっているのだろう。フラッドはナハトから距離を取ろうと狭い部屋の中を逃げ回った。しかし、ナハトにはフラッドを捕らえる事など造作もない。魔術で生やした蔦で絡めとると、彼は地面に転がって喚いた。
「お、おまえふざけんなよ!!お前は俺たちの同胞だろ!?」
「…私にした事を棚に上げて良く言う…。フラッド、あなたは私に言いましたね。人間としての尊厳を取り戻すと…。なのにあなたたちは子供を攫い、その命を盾にとって私に協力を要請し、断ったら暴力に訴えた。あなたたちが口々に言う”獣人”と何が違う?」
「あいつらが先にやったんだぞ!?俺たちの先祖を…!こんな、こんな場所に閉じ込めて…!!!」
またそれかと、ナハトは少しだけ笑った。先にやった、やられたとフラッドは言うが、彼らが攫った優等種の子供たちは、先にやったのは”劣等種”だと答えるだろう。その子たちに、おまえたちの先祖が先にやったことだからと言うつもりだろうか。
それにナハトは知っている。千年前、獣人を迫害していたのはナハトたち人間だ。どちらが先にやったというなら、ナハトの記憶では人間なのだ。こんなものは、どちらが先などと言ってもきりがない。過去の事など正確には分からないのだから―――。
「……私はあなたたちに暴行と脅迫、威喝、誘拐。ああ…他にも、女だと確認までされましたっけ?」
「そ、れは…!…っ、それをやったのは俺じゃないだろ!?」
「そうですね。ですが…やったのはあなたの仲間です。やった覚えのない事を、”同種族”であるというだけで年端もいかない子供にぶつけるのであれば、私もあなたに復讐してもいいわけですね」
ナハトの言葉にフラッドは何も言えず息を呑んだ。観念したかと近づくと、そこへ思いもよらぬ人物が飛び込んできた。
「な…レオ!無事!?」
肩で息をしながらやってきたのはヴァロである。どれだけ探し回ったのかわからないが汗だくだ。
そんな彼は髪をかき上げて、魔道具を持つナハトと壁際のフラッドを交互に見つめた。
「…えっ?どういう状況…?」
「まったく君は…ついて来るなと言っただろう」
そうため息交じりに呟いて、ナハトは放心状態のフラッドの足に魔道具を嵌めようと屈んだ。しかし直前で気づいたのか、顔面目掛けて足が突き出される。それを避けて抱え込み、うつ伏せになるようフラッドを転がすと、ナハトはその片足に魔道具を嵌めた。
ガチャリという音にフラッドが焦った様子で口を開く。
「ヴァロ!お前ヴァロだろ!?俺だ、フラッドだ!」
「え…」
「静かに…」
「こいつ逃げ出すために俺の仲間に体売ってたぞ!お前裏切られたんだ!!」
「……は?」
突然何を言い出すのかとナハトは思ったが、すぐに気が付いた。
フラッドはヴァロがナハトの事を襲った現場を見ている。そしてナハトは”そういう関係か”と聞かれて否定しなかった。だからヴァロとナハトが付き合っていると思っているのだ。ナハトが体を売っていた、裏切られていると言ってナハトに注意を向けさせ、その間に逃げ出そうという魂胆だろう。
(「浅はかな…」)
そうナハトは思ったが、突然凄まじい怒気を感じて振り返った。ヴァロの周囲に魔力が見える。
「…ナハトに…何を、したって…?」
「ひぃっ…!」
「落ち着けヴァロくん!」
そう多くないヴァロの魔力が目に見えるほど膨れ上がっているのを見て、ナハトは慌ててフラッドとヴァロの間に立った。だがそれも彼の癇に障ったのか、物凄い殺気に肌がピリピリする。
ゆっくりとヴァロが近づいて来るが、フラッドはもちろんナハトも怖くてしょうがなかった。こんなにも怒ったヴァロを見た事は一度もない。繰り返し落ち着けと叫ぶがヴァロの耳には届いていないようだ。
「殺す気か!?私はなにもされていない!落ち着け!」
「…俺、約束守るから…。ナハトが離れて。そうしないと俺、フラッドに近づけない」
「だから!私はなにもされていないと言っているだろう…!」
言葉が通じない。あのような戯言にそこまでヴァロが怒るとはナハトは思っても見なかった。だから必死に落ち着けようとするが、触れるのにはまだ勇気がいる。見た事がないほど暗い色をした金色の目を仮面越しに見ながら、ナハトは必死にどうしたらいいかと考えを巡らせた。
その時―――一瞬人の気配を感じた。
「っ伏せろ!!!」
大きなヴァロの体越しに、複数の魔道具が投げ込まれるのが見えた。一瞬感じる気配と投げられる爆発する魔道具。それはここに来るまでに何度もやられた攻撃で―――。
瞬間、部屋の中に光が走った。けたたましい爆音と洞窟が崩れる音が、あたり一帯に響き渡った。
フラッドが薄汚れていたのは、反省部屋で暴力を受けていたからです。
ここでの反省というのは、より反省を促すために仲間から暴力を与えられ、それをありがたく受け取るというものです。
それを普通だと思っているフラッドは異常ですが、ずっとここに身を置いていた彼はそれが普通だと思っているので、自分に暴力をふるったものに対して怒りはありません。
ヴァロはナハトを探してずっと走り回っていました。
匂いが散乱してナハトの匂いを追えなかったからです。




