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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第四章
172/189

第66話 ナハトとヴァロ

 平民や衛士たちの活躍のおかげで、誘拐された者たちが閉じ込められているであろう場所のは大体の見当を付けることが出来た。

 衛士たちは誘拐された子供を持つ親などにも協力を求め、当時の状況を注意深く調べるなどして徐々に捜索範囲を絞り込んだらしい。リヴィエラらの頑張りもあって、うまく連携を取ることが出来た結果の素早い情報の確保だそうだ。

 そうして作戦の決行日を1週間後に控えた今日、最終調整に追われるアスカレト騎士団らと侵入経路の確認を行っていたナハトは突然コルビアスに呼び出された。そして開口一番こう言われたのだ。


「…ヴァロが、おかしなことをしているみたいなんだ」


 コルビアスの護衛騎士たちは、交代で作戦前の休日を取っている。ヴァロは今日がその休日にあたるはずだが―――今度はいったい何をしたと、ナハトは頭に手を当てた。


「どうしてそれを私に仰るのでしょうか?」

「…ちょっと僕たちではどうしたらいいかわからなくて…」


 本当に何をしたんだと、ナハトは心内で毒づいた。

 どうやらヴァロはフィスカに”化粧の仕方”や”女性の気持ち”について聞く前から、何度か怪しい行動をとっていたらしい。申し訳なさそうに言うコルビアスの言葉を聞くと、最初に気づいたのはディネロであったそうだ。


「王都の平民街の方でヴァロを見かけたらしいんだけどね、随分と挙動不審で、道行く人を観察していたそうだよ」

「観察…?」


 頷くコルビアス。コルビアスとしてはそれを聞いたところでどうこうするつもりはなかったが、フィスカからの報告とロザロナからの報告、そして今回またしてもディネロからの報告を受けたことで考えが変わったそうだ。


「仕事はちゃんとしてくれているからいいかとも思ったんだけど…さすがに女装して町を歩いているとなると、どう注意したものか悩んでしまって…」

「じょ、女装…ですか」


 フィスカやロザロナから話を聞いた時点でまさかと思っていたが、本当に女装する趣味になったのだろうか。

 というか―――。


「…な、ナハト…?」

「……何でしょう、コルビアス様」

「お、怒ってる…よね?」


 そんな風に聞かずともわかるだろう。怒っているに決まっている。

 香でおかしくなったヴァロを、ナハトはどうにか許そうと試みて来た。自身の唇や指を激しく傷つけて、だからこそナハトは最後まで強姦されることなく済んだとも理解していた。そう思っていたのに―――。


「よくもまあそんなくだらないことを考えたものだ…」

「ギュ、ギュー…」


 ナハトの怒りを感じ取ったドラコが、言いつけを破って襟元から這い出して来る。そのドラコに手を伸ばしながら、ナハトはぽつりと呟いた。


「コルビアス様が私を呼び出されたのは、そのヴァロくんをどうしたらよいかという相談ですか…?」

「う…うん。ヴァロは普段仮面をしてるから衛士や騎士に顔は知られていないけど、それでも万が一という事もある。その万が一で僕の護衛騎士が女装して町をうろついているなんて知れたら、騎士たちの士気に関わってしまうから…」

「その通りですね」


 納得以外のしようがない。そもそも体を休めて備えようと与えられた休日でこんなことをやっているヴァロが問題なのだ。イライラが募って頭が痛い。


「こんなことを頼むのは、僕としても気が重いんだけど…」

「そこまで阿呆ではないはずのアレがこれだけ意味の分からない行動をしているんだ。十中八九おまえがらみの事だろう」


 言い難そうなコルビアスに代わって、リューディガーがそう言った。そしてそれはナハトもなんとなくわかっていたが、自分から言うのも嫌だったし、認めるのも嫌だった。そしてヴァロ自身にはおそらく悪気がないだろうというのも、予想がついて腹が立つ。


「…嫌なのは分かっているんだけど、根本解決が出来るならした方がいいと思うんだ。だから…」


 コルビアスは最大限ナハトに配慮してくれている。リューディガーの言いようやシトレンの視線から察するに、忙しい合間を縫ってヴァロから話を聞こうとしてくれたのだろう。それでうまくいかなかったからナハトへ来たのだ。

 本当にナハトが対応することで根本的な解決になるかはわからないが、それでもナハト自身が対応すれば、少なくともヴァロは素直に訳を話すだろう。ナハトはこれまでの経験からなんとなくそう思えた。


「承知しました。コルビアス様」


 不安そうな顔をするコルビアスに、ナハトはそう答えて微笑んだ。

 だが無意識に伸ばされた手は、肩にいるドラコを触れていた。




 様子を見に行くと言ってもそもそもナハトの顔は手配書で出回っているし、護衛騎士の服と仮面でも出かけられないため、またアスカレトの騎士見習の鎧と兜を借りて外へ出た。

 ロザロナらは気を使ってついて行こうかと言ってくれたが、そもそも今はとても忙しいのだ。その中でこれ以上余計な人員を割くわけにはいかない。


(「…まずは探すか…」)


 どうにもイライラが抑えきれないが、ナハトは大きく息を吐いてヴァロを探しに平民街へ向かった。

 ダンジョン都市はとても広い。だからナハトはヴァロがすぐに見つかるか心配であったのだが、そんな心配はすぐに消えた。通り過ぎる人たちが”女装した大男”の噂をしていたからだ。


「見たか、さっきの」

「見た見た。すごい格好だったよね!」

「ありゃどう見ても男だろ?何であんなことをしてんだろうな」

「おまえ、話しかけてみればよかったのに」

「変なこと言わないでよ!不審者じゃないの?あれ」


 考えたくはないが、相当目立つ格好をしているらしい。

 ナハトの様子を敏感に感じ取ったドラコが襟の下で気遣わしげに「ギュー」と鳴いた。大丈夫だ。まだ落ち着いている。皮の鎧の上からドラコを撫でるように手を当て、ナハトは人の流れを逆走していく。

 しばらく進んだところで喫茶店や食事処が集中している場所へ出た。するとその一部の場所に妙な人だかりができている。そこを通ってくる者たちは口々に「あれはなんだ」「妙なやつがいる」「変態」「変質者」「化け物」など、看過できない言葉を口にして通り過ぎていく。間違いなくあそこにいるのだろう。

 だが―――。


(「…凄く、嫌な予感がする…」)


 騎士見習の鎧とはいえ、”騎士”と名のつく者の多くは貴族だ。近づくナハトに気づいた平民が驚いた様子で離れて行く。

 そうして出来た人だかりの隙間から覗き込むと、人だかりの先では複数人の女性がテラスでお茶を飲んでいるようだった。女性は5人で、皆18から20代前半というところだろうか。いかにも今どきという風体の女性に交じって、似合わないドレスを着て酷い化粧をした大男が一人混じっている。


「ねーえ、何でそんな格好してるのかいいかげん教えてよぉ」

「そうそう♪十分わかってるって、お・ん・な・ご・こ・ろ♡」

「ねー♡」

「あ、あの…でも、お…わ、私…まだそんなにわかってないような気がして…」

「気のせいだよぉ。大丈夫だって…ふ、ふふっ」

「そ、そうかなぁ」


 何が「そうかなぁ」なんだと、ナハトは今すぐその頭を殴りたい気分になった。

 ヴァロがどういうつもりで女装してここにいるのかはわからないが、周囲にいる女性たちも、それを見ている者たちも、皆してヴァロの事を馬鹿にして冷やかしている。彼らはヴァロがどうして女性の格好をしてここにいるのか、それが罰なのが、それともただの趣味なのか―――そんなどうでもいい事を知りたがり、面白がって見ているのだ。

 ただの見世物になっているというのにわからず、いいように言われ続けている。それにナハトはとても腹が立った。


「何を…しているんだ…!」

「えっ…」

「わっ!?き、騎士様!?」


 思わず出たナハトの声に人垣が割れた。その間を進みながらナハトは呟く。


「馬鹿にされているのに気づかずヘラヘラして…分かっているのか!?」

「何よ、あんた…」

「えっ!?騎士…様!?」


 ナハトに気づいた女性たちも声を上げた。ガタガタ音を立てて立ち上がる彼女らの中で、驚いているのだろう、目を丸くしてヴァロが鎧姿のナハトを見返してくる。


「え、えっと…あの…?」

「答えろ!!」

「…!」


 人混みや周囲の女性の香水の匂いでヴァロはナハトだと分からなかったようだが、声をかけたことでやっと認識したらしい。一瞬顔が赤くなったが、次の瞬間―――何故か笑顔を浮かべてナハトを見上げてきた。

 それに、ナハトは反射的に一歩下がる。


「ナ…!あっ…えっと、お、女心の勉強をしてるんです。わ、私…相手の気持ちを考えるのに疎かったから…」


 そうヴァロは少しだけ恥ずかしそうに言って頭をかいた。どこか嬉しそうに見えるその顔は、自分がどれほどの事をしているのか全く理解している様子はない。

 そんなヴァロに、ナハトは怒りで煮立った頭が怒りを通り越して冷めていくのを感じていた。フィスカやロザロナに女性の気持ちを聞いたのも、化粧や服を売っている場所を聞いていたのも、ここに今女装しているのも、すべて"女性"であるナハトの心境を知りたいが為だったというのか。時間が欲しいというナハトの言葉を無視して―――女性だからと、そういう目で見られたくないと言ったナハトの気持ちをまた踏み躙ったのだ。


「…っ!!!」


 気がついた時には、ナハトは右手の拳を振り抜いていた。鉄籠手が鈍い音を立ててヴァロの左頬にぶつかる。ナハトの力など高が知れているため、殴られたヴァロの頬はほんの少し赤くなった程度だ。

 だが、"騎士"が手を上げたという視覚的事実は周囲の者の動揺と恐怖を誘うには十分であった。悲鳴と共に逃げる周囲を他所に、ナハトは呆然とするヴァロに叫んだ。


「二度とその面見せるなっ!!!」


 そう捨て台詞を残して、ナハトはその場から駆け出した。




 殴った手が重くて痛い。感情がぐちゃぐちゃでよく分からない。それでも、"やってしまった"という思いはあった。騎士見習いの格好をしている以上、市民から見ればナハトは貴族だ。そのナハトが一市民に手を上げたのだ。騎士が手を上げた以上、相手は何かしらの犯罪を犯したと認識される。そのためヴァロは恐らく衛士に捕らえられるだろう。

 だがそんな事よりも、ナハトはあの場から逃げ出したくてしょうがなかった。何故だか、涙が溢れて止まらなかった。


「ギュー…」


 襟の下でドラコが鳴く。そのドラコに触れながらナハトは人気のない場所まで走った。この顔では戻れないし、騒ぎが落ち着くまでは大人しくしていようと思ったのだ。

 だが―――。


「…!」


 自身を追いかけてくる気配にナハトは気がついた。振り返らずともわかる。この気配はヴァロだ。


「…っう!」


 それはもう反射としか言いようがなかった。背中を走った怖気に押されるように、ナハトは人気のない路地を駆けていく。

 だが、逃げ切れるわけはなかったのだ。自身には重すぎる鎧をつけたナハトと、ヒールの折れた靴で追いかけてくるヴァロなら、ヴァロの方が早いに決まっている。そもそもの自力も違いすぎるのだ。


(「…追いつかれる…!!!」)


 あの場を離れたくて走っていたはずなのに追いかけられている。それはナハトに恐怖を抱かせるには十分過ぎた。追いかけてくるヴァロが怖くて、ナハトは走りながら叫んだ。


「来るな!!」

「…!……!」


 ヴァロが何かを叫んでいるが、ナハトの耳には届かない。心臓が耳にもあるかのように鼓動の音がうるさい。怖い、苦しい、悲しい。嫌だった事、辛かった事が数え切れないほど頭をよぎり、腕を掴まれたことでナハトはパニックに陥った。


「嫌だ…やだ…いやだぁっ!!」

「待って!待ってってば!!」


 暴れるナハトに焦ったヴァロが、羽交締めにして路地裏へ向かう。人気があまりないとはいえ、あまり騒いでは人目につきかねないと思ったのだろう。

 しかしそれはあまりに悪手であった。薄暗い路地に引き摺り込まれた事で、ナハトの恐怖は頂点に達した。


「…うっ、げ…」

「ええっ!?だ、大丈夫!?」


 大丈夫なものか。つけていた兜を投げ捨て、吐きたいだけ吐いた。口の中も腹の中も気分も最悪だが、吐いた事で少しだけ冷静になった。再び伸びてきた腕を振り払い、ヴァロのこめかみを蹴り飛ばしてナハトは必死に距離を取った。走り過ぎたのか膝が震え、脂汗と震えが止まらないが、それでもヴァロを睨みつける。


「あ、あの…俺…」

「…何しに来たんだ」

「お、俺は…!」

「喋るな、糞野郎!!頭涌いてんのか!?何を考えたらあんなことが出来んだよ!!!」


 言葉遣いももう滅茶苦茶であった。取り繕う事もせず、ナハトは思いつく限りの暴言をヴァロに浴びせる。一度口から溢れ出した怒りの言葉はもう止めようがなかった。


「君なんか大っ嫌いだ!私の前から消えろ!!!」


 ヴァロの顔から血の気が引いた。青い顔で釣り上げられた魚のように口を開いては閉じ、それでも何か言いたいことがあるのかナハトの方に歩いてくる。

 その時、ナハトの襟口からドラコが飛び出した。威嚇するドラコの声に、ヴァロはその場に足を止めて―――泣き出した。


「なっ…!」


 泣きたいのはこっちの方だ。というかもう泣いてる。大の大人が2人して泣いている様は本当に馬鹿みたいだが、ナハトはヴァロの涙に怯んでしまった。


「くそ!!!何なんだよ!!」

「ご、ごめん…」

「何も聞きたくない!消えろ!!!」


 叫び過ぎて咽せたナハトに、ドラコが鳴いて駆けてきた。ドラコがいなかったらナハトはヴァロにダガーを突き立てていたかもしれない。それほどまでに、ナハトは怒っていた。

 しかし、ナハトがこれだけ言ってもヴァロはその場から動かなかった。その代わり、泣きながら呟く。


「…これしか、思いつかなかったんだ…」

「…げほっ」


「黙れ」と叫ぼうとした喉は、度重なる怒鳴りに耐え切れなくなったのか声が出なかった。その間もヴァロは続ける。


「取り返しがつかないことをしたのも分かってる。ナハトが嫌だっていうのも、時間が必要だっていうのも分かってる…!だからせめて、ナハトがどのくらい苦しかったのか…それを少しでも知りたかったんだ…!また傷つけるつもりもなかった!!だって…だって俺は…!ナハトのことが好きなんだ」


 ぐずぐずと鼻をすする音が聞こえる。ヴァロがみっともなく泣いているのだろうと予測がついたが、ナハトはそう言われて不覚にも心が少しだけ動いてしまった。ほんの少しだけ、知ろうとしてくれて嬉しいと思ってしまった。

 しかし―――。


「…許してもらえなくても…い、一緒にいたいんだ。…だけど、何もわからないままの俺じゃ何言っても伝えられないと思ったんだ。だから…!」


 そうヴァロに言われて、ナハトの中でほんの少し収まった怒りが再燃した。


「だから女の格好で町を歩いた、と…?」


 頷くヴァロに、ナハトはまた声を張り上げていた。


「馬鹿にするのも大概にしろ!そんな格好で歩いて何がわかるって言うんだ!」

「だ、だって…だってナハトは話もしてくれないじゃないか…!許すって言ったのに駄目だって、無理だって…!言葉では許すって言うけど、ずっと俺に怒ってた!だからせめて…痛みくらいは分かりたかったんだ!」


 そう言って恥も外聞もなく泣くヴァロは、繰り返しごめんと頭を下げる。それを見てナハトは今度こそ何も言えなくなった。

 なんて事はない。ナハトが正反対な言葉と態度で接したから、ヴァロはナハトが抱いているだろう深い怒りをどうにか知ろうと思ったと言う事だ。ナハトの考えを、気持ちを、どうにかして知ろうとしたのだ。


(「…怒りを呑み込み続ければ壊れる…」)


 団長が言っていた言葉が頭をよぎった。

 ナハトはヴァロは"香でおかしくなっていたから"と許そうとした。だけど許せずにそれが言葉だけになった結果、ヴァロは限られた中でどうにかしようと奔走したのだ。ナハトが初めからきちんと怒れていれば、ヴァロは大人しく従っただろう。

 それならば、この状態を招いたのはナハト自身だ。ナハトがきちんと怒らなかったからこの状況を招いた。これでは―――自業自得だ。


「…私が…いけなかったんだな…」


 ぽつりとナハトは呟いた。その声にドラコが反応して首を振る。だが、ナハトにはそうとしか思えなかった。手足が冷たくなっていく感覚に気が遠くなる。

 その時、大きな声がナハトの耳を打った。


「違う!!!」


 のっそり顔を上げると、ヴァロが泣きながら首を横に振った。


「ナハトが悪いなんてことない。ナハトは苦しかったんだ。なのに優しいから…俺の事を、許そうとしたからこうなったんだ。許さなくて良かったんだ。俺の事なんか、許さないで怒ればよかったのに…」

「……」


 ナハト大きく息を吐いたて、そうしてぐったりと壁に寄りかかった。怒りで真っ白になっていた頭がどんどん冷えて行くのが分かる。

 ヴァロの言う通り、最初に怒っていればよかったのだ。余計な事を考えず、されたことに対する怒りや嫌悪感をそのままヴァロにぶつけて―――それでナハトの気が済むまで、ナハトが許せるまで近寄るなと言えばそれでよかったのだ。


(「……なるほどな…」)


 正直に言ってしまえば、ナハトはヴァロが自分に対して好感情を抱いているとなんとなくわかっていた。ヴァロが分かっていないようだったから、自分にとって都合のいい環境に”ナハト自身”が甘えていたのだ。自分に好意を抱いている者に甘えればそれは自身に返ってくるに決まっている。それも今回の一端を担ったのは間違いなかった。


「ギュー…?」


 不安そうにナハトを見上げるドラコを撫でて、ナハトは汗まみれの髪をかき上げた。そしてまた大きく息を吐くと、ヴァロに向かってハンカチを投げる。

 ぽすりと頭に当たったそれに、ヴァロが泣きながらナハトを見返した。化粧が中途半端に溶けて酷い顔だ。元がいいだけに少々笑えてしまう。


「それで顔を拭き給え。…泣いていては、まともに話が出来ない」

「うっ…」


 ヴァロは緩慢な動作で顔を拭いた。多少マシになったが、それでも泣きはらしたせいで目は腫れている。よく見ればクマも酷い。それだけ必死に考えて行動したという事なのだろう。やり方は最低であったが、本当に最低であったが、これはある意味ヴァロの誠意だ。それはそれとして受け止めなければならないだろう。

 ナハトはまた深く息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。


「……突き放してばかりで悪かった」

「ち、ちがっ…あ、謝らないで…」

「最後まで聞き給えよ。…君のしたことは最低だし、私は大いに傷ついたし傷つけられた」

「うっ…」

「それでも、状況を悪くしたのは私自身だ。それは間違いない」


 ヴァロはまた涙を浮かべて首を横に振る。せっかく泣き止んだというのに、これではまた目が腫れてしまう。

 だが―――伸ばしかけた手は震え、体は勝手に強張っていく。


「…ナハト?」


 ナハトの様子に違和感を感じたのか、ヴァロが顔を上げた。近くで見たその目に足はひとりでに後ずさる。ヴァロの金色の眼はあの時のような熱は一切含んでいない。そう頭では理解しているのに、どうしても頭にはあの時のヴァロの眼が浮かぶのだ。こればかりはナハトにもどうしようも出来ない。

 だがそのナハトの行動に、ヴァロは明らかに傷ついた顔をして俯いた。


「……ごめん…俺、もう…」

「…少しだけ待ってくれ」


 また泣き出したヴァロの言葉を遮って、ナハトは深く息を吸って肩口のドラコに触れた。

 これではいけない。せっかく気づけたのだから今度はしっかり言おう。ナハト自身が思っていること、感じていることを、今度は呑み込まずにしっかり伝えようと、ナハトはそう心の中で強く自身に言い聞かせて口を開いた。


「…素直に話すが、私は”この人は私に好意を持っている”と、そう意識するだけで体が強張るんだ。君が私に何かするとは、もう思っていない。だけど…怖かったんだ。本当に怖かった…。それが、抜けていかない」

「………本当に、ごめん」

「だから…待ってくれないだろうか」

「えっ…」


 結局のところ、どう言いつくろってもナハトがヴァロに対して恐怖を抱いていることは変えようがない。だが、ナハト自身はヴァロを許そうと思っている。許したいと思っているのだ。

 だから―――。


「私が君に触れられるようになるまで、君にはただ待っていてほしい。…出来るかい?」

「で、出来る…!お、俺…ナハトが安心できるまでちゃんと待てるから…!」

「…そうか」


 ナハトの言葉に本当に嬉しそうにヴァロは頷いた。尻尾が大きく揺れているのを見て、ナハトは少しだけ笑う。これで万事解決とは言えないが、それでももうこれでこの話は終わりと言えそうな雰囲気である。

 しかしナハトはあと一つ、どうしてもヴァロに言いたいことがあった。これはずっと気になっている事でもある。


「喜んでいるところ悪いが、ヴァロくん。君にはもう一つだけ聞きたいことがある」

「な、なに?何でも聞いてよ」

「…君は私の事を好きだと言ったが…それはつまり、私と恋人同士になりたいとか結婚したいとか、そういう意味かね?」

「……………………………………………………………………………………え…」


 随分長い沈黙の後、ヴァロはそれだけ呟いて固まった。

 千年前の恋愛や結婚事情は、男性に主導権があった。だからこそナハトはそこから逃げるのに苦労したのだが、今はそうではないという事を書物や周囲の話で知っている。あの日から何度かヴァロはナハトの事を好きだと好意を口にしていたが、それでどうしたいとは一言も言っていなかったのだ。

 まさか好きだと言ってそれで終いだと思っていなかったため、ヴァロの反応にナハトの方が戸惑う。


「まさかとは思うが、君は何も考えずに好意を口にしていたのかね?」

「え、えええええっと…」

「ついでに聞くが、君は私が君の事をどう思っているのかを考えたことは?」

「……!」


 初めて気づいたと言わんばかりの顔にため息が止まらない。今年25歳になろうという男がこれかと、ナハトは頭に手を当てて大きくため息をついた。


「……一応言っておくが、私の事が好きではなくなった時はいつでもそちらへ行ってくれて構わない。私は君に対して友愛の気持ちはあるが、それ以上はないからな。これからも期待はしないでほしい。だが…それも、今のでどこかへ行ってしまいそうだがな」

「そ、そんなぁ…」

「ギュー…」


 情けない声を出すヴァロにドラコが呆れたように鳴いた。

 立ち位置に距離はあるが、ほんの少しだけ以前のように戻った2人を肩にいるドラコだけが見ていた。




「そ…それで…ふふっ、そ、その格好で帰ってきたのか…っ…」

「………はい」

「…ぶふっ」


 コルビアスは堪え切れずに口を押えて後ろを向いた。だが、そうしているのはコルビアスだけではない。シトレンもケニーもリューディガーも、シンもリーベフェルトもみな口元を隠して笑いを堪えている。フィスカとロザロナまで渋い顔をしながらも少々笑いを堪えているのは、ヴァロが女装のまま帰ってきたからだ。

 散々言いたいことを言ったナハトとヴァロは、その後城に戻ろうと試みた。しかしナハトはさておきヴァロは”騎士に殴られた変態”として衛士に探されはじめており、着替えのために取った宿まで戻ることが出来なくなってしまったのだ。そのため、ナハトが着けていたマントに隠れる形で城まで戻ってきた。


「はぁ…経緯は分かった。だがアロ、君は今僕の護衛騎士だ。あまり勝手をしてはいけない。庇えなくなるからね」

「…すみません」

「早く着替えて来るといい。レオも…全員集まったら突入作戦について話そう」

「承知しました」


 ナハトとヴァロは一度着替えのために退室し、戻ってきたところで当日に関しての話が始められた。

 その頃にはアスカレト騎士団長のセオドア・サザーランドと騎士団長補佐のヨハネス・リーグリーズ、更にレゴルド・アスカレト公爵と公爵の専属文官であるラジェット・ロブウェルも部屋に集まっていた。

 全員の目を一人一人見ながら、コルビアスは口を開く。


「皆よく集まってくれた。まずは先に礼を…。アスカレト公爵、並びに騎士団諸君、それと…我々の手足となって動いてくれた衛士や平民たちのおかげで、誘拐された者たちが捕らえられているであろう場所を探し出すことが出来た」


 事前に報告書を読んだ限りでは、誘拐された者たちはナハトとコルビアスが捕らえられていた森に囲まれた山の麓―――あの、師父カルストが仕掛けた認識を阻害する魔方陣に覆われた場所のさらに南、ウーリオという町のはずれにあった。町を見下ろせるような崖の近く、そこに猟師小屋のようなものを建て、その地下に誘拐した子供や大人を閉じ込めているらしい。

 ウーリオは区分では"町"であるが、壁に囲まれた町ではなく、村が拡大して町の人口に達した町だ。南という地形から劣等種の数も多く、どんどん外に拡大していった地形でもあるため二次産業が盛んである。畑や農場が殆どなく、機織りや石細工の加工が有名な町だ。

 そのウーリオが怪しいとなったのは各町の行方不明者の数を調べたことがきっかけだ。他の町や村と比べて、ウーリオでの行方不明者の数が目に見えて少なかったのだ。そこからは貴族お抱えの等級の高い冒険者に直接依頼し、周辺を探ってもらったのである。

 因みにその流れでその猟師小屋のほど近い場所に、転移の魔方陣も見つかった。魔法陣の解析からマシェルの方角へ繋がるものだとわかり、おそらくナハトらが最初に飛ばされた魔方陣はそれだろうというのも分かった。


「当日はそれぞれ同時に奇襲かける。誘拐された者たちの救出は、公爵とアスカレト騎士団長であるサザーランド卿に一任する」

「「はっ!」」

「誘拐された者たちが隠されている場所は恐らくその一箇所だろう。しかし、万が一という事もある。魔道具の出どころについても聞かねばならぬ。劣等種はなるべく殺さず捕らえよ」

「承知致しました」

「騎士団長補佐のリーグリース卿は、私の護衛騎士らと共に動いてもらう」

「はっ!」


 騎士団の中には未だコルビアスが指揮することに対しての反発も存在する。そしてそれは疑いをかけられたナハトへの不信感へも繋がっており、一部の騎士や貴族からは強い反発を受けていた。コルビアスの命令では動かない可能性がある者たちも、騎士団長と団長補佐を分けて任務にあたらせればその可能性はなくなるだろう。どちらにせよ、どちらの場所もそれなりの人数が必要なのだ。騎士団の人員は余す事なく使いたい。


「可能であれば、捜査に協力してくれた衛士らにも応援を頼もう。保護した者たちの移送は簡単ではないからな」

「かしこまりました」


 進入経路の確認、行動を共にする人員の確認、当日使う声を伝える魔道具の使い方の説明。長丁場になる事は考えられないが、万が一のための補給路の確保、衛生兵の配置場所などについても話され、瞬く間に時間は過ぎていった。

 そうして―――ついに作戦日の当日を迎える。













女装しているヴァロを周囲がばかにしているのを見て、ナハトはヴァロに対して怒りつつも、周囲に対しても怒っていました。

ヴァロが嬉しそうだったのは、ナハトやってきたという事は自分のしたことを誉めてくれると思ったからです。おバカです。


次話の最初と繋がりが悪かったのでこちらに加筆。

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