第65話 不審なヴァロ
翌日、アスカレトへやってきたコルビアスは、ピリエから聞いた情報をもとにアスカレト騎士団長ディラン・マクスウェルと今後の計画について話し合った。ナハトの情報から誘拐犯の本拠地らしき場所は分かっていたが、ピリエが言う”誘拐された者たちが集められている場所”というのはさっぱり分からなかったからだ。ピリエの証言からそれが地下にある事、何故か貴重な魔道具が豊富にある事は分かったが、それ以上の事は分からない。
その為、今後の方針としては平民にも広く情報を求めることとなった。具体的には衛士を使うという事だ。
「衛士は平民とのつながりも深い。衛士の優等種、更に可能なら人選も限定して調査にあたってもらおう」
「かしこまりました」
衛士の優等種に限定したのは、探している誘拐組織のアジトが劣等種のものであるためだ。衛士の中には、数は少ないが劣等種もいる。衛士全体に周知して、万が一その中に仲間がいた場合逃げられる可能性がある。考えたくはないが、優等種の中にも仲間がいる可能性すらあるのだ。出来るだけ人選は限定して、それでも広く情報は欲しいから悩みどころである。
そうしてアスカレトの衛士から情報を集めながら、騎士団はアスカレト周辺の町々でも情報収集に務めた。レザンドリーのような大きな町にも、小規模だが騎士団はいる。彼らからも情報を集め、周辺地域の捜索にあたらせることにしたのだ。
レザンドリーのような規模の町はアスカレトと隣接するカッファル内に3つある。1つはレザンドリーだが、それ以外にフルサロム、それとヤイムだ。それらすべての町の騎士団から衛士、衛士から平民へと細心の注意を払って情報が集められていった。
「レオとロザロナは引き続きアスカレトの騎士らと捜査に当たってくれ」
「かしこまりました」
「シンとリーベフェルトは、マシェル周辺にあった誘拐組織が使っていた建物を再度調査してほしい。まだ何かあるかもしれない」
「承知いたしました」
そしてリューディガーとヴァロは、アスカレトと王城を行き来するコルビアスの護衛にメインであたることになった。シトレンとケニーも日程や人員の調整、報告に追われ、フィスカらメイドやジモら料理人も、日々変わるコルビアスの居住地を整える作業に追われた。
そうしながら少しずつ情報を集め、全員組織の捕縛に向けて動いていたのだが―――。
「少し、よろしいでしょうか?」
ある日の深夜、ナハトの元にフィスカが訪ねてきた。
今日はアスカレト城の与えられた部屋でナハトは休もうと準備をしていたところであった。最近はいつ戻れるかわからないため、ドラコは常にナハトと行動を共にしている。その為彼には大分窮屈な思いをさせていた。それもあってベッドの上でじゃれつくドラコを撫でていたのだが、戸惑ったような表情で部屋に入ってきたフィスカに、ナハトは椅子を勧めながら声をかけた。
「どうしたのですか?こんな夜更けに」
ナハトがそう言った通り、今は深夜を少し過ぎたところだ。メイドの朝は早いため、コルビアスの予定によほどずれがない限りは早めに床に就く。着ているものこそ寝巻きであるが、髪や服に乱れがないことから先程まで寝ていたというわけでもなさそうである。
勧められた椅子に座ったフィスカの前に果実水を置くと、彼女はちらりとナハトに視線を寄越して口を開いた。
「…先にお伝えしておきますが、不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません」
「…?はい…」
いったいどうしたのかと不思議に思いつつ頷く。それを確認して、フィスカは呟いた。
「何とお伝えしたら良いのか難しいのですが…数日前にヴァロが私の部屋を訪ねてきました」
「へ、部屋へ…ですか?」
「ですが、ご安心ください。貴族の常識をご存じないようでしたので、深い意味はございません。わたくしに聞きたいことがあると言っていました」
何がご安心なのかさっぱりわからないが、ナハトはほっと小さく息を吐いて膝の上にいるドラコを撫でた。貴族の常識では、未婚の女性の部屋を未婚の男性が訪ねることは夜這いを意味する。一瞬"まさか"と思ったが、やはりそんなことはなかったようだ。
「女性の部屋へなんて…それで、何を聞きにヴァロくんは行ったのですか?」
「それが…”女性の気持ちを理解するにはどうしたらよいか”と仰ってまして…」
「…はっ?」
「わたくしが、”あなたは男性ですから理解できることはないでしょう”と言ったところ、今度は”化粧の仕方を教えてほしい”と言われまして…」
「…け、化粧の仕方…?」
さっぱり意味が分からない。一体全体何が彼をそのような行動に動かしたのだろうか。
眉を顰めたナハトに、フィスカは頷きながらも続ける。
「わたくしも、いったい何故そのようなことを仰るのか理解できませんでした。なぜ教えてほしいのかともお聞きしたのですが、答えは濁されてしまって…。それなのに、必死に教えてほしいと訴えてくるものですから…」
「…教えたんですか?」
「はい…。随分と喜んでおられました」
ますます意味が分からない。もしかすると化粧を教えてもらうことが、ヴァロ与えられた仕事につながることなのだろうか。そう思ってナハトが問いかけると、フィスカは首を横に振る。
「わたくしもそう思って、先にコルビアス様に確認いたしました。ですが、そのような任務はないのだそうです。コルビアス様もヴァロのそのような行動には何も思い当たることがないそうで…それで、一応あなたにもお知らせしておこうということになりました。何か心当たりはございますか?」
「…事情は分かりましたが…すみません。私も彼のそのような行動には何も心当たりがありません」
ナハトとヴァロは2年近く行動を共にしていた。同じ部屋で、ともに食事をして、ともに戦ってきたが、ヴァロにそのような癖があると感じたことは一度もなかった。女装趣味など、あの狭い家を掃除していたナハトが見落とすわけはないのだ。”そういう雑誌”すら隠し通せなかったヴァロが、隠し続けられる趣味とも思えない。
「お役に立てないようで、申し訳ありません」
「…謝らないでください。コルビアス様も、あなたが分からないのであればそっとしておくようにと言われました。もしかしたら、新しく目覚めたのかもしれませんしね」
”目覚めた”とはなんともな言い回しだが、人というのは変わるものだ。そういうこともあるのかもしれない。
ナハトは苦笑いを浮かべて、何とも言えない顔で話を聞くドラコを撫で続けた。
そんな事があったのが3日前―――。
今日もアスカレト城の部屋に戻ってきたナハトであったが、その部屋を訪ねる者がいた。コンコンと控えめなノックに扉を開けると、そこにいたのはロザロナであった。
「朝早くにすまない。起こしてしまっただろうか?」
「いいえ。この子の朝ごはんのために起きていたので問題ありません。どうかしましたか?」
「…少し、話ができるだろうか?」
「それは問題ありませんが…」
ロザロナは今日不寝番であったはずだ。交代してそのまま来たのだろう、騎士団の鎧に身を包んだままの彼女は、ナハトに勧められるまま椅子に腰かけた。果実水を置いて、ナハトも反対側に腰かける。
「それでお話とは何でしょうか?」
食事を終えたドラコが肩まで登るのを手伝いながら、ナハトはそう問いかけた。するとロザロナは随分と既視感がある戸惑った表情で静かに口を開いた。
「実は昨日、ヴァロに聞きたいことがあると呼び止められまして…」
どうやら感じた既視感は間違いではなかったようだ。今度は何をやらかしたと、ナハトは心内でため息をつく。
「ひょっとして、”女性の気持ちを理解するにはどうしたらよいか”と聞かれましたか?」
「…!どうしてわかったのですか!?」
「先日、似たようなお話を聞いたばかりでして…」
ナハトがそう言うと、ロザロナは不快そうに眉をひそめて続ける。
「もしかして、あなたも聞かれたのですか?それは随分と配慮のない行動をするのですね、あの男は」
「ああ、私ではありません。フィスカです。いくら羞恥心や気遣いに疎いヴァロくんでも、そのようなことはしません」
一応ヴァロの名誉のためにそう言うと、ロザロナは少し驚いたような表情を浮かべた。それにナハトが不思議に思って問いかけると、彼女は言い淀みながらも口を開く。
「あ、いえ…。その…あなたは、彼に…その、酷い扱いを受けたでしょう?なのに仕事も続けているし、嫌っている様子もない。我慢しているだけかと思っていたのに、庇うようなことを仰るので…」
ロザロナはともにいる騎士の中では一番事情を知っている。だからこそ、ナハトの言動が疑問に思ったらしい。
それにナハトは少しだけ眉を顰めて、肩口にいるドラコに手を伸ばす。
「…複雑な気持ちであることは確かです。本当は…彼が香のせいでおかしかった以上、許してあげるべきなのだと思っています。正常な状態のヴァロくんであれば、絶対にあのような行動はとらなかったはずですから」
「そのように思う必要はない。何を言ったって、あなたに深い傷を負わせたのは確かなのです。ナハト殿、あなたはもっと怒っていいのです」
”怒っていい”というロザロナに、別れ際団長に言われた言葉が引き上げられるように頭をよぎった。”おまえはそれを発散せずに、ずっと呑み込み続けているだろう。そんな事をし続ければ、壊れるのはおまえの方だ”と―――。
わかっている。わかっているが、わざとじゃないものをどう攻めろというのか。第一口ではそういいながら、ナハトはヴァロを許せないでいる。これは怒っているのと一緒ではないのか。
ぐるぐるとまた思考の渦に呑まれそうになって、ナハトは一度目をぎゅっと閉じる。
「…それで、お話というのはそのことですか?」
話を逸らすつもりでそういうと、ロザロナは「あっ」と言って申し訳なさそうな顔をした。どうしたのかと思うと、もう一つ聞きたいことがあるのだという。
「不快に思うかもしれませんが、聞いておきたくて…。その、ヴァロに女装癖などありますか?」
「…はっ?」
ナハトは思わずそう返していた。フィスカとの会話が頭をよぎる。
「化粧の仕方でも聞かれましたか?」
「あ、いや…。私が聞かれたのは、女性物の服を売る店についてだ。ご丁寧に、”体の大きい女性が着れる服を”と言っていたから、自分で着るのかと思って…」
「……」
ロザロナの言葉に、ナハトは何とも嫌なものを感じた。うまく言えないが、ヴァロが何か禄でもないことを考えている―――そんな予感だ。
「…私が知る限り、そのような趣味はなかったと思います」
深く考えることをやめて、ナハトはそう口にしていた。ヴァロが何を考えてフィスカやロザロナにそのような質問をしていたのかはナハトの知るところではない。いくら考えても当人ではない以上わからないことだ。
「コルビアス様に報告はされましたか?」
念のためナハトがそう聞くと、ロザロナは躊躇いながらも頷いた。これもかなり意味の分からない報告だが、全員が任務に従って動き回っている中で一人意味の分からない行動をする人間がいると周囲に響きかねない。幸いと言っていいのかわからないが、今は特に気にすることはないと放置されている。
だが何も知らないで後々ひびいても困るので、主であるコルビアスへの報告はきちんとしておいたほうがいいだろう。
「あなたへ相談したことも、コルビアス様へはお伝えしておきます」
そう言って、ロザロナは自分の部屋へ戻っていった。
残されたナハトはドラコを撫でて一人息を吐く。
(「…いったい、何を考えているんだか…」)
こんなにも周囲に迷惑をかけてヴァロは何がしたいのか。本当にわからないが、これ以上変な行動はとらないでほしいと思う。
だが、ナハトのそんな思いはヴァロへ届かなかった。
ロザロナが訪ねてきてから数日後、ナハトはコルビアスに呼び出されたのであった。
気づかれた方ももしかしたらいるかもしれませんが…メモを間違えて、町の名前を間違えてました。
レザンドリーと同規模の町でジャレッタを出してましたが、これはノジェスの隣町の名前でした。
ナハトたちが団長らに睡眠薬を盛られた町は、本当はヤイムといいます。
こっそり修正してましたがここでも報告…




