第63話 ナナリアの助言
(「どうして俺ここにいるんだろう…」)
そう思うヴァロがいるのは、マシェルのクローベルグ家の邸宅。そこの応接室である。
ここ数日、コルビアスとその護衛騎士、執事らは精力的に動き回っていた。アスカレト公爵の協力が得られるようになったため、誘拐犯捕縛と組織の壊滅について現実的な話をする必要が出て来たからだ。
アスカレト公爵と騎士団の協力が得られるようになったとはいえ、コルビアスとナハトが分かるのは自分たちが捕らえられていた場所に限る。ピリエの話では誘拐された者たちが捕らえられている場所や、他にも拠点があるようだった。そこをはっきりさせないまま攻めても、他の場所へ逃げられてしまうだけである。
その為ナハトとロザロナは、コルビアスの命でアスカレト騎士団の者と共にピリエから話を聞くため、彼女の家へ向かっている。全権を任されているとはいえ、シトレンとケニーはウィラードへの報告のために忙しく、コルビアスはコルビアスでニグルから借り受けている護衛騎士を作戦に参加させることの許可を得にマシェルへ来ていた。実を言えばヴァロもまだマシェル騎士団の預かりのままであったため、その手続きも必要であったのだ。
しかしマシェル騎士団は現在元近衛騎士団長のガイゼンが団長にされている。そのこともあってコルビアスはヴァロやリューディガー、マシェルの騎士らを連れてクローベルグ侯爵の屋敷を訪ねたのだが―――そこでヴァロはナナリアにつかまった。
正確にはナナリアがどうしてもヴァロと話したいと言ったのだ。ナナリアはとてもナハトに懐いている。しかしヴァロはどうしても話しをと乞われるほどナナリアに好かれているとは思っていなかったため、正直な話ただただ戸惑った。
だが断れるはずも理由もなく、さらに言えば護衛の数は足りていたし、コルビアスはニグルと話があるという事であっさりヴァロは貸し出されてしまった。そして現在に至る。
(「お嬢様、俺と話がしたいって言ってたけど…ナハトの事聞きたいのかな…」)
ナナリアの正面に座るヴァロは、あまりに心当たりがなくてそんな事を思った。
ナナリアはヴァロとナハトの関係が壊れた事を知らない。知らないのに呼び止められるという事は、なかなか会うことが出来ないナハトの話を聞きたいのかと、そう思ったのだ。
顔を上げれば、随分と久しいナナリアの護衛であるハルファンが、睨むようにこちらを見ていていたたまれないような気持ちになる。舞踏会でのヴァロの所業はナハトの名誉のために口止めされていたが、ナハトを保護したクローベルグ侯爵家、それとマシェルの騎士たちにはそれとなく知れてしまっていた。薬によるものだと言ってくれる者や、ナハトがヴァロを罰しないと言った事から普通に接してくれる者も多かったが―――ロザロナやハルファンのように、厳しい視線を向ける者も多くいる。
やった事はやった事なのでヴァロは甘んじて受けているが、何も知らない様子のナナリアの純粋な視線と合わさってどうにも居心地が悪かった。
「あ、あの…お嬢様。話しって何でしょうか?」
我慢できなくなってヴァロがそう問いかけると、メイドのジェーンが入れてくれた紅茶を口にしてナナリアは微笑んだ。
「わたくし、ナハトとヴァロについて騎士がお話ししているのを聞いてしまったんですの」
「えっ…」
ヴァロはさっと血の気が引いた。先ほどまでの純粋な瞳が急にヴァロを責めようとしているように見えて、思わず背筋が丸くなる。ナナリアはナハトの事が大好きだ。そのナハトにあんな無体をはたらいたのだから、責められてもしょうがない。ヴァロは静かに拳を握り締めた。
だがナナリアは紅茶を置くと、少しだけ真剣な顔をして口を開いた。
「ナハトと喧嘩をして、仲直りがうまく出来ていないのでしょう?」
「えっ…え、ええっ!?」
「違うのかしら?」
「え、えっと…」
違うが、違うと言っていいのだろうか。違うと言えば、ならどういう事かと聞かれるだろうが、ヴァロにはうまく説明するだけの口のうまさがない。
反射的にハルファンを見上げると、ハルファンも驚いたような顔をして首を横に振った。おそらくハルファンは聞かれてうまくごまかしていたのだろう。心当たりがなかったようで、ナナリアに声をかける。
「お嬢様、いったい誰から話を聞かれたのですか?」
「誰だったかしら…。この間コルビアス様がいらっしゃった時、ナハトとヴァロの事を見た騎士がお話ししてるのを聞いたのです。”戻ってきて早々付きまとわれて可哀想に”って…」
「うっ…」
「あなたたちはとっても仲良しだもの。なのに”付きまとう”なんて言われるってことは、何か大きな喧嘩をしたってことでしょう?」
ナナリアはナハトとコルビアスが攫われたことを知らない。ヴァロがマシェルにいたのは、ナハトと別の任務だったからだと思っている様だ。だから騎士の言葉を違って理解した。
それはヴァロにとってもハルファンにとってもよかったが、そうなってくるとナナリアがしたい話というのは、ナハトとヴァロを仲直りさせたいという事だろうか。
「…はい。俺とナハトは今、その…喧嘩、してます」
「やっぱり」
そう言って心配そうにするナナリアに、今度は罪悪感がわいてきてしまった。喧嘩というのはお互いに非がある事が多いが、今回のこれは一方的にヴァロが悪い。ナハトに悪い所があるように言った気がして、ヴァロはすぐさま否定の言葉を口にした。
「…すみません、嘘つきました。喧嘩じゃなくて、俺がナハトに酷いことをしちゃったんです」
「ヴァロが、ナハトに?」
「…はい」
ハルファンが”それ以上言うな”と視線を向けてくるが、そんな事をしてこなくてもヴァロもこれ以上言うつもりはない。
「あなたがナハトに酷いことをしたっていうのは、あまり信じられないのだけれど…」
「…詳しくは言えませんが、しちゃったんです」
「それで喧嘩をしてるの?」
問いかけてくるナナリアに、ヴァロは首を横に振る。
「喧嘩じゃありません。ナハトは…その、許してくれたんです。だけど、気持ちの整理がつかないから、以前のようには戻れないって…」
「まあ…」
ナナリアは驚いて口元に手を当てた。
ナナリアの知るナハトは冷静で優しく、怪我をした時でさえ変わらず穏やかだった。そんなナハトが”気持ちの整理がつかない”というほどの事とは何なのか、ナナリアは単純に疑問に思った。
「ねえヴァロ。その…あなたが何をしたのかは聞いてはいけないのかしら?」
「…すみません。答えられません」
遥かに年下のナナリアに耳も尻尾も下げてヴァロは答える。ナナリアにはその理由がかけらもわからないが、大の大人がそこまでしょげているのだから、本当に酷い事をしてしまったのだろう。そしてそれをヴァロはとても後悔している。
(「わたくしに、何が出来ることはないかしら」)
ナナリアは、ナハトの事がとても好きだ。だが、ヴァロの事も嫌いではない。2人の空気感が好きであったし、数少ない平民の友人だとも思っている。どうにか出来るなら力になりたい。
「わかりましたわ。ヴァロは、ナハトには謝ったのよね?」
「そ、それが…謝る必要はないって言われちゃいまして…」
「そうなの?酷い事をしてしまったのに?」
「…はい」
そう口にしておいて、まだたった10歳のナナリアに何を相談しているのかとヴァロは頭を抱えたくなった。ナハトとの関係が一向に変わらない事に悩んでいたが、謝罪することも出来ない事に悩んでいたが、それでも自分の半分の年齢にも満たない子供に相談する事ではない。
そしてなによりこちらを見るハルファンの視線が痛い。無理やりにでも話を切って戻ろうかと、ヴァロが口を開いたその時―――。
「わかりましたわ。それはきっと、ヴァロがナハトの気持ちを分かっていなかったからですわ」
「…えっ…?」
突如言い切られたそれに、ヴァロは思わず間抜けな表情を返す。
それが気に入らなかったのか、ナナリアは椅子から立ち上がると腰に手を当てて言い放った。
「えっ?じゃないですわ!あのナハトが謝らせてもくれないという事は、あなたがナハトの気持ちを分かっていないと言っているのです!」
「…!」
ヴァロは頭を殴られたような衝撃を受けた。確かに今までさんざん悩んでいたが、この関係をどうにかしたいというのがわがままだとも思っていたが、ナハトの気持ちに立って考えたことはなかった。そう考えれば、謝ろうとした事はヴァロがしたい事であって、ナハトが望んでいた事とは限らない。それどころか、謝れば許してもらえると安易に考えていたと取られかねない行為だった。
思わず頭を抱えたヴァロに、ナナリアは続ける。
「何があったかは聞きませんわ。でも、ナハトが”許す”と言ったのに”気持ちの整理がつかない”と言ったのでしたら、それはあなたを責めたいけど責められないと言っているようにも聞こえますわ」
「た…確かに…」
「そもそも、ヴァロはナハトがどんな気持ちか考えたことはありますの?」
少し頬を膨らませながらナナリアは言う。行動は子供そのものだが、言っている事は至極まっとうな事に思えた。というか、そんな事にも気づけなかった自身が、ヴァロはただただ情けなかった。
「か、考えてませんでした…」
辛うじて絞り出した声に、呆れたようなため息が降ってくる。
「もう…殿方はそういうところが良くないと、よくお母様も言ってましたわ。お父様もよくお母様に怒られていますもの」
「お嬢様。あまりそのように仰っては、侯爵様の名誉が…」
「事実ですもの。それに、今更これくらいの事でお父様の名誉に傷なんてつきませんわ」
たしなめるハルファンにもそう言い返して、ナナリアはぷいっと顔を逸らした。
ナナリアに言われて初めてヴァロは気づいた。こういう言い方をしてはよくないが、確かにナハトは感情や心の機微に聡い。それはつまり、それだけ本人が繊細だという事だ。
(「ナハトは…俺の事を信用してくれていた」)
その繊細なナハトが唯一共にいる事を許した人間がヴァロだ。そのヴァロに裏切られたのだから、本来なら顔も見たくないはず。一緒にいたくないと思うだろう。謝られたって嫌になって当然だ。
項垂れるヴァロに、ナナリアは呆れたように口を開いた。
「もう…ヴァロってば大人なのに全然だめなのね」
「…面目ないです」
「わたくしに謝ってもしょうがないでしょう?いーい?まずはナハトの気持ちを考えるのが大切ですわ」
大人が子供に言い聞かせるように、ナナリアは腰に左手を当て右手の人差し指を振る。
「ナハトが何を嫌だと思ったのか、何に一番怒っているのかを想像するのです」
「想像…ですか?でも俺…男だしいっ…!?」
そう言ったところでごんと拳が降ってきた。痛みに目を瞬かせながら振り返ると、ハルファンが正気かと言わんばかりの表情で見下ろしている。
「貴様は…!お嬢様に本気で相談するとは何を考えているんだ!?」
「まあ!ハルファン失礼でしょう!わたくし、ちゃんとアドバイスできますわ」
そういう問題ではない。ナナリアには伝わらなかったが、男と女の話だと匂わせたことに問題があるのだ。
それを言われてヴァロはまたしょげた。つい本気で相談してしまったが、ナナリアは何の事情も知らないのだ。大体においてまだ幼いナナリアに本気でアドバイスを求めた事に気が付いてますます情けなくなる。
「すみません…」
「もう!ファンが余計なこと言うから!」
「お嬢様!私は間違った事は…」
「いいからそこに立ってなさい!これは命令ですわ!」
「っ…!」
命令と言われればハルファンは従うしかない。だが一言、これだけは言っておきたいとヴァロの耳を引っ張ってナナリアに聞こえないよう囁く。
「これ以上お嬢様に余計な事を言ったら、侯爵様にも全部話すからな!」
「わ、分かってます!すみません!」
ヴァロだってもう誰かに責められるのは嫌だ。責められるのはしょうがないと思っているが、好き好んで罵られたいわけじゃない。
それにハルファンの言っている事も十分わかっているつもりだ。相談することが間違っているという事も。だけれど自分とは違う視点で助言をくれるナナリアが、今のヴァロにとっては重要だった。
背筋を伸ばして両手を膝の上に乗せる。それに頷いて、ナナリアは口を開いた。
「いいかしら、ヴァロ。相手の気持ちを考えるのに、男女差は関係なくってよ」
「そ、そういうものですか?」
「ええ。お母様は、相手の気持ちに立って想像することが大切だっておっしゃっていたもの。ヴァロはナハトと一緒に冒険者をしていたのでしょう?だったら、ナハトの考え方や気持ちもきっとわかるはずだわ」
「なるほど」
「それにね…」
少女の至極まっとうなアドバイスを真剣に聞く大男。それを壁際に立った状態で見ながら、ハルファンはなんとも言えない気持ちで隣に立つジェーンに問いかけた。
「ジェーン。あなたは止めないのですか?」
「止める必要はございませんでしょう。お嬢様にとって、お二人の仲が良くないというのはとても重要な事のようですから」
そうは言うが、ヴァロはナハトを襲ったのだ。ナハトが許したと言ってもやったことは変えられない。ナナリアに説明せずに引きはがす事は、ハルファンに対して無用な誤解を生む可能性があるため仕方なく会わせただけであって、本来ならヴァロと会わせたくはなかった。
だからハルファンはジェーンの言いたいことは分かったが、頷く訳にはいかなかった。
「ですが…!あなたはナハトの世話をしたのでしょう?なのにそんな事を言うのですか?」
「あの方が彼を許すと仰いましたから。ハルファン、あくまでこれはナハト様とヴァロ様の問題です。わたくしたちはそれを知ってしまっただけで、当人たちの問題なのですよ」
にっこり笑ってそう言ったジェーンは、新しい紅茶を入れるためにポットを持ってナナリアの方へ向かった。
ハルファンは小さくため息をついて、それでもヴァロの動向に目を光らせるのであった。




