第60話 ウィラード王への謁見
「こ、国王陛下…」
扉を開けたのはまさかの国王ウィラードだった。コルビアスは執務室にいるウィラードに会いに来たのだから何も間違いではないのだが、どうして国王が自ら扉を開けて出迎えると思えるだろうか。
思わず呟いたコルビアスの声に反応して、一斉に全員がその場に膝をつく。
「このような場所から御前に拝謁した事、お詫びの言葉もございません」
「よい」
慌てたコルビアスの挨拶に、ウィラードは短くそう返すと扉を大きく開けて続ける。
「おまえたちが来るのは分かっていた。中へ入れ。話しはそれからだ」
どこか疲れたような様子でウィラードは扉から離れ、執務室の椅子へと戻った。コルビアスと視線を合わせたリューディガーが立ち、まず中へ入る。部屋の中は薄暗く、驚いたことに本来いるはずの近衛騎士と宰相の姿がなかった。部屋の中にいるのは国王ウィラードだけである。
通路から入ってきたとき同様部屋の中に入ったコルビアスは、驚きながらも問いかけた。
「陛下。ディミトリ宰相と、近衛騎士の姿が見えませんが…」
「お前が来るとわかっていたからな。外で待たせてある」
「そ、そうでしたか…」
ウィラードは先ほどと同じ言葉を繰り返したが、腑に落ちない様子のコルビアスを見て先ほど入ってきた扉の方へ視線を向けた。そこは屋敷の扉同様もうただの壁になっているが、上部に灯り用の魔石を置くための燭台のようなものがある。
「お前の屋敷と、ここを繋ぐ通路は特別でな。使用されると明かりがつくようになっているのだ。…それで、ここへは何をしに来た?」
ウィラードの問いに、ナハトとコルビアスは眉を潜めた。
コルビアスはマシェルで連れ去られ、この2か月余りの間まったく行方が知れなかった。マシェルと王城、それぞれで騎士団が動き、それをリステアードが指揮して捜索にあたっていたはずだ。それは国王であるウィラードならば知っていて当然だが―――そう思って、ナハトは一つの予測にたどり着いた。
(「私たちが無事だと知っていたのだな」)
そうでなければ出てこない問いだ。いつから、どこから、どうやってかは分からないがある程度は筒抜けであったという事だろう。
ナハトは心内で息を吐いた。これではどこまでの事が国王に共有されているかわからない。感じ取ることも出来ない”誰か”の存在を感じて、ナハトはほんの少し目を伏せた。
それをみたウィラードが面白そう方眉を上げて口を開く。
「おまえは何か気づいた様子だな」
「…そうなのか?な…れ、レオ」
旅の最中ずっとナハトを偽名ではなく本名で呼んでいたから、コルビアスはうっかりナハトと呼びかけて慌てて言い直した。
しかしそれを見たウィラードは低く笑う。
「よい、好きに呼べ。全員に発言を許そう。そこのおまえはレオでもシトレーでもなく、ナハトというのだろう?そちらはヴァロであったか」
「えっ…!?」
「……やはり、すべてご存じなのですね」
国王本人がいいと言っているのだからと、ナハトはそう呟いた。「レオでもシトレーでも」とわざわざ口にしたところを見ると、国王自身が出席していない舞踏会についても情報を正確に得ている。それならば隠しても意味はないが、”どれほどまで知られているのか”は確認する必要がある。
シトレンに目で制されるも無視し、ナハトは続けた。
「どこまでご存じなのですか?」
「随分肝が据わっているな…。まあいい。話してやるからまずは全員座れ。あまり時間をかけては外にいる近衛騎士らが入ってきかねない」
「…わかりました」
古びた通路を通ってきたため、少々埃のついた服を掃う。コルビアスが座るのを待って全員が席についた。
ウィラードはそれを確認すると椅子に深く寄りかかって口を開いた。
「国王には近衛騎士団以外に代々仕える私兵がいる。王ではない者にそれ以上明かすことは出来ないが、その者におまえの事を探らせていたのだ。コルビアスよ」
「どういう事ですか…?」
ウィラードの話では、ナハトとヴァロが雇われるずっと前から現在まで、コルビアスには王の私兵が付けられていたらしい。そんな長期間つけられていたこともそうだが、リューディガーすら気付いていなかった事実に驚きを隠せない。
だがナハトらが気になるのはそこではなかった。コルビアスとナハトが苦労して旅をしていた時も、なんなら攫われた時でさえ付いていたという事だ。だというのに私兵はコルビアスを助けなかった。それが疑問である。
コルビアスもそう思ったのだろう。眉を顰め、一度息を吐いてから口を開く。
「…私とナハトは、攻撃され、死にそうな目にもあいました」
「そのようだな」
「町へ入るにも忍び込むしかなく、金銭も…服を売って、ぼろぼろのものを着て過ごしました。常に命の危機を感じ、保護を求めることも出来ませんでした。それなのに…その者は見ていたという事ですか!?」
「そうだ。私がそう指示していたからな」
「…何故ですか!?」
コルビアスはその見た目上王族として認められないのだと思っていた。それはコルビアスにはどうしようもない事であったし、リステアードやニフィリム、肖像画でしか見たことがない祖父や曽祖父に至るまで全員が同じ髪色、目の色、肌の色であったからしょうがないのだと、そう思っていた。
それでも父であるウィラードには直接危害を加えられたことはなかったし、たった数回の会話であるが、コルビアス自身を慮った言葉をかけてくれていた。だからコルビアスは、認められていないが王の子であると―――王子と認められなくとも、王自身の子であると思ってもらえていると思っていた。そう自身に言い聞かせていたのに―――。
「陛下にとって、僕はいらない王子なのですか!?」
声を荒げることも、人前で泣くことも王族であるならばしてはならない。
だが我慢することなど到底できなかった。ここへ来たのも、無事戻ったことを見せれば喜んでもらえると思っていたからだ。そんな風に思った自分が恥ずかしく情けなくて、コルビアスは奥歯を噛みしめる。
その時、突然ウィラードが低く笑った。
「なるほど…そう考えるか」
呟いたウィラードの目は少し悲しそうに見えた。目を伏せて、あきらめにも似た表情の彼に、それにナハトは強い違和感を覚える。
(「なんだ?今の表情は…」)
ナハトにはウィラードが酷く悲しんでいるように見えた。もしそれが正解なのであれば、コルビアスの言っている事と彼の思惑とがずれているという事だ。それが何なのかナハトには分からないが、彼らは確実に行き違っている。
するとそこで予想外の人物が立ち上がった。
「…否定されないという事は、お認めになるという事ですか」
シトレンはそう言ってコルビアスの前に立った。シトレンは貴族の位に厳格で、リステアードやニフィリムがコルビアスに無体をはたらいた時も止める事はなかった。後になって手をまわしたり対策を練ったりしたが、今のように主の前に立つことはなかったのだ。
そんなシトレンのまさかの行動にナハトもヴァロも驚いて顔を上げる。
「あんまりではないですか。コルビアス様は、幼い時からご自分の環境を受け入れてこられました。味方もいない敵ばかりの環境の中で、必死で過ごしてこられました。学院の成績だって素晴らしいものです。他にもいくつも功績はございます。そうして努力されてきたコルビアス様に、何故そんな非道な行いが出来るのですか!?」
肩で息をする彼は怒りに顔を染めていた。不敬をはたらいている事に対する恐怖のあるのだろう。握りこんだ拳は震えている。
しかし―――今その勇気はおそらく間違いだ。国王のなさりようは確かにあんまりだと思うが、それにしては疑問がまだ残る。それをどう伝えようかとナハトが悩んでいると、言われっぱなしであったウィラードは立ち上がった。
「コルビアス、来なさい」
「…嫌です」
せめてもの反抗か、コルビアスは視線も上げずそう言った。その行動に、ウィラードはまた悲しそうに”笑う”。
それでナハトも気が付いた。俯いたコルビアスの肩に手を置き、口を開く。
「コルビアス様、陛下の元へ行ってください」
「な、ナハト!?」
「何を言うのですかあなたは!」
ヴァロとシトレンが騒ぐがそれも無視し、ナハトはコルビアスと視線を合わせる。コルビアスも大分気持ちが後ろ向きだ。視線を逸らし呟く。
「ナハト、僕は…」
「コルビアス様が私を信じてくださるならば、今は陛下とお話した方がよろしいと思います」
「あなたは何を…!」
シトレンが止めに入ろうとするが、コルビアスは小さく頷くと立ち上がった。シトレンを視線で制して、ウィラードの元へ向かう。
「……」
一度否定されたから近づくのには勇気がいった。嫌な気持ちも悲しい気持ちも、足を進める度にじわじわ床から這いあがってくる感じがする。重い足をすすめながら、コルビアスは執務机の向こうで座っているウィラードの方へ回り込む。
そうして顔を上げて―――違和感を感じた。
(「何かおかしい…」)
その違和感が何なのかわからないまま足を止めると、ウィラードはもっと近づくよう言う。少しの不安を抱いたまま、手招きされるがままに、コルビアスの足でもう1歩分の距離まで近づいた。
すると、それまで手招きをしていた腕がコルビアスの頭に伸びてきた。反射的に目を閉じたコルビアスだったが、頭に感じる感触に思わず瞬く。
「…まだ、成人すらしていないのだったな」
「へ、陛下…?」
コルビアスもシトレンらも戸惑うばかりだったが、ナハトはウィラードの行動で確信した。やはり彼はコルビアスの事を”守ろう”としている。大切に思っている。
「あの…」
「コルビアス様。もう一度お尋ねになっては如何でしょうか?」
「えっ…何を?」
「どうしてコルビアス様に私兵をお付けしていたのかをです」
ナハトの言葉に、コルビアスはまた瞬いて自分を撫でるウィラードを見上げた。先ほどまで悔しくて悲しくてしょうがなかったのに、今は自身に向けられる暖かい視線と手に戸惑いを隠せない。意味が分からなくて混乱する。
それでもコルビアスは言われた通り問いかけた。恐怖はあるが、コルビアス自身知りたかったからだ。ウィラードの言葉の意味を。
「陛下、何故僕に私兵をお付けになっていたのですか?」
「……おまえを、守るためだ」
ほんの少し言い淀んだが、ウィラードは今度ははっきりとそう口にした。
「守る…ため?」
「そうだ」
頷いて、ウィラードはゆっくりと話し出した。
コルビアスは生まれた時に母を無くしていたため、現王妃のマルヴィナを母として育った。だがそれは母性などではなく、王族とかけ離れた外見を憐れんでの事であった。かけ離れた外見である事が、コルビアスが王位を脅かすものではないと思われていたからだった。
だが、実際はそうではなかった。
「おまえは覚えていないだろうが…3歳の時であったか。まだ字も教えられていないおまえが、ニフィリムの課題の間違いを指摘したのだ」
教えられることなくコルビアスは字を覚え、読むことが出来ていた。本や周囲の大人の言葉を理解し、覚えることが出来てしまっていたために、ニフィリムの課題の間違いに気づいてしまったのだ。
その結果、コルビアスは3歳にして頭の良さを周囲に、王妃に知られてしまった。聡明さに目を付けた一部の貴族たちが、コルビアスを今教育すれば素晴らしい王になると、そう言いだしてしまったのだ。
「だから…マルヴィナ様は私をお嫌いなのですね」
「あれはリステアードとニフィリムの母だ。自分の息子らを王にと望むのは仕方がない事なのだ」
渋い顔をしている事からするとシトレンらは知っていたのだろう。それに気づかないほど、コルビアスはウィラードの言葉に耳を向ける。
「薄情だがな。私は周囲の評価と反対の事をするのが恐ろしかったのだ。おまえはその外見から王族ではないと言われていた。おまえの聡明さを知ってかつぎ上げていた貴族も、結局はおまえの外見を理由に離れて行った。それに反して行動することが恐ろしかったのだ」
「…それで、私に私兵をお付けになったのですか?」
「そうだ」
王に出来るのは、王にのみ許されたその私兵を動かす事だけ。他の誰にも知られていない事であるからこそ出来た事だった。そうしてウィラードはコルビアスの様子を探らせ、時に守るよう言っていたのだそうだ。
「だが、その者たちが来たことで少し様子が変わった」
ウィラードが見たのはナハトとヴァロだ。突然向けられた視線に、2人して息を呑む。
「おまえは平民である彼らと関わることで、己の未熟さや足りなさを知っただろう。身分差や、それによる問題にぶつかりながら、周囲の助けを借りて成長していった。それを見て私は考え方を変えたのだ。…おまえは、よい王になれるかもしれないとな」
「っ…!?」
コルビアスは上げそうになった声を必死に抑えた。拳を握って堪える様子に、ウィラードは笑ってまたコルビアスの頭を撫でる。
「私兵に何もしないよう命じたのは、おまえの成長を願ったからだ。辛かったことも、恐ろしかったであろう事も知っている。だが、だからこそおまえは私の元へ来ようと…王になりたいと願うようになったのだろう?」
コルビアスは頷く。その通りだった。あの旅がなかったら、攫われなかったら、コルビアスはリステアードの下で彼のために一生を使うことを躊躇わなかだろう。この国の成り立ちも、精霊の事も知ることはなかったはずだ。
そこまで期待されていると思っていなかった。それだけに震えるほど嬉しい。
「おまえは私の予想よりも立派になって帰ってきた。だから、おまえがまだ幼い子供であることを忘れていたようだ。…許してくれ」
「父上…!」
生まれて初めて、コルビアスはウィラードをそう呼んだ。少しの気恥ずかしさがあったが、それよりも呼べることが嬉しかった。戸惑いがちに引き寄せられ、抱きしめられて頭を撫でられる。それがこんなにも嬉しい事だったとは、コルビアスは知らなかった。
その後は速やかにこれからの事が話し合われる事となった。
まずはコルビアスの帰還に関して。これは公にすることでコルビアスを攫った者たちが逃げる可能性があるので、ぎりぎりまで伏せられる運びとなった。といっても、止められるのは平民相手にだけである。劣等種らの捕縛の指揮はコルビアスがとることになったため、貴族への周知は止めることが出来ないのだ。
「おまえは実績が少ない。今は一つでも実績を増やし、派閥の貴族を増やしなさい」
「はい、陛下」
それからナハトの手配について。
依頼が達成されない場合は、特別な事がない限り依頼者自身が取り下げる必要がある。その為これに関してはリステアードからマシューに頼み、マシューから父であるクリストル伯爵に取り下げてもらう必要があるのだ。これは貴族とギルドとの契約によるところなため、ウィラードが命令しても取り下げることは出来ない。
ただこれには一つ問題があった。コルビアスがリステアードを疑っているという事だ。
「…陛下、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「許す」
「陛下は、私が良き王になれるかもしれないと仰いましたが…リステアード様についてはどう思われているのでしょうか?」
リステアードは今23歳で、結婚もしている。相手は侯爵令嬢で、王妃としての素質も十分な方だ。まだ子はいないが執務をとるようになって久しく、経験も豊富である。
コルビアスは今回の事で疑いを向けているが、父であり国王であるウィラードがどう考えているのか聞きたかった。王子全員に私兵を付けている可能性も考えていた。
だが、コルビアスの問いにウィラードは眉を寄せる。
「おまえの言いたいことは分かっているつもりだ。だが、それに答えることは出来ない」
「な、何故ですか?」
「答えをもっていないからだ」
ウィラードはそう言って机に肘をつく。
「私の目から見てもリステアードは優秀な王子だ。だが、私はリステアードが何をしているのか、どこを目指しているのかが分からないのだ」
ウィラードはコルビアス同様、リステアードやニフィリムにも私兵を付けていたことがあったそうだ。だが分かり易いニフィリムや、人が極端に少ないコルビアスと違ってリステアードは周囲の人間が多い。派閥も大きく、警戒心も強いリステアードの周囲を探ることは、王の私兵といっても簡単にはいかないらしい。
「リステアードが成人してからは、私はその行動に関与していない。知りたいのであれば、コルビアス。おまえ自身がぶつかっていくしかない。良いか、王になれるのはたった一人なのだ」
”王になれるのはたった一人”わかってはいたが、現国王であるウィラードから言われるとその言葉の重みは一入だった。
結局のところ、リステアードについてはコルビアス自身でどうにかするしかない。情報を集めるのも探るのも、これから王を目指すのであれば避けて通れない道だ。コルビアスは拳を握って、「はい」と短くも力強く呟いた。
話がすべて終わるとコルビアスらは元来た扉から屋敷へと戻った。ウィラード以外いなくなった部屋に、一つの人影が音もなく入ってくる。
「…何かわかったか?」
「申し訳ありません。証拠らしきものは何も見つけられませんでした」
「そうか…」
報告を聞いて、ウィラードは深く椅子に寄り掛かった。息を吐くとどっと脂汗が額に溢れる。
「陛下、やはりご無理を…」
「いい。またいつ動けなくなるかわからぬのだからな」
ウィラードに持病はないが、どうしても治す事の出来ない病にも似た症状があった。数年前から定期的に酷い節々の痛み、頭痛や嘔吐、腹痛、関節の痛みなどが出るようになっていた。何度も医師や薬師に見てもらったが原因は分からず、そしてそれが酷くなると数日から数週間意識を失うのだ。
「毒を盛られているだろうという事は分かっているのに、その原因も、方法もわからぬとはな…」
ウィラードはこの症状の原因が毒物であると感じていた。
だから毒見の数も回数も増やし、口にするものには細心の注意を払ってきたが、一向に症状がなくなることはない。先日もおよそ2週間ぶりに目を覚まし、痛む体をおして執務を行っていた。
そうしなければ、気が付かないうちに城内が掌握されてしまうからだ。第一王子であるリステアードに―――。
「それでも、リステアード様のお名前は出されないのですね」
「…あれも私の息子だ。証拠もないのに疑うことは出来ぬ」
「……申し訳ありません」
「よい。もう下がれ」
返事もなく人影は消えた。
ウィラードは流れるほどの汗を拭うと、執事を呼ぶためのベルを鳴らした。
ウィラードがコルビアスの誕生日に通路を教えたのは、コルビアスが会いに来てくれることを願ったからです。
ウィラードがコルビアスを訪ねる事も出来ますが、王という位である彼には様々な制約があり、簡単には叶いません。
教えたのだから来てくれるかなと、実はずっと楽しみにしていました。
コルビアスは外見がおかしいから王族とは関係ないということで遠ざけられていました。
そのコルビアスと現王のウィラードが会う事は想像以上に難しかったのです。
節目の7歳の誕生日にやっと会え、その後の夕食会では優秀さを知った貴族らの後押しが増えたことも追って叶いました。
その後はリステア―ドらを毒から救ったという事で、夕食会への参加を認められた次第です。




