第56話 ダンジョンからの脱出
王たちとの話から1日、ビルケらの説得もあって光の王と水の王、大地の王の協力も得られるようになった。
それに合わせてビルケらにナハトたちがいない間に魔力運用について何かいい案は浮かんだかと聞いてみたが、その中で最も現実的であったのが、ナハトが複数の精霊と契約を行うというものであった。
「おまえが魔力を使えないかと言っていただろう。フィオーレがおまえと繋がることによって魔力を使う事を覚えたのであれば、一時とはいえ契約を行えば魔力を魔術として使えるようになるのではないかと考えたのだ」
「確かにその可能性はありますね…。ですがそのまえに1つよろしいですか?」
「なんだ」
「複数の精霊と契約と破棄を行う事によって、何が起きますか?」
また後出しさせれてはたまらないが、「何か問題が出る可能性があるか」と聞いたところであちらの当り前であればまた答えてもらえない可能性がある。そのためナハトは起こることをすべて話してもらえるようそう問いかけた。
(「魔力過多による体調不良くらいですめばいいが…」)
そうナハトが思っていると、ビルケとヴィントは考えるそぶりも見せず首を横に振った。
「何もない。我らと人間の間に魔力での繋がりを作るだけだ。契約自体には何の影響もない」
「…本当でしょうね」
「うふふ、大丈夫ですよ。気になるようでしたら、今ビルケと契約をしてみますか?」
「それならば信じられるでしょう」と言うフィオーレに、ナハトとビルケは驚いて顔を見合わせた。確かに何か問題があるのなら、契約を行うのが人間の赤子という時点で問題になっているだろう。何よりフィオーレが大丈夫だと言うのなら信じられなくもないが―――とてもじゃないがビルケは頷かないはずだ。
しかし予想に反してビルケはナハトを見た後、小さく頷いた。それに一番驚いて、目を見開く。
「ビルケ、いいのですか?」
「かまわぬ。何かあれば破棄すればよいのだ」
「…わかりました」
良いのなら、一度試してみてもいいだろう。それでビルケが魔力を使う感覚を覚えられるのならやってみる価値はある。
契約自体はとても簡単な手順であった。ナハトの臍の下あたり、魔力はそこを中心に広がっているのだが、そこにビルケが触れるだけでいいらしい。
許可は出したものの、ビルケの手がナハトの腹に埋まっていく様子はなかなかに衝撃的だ。光の王と水の王が顔を顰めるが、そうしたいのはナハトの方である。視覚情報から込み上げてくる吐き気を飲み込みながら、契約の終了を待つ。
「…完了した」
「っはぁ…」
手が抜いたビルケがそう呟くと、やっとナハトは息を吐きだした。そんな必要はないのだが、手が埋まっていく様子を見て自然と息を止めてしまっていたのだ。だがナハトの緊張とは反対に、驚くほど呆気なく契約は終わった。
ナハト自身には何の変化も感じられず、ナハトは思わず腹をさすりながら指先で魔力を扱ってみた。魔力の流れにも違和感はない。
だが―――。
「…ふむ。確かに、得る物はありそうだ。ナハト、そのまま魔術を使い続けよ」
「えっ…わ、わかりました」
ビルケはそうではなかったようだ。目を閉じて何かを感じ取ろうとする様子に、ナハトも言われた通りに魔術を使う。大きな魔術を使うのではなく、指先に花を咲かせ、枯らしてを繰り返す単純なものだ。
すると少しだけ腹のあたりが熱くなった感じがして首を傾げる。
「ビルケ、いけませんよ。わたくしたちはあくまで魔力的繋がりを作るだけ。そのように内側から干渉しても、魔力の使い方を知る事はできません。それどころかナハトの魔力に影響が出てしまいます」
「…理解した」
どうやらビルケが魔術をより詳しく調べようとと、内側からナハトの魔力に干渉したらしい。内側からの魔力の干渉というのがどういう事なのか気にならなくはないが、深く考えると気持ちが悪くなりそうなので途中で思考を放棄する。
「…とりあえず、何かつかめましたか?」
たったこれだけで何かわかったとは思えないが、話しを変えるつもりでナハトはそう問いかけた。ヴィントも肩に降りてきて、光の王と水の王も興味深そうにビルケを見る。
周囲の視線を受けて、ビルケはしばし手を開いたり閉じたりしていたが———。
「ふむ。こうか」
「えっ…」
ビルケはナハトと同じように前に出した右手に花を咲かせた。かなりやり辛そうにしてはいるしたどたどしくはあるが、フィオーレが難しいと言っていた魔術を瞬く間にできるようになってしまったことに驚きを隠せない。現にフィオーレは驚いた顔をした後拗ねてしまった。ナハトの背中に張り付いて、アッシュのように頭を擦り付けてくる。
「…ビルケも魔術を使えるのなら、精霊の魔物化の対処も出来そうです。フィオーレが教えてくださったおかげですよ」
「……こんなにすぐ出来てしまうなんて…まるでわたくしの物覚えが悪いみたいではありませんか…」
「そんな事はありません。あなたが魔術を使えるようになっていなければ、そもそもこの案は出てくる事すらなかったのですから」
下手に慰めずにそう声をかけると、フィオーレは拗ねたままナハトの背中に抱き着いた。肩にいたヴィントや光の王らが何とも言えない顔でフィオーレを見るが完全に無視である。
「と、とりあえず魔力が使えるようになったのでしたら、契約の破棄を行いましょう。ビルケ、やり方を教えてください」
後日フィオーレとも行うのだし、”魔力を使う感覚を知る”という第一の目標は達成されたのだからビルケとの契約はさっさと破棄するに限る。ナハトが問いかけると、ビルケは両手を前に出し口を開いた。
「両の手を我のものと合わせよ。そしてこちらの手から我に向けて魔力を流せ」
「わかりました」
ナハトは右手の指に傷をつけてビルケの右手のひらと合わせた。左手はそのままでいいのかと合わせると、左からはビルケの魔力が流れ込んでくる。途端に体が熱を帯びたように熱くなり、ピリリとした痛みが走る。
「いつっ…!」
「早く魔力を流せ」
言われるがまま魔力を流すと、ふっと痛みと熱が軽くなった。左手から流れ込んでくる魔力に違和感を覚えないのは、ナハトの魔力にビルケの魔力が混ざっているからだろうか。ぐるぐると体内を魔力が駆け巡るのを感じ、その魔力がナハトが魔力を流す右手からビルケへ戻って行く。
そうしてしばらく魔力を流し続けていると、突然魔力がさらさらとした水のように感じられるようになった。それに水の王が「あっ」と声を上げる。
「気が付きましたか?」
「うむ。緑の王の魔力がそれの体内から消えた」
「その通りです。これが契約の破棄です」
「なるほど…」
今度はナハトにもその感覚がわかった。明らかに体の中をめぐる魔力に変化が生じたからだ。ビルケが手を離し、それで契約の破棄は終了ということらしい。
ナハトは一応体に不調がないか調べてみるが、体にも魔力にも特に変化は見られない。本当に複数契約を行っても問題はなさそうだ。この調子で契約を行えば、ビルケほどとはいかずとも、魔力を扱える精霊は増やせる可能性がある。
「これほど簡単にできるとは思ってもみませんでした…。せっかくですから、他の精霊とも契約をやってみましょう」
次はいつ来れるかわからないし、今もそう長くは滞在できないのだ。だから少しでも出来ることを終わらせようとナハトはそう言ったのだが、フィオーレは首を横にふる。
「いけません。短時間での契約とその破棄は、体に負担を強います。それに、ナハトはわたくしたち緑の適性がある者。他の特性との契約は出来なくはないですが、体にかかる負担は大きく増えます。またの機会にした方がよいでしょう」
「そう…なのですか?」
そこまで体には違和感を感じていなかったナハトは後ろにいたフィオーレにそう問いかけたが、瞬間かくんと膝が抜けた。フィオーレが抱えるように支えてくれたため事なきを得たが、いてくれなかったら転んでいただろう。
「今は同特性のビルケとの契約と破棄でしたから、すぐに回復するはずです。ですが、他の王や精霊たちとの契約はまた後日にした方がいいでしょう。しばらく動けなるかもしれません」
「…あの小さいのは駄目なのか?」
フィオーレの言葉に被せるように言ったのは水の王だ。コルビアスは水の魔力特性であるから同特性の水の王にはわかったのかもしれない。何の問題もないのであればコルビアスに許可を取って行ってみてもよいかもしれないが、フィオーレはこれにも首を横に振った。
「水の王。我らと契約が出来るのは、ナハトと同じ種族の者だけです。他の種族とは魔力が合わないのです」
ナハトには違いは分からないが、契約というのはお互いの魔力に干渉するものであるだけにそもそもの魔力の質は大いに関係するらしい。という事はナハトだけで契約自体はまわしていかなければならない。これは体力的にも相当時間がかかりそうである。
「ゆっくりで良いのです。まずはわたくしとビルケで精霊界の魔力を少しでも薄めることが出来るようやってみましょう」
「いいだろう」
フィオーレの提案にビルケは不遜にも見える態度で頷いた。
事態が動いたのは3日目の夜であった。夜と言ってもこの場所は日の出入りがないので分かり難いが、眠ろうと寝床を準備していた時にそれは起きた。ノジェスからの出入り口の方から魔力の光が上がったのだ。
ただ魔力を打ち出しただけのそれは、主に狼煙しとしてや山など視界が悪い場所での待ち合わせなどに使われる物で、使い捨ての魔道具としても存在している。ダンジョンで上がる場合は助けを求めていたりすることがほとんどだが、今回のそれは上がった場所が出入口の世界樹付近であることに意味がある。
(「とりあえず手紙は受け取ってもらえたようだな…」)
魔力の光が上がったことが、ナハトの手紙が無事フレスカまで届いていたことを意味していた。そのことにまずはほっと息をつく。
「コルビアス様、準備をしてください。急ですが、これからここを出ます」
「え…わ、わかった」
眠る準備をしていたコルビアスは、ナハトの言葉にすぐさま荷物をまとめだした。一座にいた時から繰り返し自分の事は自分でやるよう根気強く教えていたため、今では身支度くらいは出来るようになっている。
その間にナハトはフィオーレとビルケ、ヴィントに声をかけた。呼びかけに答えて姿を現した彼らに、急遽ここから発つことを伝える。
「今すぐとは…おまえはいつも騒がしい」
「それは申し訳ないとしか言いようがありません。またすぐにとはいきませんが、外の事を片付けて必ずまた来ます。それまでビルケとフィオーレは、可能なら他の王たちに口頭で魔力の使い方を教えてみてください」
「いいだろう」
「わかりました」
そして荷物を早々にまとめ、待機していたアッシュに荷物を括り付けた。そのまま簡単に別れの挨拶をすませると、フィオーレが飛び出してきてそっとナハトを抱きしめた。
「あまり危ない事ばかりしてはいけませんよ」
「わかっています。…ありがとう」
離れると、フィオーレは今度はコルビアスを抱きしめた。慌てる彼に、フィオーレは囁く。
「あなたも気を付けるのですよ、人の王の子。たくさんお話ししてくれて楽しかったわ」
「…僕からも礼を言う。ここでの経験は得難いものだった」
そう言ってコルビアスはフィオーレの手を握った。ビルケとヴィントにも軽く頭を下げ、アッシュに跨る。
「それでは」
ナハトもコルビアスの後ろに跨って、そのままアッシュを走らせた。離れていく巨木を振り返り、コルビアスはビルケらの姿を目に焼き付けた。
魔力の光が上がった場所から少し離れたところに降り、ナハトとアッシュでコルビアスを挟むようにして警戒しながら進む。細かい打ち合わせはしていないが、ここだと言わんばかりに気配を振りまく冒険者が一人、森の中にいるのが分かる。
コルビアスにアッシュのそばを離れないよう言い含め、ナハトは一度その場を離れた。そうして目的の人物に近づくと―――。
「そこっ!」
「っ!」
飛んで来た短剣を避けて、ナハトはその人物の前に転がり出た。短剣を投げた彼は、近づいたのがナハトだとわかって声を上げる。
「あ、あらやだぁ…ナハトちゃんだったの?気配抑えて近づくからアタシ敵かと思っちゃって…」
そう言って駆け寄ってきたのはフェルグスのパーティの魔術師であるナッツェだった。フレスカが声をかけるとしたら彼だと思っていたのだが、万が一という事もある。手紙のやり取りが出来なかったために、ここに誰が来るかは今の今までわからなかったのだ。
「大丈夫?怪我してない?」
「大丈夫です。驚かせてすみません、ナッツェさん…」
「いいのよ。それより早く移動しましょ。フレスカから話は聞いてるから」
「ありがとうございます」
ナハトは少しだけナッツェに待ってくれるよう言って、コルビアスとアッシュを連れて戻った。コルビアスは女性の格好をした大柄なナッツェに瞬いていたが、何も言わず軽く頭を下げる。
「可愛い男の子ね。アタシはナハトちゃんのお友達のナッツェよ。あなたの事は何て呼べばいいかしら?」
「……コルと、呼んでくれていい」
「わかったわ、コルちゃん」
「コル…ちゃん?」
ナッツェはフレスカから話を聞いていると言っていたが、コルビアスの事やその行動に対して何かいう事はなかった。ナハトの知り合いの子供という態度で接し、コルビアスもそれに応えるように偽名を名乗る。
「じゃぁ早速だけど、2人とも防寒具持ってきたから着てちょうだい。着ながらでいいから今からいう事をよく聞いてね」
アスカレトで買ってきた防寒具よりもしっかりとしたつくりのそれに袖を通しながら、ナハトとコルビアスはナッツェの話を聞く。
ナッツェの話では今外の警備を行っているのはフェルグスとクルム、それともう2人の赤等級冒険者らしい。ナハトらの準備が出来たらまずナッツェが外に出る。そうしてフェルグスとクルムに合図を出し、2人がそれぞれ赤等級冒険者の気を逸らす。その間にナハトはコルビアスを連れて木の裏手へ回り、そうしてそこから壁を越えたらダンジョンギルド近くに止まっている馬車に乗り込んで、フレスカの店を目指す手はずになっているそうだ。
「他の町はどうか知らないけど、ノジェスではまだそこまでナハトちゃんの悪行は出回ってないの。とはいえ馬車までは少し距離があるから、出来るだけ顔は隠して言った方がいいわ」
「わかりました」
フレスカへの手紙にはノジェス経由で戻る事。出来ればダンジョンを出る手助けをしてほしいという事だけ書いておいたのだが―――ナッツェはまだしも、フェルグスやクルムも協力してくれて、ギルド近くの馬車で待っているのはおそらくラルバか誰かだろう。”悪行”という事はナハトに手配書はここにも回っているはずなのに、何も言わずにナハトを助けてくれる。
それがとても有難くて頭が下がる思いだ。
「…本当に、ありがとうございます」
「気にしたらダメよ?お礼なら後でいくらでも受け取るから」
「ふふ、わかりました」
準備が出来たらナッツェに荷物を預けて巨木の中へ入った。先にナッツェが出て外を伺い、ナハトはコルビアスの手を握って彼からの合図を待つ。
ほんの少しして、虹色の膜の向こうからナッツェの手が伸びて来た。出てくるようにというサインに従って外へ出ると、刺すような冷気に一瞬視界が凍る。だがそれに怯む間もなく巨木の裏手へ走った。フェルグスやクルムの姿を探すことはせず、自身らの姿を隠すことのみを優先して走る。
裏手にまわると、ほんの少しだけ周囲の様子を探った。するとどうやったのかフェルグスとクルムだけでなく赤の冒険者2人も木から少し離れたところにいて、こちらには全く意識が向いていない。出るなら今しかないだろう。
ナハトはすぐさま壁へ蔦を伸ばした。急いで登り、上から蔓を伸ばしてコルビアスを引き上げる。そうしてふかふかな雪の上に着地して周囲を見渡すと、ダンジョンギルドから少し離れた場所―――そこに馬車が1台止まっていた。
念のため他にないかあたりを探してみるが、あるのはその1台だけのようだ。雪をかき分けて進んでいくと、馬車から見覚えのある初老の男が下りて来た。この雪の中でも少しの乱れのない髪と格好はラルバである。
雪に足を取られるコルビアスを引き上げながら必死に進み、そうしてやっと屋形へたどり着いた。雪を落とすこともせずに乗り込んでコルビアスを引き上げる。
「お疲れさまでした。すぐに向かいますので、短い間ですがおくつろぎください」
ラルバはそれだけ言って扉を閉め、すぐに馬車を出してくれた。ガタンと音を立てて進みだした馬車に、不安で心臓が高鳴る。うまくいきすぎではないか、本当に誰にも見られなかったのか、フェルグスたちは変な疑いをかけられていないだろうか―――。
肩で息をしていたコルビアスをそのままにナハトは周囲の気配を探ったが、ナハトの感知には怪しいものは引っかからなかった。それでも不安を払しょくできないまま、馬車はフレスカへの店へと向かった。
コルビアスはダンジョン内にいる間ビルケやヴィント、フィオーレとたくさん話をしていました。
それに関しては番外編で書きますが、コルビアスはカルストの日記を読んでいますので、それを含めていろいろ考えています。
特性のない精霊との契約をした場合、ナハトの魔力に他の特性が少しだけ混ざります。ですが契約を破棄したらその魔力はなくなります。




