第54話 フィオーレ
促されるまま作られた椅子に座ると、アッシュがナハトの足元に来て寝そべった。ナハトの正面に彼女も腰かけ、少し離れたところにビルケとヴィント座っているが、心なしか居心地が悪そうに見える。
今ナハトらが座っているのは、新芽のような柔らかい蔓や葉で出来た椅子だ。彼女が出したものだが、ナハトが見たこともない植物で出来ている。精霊界にのみに咲く植物かもしれない。
「あぁ、とても楽しみです」
まずは名前と彼女は言ったが、期待のこもった目で見られてどうするかと頭を働かせる。色んな感情に次々と襲われて落ち着かないが、話をするなら名前はあったほうがいいだろう。ビルケとヴィントと同じように考えて、ナハトは思いついた名前を口にした。
「ではフィオーレはいかがでしょうか。花を意味する言葉です」
「フィオーレ…」
彼女はナハトが呟いた名前を何度か繰り返し、目を閉じた。両手を合わせ、僅かに頬を赤くしながら嬉しそうに微笑む。
「嬉しい…ありがとうございます」
「そ、それほどに喜んでもらえて、良かったです」
「目を覚ましてから、ずっとビルケとヴィントが羨ましかったのです。2人とも、わたくしの事はフィオーレと呼んでくださいね」
そう言ってフィオーレは2人を振り向くが、ビルケとヴィントは「わかった」と言うだけで表情には特段の変化はない。
こうしてみると、ビルケらとフィオーレはあまりに違う。フィオーレは外見こそビルケとよく似ているが、表情が豊かで天真爛漫という表現がぴったりだ。言葉のやり取りもまるで人と話しているように感じる。
不思議な感覚に戸惑うナハトにフィオーレは微笑むと、ほんの少しの間をおいて口を開いた。
「まずは、わたくしを元の姿に戻してださってありがとうございます。あなたがこの子たちと辛抱強く話してくれたから…わたくしはここに戻ることが出来ました。本当にありがとう」
そう言ってフィオーレは頭を下げた。精霊に定例に礼を述べられた事にも驚いたが、頭を下げられた事にも驚いた。何より―――。
(「今彼女は”この子たち”と言ったか…?」)
ビルケたちを叱っていたからフィオーレの方が上位だと思っていたが、思っていた以上に彼らの間には差があるらしい。色々聞きたいことはあるが、まずは謝罪をするのが先だろう。
ナハトは首を横に振ると、フィオーレに頭を下げた。
「…私の不注意で犯してしまった事の責任を果たしたまでです。本当に…何と言ったら良いか…」
「ナハト」
呼ばれてナハトは顔を上げた。フィオーレはゆっくりとした動作で立ち上がると、ナハトの隣に座ってその手を取る。
「フィオーレ…?」
「先ほども言った通り、あなたのせいではありません。あなたの友人である、ヴァロ…でしたか?彼が言っていた通り、すべては人間界やそこに住まう人々を軽んじた、わたくしたち精霊の罪なのです。あなたではなくとも、いずれこのような結果になってしまっていたでしょう」
”ナハトで無くとも”というのは事実その通りなのだが、それでもこれはきっと一生納得が出来ることではないものなのだ。償う事も、責任も取れない。カルストがナハトを探して、一人村で一生を終えた事実も変わらない。
フィオーレがそう言ってくれるのであれば、尚更ナハトだけは己がやってしまったことの重さを覚えていなければいけない―――そう思うのだ。
ナハトはフィオーレの言葉に頷きも首を横に振ることもせず、一度目を閉じると手を引いて問いかけた。
「そういえばずっと見ていたと仰っていましたが、どういう事でしょうか?」
話を逸らそうとしたのが分かったのだろう。フィオーレは少しだけ悲しそうな顔をしたが、また柔らかく微笑んで口を開く。
「そのままの意味です。わたくしは実体を失いましたが、つながりを持つあなたの事や、精霊界の事は見ることが出来ました」
精霊はそもそも高濃度の魔力体である。フィオーレはナハトから逆流した魔力で実態を保てないほどに引き伸ばされ、核になる部分を除いてほとんどが精霊界の大気に霧散してしまった。だがフィオーレは実体がない状態でも意識があり、契約の繋がりからナハトをずっと見ていたのだという。
「その子…アッシュと言いましたか?彼は、魔力が逆流した時にわたくしと共にいた精霊界の生き物なのです」
「共に…?ということは、アッシュも…」
「ええ。わたくしと共に精霊界の大気に溶けていました。あなたの魔力は一部アッシュの魔力も混ざっているのですよ」
それでアッシュから似た魔力を感じたのだと納得がいった。ナハトが込めた魔力で出来た生き物だからだと思っていたが、本当は逆だったという事だ。ナハトの魔力がフィオーレとアッシュが混ざったともであったから、アッシュが生まれたのだ。
「そもそもこちらの冒険者が移動に使っている騎獣は、彼らの獣の部分が魔力に反応して具現化されたものなのです。ナハト、あなたの場合はあなたの中のアッシュの魔力が精霊界の卵に込められた…。だから、アッシュは他と違ったのですよ」
「ニャア!」
そうだと言わんばかりにアッシュは鳴いてナハトの頬を舐める。よしよしと頭を撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らして嬉しそうにまた鳴く。
「それでは…もしかして騎獣のように魔力を籠め続ければ、あのような事をしなくともあなたは戻れたのですか?」
ルイーゼに魔道具を作ってもらったりいろんな方法を試したりとしていたが、やっていたことが無駄であった可能性を感じてナハトはそう口にした。
だがフィオーレは首を横に振る。
「…それは難しかったでしょう。わたくしは精霊ですから」
うまく言葉に出来ないのか、それがすべてなのか―――フィオーレはそう言って眉を下げた。精霊であるのかどうかは、同じ魔力の集合体でああっても大きな違いがあるという事なのだろう。
そうナハトが納得していると、フィオーレは少しだけ居住まいを正して口を開いた。
「ナハト、大切なお話をしましょう。わたくしはずっとあなたを見ていました。それはあなたが目覚めてからだけではなく、わたくしがアッシュの中から目覚めるまでもずっとです」
「…はい」
「ですから、あなたの事情も分かっているつもりです。ここへ来た最大の目的は、契約を破棄する事ではないですよね?」
「なに!?」
フィオーレの言葉に反応を示したのはヴィントだった。ビルケも怒りを露わにナハトを見る。
「…はい」
「おまえ…約束を違えるのか…!?」
「そんなつもりはない!だが…今は出来ないのです。今はまだ契約を破棄するわけには…」
「黙れ!!」
ヴィントに怒鳴りつけられ、ナハトはびくりと肩を揺らした。ある程度彼らとの間には信頼関係を築けていたから説得できるかもしれないと思っていたが、ビルケらにとってはこれが一番の目的であったのだから怒るのも無理はない。
だがこれから敵だらけの場所へ向かう事を考えると、どうしても契約の破棄は出来ないのだ。どうするかと考えていると、フィオーレがビルケらに向かって制するように手を伸ばした。
「やめなさい。わたくしが良いと言っているのです」
「だが…!」
「黙りなさい」
少し怒りを含んだフィオーレの声にビルケとヴィントが狼狽えた。2人が視線を逸らすと、フィオーレはナハトと自分を緑の壁で半円状に覆う。一瞬薄暗くなったのだが、次の瞬間には光る蕾が地面から生え、柔らかい光で中を照らし出した。
「まずは、あなたの疑問に答えましょう。ナハト、私との契約を破棄したら魔術が使えなくなるかもしれないと心配していましたね?」
「はい…。現在の魔術師の話を聞いて、恐らく大丈夫なのではないかと思っていますが…」
「その通りです。わたくしとの契約を破棄しても、あなたが魔術を使えなくなることはありません。ですが、弱くはなるでしょう」
「弱く…?」
どういう事だろうか。
首を傾げたナハトに、フィオーレは差し出した手のひらに花を咲かせながら口を開く。
「魔力を持つ者は、今も昔も魔術を扱えることに相違はありません。ですが、わたくしたち精霊と契約した者には、わたくしたちの力の片鱗が現れます。それが、魔術の速度です」
そう言われてすぐに納得がいった。ナハトが他の植物の魔術師と大きく違うところは魔力の量と魔術の速度だ。魔力量はおそらく同じやり方を繰り返せばルイーゼのようなタイプであれば魔力量を増やせるだろうが、速度だけはそうはいかない。一瞬にして花を咲かせることは出来ないと、イーリーに言われたことが頭をよぎる。
「…なるほど。確かに今速度の有利を失えば、弱ったという事になりますね…」
「その通りです。あなたはこれから人の王の子を連れて戻らなければならない。他にもまだその力を奮う時があるでしょう。ですから、あなたが今は契約を破棄できないというのは、わたくしは構わないのです」
「……ありがとうございます。すべてが終わったら、必ず契約は破棄いたします」
フィオーレに礼を言うと、彼女は少し寂しそうに微笑んだ。まるで母が子を慈しむかのような微笑みに、ふと気づく。
(「母と子…まさかビルケたちとフィオーレはそれに似た関係なのか…?」)
それならばビルケらがフィオーレに頭が上がらないのもわかるが―――だが確かビルケらは精霊にそのような関係はないと言っていたはず。
考え込んだナハトを不思議に思ったのか、フィオーレが問いかけてくる。
「なんでも聞いて良いのですよ。わたくしはナハトの質問にはすべて答えるつもりでいます」
「…では、ビルケとヴィントがあなたの言葉を聞くのは、あなたが彼らよりも上位の精霊だからなのでしょうか?」
ナハトの問いに、フィオーレは少しだけ考えて口を開く。
「いいえ。わたくしはあの子たちよりも古き精霊というだけです」
「”力ある精霊”とは違うのですか?」
「違います」
フィオーレの話では、”力ある精霊”という言葉自体昔はなかった言葉らしい。というのも、千年前はフィオーレの方が普通の精霊であったからだ。
精霊は長く生きるほど強さを増すが、魔力に対する影響も強くなる。フィオーレと同じ時を生きていた精霊たち、当時強い力を持っていた精霊たちは、魔力の逆流で軒並み魔物化してしまったのだ。
魔物化しなかった当時の者の中で強い者達が王になり、結界を張った。そうして結界を張った者達も、長く魔力にさらされて魔物化した。強い者達ほど魔物化し、そうしてなんとか魔物化せずに形を保っている精霊たちの中で一番力を持つ者が今の精霊王たちなのだ。
「力ある精霊とは、今を生きている精霊たちよりも過去の…強い力を持っていたがために、魔物化してしまった精霊たちの事です」
「ま、待ってください。ではあなたは…?フィオーレは千年前の精霊でしょう?魔物化してしまうのではないのですか?」
長く生きるほど強さを増すというなら、フィオーレはこの魔力濃度の中にいるのは危険なはずだ。慌ててそうナハトが言うと、フィオーレは何故か嬉しそうにナハトの頬に手を伸ばす。
「わたくしは大丈夫です。あなたがたくさん教えてくれましたから」
「ど、どういうことですか…?」
「わたくしはあなたと長く通じる事によって、魔力を使う方法を覚えました。ですから、わたくしは魔物化する前に自身の魔力を使うことが出来るのです」
精霊は己の体が魔力で出来ているから魔力を魔術としてうまく使えない。そうビルケは言っていたが、フィオーレはそれが出来るという事らしい。確かにそれならば吸収した魔力を魔術として発散するので魔物化することはないだろう。
出来ないと思っていたことが出来るとわかって、それならば精霊界の魔力をそうして薄めることも出来るのではとナハトは思ったが、フィオーレは「ですが」と続ける。
「おそらくこれは他の精霊には難しいでしょう」
「どうしてですか?」
「わたくしは感覚的に使い方を知りました。それはナハトと繋がっていたからというところが大きいのです。説明はしてみますが、人間と契約したことがないあの子たちには理解できないでしょう」
「そうですか…」
ならばやはり精霊界での魔力の運用方法は考える必要がある。あとでビルケらに確認しなければとナハトは思う。
「他に知りたいことはありますか?」
問われて、ナハトはずっと気になっていたことを聞いてみることにした。ビルケらは分からなかったが、ビルケよりも古い精霊であるフィオーレならば分かるかもしれない。結界の”外”の事が。
「…フィオーレ。あなたは、結界の外の事が分かりますか?」
何もわからないから結界を解くのは危険だと思っているが、分かるならば話は変わってくる。ない方が精霊界と人間界双方のためになるならば、一考の価値はあるのだ。ナハトだけで判断できることではないが、聞くだけならば問題ないだろう。
ナハトの問いに、フィオーレは少し考えて頷いた。
「わかります。少しだけですが…」
やはりと腰を浮かせたナハトだったが、フィオーレの表情はうかない。
「フィオーレ…?」
「わたくしは目を覚ましてすぐ、結界に干渉して少しだけ外の情報を受け取ることが出来ました。それで分かったのは、外は恐ろしい世界だという事です」
促すようにフィオーレを見ると、彼女は胸に手を当てて呟く。
「結界の外は魔力がほとんどなく、魔術も衰退した世界です。そこでは人が人を物のように扱い、殺し、戦争が繰り返されています。結界の中は楽園だと言われていて、欲望のために壊そうとしている者もいます。…そんな事は出来ませんが」
「…そうですか」
あまりに断片的であるが、結界を解くことによって良い結果になるとはとても思えないような情報だ。ならば結界を維持しつつ、精霊界の魔力を軽減する事。劣等種の世界樹破壊を止める事。この2つはここを出たら絶対になさねばならない。
「…少しお話をし過ぎましたね。そろそろナハトも眠った方が良いでしょう」
そう言ってフィオーレは覆っていた蔦を解いた。どうやらもう話すつもりはないらしい。アッシュが眠ろうとでも言うようにすりついて、コルビアスの横に寝そべる。
「…わかりました。ありがとうございます、フィオーレ」
ナハトがそう礼を言うと、フィオーレは微笑んで「おやすみなさい」と口にした。
ビルケとヴィントは蔦の外で渋い顔をしています。
戦ったらフィオーレの方が圧倒的に強いですが、王の均衡が保てなくなるので、フィオーレは王になるつもりはありません。




