第15話 お別れの前の日
「凄い…ナハトさんは魔術師だったのね」
「はい。とはいえ、そう名乗るにはかなり未熟な卵でしたが…」
神秘の花の蜜をエルゼルに飲ませると、頬の腫れもあっという間に引いた。ゴドの店にはきちんと木炭が届けられているのも確認出来て、気になっていたものが全部片付いて、やっと一息つく。
「まぁ、とにかく無事でよかったよ。昨日は頬を腫らしたエルゼルが来るし、様子を見に行けばナハトは血まみれだしで、本当に心配したよ」
「お騒がせしてすみません、ゴドさん」
抱きつくように腕の中から離れないドラコを撫でながら、進められた椅子に座る。エルゼルとゴドに爪の色を見せながら、ナハトは話を続ける。
「この爪の色からもお分かりのように、私は植物を扱う魔術師です。…というか、魔術師になりたてだったのです。ですが、怪我をしてヴァロくんに拾われる少し前から、つい先日まで、全く魔力が使えなくなっていたのです」
「それは大変だったなぁ…」
「ええ、本当に…。ですが、先日ヨルンくんに襲われた際に、何故か血液を介してなら魔力が使えることが分かったのです。それが無かったら、本当に危ないところでした」
そう言うと、ゴドはなるほどと言葉を口にしたが、エルゼルにはきょとんとした顔を返されてしまった。その表情を不思議に思って問いかけると、逆に質問を返される。
「なんで、『何故か』なんですか?」
「えっ…?血液ですよ?魔力とは関係ないではないですか」
「ええっ?ナハトさん何言ってるんですか」
これはまた何か常識が食い違ったぞと、ナハトはエルゼルに説明を促す。
「すみません。どうやらまた何か抜けがあるようです」
とんとんと自分の頭を叩くと、それでエルゼルには通じたようだ。なるほどと納得して、説明してくれた。
「えっとですね、魔力って、体の中をめぐっているっていうじゃないですか」
「はい」
「魔力って目に見えないからわからないんですけど、それって血みたいに流れてるんじゃなくて、血に溶けてるんですよ」
「そ、そうなんですか…?」
「はい。魔術師のひとって掌から魔力を流すじゃないですか?」
「ええと…はい」
「それって、掌の皮膚が薄いからなんです。一番皮膚が薄いのは瞼だけど、瞼だと集中できないから、皮膚の薄い掌から血液中の魔力を流すんです。だから、血液を介して魔力が使えるのは当然なんですよ」
「な…なるほど…」
ナハトは掌に魔力を集中してみた。先ほどの話の通りであれば、指先の魔孔を意識せずとも魔力が使えるはずだ。
だが、やはりというか、魔力の放出は感じなかった。ダメもとで瞼でもやってみたが、こちらも全く駄目のようだ。
(「やれやれ…。血液を媒介にするしかなさそうだな…」)
それにしても、血液の中に魔力が溶けているとは知らなかった。
ナハトは念のため魔孔について聞いてみるが、これには首を傾げられてしまった。ここではどうやらナハトの魔術師としての常識は通じないようだが、エルゼルの説明で魔術が使える以上、間違っていないのだろう。改めて、ここはどこなんだとナハトは思う。
(「というか、最初からエルゼルさんに聞いていれば、あんな苦労することもなかったのでは…」)
ふと気が付いて、ナハトはエルゼルに問いかけた。
「エルゼルさんは随分魔術師についてお詳しいですが、ひょっとして魔術師なのですか?」
「まさか!違いますよ!」
エルゼルは大きく首を振る。
「小さい頃に、少しだけ憧れた時期があったんです。だけど、私は魔力があまり多くなくて」
「そうでしたか…」
失礼な質問だったと謝ると、エルゼルはこれにも首を横に振った。
エルゼルには申し訳なかったが、今日エルゼルに話しを聞けた事は、ナハトにとって僥倖だった。ここでも魔術の知識も、魔力についての知識も得ることが出来たのだから。
「エルゼルさん、教えていただいてありがとうございます」
「どういたしまして!」
ゴドの店を出て、ナハトは今度は冒険者ギルドへと向かった。身分証を作るためだ。
ここでは身分証がないと困ることがたくさんある。本来町や村に入るためにはそれを見せる必要があり、また、働くにも、家を借りるにも、ギルドに依頼するのにも、全てにおいて身分証が必要になる。村は町と比べてその辺が薄いが、これから生活するうえでは絶対に必要な物だ。
今までナハトはヴァロの家に厄介になり、エルゼルの紹介でゴドの店で働くことが出来たため困っていなかったが、村の外へ行くことが目標として出てきた今、身分証は必須である。
ナハトは冒険者ギルドに魔術師として登録し、村を出て行こうと思っていた。ある程度の常識は身についたし、耳と尻尾もごまかせることが分かった。傷も神秘の花のおかげで大体治り、ゴドのところで働いた分の給金もある。
ならば、ゲルブ村やカルストを探して村の外へ出ても、何ら問題はない。むしろ、このリビエル村から離れて、他の町や村に行かなければ、欲しい情報は得られないだろう。そしていろんな町や村へ行き、生活を成り立たせるには、冒険者ギルドに登録するのが一番だと思った。戦闘能力だけでは冒険者として名乗るのは無理だが、魔術師ならまだ何とかなる。ギルドの依頼も薬草採取から討伐依頼まであることは確認済みだ。ある程度やっていけるだろう。
冒険者ギルドの扉を開けると、以前来た時に教えてもらった受付へまっすぐ進んだ。左から依頼用、受注用、達成用、納品用の受付カウンターになっていて、新規登録は受注用受付のはずだ。
カウンターまで来るとその高さに驚いた。ナハトの胸くらいの高さまである。大きな体の彼らに合わせて作られているのだから当然なのだが、まるで子供になった気分だ。
「こんにちは。本日はどのような依頼をお探しでしょうか?」
桃色の可愛らしい三角の耳で、髪を肩口で切りそろえた受付嬢がナハトに問いかけてきた。
「こんにちは。今日は魔術師として冒険者登録をしに来ました。こちらで登録できると聞きましたが、合っていますでしょうか?」
「はい。ようこそ、冒険者ギルドへ。…こちらへ必要事項の記入をお願いいたします」
「はい」
今までの経験上、何か言われるかと思ったがそんな事はなく、用紙を渡された。
カウンターの端で、項目を埋めていく。名前、年齢、性別、武器とその練度、出身地、魔術の系統、魔力量などなど。埋められるところを埋めて、再度受付に持っていく。
「すみません、こちらの出身地なのですが…記入しなければなりませんか?」
ゲルブ村と書いてもいいが、ナハトの知るゲルブ村はここにはない。迂闊に書くわけにはいかない。
「はい、お願いします。そこは、依頼を失敗して死亡した際に、遺品や遺骨が届けられる場所を指していますので、記入していただかないと困ります」
「…なるほど」
ナハトはリビエル村の名前を書くことにした。ここ以外に知り合いがいる場所はないし、ヴァロやエルゼルなら適切に対応してくれるだろう。
「それと、ここの魔力量なのですが…私は自分の魔力量を知らないのですが、どうしたらよろしいですか?」
「でしたら…こちらをお使いください」
そう言って、女性がカウンターの下から出したのは、少し厚みのある四角い箱の上に円錐が乗ったような形の物だった。円錐と箱の接地面がへこんでいて、何かを受け止めるような形になっている。
「ここに指を刺してください」
そう言われてピンときた。魔力=血液だから、指を傷つけて、流れた血液で魔力量を計るものだろう。言われるがまま、先端に指を乗せた。プツリと音がして、ゆっくりと円錐に血が流れていく。
「…24ですね。魔力量には問題ありません」
そう言われて、ふと疑問に思う。24というのはあまりに中途半端な数値だが、魔術師の魔力量としてはどうなのだろうかと。エルゼルが魔力量が少なくて魔術師になれなかったと言っていたことからも、魔術師になるには魔力量が大切であることはわかる。
ナハトは受付嬢に問いかけた。
「ありがとうございます。24というのは、魔術師の魔力量ではどのくらいなのでしょうか?」
「上の下から中といったところです。魔術師になるには、最低11以上必要です。現在までで確認されている魔力量の最大が32なので、24でしたらかなりある方だと言えると思います。」
「なるほど…ありがとうございます」
もしかしたら魔力が多いから魔孔からうまく魔力を出せなかったのだろうかと、ナハトは思う。
ただ一つ言えるのは、魔孔を意識して魔力を使うのと、血液を介して魔力を使うのとでは、難易度が段違いだと言うことだ。血液を介して使うと、恐ろしくスムーズに魔術が使える。それでなければ、大して修行を行っていないナハトが、あれほど自在に植物を扱えるはずはない。
魔力量の欄に24と書いて提出すると、女性は一通り記入を確認して、止まった。
無遠慮に用紙と顔を見比べられ、ナハトは笑って女性を見る。
「…何か問題でもございましたか?」
「い、いえ!では手続きをして参りますので、少々お待ちください!」
女性はそう言って、ギルドの奥へと歩いて行った。
ドラコと遊んで待っていると、10分ほどして彼女は戻ってきた。その手には金に縁取られたトレイを持っていて、そのトレイの中には、鉛色に光る薄いバッジと、一枚のカードが乗せられている。
「こちらが冒険者の証となるシンボルです。必ず、外から見えるところにつけてください。これは冒険者としての義務になりますので、忘れずにお願いします」
「承知しました」
「また、それは冒険者自身に何かあった時の証明にもなります。もし亡くなった冒険者を見つけ、そのバッジがあることを確認されましたら、持ち帰っていただけますようお願い致します」
「…なるほど。承知しました」
「こちらはナハトさんの能力を明記したカードです。ギルドで依頼に関する全てのことに、提示の必要があります。また、こちらは身分証明としてもお使いできます」
「ありがとうございます」
受け取ったバッジは鉛で出来ていて、白い石がついていた。よく磨かれてはいたが、使い込まれたものだという事が分かるものだ。先ほど亡くなった冒険者のバッジは持ち帰るよう言っていた。その事から、これは前に使用していた先人がいたことが分かる。
「この白い石はなんですか?」
依頼書の上部に色がついていたことを思い出し問いかけた。
女性は思い出したかのように、カウンターから一枚の紙を取り出すと、ナハトが見やすいようにこちらに向けた。
「その石は冒険者の等級を表しています。下から白、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤です。その先はバッジの素材が変わり、銅、銀、金、白金となります」
「なるほど…このバッジで実力がわかるように出来ているのですね」
「はい」
そういえばアンバスの首元、マントの留め具もこのバッジだった気がする。素材が銅だったから、やはり彼はかなり優れた冒険者のようだ。
ナハトもバッジを見えるところはつけようとして、困った。ナハトの体に対して、バッジが大きすぎるのだ。
「あの、胸につける必要はないですよ?見えるところであれば…」
「なるほど。ありがとうございます」
ならばベルトにつけようと、ナハトはベルトの左前に、バッジの針を通した。カードを懐にしまって、これで登録は完了である。
礼を言ってギルドを後にすると、次に向かったのは雑貨屋だ。ナハトはもう、近いうちにここを出ていくことを決めていた。ゴドにも伝えてあり、これまでの給金も受け取ることができた。一番の問題だった身分証明と冒険者登録。これが出来たのだから、後は必要な物の買い込みである。
「ドラコ、首の方に来てくれないかい?」
「ンギュー…」
「よしよし、分かったよ。そうしたら、雑貨屋で買い物が終わったら、首の方に来てくれるかい?」
「ギュー」
「ありがとう」
すっかり甘えん坊になった小さな背中を撫でて、雑貨屋へと足を進める。
雑貨屋では鞄を購入し、取り急ぎ必要そうなものを揃えていく。ここを出たとして、暫くは宿を取ることになるだろう。その時に困りそうな物を最低限購入し、最後に石鹸とドラコと同じ色の髪紐を購入した。
紙紐の一部分を髪に巻き込みながら縛りなおすと、ドラコがお気に召したようだ。肩に移り、興味深そうに見ている。
「どうだい?お揃いだよ」
「ギュー!」
「よしよし、君は本当に可愛いね」
頬に抱きついてきたドラコを撫でながら帰路についた。
これで後は、ヴァロにこれまでお世話になった分のお金を渡せば準備は済む。2日後にはこの村ともさようならだ。
「そういうわけだから、私は2日後にはここを出ていくよ」
「…え…」
夕食の後、お茶を飲みながらそう言うと、ヴァロがカシャンとカップを落とした。戸惑った顔で何やらわたわたしている。
「…変わった動きだけども、いったい何の真似…」
「な、なんで!?」
被せるように言われて、ナハトは首を傾げた。何でと言われても、そう言ってあったはずだ。
落ちたカップを拾い、床を拭きながら、ナハトはそう口にする。
「何故って…そう言ってあっただろう?君のことを助けると約束したけれど、それも、ヨルンくんも、もう大丈夫だろう?なら、怪我も完治した今、ここを出るべきだと思ってね」
「でも…2日後なんてそんな…」
「…ずるずるとここにいても、私の状況は変わらないからね」
ナハトはそう言って、ヴァロの前に袋を置いた。その中には、ゴドに貰った給金の半分が入っている。それが多いのか少ないのかは、正直なところわからないが、それが今ナハトに渡せる精一杯だった。
ヴァロは見るからにショックを受けていたようだった。耳は折れ、尻尾も下がっている。そこまで別れを惜しんでくれるのは、少しだけ嬉しい。
「君には本当にお世話になった。これはどうか受け取って欲しい」
「そんな…俺…。俺の方が、たくさん助けてもらったよ…」
「ふふっ、そうかもしれないね。だけれど、ここでは私のような人の命は軽いようなのに、君は助けてくれて、匿ってくれた。…本当に、ありがとう」
頭を下げると、ドラコも机の上に降りてヴァロに頭を下げた。
その様子に、彼が少しだけ笑ったのがわかった。




