第44話 忸怩たる思い
公演を行い、移動して休み、また隣町へ移動する。そうして少しずつアスカレトへ近づいていくにつれ、それぞれの担当がはっきりしてきた。
カティはショーに出ていない時は全体の指揮を主にとっていて、フィリーはショーに関してのまとめ役、リズベルは生活面でのまとめ役だ。団長は常にあれこれ指示を出している様だが表にはあまり出てこず、顔を合わせるのはもっぱら移動時の馬車の中である。
「いつもはそうなんだけどねー」
苦笑いを浮かべながらカティはそう言う。何故か何かと理由を付けて団長がナハトをテントへ呼びつけるのだが、そのナハトを呼びに来るのはカティなのだ。
最初に呼びつけられ、野良猫と繰り返し揶揄われたことに腹を立てて”ご老体”と言ったのがよほど癇に障ったのか、あれから1日に最低1度は呼びつけられてくだらない話を振られている。今日もたどり着いた町で明日の公演のために全員で早めの準備に取り掛かっていたのだが、その最中の呼び出しである。
「…今度は何ですか?」
「ごっめーん、わかんない。あたしは猫さん呼んで来いって言われただけだからさぁ…」
行かずに済ませられないかとカティに聞いてみるも返ってきたのは先ほどの言葉だ。苦笑いを浮かべて頭をかいているところを見ると、どうせまた禄でもない話なのだろう。
今まで呼びつけられて言われたのは”菓子を買ってこい”だとか”茶を入れろ”だとか”小物の修理をしろ”だとかそんなどうでもいいようなものばかり。しかもやったらやったで下手糞だなんだと言われるのだ。その度に軽く言い合いになるのだが―――何故そうも絡まれるのか理解できずナハトは大きくため息をついた。
「多分、団長楽しんでるんじゃないかなぁ…言い返す人あんまりいないから」
「そんな理由で絡まれても困ります」
「あ、あたしに怒らないでね!?」
ぶんぶん両手を顔の前で振るカティにもため息をついて、ナハトは団長のテントへ向かう。その際に念のためコルビアスの位置とピリエの位置は視界に入れておいた。コルビアスは暗い顔で洗濯をしていて、ピリエは子供たちと一緒にポタタの皮むきをしている。2人につけた魔力もまだ生きているし大丈夫だろう。
テント前で護衛をしているロクサナに声をかけて中へ入ると、団長はまた煙草をふかしながらいつもの椅子にふんぞり返っていた。
「遅いじゃないか野良猫。拾ってやった恩をもう忘れたのかい」
「…何度もくだらないことで呼ばないでいただけませんか」
「くだらない事とは随分だねぇ。せっかくいいことを聞いたから教えてやろうと思って呼んでやったのに」
突然告げられた「いいこと」に眉を顰めると、団長はにやりと笑いながら口を開く。
「どうしようかねぇ…。教えてやってもいいが、躾けのなってない野良猫は生意気でいけない」
「私にどうしろと?」
「そうだねぇ…。まず人にものを頼むときに、膝はまっすぐでいいのかい?」
随分と嫌味な言い方だ。膝をついて頼めと言っているのがわかってナハトは心内でため息をついた。言い返すのも馬鹿らしくなって素直に膝をつく。そうしてナハトが「教えていただけないでしょうか」と口にすると、少し考えて団長は「ああ、忘れてた」と声を上げた。
「あたしは人のつむじを見るのが好きでねぇ。でかいもんばかりでなかなか見る機会がないから見せちゃくれんかね」
”クソババア”と心内で毒づく。団長は毎度この調子で、わざわざナハトを怒らせるような事を言ってくる。今回は情報を引き出すために一応いう事は聞いたが、どうせ教えてはくれないのだろう。
「…はぁ…」
ナハトはあからさまにため息をつくと、団長の言葉を無視して立ち上がった。そのままテントを出ようとするとその背に何かが飛んでくる。反射的に受け取ったのは片手で収まるサイズの袋で、受け取った際に袋から粉が飛び出して舞った。
なんだと問う前に団長が口を開く。
「野良猫、テントから出たらずっとそれを使っときな。寝る時も、風呂にはいる時もだ」
「…なんなんですかこれは?」
「やり方はフィリーにお聞き」
しっしと手で払われて、情緒が不安定すぎやしないかと思いながらもナハトはテントを後にした。
その足でフィリーのもとへ向かおうとして、先ほどまでいた場所にコルビアスの姿が見えない事に気が付いた。ピリエは他の子どもたちと一緒にいたが、洗濯をしていたコルビアスの姿が見当たらない。魔力に動きがないので害されたわけではないことは分かるが―――。
「僕のことを馬鹿にするな!!!」
きょろきょろとコルビアスの姿を探していると、少し離れた場所から、女性たちが洗濯物を干している場所からコルビアスの怒鳴り声が聞こえた。慌てて向かうと、空色の耳がピンクな染まるほど怒りをあらわにしたコルビアスが叫んでいる。
「どうしたんだい、そんなに怒って」
「あははっ!可愛いねぇ、尻尾も耳も逆立てちゃってるよ」
怒りをにじませるコルビアスとは反対に、周囲にいる女性たちは微笑ましいものでも見るかのようにあしらっている。それがまたコルビアスの怒りを煽るのだろう。
確かにコルビアスくらいの子供の怒りなど癇癪にしか見えないのかもしれないが―――まずい。「この」と続け様に声を上げようとする彼を、ナハトは急いで背後に回り込んで口を覆った。
「皆さんすみません。弟がご迷惑をおかけして…」
「いいんだよ。ただ…あんたも大変だねぇ。その年で洗濯の一つも出来ないなんて…」
「あんまり兄貴を困らせんじゃないよ?」
女性らはそう言って笑って許してくれたが、コルビアスは本気で暴れている。それを魔術も使って無理やり押さえつけて、無理やり人気のないテントの裏へ連れて行った。
抑えつけたことによって少しは落ち着いたのか、暴れる力が弱まったことを確認して拘束を解くとすぐさま胸ぐらをつかまれた。怒りはまったく収まっていないようだ。
「どうして何も言わないんだ!!」
「…何をとは何の事ですか?」
「僕が、あんなに色々言われているのに…!!」
歯を食いしばって俯くコルビアスは吐き出すように呟く。何をやっても馬鹿にされる。そんな事も知らないのかと言われ、笑われる。それをナハトは見ているのに、どうして放置するのかと―――そう、コルビアスは叫んだ。
「…声を落としてください。誰かに聞かれてしまいます」
冷静に返すナハトの声が癇に障る。コルビアスは自分が酷く情けないものにでもなったような気がしてしょうがなかった。
「静かに」というナハトにうるさいと返しながらコルビアスは続けた。
「いつまでこんな所にいなければならないんだ?固い布団で、粗末な食事で!どうして僕が洗濯なんかしなきゃいけないんだ!」
「コル。声を落としてください」
もう一度ナハトがそう言うと叫んで少し冷静になったのか、コルビアスは少しだけ声を抑えて不満をぶちまけた。ただ洗って絞って干すというそれだけの事も出来ないのかと笑われた。力加減が分からず破ってしまった衣類を縫えと言われた。もうこんなところにいるのは嫌だと、そうナハトに訴えてくる。
(「だから言ったんだがな…」)
ここの女性たちは皆はっきりとものを言う。コルビアスとピリエの事はナハトの弟と妹だというしかなかったのでそうしたが、今まで世話されることしかないコルビアスがいきなり指示された通りに動けるわけがない。だから洗濯に関しても物を運ぶ際にもやり方を説明していたのだが、それを揶揄われた事に短気を起こして教えられることを拒んだのはコルビアス自身だ。
頭がいいコルビアスは「見ればやり方は分かる」と言っていたが、見ただけですべてできるのであれば苦労などしない。結局のところコルビアスはそれが分からない子供で、それが出来ない自分を認めらるほど大人ではなかったのだ。
「落ち着いてください。平民であればあれが普通なのです。それに分からない事があるなら聞けばいいだけの事でしょう?」
「聞いたって馬鹿にされる!!僕は…僕は馬鹿なんかじゃないのに…!!それに…それに…!」
生まれた時から貴族のコルビアスには辛いのだろう。王族の中では最低に近い暮らしをしていても貴族である。服も食事も平民とは比べ物にならない物で、自分の身の回りの世話は常に誰かがやってくれる環境は確保されていたのだ。そんな場所で生活していれば我慢がならないのは分かるが、それでも今は我慢してもらうしかない。
身の回りの事も、必要ならば洗濯だってしなければならない現状を、受け入れてもらうしかないのだ。
「少しでも早く安全にアスカレトへ行くためです。辛いとは思いますが、我慢してください」
「…っ!!!」
ぎりっと歯を食いしばった音がした。ナハトの胸ぐらをつかむ拳は震えていて、自分に言い聞かせるように「わかってる」と繰り返す言葉が聞こえる。
「コル…」
「わかってる!!!」
「ぐっ」
そう言い捨てて、コルビアスは勢いのままナハトを押した。しりもちをついて胸を押さえたナハトに一瞬驚くが、いら立ちの方が大きくて―――コルビアスはそのまままた洗濯場へと戻って行った。
怒りを滲ませながら歩くその背中を見つめてナハトは小さく息を吐いた。貴族であり子供であるという事を考えれば、コルビアスはよく我慢している方だと思う。脅えるのではなく、ああして現状について怒りにまわすだけの余裕が出たこともまだいい。
だが―――。
(「あれではいつ口を滑らすかわからないな…」)
王族として認められた影響からか、コルビアスはシトレンのような平民を下に見るかのような言葉を言いかけることが多くなった。特にこの一座と共に行動するようになってからは肉体的負荷が減った分精神的負荷が大きいようで、寝る前に小声でぐちぐちと文句を言う事が増えたのだ。本人は気づいていないようだが、その時に出る言葉は王族である自分を馬鹿にする平民への怒りの言葉だ。あの時ナハトが止めなければ、きっと口を滑らせてしまっていただろう。
「…良くないな」
「何が良くないの?」
聞こえた声に驚いて振り向くと、そこにいたのはフィリーだった。きょとんとした顔で首を傾げる。
「団長に髪の染め方教えてあげるように言われてたのに全然来ないから探してたんだけど…どうかしたの?」
いつからそこにいたのかと視線を向けるもフィリーの様子に怪しいところはない。どうやら本当に今ナハトを見かけて来たらしい。それに少しだけ安心して口を開く。
「…何でもありません。それより、髪の染め方とおっしゃいましたが…ひょっとしてこれの事ですか?」
腰に縛り付けていた袋を持ち上げると、フィリーは頷いてそれを受け取った。中身を見ていなかったが開けると中には真っ白な粉のようなものが入っていて、それを少しだけ指につけてフィリーは笑う。
「これ、チーネルっていう虫の幼虫を乾燥させて粉末にしたものなんだよね。水に溶かして使うんだけど、それを髪に染み込ませると少しだけ髪の色を変えることが出来るんだ」
「なるほど」
水場へ移動して言われた通りその粉末を少しだけ桶に張った水に溶かした。混ぜると水は白くなり、わずかにとろみが出たように思える。その水に髪を付けるのかと思ったが、フィリーはもってきた布をその水につけ、絞った布をナハトの頭に巻いた。髪を巻き込むように頭を覆われ少し重い。
「そのままちょっとの間待ってね。耳も巻き込んだから一緒に色変わりすると思うよ」
「わかりました。尻尾も同じ方法で変わるのでしょうか?」
「うん。尻尾は髪よりも少し長めに巻いておくいいよ」
もう一枚布をもらって水につけ、絞って尻尾にも巻く。
変わったことをやっていると興味津々な子供たちに囲まれながらそのまま過ごし、少したって布を外すと、炭のように真っ黒だったナハトの髪は濃い灰色になっていた。うまくしみ込んだのか尻尾も同じ色だ。この短時間で色が変わるのに繰り返し洗えば元に戻るというのだからなんとも便利なものだ。
「あっ、いい感じに染まったね」
「ほんとだ!灰色だー!」
面白そうにナハトの髪をピリエが触る。コルビアスとは反対にピリエはここにきてからとても楽しそうだ。笑顔が増えたことを喜ばしく思いながら頭をなでると不思議そうな顔で見上げられる。
「どうしたの?」
「いいえ。それよりコルを見ませんでしたか?」
「お兄ちゃんならさっきテントに入ってったよ?」
「そうですか…」
出来るだけ目の届くところにいてくれとお願いしていたのだが―――そう思いながらテントへ向かうと、コルビアスはここ数日で定位置になった寝床に横になっていた。
「コル」
背中越しに声をかけるも返事はなく、こちらを向くつもりもないらしい。ナハトに対して怒鳴ってしまったから後ろめたい思いもあるのかもしれない。ナハトは小さく息を吐くと、感情を逆なでないようそっとテントから出て行った。




