残された者たち
目を覚ましたシトレンが最初に目にしたのは見慣れぬ天井だった。すぐさま体を起こして部屋を見渡せば、狭い部屋の隅で絨毯の上に座り込むヴァロと、俯いて壁に寄りかかるリューディガーが目に入った。憔悴した様子の2人に嫌な予感がしてならない。
シトレンの主であるコルビアスの姿が見えないのだ。
「コルビアス様はどちらにいらっしゃるのですか?」
開口一番そう問いかけるが、ヴァロもリューディガーも何も答えない。
ヴァロはともかく、リューディガーまで何故黙ったままなのか。シトレンはふらつきながらもベッドから降りると、そのままリューディガーに掴みかかった。
「答えなさい!どちらにいらっしゃるんですか!?」
「……わからない」
「…は…?」
今リューディガーは何と言ったのだろうかとシトレンは瞬いた。「わからない」とはどういう事だろうか。コルビアスはナハトとヴァロに護衛されて城へと戻っていたはずだ。そのはずであるのに。
「わ…わからないですって…?それはどういう事ですか!?」
「そのままの意味だ。ナハトと共に、行方不明だ…」
「行方不明…?攫われたという事ですか!?」
「だからわからないと言っている。…死体がない以上その可能性は高いだろうがな」
意味が分からない。ここの誰よりも厳重に守られていたはずのコルビアスが、護衛騎士であるナハトと共に消えた。そう言われて頷けるわけはない。ずきりと痛んだ頭に手を当てると指先に厚いガーゼの感触がした。それで気を失う直前の事を思い出す。
確か平民らしき大量の優等種が襲ってきて、それに全員で応戦していたのだ。それで―――。
シトレンははっきりと思い出した。襲ってきた平民の優等種は、実際は劣等種が耳と尻尾でその”ふり”をしていたのだ。劣等種が貴族の狩猟大会を襲ったのだ。何故そんな事を劣等種がと、そこまで考えて気づく。コルビアスの近くには、彼が気を許していた”劣等種”がいたではないか。
「まさか…あれが劣等種と協力して、コルビアス様を攫ったのですか…?」
「そんな事するわけないだろ!!」
シトレンの呟きに返ってきたのはヴァロの叫びだった。今の今まで黙って座っていたヴァロであったが、荒々しく立ち上がってシトレンに詰め寄る。
「ナハトは必死に守っていたじゃないか!それを、忘れたとは言わせない…!」
シトレンが目を覚ますまで丸一日。その間、ヴァロとリューディガーは必死に2人を探していた。森の中も城の周囲も、指揮を執るリステアードやニグルに従って必死に探し回った。
ヴァロが見つけた轍の後も追った。だがそれは途中で複数の馬車の後にかき消され、結局今日になっても何の手掛かりもないままだ。今は騎士団がすべての轍の後を追っているが、今のところ何の報告もない。手がかりが何もない状態なのだ。
「ナハトはコルビアス様と一緒に攫われたんだ。それ以外考えられない…!」
ヴァロはそう確信しているが、シトレンは疑いのまなざしでヴァロを見返した。
共に攫われたというが、それこそ理由が分からないというものだ。コルビアスは王族で、その立場から恨みも多く買っている。何故劣等種がそれを行ったかはわからないが誘拐される理由があるのだ。
だがナハトは違う。死体であるならばまだしも、護衛騎士であるナハトが共に攫われる理由などないはずだ。シトレンはヴァロを睨みながら淡々と口を開く。
「それこそおかしな話でしょう。護衛騎士ならばその命をもって主を守るはず。だというのに死体もないのであれば、考えられるのは共犯であるか逃亡したかのどちらかで…」
バキッと派手な音がして、シトレンの横にあったサイドテーブルが折れた。それを叩き折ったヴァロは、殺気を露にしながら呟く。
「それ以上…ナハトを侮辱するなら許さない…」
「…っ」
気色ばむヴァロにシトレンはたじろいだ。護衛騎士と執事では戦闘力に差があり過ぎる。真正面から殺気を浴びせられて、そのままシトレンはしりもちをついた。
そこに、リューディガーのため息が降ってくる。
「…おまえらいい加減にしろ」
「リューディガー!止めるならばもっと早く止めなさい!」
腰が抜けたのか、シトレンはしりもちをついたままの格好で声を上げるが、それにもリューディガーはため息を返す。
「シトレン、直情的なのはおまえの悪い癖だ。特におまえ自身が嫌いな相手にはそれが顕著に出る」
「ぐっ…」
「それと、ヴァロ」
リューディガーは壁から離れると、ヴァロとシトレンの間に立って呆れたように口を開く。
「おまえも状況を見ろ。劣等種が襲ってきて、劣等種であるナハトと共にコルビアス様がいなくなった。ナハトが劣等種だと知るのは俺たちだけだが、死体を含めてもいなくなった者はナハト一人だ。奴が主導で誘拐したと思われても否定する材料がないだろう」
そんな事はリューディガーに言われずともわかっている。何故ならその線が一番濃いという話で捜査が行われているからだ。
ナハトが劣等種であるという事はここにいる者たち以外ならフィスカとクローベルグ家の人たちしか知らないが、”いない人間”というのはそれだけで犯人にされる。しかも今回の一件も内部犯がいなければ成り立たない事が多いため、そもそも舞踏会の時のナハトの証言が怪しいという話になってしまったのだ。
王族の中でそう結論付けられてしまえば、ヴァロには何も言うことが出来ない。言えば不敬になる。
「…分かってるよ…!」
ナハトがそのような事をするはずないというのに、1年近く共に働いた彼らまでナハトがしたのではと平気で口にする。それが許せなくて、でも言葉に出来なくて、ヴァロはきつく拳を握りしめた。
「私は正確な情報を集めに出てまいります。ディネロとの定期連絡もありますし、こちらの部屋もいつまで使用してよいのかわかりませんから」
「頼む。俺たちはリステアード様の命令があるまでここで待機を命じられているからな…」
「ではフィスカの様子も見てきましょう。目を覚ましているようなら、こちらへ向かわせます」
「わかった」
シトレンは身なりを最低限整えると部屋を出て行った。
そもそもここはコルビアスという主がいなくなったリューディガーとヴァロ、シトレンに与えられた城の一室で、とても生活ができるような状態ではない。ヴァロもリューディガーも休むためにこの部屋へ戻ってきていたが、食事やシャワーなどは城にほど近い騎士団の寮で済ませていた。シトレンも目を覚ましたのなら、その辺も整えてくれるだろう。
ほどなくしてフィスカがやってきた。フィスカも目覚めたばかりのようで、怪我をしたメイドたちと同じ部屋へ押し込まれていたらしい。
「リステアード様のご厚意でコルビアス様のお部屋を開けていただけることになりました。ですから、私はそちらの部屋を整えてまいります」
「頼んだ」
コルビアスがいつ戻ってきてもいいようにという配慮だろう。側仕えや護衛騎士の部屋もあるため正直なところ有難い。ただでさえ状況が遅々と進まない今、他人に気を遣って休むのは苦痛でしょうがなかった。
フィスカを送り出すと、入れ替わりにリステアードの護衛騎士がやってきた。呼ばれて彼の部屋へ向かう。
案内されたその部屋にはアスカレト騎士団長であるニグルと近衛騎士団長のガイゼンもいた。午前中の捜索の結果を報告しているのだろう。リューディガーとヴァロも耳を傾けるが、報告された内容は先日と同じものであった。手がかりがなく、痕跡もなく、目撃者もいないという。
「貴族の管轄である森ですから、平民の目撃者は極端に少なくなります」
「…そうか」
ニグルの言う通り、狩猟大会を行っていた森は貴族の管轄である。そのため冒険者の出入りなどもないため、周辺の人気が極端に少なくなっているのだ。馬車の轍の跡がある以上馬車で連れ去られたのは確実であるはずなのに、それを見たという者が誰一人いない。平民の目撃者がいないのは頷けるが、それがそもそもおかしい事に皆気付きだしている。
「…分かった。次の捜索で何も見つからなければ範囲を広げよう。やり方も変える。各自そのつもりであたってほしい」
「承知しました」
リステアードの指示に、皆が一様に頷く。ヴァロとリューディガーもそこに交じっての捜索だ。昨日は何も見つからなかったが今日こそはと、ヴァロは顔を上げた。
だが、結局その日も何も見つからなかった。当日あの場にいた貴族や騎士の聴取はニグルたちマシェル騎士団が担当していたが、彼らからの報告もまったく同じであった。
唯一上がってきた報告の中で昨日と違ったのは、馬車の轍の先には一軒の小屋の跡があったという事だ。跡と報告されたのはそれが黒焦げになるほど燃やされてしまっていたからで、周辺にも中にも何も見つからなかったらしい。余程後ろ暗い事があって必要以上に燃やされたという事は分かるが、これがどう関係しているのかがわからない。ただここにも死体はなく、血を流した形跡もないという事だけは分かったが、土の地面ではなく背の高い草が生い茂った場所であったため、足跡なども正確な数は分からなかったそうだ。現在も捜査は進められている様だが芳しくない。
他には何も見つからない―――それがどれほどおかしい事なのかは、ここにいる全員がわかっている。
馬車の轍があり姿が見つからないのだからコルビアスは攫われたのだろうとリステアードらの中では結論付けられていた。狩猟大会のあの場で戦っていた騎士たち、貴族たちの誰にも見つからずに誘拐することなど不可能だ。となれば結論として導かれるのは一つ。コルビアスの痕跡は見つからないのではなく、隠されているのではないかという事だ。
「…やはり、他に協力者がいるのだろうな」
そう呟いたリステアードに、そこにいた全員が同意した。明らかに情報が隠されている感じがするのだ。問題は、その協力者が誰なのかという事だ。
「…君には、心当たりはあるのかな?」
にこりと笑ったリステアードが問いかけたのはヴァロだ。そこにいた全員の視線が向いて、ヴァロは俯く。
「…ありません」
「本当に?」
鈍いヴァロにだってこうあからさまに言われれば分かるというものだ。ただでさえナハトがやったと言われているのだから、協力者として疑われるのならヴァロしかいない。
「君は…アロと言ったかな?アロ、君とレオは随分仲がよさそうに見えたけれど、本当に何も心当たりがないのかい?」
「……ありません」
再度ヴァロがそう口にすると、周囲にいたリステアードの護衛騎士が手を上げた。発言を許可してくれるようリステアードに願い出る。彼は許可をもらうと、ヴァロを指しながら口を開いた。
「リステアード様。この者は捕らえておくべきです」
「ふむ…。どうしてそう思うんだい?」
「怪しいではありませんか。この者と、犯人であるレオは共にコルビアス様の護衛に当たっていたのですから…」
「違う!!!」
思わずヴァロは叫んでしまった。隣でリューディガーため息をつくのが聞こえたがもう遅い。
発言を被せられた騎士と、許可なく口を開いたヴァロに周囲が不快そうに眉を潜める。リステアードも表情は変わっていないが目が鋭いものに変わった。気温が数度下がったように感じる室内に、リステアードの淡々とした問いかけが響く。
「何が、違うのかな?」
「それは…」
「今更言い淀むのかい?許可なく口を開いておいて」
「…申し訳、ありませんでした。ですが、レオは犯人ではありません。コルビアス様と一緒に攫われたのです」
「馬鹿を言うな!!」
ヴァロの呟きに、すぐさま先ほど話していた騎士が声を上げた。周囲の者たちもそれに続く。
「護衛騎士が何故コルビアス様と共に攫われるのだ!?」
「それが本当なら何故何の連絡もないのだ!」
「死体すら見つかっていないのだぞ!?」
口々にヴァロへ疑問を投げてくるが、それにヴァロは答えることが出来ない。ナハトが攫われる可能性に心当たりがあるのはヴァロだけだ。カントゥラでナハトがその魔力目当てで監禁されたことが頭から離れない。更に言うなら、ナハトはただ一人精霊と契約をした魔術師だ。劣等種の魔術師で、そこらの優等種などとは比べ物にならない量の魔力だって持っている。バレれば攫われる可能性など腐るほどあるのだ。
しかし、そんな事をここで言う訳にはいかない。ヴァロは俯いて奥歯を噛みしめる。
「答えよ!」
「…わかりません」
結局ヴァロにはそれしか口にすることが出来なかった。下手な事を言ってはこれ以上ナハトの状況を悪くしかねない。
だがそれに周囲が納得をしてくれるはずもなかった。続く暴言に拳を握り締めていると、見かねたのかニグルが口を開いた。
「ディエルフィム様はどうお考えですか?」
低い声は暴言の中でもよく響いた。
ディエルフィムとはリューディガーの性である。問われた彼は小さく息を吐いてからニグルを見返した。その目で巻き込んでくれるなと言ってみるが、ニグルは微笑みを返す。
「アロもレオも、あなた様と同じコルビアス様の護衛騎士ではないですか。それとも、答えるに値しないような騎士だったのでしょうか?」
「……」
「お答え願えませんか?」
ニグルの言は、以前シトレンとリューディガーがナハトたちを軽んじていると言っていたことを指している。軽んじていないなら、同じ護衛騎士としての義務を果たせと。
リューディガーはもう一度一を吐くとニグルに向かって答えた。
「…コルビアス様と共に攫われたかはわかりませんが、レオは一騎士として責務を果たしているように見えました」
「ふむ…なるほど」
「ですが…」
頷いたリステアードにリューディガーは続ける。
「これはあくまで、私とアロの主観によるもの。レオが共犯であるとの話を否定できるだけの材料はございまいません」
「なっ!?リュー…!」
声を上げかけたヴァロはその場でリューディガーに押さえつけられた。後ろ手に拘束され、反射的に抵抗しようとした耳に小さな呟きが届く。
「動くなクソガキ」
「!?」
「状況が分からないのなら抵抗するがいい」
そう言われてやっと気が付いた。自信を見下ろす不信感をあらわにした視線に。リステアードはもうヴァロを見ておらず、ニグルも少し引いたところで様子を窺っている。
ヴァロは騒ぎ過ぎたのだ。
「まずはアロを拘束し、当日の聴取をさらに細かくとる必要があるかと。そのうえで彼の処遇を決めるのがよろしいかと思われます」
リューディガーの言葉に、リステアードが頷いて口を開く。
「…よろしい。ではクローベルグ侯爵、彼の聴取を頼む」
「承知しました」
「他の者は引き続き捜索を続けろ。リューディガー、君はガイゼンと共に燃えた小屋周辺の捜索に当たれ」
ヴァロはそのままアスカレトの騎士に拘束されて部屋を出された。短慮で動いた結果やってしまった。後悔が押し寄せて胸がざわざわする。
「…気持ちは分からないでもないがね…」
連れていかれた先の部屋で、向かい合った状態でニグルはそう呟いた。
気を遣ってくれたのか部屋の中にはニグルとヴァロだけで、他の騎士たちは部屋の外で待機している。今のヴァロは手錠をされて椅子に座っている状態だ。
「…すみません…」
「私に謝ってどうするんだね。謝るならば、疑惑を強めてしまったあの子にだろう」
そう言われて、ヴァロは項垂れるしか出来なかった。
疑惑に過剰に反応すれば怪しまれて当然だ。それを否定するだけの材料もなかったのだから、否定するのならそれに足る根拠や証拠が必要であったのだ。分かっていたのに、リューディガーに忠告されていたにもかかわらずヴァロは動いてしまった。しかも最悪のタイミングでだ。
「君はあの場で我慢し、レオが敵ではないという証拠をまず集める必要があった。そのためには自由に動けることが条件であった。…それを自分で不意にしてしまった事は理解しているかね?」
「…はい」
「…ならば、まずは聴取を終わらせてしまおう。話はそれからだ」
「はい」とそれにも返事をして、ヴァロは気が付いた。”話はそれから”とニグルは言ったが、何の話をするのだろうか。
ヴァロが俯いたままでいた顔を上げると、ニグルは目を細めて口を開く。
「私だって、あの子がコルビアス様を攫ったとは思っていない。そんな事をするともね」
「侯爵様…」
「レオが共に攫われたというのなら、君の中にはそれに足る理由があるのだろう?内容によっては、分かることもあるかもしれない。その話をするためにも、先にやることを済ませてからだ」
「いいね?」とそう言うニグルに、ヴァロは頷いて力ず良く返事を返した。
ヴァロを拘束して連れてきた騎士はロザロナとリーベフェルトです。
ニグルがリューディガーを様付で呼んだのは、単に彼が礼儀正しいからです。




