第41話 一難去って
「くそっ…!」
思わずそう毒づいてナハトは膝をついた。何とか全員戦闘不能にできたが、頬をかすめた矢に塗られた毒のせいで、ナハトの右半身には言いようのない痺れが広がってしまっていた。
千年前に比べて毒が大分薄れた植物しかないはずなので無視していたのだが、塗られていたそれは予想を覆す強力な麻痺毒であったようだ。左手で気付けに効果がある植物を咲かせ、その葉を噛む。とても苦いものだが、おかげでほんの少し動けるようになった。金銭を気にして解痺薬と解毒薬の購入を見送ったのはよくなかったかもしれない。
「ナハト!」
蔦を解除したためにコルビアスが駆けてくる。それを手で制しながら、ナハトは精一杯声を張り上げた。
「まだこちらに来てはいけません!そのままそこにいてください。すぐに、行きますから…」
こちらには死体もあるのだ。あまり殺しはしたくなかったが、手加減するだけの余裕がなかった。縛り上げた状態の者たちには麻痺の花粉を与え、そのうえで生きている全員を木の上へ縛り上げた。これで動けずとも魔獣に襲われることはないだろう。
死体は道の上から坂の下へ転がした。申し訳ないが、死体にかまっている余裕はない。
「…おまたせ、しました」
少々ふらつきながらもコルビアスらの元まで戻ると、傷だらけのナハトにピリエが涙を浮かべて抱き着いてきた。半身の痺れのせいで踏ん張れずしりもちをつくも、ピリエは泣いたまま離れない。仕方なくそのまま頭を撫でてやると、突然コルビアスがナハトを睨むように見ながら叫んだ。
「大丈夫だと言ったじゃないか!」
驚いてコルビアスを見る。怒りよりも悔しさが先に立ったような顔で、拳を握りしめながらナハトの前に膝をついた。
「大丈夫だって言ったから…だから…だから僕は…!」
「コル、大丈夫ですよ」
ぽろぽろと泣き始めたコルビアスの頭に、ナハトはそっと左手を伸ばした。体も大きく、前衛として戦ってきたヴァロやリューディガーではなく、普段は後方で援護しながら指示を出すナハトが大人数相手に戦うのは余程怖く感じたらしい。本当に勝てるのか、大丈夫なのかと。
牢でもイルゴたちと戦ったが、あの時もしばらく白い顔のまま震えていた。慰めるように頭を撫でると、恥ずかしそうに鼻をすすってから鞄を開けて包帯やらを出そうとする。その手を止めて、ナハトは口を開いた。
「コル、ピリエも。まずは移動しましょう。追ってきたのが彼らだけとは限りませんから」
「そ、そっか…」
まだ次があるかもしれない。ナハトが告げたその事実にピリエはまた泣き出してしまった。声を上げて泣く彼女を無理やり立たせ、後方を振り返る。月明りと道脇に建てられた灯りだけではそこまで遠くは見えないが、襲撃が一回だけとは考えない方がいい。あちらにはナハトが子連れで逃げていることも、魔術師であることも分かっているのだ。何回かに分けて魔力を削りにかかることは容易に想像がつく。
こんな状態でまた同じような人数でこられたら相当厳しい戦いになるだろう。右半身の痺れは軽くなったがまだ違和感が強く、右目の視力にも不安がある。何より彼らはコルビアスとピリエを”必要としていない”。
先ほどの襲撃で射られた矢は、半数がナハトの後方にいたコルビアス達を狙ったものだった。蔦の壁に突き刺っていた矢の数を見れば、敵が2人をどう考えているのかが知れるというものである。
「ナハト、僕の肩につかまって」
荷物を背負ったコルビアスは、その小さな体をナハトの右側に滑り込ませてきた。ナハトの返事など聞くつもりはないようで、不自由な右手を自分の肩に乗せる。
「コル、私は大丈夫ですから」
「いいんだ。このくらい、僕にだって出来る」
そう言って引く様子がないコルビアスに、ナハトは小さく息を吐いてお言葉に甘えることにした。少々寄りかかりながら立ち上がると、思っていたよりも安定していて驚く。子供でもさすがは優等種と言うべきか。
「ひっく…ぐすっ…」
動きにくい右手でコルビアスの肩を借り、動く左手はピリエに差し出してつかまらせた。そうして無理やり足を進めるがすっかり怯えてしまったピリエの足は遅く、町と町を繋ぐ街道沿いにある野営に適した広場まで行くのにもかなり時間がかかりそうだ。
いっその事このまま道を逸れて林の脇で野営してしまう事も考えたが―――。
(「…いいや、まだ近すぎる」)
少しでも襲われる確率を下げるのであれば最低でも広場までは行きたいところだ。他人を巻き込みたくないが、そうも言っていられない事をナハトは知っている。卑怯でもなんでも、今ナハトが優先しなければいけない事はコルビアスとピリエの命だ。そう、決めたのだから。
ぐずり続けるピリエを励ましながら歩みを進めていると、後方から大型の馬車が近づいてくるのが分かった。大きな車輪のついた荷台を引くのはスーリオではなく、大きなカウムの成体である。大きく太い足で丘を下ってくる。
あれはかなり凶暴なはずだが、よほどうまく慣らしてあるのだろう。馭者らしき者のいう事を聞いてナハトたちを避けるように少し離れて道の端を進んでいく。大きな荷台は張った布の隙間から洩れる灯りで眩しく、楽しそうな音楽や歌が聞こえてきた。芸人の一座か何かだろうか。
「うっ…うわぁあん!」
通り過ぎる明るい馬車に恋しさを感じたのか、ピリエがまた泣き出してしまった。慰めようとしゃがんで抱きしめてみるが、レザンドリーで一度しっかり休んだこともあって緊張の糸が完全に切れてしまったのだろう。囚われ、痛みつけられていた時ならいざ知らず、一瞬でも心休まる状態を味わってしまえば大人だって明かりに惹かれてしまうものだ。我慢している様だが、コルビアスの目にも涙が滲んでいる。
せめてこれ以上視界に入らないよう、ナハトはコルビアスとピリエの視界から馬車を隠すように抱きしめた。今はこうして馬車が行ってしまうのを待つしかできない。
だがその時、ぎしりと音を立てて馬車が止まった。荷台の後ろの幕が揺れて、そこから一人の少女が顔を出す。
「あれー?どうしたの、その傷…大丈夫?」
ぴょんと身軽に荷台から飛び降りた少女は、ナハトの傷を見てそう声をかけて来た。赤みがかったぼさぼさの茶髪に緑の目、たっぷりとした毛に覆われた尻尾に、同じく厚い毛に覆われた三角の耳―――よく見ると二の腕と太ももまで尻尾や耳と同じように毛が生えていて、初めて見るが獣の特性が強く出た優等種の少女である。
彼女は無遠慮にナハトとコルビアス、ピリエを見ると、荷台の方を振り返って声を張り上げた。
「だんちょー!怪我してるよー!」
「…面倒だねぇ」
少女の声に返ってきたのはしゃがれているが力強い女性の声であった。
敵意は感じないがいったい何のつもりかとナハトが訝しんでいると―――荷台の中から少女に声がかかった。
「見ちまったもんはしょうがないねぇ。乗せな!」
「はーい!」
「…なっ!?」
現状を理解する前に荷台からさらに3人が下りて来た。年齢層はばらばらだが全員が女性だ。敵意を感じないだけに反応が遅れ、あっという間に荷台へ放り投げられてしまった。
「わっ!?」
「はいはい乗ってねー。荷物はこれだけ?」
「カティ、こっちはいいわよ」
「はーい」
荷台へ降りると同時にコルビアスとピリエが腕の中に飛び込んでくる。それを何とか受け止め、顔を上げた時にはもう荷台の幕は彼女たちによって閉じられてしまていた。
圧倒され、ナハトの背に縋りつくコルビアスとピリエ。ナハト自身もこれほど簡単に荷台へ乗せられてしまった事に驚く。痺れが残っているとはいえ、敵意がなかったとはいえ、そこまで油断していたつもりはない。単純に彼女たちが強いのだ。
特にあのカティと呼ばれた赤茶の髪の少女は、相手の隙を突くのがうまい。
「えへへ、驚かせちゃったかな?」
荷台の幕の前に座るカティがそう言ってナハトに笑いかけた。それに睨みを返しながら警戒を露にする。
ナハトたちが乗せられた荷台の中には20人余りの、大人から子供までが乗っていた。その全員が女性のようで、誰からも敵意は感じないがあからさまに好奇に満ちた視線は向けられている。
馭者の頭が見えるのぞき窓の前に、場違いなほど大層な毛皮の絨毯と豪奢な椅子に座った女性がいた。老婆と言っていい年なのだろうが、随分と溌溂とした印象の女性だ。よく手入れされた耳と尻尾、白いものが混じった白茶色の髪を上品に結い上げていて、真っ赤な口紅が妙に印象深い。
「団長!準備できたよ!」
「出しな」
団長と呼ばれた老婆が呟くと、馭者は無言で鞭を奮った。
がたんと動き出してしまった馬車に不安が募る。どういうつもりなのか分からないが、ここから逃がしてくれそうにないのは確かなようだ。どう動くと迷っていると老婆がまた口を開いた。
「フィリー、リズベル、世話してやんな」
「「はぁい!」」
老婆の言葉に返事を返したのは同じ顔をした双子の女性だった。おっとりとした雰囲気の2人は薬箱らしきものを手にナハトたちへ近づいてくる。
「待て!いったい何なんだ?何のつもりで私たちを馬車に乗せたんだ?」
武器を手にそう声を張り上げるが、フィリーとリズベルと呼ばれた女性も老婆も、他の女性たちも、特にナハトたちの様子を咎めるでもなく微笑んでこちらを見ている。その笑顔が怪しくてしょうがない。
「何のつもりって…団長が乗せろって言ったからよ?」
「手当てするだけだから大丈夫よ?」
「だから、何故…」
「それは団長に聞いてね?団長が乗せろって言ったんだもの」
話にならない。ナハトが老婆に視線を向けると、老婆は大きくため息をついて火のついていない煙草をナハトへ向ける。
「うるっさいねぇ…。その子らが手当てするって言ってんだから、素直に受けちゃどうなんだね」
そうしてくれる理由が分からないから素直に受け取れないのだが―――。
だが老婆はそれ以上言うつもりはないらしい。さっさとやれと言わんばかりに手を振る。
「ほらほら、手当てするだけだから。ね?」
そう言って薬箱を持ち上げて微笑むリズベルに、ナハトはゆっくりと武器を下した。ここまでしておいて敵だという事はないだろうと、そう判断したのだ。ナハトは背中側にいるコルビアスとピリエを振り返り、小さく頷く。
「…とりあえず敵ではなさそうです。ですが、離れないでくださいね」
返事の代わりに2人は頷いた。
それを見てリズベルはナハトの手当てを始めた。フィリーがコルビアスとピリエの様子を見ようと近づいてくるが、2人はナハトの背から離れるつもりはない。頑なに動こうとしない様子に諦めて、代わりに果物を差し出してきた。それも断るコルビアスたちに、へにょりと長い耳が垂れ下がる。
何か怪しい動きをしようものならすぐ対処できるよう武器から手を放さず手当てを受けていたのだが、彼女はナハトの持つ武器など目に入らないとでもいうように微笑んで治療を続けた。その動きは淀みがなく、使っている薬にも怪しいところはない。こちらを窺っていた者達も今はもう隣の者達と話をしていて、コルビアスたちにお菓子や飲み物をすすめるフィリーも今のところ怪しい動きはない。
「うふふ、そんなに心配しなくてもいいのに。団長はああ見えてとってもお節介なのよ」
「リズベル!勝手なこと言ってんじゃないよ!」
「はぁい」
”お節介”という事は、本当にただ助けてくれただけなのだろうか。椅子にふんぞり返ってこちらを見下ろすその顔からは、”お節介”に値するものなど感じられないが―――。
「はい、出来た♪」と、そう言って微笑んだリズベルは、コルビアス達に無視されてしょんぼりしたままのフィリーに声をかけて離れた。
ナハトは武器をその場に置くと、恐る恐る老婆の方を向き直って口を開いた。
「…あの…ありがとう、ございます」
今のところ危害は加えられておらず手当てもされたが、そもそもいきなり放り投げられるという扱いを受けたのだ。こちらの話を聞く気もなさそうである以上、全面的に信用することは出来ない。
だが手当てを受けたのは事実であるため、ナハトは素直に礼を口にした。そうして続けて問いかける。
「何故、助けてくれたのですか?」
今度は答えてくれるかと期待したが、にやりと笑った彼女は思っていなかったことを呟いた。
「助けた…?そんな覚えはないねぇ。あたしは拾っただけだからね」
「…は…?拾った…?」
ナハトが目を白黒させると、老婆は立ち上がって続ける。
「そうさね。あたしが拾ったんだから、お前たちはあたしのもんさ。あたしの事は団長と呼びな」
「待ってください!拾ったとはどういう…」
「あー、本当にうるっさい優男だね。黙りな!」
老婆―――団長の言っている意味は分からないが、ナハトたちを連れて行くつもりであることは確かなようだ。
だがそれは困る。彼女らがどこへ行くつもりなのかわからないが、ナハトたちは帰らなければいけない場所があり、何より今は負われている身だ。ナハトは身の安全のために旅人を巻き込もうとしていたが、それだって誰でもいいから巻き込もうと考えたわけではない。旅人ならばある程度戦う能力があるからだ。
いくらカティらが強くとも、子供から年寄りまでいるここを襲われてはひとたまりもないだろう。何せナハトを追う彼らは貴族の狩猟大会に仕掛けてくるような奴らだ。何をするかわかったものではない。
「黙りません。…私たちは追われているのです。危険ですから降ろしてください」
真っすぐ団長の目を見据えてナハトはそう言ったのだが、当の本人は鬱陶しいと言わんばかりにサイドテーブルにたばこを叩きつけるとつかつかとナハトの前まで歩いてきた。大きく見えたのだがそれは威圧的であっただけで、団長自身は随分と小柄だ。そのままナハトの胸もとに指を突きつけて声を張り上げる。
「いいかい。あんたらはあたしに拾われたんだから、黙ってあたしのいう事を聞いてりゃいいんだよ!」
「ですが…!」
「追われてるんだって?上等じゃないか。あたしらを襲おうなんて100年早いわ!」
「団長かっこいいー!」
きゃあきゃあ黄色い声を上げて女性たちがはやし立てる。それに団長は満足そうに笑うと、ナハトの肩に手を置いて椅子へと戻っていく。
はやし立てる女性たちに囲まれたまま、ナハトとコルビアス、ピリエは茫然とそれを見ている事しか出来なかった。
団長はナハトの顎のあたりまでしか身長がありません。
とっても小柄です。それなのにとっても偉そう…というか偉いです。




