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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第四章
139/189

第36話 彼の人の足跡

1章とつながる表現があります。

悲しいので苦手な方はご注意ください。

 渡されたそれは随分と古い本であった。許可だ何だと言っていた割にあったりと持ってこられたそれは、表と裏の四隅と背表紙に装飾が施された高価なもののように見受けられた。


「汚さないように気を付けてね」


 それだけ言って、フラッドとリュースは見張りの兵だけ残していなくなった。本と共に残されたナハトとコルビアスは、緊張した面持ちで顔を見合わせる。

 ピリエはお腹がいっぱいになったのかうとうとしだした。寒くないようマントで包んだうえで、コルビアスは本を開こうとするナハトの手に己の手を乗せた。


「…ナハト。これを読んだら…僕たちの敵になったりしない?」


 先ほどまでのフラッドたちの話を聞いていたからだろう。コルビアスが不安を浮かべながらそう言う。こんな敵地で獣人と言われて反抗するほどコルビアスは子供ではないが、一人で戦えるほど大人ではない。劣等種ばかりのここで、もしナハトが敵にまわればどうなるかコルビアスには分かっている。


「私は…優等種の敵にはなりません」

「本当に?」

「ええ。絶対に…」


 これに何が書いてあろうともそんな事はあり得ない。ナハトが微笑むと、コルビアスも笑って頷いた。




 開いたそれは日記のようであった。リュースは1ページ目を開けば分かると言っていたが、捲ったページに書かれていたのは”光の魔術師の軌跡”の文字。


(「光の魔術師…?これがいったい何だというんだ」)


 不思議に思いながらも捲っていく。そうしてナハトは息を呑んだ。

 次のページからはナハトがヴィントやビルケたちから聞くことが出来なかったもう半分―――千年前の人間界について書かれていた。


 "突然空の色が変わった。なんの前触れもなく突然だ。精霊たちの様子もおかしく、私の声に反応しない。精霊界で何かあったのだろうか"

 "一番弟子と共に村に戻ったが、三番弟子の姿が見当たらない。仕事を任せていたが、誰もあの子の姿は見ていないらしい。二番弟子も、孤児院長も知らないという。どこへ行ったのだろうか。精霊の反応がなく、私の体も不調のようだ。熱があるのか体が熱い"

 "魔力が逆流しているようだ。体から魔力が溢れている。相変わらず精霊の反応はないが、少し落ち着いたようだ。だが、突然森に大きな木が生えた。物凄い魔力を放出する光る木だ。調査に行ったが大した成果は得られなかった。三番弟子はまだ行方が知れない。心配だ"


 ナハトとコルビアスはどんどん読み進めて行った。疑問などは全て置いて、先に情報を得ることに注力する。そうして読み進めながらも、ナハトはこの文章の書き方になんとも言えない不思議な感覚を覚えていた。何故か、とても懐かしさを感じる。


(「…?」)


 理由は分からないが、ページを捲る。書かれている内容が明らかに変わったのは、10ページほど進んでからだった。


 "村の子供たちが高熱を出して倒れた。7歳以下の子供が多い。流行病だろうか、薬が効かない。こんな時に三番弟子がいれば良かったのだが…あの子はどこへ行ってしまったのだろう"

 "死者が出た。原因がわからない。隔離しても変わらず子供から倒れていく。これでは子供が皆死んでしまう。どうしたらいいのだろうか"

 "首都へ家を借りた。孤児院長と子供たちだけでも先にそちらへ移動させることにした。熱が出ている子供たちもこれで良くなるといいが…"

 "大人の中にも熱を出す者が現れた。男女は関係ないようだ。老人の方が症状が重い。首都へ移動させた子供たちの様子は変わらないらしい。回復した者は誰一人いない。どうしたらいい。私に何が出来るだろうか"

 "国王陛下から正式に話が回って来た。魔術師はもれなく対処にあたるようにとの事。弟子たちに村を任せて首都へ向かう。どうにかしなければ。死者が増えていく"


 書き手の焦燥が伝わってくる。どうにも出来ないまま人が死んでいくのは相当な恐怖であったはずだ。また数ページに渡りその時の状況が羅列されていく。何も分からない、どうしたらいいとそればかりが繰り返されている。

 それが変わったのはまた少し進んでからであった。最初に倒れた者が出てから1年が経っていた。


 "わかった事がいくつかある。一つ、この病は発症すると助からない。二つ、魔術師はかからない。三つ、あの木に近ければ近いほど患者数が増える。四つ、これに罹るのは人間だけである"

 "首都を放棄し、もっと南へ移ると国王陛下が申された。ついに王子殿下が身罷られたらしい。首都も村も人が減った。移動した者もいるが死者が増えた。死者が1日に100人を超えた"

 "弟子たちのためにも私も移動しなければならない。孤児院長と残った子供たちもつれてだ。だが、また空の色が変わった。今度はなんなのだろうか"


 そこからは一気に数年の時が過ぎたようだ。ビルケの話ではさらりと終わっていた話が生々しくのしかかる。わかっていたが、実際に文章で目にすると強い後悔に苛まされた。やってしまった事に対する言いようのない罪悪感が体の中で渦を巻いている。それでも、ページを捲る手は止めない。


 "空を覆ったあれは結界だ。出ることも入ることも出来ない。精霊たちの仕業なのだろうか。もう私には、まったく精霊の声は聞こえない。魔術は使えるが、応えてくれることはない。どうしてだ。私たちを殺すつもりなのか"

 "南に逃げたが、南にもあの木があった。北にもあるらしい。数えきれないほど人が死んだ。墓はもう作れない。埋めることも出来ない。火の魔術師が、魔力を遺体を燃やすことに使っている。どうしたらいいんだ"

 "国王陛下が亡くなった。その前から国は国の体を成していなかったが指導者がいなくなった。人間が減った代わりに獣人が増えた。病もあるのに獣人にも襲われる。二番弟子が殺された。どうしてこんな事をする。あの子が何をしたというんだ。残ったのは一番弟子だけ。彼だけでも守らなければ"

 "残された者たちが魔術師を中心にまとまり出した。私に指導者になれという。無理だ。私にはそんな力はない。皆を導けるような力は私にはない"

 "獣人の国が立った。彼らは私たち人間が邪魔なようだ。今や獣人の数の方が多い。私たちは逃げるしかなくなった。襲われれば戦わなくてはならない。私は戦いたくない。もう誰の死も見たくない。だが…"

 "一番弟子が死んだ。魔力が暴走し、敵もろとも焼け死んだ。どうしてこんなことになったのだろう。私たちが何をしたというのだ。精霊よ答えてくれ"

 "私と共に逃げていた者たちだけでも生きられるようにしなければ。山裾に棲家を作ろう。岩だらけで何もないが、だからこそここならば獣人たちにも見つからないだろう。どれだけの期間効果があるかは分からないが、視覚を惑わす魔術をかけよう。魔法陣を上手く使えば出来るはずだ"

 "上手く出来た。これでここは安全だろう。だから私はあの村に戻ろう。荒唐無稽と言われるかもしれないが、私はあの村にまだ三番弟子がいる気がする。遺体であっても見つけてやらなければ。私の大切な弟子たちの最後を、看取ってやらなければ…"


 そこで日記は終わっていた。コルビアスは極度の緊張で手が冷たく感じる。

 淡々と書かれていたが、怒りや恨みなどより深い悲しみを感じる内容であった。箇条書きであるせいか真っ直ぐに心に突き刺さり、心臓がぎゅっと掴まれたように苦しい。訳の分からない病に冒されながら襲われ続け、そうして生き残った者たちが作った場所がここなのだろう。ここは千年もの間、彼らの怒りや悲しみが積もりに積もった場所なのだ。

 獣人と呼ばれていたコルビアスの先祖たちは、虐げられていた中で戦い、ビスティアという国を興したと歴史の授業では習った。だがこれは勝者の歴史だ。劣等種たちの中に優等種を酷く憎んでいる者たちがいることは知っていたが、どのような経緯でこうなったのかはまったく知らなかった。


「……ナハト、あの…」


 コルビアスはどう言ったらいいのか分からず、そう呟いて顔を上げた。そして、見てしまった。

 顔を覆って、声を殺して泣いているナハトを。


「ナハト…?」


 さまざまな感情を押し込めるように内側に内側に、体を抱えてナハトは蹲った。そうしなければ泣き叫んでしまいそうだった。日記の最後、そこにはこう書かれていたのだ。"親愛なる弟子たちへ カルスト"と。これは、師父の―――光の魔術師カルストの日記だ。


(「師父…師父……!!!」)


 悲しくて苦しくて、気持ちが溢れてどうにもできない。カルストはずっとナハトを気にかけてくれていたのだ。見つからないナハトを探して、ずっとあの村へいてくれた。すぐ近くに、ずっといてくれたのだ。たった一人で。

 カルストはナハトの事も、カインの事もツィーの事も変わらず大切にしてくれていた。だから最後まで行方の知れなかったナハトの事を探し続けてくれていた。たくさん辛い目にあって、2人の弟子を守れなくて、それでも魔術師としての義務を果たして―――そうして、ナハトを見つけられずに一人きりで死んでいったのだろう。


(「私は…最低だ…」)


 カルストがどれほどの思いでいたのかわからない。悲哀と苦痛に満ちた一生であったはずだ。それでもナハトを見つけられずどれだけ悲しんだのかわからない。

 なのに―――そうして探してもらえてたのだという事が、これほどまでに嬉しい。


(「…ごめんなさい…ごめんなさい…」)


 もう誰にも届かない懺悔を繰り返しながら、ナハトは自身を責め続けた。














カルストは日記に固有名詞を書くことをわざと避けていました。

それにナハトは懐かしさを覚えていました。

一番弟子はカイン、二番弟子はツィー、三番弟子はナハト、孤児院長はシトレーをさしています。


カルストはとても強い魔術師でしたが、戦いを好まない穏やかな人物でした。

だから指導者としてかつぎ上げられることも、獣人たちと戦う事も本当はしたくありませんでした。

でも襲われれば戦わなければならない。

繰り返し戦った結果、彼はどんどん心を壊していきました。カインとツィーを守れなかったことも大きいです。

そうした中でも己の責務を全うし、残った心残りがナハトの事でした。

ですが結局見つからず、森には魔力で変異した魔獣や植物が増え、それでもナハトの痕跡を彼は探し続けましたが、最後には魔獣に襲われた傷が原因でその生涯を終えました。

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