第35話 誘拐の理由
23日の更新は、1つ前の34話の後半につなげました。
34話の後半を読んでいないとつながらないと思いますので、未読の方は1つ前からお読みくださいです。
階段を下りてきたのはフラッドと、先ほど彼と共に来た薄い黄色の髪の男、それと壊れかけの鎧を着こんだ2人の兵だった。牢の前まで来たフラッドは薄い布がかけられた何かを持っていて、牢の中から睨みつけるナハトに戸惑ったような視線を返す。
「リュースさん、やっぱりやめた方がいいですよ…」
「まあまあ、そう言わないで。イルゴさん相手にあれほど戦える人だよ?仲間になってくれたら心強いじゃないか」
「そ、それはそうですけど…」
フラッドと共に来た男はリュースという名前らしい。彼は文句を口にする兵にそう言って牢の扉を開けさせた。
ナハトが構えるのも無視して、何の警戒もなく彼はフラッドと共に牢の中へ入ってくる。ちらりと開いた扉に視線を向けるも、それに気づいたリュースに閉められてしまった。しかもそのまま外から鍵をかけられる。これではナハトたちも出れないが、リュースたちに何かあってもすぐに駆けつけるのは無理である。
(「何のつもりだ…?」)
そんなナハトの視線に帰ってきたのは穏やかな微笑みで、リュースは自身の斜め後ろにいたフラッドに頷く。一歩前に出たフラッドにナハトは警戒を強めたが、ナハトのその行動になぜかフラッドは非難めいた声を上げる。
「な、何もしねーよ」
「どうだか…」
「本当だよ!今だってほら…これ、持ってきただけだよ!」
そう言って差し出されたのは包帯やガーゼといった手当の道具と、パンと水の入った水筒だった。今まで放置した挙句いきなり攻撃してきたというのに、今度は手当てと食事を与えようというのだろうか。随分勝手と気まぐれが過ぎる、そうナハトは思うが―――。
(「…さすがにもう、飲まず食わずでは無理がある」)
ナハトはまだしもコルビアスとピリエは相当疲弊しているはずだ。フラッドの手にあるのはただの硬い黒パンと水であるが、それでもないよりははるかにマシである。
「…信用できないかもしれないけど…お前の事、助けたいんだ」
何も答えないナハトに、フラッドが視線をこちらへ向けずに呟いた。その表情の理由は分からないが、そんな顔をするくらいならここから出してほしい。
「助けるというのでしたら、ここから出してはくれませんかね」
「それは…」
「申し訳ないけどそれは出来ないよ。それよりフラッド、早く手当てと食べ物をあげないと」
「…お、おう…」
フラッドは恐る恐るナハトへ近づき、器ごと床に黒パンと水筒を置いた。空腹なのだろう、置かれたそれにピリエが手を伸ばすがコルビアスが止める。
「何故」と問いかけるように見上げられたコルビアスは、そのまま視線をナハトへ向けた。それに頷いて、ナハトは口を開く。
「信用しろというなら、食事一つについてももう少し考えてはいかがですか?」
「毒なんか入ってねーよ…!」
「あなたは入れるつもりがなくとも、他の方たちはどうでしょうね…」
「そ…」
リュースに肩を叩かれ、フラッドは不服そうにしながらも水筒の口を開けて水を飲み、パンも適当なものを半分に割って口に入れた。咀嚼し終わると中が見えるよう大きく口を開ける。
「ほら、大丈夫だろ?」
「…いいでしょう」
まだ怪しい部分もあるが彼らにできるのはそのぐらいだろう。ナハトもパンを一口と水を口に含んでみるが、特に変な味や痺れもない。それでも念のためパンは割って中身を確認してから口にするようコルビアスに伝えて、先にそれらを渡した。
コルビアスとピリエがそれらを食べている間に、ナハトは黙って手当を受けた。手の縄は外してもらえなかったため仕方なくだが、ちらちらとこちらを見るフラッドたちの視線が気持ち悪い。
「それで…あなた方は私に何をさせたいのですか?」
視線に耐え切れなくなってナハトがそう言うと、フラッドが包帯を巻いていた手を止めた。問うように視線を向けられ、ナハトはため息交じりに答える。
「あの男…イルゴでしたか?彼がぺらぺらと喋ってくださったではありませんか。こいつが噂の奴かと…。という事は、何か明確な意思があって私を探していたという事でしょう?そもそも、なぜ私があの場にいるとわかったのか疑問ですが…」
「あ…そ、それは…」
そう呟いたフラッドは気まずそうに目を伏せた。照れたようにも見えるその態度になんだと思っていると、代わりにリュースが口を開く。
「フラッドはとても耳がいいだ。マシェルの城で、あなたの声を聞いたと言っていててね」
リュースの言葉にコルビアスがぴくりと耳を揺らした。黒パンに悪戦苦闘しながらも意識はこちらへ向いているようだ。それを視界の端で確認しながら、ナハトは大きく息を吐いて心を決めた。コルビアスにもピリエにも聞かれたくないが―――仕方がない。にやりと笑いながら、ナハトは馬鹿にするように呟いた。
「なるほど、それでその反応ですか。…随分と初心な事だ」
「お…!お前らがあんなところでいちゃついてるからだろ!?てかお前とヴァロはそういう関係だったのかってことだよ!気色悪ぃ!!!」
「ふふっ、気色悪いとは…わざわざマシェルの城に大人数で忍び込んでした事は覗き見ですか?随分とリスクの高い覗きだ。いい趣味とは言えませんね」
「そんなわけあるか!!!お前が邪魔しなきゃ俺たちはあそこで…!」
「そこまで」
傍観していたリュースが突然フラッドの口を塞いだ。フラッドはなんだと反発するも、その冷たく細められた目に何も言えなくなる。
「高い戦闘力に加えて口まで達者なんだね。これはますます仲間になって欲しいな」
「………」
フラッドだけならよかったが、リュースは邪魔だとナハト彼を睨みつけた。リュースはナハトがフラッドを煽っている事を理解したうえであのタイミングで止めた。ほんの少しの情報は与えるあたり、まるでこの状況を面白がっているようだとナハトは思う。
リュースはフラッドに包帯やガーゼをいくつか渡すと、背中を押してコルビアスの方へ押し出した。慌ててフラッドが声を上げる。
「フラッドはその王子様の手当てをしてあげて。ナハトさんとは、俺が話をするから」
「はぁ!?なんで俺が…!」
「君はその件の”ヴァロ”という獣人に助けられたんじゃなかったかな?」
「…っ!!」
リュースにそう言われ、フラッドは歯を食いしばりながらコルビアスを振り返った。
脅えた顔をするコルビアスとピリエ。その2人を見下ろすフラッドに、ナハトは淡々と呟く。
「言っておくが…2人を傷つけたら、顔見知りといえど容赦しない」
「わ、分かってるよ!…イルゴさんを倒したお前に、俺なんかが勝てるわけないからな…」
「大丈夫。彼は約束は守る男だよ」
リュースはそう言うが、端からナハトは彼らの事を信用していない。意識はそちらに向けたままでナハトはリュースに向かって問いかけた。
「それで、私に何の話があるんですか?」
「……ナハトさんは、魔術師なんだよね?」
疑問に疑問で返してきながらリュースは笑う。彼には挑発も煽りも無駄になりそうなのでナハトは黙って頷く。
「まぁその首輪の魔石が光っている以上隠したところで意味はないんだけど…。知ってるかな?私達人間には魔力がないんだ。だから、人間の魔術師はいないはずだったんだ」
リュースの言う”人間”とは劣等種の事だ。劣等種の魔術師はいない、それはナッツェに聞いた事でナハトも知っていた事である。
(「フラッドと会った時は知らなかったが…ああ、それでか」)
合点がいった。彼らはナハトに魔力で何かをさせたいのだ。劣等種が持ち合わせていない魔力を持ったナハトに。小さく息を吐いたナハトを見逃さず、リュースはにっこりと微笑んだ。
「ナハトさんはとても慎重な性格のようだから、フラッドと会った時は知らなかったのかな?まぁ、もうどちらでもいいけどね」
「…魔術師であったらなんだというのですか?私の魔力など大して役には立ちませんよ」
「あははっ!そんな事を言って自分の価値を下げようとしても無駄だよ。ちゃんと調べたからね。…サンザランドにシェラドラ、それとラドローレだっけ。獣人でも複数人で対処する魔獣に一人で対処できる魔力の持ち主…」
そう言って、リュースはナハトに近づいた。不穏な空気を感じて体を引くも、肩を掴まれ壁に押し付けられた。その動きがあまりに早く、両手を振り上げるもそれも避けられてしまう。ならばとナハトが足を突き出そうとした瞬間、リュースはナハトの本物の耳元で囁いた。
「…あなたはいったい、どこから来たんですか?」
問われたその言葉にナハトは動きを止めた。今、リュースは「どこから来た」と言った。そうわざわざ問いかけてくるという事は、彼はナハトの秘密に何か気付いている可能性があるという事だ。
冷汗が頬を伝う。何も言葉が出てこず、ナハトは目を見開いてリュースを見返した。
「リュース、何してんだ!?」
慌てて駆け寄ってきたフラッドに、リュースは転んでしまっただけだと言いながら離れた。フラッドはそれに微妙な反応を返しつつも、ナハトに怪我はないかと聞いてくる。
それに頷きを返すと、きちんと手当てされた状態のコルビアスとピリエがナハトの隣へやってきた。隅にいろと言ったのにと目を向ければ、心配そうな2人と視線が合う。
「ナハト…大丈夫?」
「……ええ、すみません。大丈夫ですから、下がっていてください」
「う、うん…」
うまく笑えていたかはわからないがコルビアスとピリエにそう言うと、2人はこちらに視線を向けつつもまた壁の前へと下がって行く。
ナハトは大きく息をついてリュースを睨みつけた。色々聞きたいことはあるが、まずはあちらに情報を出させてからだ。リュースとフラッドにもっと離れるよう言ってから、ナハトは再度口を開いた。
「…私に、いったい何をさせようというんですか?」
「俺たちに協力して、ダンジョンの巨木を破壊してくれないかな」
「なに…?」
「あ、おい!リュース…!」
フラッドが声を上げるも、リュースは気にした様子もなく笑顔で続ける。
「だって、協力してもらうならいずれ話すでしょ?」
「それは…そうだけど…」
「フラッドが話す?俺はどちらでもいいけど」
フラッドは少し考えた後、意を決したように「俺が話す」と呟いた。
「お前は、ダンジョンて呼ばれてるあの木の事を知ってるか?」
「…ええ。これでも冒険者でしたから」
「まぁ、そうだよな。じゃああの木が”何なのか”は…知ってるか?」
思わずナハトは眉を潜めた。もちろん知っている。あの木は世界樹という精霊界と人間界を繋ぐ巨木だ。精霊界の魔力を整えるため、双世界の魔力を循環させるためにあるものだ。
だが、それはナハトが精霊から直接聞いたから知っているだけであって、あの木が何なのかはこちらの人間は誰も知らなかった。ヴァロもアンバスも、ノジェスに移動してからはネーヴェやルイーゼ、フェルグス達にも聞いてみたが、誰も明確な答えは持ち合わせていなかった。
それを、彼らは知っている。
「あの木が全ての現況なんだ。あれのせいで、世界はこんな風になっちまったんだ」
「…どういう、事ですか?」
ナハトが問いかけると、フラッドは言葉をまとめるように一度息を吐いてからゆっくりと話し出した。
その昔―――今からおよそ千年前。ある日突然、今はダンジョンと呼ばれる木は現れた。
その木は周囲にあった村や森を飲み込む勢いで大きくなり、あっという間に現在の大きさに膨れ上がった。人々は何の対処も出来ぬまま、突然現れた巨木の対処に追われた。
だがそれはすぐに終わりを迎えた。その巨木から出た光の幕が世界を覆ったからだ。その幕は触れることは出来ても通り抜けることは出来ず、幕の外と中は完全に隔たれてしまった。穴を掘っても空を飛んでもその幕を通り抜ける事はできず、斬りつけても燃やしても、傷一つつけることは出来なかった。
だから、人々は木を破壊しようと試みた。
「俺たちの先祖は、何度も何度も繰り返しあの木を壊そうとしたんだ。だけどあの木は、魔術師以外傷がつけられなかったんだ。魔力がないと駄目だったんだ!だから…世界を元に戻すために、あの木を壊すために協力してくれないか…?」
フラッドとリュースが顔を上げてナハトを見た。期待に満ちた強い目だ。
だがそれに、ナハトは一言だけ言葉を返した。
「…それで?」
「え…」
思っていた反応と違ったのか、フラッドが戸惑った声を上げる。
しかしそれはナハトも同じだった。まるで見てきたように説明する事は気になったが、それよりも”あの木を破壊すればすべて元に戻る”と信じて疑っていない様子が信じられなかった。
「何故、あの木がなくなればすべてうまくいくと思うんだ?」
「何故って…あれがあるせいで獣人がのさばる様になったんだ。あれがなければ、結界の外の同胞と協力して獣人を皆殺しにできるんだ!良い案だろう?」
「待て、結界の外について何か知っているのか?」
聞き捨てならない言葉に思わず腰を浮かせるも、リュースが困った顔で追加の情報を口にする。
「いいや、外の事は何もわからないよ。だけど、獣人は元々この辺りにしかいなかったようなんだ。だから、おそらく外には獣人はいない」
「そうなんだよ!だから結界の外は、俺たち人間が支配している世界なんだ!もうそんな耳なんかつけなくてもいいんだよ!」
「…な…」
「なんだそれは」と、ナハトは思わずにいられなかった。記憶を辿ってみるも、千年前に獣人がこの辺りにだけしかいなかったという話は聞いた事がない。言い切っていない事からしても、彼ら自身もはっきりとは分からないのだという事が分かる。
だが、何故そこで”ダンジョンの巨木を壊せばすべてうまくいく”と思い込んでいるのだろうか。何のやり取りも出来ない中で、どうして外にそこまでの期待を向けられるのかナハトには理解が出来なかった。
「…ふざけるな。そんな訳のわからない、お前たちだけの夢物語のような計画に私を巻き込むな」
腹が立った。そんな計画性も実現性もない事にナハトを巻き込むために、狩猟大会の場にいた者たちは襲われたというのだろうか。ピリエも他の子どもたちも、そんな計画のために誘拐され傷つけられ、命を落としたというのだろうか。
「…何が、うまくいくだ…!」
彼らは結界を解いた後のことなどまるで考えていない。千年もの間接触がなかった外がどんななのか考えたこともないのだ。夢のような場所だと思い込んで、具体的なことなど何も考えられていない。それに―――。
ナハトが振り向くと、話が聞こえていたのだろう。コルビアスが大きな目を見開いてこちらを見ていた。その目がナハトの視線と合って恐怖に歪む。
(「…皆殺しなど、絶対にさせるわけにはいかない」)
ナハトが目覚めてから、傷つけたのも、助けてくれたのも、どちらも優等種であった。それはナハトが眠りにつく前と変わらない。どこにだって良い人と悪い人はいる。ただ、それだけの事だ。
それを、すべてあちらが悪いと決めつけて、皆殺しにするなどあっていいわけはない。
「協力など誰がするものか…!」
「な…!?おい、ナハト!」
「フラッド、あなたは自分がどれだけ中身のない話をしているのかわかっているのか?それとも…それすら考えられないほど愚か者なのか?」
「てめえ…!!!」
そう叫んで立ち上がったフラッドにナハトも立ち上がる。胸ぐらでも掴もうとしたのか延ばされた腕を叩き落とすと、フラッドは憎々しげに言う。
「…お前、自分の立場が分かってんのか?お前がそう言う態度をとるなら、こっちだって考えがあんだぞ!」
「おやおや…私を助けたいと言った口で、今度はそのような事を仰るのですか?約束を守る男だというのは嘘のようですね」
「いい加減にしろよ!協力しないなら殺されるかもしれないんだぞ!?」
「…それでしたら、全力で抵抗して死んで差し上げましょう。いくらでも、相手になりますが…?」
ナハトは目を細めて構えた。協力するつもりなど端からなかった。協力してコルビアス達を助けられるなら考えたが、協力したとしても殺されないだけで酷い目には合わされるだろう。あのイルゴという男は真っ先にナハトを屈服させようとしてきた。女だからと言って目の色を変えたのを、ナハトは忘れてはいない。
ここまで来る間に女性の声がほとんどしなかった事からいっても、ここには女性はほとんどいないのだろう。であれば、協力したところで慰み者にされるのがおちだ。そしてそうなってしまえば、ナハトがどれだけ抵抗しようともコルビアスとピリエの命は―――ない。
あからさまに殺意をあらわにしたナハトに牢の外にいた2人が武器を抜いて牢の中へ入ってきた。それに、フラッドが声を上げる。
「お前…死にたいのか!?」
「これはおかしなことを言う…。言う事を聞かないならばと、先にこちらの命を引き合いに出したのはそちらでしょう」
「…このっ…!!!」
口では勝てないと悟ったフラッドが拳を振り上げた瞬間、パン!と高い音がしてナハトとフラッドはそちらを振り返った。リュースが両掌を合わせて口を開く。
「ナハトさんにもあれを見せよう」
「は…?はぁ!?それは駄目だろ!」
「でもあれを見せたほうが早いと思うんだ。自分の目で見れば、いろんな現実を受け入れざるを得なくなると思うし」
そう言ってリュースは兵に武器をしまうように言う。兵たちは渋々といった様子で従うが、扉の外で武器は抜いたままだ。いつでも駆け付けられるようこちらを見ている。
(「…あれとはいったい…」)
それが彼らの情報源である事は確実であるため、見れるならば目を通しておいた方がいいはずだが―――何故だかナハトはとても嫌な予感がしてならない。
フラッドはリュースがいう”あれ”をナハトに見せることは反対のようで、「でも」と食い下がった。
「あれは幹部が厳重に保管してるだろ?俺たちだって、最初の一回しか目を通すことを許されていないじゃないか」
「そこは俺が何とかするよ。ガレジオさんを説得するのも俺がやるからさ」
「……随分と勝手が過ぎますね。私がそんな得体のしれないものに目を通すとでも?」
ナハトがそう言うと、またリュースが近づいてきた。今度は何をするつもりだと構えれば、彼は囁くように呟いた。
「最初のページをめくれば、俺が言った理由が分かるはずだよ」
「…なに…?」
リュースはそう言い残してフラッドと共に牢から出て行った。
程なくして戻ってきた彼の手には、3冊の古びた本が握られていた。
コルビアスは初めて食べる黒パンの味と硬さに悪戦苦闘していました。
ピリエが黙々と食べているし、ナハトは話をしているしで文句をいう事も出来ず、もそもそと頑張って咀嚼しています。




