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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第四章
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第28話 大きな隔たり

 ナハトが完全に回復したのはそこからさらに5日後。翌日にはナナリアの回復薬を貰い、傷と体力はそれであっという間に回復したが、問題は体に残った痣と心の傷の方だった。

 回復薬というものは、どんなものでも一定の上限がある。市販の回復薬がコップ一杯ほどの傷や体力に作用する効果があるとしたら、ナナリアの回復薬はそれが酒樽ほどと表現すればわかりやすいだろうか。つまりそれだけ多くの傷や体力に振り分けられるのだ。そしてそれは重い怪我から作用していくのが通常である。

 ナハトの傷は右腕の骨折が一番重かった。その次に背中の広範囲の打撲、頭の傷と、どれも怪我としては重症であったため、それで回復薬の効果は切れてしまった。両足の傷と、一番消えてほしかった首筋と肩の痣は消えなかったのだ。さらに言えば、ナナリアの回復薬も神秘の花と同じでそう繰り返し口にしていいものではない。その為、首筋と肩の痣が消えるまで部屋を出ることが出来なかったのだ。

 心の傷に至ってはまだ欠片ほどしか癒えていない。幼い頃の傷すら癒えていないのだから当然ではあるが、そもそも心の傷というものは治りにくいものである。心に関しては体が動けるようになったからと、そう開き直っているだけにすぎない。


「すっかり体は良くなったみたいね」


 着替えを済ませたナハトが部屋へ戻ると、ユリアンナはそう言って柔らかく微笑んだ。

 有難いことに城に置いたままであった護衛騎士の服と仮面が届けられ、女物ではないかっちりしたそれに身を包むだけでとても心が安心する。


「本当にお世話になりました、ユリアンナ様。ジェーンも…本当にありがとうございます」

「うふふ、いいのよ」

「わたくしは一使用人でございますから。お気になさらないでくださいませ」


 ナハトは礼を口にして、ユリアンナの隣でむくれた顔をしているナナリアに微笑みかけた。コルビアスが迎えに来たらナハトはその瞬間から彼の護衛騎士へと戻る。そうすると場としてはナナリアの出席はふさわしくないため、先に挨拶をと思ったのだが―――ナナリアは殆どナハトと関わらせてもらえなかった事をひどく残念がって拗ねてしまっていた。


「もう帰ってしまうなんて…せっかく元気になったのだから、遊びたかったわ」


 ぷくりと膨らませた頬をまたジェーンに頬を挟まれそうになって逃げるナナリアを微笑ましく思いながら、ナハトは目線を合わせるために膝をつく。


「とてもお世話になったのに申し訳ありませんお嬢様。次こそは遊びに来させていただきますのでお許しいただけませんか?」

「もう…どうしてお母様は名前で呼ぶのにわたくしは”お嬢様”なんですの?ちゃんと名前で呼んでくれないと嫌ですわ」


 それはハルファンが許さないかったからなのだが―――。

 ちらりと視線をユリアンナに向けると、彼女は微笑んで頷いた。どうやら名前で呼ぶ許可が下りたようだ。女主人がいいというのだから、ハルファンも怒ることはないだろう。


「では、ナナリア様。お許しいただけませんか?」

「ふふふっ、いいですわよ。絶対、遊びに来てくださいね」

「はい」


 にっこりと頷いたナナリアに微笑み返すと、彼女は満足そうに笑った。

 その時、部屋にノックの音が響いた。どうやら迎えが来たようである。


「ナハト様、侯爵様がお呼びです」

「わかりました」


 ナナリアとユリアンナ、それとジェーンに繰り返し礼を言って、ナハトは迎えに来た執事に連れられて部屋を後にした。




「ナハト!」


 応接間に入るや否や、コルビアスが声を上げて立ち上がった。

 だがすぐにはしたなかったと咳払いをして座りなおす。その後ろにはシトレンとリューディガーがいて、フィスカとヴァロの姿はない。どうやら必要最低限の人間で迎えに来たようだ。予定ではこの後早々に首都の屋敷へ戻るはずなので、その準備に追われているのかもしれない。

 ナハトはまっすぐコルビアスの元へ向かうと、貴族の礼をして膝をついた。


「長期間お側を離れて申し訳ありませんでした、コルビアス様」

「元気になったようでよかった…。結局最後までナハトと話す許可を貰えなかったから、とても心配していたんだ」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」


 コルビアスの言はニグルを責めているのだが、当の本人はどこ吹く風でまったく意に介していない。いい笑顔のまま微動だにしないニグルに、コルビアスは早々に諦めてシトレンに指示を出した。よく見ると彼の後ろには貴金属や調度品を乗せたワゴンがある。それをシトレンが押し出しコルビアスの横まで持ってくると、コルビアスはゆっくりとニグルに向かって口を開いた。


「これは私と王家からの礼の品です。マシェル騎士団の迅速な働きにより火が最小限で止められたことを、国王陛下もお喜びになっておりました。…今後も、王家に変わらぬ忠誠をよろしくお願いいたします」

「私は友人の手当てをしたまです。これらの品をいただく理由はございません」

「そうおっしゃらずに受け取っていただきたい。これは私の護衛騎士を手当いただいたお礼の品でもあるのです」


 笑顔のまま、コルビアスとニグルは言葉による応酬を続ける。

 ナハトが知る由もない事であるが、コルビアスとニグルの間には埋められない溝が出来てしまっていた。ニグルはコルビアスらが、立場の弱いナハトらを軽く扱うことに対して憤慨していたのだ。あくまで友人を助けたという姿勢を貫きたいニグルと、品物を受け取らせて忠誠を買いたい王家。断れないようコルビアスの贈り物も混ぜたのは、護衛騎士の手当てのお礼としてならば受け取らない訳にはいかないからだ。

 もちろんこれで中立派の中心であるクローベルグ侯爵家の忠誠が買えるなどとは思っていないが、受け取らせることに意味がある。


「受け取ってもらえないだろうか」


 コルビアスの言葉に、小さく息を吐いてニグルは答えた。


「…では、半分いただきましょう。それ以外は過ぎるというもの。護衛騎士2人の価値をいたずらに吊り上げないためにも、半分でご理解いただきたい」

「……わかりました」


 その後は舞踏会での調査の報告がニグルからなされ、1時間ほどで屋敷を出た。

 話を聞く限りでは、コルビアスにはニグルから情報を持ち帰るという任が課せられているようだ。ナハトの事があるにしても、わざわざコルビアスが出向いて尋ねていることといい、先ほどのやり取りといい―――王家とニグルらクローベルグ侯爵家の間には大きな隔たりを感じずにはいられない。

 見張りの様に城へと向かう馬車を護衛する騎士団に少々の不安を覚えるも、まるでそれを振り払うかのようにコルビアスは早速ナハトへの聴取を始めた。


「戻ったばかりだけど聞きたいことがたくさんあるんだ。侯爵から報告は受けていたけど、レオ本人から聞いたわけじゃないから、情報がどこまで正しいかわからないんだ」

「わかりました。私にお答えできることでしたらお答えいたします」

「助かるよ」


 シトレンとリューディガーの視線が痛い中、ナハトもいなかった間にどのような調査がなされたのかを聞くこととなった。

 コルビアスから問われた内容は主に劣等種とバレット・アヴォーチカについて。特に劣等種についてだ。バレット・アヴォーチカについてはナハトの証言があったものの、結局バレットがあの場にいたと証明できるものが何もなかったため彼は無罪放免となってしまったらしい。

 何より、バレットが舞踏会にいなかったという証言が複数出てしまったのだ。バレットは結婚しているがまだ子供もおらず、社交以外で参加する必要性がなかったこと、夫人が参加していなかったこともあって、”いなかった”という”証言”が強化される結果になってしまったとの事らしい。

 ナハトが一番気になっていたバレットについては文句しか言えないような結果であるが、貴族の社会は上の者が言ったことがすべてである。この場合は国王であるウィラードがそこまでと言ってしまったので、これ以上バレットについて聞くことは出来なくなってしまったのだ。


「アヴォーチカ伯爵様が当日”いなかった”と証明されたのでしたら…私に対して疑いの目が向いたという事でしょうか。だからコルビアス様はこのような聴取をされているのですか?」

「それはないよ。…僕は、僕自身は、レオの証言を信じてる。陛下も、レオには兄様たちを毒から救ったという功績があるから考慮してくださった。だけどこうなってしまった以上、アヴォーチカ伯爵の事はこれ以上は公式に探ることが出来なくなってしまったんだ」

「そうですか…」


 あの場にいた最重要に怪しい人物であったのに、結局何も調べられなかったとは―――貴族とはなんとも面倒なものなのだと、ナハトは改めて思う。

 だがそんなことは言ってもしょうがない。コルビアスは”公式に”と言っていたのだから、おそらく裏ではディネロに探らせているのだろう。であれば、何かあれば報告が上がってくるはずだ。


「それで、劣等種についてなんだけど…」


 そう問いかけてくるコルビアスに、ナハトはユリアンナに説明したことをそのまま繰り返した。さすがに地図などはなかったが、口頭の大まかな説明でも、劣等種の外見的特徴や侵入経路などの整合性が取れたようだ。おそらくすでに動いていたであろうそれが無駄にならなかったと安心してか、コルビアスはほっと息を吐く。

 コルビアスの話ではナハトが唯一しっかりと特徴を覚えていた劣等種に関しては早々に手配がかけられ、調査が行われているらしい。ナハトが見た劣等種には眼帯という大きな特徴があるためすぐに見つかると思われていたようだが、残念ながら今日になってもその男が見つかったとの報告はないそうだ。似た者は何人か見つかったそうだが―――。

 

「マシェルは温暖だから劣等種の数も首都や北の町々より多くて…。さらにいうなら、マシェルの優等種と劣等種は比較的仲がいいんだ。だけど、首都から調査に来てる貴族や近衛騎士団たちはそうじゃない。行き過ぎた聴取で反発が大きくなってて…」

「捜索もうまくいっていないと」

「そうなんだ…」


 マシェル城では結局劣等種たちの侵入経路も分からなかったらしく、かなりの大騒ぎになったそうだ。マシェル騎士団長のニグルもその責任を問われたが、火をつけられたエリアは王族の警護に当たる近衛騎士団の管轄であった。そのためマシェル騎士団の責任ではないとニグルが言い切り、結果その責任の所在で近衛騎士団とマシェル騎士団は泥沼の言い争いになったらしい。直前で警備の変更が行われたと主張するマシェル騎士団と、そんな指示は出していないという近衛騎士団とで主張が食い違い、さらにどちらも書状による証明を出してきたため、今度はどちらかに劣等種を手引きした者がいるという騒ぎに発展してしまったのだそうだ。


「劣等種の侵入もそうだけど、もし本当に手引きした者がいるならそちらの方が問題だ。だから今城は大変なことになっているんだ。僕には正直、何で侯爵があんなに涼しい顔でいられるのか不思議でならないよ」


 どこか疲れた顔でそう言って、コルビアスは息を吐いた。

 問題がどんどん増えてしまっている様子にナハトはひそかに眉を寄せる。舞踏会があったあの一夜だけで、いったいどれほどの思惑が動いていたというのだろうか。ヴァロを嵌めた令嬢はブランカがナハトを襲い切れなかったから用意されたのだろと聞いたが、果たしてそれも本当にそうだのだろうか。ナハトは確かにバレットを見たし、彼が劣等種と会っていたのも確認した。警備のやり取りがあったという事は、あの場に騎士がいなかったのはそう用意された場であったからという事だ。ならば、劣等種はなぜあの場にいたのか。劣等種の目的もバレット側の目的もわからないが、どちらも目的があってあの場にいたことは確かである。ならば考えられるのは―――。


「……コルビアス様、劣等種の目的やバレットの目的に見当はついておりますでしょうか?」

「それは散々議論されているが…これと言って確定的なものはないよ。安直に考えるなら王族の抹殺だろうけど…優等種が、それも貴族がそれに協力するとは思えない。レオの話では、身なりがよくなかったのだろう?」

「はい」

「なら、彼らは劣等種の中でも貧しい者たちだったと思う。尚更そんなことに加担する理由がないよ」


 それはコルビアスの言うとおりである。

 だが、ナハトはそこに何か見落としがある気がしてならなかった。劣等種とバレットたちが何を話していたのか、明確に聞き取れなかったが本当に見落としは何もなかったかと思いだしていると、突然コルビアスがぽつりと呟いた。


「……実は、レオに謝りたいことがあるんだ」

「何でしょうか?」


 この話の流れで何の謝罪なのだろうか。そもそも今更謝ってもらう事などと、少し不貞腐れながらナハトはそう思った。義理を果たすために戻ってきたが、コルビアスに強制された事を許したわけではない。それが少し声に出てしまったのか、少し俯いたままコルビアスは続ける。


「…僕の考えが足りないばかりに、こんなことに巻き込んでしまって…本当にすまない」


 随分と素直にコルビアスはそう謝罪を口にした。今まではナハトが言わなければ彼は己の過ちに気づかなかったし、何より王族至上主義のシトレンが何も言わないのが不思議だった。

 目を向けるも、シトレンも黙って頭を下げるコルビアスを見つめている。


「侯爵に言われて気付いたんだ。僕は君とアロのことを、無意識に軽んじていた。その結果が今回の騒動の一端であった事は否めない…本当に、すまない…」


「なるほど」と、そうナハトは思った。これもニグルが言ってくれたのかと。本当に信じられないほど侯爵家の人々はナハトによくしてくれた。本当にありがたく、どれだけ礼をしても足りないと思う。

 だが同時に、コルビアスらに深い失望を感じた。言われて謝るという事は、本当に気づいていなかったという事だ。ナハトがあれほど嫌だと思っていた事も、それを強制していたのにニフィリムらから守らなかった事も、貴族なら知っていて当然の香についての説明を怠っていた事も、何もかも―――。

 言われて気づくならまだいいとは思う。だが、それがナハトらがついた1年足らずで何度あっただろうか。反省はしているのだろうが、謝罪より先に己の確認したい事を持ってくるあたり誠意は薄いと言わざるを得ない。

 ナハトは目を伏せると、ゆっくりと口を開いた。


「ありがとうございます、コルビアス様」


 そう言って微笑んだナハトに、コルビアスはほっと笑みを返した。もちろんナハトの言葉は謝罪を受け入れたものではない。受け入れたものではないが、そう口にすることでいくつかの条件を吞んでもらおうと思ったのだ。これからまだ少し続く護衛騎士の任から、ナハト自身の心を守るための条件を。

 一つは護衛騎士の服についてだ。ユリアンナから可能性の一つとして言われていた女性用の服を用意されている可能性を排除したかった。服が男物であるかどうか、それだけでナハトの心は大分守られる。このまま男性用の護衛騎士の服を着続けていいと、言質を貰いたかったのだ。

 もう一つはヴァロと部屋を分けてもらうという事だ。ヴァロとの話は必要だが、今まで通り同じ部屋での寝起きにはどうしようもない抵抗がある。幸いヴァロがナハトに”何をしたか”は、ニグルとユリアンナ、それとあの場にいたロザロナ以外には知られていない。ニグルもあえてその報告は避けていたため、ナハトの魔術で眠らされたという話しか通されていないのだ。

 今回部屋を分けてほしいと言えばもしかしたらコルビアス以外の勘の良い者にはなんとなく伝わるかもしれないが、あえてそれを口にしてくるほど恥知らずなものはいない―――と信じたい。


「どうかお願いできますでしょうか?」


 ナハトがそう言うと、コルビアスは少し服について残念そうにしながらも頷いた。やはり用意はされていたらしい。どうしても嫌だという思いをわかってもらうのは無理なようだが、言質は取れた。言いたい事はいろいろあるが、最低限のそれで良しとしよう。

 ナハトが小さく息を吐くと同時に、馬車はマシェル城の前で止まった。















マシェル城で侵入者の痕跡が靴跡だけというのは相当おかしい事です。

優等種と違って劣等種には魔力がないため、侵入は自力で行われたはずであるのに、その痕跡が何も見つからなかったからです。

更にマシェルの騎士団か近衛騎士団にそれを手引きした者がいるとまで言われて、近衛騎士団の面目は丸つぶれ。

団員同士でかなりの言い争いになりました。

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