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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第四章
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第27話 深い傷跡

 人の気配で意識が浮上した。薄く開いた目に映ったのは見慣れない天蓋。随分と清潔そうな暑い布が使われていて、ここは”孤児院”ではないとすぐに分かった。どこだと思ったのもつかの間、熱があるのかゆがんだ視界ははっきりとせず、吐く息は熱い。


「お目覚めになったようです」


 そんな声が横から聞こえ慌てて体を起こす。聞き覚えのないその声に、相手を確認する前に反射的にベッドの上から逃げ出した。右手をつき、走った痛みにバランスを崩してベッドの下に転がり落ちる。顔を上げるもやはり知らない大きな部屋で、転がり落ちたベッドの反対側には年嵩のメイドと見た事もないほど綺麗な女性がいる。随分と大柄な女性だが、ウェーブがかかった長い金髪が美しい。そしてぎくりとする。なんだろうあの動物のような耳は。いつ貴族や富豪の獣人に売られたのかと〇〇〇は大いに混乱した。


「動いてはいけません!傷が開いてしまいます!」

「来るな…!なんなんだ、ここは、どこだ…!?」


 メイド姿の年嵩の獣人が駆け寄ってきてそう声を上げたが、近寄ってくる彼女を大声を出してけん制する。何か武器になりそうなものをと探すが何もなく、それどころか息が上がってすぐに動けなくなってしまった。抵抗の意味で左手でつかんだ寝具を握りしめて巻き付けると、精一杯の虚勢を張る。


「答えろ…!ここはどこだ!?あんたたちは私を買ったのか!?」


 怖くて怖くてしょうがなかった。何でこんなに身体中痛いのかよく分からない。荒い息のまま、辛うじて倒れないよう体を支えながら睨みつけると、困惑した顔でメイドは女性を振り返った。


「奥様…」

「熱で記憶が混濁しているようですわね。わたくしが代わりましょう」

「お気を付けください」


 そう言って今度は金髪の獣人が近寄ってきた。

「来るな」と叫んでみるも女性は微笑んで歩いてくる。その笑みが怖い。下がろうにも後ろは壁でこれ以上下がれず、武器になりそうなものは何もない。熱のせいか両脚は萎えて力が入らない。かくなるうえはと、〇〇〇は左拳を握りしめて振りかぶった。

 だが―――。


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 一矢報いようと突き出したそれはあっさりとよけられ、それどころかそのまま抱きしめられてしまった。


「離せぇ!何を…!」

「大丈夫。敵ではありませんわ。大丈夫」


 暴れるがびくともしない。だというのに背中を撫でる手は優しく、声にも全く敵意がない。それが逆に怖かった。〇〇〇を助けてくれる人などここにはいないはずなのに―――。

 だがその時、熱で朦朧とした頭に師父カルストの顔が浮かんだ。続いてシトレーの顔が浮かび、思わず動きを止める。


「あ…え…?」

「ゆっくり息を吸ってください。大丈夫ですから」


 言われた通りにゆっくり呼吸すると、少しずつ混乱した頭が冷静になっていく。違う、もう孤児院にいたころの〇〇〇ではない。”ナハト”だ。そう決めたはずだ。

 今にも意識を失いそうな頭を無理やり働かせる。気持ち悪くて脂汗が噴き出る中、抱きしめて背中を撫でてくれる女性の手が暖かく、その感触に無意識にすがった。

 その瞬間、様々なことが思い出されて強烈な吐き気が込み上げてきた。堪え切れずに吐き出してしまうが、女性はまったく意に介さずに微笑んだままナハトの背中を撫でる。


「気にしなくていいのですよ。吐き出せるなら吐き出してしまいなさい。大丈夫ですから」


 体の周囲を何か暖かく柔らかいものが包み込む感触がした。さらに穏やかで優しい声が繰り返し大丈夫と囁き、だんだんと強張った体がほどけて行く。


(「…暖かい…」)


 愛しむように囁かれる言葉と手に、気が付くとナハトはそのまま眠ってしまっていた。




 次にナハトが目覚めたのはさらに2日後の夜だった。

 目を覚ました瞬間また見慣れない天蓋にびくりとしたが、熱は大分落ち着いたようですぐに頭は冷静になった。同時にやってしまった失態が思い出されてため息をつく。うろ覚えであるがあのメイドはナナリアのメイドのジェーンで、女性はナナリアの母親のユリアンナであったはずだ。

 つまりは侯爵夫人である。そんな女性のドレスを皴にしただけでは飽き足らず吐いてしまうなど、もうどうお詫びしたらよいかわからない。

 その時ノックの音が響き、誰だと思うもなく扉が開いて先ほど思い出したばかりのジェーンとユリアンナが入ってきた。なんの心構えも出来ない状態での対面に慌ててベッドの上から降りようとするが、それはユリアンナに止められてしまった。代わりに一人掛け用の椅子がベッドの傍らに移動され、そこにユリアンナが座って微笑む。


「動けるようになったみたいでよかったわ」

「あ、あの…ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はナハトと申します。…その、先日はご迷惑を…」


 と、そこまで言ったところでふと思う。ご迷惑をかけたどころではないのだと思うが代わりの言葉が思いつかない。さんざん考えて、結局ナハトは「本当に申し訳ありませんでした」と深く頭を下げた。

 その動きに背骨がきしんだ音を立てるがそれどころではない。貴族にしてしまったことを考えると、このくらいの痛みは気にするほどのものではなかった。

 だがそんなナハトとは反対に、ユリアンナとジェーンが慌てたように手を伸ばしてきた。体を起こすよう言われて戸惑う。


「そうかしこまらなくても大丈夫ですわ。あのくらい大したことではございませんもの。それより少し体調を確認させてもらえるかしら?」

「は、はい?…はい」


 大したことがないわけではないはずだが―――それ以上何も言えるような雰囲気ではなく頷いた。するとジェーンがやってきて、ナハトの額に手を当てて熱を測る。右手、背中、頭と確認し、両足も確認された。ナハト自身きちんと己の体の様子をわかっていなかったが、右手は骨折していたようで今は固定されて肩から吊るされている。上半身は首まで包帯でぐるぐる巻きになっているし、頭が妙に重いと思ったのも大きなガーゼで後頭部が覆われていたからであった。


「熱は大分下がったようでございますね。ですがまだ無理をしてはいけませんよ」

「あ、ありがとう…ございます」

「では奥様、わたくしはこれで失礼いたします」


 ジェーンはそう言うと、少しだけ微笑んで退室していった。部屋に残されたのはナハトとユリアンナだけ。何とも気まずい沈黙にナハトがどうしたものかと思っていると、ユリアンナはジェーンが持ってきたトレイをサイドテーブルへ移し、手ずから紅茶を淹れてくれた。その一つをナハトの前に置く。


「あ、あの…」

「ご挨拶が遅くなってごめんなさいね。わたくしはユリアンナ・クローベルグ。ナナリアの母です」


 やはりそうだったかと、頭を下げてまたナハトも名乗った。背中の怪我を気遣ってすぐに頭を上げるよう言われ恐る恐る体を起こす。

 劣等種と戦った後の記憶があいまいで、ここがどこなのかナハトには見当がついていなかった。いや、何となくクローベルグ侯爵家の屋敷だろうと見当はついているが、これほど手厚く看病してもらえる理由がわからない。耳も尻尾も外されている以上、ナハトが劣等種であるとわかっているはずなのにだ。


「紅茶とゼリーをどうぞ。どちらもとっても美味しいのよ」


 そう言ってユリアンナは先に紅茶に口を付ける。勧められるままナハトも口にすると、余程喉が渇いていたのか、ほんのり甘く柑橘の香りがするそれはするするとのどを滑って行った。あっという間にからになったカップに、ユリアンナは微笑んでまた紅茶を継いでくれる。


「具合が悪くなったら遠慮なく言ってくださいね。わたくしとしてはもう少し元気になってからと思っているのですが、問い合わせがしつこくて…」

「あの…奥様」

「あら!名前で呼んでくださって良いのですよ?」


 にっこり微笑んで言うユリアンナは、名前で呼べと言ってきたナナリアと同じ顔をしていた。それになんだかほっとしてしまう。


「で、では、ユリアンナ様…」

「うふふ、何かしら?」

「問い合わせとおっしゃってましたが…それは、舞踏会での…ことについてでしょうか?」


 口にするとどうしても顔がゆがむ。

 そんなナハトをユリアンナは眉を下げて見ながらも頷いた。


「そうです。少し長くなりますが説明するわね」


 そう言って、ユリアンナは現状について話をしてくれた。

 舞踏会からはなんともう1週間経っていて、その間王家が中心となって捜査がなされているのだそうだ。その理由は、ナハトが倒れていた場所は、城の中でも国王であるウィラードの居住区として与えられている場所へ続く廊下であった。そんな場所で火災が起きて、その場所に劣等種がいたという事で、王家は本気で犯人を捜し回っている。

 さらにバレット・アヴォーチカについても王家は疑いの目を向けているが、証言者がナハトしかいないうえ、ナハトが”貴族ではない”という一点のみで証言に難ありとされてしまっているのだそうだ。


「目覚めたのですから、あなたも聞きたいことがありますでしょう。ですが、先に当日の事を話してもらえるかしら?」

「…わかりました」


 本来ならばそれは近衛騎士の仕事であるそれを、侯爵夫人であるユリアンナがわざわざ行っている時点で、ナハトは自分が守られているとわかっていた。ならば少なくともこの人はナハトにとっての敵ではない。もう劣等種だとばれてしまっているのだし、ならば何も隠すことはないと、ナハトはその日のことを話し出した。


「最初に不審な声を聴いたのは休憩室の扉ごしでした」

「休憩室というのは…最初にあなたがロザロナに案内された部屋の事かしら?」

「はい」


 ヴァロがフィスカを呼びに部屋を出たため、鍵をかけようと扉に近づいたところその声は聞こえた。言い合いをしているような声で、更にどこか聞き覚えのある声を疑問に思い、書置きを残して追いかけた。その先でナハトはバレット・アヴォーチカともう一人の貴族を見かけたのだ。


「アヴォーチカ伯爵と、もう一人の貴族…。その外見を覚えていますか?」

「はい。バレット・アヴォーチカ…伯爵様は、オレンジがかった金髪で長髪、目の色は緑で、年のころは20代後半くらいの男性です。もう一人の貴族は短い濃い茶色の髪を立たせた20代になりたて位の若者に見えました。この方は横顔しか見ていないので、正直なところ私の発言にどれほど信頼が置けるかはわかりません…」

「そう…。失礼ですけど、あなたはアヴォーチカ伯爵と面識があるのかしら?」


 ナハトの答えに、ユリアンナは不審そうに顔を傾ける。

 それに「しまった」とナハトは思った。まだ頭が完全に起きていないようで、そのままバレットについてしゃべってしまったが、本来なら彼はナハトと面識のあるような人物ではない。あの暗い中で一目見て声で気づくほどという事は、会話したことがなければあり得ない事だ。ユリアンナが疑問に思うのは当然である。

 バレット・アヴォーチカとはカントゥラの裁定の場で面識がある。だがそれを言うにはカントゥラでの事を含め、冒険者だという必要がある。それを伝えてしまえばわざわざ顔を隠していた意味がなくなってしまうが―――。


「どうか内密にお願いしたいのですが…私はカントゥラの裁定の場で、アヴォーチカ伯爵様と面識がございます」


 結局ナハトはそのまま口にした。ドレスを汚してしまったことを責めない人に嘘をついて誤魔化すというのは、ナハトを気遣ってくれた相手に対してすることではない。

 ユリアンナはナハトの言葉を聞いて「ああ」と思い出したかのように頷いた。


「カントゥラの裁定の場…侯爵様へ冒険者について問い合わせがあったという、それの事ですか?」

「…はい。私と…ヴァロくんは、カントゥラで策略に合い、犯罪者として裁定の場へ引きずり出されました。その際にカントゥラ伯爵様の傍らにいた貴族がアヴォーチカ伯爵様でした。お言葉も交わしたので、見間違えたという事はございません」

「…わかりました。そこはわたくしの方でうまく伝えておきましょう」


 ユリアンナにそう言ってもらえて、ナハトはほっと息を吐いた。万が一にもバレットの口からナハトの事が漏れるのは避けたい。うまくごまかしてくれるというユリアンナに任せることにして、ナハトは礼を口にした。


「口を挟んでごめんなさい。続きを話してもらってもいいかしら?」

「はい」

「それと、これがあった方が説明しやすいかしらね」


 そう言ってユリアンナは手書きの地図を取り出した。城の見取り図は最重要機密のため持ち出せないが、あった方が分かりやすいだろうとニグルが書き起こしてくれたものらしい。

 簡易的なものであるが確かにこれがあるのとないのとでは大分説明のしやすさが代わる。


「ありがとうございます。ええと、おそらくですが…」


 ナハトがいたであろう部屋の周辺から書いてあるそれを見下ろして、ナハトはユリアンナに説明を再開した。

 部屋を出て右手に向かい、そこから低い植木に囲まれた噴水を抜けて、そこを回り込むように建物の裏手に向ったはずだ。それでバレットたちが劣等種と会っていたのは―――。


「このあたりです。背の高い建物の裏手で窓がなく、高い木の下の辺りだったと思います」

「劣等種たちがどちらから来たかわかりますか?」

「…明確にはわかりかねます。月が丁度隠れていて暗かったので…ですが、おそらくこちらの方からかと」


 そう言ってナハトは森の方を指した。

 ナハトがいた休憩室の裏手はマシェル城の周囲に広がる森へとつながっていた。ナハトが指し示したそこを見てユリアンナは眉を寄せる。


「…ごめんなさい、続けて」


 ユリアンナの言いたいことはわかる。通常森に面しているそこには騎士が配置されているはずであったのだが、その日は何故か騎士がいなかったのだ。ナハトも不審に思い見回したから覚えている。


「…騎士の姿はありませんでした。ですから、そのまま彼らを追いかけました」


 念のためそう付け加えるとユリアンナは頷く。これについては後でニグルに伝えて調べてくれるだろう。


「男たちはそのまま集団で壁沿いに進み、ある程度進んでこの庭園へ出ました。そしてこの廊下から奥へ進んでいきました」

「…侵入経路がこれでわかりました。それで、劣等種の事で覚えていることはありますか?」

「…優等種であると誤魔化すための耳と尻尾をつけていましたが、半数はそれとすぐにわからないような出来の良いものを付けていました。後は…」


 こくりとナハトの喉が鳴る。劣等種の事を思い出そうとすると、それと並行してヴァロの事が頭をよぎって脂汗が噴き出た。黙って様子をうかがってくれるユリアンナを有難く思いながら、ナハトは紅茶に口を付けた。少し冷えたそれは最初に飲んだ時と違い、喉に引っ掛かかったようで落ちて行かない。

 それをいろんなものと一緒に無理やり飲み込んで、ナハトは口を開いた。


「…申し訳ありません。人相をきちんと覚えているのは1名だけ…。後は髪の色くらいしか覚えていません」

「大丈夫ですよ。その1名について教えてくれますか?」

「…はい」


 その1名はナハトに切りかかってきた男だ。深緑の短い髪に無精ひげ、左目が眼帯で、その眼帯からはみ出る大きな傷がある、劣等種にしては大柄な男だった。両刃ではない少し歪みのついた変わった剣を持っていたから、印象に強く残っている。


「一人でも明確に特徴を覚えている者がいてよかったわ。これで少しは探しやすくなるでしょう」


 ユリアンナはそう言って、ナハトにハンカチを差し出した。有難く受け取って額をぬぐう。熱が上がってきたのか、少し体も熱い。


「十分お話が聞けたので、わたくしとしてはここで終わりにしてもかまわないのですが…。あなたから聞きたいことはありますか?」


 体調を気遣ってか、ユリアンナはそう問いかけてきた。正直なところ言えばナハトはすぐに横になりたい気分であるが―――また熱が上がってきたのであれば次にいつ目覚めるかわからない。

 今のうちに聞きたいことはすべて聞いておいた方がいいと、ナハトは無理やり姿勢を正した。


「…はい。質問することをお許しいただけると助かります」

「もちろんですわ。何でも聞いてください」


 快諾してもらえたことにほっとしながら、ナハトは問いかけた。ここはどこなのか、どうして助けてくれるのか、今コルビアスはどうしているのか。それと―――。


「…ヴァロくんは…今、どうしていますか…?」


 絞り出した声は固かった。様々なものがこもったその言葉を、ユリアンナは複雑な思いで聞いた。

 少しだけ目を伏せたが、ニコリと微笑んで答える。


「ここは、クローベルグ侯爵家の屋敷です。あなたを助けたのは…うふふ、侯爵様から言われなかったかしら?あなた達には、侯爵様と娘と…もちろんわたくしもですけれど、助けてもらった恩を返せていないの」


 それはニグルも言っていた。だが、そうでなくとも何度もナハトは助けてもらっているのだ。舞踏会で気を配っていただいたこともそうであるし、ニフィリムとの間に入ってもらった事もある。

 一方的に良くしてもらうのは、何かありそうで怖いのだ。納得できていない様子のナハトに、ユリアンナは続ける。


「…あなたはずっと他人の好意を疑わなければならない場所へいたのね。でも、わたくしたちはあなたを害そうとはしませんわ。あなたは侯爵様のご友人ですもの」


 あれは本気で言っていたのかと、ナハトは目を見開いた。あの時ならまだしも、今は劣等種だとわかっているはずなのにまだユリアンナもニグルもナハトのことを友人だというのか。

 驚愕したままのナハトをおいて、ユリアンナは微笑む。


「わたくしたちは身分にも種族にも違いはありますけど、お友達です。だから…あなたが望むのでしたら、コルビアス様とあなたのご友人から、あなたを守ります」

「え…」


 一瞬言われたことの意味が分からず、ポカンとした表情を返してしまった。それを笑われて慌てて取り繕う。


「聞けば、あなたはコルビアス様の護衛騎士をやめようとなさっていたとか。でも、やめたらもとの冒険者に戻るのに、あなたを襲った彼とあなたは、同じパーティの冒険者なのでしょう?」


 ユリアンナのいいように合点がいった。ヴァロはもう目を覚ましていて、彼から何があったのかをユリアンナは聞いているのだ。それが彼女自身が聞いたのかニグルから聞いたのかはわからないが、きっと素直なヴァロは問われるがまますべてを話したのだろう。護衛騎士をやめて、元の冒険者に戻るつもりなのだと。

 こんなことが起こるまではもちろんナハトもそのつもりでいた。だが、こうなってしまった以上、”今まで通り”とは到底いくまい。ヴァロはあくまで今後の身の振り方としてそれを口にしただけなのだろうが―――なんとも言えない物を腹の底に感じる。


「…コルビアス様は、私をまだ護衛騎士にと望んでらっしゃるのですね…」


 何と答えたらよいのかわからなくて、ナハトはコルビアスについてを口にした。それが分かったのか、ユリアンナは何も言わずナハトの呟きに答える。


「あなたの様子を再三気にされておりました。ですが、あなたが女性とわかった今、護衛騎士として任につけば周囲の目も変わりましょう」

「はい…」


 男の格好をして、男のように振る舞っていたナハトが、女性として舞踏会へ現れた。それはなかなかの衝撃であったし、何よりシトレンやリューディガーの様子から見ても、女性は女性らしくを今後強要される可能性がある。騎士の服すら女性はスカートなのだ。


「それは…少し困ってしまいますね…」


 ナハトはそう呟いた。あれほど嫌であったスカートをはいて護衛をする。そこまでしてコルビアスの護衛騎士をする理由はないが、今やめたら、きっとヴァロはついてくる。他の者がいるならまだしも彼と2人で、ドラコがいたとしても、一つ屋根の下で過ごすことなど、恐ろしくて考えられなかった。

 だが、そこまで考えてふと気づく。


(「…私は、彼の事を嫌いになりきれていないのだな…」)


 それは今まで過ごしてきたことがあったからなのか、それとも何度も一緒にいたいと言っていたヴァロに絆されていたからなのかはわからない。ただ一つ言えることはこのままヴァロといて、ヴァロの事を嫌いにはなりたくないと思っているという事だ。


「…ヴァロくんは、どうしていますか?」

「……彼は、すでにコルビアス様のもとへ戻っています。舞踏会から3日ほど眠っていましたが、2日後には全快していましたので。彼を眠らせたのはあなたでしょう?」

「はい…。様子が、おかしかったものですから…」


 ナハトの呟きに、ユリアンナは「それは」と言って話してくれた。ナハトだけではなく、ヴァロも狙われて嵌められてしまったという事を。アサシギの香という、貴族の寝所で使われる香をヴァロは大量に嗅がされてしまっていたからだと。

 アサシギにそんな使い方がある事をナハトは知らなかったが、興奮剤と催淫剤を使われた状態であれで済んだのであれば、ヴァロはよく耐えたといえるのだろう。アサシギの香がどれほどの効果なのかはわからないが、ナハトはそれらが”どれほどの物か”身をもって知っている。

 その時ふっと何か暖かいものが手に触れた。閉じていた目を開いて視線を落とすと、いつ握りこんでしまっていたのか、ナハトの左手にユリアンナが触れていた。強張った手を両手で開きながら、口を開く。


「わたくしも侯爵様も、彼が反省している事や後悔していることは分かっています。ですが、あなたの言葉や思いが一番大切です。わたくしにはあなたがどんな過去を過ごしてきたのか想像もつきませんが…それは、とても辛いものであったという事は分かります」

「ユリアンナ様…」

「ですから、したいようにして良いのですよ?」


 ここまで言ってもらえて、ナハトは本当に恵まれていると思った。悲しい事も辛い事もたくさんあったが、出会った人にはとても恵まれている。エルゼルもゴドも、イーリーもリース、カトカたち、ネーヴェやフェルグスたちにも、本当に助けてもらった。

 でも一番助けてくれたのは他ならぬヴァロだ。香によってやってはならない事を彼はしたが、それを理由に、ヴァロと話をしないままでユリアンナの世話になることはあまりに恩知らずだとナハトは思った。だから―――。


「…一度、コルビアス様のところへ戻ります」

「それは…」

「きちんとお話せずに離れることは、あまりに不義理ですから」


 ユリアンナは何か言いたそうにしたが、結局何も言わずに頷いた。その代わりいつでも侯爵家の門を叩いていいと、最後までナハトの事気遣ってくれた。


「ありがとうございます」


 退室する彼女に向かって頭を下げる。そうしてベッドに寄り掛かると、瞬きの内にまたナハトは深い眠りに落ちて行った。











〇〇〇はナハトの幼い頃の名前です。女の子の名前です。

一応決まってますが、ここで入るといろいろややこしくなりそうだったので削りました。

ユリアンナの魔力は精神を安定させる効果があります。

書くところがなかったのでここで書いておきますと、彼女は光と雷の魔力を持っています。

2つ持っているのはとても珍しいので、普段は魔力として強い方の光を使用しています。

因みにユリアンナが持ってきたゼリーは温くなってしまったので下げられました。

見た目美味しそうだったのですが、食欲無くなってたのでしょうがない感じです。

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