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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第四章
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第17話 辛い仕事と優しい言葉

 屋敷へ戻ったナハトたちを待っていたのはディネロであった。急いで戻ってきた様子の彼は、先ほどのお茶会でリステアードから聞いた婚約についての話を、潜入先の屋敷で聞きつけて戻ってきたところであった。


「クローベルグ侯爵は中立派の中心ですから…。その侯爵のご令嬢とコルビアス様の護衛騎士の婚約なんていう話を聞いてしまい、真相を確認するために戻ってきた次第であります」

「…どうやら、本当にそんな話が出てしまっているようだね…」


 ディネロはニフィリム派の貴族の偵察のためにある貴族の屋敷に潜り込んでいた。そこで主に関する話を聞いて、慌てて戻ってきたのだ。正確にはナハトとナナリアの話であるが、ナナリアはコルビアスの婚約者の最有力候補に上がっていたこともあり、一度判断を仰ごうと思ったそうだ。


「その判断は正しいよ。ディネロ、話の出どころの見当はつく?」

「いいえ…。正直なところ、急に沸いたという感じです」

「そっか…」


 どこから漏れたのか、そして漏らした事でなんのメリットがあるのかが分からない。ナハトが男で平民でなければ、この縁談にはコルビアスにもリステアードにもメリットしかなかった。この行動の意味が全く分からないのだ。


「わからないことは後にして、先に進められることから進めていこう。これほどの広範囲で噂が広まってしまっているなら、リステアード兄さまが言っていたように、ナハトを女性として周知させるしか方法がないと思う」

「…そうですか…」


 ナハトはかろうじて声を絞り出した。リステアードの元へ届いた手紙を見たときに、こうなるのではないかと予想はしていた。広まってしまった噂を下手に言葉で否定すれば、それはナナリア側の醜聞につながりかねない。ナハトとナナリアの仲の良さは、冬の舞踏会で目にしていたものも多かったからだ。

 だから、そうしなければならないのはわかる。しかし―――何故巻き込まれた側がこれほど心を砕かなければならない。何度も、我慢しなければならないのだ。

 何も言わずに、ヴァロはナハトの背を支えるように手を当てた。ヴァロはナハトがどれほど女性として見られるのを嫌がっているかを知っている。無意識なのか、その手に少しだけ重みがかかって、それだけでナハトがどれだけ傷ついているのかわかる気がした。


「ナハト…どうしたの?」


 あまりに固い声に、コルビアスは不安げに顔を上げた。ナハトが女性だという話はしてしまったが、それでも一番重要であった婚約の話は断ることができたというのに、どうしてそんなに辛そうな顔をしているのだろうか。


「……コルビアス様。私を女性として周知させるとのことですが、どうなさるおつもりでしょうか?」

「え?…一番は、お披露目だと思う。今からなら冬の舞踏会に一令嬢として入場すれば、周知は一度で出来ると思うから」

「…やはり、そうなりますか…」


 予想はしていた。していたが―――込み上げてきた吐き気をこらえて、ナハトは口に手を当てた。それが一番手っ取り早く効果的であることはナハトにもわかっている。言葉などよりもよほどわかりやすく、噂が何の信憑性もないただの噂であったと知らしめることができ、尚且つ誰も傷つかない方法だ。女性の格好をしたくない、ナハト以外は。


「…大丈夫ですか?」


 よほど酷い顔をしていたのか、普段コルビアスの傍らから離れることがないフィスカがタオルを持って駆け寄ってきた。ナハトの代わりにヴァロが受け取り、口元へあててくれる。吐き気は一向にひかないが、ふかふかのタオルはほんの少しだけ安心した。その僅かなそれに縋りつきたくなるほど、女性の格好で人前に出なければならないというのはナハトにとって大きな負担なのだ。


「ど、どうしたの?大丈夫?」


 コルビアスも駆け寄ってきてそう問いかけてきた。だがナハトは今喋ることが出来ない。気を抜けばすぐにでも気を失ってしまいそうなほど具合が悪いのだ。

 それを察したヴァロが、ナハトに代わって答える。


「…コルビアス様、ナハトは女性として見られたくないんです。だから、ずっと男の格好でいたんです」

「え…どうして?」

「それは、俺にもわかりませんけど…」


 ヴァロは今まで何度かナハトのこのような様子は見たことがあったが、あまりに辛そうでそれ以上聞いたことはなかった。女性として見られたくなくて男性の格好をしている。ヴァロにとってはそれだけで十分な理由であったからだ。

 しかし、それは付き合いが長いヴァロだから納得できることなのであって、他の者達はそうではない。案の定、シトレンが意味が分からないといわんばかりに口を開く。


「女性であるのに、ドレスを着ることに抵抗があるということですか…。では、どのようにして周知させるというのですか?」

「そ、れは…」


 ナハトは言い淀んだ。ナハトは女性として見られたくないために、必要以上に脂肪を落として体の丸みがつかないようにしている。声すら訓練して普通の女性よりも低い声なのだ。だからこそ今まで疑われたことがなかったのだが―――そうして努力した事が、すべて裏目に出てしまっている。


「一度舞踏会に出るだけでよいのですよ?なにより、これはコルビアス様のためではなく、あなた自身のためのもの。婚約の話はなくなったのですから、そのくらいはするべきでしょう」

「……わかって、います。ですが…」

「何でナハトが我慢しなければならないんですか?」


 ヴァロがそう言ってシトレンを睨みつけた。ナハトがやめろと袖を引くが、無視してヴァロは続ける。


「婚約の話も、今回のことだって、ナハトは巻き込まれただけじゃないですか!なのに、なんで我慢することが前提で話が進むんですか?巻き込んだんだから、ナハトに迷惑をかけない方法を考えるのが先なんじゃないんですか!?」

「やめろ、ヴァロくん…」


 真っ青な顔のまま、ナハトはもう一度ヴァロに声をかけた。ヴァロが言っていることは正しいが、それは貴族の前では通用しない。ナナリアに不名誉が生じる事を、味方にしたいという貴族に不都合が生じる事を、コルビアスもリステアードも許しはしないだろう。

 どれだけ抵抗しても意味がないことはわかっていたが、それでもナハトはそうせずにいられなかった。だが、抵抗した分だけ、心と体が疲弊している。


「……もう、いいです。わかりました…」

「ナハト!?」

「いいんだ。…どれだけ嫌だといっても、意味がないことはわかっていたから…。ただ、これだけは覚えていてくださいませんか?」


 ナハトはそう言ってコルビアスを見た。

 薄い金色の瞳が、揺れている。


「女性だからドレスを着る。それだけの事が、私には何よりも辛いことなのです」

「…どうして?ナハトは、心が男性なの?」


 その問いかけは、コルビアスなりにナハトのことを理解しようとしてくれていると思えるものだった。しかし、残念ながらそれは違う。ナハトは小さく首を振ると、ゆっくりと口を開いた。


「私は確かに女性です。ですが、男性の服を着て、男性のように振舞うことで自分自身を守っていたのです。それを強要することがどれほど苦痛になるのか、どうか覚えていてください」

「……わかった」


 幼いコルビアスにはよくわからないだろう。それでもわかったと言ってくれたことで、少しだけ救われるような気がした。下がって休むよう言われ、ヴァロに付き添われたままナハトは部屋を後にした。




 部屋を出てすぐ、ナハトは廊下に膝をついた。気持ち悪くて眩暈がして、うまく体を動かすことが出来ない。


「…ナハトごめん。少しだけ我慢してね」


 それが分かったのだろう。すぐにヴァロは揺らさないようナハトを抱えると、ゆっくりと、だができるだけ急いで階段を駆け下りた。そのまま部屋へ直行し、ぐったりしたナハトをベッドの上にそっとおろした。

 吐き気をこらえているのか、目はきつく閉じたままだ。熱はないようだが、顔色が悪く冷や汗もかいている。怪我をしたわけでもないのにこれほど体調を崩すとは、相当なストレスであったに違いない。


「……すまないな、ヴァロくん」


 何故か謝られて、ヴァロは思わず顔を上げた。少し潤んだ紫の瞳は疲れの色が濃い。


「何でナハトが謝るの」

「護衛騎士になったのは、間違いだったと思ってね…」


 ぽつりと呟かれた声は少し震えていた。ただ護衛騎士として1年コルビアスを守るだけだと思っていたのに、気がつけばこんなわけがわからない事になってしまっている。それもこれも、ナハトがコルビアスに交渉の余地を与えてしまったからだ。

 それがなければそもそもディネロはナハトたちの元にくることもなかったかもしれないのに。


「…ナハト、もう護衛騎士やめようよ。やめて、ノジェスに帰ろう?」

「それは、出来ない…」

「どうして?」

「私がいなくなれば、お嬢様に噂が集中する。無関係の、まだ幼い彼女だけを矢面になど立たせられない。それに侯爵様にはたくさん助けられたからな…。だから…」

「でも、ナハトだって巻き込まれたんじゃないか!」


 突然の大きな声に、ナハトは閉じていた瞳を開けた。ベッドの傍らで俯くヴァロの拳が震えている。


「ナハトだって被害者だよ!それにお嬢様には守ってくれる両親がいるじゃないか…!ナハトは…俺じゃ…」

「…ふふ、君は本当にすぐ泣くな…」

「泣いてないよ!」


 思わず笑ってしまうナハトだったが、ヴァロはすぐに否定して顔を上げた。確かにまだ流れてはいないが、大きな金色の瞳からは今にも涙が溢れそうだ。

 ヴァロのことを泣き虫だ何だと普段ナハトは言っているが、こうしてヴァロが悲しんでくれるとナハトの心は幾分軽くなる。ナハトは我慢する事は得意だが、発散する事は上手くないのだ。


(「…私は酷いやつだな」)


 ヴァロが悲しむとわかっていて一緒にいるのだから。

 ナハトは体を起こすと、そのままヴァロの背中に寄りかかった。大きな背中はとても安心して、先ほどまでのやさぐれた気持ちもほんの少しだけマシになる。


「君にはたくさん助けられているよ」

「…でも俺、ここじゃ何も出来ないよ」

「そんな事はない」


 そう言い切って、ナハトは大きな背中を軽く叩いた。ついでに手を伸ばして頭も撫でてやる。

 するとヴァロが突然「おかしい…」と呟いた。何がと問う間も無く、ヴァロがナハトの手を握って振り向く。


「何で俺が慰められてるの?」

「さて…。それは君が泣いていたからではないかね?」

「だから泣いてないからね!?俺はなはとナハトを慰めたくて…!」

「なら、慰めておくれよ」


 ナハトがそう言うと、ヴァロは目に見えて固まった。首を傾げてみるも動く気配がない。まさか慰めたいと思っていたがその方法は何も考えていなかったのだろうか。


「ヴァロくん?」

「ちょ、ちょっと待って!考えるから!」


 どうやら図星だったようだ。きょろきょろと視線を巡らせて首を傾げてはぶつぶつ呟いている。そうしてほんの少しの間考えると、何かを思いついたかのように窓の外を指差した。


「ナハト、夕日って何で赤いか知ってる?」

「…?いや、知らないが…」


 突然何の話だと思っていると、ヴァロは「そうだよね」と頷いて続ける。


「夕日が赤いのはね、たくさんの人の悲しみを背負って泣いているからなんだ。たくさん泣いて真っ赤になった夕日は沈んで、夜はゆっくり寝て、朝になったら元気に輝くんだ。だからナハトの悲しいのも、夕日が全部持っていってくれるよ」


 随分と子供騙しな話であるが、一生懸命考えて思い出した慰めの言葉なのだろう。もしかしたらヴァロ自身が幼い頃に聞いた話なのかもしれない。そう思うと、ナハトはまた少しだけ心が軽くなった気がした。


「…なるほど、私の生きた時代には無かった話だな。面白い。他には、そういう話はないのかい?」

「え"っ…」


 そう問いかけると、またヴァロが固まった。そうして今度はすぐに口を開く。


「え、えっと…つ、月はどうして沈むか知ってる?」

「いいや?」


 今度はどんな話なのかと、ナハトは少々わくわくしながら問いかける。


「月は…えっと…。月は、人の孤独を…あっ間違えた。えと、夢の聖獣って言われる生き物がいるんだけど、それが人の夢を…あ、嫌な夢を…じゃなくて、その日あった嫌だったことを吸い取って…」

「…?月の話ではないのかい?」

「あ…」


 声をかけたのがいけなかったのか、ヴァロは見る見るうちに真っ赤になった。真っ白な体が耳の先どころか尻尾の先まで真っ赤になって、涙ぐんで、汗だくになっていく。

 それを見て気がついた。まさかと思って口を開く。


「…ひょっとして、今の話は君の思いつきかい?」

「………」


 返事はないが尻尾が丸まっていく事からしてどうやらヴァロが考えたものらしい。惜しいことをした。そうと分かっていれば、口を挟まず最後まで聞いていたのに。


「それはすまない事をした。続きをどうぞ?」


 そう言ってみたが、当のヴァロは全身真っ赤なまま錆びついた車輪のようなぎこちなさでベッドの上に丸くなった。この恥ずかしがり方は初めてなので大変興味深いが、ナハトを慰めようとしてくれたのにへこませたとあってはどうにも後味が悪い。

 ナハトは小さく笑いながら、ヴァロのベッドに腰掛けた。びくりと塊が跳ねる。


「ヴァロくん、さっきの話なんだが…」

「も、モウオシマイデス…。ツヅキハナイデス…」

「ふふ、それはわかったから。つまり君は、明るい時も暗い時も、嫌な事を持っていってくれるものがいるから安心しろと、そう言ってくれようとしたんだろう?」


 顔を上げないまま丸い塊が動く。どうやら頷いたようだ。丸くなった背中をあやすように叩くとヴァロがゆっくりとこちらを向く。


「…ドレスを着るのも、それで人前に出るのも死ぬほど嫌だ。だが…君の言葉で少し元気になったよ。ありがとう」

「…本当に?」

「ああ」


 のそりとヴァロが起き上がった。まだ顔は赤いが機嫌は治ったようだ。

 これからのことを考えるとまた吐き気と震えが起こるが、腹を括るしかない。少なくともナハトには、ナハトの事を考えてくれるヴァロがいるのだ。1人きりでどうにかしなければならなかった"あの頃"とは違う。


(「まだ、大丈夫だ」)


 ヴァロのふわふわの頭を撫でて、ナハトは微笑んだ。














ヴァロが最初に話した夕日の話は、幼い頃に母親から聞いたお話でした。

その後は完全に思いつきです。



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