第16話 耐え難い事
ナハトとヴァロが出て行ったあと、コルビアスはシトレンときちんと話せたらしい。夕食時に見かけたシトレンは一度ナハトとヴァロを睨みつけたが、しばらくすると黙ってこちらに向かって頭を下げた。渋々と言わんばかりの行動だが、シトレンも己の行いに恥じるところがあったのだろう。大きく何かが変わったわけではないが、ほんの少しシトレンのナハトらに対する扱いが良くなった気はする。
その日の内に、コルビアスは3日後にリステアードに約束を取り付けた。お茶会を屋敷ではできないため、城の応接間の一つを借りて行う予定だ。そこで今回の婚約について断りを入れる。
当日は、今回のお茶会はコルビアスが開催者であるため早めに屋敷を出た。応接間を整え、お茶とお菓子を用意してリステアードを待つ。今回はフィスカも一緒だ。ジモとディネロ以外の全員が揃った状態でリステアードの来報を待った。
時間を少しすぎた頃、応接間にノックの音が響いた。開けられた扉の向こうにいたのはリステアードと彼の護衛騎士数名、それとマシューである。
迎えたコルビアスがお決まりの挨拶を口にすると、リステアードは微笑んで挨拶に応じた。
「今日は誘ってくれてありがとう。いい話が聞けると思って楽しみにしていたんだ」
それに肯定の返事を返さず、コルビアスは椅子を勧めた。お茶とお菓子を口にして、お茶会が始まった。
最初は世間話から。どれだけ大事な話でも、すぐに進めようとするのは優雅さに欠ける為、貴族のお茶会は本題の前に必ず世間話が入る。
慣れないコルビアスの進行ににもリステアードは微笑んで話を合わせてくれ、時折「このように言うといい」と、進行の仕方のアドバイスをするなど表面上は和やかだ。
そうしてしばらくの時間を過ごしたのち、リステアードの用意したお茶とお菓子になったところでコルビアスは本題を切り出した。
「リステアード様。今日は、先日ご提案いただいたことについて、お返事をさせていただきたく会を設けさせていただきました」
「固いな、コルビアス。お茶会の最中だと言うのにそのような仰々しい口上では…まるで、何か断りを入れようとしているように伝わりかねない」
そう言って、薄くリステアードは笑う。場に緊張が走り、コルビアスが拳を握り込んだのが見えた。
だが、ハトに一瞬視線を向けると、意を決して口を開く。
「リステアード様。レオとクローベルグ侯爵令嬢との婚約ですが…お断りさせていただきます」
リステアードの眉がぴくりと震え、周囲にいるマシューや護衛騎士の表情も一瞬固くなった。しかし変化はわずかで、リステアードは薄い笑みのままゆっくりとコルビアスに問いかけた。
「…今、断ると聞こえたのだけれど…気のせいかな?」
今なら聞かなかったことにしてやると、リステアードがそう言っているのが見て取れる。しかしコルビアスはナハトと約束したのだ。何度も不義理を働いてしまったのに、それでもナハトは許してくれて護衛騎士を続けてくれると言ってくれた。その気持ちをもう、裏切る訳にはいかない。
「申し訳ありません。お断りさせていただきます」
そう言って子ルビアスは頭を下げた。つむじに視線が集中しているのが分かる。
しばらくして、リステアードが大きく息を吐き出した。それに釣られて顔を上げると、残念そうに細められた視線とぶつかる。
「…私を王にと言ってくれたのは、嘘だったのかい?」
「いいえ」
「では、何故?」
「…お話しできません。ですが、私がリステアード様を王にと思う気持ちに変わりはありません。中立派の貴族への説得も、任せていただけるのでしたら、精一杯努めさせていただく所存です」
「……」
コルビアスはそう言って、真っ正面からリステアードを見つめた。後ろに立つナハトもヴァロも、コルビアスの主張にリステアードが頷いてくれるよう祈るばかりだ。そうでなければ、少々面倒なことになる。
「…悪いが、答えられないならこちらも受け入れられない。レオにとってもコルビアスにとっても、これは
悪い話ではないだろう?それを断ると言うのだから、それ相応の理由は必要だ」
ぎしっとわずかに音が聞こえて視線を向けると、ヴァロが拳を強く握りしめた音だと気がついた。今度は堪えられたようだが、ヴァロのナハトに関する沸点の低さは少々問題だ。言ったところで改善されるものの類ではないのだろうが。
それよりも、やはりリステアードもコルビアス同様、ナハトらが貴族になりたくないと思っているとは露もないようだ。"それ相応の理由"を求められ、コルビアスがナハトを見上げてくる。とても嫌だが、頷くしかない。
「…リステアード様、これはここだけのお話にしてください」
「…?それほど重大な理由があるのかい?」
「はい」
コルビアスの頷きに、リステアードは少々興味深そうにナハトを見上げた。その探るような視線に、首筋が泡立つ。
「…いいよ。どこにも漏らさないと誓おう」
「ありがとうございます」
礼を言って一度言葉を切ってから、コルビアスは真剣な表情と声でそれを口にした。
「レオは、女性です」
「…は?」
ぽかんという表現がぴったりな顔で、リステアードはゆっくりとナハトを見上げた。その視線が上から下に下がって行くのを見て、思わずナハトが咳払いをすると、すぐにリステアードは軽く首を振って口を開く。
「…こ、コルビアス。そんな嘘をつくのはよくない」
「嘘ではありません!レオは、本当に女性で…す」
そう言った瞬間、コルビアスの顔を含め空色の耳まで
がピンクに染まった。何故など聞くまでもない。先日のことを思い出してしまったのは明らかだ。何とも気まずい。
だが、リステアードには言葉よりも効果があったようだ。ナハトとコルビアスを交互に見て、大きく息を吐く。
「コルビアス、年上に色気を感じるのはわからないでもないけど…駄目だ」
「え…?」
「おまえはまだ幼いからよくわからないのかもしれないが、王族が素性の分からない者と枕を共にするのは駄目だ。何かあったらどうする?」
「「違います!!!」」
全身真っ赤な状態でコルビアスとヴァロが同時に叫んだ。すかさずヴァロの口を魔術で覆うと、それで冷静になったヴァロの耳と尻尾が下がる。どうしても反応してしまうヴァロへの仕置きは後にして、ナハトは一歩前へ出た。
「護衛騎士の身でありますが、発言の許可をいただけますでしょうか?」
「…どうぞ」
どこか面白そうにリステアードは許可をくれた。それに礼を言って口を開く。
「私は男性の護衛騎士としてお仕えしておりましたので、コルビアス様も先日までご存じありませんでした。その為、先日お伝えした時にひどく驚かれましたのです。コルビアス様の元には女性はごく少数しかおりませんので…」
「ああ、なるほどね。そういう事か」
「は、はい…」
恥ずかしそうに俯くコルビアスをリステアードは笑う。とりあえず女性自体に免疫がないということで納得はしてくれたようだ。
息を吐きながら深くソファに腰かけると、リステアードは髪をかき上げながら口を開いた。
「はぁ…女性なら、仕方ないね。同性同士の婚約もなくはないけど、クローベルグ侯爵のところは一人っ子だからな」
「…はい」
「しょうがないな」と言うリステアードの言葉に、ナハトはほっと息を吐いた。ヴァロももちろんコルビアスも、これで護衛騎士を続けてくれるのだろうと期待を込めた目でナハトを見上げてくる。
それにナハトは、小さく頷いた。
その後は通常通りお茶会が続けられた。重荷がなくなったからかコルビアスも饒舌になり、リステアードも婚約の話がなくなったにもかかわらず、傍目からはそう気にした様子は見られない。
このまま何事もなくお茶会は終わりそうだ。だが―――。
(「…どうにも嫌な感じがする」)
何故か首の後ろがざわざわとして落ち着かない。見落とすようなことは何もないはずなのだが、どうにも気持ちが悪い感じが晴れないのだ。ナハトにとって一番嫌な部分、耐え難い部分を立て続けに刺激されたせいかもしれないが。
しかしすぐに、その予感が正しかったと思わせる事態が起きた。応接室の扉がノックされ、リステアードの執事の一人が一通の手紙を持って入ってきたのだ。通常、余程の事がない限りお茶会中よりもそちらが優先されることはない。だが、執事はコルビアスへの挨拶もそこそこにその手紙はすぐにリステアードに渡した。
手紙の文字を追っていた彼の目が、大きく見開かれる。
「リステアード様…?」
「…まずい事が起きた」
「え…」
常に一定の穏やかな表情でいたリステアードだったが、そう呟いた彼の顔は眉が顰められていて穏やかとは程遠い。
「何があったのですか?」
「…どういうわけか、話が外に漏れたらしい…」
「漏れたって…まさか、婚約の話がですか!?」
「ああ」
そう言ってリステアードから手紙が渡された。コルビアスとともにその手紙をのぞき込むと、それはどうやら王都の貴族街にいるリステアードの傘下の貴族からの確認の手紙だった。
その貴族の元には複数の子供がいるのだが、先日ある公爵令嬢の誕生会へ出席した際にナナリアの婚約の噂を聞いたのだそうだ。
クローベルグ侯爵の愛娘”ナナリア”は婚約者がいないことと、作る薬の特異性のため有名だ。その薬は王族すら自由に手に入らないため、婚約で繋がりを作ろうと一時期申し込みが殺到していた。その為侯爵は、ナナリア本人が気に入る人物が出るまでは婚約を見合わせると公言していたのだ。
だというのにそのナナリアに婚約の話が持ち上がり、しかも相手は彼女と懇意にしている騎士だという話が聞かれて、誕生会の会場はその話でもちきりだったという。噂の出どころはわからないが、場所が場所であったためかなりの人数にその話は知れ渡っているようだが本当だろうかと、手紙はその確認をとるために送られてきたものであった。
止められない、止めようがない苛立ちに、ナハトの手がわずかに震える。
「私の傘下の貴族たちは、クローベルグ侯爵との繋がりの重要性を重々承知している。だからこその確認の手紙だろう」
「ですが…何故?リステアード様、先にクローベルグ侯爵への申し込みなどは…」
「もちろんしていないよ。断られるとは思っていなかったが、それでもお前の許可なく話を通すのは違うだろう?」
「なら、いったい誰がこの話を漏らしたというのですか?」
「それは…わからない」
そう言うリステアードの表情にも焦りが見える。
ナハトが女性である以上この話はどうやっても実現しないのだが、ここまで広まっているのであれば、クローベルグ侯爵の耳にもおそらく届いているはずだ。
「おそらくすぐにでも問い合わせが来るだろう。その際に、下手な嘘や言い訳は問題になる。それに…件の騎士が女性だったといって果たして信じてもらえるかどうか…」
性別を理由に断れたとしても、侯爵が”見合わせる”と言っていた中出た婚約の話しは既に貴族の中で一番の話題になっている。内輪での解決は、ナナリアの醜聞につながりかねない。それは侯爵が許さないだろう。
ならば―――。
「レオが女性だと、周知させるしかないな」
リステアードのその言葉に、ナハトはついに苛立ちをこらえきれなかった。噛みしめ過ぎた奥歯が鈍い音を立て、それにコルビアスが振り向く。
どこで話が漏れた。いや、それよりなにより、何故これほどまでに振り回されなければならないのか。
婚約の話をやっと断ったと思えば、今度は女だと周知させるという。ナハトは男性の護衛騎士としてここにいるのにだ。
「り、リステアード様。ほかに方法はないのでしょうか?幸い公式な発表などではなく、まだ噂の段階です。いくらでも訂正のしようはあるのではないですか?」
ナハトの様子に気づいてかコルビアスはそう口にしたが、リステアードは首を横に振った。
「残念だけど、おまえはまだ”噂”の怖さを知らないようだな。噂というのは、公式の発表よりも早く、水面下で広がっていくものだ。特にクローベルグ侯爵は、侯爵自身も清廉潔白で有名だ。味方も多いが敵も多い彼の愛娘の話は、それは面白おかしく語られかねない」
リステアードが語るそれには、クローベルグ侯爵とナナリアへの懸念はあってもナハトを慮るものはない。貴族か貴族ではないか、それはこんなところでも現れる。この話の被害者はナナリアだけでなく、ナハトもそうであるというのに―――。
ナハトに発言を止められていたヴァロも、リステアードの話にはいよいよ我慢ができなくなった。握りしめた拳は力の入れ過ぎで爪が食い込んでいる。
2人の様子がおかしいことは、さすがにコルビアスも気づいたようだ。これ以上ここで話すことは避けたほうがいいと判断して口を開く。
「……お話は分かりました。リステアード様、詳しい話はまた後日ということでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、そうだな。私の方も噂の出どころを調べてみよう」
「お願いします」
そうして2回目のお茶会は終わった。
婚約などよりも、より大きくナハトの傷を抉る話を残したまま―――。