第14話 代償
屋敷のコルビアスの部屋へ戻ると、すぐさまナハトはコルビアスに問いかけた。どういうつもりかと。場所が城であった事、リステアードがいた事で必死に怒りを堪えていたが、屋敷へ着いた今我慢することは何もない。ヴァロは城で動こうとした分今は少し落ち着いているようだが、ナハトは怒りを堪えっぱなしであったので腹の中はためた怒りでぐつぐつと煮えている。
怒りを隠そうとしない2人に、シトレンが背中で庇うように、リューディガーが剣の柄に手をかけてコルビアスの前に出た。狼狽えたフィスカがおろおろとコルビアスの傍らに寄り添う。
「ど、どうしてそんなに怒ってるの?ナハトにとってもいい話じゃないか」
「どこをどうとったらそう思えるのですか?」
この状況で問いかけてくるとは幼くともさすが王子である。だが問いかけたその内容は、苛立ったナハトらの神経を逆なでした。
睨みつけたまま真っ向から否定すれば、コルビアスは戸惑ったように目を泳がせる。口を開いて、閉じて、そうして意を決したようにまた口を開く。
「リステアード兄様が王になるには、味方になる貴族が多くなきゃ駄目なんだ。中立派を取り込む必要があるんだ!ナハトは結婚してないでしょう?ならいいじゃないか!」
「……本気で言ってるんですか?」
ナハトの低い声に、コルビアスがびくりと揺れた。脅えた視線を向けられるが、そんなもの気にならないほどナハトは怒っている。怒りのままにならないよう、自身を押さえつけることで精いっぱいだ。
「な…なに…」
「お忘れのようですから繰り返させていただきますが、私とヴァロくんは1年の契約であなたの護衛騎士になりました」
「……あ…」
「あなたがどうしても私たちを護衛騎士にと言ったから、もう卑怯な真似はしないというその言葉を信じたから…!だから、私たちはあなたを守るために護衛騎士になった!だというのに、躊躇いもせず、あなたは私を差し出した!!!」
どうしても抑えきれず、後半に行くにしたがって怒鳴るようになってしまった。それでも少しもすっきりしない。ぐつぐつと煮え滾るような怒りがこみあげてきて、ナハトは奥歯をかみしめる。
コルビアスは茫然とした顔でナハトとヴァロを見返した。忘れていたとでも言いそうな顔だ。ナハトとヴァロがそれだけコルビアスにとって身近な人間になっていたという事だが、そんなもの言い訳にもならない。
臣下の進退も婚約もすべて主人のためにが優先される。1年の契約で護衛についているナハトにとってはそれは別にかまわなかった。だがそれだけだ。コルビアスの臣下になったつもりも、今後も彼を護衛騎士として守り続けるつもりもないのに、それを”忘れていた”などという一言で済ませてもらっては困る。決して許されることではない。
「貴族になれるというのに、何がそんなに嫌なんだ?」
真っ青な顔のコルビアスに代わり、リューディガーがそう返してきた。そもそもその質問が何なんだとナハトは頭を抱え、それに我慢が出来なくなったヴァロが一歩前に出た。強い殺気を隠そうともしない彼に、リューディガーが眉をしかめる。
「おい、殺気を押さえろ」
「…わからないなら引っ込んでろよ」
「……なに?」
ヴァロの言葉にリューディガーも殺気が漏れる。
「わからないなら口出すなよ!いいか、俺たちは平民で、冒険者だ!貴族になんかなりたくない!それを、貴族のルールに合わせて動いてやってるんだ!仕事だから!!!」
ヴァロの剣幕に圧倒されたようにリューディガーが一歩下がる。その分ヴァロは前に出て続ける。
「俺たちは仕事を受けたんだ!断る事も出来たのに、コルビアス様が可哀そうだからっていう理由で受けた。何か助けになればって、ナハトはそう言ってたんだ!」
「ぼ、僕は…」
「解毒したのだって、その機会だってナハトが作ったものじゃないか!それを自分の功績にした挙句、助けてくれたナハトを踏みにじったんだ!怒るに決まってるだろう!?」
ヴァロの叫びに、コルビアスはシトレンの背に隠れたまま震えた。
あまりにコルビアスにとって都合のいい事が、喜ばしい事が重なったため、とても傲慢になっていた事に気づいたのだ。目先の旨みに釣られ、また勝手を働いてしまった。そんな後悔が押し寄せてくる。
だが―――。
「…それでも…それでも!この申し出は得られるものが大きいんだ。ナハト、君はクローベルグ侯爵の覚えもいいんだから、結婚しても冒険者を続けていいか交渉してみれば…」
「それほど重要なのでしたら、あなた様がすればよろしいでしょう」
被せるようにナハトがそう言えば、コルビアスは悔しそうに俯いた。とっくの昔に断られたと、呟くような声が聞こえる。
しかしそれこそナハトには関係ない。それに何より、ナハトとナナリアでは生物学的に無理だ。
「そんなに結婚させたいなら、リューディガーがすればいいだろ」
「無理だ」
ヴァロの提案は一瞬で却下された。リューディガーは30代後半でナナリアはまだ10歳にも満たない。あまりに歳が離れすぎている。
「何よりクローベルグ侯爵令嬢が"うん"とは言わないだろう。おまえしかいないんだ」
「名誉な事ではないですか。平民が爵位を与えられ、侯爵令嬢と婚約できるのですよ?」
これだけ言ってもまだ無理強いしようとする姿勢に、ナハトは怒りを通り越して投げやりな気分になってきた。ヴァロもそうなのだろう。
口を開いた彼を手で制し、ナハトは言いたくなかったそれを口にした。
「私は女です。令嬢との婚約など出来ません」
「…は?」
これは予想外だったのだろう。コルビアスとシトレン、リューディガーまでもあっけに取られた顔でナハトを見る。フィスカまでぽかんと口を開けていたが、すぐにナハトが言ったことを理解したコルビアスの顔が、不快だと言わんばかりに歪んだ。
「そんな嘘をつくほど嫌なの?」
「嘘ではないですし、嫌だとわざわざ言葉にしなければ伝わりませんか?…信じられないのでしたら、ここで全裸にでもなりますが」
「ちょっ、ナハト!?」
上着に手をかけたナハトを慌ててヴァロが止める。掴まれた両手を離すよう睨みつければ、彼は渋々ながらも手を離した。
だが―――。
「だだだダメだよやっぱり!ちょっと待って!」
「ヴァロくん、うるさい」
「ダメだってナハト!」
ヴァロが無理矢理マントでぐるぐる巻きにすると、さすがにこれは抜け出せないようでナハトにものすごい怒りのこもった視線で見られてしまった。だがそれに怯む暇はない。そのままナハトをコルビアスが着替える際に使う衝立の向こうへ連れて行くと、呆気に取られた状態のフィスカを呼びつけた。
「フィスカこっちに来て!ナハト、確認ならフィスカがすればいいでしょ?」
「何でもいい」
「だって!フィスカお願い!」
「わ、わたくしですか?」
名指しにされたフィスカは困惑の表情を浮かべながらも、コルビアスの許可を取ってこちらへ来た。恐々衝立の向こうへ入ると、すぐさまヴァロはマントを広げて隙間を覆う。
「ヴァロ…何もそこまで…」
ヴァロのあまりの様子に呆れた表情を浮かべるコルビアスたちであったが、マントの向こうから出てきたフィスカの表情を見て顔色を変えた。
「フィスカ?」
「コルビアス様…彼は、いえ…彼女は…女性です」
「…え……」
フィスカの言葉を聞いても信じられないという顔で見られ、ナハトは大きくため息をついてコルビアスに近づいた。すぐさまリューディガーが前に出るが、ヴァロが瞬時に抑えにかかる。そうして2人がまごついている間に、ナハトはコルビアスの手を取るとそのまま自身の胸へ押し当てた。
「なななななにしてんの!?」
すぐに駆けつけたヴァロに腕を取られたためにコルビアスが触れたのはほとんど一瞬だ。それでも十分であったのだろう。呆けた顔をした彼は、その手に感じた確かな膨らみにすぐさま真っ赤になった。
「…粗末なものでも、さすがに触ればわかりましたか?」
「そんなこと言ってる場合!?」
「うるさいな。信じないのだからこうやって分からせる以外どうしたらよかったんだ?」
あまりにはしたない行為ではあったが、本当に本当に腹が立ってしょうがなかったのだ。それにフィスカに見せたのに信じてもらえないならこうするしかない。婚約などさせられるより、女とバレる方がまだマシだ。
「なんて無礼な!恥を知りなさい!」
「今はそんな話をしていない。シトレン、あなたの方が黙りなさい」
「なんだと…!?」
無礼だ恥だと騒ぐシトレンは今は邪魔だ。婚約については後日報告すると返事をしてあったが、今ここで撤回させ、すぐにリステアードにもその連絡をしなければ後々面倒なことになりかねない。婚約という話が出た以上、性別を偽る事など出来ないのだから。
「おまえ、女のくせにとんでもないな…」
「それも今はどうでもいいです。コルビアス様、私と侯爵令嬢の婚約の話はお断りしていただけますね?」
呆れた顔を浮かべるリューディガーの声も無視してコルビアスにそう言うと、面倒なことにシトレンが間に割り込んできた。「聞いてはなりません」と声を上げて、彼を後ろに引く。
「侯爵令嬢との婚約が叶わなくとも出来ることはまだあります」
「…あなたならそう言うと思いましたよ。どうせ今度は私を中立派の男性貴族と婚約させようとか、ヴァロくんを代わりに出そうとか考えられているのでしょう?」
「はあ!?」
「…首にするなら、少しでもそちらの利益になるように首にしたいというところでしょうか。私たちが無礼であるなら、シトレン、あなたは糞野郎の極悪人ですね」
「こ、この…!」
口汚く罵ったナハトの言葉に、シトレンは怒りに震えながら拳を握りこんだ。だが戦ってもナハトらに勝てないのは分かっている。だからか、少し離れたところに立ったままのリューディガーに向かって、怒りのまま叫んだ。
「リューディガー何をしているのです!この2人をさっさと捕らえなさい!」
「…断る。俺の主はおまえではない」
「主が侮辱されているのですよ!?」
「侮辱してないだろう」
驚いたことに、リューディガーはそう言って小さく笑いながらゆっくりとこちらに向き直った。顎に手を当てたまま、信じられないといった顔のシトレンに向かって続ける。
「コルビアス様が契約を忘れて婚約の話に乗り気になったのは本当で、2人の立場を忘れて貴族の常識を押し付けたのもその通りだ。そいつらは侮辱ではなく、そのままの事しか言っていないし、そもそもコルビアス様を傷つけるつもりもない。今はそいつらとおまえの喧嘩だ。俺の出る幕ではない」
「な…なん…」
「ならば、コルビアス様との話しの邪魔だから抑えてくれと言ったら、あなたは動くのか?」
ナハトがそう問いかけると、リューディガーはまた小ばかにしたように笑いながら首を振った。
「言ったろう?コルビアス様の命令しか俺は聞かない」
「なるほど…。ならば、こちらで排除するしかありませんね」
「ひっ…!?」
ナハトが指を切って構えた。すぐさま魔力を流し、狼狽えるシトレンを蔦でぐるぐる巻きにする。口まで覆うようにすると、やっと部屋の中が静かになった。
しかし、次に聞こえたのは小さな嗚咽だった。
「うっ…」
全員の視線がそちらを向く。そしてすぐさまフィスカが駆け寄った。
薄い金色の大きな瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれていた。くしゃりと顔をゆがめたその頬を伝い、絨毯に染みを作る。
そして―――。
「う…うわあああん!ごめ゛ん゛な゛ざい゛ぃいい…!」
王子らしからぬコルビアスの号泣は、8歳の少年そのものであった。
次話で書く予定ですが、書けなかった時のために補足…
リューディガーは基本コルビアスの為になると思ったことでしか動きません。
彼の成長のためと思えば多少の事には目をつぶるという事もあります。
舞踏会後にナナリアの薬を返すように言ったのは、ナハトに渡した薬をコルビアスが持っていては侯爵の覚えが悪くなるからです。
ナハトとヴァロが婚約の話に怒った時は、そのままナハトとナナリアが婚約すればコルビアスの為になるので婚約を押す側になりました。
しかし約束を破った事、蔑ろにしたことなどはよくないと思っています。
ナハトが女だとわかった以上婚約も無理なので、そうなるとコルビアスはやってしまったことの責任は負わなくてはならないから傍観していました。
シトレンはコルビアスの利益になることが全てです。ナハトとヴァロの事は相変わらずよく思っていませんし、ナハトが言ったように、ナナリアとの結婚が無理ならほかの貴族にと考えていました。
子供のため、コルビアスは婚約の有用性を言葉ではわかっていても深くは理解できていないため、それらはすべてシトレンの案です。