第13話 婚約の提案
今日はリステアードとのお茶会の日だ。数日前から入念に準備をし、最高級の菓子と茶葉も用意して城へ向かう。
城の正面入り口でコルビアスらを迎えたのは、先日の解毒の際に顔を合わせたリステアードの筆頭執事、マシューである。リステアードが出迎えでいないのはまだ本調子でないからだろうか。馬車から降りると、マシューにリステアードの居住区画である城の東へと案内された。
城の共有区画の一部と謁見の間、それと夕食会で使用した部屋以外は、コルビアスを含めた誰もきたことがない場所だ。その為、少々の興味を引かれながら廊下を歩く。城の内装は王族の特徴である赤と金で整えられたものが多いが、リステアードの居住区は全体的に赤が強い。何度か見たリステアードの雰囲気とは少々合わない、攻撃的なものをナハトは感じた。
マシューに案内されたのは城の西側の庭園であった。庭園の中心には美しい装飾が施された東屋があり、よく手入れされた真っ赤な花々と絵画的な雰囲気を醸し出している。
「ああ、よく来たねコルビアス」
その東屋でコルビアスを迎えたリステアードは、筆頭執事のマシューその他の執事や護衛騎士に囲まれながら微笑んだ。まだ完全には回復しきっていないようで、頬が少々やつれて見える。
(「いくら神秘の花といえど、完全回復とはいかなかったようだな…」)
神秘の花のは傷に強く作用する。解毒の効果も無いわけではないし、大概の毒も解毒するが、病には効かないのだ。体力を回復する効果も殆どないため、毒で傷ついた体は治っても使った体力はしっかり休んで戻すしかない。
「リステアード様も無事回復されたようで安心しました。ですがまだお顔の色がよろしくないようです。あまりご無理はなさいませんよう、お気を付けください」
コルビアスがそう言うと、リステアードは微笑んで向かいの席に座るよう勧めてきた。すぐにシトレンとフィスカがお茶とお菓子を用意する。大規模ではないお茶会では誘った側がお茶もお菓子も用意するのが通例であるが、今回はリステアードの方からお互いにお茶とお菓子を用意しようと提案がなされたのだ。
お互いに用意をするお茶会は、お互いの好みを相手に伝えるという事もあって親密さを求めた会で用いられることが多い。毒をもられたばかりのリステアードがそのような提案をしたことは驚きであったが、その事もあってコルビアスはだいぶリステアードに対する警戒を解くことにもなった。親密さを求められたのであるから、コルビアスとしてはこれを機に王位には興味がないという事を伝えることが出来ればと思っている。
「これでだいぶ回復したのだけれどね。おまえのおかげで本当に助かったよ。…その後の話は聞いたかい?」
「…大まかにはお聞きしました。ニフィリム様の登用なさったコール男爵家の2名が、犯人として捕らえられたとか…」
「そうか…」
コルビアスの返答に、リステアードはそう呟いて、自身の用意したお茶とお菓子に口を付けた。勧められるままにコルビアスもお茶に口を付け、ほっと息を吐く。後ろに立つナハトやヴァロまで香りを感じられるほどに濃厚なハーブティーだ。子供のコルビアスの口には合わなそうなものであるが、どうやらそんなことはなかったらしい。
それが分かったのか、リステアードは微笑んで口を開いた。
「口に合ったようでよかった。私はこのハーブティーが好きでね。せっかくだから、おまえにも飲ませてやりたくて用意させたんだ」
「ありがとうございます。とてもいい香りです」
「それはよかった」とリステアードは呟いて、一瞬視線を後ろに立つナハトとヴァロへ向けた。探るような視線に背筋が伸びるが、すぐに視線はコルビアスへと戻る。彼はハーブティーを口にすると、少々厳しい表情をして口を開いた。
「先ほど、コール男爵家の者が犯人であったと報告を受けたと言っていたね。それ以降報告はあったかい?」
「え…いいえ?」
コルビアスは思わずシトレンを振り返るが、シトレンもそんな話は聞いていない。犯人についての報告があったから、ディネロも今は別の場所へ行かせている。
「…やはり、おまえにはそこまでしか降りてきていないか。…まったく、父上が王族の一員であると認めたというのに、近衛騎士団の中にはまだおまえを蔑ろにする者がいるようだな」
リステアードはそう言って、酷く不快そうに庭園の入り口に立つ近衛騎士を見た。視線に気づいた彼は、狼狽えたようにしたがすぐ背筋を伸ばす。
コルビアスは、今まで自分の事で不快感を示す相手などシトレンやフィスカといった、常に周囲にいる人間だけであった。肉親である国王や王子たちからも虐げられていたのだ。功績を認められて王族の一員として周知されたとはいえ、リステアードの突然の兄らしい対応に戸惑いを隠せない。
「あ、あの…リステアード様。私は問題ありません。いきなり認めよというのも無理があるでしょう…。私は、少しずつでも認めていただけるようになればいいのです」
そんなコルビアスの発言にリステアードは首を横に振る。向かいに座ったコルビアスに視線を合わせるように屈んで口を開いた。
「いいかい、コルビアス。君は今までは王族と認められていなかったが、今は違う。国王陛下から短剣を授けられた、内外に認められた第3王子だ。…私が言えたことではないかもしれないが、虐げられることに慣れてはいけない。言うべき時に言わなければ、いつまでたっても虐げられたままになったしまう」
「…はい」
「帰りにきちんと報告へ来るよう申し付けると良い。何なら、ガイゼンに来させるよう言ってもいいと思うよ」
「ご、ご冗談を…!」
ガイゼンとは近衛騎士団長の事だ。慌てたコルビアスに、リステアードは声をあげて笑う。それを見てコルビアスもから揶揄われたことが分かったのだろう。少し驚いた様子を見せながらも笑った。
お茶会は和やかに進んだ。ナハトとヴァロは護衛騎士として周囲を警戒しつつも、楽しそうなコルビアスの様子に安心した。国王陛下の体調の面は聞いていたが、実際に見た限りではご健勝のようで、このままでは1年の期間を終えてもコルビアスの周囲に変化はないのではないかと不安に思っていたのだ。
(「リステアード様が認めているのであれば、国王陛下が健在でもコルビアス様の状況もそう悪くなることはなさそうだな…」)
むしろ第3王子として正式に認められた今なら、もうナハトたちがいなくともいいのかもしれない。リステアードを支援するものとして彼の傘下に入れるのなら、コルビアスも安全を確保できるだろう。
話が切れたタイミングで、コルビアスは背筋を伸ばして椅子に座りなおした。時間的にはお茶会は終盤であるから、そろそろ本題を切り出すつもりなのだろう。重要な話であることを察して、リステアードも居住まいをただす。
「リステアード様に、申し上げたいことがございます」
「なんだい?」
少しの深呼吸の後、コルビアスは口を開いた。
「…私は、王位に興味はございません。私は第3王子という身ではありますが、王家の者にある髪も肌もございません。リステアード様こそが、王に相応しいと思っております」
「…コルビアス…」
リステアードは驚いたように目を見開き、そのまま手を組んで椅子に深く沈みこんだ。大きく息を吐いた彼に、コルビアスの方がびくりと揺れる。
それに気が付いたマシューが、そっとリステアードに耳打ちしたのが見えた。
「ああ、すまない。驚かせたね。…そんな事を言わせてしまってすまない」
「…いいえ。私でお役に立てることがあるのでしたら、リステアード様のために尽力させていただきます」
それは”力を貸すから守ってほしい”という遠回しな提案だった。幼いコルビアスが役立てる事など、人よりも賢いと言われているこの頭しかない。
ふと、その言葉に一瞬リステアードの眉が上がったようにナハトには見えたが、当の本人は少し悲しそうに微笑むとゆっくりと話し出した。
「ありがとう。…実は最近、ニフィリム派の貴族の勢いが凄くてね。ニフィリムは粗暴だけれど真っすぐな男だろう?あれでいて、爵位の低い者達には人気が高いんだ」
粗暴な面しか目撃したことがないため何とも言えないがそうらしい。貴族は爵位が低くなればなるほどその数は増す。そのため、リステアードも無視できなくなっているようだ。
「私を王にと押してくれている者達も多いが、それはほとんどが高位貴族だ。数では負けているため、父上も悩まれているようでね…」
「そうだったのですね…」
「ああ。それもあって、今私は中立派の貴族の取り込みに尽力しているんだ」
「…確かに、中立派の貴族の数は一大勢力といえる数がございます。そのほとんどは王家に忠誠を誓っているのでどちらの派閥にも属してはいませんから、取り込めればかなりの後ろ盾になると思います」
コルビアスの言葉に、リステアードは満足そうに頷いた。そうしてまた視線が一瞬こちらへ向く。ただそれだけの事であったのにとてつもない嫌な予感が背筋を走り、ナハトは強く拳を握った。
(「なんだ今のは…!?」)
混乱するも、今は警護の最中。迂闊に動くことは出来ない。
そんなナハトの様子など露ほども知らないコルビアスは、興味深そうにリステアードと会話を続けている。
どのように中立派をこちらに引き込むか―――。そんな会話が繰り広げられる中、リステアードがゆっくりと口を開いた。
「…今日お茶会を開いたのはコルビアスへのお礼もあったのだけれど、提案したい事があったんだ」
「提案…でございますか?」
「ああ」
リステアードは足を組み替えると、コルビアスから視線を外してナハトを見る。そうして言葉を続けた。
「おまえの護衛騎士…レオと言ったか。彼をクローベルグ侯爵令嬢と婚約させないか?」
「…なっ!?」
思わず発したヴァロの口は、すぐさまリューディガーに抑えられた。それに抵抗しようとしたヴァロの腕を、ナハトは押さえて首を振る。今ここで暴れるのはまずい、その一心であったが、ヴァロは信じられないといった様子でナハトを見返す。
「…どうしたのかな?」
「なんでもございません。お騒がせして申し訳ありません」
リューディガーの返答に、リステアードはそのままコルビアスと話を続ける。
「クローベルグ侯爵家は、中立派の中でもかなりの力を持っている。クローベルグ侯爵が私の派閥へ入れば、中立派の7割はこちらへ傾くだろう。そうすれば一気にニフィリム派の貴族を数で超えることが出来る」
「で、ですが…。リステアード様、レオは貴族ではないのです。侯爵令嬢と婚約など出来ません」
「それならば私が男爵位を与えよう。侯爵家と釣り合いは取れないが、彼の功績を考えれば子爵位か伯爵位くらいは与えても問題なかろう。…解毒薬は、彼が作ったのだろう?」
躊躇いがちに、だが強くコルビアスは頷いた。コルビアスがどれだけ問いかけても、シトレンやリューディガーに詰め寄られても、ナハトは薬の内容を話さなかった。そのせいで頷くことを躊躇ってしまったが、リステアードの提案はコルビアスにとってもいいものである。
侯爵令嬢であるナナリアの薬の効能が知れ渡った事で、一時婚約の申し込みが殺到した。しかし誰も叶わなかった一番の理由は、ナナリア自身が嫌だといったことが大きいと聞く。愛娘を可愛がる侯爵はそれをそのまま受け入れ、その為ナナリアの隣は未だ空席なのである。
「幸いなことに、侯爵令嬢は彼にご執心のようだ。ならば、さすがの侯爵も断る事はなかろう」
リステアードの言葉に、コルビアスは頷いた。
確かにナナリアはナハトに気があるように見えた。爵位がどうにかなるのであれば、断られることはないかもしれない。さらにもしこの婚約がなされれば、クローベルグ侯爵家はリステアード派の貴族になるが、同時にコルビアスの後ろ盾になる。ナハトはコルビアスの護衛騎士なのだから。
うま味しかないこの申し出に、コルビアスは同意を返そうとして―――唐突に渇いた破裂音がした。
「何の音だ!」
そう近衛騎士が声を上げる間に、素早く各々の護衛騎士は主を囲むように構える。音の出所を駆け付けた近衛騎士が探そうとするが、その前にナハトは声を上げた。
膝をつき、コルビアスに発言の許可をもらう。
「許す」
「ありがとうございます。おそらく先ほどの音は花が咲いた音かと思われます」
「…なに?」
リステアードが眉をひそめた。それはそうだろう、ここは彼の庭園である。破裂音がする花などという優美さに欠けたものを植えるよう指示した覚えなどないはずだ。確認するようにマシューに問いかけているが、マシューも首を横に振る。
ナハトはもう一度許可を得ると、そんな彼らをよそに、音の出所へ真っすぐ近づいた。そこには赤い花びらに白い線が入った1輪の花が咲いている。
「これはトゥルペという花でございます。こちらに咲いている花はトゥルプ。名前は似ていますが違う花です」
「そ、そうなのか?」
「はい。違いは、トゥルペは一気に花が開くため破裂音に似た音がする事、花に2色以上の色が入ることでございます。反対にトゥルプは時間をかけて咲き、色は単色という特徴がございます」
のぞきこんできたリステアードにそう説明すると、彼は首を傾げながらも頷いた。
「危険でないならばそれで良い。マシュー、庭師に確認を徹底するよう伝えよ。私の庭園にそのような花はいらぬ」
「かしこまりました」
その後は終わりの時間も迫っていたために、後日返事をするという事でお茶会は終わった。コルビアスとシトレンは満足そうにしていたが、ナハトとヴァロは帰宅するまで固く握った拳を解くことが出来なかった。
破裂音のする花、トゥルペはナハトが咲かせたものです。
現存する花で、わざと少し離れた場所に咲かせて意識をそちらに向けました。