第11話 薬の作成
謁見の間を出たコルビアスとナハトは、そのまま扉の傍らで待機していたシトレンらと共に城の一室へと案内された。
「ここで他の者が集まるのをお待ちください」
そう告げた近衛騎士は言葉だけは丁寧であったが、全員が部屋の中に入ったことを確認すると外から部屋の鍵を閉めてしまった。ガチャリと音を立てて閉められた扉に、シトレンが気色ばむ。
「無礼な…!」
「シトレン、今はそれよりも重要な話があるんだ」
そんなシトレンを止めて、コルビアスは謁見の間であった事を全員に共有した。やはりリステアードとニフィリムは毒に倒れている事、そしてその疑いがコルビアスに向いていた事、無実の証明が出来ない代わりに2人の解毒の手伝いを申し出た事―――。
それらを一通り説明した後、コルビアスはナハトを振り返り、微笑んで口を開いた。
「ナハトのお陰で冷静になれたよ。…ありがとう」
「いいえ、お気になさらないでください」
コルビアスは利発だがまだ子供だ。彼を嵌めようとした者や、ウィラードの考えを読み解くにはまだ経験値が足りない。それにあのままでは、ナハト自身にも面倒が降りかかりそうであったのだ。あてにされている時点ですでに遅い気もするが、あのまま言われっぱなしで交渉も何もなく飲み込ませられるよりはよほどいい。
それよりも気になるのは、ウィラードがナハトの事をどこまで知っているのかだ。謁見の間に入る人員を絞ってまでナハトを同行させたのだから、彼はナハトが普通の植物の魔術師ではない事を知っていると言う事だ。
(「…またこちらの知らないところで…」)
心内でため息をついたその時、複数の気配が近づいてきている事に気がついた。ナハトは後ろ手にヴァロの袖を引くと、僅かに屈んだ彼に向かって小さく呟いた。
「私が君に同意を求めたら、わからなくても肯定して話を合わせてくれ」
「え…え?どうしたの急に?」
「訳は後で話す…頼む」
鍵が開けられる音がしたため、無理やり話を打ち切って入口を向いた。
入ってきたのは近衛騎士と、医師らしき白衣を着た初老の男性とその助手、長い赤茶の髪を一つに縛った狐のような耳と尻尾の男、それと癖のついた明るい紫に細く小さい耳と長い尻尾の男だった。どちらも20代後半だろうか、彼らは机を挟んだ反対側に立つと、コルビアスを見てその両脇に立つナハトらを視界に入れて顔を顰める。おおかたディミトリ同様、コルビアスが毒をもった犯人だと思っているのだろう。それでも来たのは国王から直々に言葉があったからだろうか。
彼らは表情はそのままに、コルビアスの前に膝をつくと各々何者であるか名乗った。
「お初にお目にかかります。わたくしはマシュー・クリストルと申します。リステアード様の筆頭執事を務めております」
「わたくしはテオ・ラドラー。ニフィリム様の筆頭執事を務めております」
「うむ。私はコルビアス・ノネア・ビスティア。此度はリステアード兄様とニフィリム兄様の解毒の為、そなたらに協力を要請した」
コルビアスは一度そこで言葉を切った。2人の目が疑うようにコルビアスを見ていたからだ。
「私を疑っているのだろうが、私は陛下の前で証言し、解毒に手を貸す事を許されたのだ。…兄様たちがお倒れになって丸一日以上経っているのに許されたと言う事は、毒が判明していないのだろう?だから、其方達はここに来たのではないか?」
「……」
マシューもテオも答えない。だが、その目に警戒の色が強く出たのを皆見逃さなかった。リューディガーが一歩前に出て、コルビアスとマシューらの間に入る。
「あなた様が我らの主に毒をもっていないと、本当に言えるのですか?」
「陛下が私にここへ来る許可を出された。それが全てだが…信用できないのであれば、貴様らは王家の敵として判断するがよいか」
貴族の社会は目上の者の意見が全て尊重される。この国で一番尊い存在である国王の言葉を疑うのかとコルビアスが言えば、どれだけ疑念をはらんでいようともマシューらは頷くしかない。
しぶしぶだが頭を下げた彼らは、促されてソファへ座ると各王子の体調について口を開いた。
それによるれば、ニフィリム王子は夕食会後に部屋に戻ったところ、湯浴みの準備を待っている間にソファで意識を失ったらしい。はじめは眠っているのだと思っていたようだが、その口元から血が流れているのを見てすぐに医師を―――ここへ一緒に来た彼を呼んだそうだ。
「わたくしはすぐにニフィリム様をお調べしましたが、おそらく毒物を服用されたという事しかわかりませんでした。すぐに国王陛下にお伝えして薬師も呼んでいただきましたが…いまだに毒の特定には至っておりません」
医師は助手らしきものをちらりと視界に入れてそう言った。どうやら助手ではなく薬師であったらしい。くまの出来た顔で申し訳なさそうに俯いている。
「リステアード様も、ニフィリム様の状態とほぼ同じでございます。近衛騎士から毒の報告は受けましたが、わたくし共も毒の特定には至っておりません」
「…わかった」
簡潔にそれぞれの王子の状態をまとめた資料を受け取り、ナハトもシトレンもそれに目を通す。覗き込んできたヴァロにも見えるようにもう一度上から順に確認すると、いくつか特徴的なことが書かれていた。意識がなく眠っているようで、脈拍が遅く血の気がなく、それでいてたまに吐血をする―――要約すると、そういう事らしい。
(「…これだけでははっきりとわからないが…心当たりはある」)
一通り確認して、ナハトは筆頭執事たちに目を向けた。もしこれがナハトが予想する毒物であった場合、対処によってはかなりまずい事になる。
「…レオ、何か心当たりがあるのか?」
顔を上げたナハトに気づいたコルビアスがそう問いかけてきた。一斉に視線がこちらへ向き、それに居心地の悪さを覚えながらもナハトはマシューらに問いかけた。
「王子の体に、痣のようなものはありませんでしたか?」
「…痣?それはどのような?」
「打撲跡のようなものです。ありませんでしたか?」
ナハトの問いかけにテオは口元を覆って、マシューは俯いて何かを考えだした。そうして少しの間の後、口を開いたのはテオだった。思い出したかのように目を見開いて口を開く。
「あった…。ニフィリム様は戦闘訓練をよくなさるのでその時の物かと思ったが…」
「…首元にあったのではありませんか?」
「…!どうしてわかった!?」
驚いて顔を上げ立ち上がるテオとは反対に、ナハトは俯いて眉を寄せた。痣があるのであれば、これはギヂトという毒草の症状に違いない。知っている毒草であるし、もちろん対処も知っているが―――大きな問題が一つある。
それは、ギヂトはナハトが生きた1000年前にあった薬草であるという事だ。もちろんすべての植物に変化があったわけではない事はナハトもわかっている。しかし、魔力による変化を起こしていない植物はごく少数で、少なくともナハトが確認した図鑑に書かれていた植物はすべて見た事がないものであった。ギヂトももちろん、見た覚えはない。
ならば、王子たちが服用した毒はギヂトのようであるが、使われた植物はギヂトでないという事だ。そうなると解毒薬が同じでいいのかがわからなくなってくる。解毒薬というのはそれに合ったものを作らなければ、新たな毒を生み出す可能性もあるのだ。
「…レオ?」
呼ばれて気が付いた。どうやら思考の渦にのまれていたらしい。不審そうに見るテオたち筆頭側仕えと、コルビアスやヴァロの不安そうな視線がナハトに向いている。
考えをざっとまとめると、ナハトは断りを入れてから口を開いた。
「恐らくですが、毒についての心当たりがあります」
「…!なんの毒なんだ!」
慌てたように間をつめてくるテオと違い、マシューの方は妙に冷静だ。それを不思議に思いながらもナハトは続ける。
「ギヂトと呼ばれる毒草の症状と似ています。実際に見ていないのではっきりと断言できませんが…。ギヂトの主な症状は、眠っているようで脈拍が遅いこと、それと首の痣です」
「…よし!ならばすぐに…!」
そう言って傍らにいた医師を振り向いたテオは、困惑した顔の彼らを見て止まった。その顔色を見てやはりとナハトは思う。彼らは知らないのだ、ギヂトを。
「先生…?」
「も、申し訳ありません…。わたくしは…ギヂトという植物を存じ上げません…」
「…なっ!?」
「申し訳ありません。わたくしも…」
「…やはり、そうですか」
そう言ったナハトの言葉に、信じられないといった様子でテオは振り向いた。
視線が合った瞬間、真っ赤になって激高した彼は貴族らしくなく怒鳴り散らして詰め寄ってきた。
「貴様…!馬鹿にしているのか!?今がどれほどの事態だと思っているんだ!王子たちの命がかかっているんだぞ!?」
「馬鹿にしてなどいません。私自身話を聞いただけで、実際にギヂトという植物を見た事がないのです。もしかしたら私が知らないだけかもと思ったのですが…」
「…そ、そんな…」
テオもマシューも愕然とした様子でソファに深く沈んだ。それはそうだろう。毒の種類が分かったかも知れないのに誰もその植物を知らないのだ。
いや、知らないとナハトは言い張っているが、もちろん知っている。知っている理由が理由なだけに言えないだけだ。とはいえ、このままでは王子たちが死んでしまうのも確かだ。
「レオ、本当にどうにもならないのか?」
そうコルビアスに問われて、ナハトはちらりとヴァロを見る。気がついた彼に頷いて、そうしてテオとマシューを振り返った。
「ギヂトは知りませんが、解毒薬は知っています」
ナハトの言葉に、テオはまた真っ赤になって拳を震わせた。
「…き、貴様…!ふざけてるのか!?」
「いいえ」
それだけ言って、真っ直ぐナハトはテオを見る。
「もし私が最初から解毒薬を作ると言っていたら、作らせてくださいましたか?」
そう言うと、テオもマシューも言葉に詰まった。わざわざナハトがギヂトの事を口に出し、医師に確認させたのは、ナハトが作ると言っても作らせてくれるとは思えなかったからだ。だからもし医師がギヂトを知っているなら、解毒薬は医師に任せればいいと思った。
それが分かったのだろう。テオは奥歯を噛み締めて口を開く。
「き…貴様が作らずとも、解毒の材料を先生方にお伝えすればいいだろう!」
「それはできません」
「何故だ!?」
「私は植物の魔術師であるからです。この薬は、私が魔力で育てる素材が必要なのです。それと、彼の力も…」
ナハトが視線をヴァロに向けると、ヴァロは頷いてナハトの隣は並んだ。それを見たコルビアスが不思議そうな顔で問いかけてくる。
「レオは分かるが…どうしてアロも?」
「この薬には、彼の魔術が必要なのです」
「そ、そうです。慣れてないと、この薬は作れません」
コルビアスとテオ、マシューを見るが、皆一様に首を縦に降らない。テオとマシューは自分も薬の作成に立ち合わせろと言い、コルビアスも同じように要求して来た。コルビアスの場合は信用どうこうというよりも、ナハトとヴァロを2人だけにしておきたくないのだろう。
だが、ヴァロ以外を同行させるわけにはいかない。ナハトは緩く首を振ると、はっきりと答えた。
「アロ以外の同行はお断りいたします」
「…っ!何故だ!」
「この薬は繊細なのです。少しの間違いで失敗する可能性があります。なので出来るだけ静かな、集中できる環境で作る必要があります」
「貴様…!」
案の定、ナハトの発言にテオが噛み付いて来た。マシューは「黙って見ている」というが、それも気が散るからと言って却下した。一刻も早く薬が必要なのではないかとナハトは思うが、やはりまだ彼らは心内でコルビアスが毒をもった犯人だと思っているのだろう。その護衛騎士であるナハトの言のため、なかなか首を縦に降らない。
「…分かった。出来上がった薬は、最初に私が飲もう」
埒があかないと思ったのか、コルビアスがそう呟いた。
「出来上がった解毒薬を口にしても、体に害はないのだろう?」
「はい」
「…それで折れてはくれないか?私は、少しでも早く兄様たちをお救いしたいのだ」
真っ直ぐと、テオとマシューに向かってコルビアスは言った。それに圧倒されたのか、2人は渋々ながらも首を縦に振った。
薬の作成にと案内された部屋で、ヴァロはナハトに小声で声をかけた。そう大きくない部屋の扉の向こうからは、ここへ案内してくれた近衛騎士の気配がする。
「…それでナハト、俺をここに連れて来た理由は何?」
「ああ…。先に言っておくが大声を出さないでくれ。…国王が、私の魔術について何かを知っているようなんだ」
「っ…!」
大声の気配を察知して、ナハトはヴァロの口を押さえた。それにヴァロはごめんと謝ると、声を抑えて問いかける。
「な、何で?」
「そんな事私が知るわけないだろう。それよりもだ。王が私の魔術について知っているなら、私たちが知らない監視がまたついているかも知れない」
「う、うん」
「それに今回王子たちに作る薬は、飲ませた毒が完全に分かるわけではないから、神秘の花の蜜を与えるつもりだ。それを、他の者に気づかれたくない」
「…わかった。俺は周囲の気配を探りつつ、ナハトの手元を隠せばいいんだね?」
「その通りだ」と言って、ナハトは笑った。
ヴァロの大きな手でナハトの手を覆い隠すようにして隠してもらい、その内側に神秘の花を咲かせる。その蜜を用意されていた細長い瓶に慎重に移し、4本出来たらそれでもう完成だ。小さく息を吐いて顔を上げると、ヴァロがお疲れさまと小さな声で呟いた。
「薬自体はこれでいいが…何か怪しい気配はするかい?」
「…今のところないよ。強いやつだと隠すの上手いから自信ないけど…」
そう少ししょげながらヴァロは言うが、ナハトはヴァロの気配を探知する能力の高さをかっている。おそらくリューディガーは近衛騎士を含めてもかなりの実力者であるはずだが、その彼の気配すらヴァロは感じ取れるのだ。そのヴァロの探知に引っかからないほどの奴がいるなら、正直なところ諦めもつく。どう足掻いたところでナハトには分からないのだから。
少々の時間を潰して部屋へ戻ると、待ちかねたようにテオが腰を浮かせた。そんな彼の前を通り過ぎ、4本の瓶をコルビアスの前に置いてナハトは口を開いた。
「薬を4本作りました。一本は毒味として私が飲みますので、選んでください」
ナハトが選んで、他に毒が入っていると言われても面倒だ。その為テオとマシューにそう言うと、彼らは相談して1番左の瓶を指差した。
その口を開けて一気に中身を煽る。今のナハトは健康そのものなので、神秘の花の蜜を口にしてもそう影響はないはずだ。
案の定、特に問題なくナハトが飲み下すと、シトレンが止めるのも聞かずコルビアスは真ん中の瓶を手に取って一気に中身を煽った。甘いその味に一瞬驚いたようだが、すぐに表情を取り繕ってテオとマシューに向き直る。
「問題ないようだ。…すぐに、兄様たちに差し上げてくれ」
「…わかり、ました」
不安げな顔をしつつも、テオとマシューはそれぞれ薬を持って退室した。リステアードかニフィリムの容態が少しでも良くなれば、コルビアスもナハトらも、地下牢に囚われたジモも解放されるだろう。
近衛騎士に見張られたまま、時間が過ぎていく。するとしばらくして、慌ただしい足音がこの部屋に向かって来る音が聞こえた。すぐにリューディガーもヴァロもナハトも構えるが、はしたなくも大きな音を立てながら扉を開けて飛び込んできたのは、先ほど薬を持って退室したテオである。
その顔が泣きそうに歪められているのを見て、まさかと腰を浮かせたが―――。
「…ニフィリム様が…目を、覚まされた…!」
「…そうか!」
コルビアスにとってニフィリムは良い存在ではない。侮られて、蔑まされて、心無い言葉も態度も幾度も浴びせられてきた。だけれど、死んでしまえなどと思った事はない。心の底からほっとして、コルビアスは微笑む。
「…よかった」
「ありがとう…ございます」
コルビアスの呟きに、テオは膝をついて頭を下げた。